2020年10月31日土曜日

七五三とお宮参りとお食い初め

 

















10月31日大安、伊勢山皇大神宮にて、
ふたりの孫の七五三とお宮参りをした。

お天気は俗にいう「1円天気」
崩しようがない上天気である。

朝早くから、それぞれが準備して、
朝10時半にお神社で集合した。

我が家で着付けした時にはリラックスしていた志帆も
美容室で髪をアップにしてもらい、お化粧を施し、
神社に何組もの七五三の晴れ着姿の子供たちを目にして、
ちょっと緊張の面持ちのようだ。

お神社では11時の回のご祈祷をしていただいた。
今日は3歳5歳7歳の七五三のお祝いと、
お宮参り、結婚式も2組重なって、
伊勢山皇大神宮は満員御礼だ。

志帆はご祈祷が済み、記念撮影をする頃には
あまりに周囲から「可愛い」「可愛い」とほめそやされ、
笑顔で写真に納まることを要求されて
少しお疲れのご様子。

確かに3歳児にとっては、
着物もさることながら、
足袋も草履も履きなれないから、
きっと疲れたことだろう。

そのあと、場所を変えて、
みなとみらいの和食「美濃吉」に移って、
昼食の懐石料理をいただいたのだが、
途中で、ベイビーの起きたタイミングを見計らって
「お食い初め」の儀式を挙行。

いつもなら家にいて、静かにすごしている乳児の
睡眠と授乳とオムツのタイミングを
見計らっての移動や行事なので、
そう計画通りにはいかない。

しかし、3歳児と3か月の乳児相手に、
大人がご機嫌伺いしつつも、
3つの日本の伝統行事を
つつがなく執り行うことができたことは
奇跡的といってもいいだろう。

お食事処に移って、少しして、
志帆は着物から洋服に着替えたので、
すっかりいつものお茶目な志帆に戻り、
しっかり食べ、快活におしゃべりし、
お食い初めの食べさせ役の順番にも加わって、
十分、楽しんでいる様子だった。

大量の写真から、
二人とも大きくなったら、
日本の伝統行事の王道にのっとって、
七五三とお宮参りとお食い初めをしてもらったことを
感謝する日がくるだろう。

1日にまとめて、
あれもこれもとこなしたので、疲れたけれど、
やはり日本人に生まれたからには
日本の伝統行事は外せない。

親から子へ、子から孫へと
真っ赤なおべべが引き継がれ、
長い年月が時空を超えてよみがえる。

生れてくれた喜びと、
育ってくれた歓びが、
幾重にも重なって、ばぁばの胸にも迫ってきた。

コロナ禍の中で、
自由に人と会ったり、会食したりできない年に、
こんな風にお祝いの行事を行えたことは、
本当に良かったと思う。

当人たちは大人に振り回されて疲れただけかもしれないが、
いつか、この大安吉日、
秋晴れの晴天に思いを馳せる日が来るだろう。

もちろん、ばぁばの思い出のアルバムにも
たくさんの写真が残ることになった。





2020年10月29日木曜日

お祝い着到着

 










七五三とお宮参りとお食い初めを
一度にやってしまおうと計画している日が
あと2日後に迫ってきた。

長女の志帆には
長女の母親(私の長女)が3歳のお祝いの時に来た
真っ赤な着物と鹿の子の被布を
着せることにした。

一方、次女の由依を抱いて、
肩からかけるお祝い着はレンタルすることにして
1か月以上前に、
ネットで検索して注文しておいた。

それは私だけではなく、男性側のお母さんも
実の母親もかけて写真を撮ることになるが、
お金を出すのは私なので、
100%私の好みで決めさせてもらった。

それが先ほど届いた。
当日、使ったら返してしまうものなので、
記念写真を撮ることにした。

お宮参り用のお祝い着は
3歳の子に着せられる大きさに仕立ててはあるものの、
おはしょりがなく、
実際は相当な長さがある。

それを赤ちゃんを抱っこしている大人の肩にかけるわけだから、
前身頃よりむしろ後見頃の方から見て
柄がよく見えるよう作られている。

一幅の絵のようになっているのがいいところなので、
今回は「熨斗目」といっておめでたい柄が
色とりどりの刺繍で艶やかに描かれた着物にしてみた。

地色は白で裾に向かって鮮やかなピンク色なので、
全体の色調が映えるよう
私は渋めのグリーンのぼかしの訪問着にすることにした。

着物だけ見ると、私の着物は地味な色だが、
帯は銀色のプラチナ箔の袋帯にしたので、
着付ければ、それなりにお祝いの雰囲気が出るはずだ。

自分自身は、今回のような
白地に赤やピンクや金銀といった派手な柄は
もはや着ることはなくても、
こうして胸元にかけることができるのは
とても晴れやかな気分になるので、
今からワクワクする。

