2018年8月30日木曜日

孫娘は子育て中?!

 
 
 
 
 
 
 
今、1歳2ヶ月半になる孫娘。
 
1ヶ月ほど前から歩きだした。
 
行動半径が広がったことで、興味のあるものに積極的に突進する。
好奇心は強いタイプのようで、
時々、あらぬ方向を指さし、何かを叫び、そこに向かって歩いて行く。
 
本人の中での目的意識やストーリーはある様子で、
ちょこまかと、それからそれへと興味は移っていく。
 
ひとつのことに集中できるのは、約1分。
 
つまり、何にも持続的には考えられずに、衝動に任せて動いている。
まぁ、1歳ちょっとなんて、そんなもんか・・・。
 
そんな1歳2ヶ月半が、ここのところはまっているのが、
「ハリーちゃんの育児」だ。
 
ハリーちゃんとは、ハリネズミのぬいぐるみで、
昨年のクリスマスプレゼントとして、私が孫娘にあげたもの。
 
当時はまだ寝返りさえうてなくて、あげても何の興味も示さなかった。
 
しかし、この夏、にわかにそのふわふわの手触り、
ちょうどいい大きさ、可愛い顔、
どこがお気に召したのかは分からないが、
大のお気に入りになったとか。
 
名前は私がプレゼントしたときにつけた「ハリネズミのハリーちゃん」という
極単純なネーミングが採用されたようで、
母親やオーママの私が「ハリーちゃん」の単語を使うと、
取りに行くので、ちゃんと理解していることが分かる。
 
そのハリーちゃんを自分のTシャツの下にもぐり込ませたり、
胸から覗かせたりして、「ご懐妊ごっこ」「読み聞かせごっこ」
「抱っこ」「リトミックごっこ」など、
ハリーちゃんを自分の子どもにして、いろいろ遊ぶのが目下のブームのようだ。
 
また、母親や私のTシャツの胸元にも、ハリーちゃんを押し込んで、
抱っこさせてくれる。
 
自分の子どもを「はい、抱っこさせてあげるね」ということだろうか。
 
まだ、具体的な単語は何一つ発していない段階で、
ごっこ遊びが出来るし、
母性なるものも開化しているとしたら、人間ってすごいなと思う。
 
保育園で社会性を身につけ、
両親から愛情を注がれ、
オーママの作ったご飯を毎日食べて、お腹がポンポコリン。
太もものムチムチは本当に柔らかく、
男の子のママ達から触られ「癒しね~」と羨ましがられるとか。
 
なかなかシュッと背が上に伸びないのが、目下の悩みだけど、
それも、ためて~伸びる、ためて~伸びるの
ためてる最中と思って、温かく見守ることにした。
 
はるか彼方になってしまった子育ての楽しさや辛さを、
毎週、ご飯作りのため娘の家に行き、
ばぁば世代が孫娘に関わることで、
楽しさは倍増、辛さを半減できればいいなと思う今日この頃である。
 

2018年8月27日月曜日

琉球 美の宝庫展

 
 
 
 
 
六本木のサントリー美術館でやっている『琉球 美の宝庫』展という
展覧会の内容がすごくいいと聴き、
友人を誘って観に行ってきた。
 
すこし前にこの友人に誘われて行ったのが、
同じくサントリー美術館の『中国の陶芸展』だったので、
お誘い返し?というわけ。
 
琉球の工芸、特に漆芸と紅型、紬は本当に素晴らしいし、
今回の展覧会の目玉、国王の王冠は
8月22日から9月2日までの限定展示なので、
その期間を狙っていくことにした。
 
その前に腹ごしらえということで、
友人が検索してくれた六本木の中華のお店に行ってみると、
何と、展覧会チケットの半券があると「500円引き」になるというではないか。
 
2000円程度のランチが500円引きとは、相当なお得感だ!
 
