2025年10月27日月曜日

遂に本摺り『光と影』

 























最近は創っていなかった大きな正方形の作品の
本摺りをした。
テーマは『光と影』と『表と裏』

人生長くなってくると
光が当たっている時ばかりでもないし
表通りだけを歩けるわけでもない。
時には思いがけないアクシデントや
不幸に見舞われる事さえある。

人生は「禍福あざなえる縄」だということを
実感する。

この作品は
来年9月初めを予定している個展の
メインの壁に飾るつもりだ。

大きさは和紙の大きさで90×90㎝
作品のイメージサイズで80×80㎝
額の大きさは102×102㎝

いつも福井県で梳いてもらっている和紙では
間に合わないので
10月に入って千石にある和紙屋さんまで
買いに行った和紙である。
1枚2750円の100%楮の和紙だ。

作品自体は7月に入ってから原画を起こし
2点対の作品として創ることにした。

なので、原画も2点同時に、
トレッシングペーパーの原画も
版木転写も2点同時に行った。
そうしないと微妙なバランスが狂うからだ。

版木転写には当然90×90㎝の版木が必要なので
いつもなら90×60㎝にカットしてもらう
版画用の板を
90×90にカットしてもらい4枚用意した。
(両面彫りななおで8面ある)

それを来る日も来る日も
8月9月の真夏日と猛暑日が続く中
彫り続けて、9月下旬に2点分彫りあがった。

10月には2点の内、1点の試し摺りと本摺りを、
11月にはもう1点の試し摺りと本摺りの予定だ。

せっつかちな私は大昔から
こんな風に予定を立てては
予定の段取りより少し早めに終わって
余裕を愉しむのが常だったが、
なんのなんのこの大きな作品は
本当に丸々1ヵ月試し摺りと本摺りにかかって
しまった。

本摺りにはこの日・月・火の3日間割り当て
最悪、火曜日中に仕上がれば良しとしていたが、
何とか半徹夜を含め
日・月の2日間で摺りあがったので
明日の火曜日は余裕のよっちゃんである。

それにしてもこんなに制作に長時間かけ、
すっかり高くなった版木を彫り、
これまた高くなった和紙に摺り、
丸4カ月もかけてたった3枚しかできないなんて。

しかも、この作品を発表したからといって
観ていただける人の数も知れているし、
売れる当てもない。

とてもとても非効率。

と、ついつい愚痴っぽくなる。

今回は本摺り用に4枚の和紙を湿した。
作品が大きいので1度に摺るのは
4枚が限界だと思っていたのに
1日目の昼過ぎ、
和紙の湿しに使った霧吹きの水で
作品中央の絵具が泣き出し(染みだすこと)
1枚をやむなく途中で破棄する不幸に見舞われた。

絵具が泣き出した場所が
中央の紺色の三角形のところで、
その脇は和紙の白を活かした部分だったので、
他の色でつぶすわけにもいかず
泣く泣く破り捨ててしまった。

絵具も泣き出したが、
泣きたいのはこっちの方だ。

何十年も木版画を創ってきても
まだ、こんな失敗をする自分が情けない。
今回の本摺りで
90×90㎝なんていう無謀な大きさは
体力的にもう無理かもと感じた。

よく絵描きが高齢になると
どんどん絵がシンプルになるが
それは人生に達観したからとか
余分なものがそぎ落とされたからではなく
単に体力の限界なのではとさえ思う。

1日目の予定が終わり、ベッドに入ったのに
もぞもぞ起き出して
夜中に少し作業を進めたりする気力は
まだ残っているが
物理的に大きな作品は動きのひとつひとつが
大きくなり、重くなるので、
もうこの大きさが限界なのかもしれない。

何とか3枚は最後まで摺り終えたけど
もう1点、対の作品の版木がある。

11月はその作品の試し摺りと本摺りを
予定している。
さあ、しばし休憩をとったら、
また気持ちを切り替えて取り組むとしよう。

あんなに一進一退だった体重が
この2日間で1,2㎏も減った。
嬉しいような悲しいような…。

摺りは体力勝負なので、
また、モリモリ食べてから
挑戦だ!















