もちろん、志帆の着物が真っ赤な地色に
白の雲どりと金糸の刺繍の鼓の柄で、
朱色の鹿の子絞りの被布なので、
グリーンの着物との組み合わせもバッチリだ。

と、七五三を一番楽しみにしているのは
実はオーママだとバレバレだが、
それもまた、一生に何度もあるわけじゃなし、
思い切り楽しまなければと思っている。

さあてと、これで準備万端。
お天気ももちろん秋の晴天らしいので、
晴れ女の面目躍如というところ。

あとは当日の小さな女優陣のご機嫌が麗しいことを
願うばかりだ。










2020年10月27日火曜日

2週間のご無沙汰

 














2週間ぶりに、娘のところに行って、
ご飯を作ってきた。

これまでは週に1回のペースで行っていたが、
ちょっと息切れしてきたので、
これからは月3回にしてと頼んで、
10月は先週、パスをさせてもらったのだ。

毎週毎週行かなければと思うと、
かなりしんどくなるものだが、
たまにこうして2週間、間が空くと、
「さあ、今日は何を作ってあげようかな」と
腕が鳴る。

2週間あくことで、
新生児は早くも約3か月の乳児になっており、
顔立ちは長女とは全然違ってきたし、
また、一段とぷくぷく度合いが増していた。

人の顔を見て、よく笑うようになったし、
とにかくばぶばぶ何かよくしゃべる。

上の子に比べ、地味な顔立ちだが、
キュートな笑顔で、笑うと目がにんまりして、
可愛い。

一方、長女の方は赤ちゃん返りも一段落したらしく、
ベイビーにいろいろ話しかけては
お姉ちゃんぶりを発揮しているとか。

ただ、最近は食欲があまりなく、
週末も発熱したり、お腹が痛いと言って
早く寝てしまったりと、
ちょっと心配な情報が届いていたので、
今日はオーママのご飯を食べてくれるか
気になっていた。

しかし、保育園から帰宅した志帆は
相変わらずよくしゃべるし、
ご飯も「まずはキャロット・ラぺください」とか言って、
さっそく自分のお皿に取り分けてもらっていたので、
心配するほどのことはなかったようだ。

今夜のご飯としては
キャロット・ラぺ、春巻き2本、さつまいも入りご飯、
れんこんとサツマイモと豚の甘辛煮、けんちん汁を
食べたようなので、
上出来だ。

そのうえ、ご飯の後にはウ〇チもしっかり出たので、
完璧だ。

今週末には、我が家は七五三とお宮参りとお食い初めを
一度にやってしまうという一大イベントが待っている。

お天気も申し分なさそうだし、
体調も整えたので、
きっと記念すべき1日になることだろう。

次なるオーママのミッションは
3歳児の着物の着付けだ。
明後日にはお宮参りの時に肩にかけるお祝着が届く予定だ。

さて、オーママの衣装はどれにしようかしら…。

やっぱり相変わらず忙しい毎日だけど、
こういう忙しさは心浮き立つ忙しさなので歓迎だ。

「我が家のライフイベントが
つつがなく終えられますように」と、
秋の夜の煌々としたお月様にお願いした。





2020年10月26日月曜日

フリー素材写真を探して







これらの写真はすべてホームページの背景に使う予定の
フリーの素材写真である。

私は心理カウンセラーとして
カウンセリングルームのホームページを持っている。

カウンセリングを受けたいと思って、
カウンセラーを探している人は
まず、検索ワードをいくつか入力して、
スマホかパソコンでカウンセリングしてくれるところを
検索するのが一般的だ。

これが美容室だったら、ホットペッパー、
レストランだったら、ぐるなびや一休だったりと、
よく知られたサイトがあるので、
お店側も客側も検索しやすい。

しかし、心理カウンセリングを受けようとか、
自分に合う心理カウンセラーを探そうというのは、
心理カウンセリングそのものが、
日本の文化にまだ根付いているとは言えないので、
そこが一番難しいところだ。

例えば、夫との関係や子育てに悩んでいる、
会社の人間関係が上手くいっていない、
自分自身に自己肯定感が待てず、ふさぎ込んでいるなど、
誰かに相談したくても、
どこに行ったらいいのやら。

