2020年9月30日水曜日

秋のご飯はなんだか茶色い












火曜日はシポリンワークの日。
先週が4連休でいかなかったので、
ばぁばご飯は2週間ぶりということになる。

その間に季節は移り、
朝晩の気温が急にさがってきた。

こうなると少し秋めいた食べ物が食べたくなるから
不思議だ。

長女からのリクエストも正にそんな感じで、
「炊き込みご飯」と「けんちん汁」を筆頭に、
我が家の秋ご飯メニューが並んでいた。

シポリンワークの日のメニューは
基本的には長女が孫の志帆にも食べられるもの、
志帆の好きなものを考えてリクエストし、
必要な食材の調達をしてくれることになっている。

こちらは
献立のバランスを考えて、1~2品それに加え、
足りない食材を買って持っていくというような流れだ。

今回はメニューのラインナップはほぼ長女のリクエスト通り。
加えたのは「肉じゃが」だけなので、
買い足して持って行ったのは、
牛肉と白滝と、かにかまときゅうり。

献立は
「炊き込みご飯」
「けんちん汁」
「肉じゃが」
「ヤンニョムチキン」
「中華風春雨サラダ」
「スペイン風オムレツ」
「レンコンつくねハンバーグ」
「サバの竜田揚げ」
「煎り大豆とじゃこのあめがらめ」
以上9品。

全体に和食でいくのかと思いきや、
途中から、韓国・中国・スペインと国際色豊かに。

最後は消費期限ギリギリの豆まきの豆を使った
煎り大豆とじゃこのたつくりみたいな一品。

これは我が家の定番で、
豆まきの時期には大量の「豆まき用の豆」を買って、
何度か作る。

レジの人は「豆まきの豆」を9袋とか買うので、
怪訝な顔をされるが、
1回に3袋使って、かちりと呼ばれるサイズのちりめんじゃこと
煎ってから、
はちみつやみりん、砂糖、しょうゆで作ったたれと絡め、
おつまみにも適した一品になる。

しかも、健康食品。

他にも志帆の好きなものは
「肉じゃが」「けんちん汁」「サバの竜田揚げ」
「スペイン風オムレツ」「中華風春雨サラダ」など、
要は「ヤンニョムチキン」以外、
みんな好きということになる。

「ヤンニョムチキン」と「レンコンつくねハンバーグ」は
初めて作る料理だったので、
そういう時はレシピもちょうだいというと、
作り方付きの動画をLINEに添付して送ってくれる。

便利な世の中で、
そうやって初めて作ったものでもおいしいと思えば、
自宅でも作るので、
新しいメニューが増えることにもなる。

しかし、今回のメニューは娘にお任せだったせいか、
出来上がってみたら、
全体が茶色くて、
いわゆる「映え」がない。

いくら竜田揚げにミニトマトを散らしても、
中華風春雨サラダの赤・黄・緑だけでは、
ちとさみしい。

案外、野菜の種類もたくさん使っているが、
根菜類は基本、地味な色だし、
あめがらめや、甘辛だれにからめた料理が多く、
とにかく茶色い。

どれも炊き出しかというほど大量に作ってあるので、
目で食欲をそそりつつ、
週末までこれを食べ続けてほしいのだが、
何か途中で小松菜かほうれん草あたりの料理を
足してほしい。

明日は満月。
今夜はほぼ満月。

今、窓の外には、薄く雲にかすんだほぼ満月が出ている。

2020年はなんだかあっという間に9月も終わる。
コロナに明け、コロナに終わるのだろうか。
せめて、秋ご飯をたくさん食べて、
風邪などひかないようにと願うばかりだ。


2020年9月28日月曜日

箸置きと取り皿






いつもは土曜日の午後に通っている陶芸工房に、
今日は月曜日だが振り替えて、特別に作業させてもらった。

工房には先生しかおらず、
12時から4時半まで、
ほぼ二人とも無言で、黙々と釉薬をかける作業をした。

先生は先生で、
9月に大勢押し寄せた体験教室の人が作った器を
削って形を整え、素焼きをする準備に余念がない。

体験教室を受講した人は
手びねりか電動ろくろで、土を器の形にするところだけを
体験するのであって、
器として使えるようにするには
そのあと、高台を削り、素焼き、釉がけ、本焼きと
いくつもの工程を踏むことになる。

その後の工程は、すべて先生が行うので、
体験から約1か月後に釉薬がかけられ
器になった自分の作品と対面した時には、
「え、これが私の作ったあの時の湯飲みとお茶碗ですか」
みたいなことになる。

