


2026年も10月に入った。
8月下旬から毎日毎日降り続いた雨も
10月3日に1ミリも降らなかったことにより
その最長記録は37日で終止符を打った。
私は今年、5月に入ってから
実は木版画の制作から遠のいている。
この5か月間には
紫陽花展があり、個展もあったので、
心と体は版画に対して砕いてきたけど
実際に彫刻刀を持って版木を彫ったり、
バレンで版を摺ったりすることはしていない。
それには訳がある。
一応、個展という大きなイベントをもって
『雨のシリーズ』には区切りをつけて
今までの制作とは違うことをしてみたいと
思っているからだ。
『雨のシリーズ』はコロナ禍から始まった。
雨を私なりに表現するにあたり
自然に紫陽花や蓮の花がモチーフに登場し
単にそれらの花が好きとか
綺麗というのではなく、
その花にもっとものを言わせてきた。
哲学とまではいかないが
生活信条であり
生き方であり、ものの考え方である。
その作品を通して
観る方が何かを感じ取って
誰かにエールを贈ったり
元気になってもらえたらいいなという思いで
これまで作品を創ってきた。
個展の時に大勢の方の意見や感想を聴き
また、画廊のオーナーやお客様の意見を聴き
自分の中に落とし込んで
思うところもあった。
そして何より、
この夏、自分の心臓が時折止まっていることを
知らされ、
緊急手術でペースメーカーを入れたという
経験で学んだことも大きい。
自分は何かものを創り
自分のいなくなった後にも残せる仕事を
している。
であるなら、何を残すべきなのか。
毎日降り続けた雨、
次から次へとやってくる台風と
その大雨による災害、
地球温暖化のような異常気象もそうだし、
世界規模の政情不安や
AIの発達による利便性と懸念点など
目まぐるしく変わるこの世界。
その現代に生きている者として
次世代に何を遺せるか
同世代の共感を呼ぶものは何か。
忘れかけているものに
何か警鐘を鳴らしたり、
気づきを促せないかなど、
ここ数週間、考えてみた。
個展が終わって
「お疲れ~」と
ぼーっとしていたわけではない。
それでも9月いっぱいは
おとなしくしていようと決めて
頭の中であれこれ構想を練っていた。
そして、10月。
長い長い雨も
ようやく降り止む気配になったので
私も『雨のシリーズ』から
すこし動き出すことにした。
カウンセリングに行く道すがら
坂から見下ろす形で植えてある柿の木に
まだ青いけどたわわに柿の実がなっている。
いよいよ秋がすぐそこまで来ている。
日本の美しさは四季があることだと
思っていたけど
昨今は夏が異様に長くて
春と秋が短くなり、四季ではなく
二季になってしまったと言われている。
秋といえば、毎年、
10月1日に判で押したように咲いて
坂道にその香りが立ち上ってくる金木犀も
今年は9月半ばに咲いたかと思ったら
雨ですぐに散ってしまった。
自分が日本人に生まれたことは
海外転勤を経験した昔から意識していたが
最近、日本に居ながらにして
日本人であることや日本に生まれたことに
思いを馳せることが多くなった。
それは「日本に生まれてよかった」と
思うからではなく
「もっと日本はいい国だったのに」と
思うことが多いからだ。
今、
何となくそのあたりをキーワードにして
新しいシリーズを創りたい気持ちでいる。
坂道を下りながら見つけた柿の木。
実が赤く熟すにつれ
葉っぱは黄色くなって散っていく。
秋が深まる頃には
葉はみんな落ちて細い枝に重たげに実だけが
たわわになるのだろうか。
ふだん気にもしなかったことに気付き
柿の木ひとつに季節の到来を感じた。
もし、気を失って倒れた時に
心臓が止まってしまったら
今年の柿は食べられなかったわけで、
そんな複雑な心境も相まって
「秋のはじまり」がいとおしい10月である。
私は割とサバサバした性格で
ものごとをそのまま受け入れるクチなので、
「あの時、もしかして」と
クヨクヨしている場合じゃない。
ミヒャエルを相棒に
手始めに新シリーズとして