精神科に行くべきか、
心療内科なのか、
臨床心理士ってどこにいるの、
そこに行くとどうなるのかなど、
自分がどうするべきか悩んでいる人は少なくない。

私は自分が15~16歳のころから、
大学の進路として、心理学を学びたいという思いがあったし、
職業としても
いつか心理カウンセラーになりたいと思っていた。

しかし、大学は美大に進んでしまったし、
心理カウンセラーになるなどという夢も
50歳を過ぎるころまで忘れていた。

まあ、そこから思い立ったように資格をとり、
個人で開業したのだが、
世の中はまだまだ、
「人生に悩んだらカウンセリングを受ける」
という具合にはいかず、
悩める子羊たちは悶々と毎日を送っているようだ。

そんな人に救いの手をと思ってはいるのだが、
これまた、
どこにどうやって救いの手を差し出せば、
そういう人の手を救いあげることができるのか。

駅前に一部屋借りて、
看板を上げて宣伝できるほどの財力もなく、
今はお問い合わせがあれば、駅前の討議室を借りて、
そこでお目にかかってセッションをするという形だ。

それでも約10年、
細々と続けてこられたのは、
誰かがホームページにたどりつき、
この人に相談してみようと思ってくれたから。

なので、私にとってホームページは命綱。

今はランディングページといって、
自分でキーワード3つを設定し、
そのキーワードに沿った内容の解説文を作成している。

なるべく検索ワードにドンピシャな内容にすることで、
ランキングを上げ、
探している人の目に留まりやすくする、
それが狙いだ。

今年の1月から、目下、30ページほど更新した。
30個のトピックスについて解説し、
30枚のページを持っているということだ。

60歳を過ぎて、パソコンに向かい、
自らホームページを作るために、
まず、文章を考え、
それにふさわしい写真をフリー素材の中から選び、
レイアウトを工夫し、
週に何本かアップする。

なかなかハードな課題を前に、
頭を抱えているところだ。

このブログで孫がどうしたとか、
こんな映画を観たけどおススメとか、
言ってる方がずっと楽ちんだ。

しかし、世の中はコロナ禍だし、
出口のない悩みに打ちひしがれている女性たちがいるはずだ。
(女性限定のカウンセリングルームなので)

その悩みを私が聴くことで、
頭の中の雲が晴れ、
前に向くことができるのなら、
そう思い直して、パソコンに向かい、
あまたあるフリー素材の中から使えそうなものを保存する。

だいぶ目がしょぼしょぼする作業だけど、
そんな悩みは眼精疲労の目薬でもさせばいい。

もっと心の闇を抱えている人の
お助けマンになれるなら、
そう考えて、また1枚、また1枚とクリックする。

 

2020年10月25日日曜日

「朝が来る」鑑賞

 





映画「朝が来る」を観てきた。

特別養子縁組の話。

14歳の少女が生んだ男の子を、
妊活をしたけど子供を授からなかった夫婦が養子として受け入れ、
6年の月日が経った。

ある日、見知らぬ赤毛の女性が
夫婦の元に訪ねてきて…。

この映画のどこに惹かれて観に行ったかというと、
まずは監督が河瀨直美であること。
次に私が旦那さん役の井浦新のファンであること。
そして、子供を産み育てる意味について
興味があったことが理由だ。

最近、この映画の番宣みたいな形で
主演の永作博美を何回かテレビで見た。

そのインタビューによると、
河瀨直美の映画の撮り方は独特で、
まず、夫婦役のふたりは
カメラも何も回っていない状態で、
普通の夫婦のように1か月ほどマンションで暮らしたという。

その間に
この映画におけるこの夫婦の役作りをするというか、
井浦新と永作博美ではなく、
役名の二人の関係性を築いていくのだという。

映像的には1カット相当な長回しと
大アップを駆使して、
俳優の心の動きを余すことなくあぶり出す手法がとられている。

作り物の感情ではなく、
本当にいざ子供を作ろうと思ったら、なかなかできず、
調べたら夫が無精子症で
何度も顕微授精を試みるも結局妊娠しなかったので、
特別養子縁組で子供を迎えることにした夫婦の
本物の感情が沸き上がるのを待って、
映像化しているのだと思う。

それは14歳で思いがけない妊娠をして、
親ともめた挙句、
仲介をする施設で男の子を生み、
他人に引き渡す未婚の母の心理も、
同様に丹念に追いかけられている。

亡くなった樹木希林が、映画「あん」に出演した時、
河瀨直美の撮影手法にえらく感激して、
いろいろな役者に
「勉強になるから、機会があったら出演してみるといいよ」と
声をかけていたらしい。