2025年10月20日月曜日

鳩による『空の巣症候群』








我が家の玄関わきの金木犀が
満開になった。

例年、10月初めには咲き始めるので
今年は異常気象による暑さゆえ
20日も遅れたと思われる。

そんなまだ花の蕾もない10月初めのある日、
今年の夏、金木犀に巣を作った鳩が
帰巣本能があるらしく戻ってきた。

飼っているわけではないけど、
我が家を選んで巣を作って
無事にヒナがかえって巣立っていった鳩が
戻ってきてくれたことが嬉しくて、
思わず写真に収めてブログをアップした。

名前さえ勝手にポッポちゃんと
命名した。
かえったヒナはポッポちゃんの子なので
ポッポ子ちゃんである。

巣に帰ってきてくれたのは
目の周りが赤い鳩なのでポッポちゃんの方だ
(ポッポ子ちゃんの目の周りは黒い)

しかし、その数日後、
朝起きて、新聞を取りに玄関に出てみると
たたきに何本もの鳩の風切羽が散っていた。

小さな卵も巣から落ちて
グチャッと潰れている。
ドキッとして木を見上げたが
そこにポッポちゃんはいなかった。

その風切羽の散らかりようを見て、
きっとカラスに襲われたんだと思った。

その日から、もしかしてと毎日巣のあたりを
見上げる癖がついてしまったけど、
やはりポッポちゃんは戻ってこなかった。

無事でいるだろうか。

夏、初めて我が家に巣を作った時も
卵を巣から落としてしまったが、
その後、何日かしたら
ヒナがかえったので本当にびっくりした。

ひとつは落ちてしまったけど、
もうひとつ卵を産んで
ちゃんとヒナがかえったのだ。

しかし、今回の卵は落ちてしまったのではなく
落とされてしまったのだろう。

そんな危ない巣に戻ることはできないと
本能的に分かっているに違いない。

今朝、玄関ドアを開けると
金木犀の芳しい香りが
ふわっとまとわりついた。

小さなオレンジ色の花がぎっしりついて
そのひとつひとつの花から
秋の香りが匂い立っている。

ポッポちゃんの白い羽毛がふたつからまったままの
巣はもぬけの殻だ。

私には金木犀の花に埋もれるようにして
巣で卵を温めているポッポちゃんが
はっきり見える。

幻影だと分かっていても
そこにポッポちゃんがいてくれたらと
寂しい気持ちがこみ上げてきた。

これぞまさしく
「空の巣症候群」

我が子が自立してしまったり、
大切な人を失ったりした後に
襲われる寂寥感を指して
「空の巣症候群」と呼ぶのは有名だが
今まさに、私はポッポちゃんのいない巣を見上げ
「空の巣症候群」状態である。













 

2025年10月19日日曜日

浜離宮ぼったくりコンサート

 












浜離宮朝日ホールで行われた
「俺クラ・プレミアム」と題された
コンサートに行ってきた。

何がぼったくりなのかというと
そのコンサートのチケット代が
10,000円だったからだ。

しかも通常2時間か2時間15分ぐらいある演奏時間が
75分(休憩15分含む)とある。

なぜ、そんなに高額なチケットで
しかも異様に演奏時間が短いコンサートに
行ったのかと言えば、
いつもの石田様フリークの友人に誘われるがままに
オーケーをしたからなのだが…。

昨今、コンサートのチケット代は
どんどん高くなっている。
コロナ禍以前は3000~4000円だった。
5000円とか言われるとギョッとしたものだ。

それが最近は6000~8000円くらいになってきて
旅行代なども約2倍に跳ね上がっているが、
それと同じくコンサートチケット代も
2倍くらいになっていると感じている。

それにしても、10,000円とはべらぼうに高い。
何がプレミアムなのかというと
いいお席の人にはポストカード付とある。

普通席の人は8,000円だ。

2,000円分のポストカードとは楽しみなことだ。

私としてはこの夏前の入院手術のことがあり、
コンサートには久しく足を運んでいなかったし、
たまにはいいかと思っての大英断。

せめて「ぼったくり」と言われないよう
目にもの見せてほしいと願っていたのだが…。

内容は
石田泰尚のヴァイオリン
三浦一馬のバンドネオン
ニュウニュウのピアノ
この3人による室内楽アレンジのクラシック。

曲目は
ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」
バッハの「アヴェ・マリア」
ファリャの「火祭りの踊り」
ウィリアムスの「シンドラーのリストのテーマ」
ドビュッシーの「月の光」
サン・サーンスの「白鳥」など
よく聴き知ったクラシック曲を編曲したもの。