手で作り出すものは
おおかたこのようにめんどくさい工程を経て
ようやく出来上がることが多い。

しかし、大概の人はそのめんどくさい部分は知らないまま、
「陶芸って楽しい!」などと感想を述べ、
残りの工程を先生がしてくれたにも関わらす、
自作の湯飲みと茶碗を友達に自慢したりするのだろう。

私が今日、釉薬をかけた器たちも
そのほとんどが友人からの受注作品だ。

取り皿10枚、箸置き10個というのが、
その友人からの注文で、
デザインは任されているが、
取り皿の大体の大きさと色は白でということが指定されている。

箸置きは以前、残りの土で遊びで作ったキャンディ型の箸置きを
ひとつしかないのに買ってくれたのだが、
気に入ったので、
同じものを10個作ってほしいというのが今回の注文だ。

他にも以前買った大鉢を娘に持っていかれてしまったので、
似ているものをまた、作ってほしいという
リクエストもきている。

ここ数か月、友人たちの注文やらリクエストに応えることに、
少し疲れてきたので、
今回の受注作品をもって、
しばらく注文で器を作るのは控えようと思っている。

そこには
やはり、体験の人が最初の成型部分しか体験していないのに
「私、陶芸体験に行って、この湯飲みとお茶碗作ったのよ」
みたいにすっかり作った気になっている、
それに似た感じが、友人達からも感じ取れるからだ。

街で売っている器のほとんどには型がある。
手で成形するものも
職人が同じ形を毎日毎日制作しているから、
大量生産することができるわけで、
値段も安価におさめることができる。

それに比べ、
たまに工房に通って作る
手びねりの器のなんと時間と手間がかかることか。

それをとても喜んで、待ち望んでくださっているのは
ありがたいことだが、
それなりの金額をいただいている以上、
形のゆがみや、釉薬のムラ、大きさの不揃いなど、
なくて当たり前と思われていることが、
私にはそろそろ重荷になってきている。

版画も製作時間が半端なく長い。
陶芸作品も出来上がるまでに、いくつもの工程が必要だ。

そして、いずれの作業も肩が凝る。

最近、自分が太ってしまって、
痩せようと思っているのに痩せられないのは、
肩こりが大きな原因のひとつだとわかった。

相当、忙しく動き回っているのに、
ちっとも痩せる気配がない。
特に上半身のボリュームが右肩上がりで、
何を着ても、どの写真を見ても、
自分の迫力とボリュームには驚くばかり。

いっそライザップでも申し込もうかと思ったのだが、
はたと肩こりゆえに血流とリンパの流れが滞り、
太りやすい体質になってしまっていると理解した。

今も肩甲骨周りに痛みを感じつつ、
パソコンに向かっているが、
この姿勢こそがいけないのだと実感する。

幸い、昨日、偶然にyoutubeで
整体院の先生が作った
「肩甲骨はがしをして、痩せ体質を手に入れよう」という
動画を見つけた。

さあ、季節は秋へと移り、
過ごしやすい気温になってきた。

自粛太りに決別する決心をして、
行動を起こそう。

1日1回2週間、
その動画を見ながら、体操をすることで、
「馬肥ゆる秋」に
本当に痩せ体質を手に入れ、痩せることができるか。

ブログに書くことで、
ちょっと自分を追い込んでみようと思った
中秋の名月の3日前。

仕上げを御覧じろ!
乞うご期待!

また、ご報告させていただきます。



 

2020年9月23日水曜日

9か月ぶりの豪華ディナー

 













昨晩、2020年も9月後半になって、
初めてといっても過言ではない
豪華なディナーを食べに行くことになった。

場所はヨコハマ・グランドインターコンチネンタルホテル
最上階 天空のチャイナレストラン
「カリュウ」
(字が難しくて検索できず)

メンバーは丘の上の友人3名と私
(私の陶器と版画のファンのおばさまとおじさま)

3人は版17展に来てくださり、
その流れで夕飯をご一緒するということだったので、
レストランはお任せだった。

港の見える丘公園のほど近くにギャラリーはあったので、
夕飯は中華街の中華料理にしようという話だった。

しかし、開けてみれば、
ホテルの最上階の高級中華になっていたので、
最初は内心、びっくりした。

でも、そのレストランは以前、ランチで何回か行ったが、
それはそれは眺めのいいロケーションで、
上品かつゴージャスかつ美味だと有名なお店で、
大好きだけど、敷居が高くてなかなかいけないところだった。