「あん」の時の樹木希林の大アップの表情は
今でも私の脳裏に焼き付いているので、
樹木希林ほどの名女優も驚く監督なんだろう。

私の好きな井浦新の方は
医者に無精子症だといわれ、愕然とし、
そこから妊活に協力する夫、
養子を迎え入れ、家族になっていく優しい夫を好演していた。

ふたりの母親がメインキャストなので、
井浦新はそんなに常に出てくるわけではなかったが、
好きなタイプだという思いは変わらない。

肝心なのは、
「ベビーバトン」という養子縁組を仲介する施設と
その施設長の浅田美代子の方だ。

浅田美代子もすっかり年をとって、
なかなかの名演技だった。

四国の小島にあるその施設では
育てることができない子供を妊娠した女性が、
出産までの数か月を過ごし、
月満ちて出産し、やがて自分の子を他人に手渡す。

波の穏やかな海の夕景、
静かな波の音、
オレンジに輝く太陽がやがて海に落ちていく。

我が子を産んでも、自分の手では育てられない、
それぞれの女性の複雑な事情を、
象徴的な美しい映像が何か語りかけてくる。

子供を授かったら、産むということ。
我が子を産んだら、パパとママになって育てるということ。
産んだ子供は誰もが祝福する存在であること。

それはいずれも当たり前のように思っていたけど、
まったく当たり前なんかじゃない。

そんなテーマをじっくり真正面から考えてみた、
「朝が来る」はそういう映画だった。



2020年10月23日金曜日

「モモ」を読み返して

 





ここ2~3日で、以前読んだ「モモ」を読み返してみた。

なぜ、急にそう思い立ったかといえば、
最近、心理カウンセリングにみえるクライアントさんで
子供や夫、周囲の人間関係に対して、
常にイライラしている人が多いと気づいたからだ。

相談内容で「イライラ」や「怒り」を覚えて
何とかしたいというクライアントさんは非常に多い。

何に対してとか、誰に対してそう感じているのかは
ひとりひとり違うのだが、
共通しているのは、
「自分の思い通りにならない」
「自分と相手の価値観が違う」
「自分と違う考えを受け入れがたい」など、
常に自分を中心にものごとを考えるがゆえに
「イライラ」したり「怒り」を覚えているようだ。

そのうちのひとりは
目下、子育て真っ最中のワーキングママなのだが、
すべてにおいて、
「時間が足りない」
「もっと効率的に動かなければ」
「早く早く早く~!!」と
そう思って毎日、暮らしているという話を
毎回、する。

彼女の話を聴き、
カウンセリングを進めながら、
ある日、私の頭の中に、
ふと「モモ」を読んだら?という
アイデアがひらめいた。

小説「モモ」は
ミヒャエル・エンデ作の児童文学で
対象は小学5~6年生以上とある。

私もいつ読んだか覚えていないぐらい前に
読んだ覚えはあるのだが、
どんな内容だったかも、
何を感じたかも、まったく思い出せない。

小学生の時に読んだのか、
大人になって読んだのかさえ思い出せない。

なのに、神様のお告げのように
また再び、「モモ」をじっくり読んでみたら?という
考えが頭に去来した。

先週末、楽天ブックスで新刊本を注文し、
週明けには届いたので、
さっそく読んでみたというわけである。

何十年たっても、オレンジ色の本の装丁は変わらず、
1976年7月24日 第1刷り発行
2020年9月25日 第76刷り発行
とある。

恐るべきロングセラーである。

「モモ」
時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間に
とりかえしてくれた女の子のふしぎな物語

読んでみれば、本の装丁や挿絵もすべて
ミヒャエル・エンデの手によるものだというので、
それは何年経っても変えるわけにはいかないのも道理だ。

かすかに脳裏に残っていた「時間どろぼう」という単語が
今、私の元に通ってきているクライアントさんにとって、
必要な本なのではと導いてくれたのだと思う。

読んでみて、
それは正にその通りで、
現代人が手に入れた何かの代わりに
手放してしまったものの大切さを説いていた。

私は「モモ」を以前、親に買ってもらったのか、
自分で買ったのかさえ、覚えていないということ、
読んだはずなのに、何の感慨も残っていないこと、
また、もう必要ないと思って、
どこかの時点で本を手放しているという事実を鑑みるに、
私も時間どろぼうに時間を預けてしまったひとりなのだと思う。

今回、なぜか思い立って
今一度「モモ」を読み返したのは、
クライアントさんのためなんかじゃない、
間違いなく、神様が自分のために読むように
言ってくれたと感じている。

「過去・現在・未来」のひとつながりの時間、
ひとりひとりに与えられた時間を
時にはかみしめ、味わい、ゆっくり咀嚼する、
そんな過ごし方ができたら心が温かいだろうと
改めて思った
「モモ」の読後感想である。