2026年のの個展は9月12日に
無事閉幕した。
この個展は
自分にとっては5年ぶりの個展だったが、
画廊にとっては
3年前に自社ビルを解体し
更地にしたところから8階建てのビルにした
新装オープンの展覧会だった。
プレオープンは8月17日から2週間行われ、
ビルの6階と7階の展示スペースには
今まで画廊と関わりのあった作家65名の
作品が展示された。
その期間、
5階のギャラリーは空いているのでと
私の個展作品を展示させてもらうことになった。
そして、本来なら1週間の会期を
9月1日は火曜日で中途半端なのでと
おまけで2週目もどうぞということになり
結局、4週間の個展期間と相成った。
9月1日からが本来の新装オープンで
6階は平常の画廊の事務所と作品販売、
7階は企画展示が始まり
トップバッターは「海老塚耕一展」だった。
養清堂画廊の”こけら落とし”の展覧会は
こうして始まり
私の個展は、無事に閉幕した。
”こけら落とし”というのは
よく歌舞伎で使われる言葉だが
その劇場が新しく建ったり
建て替えられたりした時に
最初にかかる演目のことを指している。
それは一度きりしかないことなので
その演目に関わることのできた役者は
とても誇りに思うだろうし、
主役ならなおさらだ。
銀座のど真ん中にある老舗画廊が
自社ビルを建て替えるにあたり、
このご時世に相当なご苦労があり
2代目の女性社長さんは
本当に大変だったと思う。
たまたま次回の展覧会をと考えて
声をかけた3年前、
私は建て替えのことを知らされ、
その場で出来た時の”こけら落とし”をと
お誘いを受けた。
企画展示でもないのに
おこがましいことだけれど、
大学院の卒業時から
東京での個展はずっと養清堂でやってきた。
初代社長さんには
結婚式にも来ていただき祝辞を賜った。
そんなこんなの思いが詰まった養清堂の
”こけら落とし”
勝手に意気に感じて
がんばらなければ!と思ってやってきた。
展覧会が無事に終わり、
撤収作業の終盤、2代目さんが
「こけら落としにふさわしいいい作家さんを
お選びになりましたねと言われました」と
報告してくれた。
その言葉は何よりのご褒美だと感じた。
ここまで勝手に意気に感じ、
出来る限りの友人知人にDNを配り
私らしいしつらえにと会場を整え
もちろん作品制作にも注力した。
その甲斐があったなと思う。
毎日、銀座の女のメッキがはがれないよう
精一杯おしゃれして
笑顔でお客様をお迎えし
作品解説に努めた日々。
連日、5階の会場には再会の出会いと
笑い声が響いた。
何人もの同業の作家たちから
「凄いパワーだよね。
この作品を
本バレンで摺っているなんて信じられない。
これほど作家と作品のイメージが
ぴったり重なる人もいない」などの
コメントをいただいたのは
私の勲章である。
これからの作家人生、
今回の展覧会でいただいた感想や意見が
心の糧になるだろう。
まずは温泉にでもいって
美味しいものをたくさん食べて
身体の糧を補充しようと思う。
個展に来てくださった皆さま、
各方面で支えてくださった皆様に
深く深く御礼申し上げます!!
