2020年5月28日木曜日

始動前の薔薇の剪定










緊急事態宣言が解除され、
神奈川県は昨日から、全面的に世の中が動き出した。

とはいえ、私の周辺は
6月1日から始動するところがほとんどで、
心理カウンセリングで借りている討議室も6月1日からだし、
非常勤講師をしているパティシエ学校も
6月1日から再開することになった。

絵画教室も、陶芸工房も、お茶のお稽古も、
すべて6月から再開なので、
今週は嵐の前の静けさという感じだ。

週明けにはカウンセリングが3件、
お茶のお稽古、パティシエ学校、
陶芸、いつもの孫のところの食事当番と、
連日、予定が決まったので、
今週は
今のうちにしなければならないことをやっつけねばと
頭を巡らせている。

5月の自粛生活の間中、次々花を咲かせていた薔薇も、
いよいよ終盤。
毎日の枯れた花の花がら摘みも飽きてきたところだ。

薔薇は花が終わると、毎年、思い切った剪定を行う。

ほぼ丸坊主といえるぐらい
おおもとの太い幹を残して、徹底的にカットしてしまう。

そうすると、そこからまた元気に新芽をふいて、
来年、たくさんの花をつけるのだ。

薔薇の剪定の専門家ではないので、何とも言えないが、
薔薇みたいな気の強い娘には
このぐらいの刈込み具合が「なにくそ!」と
闘争心に火をつけるらしく、
毎年、この方法で梅雨の前には剪定を行うことにしている。

今年は四方八方に伸びた太めの茎のうち、
方向のよい2本を選んで、誘引し、
新しい仲間としてデビューを飾らせることにした。

選抜オーディションに残ったふたりには
来年、頑張ってほしいものだ。

と、いう感じで、
手間と時間のかかる、
しかも、棘との戦いもある薔薇の剪定は
いつも擬人化して、
感情移入しながら作業を進めている。

薔薇の奥には、
これまた根性のある娘「時計草」が早くも花を咲かせ、
「そろそろ私の出番よ」といっている。

今日の予想最高気温は26度C。
確かに「風薫る5月」は終わりを迎え、
初夏のまぶしい日差しが降り注ぐ季節に移行している。
時計草は南国育ちの夏の娘だ。

自粛生活で時を止められ、
なんだか心まで止まってしまったような約2か月。

恐る恐る新しい日常とやらにシフトし、
これからは
何とか新型コロナウィルスと共存していくしかない。

静かな自粛生活を彩ってくれた薔薇の花がらと葉っぱを
大量のゴミ袋に詰め、
明日の朝、ゴミ収集車が持って行ってくれたら、
気分も新たに、私の新しい日常が始まる。

2020年5月25日月曜日

アフターコロナの夕焼け






夕方6時、遂に最後に残った首都圏4県と北海道も、
1か月半に及ぶ緊急事態宣言が解除されることになった。

西村大臣の話や安倍さんの話は
オンタイムに娘の家のテレビで見ていた。

折しも今日は週に1度のばぁばのご飯当番の日で、
ちょうど全品作り終え、
ほっと一息ついているところだった。

午後、キッチンに立って、ご飯を作っている間も、
娘も婿も家にいて(もちろん孫も)
明日からの動向に興味津々。

解除宣言を受けて、
それぞれの会社がどう動くのか、
保育園はどうなるのか、
あちらこちらから連絡が入り、忙しくしていた。

娘(妊娠8か月)は保育園が受け入れてくれるなら、
さっそく子供を預けて、6月半ばまでは働き、
引継ぎなどしてから、産休にはいりたいという。

婿は建築系なので、
いつまでリモートワークが続くのか、
現場に出て、建物を建ててなんぼの仕事だが、
さて、どうなりますやら。

東京都は4段階に分けて徐々に解除し、
クラスターが出てしまったりしたら、
東京アラートを鳴らし、
その時はレインボーブリッジを赤く点灯するとか。

まるで映画のような演出で、
東京都は小池さんらしいなと思って聴いていた。

自分の住んでいる神奈川も
小池さんの腰ぎんちゃく・黒岩さんが
東京都と同様に解除していくとばかり思っていたら、
神奈川は明後日、一気にすべての業種を解除するという。