「柿の木」の作品を創ることにした。
もう少ししたらスーパーにも柿が並ぶ。
横浜の路地裏にもあちこちに柿の実がなって
秋の気配が深まるだろう。
「あ~、日本人に生まれてよかった!!」
そう思いながら
柿をお腹いっぱい食べることにしよう。
東劇でシネマ歌舞伎を観た後
先日、個展を終えたばかりの
養清堂画廊に立ち寄ってみた。
前日に画廊からはカタログが届いていたので
ちょっとご挨拶がてらに
今週いっぱいまでやっている『柳澤紀子展』を
観たかったからだ。
銀座は久しぶりの晴天で
空が高く澄み切ったブルーだったせいもあり
行き交う人々の表情も晴れやかだった。
個展の時は1週間に2泊3日ずつ
計4泊6日
東銀座にホテルをとって泊りがけだったので
この東銀座から銀座への道は
何度も往復した。
9月初めは、毎日、曇天か小雨だったので
スーツケースをガラガラ引っ張りながら
傘を差して移動した日もあった。
こうして同じ道に陽が差して
歌舞伎座が輝いているのを見ると
個展はつい先日のことなのに
なんだかずいぶん前の出来事のように感じた。
映画を観終えて2時半ごろ
銀座5丁目の画廊に着いて
まず7階の企画展示のギャラリーに上がった。
柳澤紀子さんは藝大の大先輩だけど
面識はほとんどない。
ただ勝手に好きな作家さんなので
展覧会の時は観に行くようにしている。
さすがに80代半ばは過ぎていると思うので、
作品の大きさは小ぶりになっているけど
その洒脱でセンスのいい画面は健在だった。
作品は銅版の黒い線と色面の組み合わせで
人物や動物が描かれている。
絵肌から反戦や現代社会の闇に対する抗議など
重たいテーマが垣間見える。
それも垣間見えるのであって
あからさまな表現でないところがいい。
誰も鑑賞者がいないギャラリーで
ひとり作品を観ていると
6階から階段を上がってきて
画廊オーナーのAさんが顔をのぞかせた。
私も7階を見終えたら
6階にいくつもりだったけど、
監視カメラに映った私を見て
上がってきてくれたようだ。
お互いに個展の時のお礼をし、
自然に個展の時のお客様の反応や
作家たちの感想などの話になった。
私は40数年前から養清堂で個展をしているが
こんな風にオーナーさんと気軽に
後日談を話したことがなかった。
今まで私の作品は
養清堂の取り扱い作家の中では
半ば、忘れられた存在だったので、
展覧会の開催中はともかく
ふだんからふらりと立ち寄るような
関係性を築けていなかったからだ。
しかし、今回の個展は養清堂画廊の
”こけら落とし”であり、
その前段のプレオープンの企画展にも
参加させてもらったお陰で
だいぶその距離が縮まった気がしている。
そこでAさんから嬉しい報告があった。
個展終了時には
画廊買い取り作品が4点あったのだが
そのうちの2点が早くも売れたという。
「希望」と「ひなたぼっこ」の2点だ。
サイズは中ぐらい。
6階の売り場のケースに入れてから
まだ2週間しか経っていないのに、
とても早い動きがあって
画廊側も驚いたらしい。
また、インスタにアップした
カタログに載せてもらった作品
『花開く朝』の視聴が2万件を超えたとも。
その場でスマホを開いて
そのページを見せてくれた。
この作品を2万人の人が観たと思うと
ほんとに凄いことだなと思う。
こうした話をいろいろ伺うと、
何だか自分の作品が
銀座に残って活動を開始したような気分だった。
オーナーは、そのほとんどが外国の人だという
画廊のお客様の動向や、
趣味嗜好に関する話もしてくれたので
とても参考になった。
作家は受注生産をしているわけではないけど
やはり売り物である以上
買い手の思いや考えを汲む必要は感じている。
蓮のモチーフが
「日本にしかないものを海外の方は求めている」
という思いと計らずも合致し、
自分が考えている「日本人としての誇り」
みたいなものとシンクロした。
私の「雨のシリーズ」が
コロナ禍の心の雨に端を発して
ここまできたけど、
新たなシリーズの何かきっかけになるといいな、
