2019年6月30日日曜日

孫娘2歳の誕生日

 
 
 
 
 
 
私にとってたったひとりの孫娘が2歳の誕生日を迎えた。
正確には6月7日生まれなので、1ヶ月近く前ということになるが、
今日、大人の事情で誕生日会を行うことになった。
 
毎週、火曜日には、長女の留守宅にお邪魔して、
料理当番兼、保育園のお迎え兼、食事のお世話係を仰せつかっているので、
孫娘自体にはしょっちゅう逢ってはいるのだが、
ダンナとふたりで会うのはお正月以来。
 
この時期の半年の成長は著しい。
 
お正月、孫娘とそのパパとママとが
新年の挨拶に我が家を訪れたときには、
いっこうにダンナになじむ気配はなく、
その低い声で話しかけられると、後ずさりして泣き出す始末。
 
今日もそうなるのではと危惧していたのだが、
最初こそ「誰?このおじいちゃん?」みたいな怪訝な顔つきだったが、
今回は泣き出すこともなく、
おじいちゃんセレクションの英語の動く絵本はとても気に入った様子で、
ちゃんとお礼の言葉も言えるようになっていた。
 
ここ数週間で話せるようになった言葉が急激に増え、
月初めに私のことを「おーママ」と呼べるようになり、
母親の仕込みが功を奏して、
今は「おーママ、大好き」と言ってくれるようになった。
 
まあ、そうでも言っておかないと
毎週のご飯に響くからだとは思うけれど、
やっぱり言われれば嬉しいのはばぁばの本音だ。
 
1年前の1歳の誕生日会は、本当に全編ご機嫌斜めで、
何をやっても何を言っても泣き続け、
どの写真も泣きはらしたむくんだ顔で写っていたが、
今日はぷくぷくに太っているという事実は事実として、
それなりに笑顔で写真に収まっている。
 
顔がペコちゃんそっくりに丸いが、
それはむくみではなく、
単にぷくぷくに太っているからである。
 
今日は人間の1年の成長を目の当たりにし、
一方で着実に年を重ねる自分と引き比べ、
今年も悲喜こもごもいろいろなことを考えた。
 
最近、仕事のカウンセリングで、
あまりに何件も子育てに問題を抱えた事例を扱っているせいか、
また、世間を騒がす引き籠もり問題や、殺傷事件など、
人が一人前になることの難しさを痛感する事象が多いので、
くったくなく笑い、痛快なほど食欲旺盛な孫娘を見ていると、
このまま素直に育っておくれと願わずにはいられない。
 
たくさん食べて、たくさん出して、
その姿に周囲が微笑み、
ひとしきりプレゼントのお洋服を着てみせたり、絵本をめくったりし、
やがて眠気に襲われ、
さんざんベッドでもおしゃべりしていたかと思ったら、
急にばったりと寝てしまった。
 
はるか昔の我が娘がどうだったか記憶さえ定かではないが、
今、目の前のぷくぷく童子は、
本当に何の邪心もなく楽しげに生きている。
 
その笑顔にエネルギーをもらいつつ、
事故や事件に巻き込まれることなく、
つつがなく育って欲しいと願うばかり。
 
お昼寝途中でおいとましてしまったが、
久しぶりに孫のもたらす幸せにほっこりしながら家路についた
おートトとおーママであった。
 
因みに長女夫婦は、孫娘に「トトとママ」と呼ばせているので、
私達はその親なので「おートトとおーママ」
 
苗字に鶴がつく大阪のじぃじとばぁばは
「鶴じぃと鶴ばぁ」と呼ばせるつもりとか。
日本昔話か?
 
それぞれ、単に「じぃじとばぁば」と呼ばれるのだけは嫌と
自己主張が激しいのである。
 
じじばばの夢を乗せ、
志帆よ、どこまでも飛べ!

2019年6月23日日曜日

麗しのクリムト展

 
 
 
 
 
 
私は絵描きの中でも、クリムトとエゴン・シーレが大好きなので、
過去日本最大級と呼び声高い「クリムト展」に、
どのタイミングでいくか考えていた。
 
場所は上野の東京都美術館。
ちと遠い。
かつての自分の学舎があった場所だし、
6年間もつろついていたのだけれど、
もはや当時の面影も失われ、
人の多さに度肝を抜かれることも多い。
 
しかも、クリムトといえば、
その官能性と装飾性など、
日本の浮世絵からの影響も色濃いクリムト作品には、
日本人のファンは多いので、
混雑するのは日を見るよりも明らかだ。
 