9月1日から12日までの個展の会期中には
本当に多くのお客様にご来場いただいた。
連日、雨か小雨か曇りかだった割には
足元の悪い中、
皆さん、遠方から来ていただき感謝感激である。
「晴れたら行こうと思ったけど…」と
お天気を理由にいらっしゃらなかったのは
おひとりだけだ。
むろん、大雨に見舞われた地区に
お住いの方はそれどころの騒ぎではないのは
想像に難くない。
9月1日、1週目の火曜日が初日で、
5日の土曜日までと
2週目の月曜日から土曜日までが会期だった。
「私は11日(金)以外は会場におります」と
添え書きをして案内状をお出しした。
すると面白い現象が起きた。
なぜか申し合わせたように
同じグループが同じ日に「重なった」のだ。
同じグループというのは
大学の同級生、
娘が中高一貫校に通っていた時のママ友、
最初に香港に住んでいた時の海外在住組、
趣味のお茶でかつてご一緒だったメンバーなど。
大学の同級生は
2週目の火曜日と
私がいない日狙い?で金曜日。
だれも約束していないのになぜかかち合った。
いない日狙いの同級生は
最終日に画廊で芳名帳を見たら
何人も同級生の名前を見つけ驚いたというわけ。
2週目火曜日は
ひとりの大学の同級生が見えて
会場で話しているうちに次のメンバーがきて、
またひとり、またひとりと
5人が次々に来てくれた。
私がいない金曜日の重なりぶりは
その日しか空いていなかったのか、
わざと外したのかは今だに謎である。
娘が中学や高校の時のママ友は
約30年ぶりの再会になると思うが、
キャストに入ってもらっていた友人と再会をはたし
会場でキャーキャー大騒ぎ。
もちろん私はずっと繋がっていた友人達だけど
偶然にもお手伝いをお願いした日に
来て頂け、昔話に大輪の花が咲いた。
また、最初の転勤先・香港で
ご一緒したメンバーが
何組もかち合ったのが2週目の木曜日。
次の日は私のいない日だし
その次の日は最終日だったせいか、
なぜかひしめき合うようにお客様の多い日だった。
そこで「もしかして?」
「〇〇さんよ、ご存じでしょ」てな具合で
何組もの友人達が繋がった。
不思議な日だった。
遠くは約40年ぶりの再会だ。
かち合ったわけではないけど
最も会っていないお久しぶりの人は
小学生の時の同級生の男の子。
ずっと繋がっていた同級生の女の子が
「△△君てあなたが初恋の人だったのよ」と
約60年ぶりに連れて来てくれたのだ。
おまけに彼女は当時の遠足の写真まで
スマホに保存していて見せてくれた。
どれが自分か見つけられないほど
大昔の写真で
みんなで大笑いした。
約60年ぶりの再会は
おぼろげに面影は残っているものの
流れた歳月を如実に物語っており
だれもが現実に抗って生きていると知った。
別れ際におぼつかない手つきで
それぞれLINE交換し
再会を約束した。
1週目の終わりの土曜日には
長女がキャストに来てくれたので
午後には婿が孫1号孫2号を連れて合流した。
毎年、どこかの展覧会には来てくれる孫たちも
9歳と6歳になったのだから
そりゃ、オーママも年取るわけだ。
今回のお客様の最年長は88歳。
大きな作品「雨の音色」をお求めくださった
ダンディなおじ(い)様。
最年少は2歳半。
長年、お世話になっているHP制作会社の
担当さんのお子さんだ。
生れた話は聞いていたけど
まだ見ぬうちに2歳児に。
お久しぶりの最長不倒距離は約60年ぶり。
いわずもがなの小学校の同級生。
男の子だったはずがおじいちゃんに。
私が初恋だったと言われましても…。
こうして私が版画制作を続けて
時折、個展を開催していることで
続くご縁があることは
本当に嬉しいことだ。
ブログが長くなるが、
「重なる」と言えば今回の個展は他にも
いろいろなことが重なった。
会期後半は『文学と版画展』と
丸被り。
同じ銀座のギャラリーだったので、
後半初めの月曜日には
オープニングパーティにも顔を出し、
お客様も作家も両方観ていただくよう
ご案内した。
また、パティシエ学校の
自分の授業のテストの採点も重なった。
1週目の半ばには解答用紙が自宅に送られてきて
真ん中の日曜日は缶詰め状態で採点した。
いずれも今年はパス!ができないものばかり。
体がひとつしかないことが
じれったい重なり具合だった。
しかし、そんなこんなを乗り越え、
2週間を無事に乗り切った。
今は次の個展のことなどまるで考えられないし、
作品の今後の構想も全く浮かんでいない。
それでも、どのグループからも
「また、個展のお知らせくださいね」
と言われると
なけなしの知恵を絞って
もう少し頑張ろうかという気になる。
さあさあ、この出会いや再会にパワーを得て
次のテーマが降りてきますように!!