段階を踏んでチマチマやるのはめんどくさいのか、
そこまで細かくケアできないのか分からないが、
いずれにせよ、一気呵成に事を進めて大丈夫かと
不安がよぎる。

とにかくいくら解除されたからといって
元の通りの生活が戻ってくると思っている
そんなおめでたい人はいないわけで、
要は新しい息苦しい生活に順応するしかない。

マスクの嫌いな私としては
6月に入って仕事が再開されても、
カウンセリングもパティシエ学校の非常勤講師も
マスク着用で講義したり、
セッションしたりしなければならず、
今からマスク熱中症が恐怖だ。

新しいコロナ時代って何?
何かいいところはある?

今までの生活がいかにやりたい放題で快適だったか、
あれしちゃだめ、
これしちゃだめ、
そこ行っちゃだめ、
あれもダメ、これもダメ、
制限の多いニューライフの到来だ。

けっこう、解除だというのに、
今は何の解放感もない。

街では倒産の話があふれ、
倒産をまぬがれた人々も、
元気よく外食やら、遊びにやら、
いける雰囲気ではまだない。

もうすぐ3歳の誕生日を迎える2歳児だけは、
相変わらずハイテンションで楽しそうだ。

せめてこのハイテンションを維持してあげることだけが、
大人に課せられた使命だという気がする。

今日、初めて作った「フランス風肉じゃが」は
シポリンの口にもあったようで、
「おかわり!」の声がかかった。

この一品を作る時だけは娘を側に立たせ、伝授した。
3歳の誕生日に作ることになったので、
何回か作って、マンマの味に育ってくれるといいなと
思う。

本日は他にはリクエストにあった
「油淋鶏」と「けんちん汁」

久々の「ひじきの煮物」や「揚げなすと舞茸の煮びたし」など
全9品。

帰りのお迎え車の車窓からは、
思いのほか大きな富士山のシルエットが望めた。

ベイブリッジは神奈川アラートで赤く染まる予定はないらしいが、
宣言解除の日の夕暮れは
空が赤い夕焼けに染まり、
美しい富士のシルエットを浮かび上がらせていた。

2020年5月20日水曜日

大人のおままごと










緊急事態宣言から1か月半、
関西地区がどうやら徐々に解除になるらしい。

東京と周囲の3県はもう一息というあたりか。

気分は5月いっぱいで解除でしょと思うが、
さて、どうなりますやら。

今日は松山から送られてきた2㎏のレモンを
何とかしなければということで、
誰か友達が来るわけではないが、
レモンチーズケーキを作ることにした。

折しも庭の薔薇は満開なので、
それを手折って、花瓶に刺し、3か所に配置した。

白い薔薇だけでなく、小ぶりのローズ色の薔薇も咲いたので、
テーブルの上の花瓶にちょうどいい。

タイトルは
『花とケーキのある暮らし』

まるで家庭画報か婦人画報の特集記事のような
そんな写真が撮りたい。

その一心で朝から剪定ばさみを手に、
薔薇を物色した。

満開の薔薇は
咲き終わった花がら摘みも大変で、
ここ2日間は雨と風とで散ったり枯れたりする花も多く、
そういう花はなかったことにして、
切り落とすのだが、
とげはあるし、高いところで手は届かないしで、
人知れず苦労がある。

形よく咲いている花の茎を切って、
家の中の花瓶に刺し、
手作りのレアチーズケーキを用意し、
アールグレイの紅茶を淹れ、
ゆっくりした時間を過ごす。

まだ、残っていた弓削瓢柑のショコラ・オランジェも
おしゃれな皿に盛ってみた。

今日のBGMはジャズにしようか、
それとも、ピアソラか。

そんな優雅で豊かな午後のひととき。

なんて、気取ってみても、
実際はヒマでヒマで、
「早く自粛生活、終わってくれ~」と叫びだしたい気持ちだ。

ようやく解除への道筋が見えてきたからこその
『大人のおままごと』

嵐の前の静けさか。

しかし、このブログをアップしている最中に、
先日、私が作陶した器を大人買いしてくださった方から、
「どうしてもお礼が言いたくて。
あの時の器で毎日、ご飯いただいています。
本当に幸せです」とお電話がかかってきた。