最初にニュウニュウ一人が舞台に現れ、
ソロで「Sunny Day」を弾き始めた。

ニュウニュウは長身の中国籍の若者で
ラメ入りの紺のスーツを着て
イマドキのヘアスタイル、端正な甘い顔立ち。
東方神起の元メンバー、チャンミンに似ている。

ピアノの演奏スタイルは
ビジュアルとシンクロするように甘く、
左手が音と音の合間に必ず宙を舞う。

長い指の白い手がスポットライトを浴びて
宙を舞い、
横顔にかかった髪の毛が揺れる度、
曲調に合わせて目元の表情が変わる。
エンターテイメント性の高いタイプ。

1曲目が甘い曲調だったので、
私の脳裏には、みなとみらいのホテルの最上階で
夜景を見下ろし、カクテルを飲みながら
静かに誰かと話している図が浮かんだ。

その横で
ニュウニュウ君がピアノを弾いてくれたら
きっと素敵だろう。
そんな演奏だった。

ソロの2曲目は、
誰もが知っているクラシックの名曲を
次々10曲ほどもパッチワークのように繋いで
こんなテクニックも持っていますと見せつける
超絶技巧を駆使する曲だった。

3曲目からは三浦一馬君も登場しての
ピアノとバンドネオンのデュオと、
石田様が登場してニュウニュウ君とのデュオ。

あっという間に前半の30分が終わって休憩になり
特に演奏が悪かったわけではないが
「これに私達、もう5,000円払っちゃったのね」
という気がした。

休憩の後の第2部は
石田様と三浦一馬君のデュオから始まり2曲。
ヘンデルの「私を泣かせてください」
ウィリアムスの「シンドラーのリストのテーマ」

この2人は以前から何度も一緒に演奏している。
大抵は三浦一馬君がバンドネオンなので
タンゴつながりで、
ピアソラの曲を演奏することが多い。

三浦一馬君もここのところ腕をあげているので
石田様のヴァイオリンとのセッションは
聴きごたえが増している。

しかし、なにせこのコンサートは
「俺クラ」と銘うたれているとおり
クラシックの曲ばかり。

3曲目以降の3人のトリオ演奏になると
ドビュッシーの「月の光」
サンサーンスの「白鳥」に
バンドネオンは必要ないのではというのが私の意見。

友人はそれもありだと楽しんでいたけど、
私はピアノとヴァイオリンだけで聴きたかった。

最後の1曲は3人で
ブーランクの「城への招待」で
予定のプログラムを終了した。

そして、アンコールにピアソラを2曲。
「アレグロ・タンガービレ」と
「リベル・タンゴ」を演奏したのだが、
こちらは割れんばかりの大喝采。

このコンサート、
夜の部は「俺のピアソラ」と銘うたれた
全曲ピアソラ特集だったので、
10,000円出すなら夜の部を聴くべきだったと
つくづく思った。

個人的には、この10,000円チケットが
ぼったくりなのか、適正価格なのかは
演奏を聴いてから決めようと思っていたのだが、
アンコールのピアソラの出来が良すぎたので
結果、
クラシックの演奏の方は「ぼったくり感」が
否めない。

昨今、夜な夜なコンサートに出かけるのが
かったるくなっているお年頃だが
やはりそのあたり、必要とあらば、
ちゃんと価値を見極め、
身を削ることをいとわない態勢が重要である。

本日の学び。

ちなみに2000円分のポストカードとは
フライヤーと同じ写真をただ葉書にしただけの
お粗末な1枚のみ。

われ、わしに喧嘩売っとんのか!!!
(あら、失礼)






















2025年10月11日土曜日

鎌倉薪能の夕べ

 