というわけで、まずは美術館でチケットを購入し、
それを持って階下のレストランへ行き、
お値段よりずっと豪華なランチをいただき、
お互いの小籠包と油淋鶏をわけっこしながら、お腹いっぱいに。
 
次回からも、サントリー美術館の展示を観に行くときは、
「ランチはここにしましょう」ということになった。
 
肝心の展示の方も、
王様の王冠を始め、日本とは思えない独自の文化を発展させて、
素晴らしいものをたくさん生み出していたんだと感服。
 
絵画作品は中国の影響を受けすぎていて大したことなかったけど、
紅型の着物や、螺鈿細工を駆使した琉球漆器は、
必見もの。
 
そして、美術鑑賞のあとは
金沢のお麩を使った甘味処で、
「沖縄塩を使った豆乳アイスパフェ」なるものを賞味。
 
こちらもちょっと変わった塩味のアイスがてっぺんに乗っかったパフェで、
掘り進むほどに中から白玉や、お麩のラスク、
沖縄の柑橘系ゼリー、あんこ、あんずなど、
次から次へといろいろ出てきて楽しかった。
 
眼福、そして、美味堪能。
 
外は36度の猛暑だったけど、
なかなか充実した8月終わりのお出かけだった。
 
しかも、帰りの電車で、
「スマホサイトの制作が全て終了しました」というメールが届き、
見れば、新しいホームページがアップされているではないか。
 
そこには恥ずかしながら自分のCMのような動画も添付されている。
 
これを見て、新しいクライアントさんが来てくれますように!
 
早く猛暑が終わりますように!
 
暑い夏がいいかげん終わって欲しいと願いつつ、
新しい仕事モードの秋の到来に期待を寄せたのであった。

2018年8月16日木曜日

今夏もキリンで暑気払い

 
 
 
 
 
 
今日は35度越えというわけではないが、
とても蒸し暑い。
十分、ビール日和といえる。
 
私達絵画教室の面々は、以前から予定していたとおり、
お教室の終了時間と共に荷物をまとめ、
生麦の「キリン・ビバレッジ生麦工場」に向かった。
 
以前は夏と暮れの親睦会は、あちこちのレストランを渡り歩いていたが、
教室が生麦に移ってからは、キリンのレストラン一本槍だ。
 
まして今年の夏は猛暑ゆえ、
早くこの日が来ないかと待ちわびる日々だった。
 
連日、自宅でもビールに合うメニューを作るのに余念がなかったが、
ここのレストランのソーセージの盛り合わせに勝る料理はないし、
第一、作りたてのビールの美味しさといったら、
本当に生きていてよかったと思うほどだ。
 
いつもは単品で適当に注文するのだが、
ランチのメニューがコーヒーやパンなどがついてお得だということが分かったので、
ランチメニューからと単品メニューのミックスで注文することに。
 
「和牛のハンバーグ」と「サラダチキン」をランチメニューととして頼むと、
更にトマトスープやパン、そしてコーヒーもついてきた。
 
それに「メカジキのグリル」と例の「ソーセージの盛り合わせ」をプラス。
 
いずれも大正解の美味しさで
チョイスの当たり具合に自画自賛。
 
そして、いわずと知れた「一番搾り」がこよなく美味い!
1杯目は軽めのエールビールをいただいたが、
やはり「一番搾り」にはおよばず、
最初から「一番搾り」一本でいけばよかったと思うほど。
 
本日の話題は、
帰国したてのメンバーのニューヨーク旅物語と、
別のメンバーからの、実家の両親の老後と相続の話。
 
だいぶ趣の異なる話に盛り上がりながら、
親の介護や相続は避けて通れない話だし、
もめずに澄ませたい重要な内容なので、
いきおい熱がこもる。
 
ご長女の留学先のニューヨークは
70代後半の親世代にとっては、物価のバカ高い、若者向けの街だったようで、
日本のご飯の美味しさがしみじみ分かったという。
 
ビールとソーセージ盛り合わせじゃ、日本のご飯とは言えないかもしれないが、
それでも天井の高い雰囲気のいいレストランで、
気持ちのいいサービスを受け、リーズナブルな価格で、
新鮮な野菜とお肉、そして、ビールを楽しめる日本の良さを再認識。
 
昼間っからビールをお代わりして、ほろ酔い気分。
 
極楽・極楽。
あ~、最高!
 
