2026年8月13日木曜日

個展会場のセッティング

 









昨日と今日で
いよいよ始まる個展会場のセッティングをした。

台風がおかしなルートでやってきて
いつゲリラ雷雨が起こるか分からない天気なので
搬入時にそれに当たらないよう
急遽、昨日の朝、作品に雨対策を施した。

家にあるプチプチを総動員して
額の箱の上からくるみ、
横殴りの雨にも耐えられるようにした。

昨日の夕方、
いつもの業者さんに取りに来てもらい
作品だけではなくウーロン茶のカートンなども
車に積み込んで、
今日の11時から画廊に搬入できるよう
私も電車で銀座に向かった。

搬入とセッティングはかなりの力仕事なので
次女にも声をかけ
助けてもらうことにした。
お盆休みだったので大助かりだ。

更に次女にはだいぶ前から
作品のタイトルが書かれたキャプション制作も
お願いしてあったので
それも持ってきてもらうことになっていた。

持つべきものはデザイナーの娘である。

心配していたゲリラ豪雨は
運よく一度も当たらず、
昨日、家から出す時も、
今日、画廊に搬入した時も
すんなりいけたのはラッキーだった。
何年も『晴れ女』を自称してきたので
実証出来て何よりだ。

業者さんも
「今朝、高速に乗っていた時は大雨だった」とか
「画廊を出たら雷が鳴って大雨が降ってきた」と
言っていたので
あながちホラではない。

新装なった養清堂画廊は
以前の真四角いスペースとはだいぶ違って
かぎ型をしている。

そこに初回の展示として作品を飾らせてもらう。
画廊のオーナーさんも
初めての出来事にウキウキするというが
勿論、私も嬉しさがこみ上げてくる。

画廊の建築は更地にするところからだったので
工期もだいぶ遅延したし
その間にものの値段も爆上がりした。
建築資材で思うように手に入らなかったものや
施工業者さんとのトラブルもあったらしいから
私たちが想像する以上に大変だったと思う。

丸2年半の歳月をかけ完成した養清堂ビル。
ここ数週間で
引っ越し荷物を仮事務所から運びこみ
更に積み上げた段ボール箱を整理し
5階を個展会場として使えるようにするのに
数名のスタッフとオーナーさんで
どれだけ労力がいったことか。

それを思うと尚のこと
真新しい会場の”こけら落とし”として
いの一番で作品を展示できるのは
本当に光栄なことだ。

運び込んだ作品は大小25点。
古くは2022年の作品が3点。
2023年でかなり画風が変わり
今の画風になってからのものが22点。

後ろに下がってもよく見える位置に
メインの大きな作品を置き、
会場の奥の壁にも人気のある作品を1点。

エレベーターから降りてすぐの壁にはこれ、
次に目立つ壁のここにはこれなどと
オーナーと次女と私の意見をすり合わせながら
バランスのいい配置を決めていった。

天井高が普通のビルより高いので
通常の個展会場より
やや高めに飾ることになった。

いつも思うことだが
あれこれ場所を変えたり戻したり
試行錯誤の末に
飾る位置が決まると
作品は落ち着いて見える。

それぞれが響き合い
相乗効果をもたらしながら
会場全体でひとつの作品としての空気感が
生れる。

オーナーはこの飾りつけという仕事が
好きだという。
「だれより早く全体像を観ることが出来るし
画廊という器を得て
作品たちが輝きだすことを感じるから」だと。

作品の中央値は床から142㎝の高さ
キャプションは作品の右下
額縁のヘリに合わせること
ライティングの色は「穏やか」など
画廊が決めたルールもある。

それに合わせて
25点の位置が決まると
「萩原季満野展」の準備万端だ。

サブタイトルは
~待ちわびた日々~

来週17日(月)からはプレオープンが始まり
9月1日(火)からはいよいよ本番だ。

あと2週間とちょっと。
体調を整えつつ、
本当の意味で待ちわびることにする。


















2026年8月10日月曜日

孫2号6歳の誕生会

 