そんな風に思えた。
絵描きとしては何もしていないような時でも
常に何かにアンテナを張り、
次を見据えて模索しているのが作家だ。
「画廊にちょい寄り」みたいなところから
何かが見つかることもある。
今後は何もなくても
銀ブラしてみようかなと思った。
東銀座の東劇に
月イチシネマ歌舞伎
『ふるあめに袖はぬらさじ』を観に行った。
月イチ歌舞伎は以前歌舞伎座でかかった公演を
映画版に起こしたもので
上演期間が1週間しかない。
東劇はその本拠地なので多少延長されるとあるが
それもたった数日なので
一昨日の夜中にあわててチケットを取った。
『ふるあめに袖はぬらさじ』は
平成19年12月に舞台にかかったものとあるけど
私はその時の舞台は観ていない。
今から20年近く前の歌舞伎界は
本当に豪華な顔ぶれで
なかでも玉三郎と先代の勘三郎は
異彩を放っている。
物語は当初、有吉佐和子の手になる脚本で
昭和47年文学座公演で杉村春子が主役のお園を
演じていた。
杉村春子の当たり役お園を玉三郎が受け継ぎ、
以後、繰り返し上演されてきたらしい。
このシネマ歌舞伎になった舞台は
平成19年(2007年)のもので
歌舞伎として初上演され
玉三郎の渾身の演技が大評判になった。
それは
予告編で観ていた時の予想をはるかに超え、
約3時間の長尺の映画の全編にわたり
玉三郎の熱演が続き、
その軽妙洒脱さに圧倒された。
時は幕末、開港まもない横浜の遊郭で
ひとりの遊女が自らの命を絶った。
折からの尊王攘夷の嵐の中、
その死は脚色され「攘夷女郎」の伝説が
広まっていく。
配役は
芸者お園 玉三郎
通訳藤吉 中村獅童
遊女亀遊 中村七之助
唐人イリウス 坂東彌十郎
岩亀楼主人 中村勘三郎
その他にも
中村芝翫 坂東三津五郎 尾上松也
市川笑也 市川男女蔵 中村勘九郎 市川猿也
など、今を時めく当時の若手と
すでに鬼籍に入られた名優がゾロゾロと
出演している。
舞台は遊郭の部屋ばかりで
病に伏せった亀遊が寝ている部屋と
お客様を迎えるお座敷だけなので
その場に出てくる役者の長い長いセリフが
とにかく延々と続く。
橋田寿賀子の脚本が長いと有名で
『渡る世間は鬼ばかり』の俳優陣が嘆くけど
この舞台の長台詞はその比ではない。
遊女亀遊こと七之助は
か細い色白のはかない女性。
後に自害するぐらいだから
自分の身の上を諦めの境地で捉えている。
通訳藤吉(獅童)は
横浜の女郎屋で外人客の通訳として
お座敷に出ているけど、
志は高く、ここで稼いだお金で
アメリカに渡って医学の勉強をしようとしている。
玉三郎演じる年増の芸者お園は
元吉原にいて流れ流れて今は横浜にいる。
三味線弾きなので客をとることはしない。
粋でいなせな芸者である。
外人イリウス役が彌十郎
宿の主人が亡くなった勘三郎で
その掛け合いの面白いこと。
彌十郎は最近でこそHNKに引っ張りだこだが
歌舞伎役者としてもユーモアのある役から
強面の役までこなす懐の深い役者だ。
ここではその大柄を活かして外人客の役で
「唐人口」と呼ばれた外人相手の女郎に
ろくなのがいないと怒って
ひと目見て気に入った亀遊を大金はたいて
身請けするという話になる。
それを聴いた亀遊が
そんなことになるぐらいならと自害してしまう。
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は
降る雨とアメリカがかかっている。
自害から3年後、5年後と舞台は変わるが
どんどん玉三郎演じるお園は
したたかになっていく。
まるで浪曲師のように弁舌鮮やかに
立て板に水の名調子で
うそと偽りを織り交ぜながらも
悲しい最後を迎えた亀遊の顛末を語るその姿は
本当に観るものをくぎ付けにした。
映画なのに拍手喝采がおき、
3時間の間に何度声をあげて笑ったことか。
豪華俳優陣の顔ぶれも懐かしいし、
いい時代だったなと思うけど、
何と言っても玉三郎の芸達者ぶりに
恐れ入ったのが今日一番の印象である。
あっぱれ 玉三郎!!
よっ 日本一!!