個人的には、一昨日、木版画の彫り作業がすべて終了したことも含め、
この夏の予定が一段落ついた喜びを噛みしめたのであった。
 

2018年8月12日日曜日

木目を編む

 
 
 
いよいよ彫りの最終パート、木目の彫りを開始。
 
お盆休みは少し、カウンセリングが入っている以外、
お稽古事もお教室も遊びもお盆だからということでないので、
逆にヒマをもてあましている。
 
週一の孫の「おさんどんばぁば」も、
お盆休みで若夫婦は軽井沢に行くというので、今週はお休みだ。
 
なので、3度の家のおさんどんをしさえすれば、
後は渋滞情報を横目に、腰を据えて版木に向かうことが出来る。
 
木目のパートの原画を、面相筆という細い絵筆を使って、
水彩で描写する作業は、
版木の持っている木目を、目を皿にして『読む』という感覚だと書いた。
 
パット見ただけではよく見えないシナ材の木目を、
凝視することで浮かび上がらせ、
それをすくい取っていく。
 
そして、今度は描かれた水彩の描画を手がかりにして、
木目模様を彫り残す。
 
杉の板全体をバーナーで焼くと、柔らかい部分だけが先に焼けるので、
ワイヤーブラシでこすると、硬い木目部分が残る。
そうやって凸凹を板に作ることで、木目模様の版木が出来る。
 
それを自らの目と手で掘り起こすのが、
私の木目彫りだ。
 
水彩の描画はナビに過ぎないので、
それを手がかりに、より木目らしい表情を彫り残す作業は、
いってみれば『木目を編む』という感覚に近い。
 
編み物はひと目ひと目編み針に毛糸をからめて編んでいくが、
4,5ミリの丸刀と6ミリの三角刀を主に用いて、
一刀一刀彫り抜いて、残った部分こそが木目らしくなるように、
編むがごとくに彫っていく。
 
集中力が要求される作業だ。
 
「描く」のは描いたところが全てだけど、
「彫る」のは彫り残した形が全て。
 
そこが木版画の難しいところであり、面白いところ。
 
彫り残した部分に絵の具をつけて摺り取ることで、
彫った痕跡は、紙の白になって残る。
 
不思議な感覚。
 
うまく彫れれば彫れるほど、ナチュラルで美しいシルエットを残すことができる。
 
今回の作品で、木目の部分は1版しか用意していないので、
彫った部分はそのまま紙の白になる。
 
他のパートがほとんど2版重ねになっていて、
紙の白どころか、色が重なっていて複雑な表情をしているので、
それに1版で対抗する木目パートの紙の白の役割は大きい。
 
さて、あと数日で木目パートの彫りが終わると、
私の彫りに明け暮れた暑い夏が終わる。
 
きっと今年の夏はまだまだ暑いだろう。
 
ひぐらしがカナカナカナともの悲しい声をさせて鳴いている。
 
湿度管理の関係で、
クーラーが使えない摺りの作業は涼しくなってからでないと行えない。
 
こうして、いずれは訪れる秋を待ちながら、
頭は徐々に摺りへとシフトしていくのだ。
 
 

2018年8月10日金曜日

木目を読む

 
 
 
 
 
7月初めから、
81㎝×81㎝の版画としては大型の作品2点分の彫りを続けている。
 
平彫りといって、アウトラインを彫って、周囲を5㎝幅ほど削り、
島状に浮かび上がらせる作業は
予定通り、7月中に終了した。
 
8月に入ってからは、
飾り彫りと称している木版ならではの彫りに入っている。
 
おしべやめしべなどの繊細な部分や花びらの2版目。
背景にあたる無地のパートの2版目。
紐の2版目の組み紐らしい表情。
 
そして、木目をすべて彫りで表現するという作品の主要部分だ。
 
今はいよいよ最後の木目部分に差し掛かって、
昨日から木目の原画を直接、版木に水彩で描いている。
 
木目が木版画で描かれていることは時々あるのだが、
大抵は、杉の板をバーナーで焼いて、硬い部分だけを残し、
それに油性絵の具をつけて摺られていることがほとんどだ。
 
杉の板を使った鍋敷きを思い浮かべてみれば分かるとおり、
凸凹を作りさえすれば、木版画の版としては成立するので、
わざわざ彫ったりしないで、そうした素材を用いる。
 
しかし、7~8年前から、私はあえて木目をすべて自らの手で掘っている。
 
なぜなら、杉の板ではカーブに添った木目には対応できないのと、
欲しい木目の大きさとは限らないからだ。
 
そして、何より私は木版画家だから。
 
木目は思い浮かべて適当に描いたり、
何か写真あたりを参考にしたりして描くと、
ウソっぽくなる。
 
だから、版木そのもの、つまり、シナの木の木目を利用している。
 
版木は目を懲らして見ると、わずかに木目が浮かび上がってくる。
それを私は0,1の裸眼で、版木に顔をなすりつけるようにして、
まるで棟方志功が乗り移ったかのような感じで、写し取っていく。
 