しかし、今回の展示には
そうした日本文化の影響を明らかに受けたとみられる作品も来日してるし、
何と言っても
ベートーベンの第九を作品化した分離派協会の壁画として描かれた
34メートルもある原寸大の模写が来ていることが、
魅力的だ。
 
他には、カタログの表紙にもなっている「ユディトⅠ」
代表作「女の三世代」と「ヌーダ・ヴェリタス」など、
やっぱりこの目で観なければと思う作品が何点もある。
 
13~14年前に友人とオーストリアに旅行に行ったとき、
自由時間に出掛けた「ヴェルベデーレ宮の美術館」で観たものも、
何点か来ており、
懐かしの再会を果たさねばならない。
 
案の定、土曜日の昼前に到着した時は、20分待ちの看板の下に
大勢の人が並んでいたが、
それは想定内、
むしろ「20分でいいの?」という感じだった。
 
ウィークデイはじじばばでごった返しているだろうし、
土日はお勤めの人でごった返していると覚悟はしていたが、
じじばばの空気の読めないもたつき具合を考えると、
もう少し若い人の方が鑑賞のマナーがいいのではと感じるので、
本日、小雨降る日曜日に決行と相成った。
 
それは当たりで、
会場はそれこそ6~7歳の子ども連れから、30代~60代と
幅広い年齢層が訪れており、
案外、韓国語で絵について語り合う光景もあちこちで見られた。
 
思いの外、若い男性も多く、
そこは予想をくつがえされた感じ。
 
クリムトといえば、男女の性愛を描写したものも多いし、
官能的で装飾的というのが特徴だから、
女性ばかりかと思ったらそうでもないことが分かった。
 
クリムト自身は生涯結婚せず、55年の生涯だったが、
モデルや弟の奥さんなど、関係を結んだ女性は数知れず、
子どもの数も14人もいるとか。
 
そう聞くと、 
クリムトは見た目の木訥な感じと、やってることのギャップが凄いが、
自分がモデルになって、あんな官能的なに作品仕上げられたら、
画家であるクリムトを男として、誰でも女性は好きになってしまうに違いない。
 
私としては
自分がモデルになることはないわけだが、
クリムト作品の何にそんなに惹きつけられるのだろうと、
改めて会場で眺めてみた。
 
それはやはり日本の浮世絵を初めとする日本絵画からの影響が
色濃く表れている文様や金箔使い、絵画の構図などに
自分の中に流れているDNAと共通する部分があるから、
そう、強く感じられた。
 
昨年あたりから自分の作品にも採り入れ、
大いに意識している日本の美。
市松模様、帯締め、木目、紙風船など。
 
日本的な解釈やアプローチが、目下の自分の制作と通じるところがあって、
共鳴しているのだと思う。
 
前から、クリムトは好きだったけど、
やっぱり、好き。
そう確信したのは、
クリムト作品に自分と同じ要素を感じ取ったからに他ならない。
  

2019年6月17日月曜日

20回記念 紫陽花展

 
 
 
 
 
 
 
 
6月10日から16日までの7日間、
今年も関内の画廊楽にて、紫陽花展が開催された。
 
今回が20回目の記念展ということで、
15回目にも作成したように、
ひとり1点ずつ写真撮影した作品をハガキに仕立て、
8枚1組にして皆さんにプレゼントした。
 
こうした寄せ集めの作家で作った
しかも画廊が寄せ集めた人ばかりだというのに、
20年も続くなんて、なかなかないと思う。
 
今のメンバーの8名の内、
私を含む4名が20年ものの最古参、
後の4名は5年ものぐらいのニューカマー。
 
まあ、このブレンド具合がいいのではと思っている。
新しい人が入ると会場全体の雰囲気が変わるので、
新味が増す。
 
個人的にはオリジナルメンバーより
今のメンバーで作る会場の空気感の方がいいと思っている。
 
グループ展の存続という点では、
そもそも絵描きは我の強い人間の集まりなので、
5回も続けばいい方で、
中には立ち上がったはいいけど、
1回で終わりなんていうグループ展もある。
 
それが20回も続いたというのは、 
ひとえにメンバーが作品の上では個性が強くても、
ひとつの展覧会として、会場作りの点で謙虚だし、
冷静に会場全体のことを考えられる大人であると言うことに他ならない。
 
今年もそんなわけで、
さしたる問題もなく場所が決まり、飾り付けが行われ、
無事に初日を迎えることが出来た。
 
しかし、その数日前に梅雨入りしたから仕方ないとはいえ、
初日がものの見事な大雨で、
オープニングパーティの始まる夕方4時半あたりは、
たたきつけるように降った雨が溢れ、道は川のようになっていた。
 