わざわざ、そんな風に言ってくださる方は初めてなので、
すっかり舞い上がりつつ、
更なる注文をいただいた花瓶と花瓶敷
(赤い薔薇が刺してある花瓶)を作陶しに
行かなければと思った。

やっぱり、人は誰かとつながっていたいし、
人が喜んでくれれば、自分も嬉しい。

せっかく、レモンチーズケーキを作っても、
当たり前の顔して食べているダンナしかいなければ
張り合いがない。

6月になったら、お茶のお稽古も再開するので、
そしたら楽しい仲間と過ごす時間がまた、戻ってくるだろう。

『家庭画報風お茶の時間』もいいけど、
1日も早く、
誰かとおしゃべりしたい。

そんな気持ちがかえってモリモリ湧いてきた
午後のティータイムであった。

2020年5月19日火曜日

初夏のレモンチーズケーキ








週に1回のシポリンワーク。
今回は珍しくおやつのケーキも作ることにした。

以前のように留守宅に忍び込んで、
ひらすら料理の皿数を作る時代は終了。

今は保育園が休業でシポリンは家にいるし、
母親である長女もコロナ自粛の延長から、
いつのまにか産休に突入で、家にいる。

更に、トト(シポリンのパパ)も基本テレワークなので、
家にいることが多いとあれば、
そんなに勢い込んで1週間分のご飯を作り置く必要もない。
(昨日は出社の日で留守だったが…)

そこで、最近は、
妊婦をひとりで少し外出させるための留守番役、
シポリンと遊ぶ保育士役、
ご飯当番の3役を担うことに。

シポリンは6月初旬、3歳の誕生日を迎えるが、
数日前、
『おートト』にねだって買ってもらった
キックバイクなる幼児用自転車が届いて、
今はそれに夢中。

自粛自粛で公園に行くのさえ、神経質になっている折、
自宅のベランダや
マンション所有地の裏庭で、
キックバイクの練習ができるのはいい。

ベランダで、シャボン玉を飛ばしたり、
キックバイクを使っておままごとをするシポリンは、
常にしゃべり倒しながら、
ひとり芝居のストーリー展開に
時おり、ばぁばを巻き込んでいく。

ばぁばは信号機になったり、
パン屋さんになったりしながら思う。

人間は約3年でここまでくるかと、
その成長に、毎回、驚かされながら、
小さな頭の中でめまぐるしく何を考え、
何を感じているんだろうと想像する。

文字が読めないのに、
どうやって新しい言葉を次から次へと獲得できるのだろう。

こうして自粛生活を強いられ、
何もかもが踏みとどまっていて、
前に進むことを禁じられた閉塞感の中、
こうした子供の成長には希望があって、
見ているこちらの心が和む。

さて、
お菓子を作ろうと思い立ったのは他でもない。

弓削瓢柑で作ったマーマレードとショコラ・オランジェを
お礼として送った松山のミカン農家さんが、
「手をかけて変身させてくれたお礼」として、
今度は河内晩柑とレモンを送ってきてくれたのだ。

お礼のお礼を送りあっているときりがないのだが、
せっかくの河内晩柑とレモンを無駄にするわけにはいかない。

とはいえ、レモンはバクバク食べるようなミカンでもない。

そこで、レモンを使った料理とケーキを
娘のところでも作ることにしたのだ。

料理の方は「鶏むね肉のレモンバターソース」
ケーキは「レモンチーズケーキ」

昔、私がよく作っていたレアチーズケーキには
かなりの量のレモンが使われていた。

レアチーズクリームの濃厚さに
ヨーグルトとレモンの酸味が加わって、
爽やかな味わいが特徴だった。

行く前々日、そのチーズケーキの話を娘に振ると、
「大好きだったわ。懐かしい。
もう、どれぐらい食べていないかしら」というので、
久しぶりに作ることにしたのだ。

「レモンのはちみつ漬」を前の日から作って、
ケーキ型、ホイッパー、ゴムベラ、ケーキサーバーなどの製菓器具、
クリームチーズ、ヨーグルト、グラニュー糖、グラハムクッキー、
バター、ゼラチン粉、そして、レモンという製菓材料を持ち、
いざ。

