2026年8月14日金曜日

新しいパスポート Get!

 








2022年の4月にコロナ禍にまぎれて
いつの間にか失効していたパスポートを
再び申請して取ることにした。

すでに友人は行く気満々で、12月のクルーズに
ふたりの名前で申し込んでいたので
早く私もパスポートを取得しなければならない。

7月末、退院してまだ1週間だったけど
横浜のパスポートセンターに出向いた。
あの日からちょうど2週間、
予定通りの日にパスポートは出来あがってきた。

申し込んだ日はパスポートセンターが開く
9時前を狙って整理券をもらったので
人はまばらだったけど、
引き換えに行った今日は
10時頃だったので
申し込む人と引き換える人で混雑していた。

お盆休みの今から取得するのだから
秋に海外旅行の予定なのか
出張とかか、もしくは海外転勤かなどど
センターを行き交う人を眺めながら想像した。

目の前をバギーに赤ちゃんを乗せた
若い女性が通り過ぎた。
私もあんな風に小さな娘を連れて
夫の海外転勤に帯同したことが思い出された。
40年も前の話だ。

あれからパスポートに何回スタンプを押して
異国の地と日本を行き来したことか。

当時、子ども達は母親に帰属していて
私のパスポートの写真は
一緒に4歳と1歳のふたりの娘も写っていた。

あの頃はふたりの娘達はもちろんのこと、
大きなトランクもふたつ持って
香港とシンガポール時代、
一時帰国の度に飛行機に乗っていたのだから
本当に『母は強し』である。

今日から臨月という日に、ひとりで
香港から飛行機で帰国したこともある。
あの日は東京に台風が来ていて
飛行機が何度もエアポケットに落ち、
その度に長女がお腹の中で暴れた。

そんな危ない橋も渡ったことがある。

今回、取得したパスポートは
今後10年で何回使うことになるだろう。
今はあまりに円が安いし、
旅費の値上がりがひどいので
以前のように
毎年というわけにはいかないだろう。

それでもこのパスポートがあれば
行こうと思えば海外に行けるんだと思うと
テンションが上がる。

横浜のパスポートセンターは
海に面した山下公園の脇にある。
新しいパスポートをバッグにいれ、
海岸縁に出てみた。

ここには時折大きな旅客船が停泊している。
今日はそうした豪華客船はいなかったけれど
潮の香りがかすかにして
堤防に波が静かに打ち付けていた。

羽田空港はみなとみらいの向こう、
成田空港はその右手奥だろうか。

今回のクルーズはまず羽田から沖縄に飛んで
そこから豪華客船に乗船する。
そのタイミングでパスポートが必要だ。

今日はまだ昨日までのゲリラ豪雨の影響で
雲行きが怪しいけど、
明日からは晴天が戻って猛暑日になるらしい。

人は暑けりゃ暑いで文句を言い
ゲリラ豪雨に見舞われれば見舞われたで
そちらも大変だ。

海縁のベンチで
くるくる変わる夏の空を眺めながら
どんな天気もどんな日も
1日1日、エンジョイしなければと思った。








2026年8月13日木曜日

個展会場のセッティング

 









昨日と今日で
いよいよ始まる個展会場のセッティングをした。

台風がおかしなルートでやってきて
いつゲリラ雷雨が起こるか分からない天気なので
搬入時にそれに当たらないよう
急遽、昨日の朝、作品に雨対策を施した。

家にあるプチプチを総動員して
額の箱の上からくるみ、
横殴りの雨にも耐えられるようにした。

昨日の夕方、
いつもの業者さんに取りに来てもらい
作品だけではなくウーロン茶のカートンなども
車に積み込んで、
今日の11時から画廊に搬入できるよう
私も電車で銀座に向かった。

搬入とセッティングはかなりの力仕事なので
次女にも声をかけ
助けてもらうことにした。
お盆休みだったので大助かりだ。

更に次女にはだいぶ前から
作品のタイトルが書かれたキャプション制作も
お願いしてあったので
それも持ってきてもらうことになっていた。

持つべきものはデザイナーの娘である。

心配していたゲリラ豪雨は
運よく一度も当たらず、
昨日、家から出す時も、
今日、画廊に搬入した時も
すんなりいけたのはラッキーだった。
何年も『晴れ女』を自称してきたので
実証出来て何よりだ。