玉三郎と同じ時代を生きて
こんな凄い芸を観られることを
幸せだなと思った。
とても久しぶりに
「熱狂の夜 第三章」
第4夜:カルテット
のコンサートに行ってきた。
この「熱狂の夜」のシリーズは今回で3回目。
1回目は4年前 2回目は2年前
つまり、1年おきに行われている。
3回目の今年は6月が初回で、
毎月1回、6回続きで11月までの開催予定だ。
しかし、私には今年いろいろなことが起こり、
4夜目の昨晩、
初めて会場で聴くことが出来た。
1夜目は腹痛で会場まで行っておきながら断念し
2夜目は緊急手術で入院中、
3夜目は個展の前日で夜公演だったので諦めた。
手術し退院してから丸2か月。
9月の前半にあった銀座の個展も
毎日、会場に通って乗り切ることが出来た。
なので、多少帰りの時間など危惧したけど
今回こそはと夜のコンサートに
出かけた次第である。
いつも石田様コンサートで一緒の友人は
昨日は別の用事があったので
私達は会場の席で待ち合わせることにした。
4夜目にして初めて座った席は
今までこんな席になったことがないほど
後ろの方の席だった。
毎回、とてもいい席が割り振られ
いつも石田様のご尊顔を間近に仰ぎながら
コンサートを楽しんできたのに、
今回は舞台ははるか彼方だ。
6回続きのこのチケットは
1回、この席と割り振られると
全編同じ席になるので
今回みたいに後ろの方になると
あと2回も同じ席なので、ちと辛い。
(私の強運もこれまでか…)
ミューザ川崎コンサートホールは
まるでイタリアのコロッセオみたいな
すり鉢状の造りで
2000名ほどの人数が収容できる。
舞台をすり鉢の底と考えると
周囲をぐるりと椅子が取り囲み
大きくいって3段になっている。
いざ演奏が始まってみると
音は演奏家から発してすり鉢をつたい
天井に届くとまた降り注いでくる感じ。
音響効果としては優秀とされている所以は
この会場のすり鉢状の設計にあるのだろう。
私たちの席は2階の5列目、中央寄りだったので
今回は石田様のご尊顔は諦めて
4人の引きの全体画像を楽しむことにした。
カルテットの名前は
YAMATO String Quartet
メンバーは
ヴァイオリン 石田泰尚
ヴァイオリン 執行恒宏
ヴィオラ 榎戸崇浩
チェロ 阪田宏彰
この4人で弦楽四重奏団を結成し
今年で32年になるという。
曲目
ラヴェル: 弦楽四重奏曲 へ長調
伊福部昭: ゴジラ
ピアソラ: 悪魔のロマンス
ピアソラ: 天使の復活
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 8番
キング・クリムゾン:
21世紀のスキッツォイド・マン
クラシックとピアソラのタンゴや
ロックなどを織り交ぜ、
近藤和明氏の編曲によるゴジラなどで
このカルテットの独自色を
色濃く打ち出している。
このカルテットの音色で私が好きなのは
美しいメロディや穏やかな曲調より
弦楽器の重低音が会場に地響きのごとく
響き渡るような曲だ。
それはクラシックの弦楽四重奏曲というより
ゴジラであり、キング・クリムゾンなので、
むしろ、アンコール曲などの方が
「きたきたきた~」という感じだ。
4台の弦楽器がこぞって低い音域を弾くと
まるで自分が襟首をつかまれ
引きずられているような感覚になる。
それは音楽にひたる心地よさではなく
音楽に翻弄される快感とでも呼ぶような
ちょっとスリリングで背徳的な感覚だ。
私にとって、夕べは
夜のコンサートホールに出かけること自体が
久しぶり過ぎて
その空間に没入するのに時間がかかった。
しかし、気づけば、すり鉢の底から
這い上がってきた弦の音に取り込まれ
すり鉢の底に引っ張り込まれていた。
アンコール曲が終わると
万雷の拍手と共に
最前列の人を中心にした
スタンディングオベーションの波が出来た。
私自身は