私は中華街で中華のディナーなら
聘珍楼か満珍楼あたりにするのではと踏んでいたのだが、
予想は見事に外れ、
一気にホテルの最上階へと格上げされた。

1月、コロナの騒ぎが勃発し、
あれよあれよと感染者が報告され、
4月には緊急事態宣言までだされ
国民が一斉に家の中に閉じ込められた
2020年。

以来、人々は三密を避け、
マスクをし、消毒をし、体温を測り、
とりわけ、外での飲食は感染リスクが高いとされてきた。

版17展が開催されるにあたって、
東京や千葉や埼玉のママ友にも
例年通りに「展覧会とランチの会はいかが?」と
お誘いしたけれど、
全員から、「まだ、公共交通機関には乗っていない」とか
「横浜は遠くて、行くだけの気力がない」などと
コロナ由来のお断りを受けていた。

そんな中での、
展覧会来訪とホテルディナー。

一瞬の迷いは否めなかったけれど、
ホテル最上階から眺める黄昏行くヨコハマ、
しだいに数を増す灯のきらめき。

ふだん見知った中華料理とは全く違う
美しくて凝った中華料理の数々。
いずれも食材を生かしつつも丁寧に手が加えられ、
まるで懐石料理のような繊細さで
次々と繰り出される。
しかも、美味しい!

たぶん、最近のおうちごはんでいえば3回分は
一度に食べたような…。

2020年の鬱屈した生活を一気に吹き飛ばす、
贅沢な時間だった。

もちろん全員、大の大人なので
お酒が入っても大声になったり、
おしゃべりの度を過ごすことなく、
夜景を愛でて、食事とお酒を楽しんだ。

4連休はどこもかしこも人があふれ、
まじめな日本人もしびれを切らして外に出たようだが、
思いがけず、私もそのひとりになった。

しかし、そこはまるで天空の城で、
深く静かな空間に身を置き、極上の味を堪能する、
そんな素敵な時間だった。

それぞれまた、
おさんどんに明け暮れる日常が戻っては来るけれど、
こんな贅沢な時間もあったと思い出された、
貴重な「ご褒美タイム」だった。

2020年9月21日月曜日

版17 当番日












版17展が始まって、数日たったのだが、
20日に初めて当番として会場入りし、
展示の様子を見ることができた。

今回は会場係以外の人は搬入・搬出に立ち会うことができず、
どこに誰の作品をかけるかは
会場係に一任されていた。

自分の作品がどこにどんな風にかけられているかは
誰しも気になるところだが、
私の作品2点は
入口から入って会場を見渡した時、
左手の大きな壁の右寄りにかけられていた。

隣はデジタルの作品で静かなグレートーンの作品で、
大きな壁に私たちふたりの計4点だけがかけられ、
スペース的にも位置としても
広々して見やすい場所だった。

午後に陶芸で仲良くなった友人が
ダンナさんと共に着物で来てくださるというので、
それじゃあ、私も着物でお出迎えしなければと、
朝から単衣の着物を着て、会場に向かった。

20日は昼頃から雨という予報で
朝から怪しげな空模様だったが、
結局、帰宅するまで1回も傘は開かず、
何とかこらえてくれたので、助かった。

友人夫妻は朝から着付けをし、
中華街でランチを楽しみ、
二人揃って着物姿で山の手散歩して画廊にみえたわけだから、
道行く人の目にはさぞ、優雅でおしゃれに映ったことだろう。

二人とも、学校の先生なので、
初めて会ったダンナさんも、私に気さくに話しかけ、
かつ、豊富な知識で質問などいただき、
着物の話や版画の話で盛り上がった。

奥さんの方は、いつもは陶芸工房の先輩・後輩だけど、
まったく違うシチュエーションは目にも楽しく、
新しい交友関係ができたようでうれしい。

今回は画廊が、ミュージアムと名乗っているせいで、
予約が必要なせいか、
とにかくお客さんの入りが悪い。

私も案内状を送った友人から、
「まだ、公共交通機関には乗っていないから」とか
「横浜が遠すぎて、出かける気力がない」とか、
コロナ由来のお断りをかなり受けた。

ショックだったけど、
この会場の閑散ぶりと、予約の少なさをみれば、
世の中はまだまだこんな感じなんだなと実感する。

そんな中、ご夫婦で着物を着て、
絵を見に来てくださるなんて、
なんと嬉しい!