神頼みのきみちゃんである。
2週間に渡る個展の会期中には
本当に多くのお客様に来場いただいた。
あらかじめ300枚以上のDM(案内状)を
お送りし、
画廊側からも300枚出ているが
実際に会場に足を運んでいただけるのは
その一部にすぎない。
自分自身、銀座は本当に遠くなって
以前のように気軽にいく場所ではなくなっている。
それは他の友人知人にとっても同じこと。
まして連日の雨模様では尚更である。
そんな中、銀座まで足を運んでくださったのは
いつもの生活で仲良くしている方、
お世話になっている方、
昔、どこかのタイミングで同級生だった方、
長年の知り合いで個展には必ず来てくださる方、
この度、初めて声をかけて来てくださった方など。
言ってみれば
絵を見るのが楽しみ・萩原の絵が好きという方と
久しぶりに萩原に会いたい方という気がする。
どちらかというと後者の理由で
銀座までお運びいただけていると思うからこそ
毎日、会場に出向くのが作家の務めと心得、
私は毎日綺麗にして「銀座の女」を
相務めた。
そして、個展であるから販売もしているわけだが、
お客様には
「よし、今回は気に入った作品があったら是非1枚」
と思っている方と
そんな気はさらさらない方とに分かれる。
何が「気にいった作品」になるのかは
人それぞれだけど、
作品からご自分の信条や生活につなげて
物語を紡げた時が
「気に入った」時だという気がする。
通常、展覧会には作家はいないので
絵を見ていろいろなことを想像したりして
絵を鑑賞することがほとんどだと思う。
しかし、個展の場合は作家が会場にいて
その作品にどんな思いを込めたとか
どんなコンセプトで制作したかなど
作品の背景をお話しすることができる。
私の場合はとりわけ具体的なモチーフが
出てくるので
なぜ白鷺か、なぜシマエナガか、
なぜ紫陽花か、なぜ蓮か、なぜむくげなのかなど
それぞれの作品の前で説明することが出来た。
多かった質問は
大きな作品の背景に使われている楽譜は
「何の曲ですか」というもので
「ショパンの雨だれです」と答えると
大抵の方は「ほほぉ」という反応を示した。
(どんな「ほほぉ」かは存じませぬが…)
今回のDMに使った『凛として』は
「白鷺立つ」という小説の表紙のために
創り下ろした作品で
「比叡山延暦寺の僧侶が千日修行に出る時の
白い衣と蓮の葉を象った被り物をかぶっているが
それがまるで白鷺のようだというところから…」
といった説明をした。
その話が亡くなった旦那様の生い立ちとつながり
タイトルの込めた思いに共感してという具合で
その作品に入り込まれたりする。
お求めくださった方々は
それぞれ共鳴する思いがあって
作品を選んでくださっている様子だ。
もちろん中には
「長いお付き合いだから、そろそろ1枚」
といった方もいらっしゃるけど、
それでもこの1枚と思って選ぶときには
大きさや値段だけの判断基準ではなく
何かその作品にかけた思いがあるのだと思う。
今回、お求めいただいた作品の中で
一番大きな作品は「雨の音色」だ。
正面のメインの壁に1枚だけ飾った作品だ。
ちょっとやそっとのおうちでは
飾り切れない大きさだと思うが、
以前から私のことを可愛がってくださっている
ご夫婦がさらりと決めてくださった。
聞けば、三男さんが山梨の大学教授になられ
おうちを新築なさったのでそのお祝いにとのこと。
「本当はしばらくご自宅に飾ってからと思ったけど
まあ、お祝いだから送ってくだい」
ということだった。
どんな豪邸なのかしらと少し心配だけど
この作品を気にいってくださってと
心が弾んだ。
どうか贈られた三男さんと奥さんの
お気に召しますようにと願うばかりだ。
そんな風に毎日、どなたかが作品に
赤丸印(お買い上げ予約)をつけてくださる度に
その作品を選んだ理由を話してくださるのが
個展における望外の喜びだ。
この作品はまだ見ぬお宅のどこに飾られ
その方の人生に寄り添うことができるのか。
お求めいただいた作品は
いつでも娘を「お嫁に出すような親心」で
真心を込め梱包し、配送手続きをする。
「どの子も元気でいてね。
可愛がってもらうんだよ」
の気持ちを込めて。
12人の娘達、
行ってらっしゃい!!