週末、孫2号の6歳の誕生会が行われた。
実際の誕生日からは2週間後なので
入院騒ぎでお待たせした形だ。

毎年、孫1号孫2号と
この時期に続けて誕生会があり、
本人はとても楽しみにしているけど
周囲はなかなかに大変だ。

昨今はお友達を家に呼んで誕生会というのは
ほとんど見かけない。
誕生会もピアノの発表会もお葬式も
家族だけでコンパクトに行うのが通例だ。

時代の空気なのか
緊縮財政なのか
他人を巻き込むのがめんどくさいのか
よく分からないがそういう風潮だ。

我が家の孫たちの誕生会もしかり。
会の進行手順もルーティン化している。

母親の妹、つまり次女は
前ノリして料理当番。
トトは予約したケーキをお店に取りに行く係。
ママは采配をふりつつ、テーブルセッティング。
ジジババはプレゼントを手に
後から到着。

今回からは孫たちもそれぞれ自転車に乗り
トトにくっついて最終買い出しに。
要は家の中に子どもがいると
わちゃわちゃするので厄介払い。

私たちが車で到着したと同時に
お外組が帰宅し
「わ~、オーママだ」と声がかかった。
振り返ると孫2号もヘルメットをかぶり
ひとりで自転車に乗っていたのでビックリ。

『どんくさい孫2号』と決めつけていたけど
成長している。

誕生会はお料理が出来あがったら
まずは乾杯してお食事だ。
「ゆい、6歳おめでとう」
「ヨーコも誕生日おめでとう」
「オーママ、退院おめでとう」
おめでとうの3段重ねだ。

それぞれの人生が一歩ずつ進んでいるな
人生いろいろあるなと実感する。

とりあえず、また一堂に会し
乾杯できたことは喜ばしいことだ。

ひとしきり次女の料理の腕前を堪能したら
次はプレゼント開封。
私は今年は自宅にいなかったので、
取り急ぎ求めたもので許してほしい。

その点、次女は次女同志、
ゆいの気持ちがわかるので
いい加減に扱われがちな次女の
気に入りそうな知育玩具をいくつか準備。

その想いはしっかり届いて
豪華なスライムやウノの計算バージョン
マス目に形をはめて競うゲームなど
いずれもすっかりハマったようだった。

孫たちも遊ぶ相手は次女と決めているようで
孫1号孫2号次女の3人で
新しいゲームに取り組んでいる。

去年までは
孫2号は自分でできないと
「やって、やって」と周囲を頼っていたけど
今年は孫1号がすばやくクリアしても
ヒステリーを起こさず
「負けた~」と言いながらも
攻略しようと一生懸命取り組んでいる。

その空間認知能力の発達には目を見張る。
テトリスのようなパズルなのだが
解くコツをつかみだすと
いい感じに正答できるようになるので
脳みその回路がしっかり動いていると感じた。

こちらは脳が…とか、心臓が…とか
あちこちガタが来ているけど
こうして若い命の輝きを観るのは
誕生会の歓びだろう。

孫2号はもうひとつ、満6歳になって
解禁されたことがある。
それは「チョコレート」を食べること。

2番目の子どもは最初の子どもに禁じたことでも
なあなあになりがちだ。
しかし、長女の教育方針で
チョコレートを食べていいのは
6歳になってからと決められていて、
孫2号はそれをちゃんと守ったことになる。

6歳の誕生日にはチョコまみれの
ホールケーキを注文し
ネームプレートの板チョコも全部食べると
決めていたようで
大人が心配するほどの勢いで喰いついた。

暑さで溶けたチョコレートが
口の周りにも手にもベタベタついたけど
目を細めて満面の笑みなのが微笑ましい。

案外、孫2号は自己主張が強いタイプで
ひたすら引っ込み思案なのかと思っていたけど
ちゃんと約束やルールを守ることも出来る。

そんな確認ができるのが
定例の誕生会をするいいところか。

あと7か月、春になったら1年生。
季節は廻り
子どもは成長し、大人は歳をとる。

今年も悲喜こもごもの確認をして
孫2号の6歳の誕生会は無事に終わった。






2026年8月9日日曜日

銀座の下見

 











退院してから、初めて銀座まで出かけてみた。

1番の目的は
養清堂のプレオープン記念展に出品する作品を
搬入すること。
2番目の目的は
ギャルリー志門に『文学と版画展』の
DMを取りに行きつつ、ご挨拶。
3番目の目的は
個展の際に予約したホテルの位置を
確認すること。
4番目の目的は
東劇で上映されているシネマ歌舞伎
『四ツ谷怪談』の映画鑑賞。