業者さんも
「今朝、高速に乗っていた時は大雨だった」とか
「画廊を出たら雷が鳴って大雨が降ってきた」と
言っていたので
あながちホラではない。

新装なった養清堂画廊は
以前の真四角いスペースとはだいぶ違って
かぎ型をしている。

そこに初回の展示として作品を飾らせてもらう。
画廊のオーナーさんも
初めての出来事にウキウキするというが
勿論、私も嬉しさがこみ上げてくる。

画廊の建築は更地にするところからだったので
工期もだいぶ遅延したし
その間にものの値段も爆上がりした。
建築資材で思うように手に入らなかったものや
施工業者さんとのトラブルもあったらしいから
私たちが想像する以上に大変だったと思う。

丸2年半の歳月をかけ完成した養清堂ビル。
ここ数週間で
引っ越し荷物を仮事務所から運びこみ
更に積み上げた段ボール箱を整理し
5階を個展会場として使えるようにするのに
数名のスタッフとオーナーさんで
どれだけ労力がいったことか。

それを思うと尚のこと
真新しい会場の”こけら落とし”として
いの一番で作品を展示できるのは
本当に光栄なことだ。

運び込んだ作品は大小25点。
古くは2022年の作品が3点。
2023年でかなり画風が変わり
今の画風になってからのものが22点。

後ろに下がってもよく見える位置に
メインの大きな作品を置き、
会場の奥の壁にも人気のある作品を1点。

エレベーターから降りてすぐの壁にはこれ、
次に目立つ壁のここにはこれなどと
オーナーと次女と私の意見をすり合わせながら
バランスのいい配置を決めていった。

天井高が普通のビルより高いので
通常の個展会場より
やや高めに飾ることになった。

いつも思うことだが
あれこれ場所を変えたり戻したり
試行錯誤の末に
飾る位置が決まると
作品は落ち着いて見える。

それぞれが響き合い
相乗効果をもたらしながら
会場全体でひとつの作品としての空気感が
生れる。

オーナーはこの飾りつけという仕事が
好きだという。
「だれより早く全体像を観ることが出来るし
画廊という器を得て
作品たちが輝きだすことを感じるから」だと。

作品の中央値は床から142㎝の高さ
キャプションは作品の右下
額縁のヘリに合わせること
ライティングの色は「穏やか」など
画廊が決めたルールもある。

それに合わせて
25点の位置が決まると
「萩原季満野展」の準備万端だ。

サブタイトルは
~待ちわびた日々~

来週17日(月)からはプレオープンが始まり
9月1日(火)からはいよいよ本番だ。

あと2週間とちょっと。
体調を整えつつ、
本当の意味で待ちわびることにする。


















2026年8月10日月曜日

孫2号6歳の誕生会

 













週末、孫2号の6歳の誕生会が行われた。
実際の誕生日からは2週間後なので
入院騒ぎでお待たせした形だ。

毎年、孫1号孫2号と
この時期に続けて誕生会があり、
本人はとても楽しみにしているけど
周囲はなかなかに大変だ。

昨今はお友達を家に呼んで誕生会というのは
ほとんど見かけない。
誕生会もピアノの発表会もお葬式も
家族だけでコンパクトに行うのが通例だ。

時代の空気なのか
緊縮財政なのか
他人を巻き込むのがめんどくさいのか
よく分からないがそういう風潮だ。

我が家の孫たちの誕生会もしかり。
会の進行手順もルーティン化している。

母親の妹、つまり次女は
前ノリして料理当番。
トトは予約したケーキをお店に取りに行く係。
ママは采配をふりつつ、テーブルセッティング。
ジジババはプレゼントを手に
後から到着。