奥の方にいたので席を立ちはしなかったけど
石田様の熱烈なファンは
確実に増えているなと実感した。
「熱狂の夜」はあと2回ある。
10月は石田組、最後は神奈フィルとの演奏だ。
こうして激動の2026年も
あっという間に過ぎていくだろう。
あらためて
ひとつひとつの出来事を噛みしめ
大切にし
エンジョイしなければと思った。
2026年の9月場所
大相撲の幕内は、推しの『大の里』が優勝した。
今場所、私は3日目に
例の『友風』応援団の一員として
両国の国技館に出向き、観戦することができた。
友風の親代わりのようなA夫妻は
もちろん『友風』推しで
その日は70人近くの川崎の応援団が
国技館西側の椅子席から声援を送った。
私も同じく友風タオルを打ち振って
『友風』を応援したが、
その日の『友風』はあっけなく負けを喫した。
一方、横綱の『大の里』は
このところの不調を振り切るように
初日から少しずつ調子を上げ
3日目は人気力士の『琴栄峰』相手に
横綱相撲を見せ、勝ち星を挙げた。
相撲の一場所15日間は案外長い。
特に推しの力士がいる場合、
毎日毎日、ハラハラドキドキしながら
勝負の行方を観るのは気が気じゃない。
案の定、推しの『大の里』も
尻上がりに調子を上げ1敗を守って
2つ星の差をつけていたのに、
13日目14日目と2日連続で星を落とし、
嫌な空気のまま千秋楽に
もつれ込んだ。
千秋楽の相手は
昨日、11勝3敗で並んでしまった『安青錦』だ。
追いつかれた者と追いついた者の心理で言えば、
やはり追いついた者の方が勢いがあるので、
そのままの勢いでいけばいいと思うだろう。
追いつかれた『大の里』は
「また、悪い癖が出やしないだろうか」
「弱気の虫が出やしないだろうか」
「慌てて雑な相撲になりはしないか」
と、外野の心配は尽きなかったが、
当人も同じように不安がよぎったに違いない。
横綱は孤独である。
もうひとりの横綱豊昇龍は休場しているので
今場所も『大の里』がひとり横綱である。
横綱には「カド番」みたいな制度はないから
怪我をしたら休場するのか
恥をさらしても15日出るのか
引退かみたいに
トップに立つ者の責務がのしかかる。
きっとその重圧に押しつぶされそうになる
15日間だったと思う。
それは分かるが
でもやはりそろそろ優勝してほしい。
1年ぶりに賜杯を抱いてほしい。
そんな祈るような気持ちで今日はテレビに
かじりついていたのだが、
遂にその時は来た。
15日目の千秋楽、
「この一番で本日の打ち止め~」の行司の声。
65歳で本日をもって退職する立行司の声が
館内に響いた。
テレビに大写しになった「大の里」の顔。
昨日より、落ち着いているように見えた。
館内の声援が一瞬収まり、静まり返った。
『安青錦』との一戦は
圧倒的な強さを見せつけ『大の里』が勝った。
決まり手は「押し出し」
これぞ『大の里』というような相撲で
解説の琴風さんも
「今日の相撲が今場所で一番いい」と太鼓判。
取り終えた『大の里』の頬が少し緩んで
ホッとした表情を見せた。
優勝の授賞式では
「君が代」が流れたとたんに
『大の里』の目から大粒の涙がこぼれた。
大きな体の横綱が手で涙をぬぐう姿は
まだやはり25~26の若者なんだなと思わせた。
これで私も初場所に行くのが
楽しみになった。
一方の『友風』は
今場所あまり成績が良くなかった。
しかし、それでも十両には残れるそうな。
まだ11月には九州場所があるが、
推しのふたりには初場所までいい位置で
がんばって欲しいところだ。
「推し」と言えば
今場所、とりわけいいなと思ったのが
『藤ノ川』
小兵ながらその負けん気の強さは小気味いい。
その素早い身のこなしと
恐れを知らない突進力は
今、最も注目すべき力士だと思うので
併せて今後の楽しみにしたいと思う。
まずは『大の里』
優勝おめでとう!!