あさイチから額縁1点を持って
東銀座界隈を歩き回った。

映画が11時から13時だったので
その前に東銀座に予約したホテルへ。
個展の1週目に2泊3日で取ったホテルと
2週目に2泊3日で取ったホテル。
どちらも東銀座の駅から5分ほど。

生れて初めて
「トリバゴ、便利よ~」
「トリバゴ、やったら~」
「トリバゴ、やらなきゃ~」
のCMにのせられるがままに、やってみた。

いざ当日になって迷子になるのは嫌なので
場所だけでも分かっていれば安心だ。

あらかじめ地図はラフに紙に描いて
持って出たせいもあり、
どちらも難なく見つけることができた。

いわゆる海外からの観光客向けの
小さな安いホテルだ。
築地あたりを目当てに来る観光客だろう。
もしかしたら日本人は私だけかもしれない。

しかし、ホテルの格は全く度外視して
個展会場からの立地と価格だけで選んだ。
付近の目印になりそうな風景を写メして
暗くなっていても分かるように備えた。

今、東銀座では
歌舞伎座で『牡丹燈籠』
新橋演舞場で『もののけ姫』
東劇で『四ツ谷怪談』
をやっている。

8月はどこもかしこも納涼大会。
お化けやもののけなど
この世のものではないものが出没中だ。

私は『四ツ谷怪談』を観て
ちょっと涼しくなってから、
銀座並木通りを目指した。

先にギャルリー志門に挨拶に行き、
ギャラリーオーナーと
ひとしきりペースメーカーの話で盛り上った。

今年の『文学と版画展』の会期は
9月第2週なので
個展と丸被りしている。

それはお客様にとってはいいかもしれないが
両方の出品者の私としては
いろいろ画廊にご迷惑をかけることにもなる。
そんなあたりのお願いである。

そして、最後に新しい個展会場を訪ねた。
まだ、揮発系の匂いのする白い空間。
以前の養清堂のスペースとは
だいぶ趣が異なる。

やはりエレベーターホールや非常階段、
バリアフリー仕様の大きなトイレなど
建築基準法で守らなければならないものが
あるせいで
展示スペースが少し狭くなったことは否めない。

養清堂の方の女性オーナーも
引っ越しの渦中でワタワタしながらも
遂にオープンする日が迫ってきて
興奮が隠せない様子だ。

運び込まれた引っ越し荷物が
床にあるせいで
まだ、雑然とした感じではあるけど
それが整理されれば新装なった養清堂の
真新しいスペースはとても心地よさそうだ。

これから芳名帳の台はここ、
お茶スペースはここと定めて
家具も揃えなければならないという。
やらなければならないことだらけで
忙しい日々とはいえ、
そうした作業も楽しいに違いない。

13日にはプレオープンに合わせて、
私の今回の全作品を搬入し、
個展会場を設営飾りつけする段取りだ。

そのピカピカの壁に
1番バッターで飾れる歓びを噛みしめ、
あわや遺作展になるところを
命からがら舞い戻った幸運に感謝し、
粛々と個展準備を進めようと思う。





















2026年8月5日水曜日

個展の作品勢揃い

 



今週は個展に出品する作品を倉庫から出して
最終チェックし、
いつでも搬入できるように準備した。

点数としては25点。

前回の個展では28点出品したが
今回の養清堂の会場は
新しくはなったけど少し壁面の大きさが狭いので
点数も抑えめにした。

7月8月に
最後にとても小さい作品を創ろうかとも考えたが
思いもかけず入院手術騒ぎになったので
25点のままである。

作家の性格にもよるが、
会期の始まるギリギリまで制作する人は多い。
しかし、私はせっかちなので
あまり追い込まれて制作すると
ろくなことにはならないと分かっているので
早め早めに制作することにしている。

それが今回のような事態になった時、
後悔することがなかったので
一番よかったことかもしれない。

実際の搬入とセッティングの日は
8月13日だけど、
搬入業者さんは12日の夕方には取りに来る。
13日の11時、私と次女、
そして搬入業者さんは現地で落ち合い、
作品を会場に運び入れる手はずだ。