お菓子にはお菓子特有の器具と材料が必要で、
お菓子作りを全くしない娘の家にはないものばかり。

計量のはかりもないから、
あらかじめ砂糖とバターは分量を量っていく。

持ち込みの材料は多かったけれど、
仕上がりは上々。

見た目も爽やかな初夏のケーキが出来上がった。

まあ、レシピとしては「固めもの」なので、
失敗するリスクもなく、
余裕で懐かしのレアチーズケーキが復活した。

孫にはやや酸味が強かったようだが、
いずれ、これがばぁばの味になるだろう。

しかし、娘は懐かしの味に大喜び。
レモンチーズケーキはマンマの味として、
しばし、母娘の心に
いにしえの思い出を思い起こさせたのであった。

2020年5月13日水曜日

コロナ時代の妊婦




現在、長女は妊娠8か月に入った妊婦で、
8月始めに出産を控えている。

2020年は長女宅にとっては
3月末に新居に引っ越し、
6月に娘が3歳の誕生日なので秋には七五三、
夏はオリンピックの期間中に第二子出産、
なので、七五三とお宮参りを同時に決行と、
ビッグイベント目白押しの1年のはずであった。

それがまさかのコロナ騒ぎ。

こんな未曽有の禍の中で、出産することになるとは…。

妊婦はもちろん、2歳児も
もし、コロナに感染したら、
高リスクなのは間違いなしだ。

3月下旬に長女宅は引越をしたため、
新しい環境で隣近所に顔見知りも友達もいない中、
4月始め、緊急事態宣言が出されて、
保育園が休園になった。

長女の仕事も引越前から
徐々にリモートワークに移行していたのだが、
引越後は娘が保育園にも行けなくなったことから、
やむなく長女は休業申請をすることに。

そして、緊急事態宣言が延長されたことで、
今は、ズルズルと休業宣言が、
いつの間にか産休宣言になりつつある。
(本当は6月中旬までは働くつもりだった)

しかも、
長女のダンナさんも最近、リモートワークになったので、
家族3人、四六時中、家の中にいるらしい。

幸い、
長女は家事育児に協力的なダンナさんに恵まれたので、
今のちゃらんぽらんな自堕落生活を
「出産前の神様がくれた大切なのんびりタイム」と
位置付けており、
コロナ離婚とかコロナ鬱の予兆はない。

確かに子供が二人になったとたん、
24時間営業中の寝る暇のないお母さん生活が始まるのは
明らかなので、
今の暇で暇でしょうがない生活は貴重だろう。

そして、妊娠も二人目となると、
こんな大変な時に出産・育児になることの不安に
押しつぶされそうになっているのかと思いきや、
案外、「何とかなるでしょ」という感じだ。

はたで見ているしかできないばぁばの立場としては、
あまりナーバスになられるよりは安心だ。

日本中、コロナによる自粛生活で、
徐々に今まで見えなかったものが露わになったり、
人それぞれの性格や不安耐性みたいなものが
露呈している。

世の中、ネットもテレビも新聞もコロナであふれ、
ネガティブな現象や流行語が流行ったり、
政治家の対応力の差が顕著になって、
個々人がこうした事態をどう受け止め、対処すべきか、
世界中が試されている。

あまり楽天的なのもよくないし、
あまりナーバスになり過ぎて、
欝々とするのもよくない。

こういう時にものごとの捉え方が問われていると思う。

少しずつ日本も解除の方向に舵を切ろうとしているが、
あくまでも自分の心の舵取りは
個々人が責任をもって、
人生を投げ出さないこと、
人任せにしないこと、
コロナにつぶされないことが大切だと感じている。