2026年9月1日(月)
いよいよ銀座・養清堂画廊にて
5年ぶりの個展が始まった。
天気は曇りときどき小雨。
と、書くと
後は晴れたのかという展開が想像できるが
なんとこの日から最終日の12日まで
晴れた日は1日もない。
秋の長雨の季節に突入したとかで
連日、雨降りの個展だった。
そこまで連動しなくてもいいと思うのだが。
作品のテーマは期せずして『雨』
2020年にはじまったコロナ禍において
「世界中の皆の心に雨が降っているよね」
と、感じたあの日々。
そんな心象風景としての
「雨のシリーズ」の始まりである。
自分は戦争を知らずに死ねる年代かなと
勝手に思っていたけど、
まさかこんなことが起こるなんて…。
戦争を体験した作家が
戦争の悲惨さを作品に残そうとするのと同じく
コロナ禍で感じたこの気持ちを
何とか作品に残したい
そんな思いでこのシリーズは始まった。
雨といえば紫陽花、そして、蓮。
モチーフも年を追うごとに変化した。
2026年までの5年分の作品の中から
今回は全25点の展示である。
そのうち2022年の作品を3点出品し、
2023年に悩める乙女が呻吟し、絵肌を変え
2024年から今日までの
作風になってからの22点と合わせて計25点。
壁面の関係で
悩める乙女が制作した2023年の作品は
1点も出品していない。
しかし、来場くださったお客様には
そのあたりの経緯を説明し
今やその雨も上がりそうだとお話しした。
会期は1日から12日までの約2週間あった。
通常、個展は1週間
つまり6日間だけだけど
その倍の長さを毎日、銀座に通うのは
ペース配分が大切だ。
こう見えて7月には入院手術をした身なので
元気そうに見えても
実は病み上がり。
途中で倒れるわけにはいかない。
そこで今回は連日、キャスト
つまり
お手伝いに友人や娘を動員することにした。
また、1週目2週目の火曜日から2泊3日
安いホテルもとって家に帰る時間をカットした。
それはいずれも大正解の決断だったと思う。
初日のキャストは次女。
今回はお盆明けのセッティングの日、
キャプションつくり、
初日と千秋楽とに手伝ってもらい
大活躍の大助かりだった。
一番大変だったのは最終日の後の
お買い上げ作品の梱包と配送手配だった。
ここは実家に泊り込んでの丸1日の作業で
当分、私は次女には頭が上がらない。
美術系の仕事の娘は
こういう時にこそ役に立つ。
私は2週間の会期の内、
初日くらいはと着物を着こみ、
いよいよ『銀座の女』の開幕である。
いつもいろいろ助けてくれる友人Aさんは
お願いした2日間のキャストの他に
「初日には主人と着物で伺うわ」というので
こちらも相応のお出迎えをしなければと
いうわけだ。
他にも遠くに住む親せきや
古くからの友人などが
みんな展覧会の雰囲気を壊さないようにとか
私らしいイメージのものをと
工夫を凝らして大きなお花のアレンジメントを
入れてくださった。
暑い夏に2週間持たせるのは無理かなと思いつつ
まずはきれいなうちに記念撮影をして
お礼メールに添付して送った。
そんなこんなはみんな
銀座のママがお客様のためにすることかなと
想像しながら
にわか「銀座の女」は忙しい初日を終えた。
実は8月17日から2週間
養清堂画廊のプレオープン記念展が行われ
同時開催で私の個展も行われたので
9月1日、初日に会場にいくと
すでに芳名帳には150名ほどのお名前が
書かれてあった。
主には養清堂に関係のある作家さんやお客さん
出版関係といった方々なので、
私の個人的な交友関係はさほどない方ばかり。
いつもならそういう中から作家で親しい方や
出版関係の方が、初日に見えるのだが
今回はそういう方はすでにいらしているので
本展の会期中は
まっこと私の友人知人ファンクラブ?という
方しかいないなと初日に悟った。
ゆえに
これは毎日、きれいにしていなければと
心して
初日の「銀座の女」は終了した。
その日の夜は次女とお寿司屋さんでご飯をし
築地近くのインバウンド用のホテルに
泊った。
一目散で帯を解き、
汗になった着物をベッドに広げ
狭い棺桶のような湯船にお湯をはり
中にうずくまって深く深呼吸をした。
早々にベッドに横になってからは
「また、明日から
どんなお客様が来てくださるのかしら」と
思いめぐらす間もなく
眠りに落ちた初日だった。