実際の個展の会期は9月1日からだが
画廊のプレオープンは8月17日からで
そこで画廊の記念展と同時開催で
私の個展も始まるため、
そこに合わせてすべての作品を搬入する。

個展はまだまだ先の話のように思っていたが
プレオープンの展示にも飾るとなると
もうすぐそこまで来ていることになる。

いざ、倉庫(家の中の額収納庫)から
25点を引きずり出し
点検したところ、
完璧に揃っているはずなのに
1点足りない。

一瞬焦り、記憶をたどると
2年前のグループ展でお買い上げいただいた
作品のことを失念していたことが判明した。

こういうことが起こるから
早め早めの準備が欠かせない。

今日はその作品に新しいマットをつけるべく
世界堂まで行ってきた。
新しい額でなくて本当によかった。

マットなら待っている間に出来あがるけど
額だと1週間以上かかる。
ましてお盆休みは工場がお休みなので
とてもヤバイことになっていた。

同じ大きさの額は他の作品が入っていたが
家にあったもので転用が効く。

さあ、25点の大小さまざまな大きさの作品。
それに、手で搬入することになっている1点。
そして『文学と版画展』に出品する1点。

混乱しないように畳のアトリエに並べ立てた。

6年前、同じように
今から搬入という状態で額を並べ、
来週から個展というタイミングで
コロナが蔓延し
緊急で自宅待機になった記憶が蘇った。

当時、小池百合子都知事が
「Stay Home」「三密」などと
キャッチフレーズを次々発表し、
銀座にひとっ子ひとりいない情景が
ニュースに流れた。

そんな時に個展なんかしても
どなたにも来ていただけない。

安倍晋三さんが緊急で配布した
「アベノマスク」は何の役にもたたないと
嘲笑の的。

あの時の2020年4月の個展は
画廊のオーナーの判断で丸1年延期され
2021年4月に開催された。

2020年にアトリエに並べた作品群に
『個展中止』という張り紙をつけ
写真に撮って
ブログにアップしたことを思い出す。

案内状はとっくに配布済みで
出来る限りの人に電話して
中止になったことを伝えたあの日。

個展の前には嵐がくる。
そんなジンクスを今回も踏襲しながらも
何とか会期が迫ってきた。

私のバディ『ミヒャエル』は
段々、我が身になじんできている。
昨日の術後検診では
血液検査も心電図もレントゲンもクリアした。

新人A医師からは
「もう外来に来なくても大丈夫」と
お墨付きをいただいた。

次にお目にかかるのは
銀座の個展会場かも。
存外、素直でいい青年医師だったので
見に来てくれるのではと期待しているところだ。

人生、何が起こるかわからない。
天災・病気・事故・出会い・別れ・運命…。
「光と影」が今回の個展のコンセプトだ。

転んでもただ起きない私の復活の日を
多くの方に見届けてほしいと願っている。



2026年7月31日金曜日

明日への扉 パスポート申請

 






心臓のペースメーカーを植え込む手術をして
丸2週間が経った。

ペースメーカーそのものは私の左胸に埋め込まれ
そこからリードという電線が2本、
心臓の周囲に這わせてある。

7月15日の手術から8日経った先週の木曜日に
退院してきたので
自宅にもどって更に8日間経ったことになる。

ペースメーカー植え込みの手術で怖いのは
術後の感染症だということは聴いていたし、
入院中知り合ったペースメーカーの大先輩は
退院後1週間ぐらいで
傷口が熱を持ち腫れあがって
結局、再手術になったという話を伺ったので
何としてもそれだけは阻止せねばと
この1週間はおとなしく静養に努めていた。

幸い、私の傷口は順調に回復し
今は痛みも熱もなく
暴れ出す気配はない。

今はそこで慢心してはいけないと諫めながら
少しずつ日常生活を取り戻しつつある。
なにしろ、障害者手帳の申請や保険の申請、
カーブスの休会届など
7月の月内に行わないと不利になることも多く
ここ数日はそんな用事で出歩いていた。