令和7年10月10日
鎌倉の鎌倉宮の境内で行われた
「第67回 鎌倉薪能」に行ってきた。

お茶のお社中で鎌倉に住んでいる方に
チケットをとっていただき、
今回で3回目の薪能鑑賞だ。

お天気は薄曇りで、気温も暑からず寒からず。
とはいえ、鎌倉宮の境内は夜になると冷え込むので
皆、ショールや半コートなどを手に
夕方、鎌倉駅のタクシー乗り場に集合した。

今回からは雨天になった時の
代替会場として鎌倉芸術館が用意されているが
やはり、薪能は鎮守の森の中で観てこそ。

お天気の具合としては
これ以上ないベストコンディションだった。

個人的には10月5日に
長良川の鵜飼を鑑賞してきたばかりなので、
篝火つながりというか
日本の伝統芸能に触れる秋になった。

鎌倉薪能は
第1回が1959年(昭和34年)で、
奈良の興福寺や春日大社に次いで
3番目に長い歴史をもっているということだ。

薪能とは、
お客さんに見せることが目的の芸能ではなく
元来、天下泰平・五穀豊穣・国土安寧を願う
神事として執り行われるもの。

僧兵による衆徒法螺の音に始まり、
篝火の火入れ式、素謡、狂言、
神酒賜りの儀、能、附祝言と
奉納されるこれらの神事に
立ち会わせていただいている。

鎌倉薪能におけるお能は金春流が
狂言は和泉流が請け負っているので
毎年、金春流と和泉流の演者さんが出演する。

今年の演目は
狂言が「棒縛り」
シテ(太郎冠者)は野村裕基

能は「羽衣」
シテ(天女)は第八十一世家元の金春憲和
ワキ(漁師白滝)館田善博
ワキツレ(漁師)御厨誠吾

「棒縛り」は歌舞伎でも何度も観た演目で
棒に縛られてでもお酒が飲みたい男の
面白おかしい所作がみどころだ。

野村萬斎の息子の野村裕基がシテだったが
もう26歳になっていると思われるが
愛くるしい顔立ちのせいか
とても若々しい若者という感じ。

声の質がお父さんそっくりで
背が高いので所作が大きく
可笑しみを表現するのにぴったりなので、
狂言界の次代を担う若手のホープだ。

「羽衣」のシテは
八十一世家元が勤めたが
本当ならお父さんの八十世家元の金春安明氏が
やるはずが体調不良で八十一世に。

金春流もそろそろ次世代への変換期なのかも。

「羽衣」は天女が地上に降りた時に
羽衣を漁師(人間)に隠されてしまった。
「返してほしいと願い出る」と
「舞を舞ってくれるなら」と言われ、
実際に羽衣を身に着け舞ってみせるという物語。

天女だけが能面をつけ、
月をかたどった美しい金の宝冠をつけている。

途中で身に着けた羽衣は本当の金の糸で織られ
鳳凰の柄が文様として織り込まれている。

暗い森に薪のパチパチはぜる音と虫の音。
謡の低く響く声が
天女が月の天人として白衣と黒衣を着て
ひと月の夜ごとに15人で入れ替わり
定められた月の役目を果たしていると
語っている。

あまりに幽玄の世界過ぎて
その物語の意味までは聴きとれなかったけど、
間違いなく鎌倉の森に
雅で不思議な空気が漂っていた。

すべての演目が終わり、
さっきまで面をつけて舞っていた金春憲和氏が
ラフな服装であいさつに出てきてくれた。

メガネをかけた40代のおじさんがそこにはいて
ゲストの假屋崎省吾さんなどと話しながら
気さくに写真撮影に応じていた。

天女の化けの皮がはがれ過ぎていてびっくりしたが
近くまでいって
篝火や幕の写真などを撮らせてもらった。

1000人ものお客さんが
夜風がだいぶ寒くなってきた境内を
ショールに顔をうずめて帰っていく。

玉砂利を踏む音があちこちですると
ここはまだお寺の境内なんだと判るけど、
一歩、境内をぬけると
大型バスが何台もスタンバイして待っている。

そして、ぎゅうぎゅうに乗り込んで
みんな現世に戻っていった。