2020年5月10日日曜日

おうちアレンジメント








庭の「ジャスミン」と「エニシダ」の競演が済んで、
次に満開を迎えたのが、「ニオイバンマツリ」
そして、我が家のシンボルツリー「白薔薇」が
いよいよ咲き始めた。

薔薇はもちろん樹木ではないから
シンボルツリーとは言わないのだが、
そのぐらいのインパクトがあるという意味だ。

薔薇はこの家に越してきた時から植えてあり、
その生命力の強さから、
少しずつ誘引して、フェンスに絡まらせ、
玄関アプローチのフェンス全体を覆うようになった。

ニオイバンマツリは斜め前の隣人が、
「よかったらどうぞ」とまだ小さい木だったものを
カーパークの裏手に植えたら、巨大化した。

いずれも自ら買ってはいないのに、
大きく育ち、
強い芳香を放ちながら、
我が家のイメージを決定づけている。

今はコロナのせいで、お花屋さんも困っているし、
花の生産者はせっかく見ごろを迎えた出荷前の花を
捨てることもあると聞く。

折しも今日は「母の日」だが、
カーネーションが届く気配もないし、
自分で買いに行くというのも変だ。

しかも、カーネーションはまったく好みではない。

だからというわけでもないが、
2日前、友人たちが我が家に来てくれたのをきっかけに
庭に咲いた花たちを
家の中に持ち込み、あちこちに飾ってみた。

ちょっと手折った一枝も、
自分の作った器やこぶりのガラス器に刺せば、
あら素敵!

大層な花束でなくても
家の中に花があるだけで、
気持ちが和む。

ゆとりというか、時間が余り過ぎて、
イライラしている人は多いと思う。
それは私とて同じだ。

けれど、今の私は、庭の花のあるテーブルで、
掛川茶の新茶を丁寧に入れ、自作の湯呑に注ぎ、
自作のチョコラ・オランジェをつまむ。

それを客観的に見ている自分もいて、
「久しくこんな豊かな時間は持てなかったな」と
思う。

おうち陶器市のために、
あっちからこっちから、出してきた大量の器、
たくさんお求めいただいたとはいえ、
まだまだ大量に残った。

いっそ、これを機に廃棄処分しようかと思っていたのに、
「他の欲しがっている友人がいるから、
今度はSさんのお宅で陶器市しましょうよ」と
話が変な方向に進んでしまったので、
捨てるわけにもいかなくなった。