それでも持ち寄ったお料理や毎年、取り寄せている柿の葉寿司などを囲み、
アットホームで和やかな会になり、
それはそれでよかったと思う。
 
ちなみに私の今回の持込料理は
八角風味焼き豚と煮卵、ピクルス、ショコラ・オランジェ。
いずれも大好評でめでたしめでたし。
 
その後の日々も
たくさんの人に来ていただき、
私も金曜日を除いては毎日、ギャラリーに通ったので、
お目にかかれず失礼してしまったのは、4名ほどだった。
 
会期中は来年の個展のことも頭に入れながら、
他のメンバーのお客様でも、私の作品に興味をもって下さった方には
「来年の個展のDMを送らせていただいてもいいですか」と
半ば強制的にお誘いして、勧誘に努めた。
 
最後の日にはふたりの娘達と孫まで登場し、
昨年も同様に来てくれたせいで、
顔なじみになったメンバーがみんなで孫を歓迎してくれ、
この会のメンバーの暖かさが伝わってきて、
これが20年も続いた理由なんだなと実感した。
 
いい意味でも悪い意味でも、
素人臭さが抜けない、
一般常識を備えた女流画家達の集まりだということを再認識し、
自分もその一般人のひとりなんだと痛感した。
 
まあ、もっと尖った作家生活に憧れようにも、
今更どうにもならないし、
もはやどっぷり一般人なんだからと開き直って、
今後も、もう少し作品制作ができればいいなと思った
今回の20回記念、紫陽花展であった。

2019年6月2日日曜日

茶懐石の器

 
 
 
 
 
 
 
秋の陶芸工房の作品展のために創った向付と焼き物皿が
焼き上がってきた。
 
個人的には2月3日の自主茶会のために
向付と焼き物皿は必要だったので、
すでに昨年秋ぐらいから、制作には入っていた。
 
しかし、お茶会が終わった頃、
陶芸工房として秋の展覧会の課題は「向付であると発表があり、
「え~、また向付創るのかい?」と驚き、
結局は創る羽目になった。
 
工房のみんなにとっては
「向付って何ですか?」の世界だと思うが、
先生が「この秋の展覧会の課題作品は向付だから」と言われてしまえば、
それを知っていようが知るまいが、知ったこっちゃない。
創るしかないのだ。
 
私としては
昨年、既に創った「笹舟」型の向付に対して、
まず、「あわび」型を1~3月で制作。
4~6月で「梅小鉢」型を制作した。
 
笹船型は織部と黄瀬戸という釉薬をかけ、
あわび型は紺色と白の釉薬のかけ分けにした。
 
それに対して、
梅小鉢型はまず赤土を使用し、
釉薬は乳白という透明感のある白を全体にかけ、
器の上部にだけ不透明な白の釉薬を部分がけしてみた。
 
白い釉薬から下の土の色が少し透けて見えたり、
傾斜の部分の山の峰部分が土の色になるところが、
この器の特徴だ。
 
焼きあがりはほぼほぼイメージ通りに出来たのだが、
なにしろイレギュラーな形を手で成形しているので、
いざ焼き上がってみると、
案外ひとつひとつの歪みが目立つ。
 
それを通常は「味がある」と称するのだが、
私としては、全く同じ形を狙って創ったので、
「歪みは歪みだな」と、少々不満が残る結果となった。
 
一方、白黒をかけ分けた焼き物皿は
1箇所継ぎ目の圧着が完璧とは言えず残念だったが、
全体としてはイメージ通りの焼きあがりで、
満足度は梅小鉢型向付よりは高い。
 
これで、秋の陶芸展の課題制作はすべて終わったので、
後は自分のテーブルをどんなテーマで揃えるかを考え、
不足している器を残りの数ヶ月で創るという段取りだ。
 
後、展覧会まで数ヶ月といっても、
釉薬をかけていいのは2ヶ月に1度なので、
考えたら7月と9月の2回しかない。
 
これは結構タイトなスケジュール。
 
他に肝心の木版画のグループ展と団体展も控えているし、
来年4月の個展のラインナップも考えて、
必要な版画作品も産み出さなければならない。
 
はたと産みの苦しみが襲ってくるような息苦しさを感じながら、
まあ、お相撲さんがよく言うように
「一日一番、一番一番、全力で取るしかありません」という心境だ。
 
まずは出来たての梅小鉢に
空豆でも茹でて入れてみよう。
 
焼き物皿には買ってきた刺身が似合いそうだ。
そして、もう一品、ゴーヤチャンプルでも作ろう。
 
今夜の献立が決まったところで、
キッチンに立つことにしよう。
日曜日は手抜き料理だ。
 
本当は茶懐石の器だけど、
懐石料理なんていつもの生活には登場しないから、
普段使い、普段使い~。
 
使ってこその器なのだと自分に言い聞かせる私だった。

2019年6月1日土曜日

久々のトリオ・リベルタ

 
 