いってみれば、
『木目を読む』ような感覚だ。
 
メガネをかけていると、そのわずかな色の差や流れを追っかけきれず、
適当になってしまう。
 
近視と乱視と老眼が入り乱れているから、やっかいだ。
 
なので、いっそ裸眼で、わずかな色の差や線の行方を追いながら、描いていく。
そして、徐々に浮かび上がる木目を前にして、
彫っていくときのイメージを作り上げていく。
 
私のお盆休みは
今度は本当に棟方志功みたいに、版木に顔を近づけて、
目玉に刀が刺さるのではという勢いで、
木目を彫り続けることになるだろう。
 
猛暑の夏は、大きな作品の彫りをする。
 
そう決めて10年以上経つが、
今年はとりわけ暑い夏。
 
クーラーをフル稼働して、
最後の直線を疾走しようと思っている。
 

2018年8月7日火曜日

食べる孫娘

 
 
 
 
 
 
4月半ば、長女が社会復帰したのを機に、
毎週火曜日に『おさんどんばぁば』を引き受けて、3ヶ月半ぐらい経った。
 
最初は3~4品作っていただけだが、
それで娘家族は火・水・木、ひどいときは金まで食いつなぐというので、
ここ2ヶ月は7~8品作って、帰りを待つ。
 
今日で孫のシポリンはちょうど1歳2ヶ月。
 
少し歩くようになり、
ありがとうでお辞儀をし、バイバイと手を振り、
言葉こそ話せないが、
確実に意思表示ができるようになってきた。
 
しかも、大人の「どすこい!」のかけ声に合わせて、
足を振り上げ、四股を踏むという芸まで習得した。
「どすこいシポリン」と私は呼んでいる。
保育園でもこの芸は大うけらしい。
 
もはや、赤ちゃんではなく、幼児といってもいいほどの成長だ。
 
食に関しては、
11ヶ月ぐらいまでは、本当に食べることが大好きで、
スプーンで食べさせると、驚くような量をきれいにこぼさず食べることが出来た。
 
ところが、11ヶ月も後半になった頃、
突如、自分の手でつかんで食べたいと主張し、
人がスプーンで運んだものは断固拒否。
 
しかも、ひとくち入れて気に入らない味のものは、
ポイポイ床に捨てるようになった。
 
ついにイヤイヤ期到来か。
 
何でも嫌で嫌で、ぐずった挙げ句、何にも食べない、
そんな日が何日も続いたりした。
 
母親である娘もお手上げで、
「じゃあ、好きにしなさい」とヒステリーを起こすし、
私は私で「そんなに食べない悪い子にはもう作りに来てあげないからね」と
大人げなく言い放ったりした。
 
しかし、どんな風の吹き回しか、
先週あたりから、また、食べるの大好き少女シポリン、復活。
 
先週は「枝豆入りはんぺんバーグ」「ひじきの炊き込みご飯」
「スペイン風オムレツ」「なすと豚のみそ炒め」「かぶときゅうりの浅漬け」
「枝豆」「けんちん汁」「厚揚げと小松菜の煮浸し」を作った。
 
その内、
「はんぺんバーグ」と「厚揚げと小松菜の煮浸し」は特に気に入った様子だった。
 
何と、2日で全部なくなってしまって、おかしいなと思ったら、
親達が食べたというより、
シポリンがよく食べたからだという。
 
今週は「ケチャップ味のピラフ」を「オムレツ仕立て」にし、「豚のショウガ焼き」
「白身魚のフライ」「ジャガイモのチーズ焼き」「わかめときゅうりの酢の物」
「ほうれん草と豆腐のかき玉汁」「豚キムチ」を作ってみた。
 