去年まで、当たり前だった日常がいかに幸せなことだったか、
しみじみ会場の作品を見渡しながら思った。

午後からのお当番さんが
会場に誰もいないのをいいことに
たくさんの写真を撮ってくれた。

彼女ももちろん同じ作家仲間なので、
アングルを変え、面白がって大量にシャッターを切り、
スマホの画面を見ながら、
一緒に撮れた写真の寸評をして楽しい時間を過ごした。

版17は今回で解散する。

絵描き仲間と年に1回展覧会をする、
準備や打ち上げと称して飲み会をする、
そんな時間はもうないのかと思うと、
急に切ない気持ちがこみあげてくる。

いきなり始まったコロナ禍のせいで、
思いもかけない幕切れを迎えた版17。

解散は2年前に決まっていたけど、
こんな風に人知れず幕切れになるなんて…。

会期終了までに、まだ、来てくださる予定の友人達を
精一杯お迎えしなければと思った次第である。


2020年9月13日日曜日

ぼさぼさの庭木たち

 







忙しさにかまけて、なかなかできなかったこと、
それは庭木の剪定と草むしりである。

6月はコロナ自粛が解け、
カウンセリングの申し込みが多かったし、
お茶や陶芸などお稽古事も再開した。

7月は毎日毎日
よくもまあと思うほど、雨が降り続いた。

8月は毎日毎日
よくもまあと思うほど、33~35度の暑い日が続いた。

その間に玄関アプローチのジャスミンやつた、
その他、名前も思い出せない10年選手の草木たちが
ぐんぐんがんがん
伸び放題に伸び、生い茂ってしまった。

たぶん、ご近所では、
「あらあら、こんなに伸びちゃって。どうしたのかしら。
奥さんはお留守?ご病気?
このおうちはダンナさんは剪定に協力しないのかしら」と
心配の声があがっていたに違いない。

ダンナが剪定に協力しないというのだけは正解だが、
奥さんは元気なのだが、
とにかく手がそこまで回らなかったのだ。

ようやく、今日になって
少しは気温が落ち着くという予報が出たので、
朝早くから、長そで長ズボンにいでたちを整え、
(蚊に襲われるのを防ぐため)
園芸用手袋に剪定ばさみを握りしめ、
門扉の先のつたから伐採開始。

家の壁伝いにへばりついたつたは
早いうちにはがさないと
いつかつたに覆われた家になってしまう。

それはそれでかっこいいのだが、
外壁にがっしり食いついたつたの触手?は
外壁そのものを痛めてしまうので、
つたに覆われた家を目指していないのならば、
撤去する必要がある。

ダンナの還暦のお祝いに
レストランでプレゼントされた小さな一鉢が
ここまで大きくなるとは。

いったいどれだけの歳月が流れたというのか。

毎年、5月になると満開を迎えるジャスミンも
植えた場所から隣の紫陽花を乗り越え、
更につたに覆いかぶさり、
反対方向へもどこまでも触手を伸ばし、
今では5m先の玄関脇でも花を咲かせるようになってしまった。

ゴールデンウィークに帰ってくる娘たちには
「くさいくさい」と評判がよくないので、
ジャスミンもこの際、徹底的に刈り取らねば。

と、そんな感じで、
いったん、丸坊主にしだすともう止まらない。

他の数種類の草木もすべて
床屋でいえば、五分刈り状態。

しょぼしょぼといくらか葉っぱを残し、
あとは枝ぶりが完全に見えるところまで刈り込んだ。

さあ、これでどこまで来年の春までに伸び、
そして、花をつけるか。

なんなら、花はもうつけなくてもいいというぐらいの勢いで、
きれいさっぱりにしてしまった。
もはや私と草木の生命力との戦いだ。

はたと気づくと
剪定ばさみを持つ右手の痛みが再発。
怨念のような感情丸出しで小枝や茎を切りまくったせいで、
悲鳴を上げている。

イケメン庭師・村雨辰剛に助けてほしいわ!

しかし、今日の剪定個所はほんの一部。
この剪定ミッションは
まだまだ続くのである。


2020年9月9日水曜日

版17展 24年の歩み











9月16日より、岩崎ミュージアムで始まる
「版17展」の記録集が届いた。

「版17」という版画家グループは
その24年の歴史を
今回の展覧会をもって、閉じることになっている。

私は2006年の「第13回展」からの参加で、
会の活動をその数年前から展覧会を通じて見ており、
運よくそのメンバーからのお誘いを受け
仲間に加えてもらった。

「版17」というグループは
神奈川県に住む今は亡き由木礼氏の元に参集した
主に神奈川県在住の17名限定の版画家集団である。
(後に住まいは神奈川、東京、千葉、埼玉となっていく)