後ろに倒してもらったカウンセリングも
再開し、
個展準備の案内状のあて名書きも
まずは名簿作りの段階が大変なので
取りかかっているところだ。

そんな中、
今日は日本大通り駅のそばにある
パスポートセンターに
パスポートの申請に行ってきた。

何しろ、切れて久しいパスポートを
再び取得して12月に旅行に行こうと
計画していた矢先に
この手術騒ぎになってしまった。

まずはパスポート用の証明写真を撮って
戸籍謄本も取り、
必要な書類を集めようとした日に
県立病院の先生からの電話で
急遽、入院と手術が決まった。

勿論、もし心臓が突然止まってしまっては
旅行どころの話ではないのだが、
バッグにはパスポート用証明写真と
戸籍謄本が入ったままの入院だったのである。

退院して1週間、
何とか感染症の危険な時期は
脱したかなと思えたので、
ダンナがゴルフに行くと言った日を狙って
パスポート申請を決行することにした。

ダンナがゴルフに出かける日は
6時半には家を出るので、
私が早起きして出かけても分からない。

パスポートセンターの話によると
朝8時50分には整理券を配るので
一番待ち時間がなくスムーズだとのこと。

7月から申請料が大幅に値下がりしたことで
連日、パスポートセンターは大盛況、
長蛇の列だというので
なるべく時間をかけずに済ませたい。

そのためには8時40分くらいには
パスポートセンターに到着しなければ。
そう考え、実行した。

朝はまだ比較的涼しく
電車も思ったほど混んでいなかったので
ラッシュにもまれることもなく、
とてもすんなり申請を済ませることが出来た。

『パスポート』
何という前向きな響き。

コロナ禍以降、
飛行機運賃もサーチャージが高く
旅費そのものも以前の2倍、
しかも円安のご時世で
海外旅行には興味がなくなっていた。

しかし、友人のたっての願いで
クルーズ船で旅行することが決まり、
ほんの少しだけど台湾に寄るコースのため
パスポートが必要になった。

重い腰を上げ、
失効していたパスポートを
もう一度取ることになったという訳だ。

パスポートの有効期間は10年。
心臓のペースメーカーの寿命も約10年。

もちろんどちらも更新すれば
継続可能なものである。

しかし、どこかで突然、
心臓が止まっていたかもしれないと思うと、
こうして『ミヒャエル』をバディに
少なくともあと10年命拾いしたことになる。

2週間後、新しいパスポートが発行されれば
それが私の新たな扉を開くだろう。

もともと何事にも
クヨクヨしたり落ち込むタイプではないが
それでも
パースメーカーやパスポートは
私の人生の頼もしい助っ人だと思える。

さあ、新しいパスポートを手に
航海に出よう。
オーッ!!









2026年7月26日日曜日

バディ『ミヒャエル』

 






ペースメーカー植え込み術が
他の手術と一番ちがうところは
通常、手術は身体の中から悪いところを取り出す
のに対して、
割合大きなものを身体に足すというところにある。

その新しい相棒ともいえるペースメーカーを
身体が受け入れ、
拒否反応を起こさず、
正確に作動するのかどうかが
術後の見守りの目的だ。

そのせいで、入院日数がかなり長くなり、
術後丸1週間は経過観察に充てられる。

私の場合、手術後に3連休があり、
そこは医者でさえ3連休をとるご時世で
病院は外来や会計も停止するので
すこぶる静かな3日間だった。

開けて21日の火曜日には
驚くほどの医療スタッフが出勤し、
通常業務が再開した。

担当の執刀医A先生もあさイチに回診してくれ
傷の様子や体調、ペースメーカーの作動状況を
確認してくれた。

そこで、入院中に出来る大きな検査は
してしまいましょうということになり、
退院予定日の1日前に
カテーテル検査を行うことになった。

手術前日にはMRI検査もしている。
どちらも造影剤を投与しながらの検査なので
外来で必要が生じても
入院して受けるような大掛かりな検査だ。

MRIでは心臓そのものの機能や形状
筋肉の厚みや動作に問題がないか調べる。
カテーテルでは心臓を取り巻く冠動脈に
くびれや詰まりがないか調べる。
要は心筋梗塞や狭心症がないかを診る検査だ。

MRIの検査結果では問題なしであることが
分かり、
「まずは良かったですね」とA先生。

「最後にカテーテル検査をして、その際に
もし詰まりやくびれが見つかったら
そのまま治療に移ることもあります。
その場合は、
ステントを入れる手術になります。
カテーテルは月に20件くらいしていますので
安心してください」と
私の不安を見透かしたように言った。