 
相当久しぶりに、トリオ・リベルタのコンサートに行ってきた。
関内のKAMOMEのライブが最後だから何ヶ月前だろう?
KAMOMEがクローズされるというので、
いつもの友人と夏の着物をきて、ライブ会場に行ったのが最後だとしたら、
夏か?
 
記憶があいまいになるほど、
実はコンサートというものに行っていない。
行けてないって、
ホント、イケテナイ。
 
というわけで、久々のコンサートだと楽しみにしていたのに、
1週間前、同行の熱狂的リベルタファンというか
石田泰尚ファンの友人が、足の指を骨折。
一緒に聴きに行けなくなってしまった。
 
最近、私の回りは、転んで骨折という事件が多発している。
お茶のお社中の友人はジョギング中に転倒し、アゴの骨を2箇所骨折し、
手術して入院を余儀なくされたし、
パティシエ学校の講師の友人は、先週、自転車に乗っていて転倒、
足の甲の骨を骨折。
今、松葉杖をつきながら、授業している。
 
やれやれ。
これは年齢的なものか、
転倒すると擦り傷では済まないお年頃なのだ。
 
で、急遽、パティシエ学校で親しくしている友人に声をかけ、
熱狂的ファンに代わり、コンサートに行くことになった。
彼女は石田様のことは知らなかったので、
「え?!どこかの組の二代目さん?」と
想定内の反応を見せた。
 
でも、一旦、演奏が始まると、隣の席で身を乗り出す感じが伝わってきた。
そして、それも、想定内。
 
今回のトリオ・リベルタは一切のMC無し。
メンバー紹介や曲目紹介さえなく、
3人は淡々と演奏し続けるというスタイル。
 
曲目は私がかれらの演奏では聴いたことのない曲目がかなりあり、
新境地開拓というところか。
 
前半はバーンスタインの「キャンディード」から始まり、
ドビュッシー「牧神の午後」
クライスラー「祈り」
M・ルグラン「これからの人生」「双子姉妹の歌」など。
 
いつものようにピアノの中岡太志さんが「これからの人生」を
ピアノを弾きながら歌い上げたのだが、
正に歌うじゃなくて歌い上げたという感じで、なかなか良かった。
 
友人も「あの歌が良かったわ。声もいいわね~」と言っていた。
中岡さんの歌唱力が上がっているなというのが今回の印象だ。
 
個人的には歌った歌の歌詞が壁に映し出され、
歌詞にジーンとくるものがあった。
 
後半は最初の3曲を除いて、その後は全曲ピアソラ。
それでも、
「悪魔のタンゴ」は初めて聴いた現代音楽のようなピアソラだっだし、
「タンゲディアⅢ」「もしも、まだ・・・」も
初めての曲目だった。
 
会場は300名ぐらいの小ホールで、
椅子の傾斜が相当きつく、すり鉢状になっている
栄区のリリスホール。
なかなか音響はいい。
 
お客さんも常連さんばかりという空気感の中、
メンバーもやりやすそうな感じで、
演奏そのものを楽しんでいると印象を受けた。
 
会場がすり鉢状なので、中央の舞台に向かって
演奏者と客が一体感をもてるいい空間だなと思う。
 
最後のアンコールは4曲。
ドビュッシー「月の光」
ディックデイル版「パルプ・フィクション」
山田耕筰「この道」
ピアソラ「リベル・タンゴ」
 
笑っちゃうほど、バラバラな選曲。
 
「月の光」はひたすら清く優しく美しく。
「パルプ・フィクション」は中近東風のエキゾチックな曲調。
「この道」は小学唱歌のような懐かしさ。
「リベル・タンゴ」はやはりこれがないと終われない激しさで。
 
まあ、守備の広さを見せつけられたコンサートというか、
彼らの探求心と遊び心の賜物といおうか、
バラエティに富んだ楽しい演奏会だった。
 
生の演奏の心地よさと、
夜風の爽やかさに、
すっかり心も軽く、
エネルギーチャージも出来た、5月最後の楽しい夜でした。