心臓のペースメーカーを埋め込む手術から
早2か月と10日経った。
7月23日に退院した後、すぐに区役所で手続し
ちょうど2か月で
身体障害者1級の認可がおり
交付されることになった。
身体障害者1級とは一番重い障害の人に
交付される手帳で
横浜市の各種福祉サービスが受けられる。
とても多岐にわたるので
今日はダンナと共に区役所に出向き
説明を聴き、いくつか手続きを行った。
まずは
カード型の障害者手帳を発行してもらった。
そのカードを提示することで
いろいろな福祉サービスを受けられるのだが、
1級2級の人と3級4級の人では
内容に差がある。
最初に分厚い冊子を見せてもらい
それぞれの級がどのような内容の
サービスを受けられるか一覧表をみたが
介護系のサービスは
自分には全く必要がないにも関わらず
心臓疾患だということで
一番重い1級が獲れていることが判った。
表によると視覚障害の方で一番重い人
つまり全盲だと1級だけど、
聴覚障害は2級からしかない。
音声・言語障害では3級と4級しかない。
肢体不自由には1級から6級まであるということは
1級の方は寝たきり全面介護の必要な方だろう。
細かい説明を2時間にわたって聴いて
自分が得られる特典として
一番有り難いのが
今後の医療費が無料になることと、
タクシーが1割引き+
タクシー券(1枚500円分)が年間84枚
支給されることだということが判った。
それも3級4級の人とは違うので
3年後の見直し時には3級か4級になりそうなので
ここ3年間限定の恩恵である。
その他、税金面、水道料金、高速道路代などでも
いくらか減免されるようだ。
説明の最後に
「赤い障害者用の札はいりますか」と
尋ねられたので
「電車に乗る時とかに必要かもしれないので
いただいておきます」と答えた。
この札は電車に乗ると
よくぶら下げている人がいるので、
障害者手帳をもらった人は
外出時に必ずつけるものかと思っていたけど
そういうことでもないらしい。
ゴミ出しでさえ携帯するようにいわれた
ペースメーカー手帳に比べて
個人の考えを尊重する類のもののようだ。
ペースメーカーを入れて
2か月と10日。
私の健康状態は日に日に回復し
9月には2週間にも及ぶ個展を乗り切った。
昨日は版画協会の審査と総会があり、
何人もの個展を観てくださった方々に
お礼のあいさつをすることが出来た。
何人かの作家仲間から
「あれだけの仕事量、すごいね」とか
「100歳ペースで続けられるんじゃない」等
制作の大変さを驚かれたり
ねぎらわれたりした。
いずれも
ペースメーカーのことは知らない方達ばかり
なので、きっと元気いっぱい
エネルギーいっぱいに見えるのだろう。
当人としては
同年齢の人よりは元気だという自負はあるけど
そのままの気持ちで突っ走っていいものか。
友人Aさんの「とにかく無理は禁物よ」という
声が聞こえてくるようである。
話は変わるが
今、朝日新聞のコラムで
「患者を生きる」
~小脳梗塞になった記者~
という記事がある。
48歳で会社で倒れ「左小脳梗塞」と診断され
歩くことも書くことも
考えることさえままならずに
ひどい吐き気や頭痛、麻痺などに苦しむ様子が
毎日、掲載されている。
現役バリバリの48歳、
海外駐在含め、
現場の最前線で活躍していた記者を襲った
突然の病魔。
その何もかも出来なくなった自分を
どう受け入れるのか。
仕事に復帰したいと焦ってはみても
手も足も思うようには動かないし
少し考え事をしようとすると
吐き気と頭痛に襲われ倒れてしまう。
リハビリの先生には
「病識が甘い」と指摘されたというのが
今日の記事だった。
「病識」とは
自分の病気についての認識のこと
記者は自分の身に降りかかった病を
きちんと受け止めておらず
無理な願望を抱いて無茶をしていると
度々指摘されたというのだ。
そして、その記者Oさんは時間をかけて
ものの考え方や捉え方を変え、
歩くことが難しくなり
パソコンも使えなくなる自分を
これもある種の「老い」であると
受け入れることにした。
そこでようやく
「最近、病識が深まってきましたね」と
リハビリの先生から言われたという。
さて、心臓ペースメーカーを埋め込み
身体障害者1級が獲れちゃった私は
どんな病識をもてばいいのか。
以前のパワーを10だとしたら
今はいくつぐらいか。
手術をしたからといって
何かが出来なくなったとか
食べ物を制限されたとかは
特段何もない。
しいて言えば
3か月間は左手を高く上げたり引っ張ったり
重いものを持ちあげないでねというぐらい。
今後、ゴルフやテニスはスイング時に
リードが外れる事故が怖いので
辞めておくよう言われている。
(元々、今はどちらもしていない)
現在は
カーブスの上半身の運動はどうするか
ぐらいが懸念案件だ。
他の障害者1級の条件と比べ
あまりにも何でも出来過ぎて
あまりにも病識のない私。
「調子にのって何でもできると思うなよ」
くらいが今の私にかける言葉だ。