本日のお気に入りは「ジャガイモのチーズ焼き」「白身のフライ」
そして、意外や「ほうれん草と豆腐のかき玉汁」は3回おかわり。
 
まだ、上下の歯は上が4本、下が3本しか生えていないし、
もちろん濃い味のものも食べられないし、肉の塊系は大人用だ。
 
それでも青い葉っぱ系、玉ねぎ、にんじんなど、
親が食べさせたいのに子どもが苦手なものも、何でも食べてくれるので助かる。
 
ようやく「よく食べるシポリン」が戻ってきてくれたので、
「おさんどんばぁば」のモチベーションも上がってきた。
 
歩きだして、少しシュッとしたのに、
また、モリモリ食べるせいで、ポンポンのお腹とムチムチの腿をさすってから、
玄関でバイバイしてもらって帰ってきた。
 
こんな風に擬態語と擬声語だらけなのに、意志が通じたり、
時に火が点いたように泣くけど、なんで不機嫌なのか分からない小動物。
 
そんな大人の物差しが通用しない相手に翻弄される、
それが「孫」というものの可愛さに違いない。
 

2018年8月6日月曜日

折り紙のような皿

 
 
 
 
 
7月の下旬に釉薬をかけた10点の器が出来上がってきた。
 
四角いお皿のシリーズだ。
 
今年に入って、今までの6年間とは少し趣の異なる作品を手がけている。
 
今までは器として、それだけで作品になるもの。
つまり、形が個性的だったり、
釉薬が2~3種類かけ分けてあって、表情豊かなもの。
 
そういう器こそが、わざわざてびねりで作るに値すると思っていた。
 
しかし、昨年の秋に展示会があって、
そこに2年間の間に作り溜めた茶道に使う器を並べて、思った。
(展示会は2年に1度なので、そこまでの2年分の作品)
 
抹茶茶碗や菓子器、お香を入れる香合などは、
ひとつひとつ『拝見』といって、お茶事の流れの中で、器自体を愛でるものだ。
 
しかし、普段の食事やお茶の時間に使う器は、
それを毎回『拝見』したりはしない。
 
作った料理を盛り、
お菓子を並べたり、お茶を注いだりして使うもので、
器そのものは単に入れ物であって、引き立て役だ。
 
これまでの数年間はどちらかというと、パーティ用の大皿とか、
個展用の大ぶりの湯呑みとか菓子器とか、
1点もので主張の強いものばかりを作ってきた傾向がある。
 
だから、本当にご飯茶碗になんか、全く興味がなかった。
 
工房の先生も仲間達も、私はそういう大仰な器を創る人だと思っている。
 
しかし、ここへ来て、ようやく、
私も普通に何かをのせたり入れたりして、
ちょうどいいという器を創りたいと思い始めた。
 
奇をてらうでもなく、没個性でもなく、
使い勝手が良くて、品のいい器。
 
この四角い皿には、 
魚の切り身やおさしみがのってもいいし、
和菓子やクッキーがのっていてもいい。
 
お箸ともフォークとも調和する。
 
そんな臨機応変に食材を受け止められる器を目指して作った。
 
かといって、ただの白くて丸い皿なら、どこにでも売っている。
 
というわけで、
白い方は荒い麻布で少し表情をつけ、
紺色の方は陶芸用のイボイボ模様がつくこてを利用して、
少し凸凹させてある。
 
いずれも粘土を板状に延ばし、型で抜き、四隅を斜めに切って折り曲げ、
折り紙のように重ねて、組み合わせている。
 
まるで段ボール紙かなにかで作ってあるかのような、
工作っぽい作品だ。
 
まあ、私の夏休みの自由制作ってところか。
 
前回の花瓶と花瓶敷きも、同じく花を入れて初めて良さが引き立つという
白くて暖かなフォルム(にしたつもり)
 
この折り紙のようなお皿達も、
何をのせると一番生き生きするのか。
 
これからゆっくり楽しんで、いろいろ試すつもり。
 
なにしろ毎日、猛暑日だ。
ドサッと買い出しして、おうちで静かに過ごすのが何より何より。
 
中に海苔を巻いた卵焼きなんかもいいかも。
卵の黄色が、紺色の釉薬に映えるに違いない。
 
白い方は紫芋の水饅頭。
半透明のくずが透けて、爽やかな夏のスイーツだ。
 
と、猛暑にも食欲がまったく減退しない夏なのであった。