ならば、出した器を元に戻す際、
サイドボードと食器棚と吊り棚の「断捨離」をしよう。
そう思い立って、昨日、決行した。

また、月曜日のゴミの日に
我が家から「陶器」「ガラス」「蛍光灯」などと
上書きされた袋がいくつも出ることになった。

コロナ自粛の過ごし方のひとつに、
「家の中の断捨離」をあげる人は少なくない。

私もその一人として、
古くて長年、眠っていたものを切り捨てることにした。

更に、自分の作陶した器が評価されたことで、
自分の今までの作陶の歴史を振り返ることができたし、
他人様が見て、まんざらでもないことが分かったのは
嬉しい発見だ。

今日も、新茶の美味しい淹れかたを工夫しながら、
季節はコロナとは無関係にめぐることに思いをはせ、
次なる作陶のイメージを膨らますことにしよう。

なにしろ、
「結婚する孫のためのカレー皿2枚」と
「ピッチャー型花瓶と花瓶敷」(現在私が使用中)の
受注を新たに承ったから。

人は誰かのために生きている、
人は誰かのためになれる自分が嬉しい。

そんなことに改めて気づいた今日の私である。




2020年5月9日土曜日

おうち陶器市






今まで作陶してきた器を見せてほしい、
そして、譲ってほしい。

そんなご要望を受けてから、
早2か月ほどが経った。

2度「今の時期はちょっと」と延期をし、
「やっぱりね」という感じで緊急事態宣言の延長があり、
押し切られた形だ。

外ではなかなか会えないので、
家の中に、器を並べ、
見ていただくことになった。

時節柄、断捨離のつもりもあって、
家じゅうの食器棚からサイドボードの中まで、
8年分の自作の器を出してみた。

すでに自家用として気に入って使っているものは別として、
単に眠っている器が、
ごっそり出てきた。

今は陶芸の工房も緊急事態宣言以降、
閉じており、
会員は作陶していないので、器がたまっておらず、
電気の窯が稼働していない。

だから、受注生産には応じられないとあらかじめお断りし、
ここに出してある分だけ
欲しければお譲りすることにした。

昼過ぎ、ほぼ同じエリアに住んでいる3人が、
自家用車に乗り、マスクをし、
珍しい種類の紫陽花の鉢と有名店のケーキの箱を携え、
やってきた。

会うのは2か月半ぶりか。
みんな、満面の笑みがマスクの中でこぼれる。
ここでハグしたいぐらいの感じだ。

花の好きな面々なので、
車から降りてくるなり、
我が家の小さな玄関アプローチの
咲き始めた薔薇の話、
終わりかけのエニシダとジャスミン、
裏手の満開のニオイバンマツリの話で、盛り上がった。

誰しもが誰かと好きな話題でおしゃべりしたいのだ。

「新しい生活様式」よろしく、まずは玄関先で
消毒液で手を清め、
家の中へといざなった。

中に入るのが2度目のふたりと初めてのひとり。
マスクをしながらも、
リビングの様子や並べた陶器の多さにびっくりしたらしく、
興奮気味に感想を述べてくれる。

「ほんとは来ちゃいけないのかもしれないけど」と
何度となく言いつつ、
誰もが気の合うメンバーと会いたい、おしゃべりしたい、
お茶したいという欲求がマックスなんだと分かる。

目を輝かして、陶器を並べた机にかじりつき、
それぞれお気に入りの器を選び、
裏の値段もろくに観ずに
ひとり15~20個の器をお買い上げ。

今は出歩かないし、お店もやっていないので、
洋服も買わないし、いい洋服を着る機会もないので、
「好きなもののお買い物」という時間が
とてもわくわくするのだと言う。

そりゃ、スーパーに食材だけを買いに行って、
「三密を避けろ」「レジは前の人と2メートル開けろ」
「3日に1度」「ひとりで行け」などと言われては、
楽しいショッピングというわけにはいかない。

面々は
「これは何を入れようかしら」
「これは何を入れるもの?」
「こんな風にお庭の花をちょっと活ければいいのね」などと、
実に楽しそうに、気になった器を手に取り、
イメージを膨らませている。

「何を入れてもいいんですよ」
「お料理だけじゃなく、お菓子でもいいと思うんです」
「それは魯山人風なんちゃって陶板といって
お茶のお菓子を載せるつもりで作りましたけど、
太巻き寿司なんかでもいいかなと…」
などと、作者の見解を述べつつ、
器を介して、話題は尽きない。

自宅で使うものの数には限界があるし、
ダンナは私の作ったものは好みじゃないので、
全部の普段使いを私の器にするわけにもいかない。

作ること自体が好きなので、
いつのまにか溜まった器は驚くほどの量だが、
こうして目を輝かせて欲しいと言ってくれる人がいることは
本当に幸せなことだ。

次回は残っている器を3人のうちのひとりのお宅に持っていき、
別の欲しがっているメンバーに
紹介しましょうと話が進んでいく。

この息苦しいコロナ自粛生活の中、
心が折れないように、
そろそろ安全な形で動き出したい。

みんな、そんな気持ちが爆発寸前なんだと感じた。

幸い、身近に感染した人がいないだけのことかもしれない。
コロナと戦っている医療従事者の悲惨さを
知らないだけなのかもしれない。

それでも、パチンコ屋に出かけるわけでもなし、
スーパーに家族で行くわけでもなし、
おうちで静かに楽しくお話するだけならと、
誰に言うともなく言い訳をしながら、
コロナ自粛の鬱屈した気持ちが抑えられないのだ。

知性も教養もある面々だが、
人は長い時間、孤独では生きられない。
自宅軟禁にも限度があるということだろう。

そういうことなんだな。
私だけじゃないんだな。
それを実感した楽しい楽しい時間だった。

夕方、
抱えきれないほどの器が入った紙袋を車に乗せ、
3人はにこにこ顔で帰っていった。

「早速、今晩、いただいたぐい飲みでお酒を飲むわ」
そう言って、
粛々とそれぞれの自粛生活に戻っていったのである。