カテーテル検査は局所麻酔をかけ、
それなりに危険も伴う手技なので、
同意書もいるし、
家族が来て見守る人もいる。

それを知らされたのは連休明けだったので、
家族はさほど重く受け止めなかった。
22日水曜日午後の2番手として
私はひとりカテーテル室の手術台に上った。

22日午後2時40分。
病棟の看護師さんに付き添われて
車いすで南病棟を出た。

病棟を抜けると長い渡り廊下がある。
夏の日差しが容赦なく廊下を照り付け
窓の外には大きな青い空と濃い緑が見えた。
その向こうに白い医療棟がある。

ここからは関係者以外立ち入り禁止だ。

医療棟に入ると
カテーテル室、通称カテ室があり、
医療スタッフは全員レントゲン照射に耐えうる
ガウンを装着し、その上に手術着を着ている。
医師たちは医療用メガネもかけている。

カテ室は20畳ほどもある大きな部屋で
まるで医療ドラマに出てくるような
最新鋭の医療機器が揃っていた。
その真ん中に青いシートにくるまれた
手術台がある。

カテ室に入ると
朝、回診に来た時に拳を合わせて
「頑張りましょう」と言ってくれたA医師が
中央に立っていて
「ハギワラさん、宜しくお願いします」と
朗々とした声で言って、一礼した。
とても凛とした立ち姿だった。

周囲にいた7~8名のスタッフも一礼したので
「宜しくお願いします」と私も一礼した。

そこからは速やかに手術台に乗せられ
右手を固定され、胸にシートがかけられた。
カテーテル検査は部分麻酔をかけ
手首の動脈から針を刺し
造影剤を冠動脈に行き渡らせて行われる。

針はちょうどジュースのパックについている
ストローほどの太さがあり、
麻酔がかかっていないと耐えられないし
大量出血の可能性もある。

「しっかり麻酔を効かせてくださいね」
「分かりました。1本多く打っておきますね」

この頃にはペースメーカー埋め込みの時より
A先生とは仲良くなっていたので
軽口を叩きながら進めることができた。

手術の機材には何本ものアームがあり
ひとつは私の胸すれすれの位置に迫り
体内の様子を撮っている。

手術台の向こうには大きな画面があり、
いくつもの角度から撮った
心臓や血管のLIVE映像が映し出されている。

テレビの医療ドラマや報道番組に
よく出てくるやつだ。
A先生ともうひとりの医師がその映像を見ながら
ふたりで意見交換し
さまざまな角度からもれなく
血流の様子や血管の状態を観ている。

「狭窄なし」というA先生の声が手術室に響き、
安堵の空気が室内に流れた。
A先生の声は別人かと思うほど
自信に満ち溢れていた。

病棟に戻ってしばらくして
A先生が病室に来てくれた。
手には4枚の画像写真。
「これがハギワラさんの冠動脈です」と
朱いペンで3本の冠動脈の幹の部分をなぞり、
説明してくれた。

私がこういうものに興味があるタイプと知って
お土産に撮ってくれたものだ。

自分の体の臓器なんて
普通、人は一生見ることはない。
あのカテ室の大きな画面に写し出された
脈打つ心臓や血の流れる血管は
何よりここに今、私は生きていると思えた。

それを切り取り画像にしたものが
ここにある。

ペースメーカーを埋め込んで今日で12日。
私のペースメーカーはドイツ製。
正式には「BIOTRONIK」社のペースメーカーだ。

これで今はママチャリから電動アシスト自転車に
乗り換えた気分。
ドイツ製なので
ベンツ社の電動アシストエンジン搭載と
いうことにしておこう。

これがこの先ずっと一緒の私のバディだ。
ドイツ製なのでニックネームは
『ミヒャエル』

ペースメーカー埋設を宣告されたあの日、
午後、私は映画「マイケル」を予約していた。
こんな時に映画なんて観ている場合じゃないと
思ったけど
入院手術の決意を決めてなお
時間には間に合ったので「マイケル」を観た。

マイケルの
類まれなる才能と神がかった存在感は
圧倒的で感動した。
とてもいい映画だった。

「マイケル」は
ドイツ語発音だと「ミヒャエル」
私の相棒にふさわしいニックネームだと思う。

「ミヒャエル」
死ぬまで宜しくね!!