主なメンバーは男性で、
それもこわもてのおじさま揃い、
当時、私は神奈川県人になって日が浅く、
由木礼氏も存じ上げないし、
それ以外のメンバーに知り合いもほとんどいない状態だった。

なので、メンバーにどうかという話をいただいた時は
正直、うれしかったと同時にすごく驚いた。

17名のうち、女性は私を含めて3名。
いささかたじろぐ男性色の強いメンバーと共に
三渓園の燈明寺での特別展示が、初回の参加となった。

初参加の燈明寺では、毎日、着物を着て、会場入りし、
置き畳の上に風炉先仕立ての版画作品を置き、
希望の方にはその場でお茶を点てお出しするという
パフォーマンスを行った。

次の年は「オブジェ展」だったので、
全員、版画家にもかかわらず、
オブジェを出品するという課題に挑戦。

私は自刻自摺の木目の作品で、椅子と背景を作り、
今思えば、その年代の私の代表作になった。

オブジェで作品を出すように宿題が出なければ、
自分がオブジェに挑戦することはなかったのではないかと思うと
版17に参加することで
自分を鍛えることができたといえる。

更に2009年には
「版17」はチェコのプラハで展覧会を行うことになり、
17名の内、プラハまで行った作家の中で
木版画家は私ひとりだったので、
着物を着て、ギャラリーの見守る中、
木版画の摺りをデモンストレーションした。

「版17」は24年間で6回の海外展を開催しているが、
その際、現地に出向いた作家の中で、
木版の摺りができる者が、
デモンストレーションを行い、
日本の冠たる芸術である浮世絵の技法を紹介することになっている。

私は入会して間もなく、
2007年の岩城ミュージアムでの展示の折も、
デモンストレーターとして、木版の摺りを行っている。

この時は神奈川県の画廊組合が行ったアートラリーの
賞品作品を担当していたので、
摺りのデモンストレーションではこの作品を摺った記憶がある。

会場には100名以上のお客さんがつめかけ、
人前で木版画の制作工程の説明をしながら
摺るということに目覚めたのが、
この岩崎のデモだった気がする。

その勢いで、
プラハのデモでは着物を着て、赤いたすきをかけ、
言葉こそ通訳がついたが、
時折、英語を交え、
司会の園山氏とボケとツッコミみたいなやり取りをしつつ、
領事館館長ご夫妻を含む、大勢のチェコの人々の前で、
しっかり日本女性をアピールすることができたと思う。

今、振り返ると
あの頃が版17としても、個人的な版画家活動としても
楽しかったし、面白かった。

そこに参加できたことはラッキーだったし、
幸せなことだったと思う。

その後、版17は岩崎ミュージアムから企画展の扱いを外され、
東京都美術館の建て替え後の
都美セレクション 第一回展に応募したり、
銀座のIONACギャラリーに拠点を移したりして、
徐々に破天荒なグループ展という位置づけから
おとなしくて重鎮ばかりの展覧会になっていく。

17名の会員を束ねる長を続けることと、
17名分の大きめの作品、各2点ずつの
展示スペースを確保することはかなり難しく、
結局、24年間の活動に終止符を打つことになった。

思えば、みんな等しく年を取り、
何かしら既往症を抱えつつ、
コロナに愛されたらヤバイメンバーばかりになってしまった。

それでなくても我の強い面々が寄り集まって、
24年間もひとつのグループ活動を続けてこられたんだから、
よく、頑張ったと思う。

お金もないくせに
やれカタログを作ろうだの、
海外展を企画しようだの、
海外の作家を招聘しようだの、
希望ばっかり唱える会だった。

長年、会計としては
会費徴収の時期になると、
同じ人にやいのやいのと催促するのが常だった。

しかし、おかげで、
最後にはこんなに素晴らしい記録集ができた。

記録集のあちこちに
「ウォーリーを探せ」のように
自分の姿と作品と名前をみつけ、
胸がキュンとなった。

懐かしい日々が走馬灯のようによみがえり、
版画家として経験した様々な出来事が
自分の宝物なのだと思えた記録集である。

版17最後の展覧会には
死ぬかと思うような大変さで摺り上げた例の作品を出品する。

ぜひ、17名(正確には16名)の力作?を
ご高覧しただけたら幸いに存じます。

私はお当番として、9月20日と10月1日には
間違いなく会場に詰めています。

「版17」~24年の軌跡~
2020年9月16日~10月4日
10:00~17:00
岩崎ミュージアム
(入場には事前の予約が必要です)
045-623-2111

どうぞ宜しくお願いしたします。