今回からは孫たちもそれぞれ自転車に乗り
トトにくっついて最終買い出しに。
要は家の中に子どもがいると
わちゃわちゃするので厄介払い。

私たちが車で到着したと同時に
お外組が帰宅し
「わ~、オーママだ」と声がかかった。
振り返ると孫2号もヘルメットをかぶり
ひとりで自転車に乗っていたのでビックリ。

『どんくさい孫2号』と決めつけていたけど
成長している。

誕生会はお料理が出来あがったら
まずは乾杯してお食事だ。
「ゆい、6歳おめでとう」
「ヨーコも誕生日おめでとう」
「オーママ、退院おめでとう」
おめでとうの3段重ねだ。

それぞれの人生が一歩ずつ進んでいるな
人生いろいろあるなと実感する。

とりあえず、また一堂に会し
乾杯できたことは喜ばしいことだ。

ひとしきり次女の料理の腕前を堪能したら
次はプレゼント開封。
私は今年は自宅にいなかったので、
取り急ぎ求めたもので許してほしい。

その点、次女は次女同志、
ゆいの気持ちがわかるので
いい加減に扱われがちな次女の
気に入りそうな知育玩具をいくつか準備。

その想いはしっかり届いて
豪華なスライムやウノの計算バージョン
マス目に形をはめて競うゲームなど
いずれもすっかりハマったようだった。

孫たちも遊ぶ相手は次女と決めているようで
孫1号孫2号次女の3人で
新しいゲームに取り組んでいる。

去年までは
孫2号は自分でできないと
「やって、やって」と周囲を頼っていたけど
今年は孫1号がすばやくクリアしても
ヒステリーを起こさず
「負けた~」と言いながらも
攻略しようと一生懸命取り組んでいる。

その空間認知能力の発達には目を見張る。
テトリスのようなパズルなのだが
解くコツをつかみだすと
いい感じに正答できるようになるので
脳みその回路がしっかり動いていると感じた。

こちらは脳が…とか、心臓が…とか
あちこちガタが来ているけど
こうして若い命の輝きを観るのは
誕生会の歓びだろう。

孫2号はもうひとつ、満6歳になって
解禁されたことがある。
それは「チョコレート」を食べること。

2番目の子どもは最初の子どもに禁じたことでも
なあなあになりがちだ。
しかし、長女の教育方針で
チョコレートを食べていいのは
6歳になってからと決められていて、
孫2号はそれをちゃんと守ったことになる。

6歳の誕生日にはチョコまみれの
ホールケーキを注文し
ネームプレートの板チョコも全部食べると
決めていたようで
大人が心配するほどの勢いで喰いついた。

暑さで溶けたチョコレートが
口の周りにも手にもベタベタついたけど
目を細めて満面の笑みなのが微笑ましい。

案外、孫2号は自己主張が強いタイプで
ひたすら引っ込み思案なのかと思っていたけど
ちゃんと約束やルールを守ることも出来る。

そんな確認ができるのが
定例の誕生会をするいいところか。

あと7か月、春になったら1年生。
季節は廻り
子どもは成長し、大人は歳をとる。

今年も悲喜こもごもの確認をして
孫2号の6歳の誕生会は無事に終わった。






2026年8月9日日曜日

銀座の下見

 











退院してから、初めて銀座まで出かけてみた。

1番の目的は
養清堂のプレオープン記念展に出品する作品を
搬入すること。
2番目の目的は
ギャルリー志門に『文学と版画展』の
DMを取りに行きつつ、ご挨拶。
3番目の目的は
個展の際に予約したホテルの位置を
確認すること。
4番目の目的は
東劇で上映されているシネマ歌舞伎
『四ツ谷怪談』の映画鑑賞。

あさイチから額縁1点を持って
東銀座界隈を歩き回った。

映画が11時から13時だったので
その前に東銀座に予約したホテルへ。
個展の1週目に2泊3日で取ったホテルと
2週目に2泊3日で取ったホテル。
どちらも東銀座の駅から5分ほど。

生れて初めて
「トリバゴ、便利よ~」
「トリバゴ、やったら~」
「トリバゴ、やらなきゃ~」
のCMにのせられるがままに、やってみた。

いざ当日になって迷子になるのは嫌なので
場所だけでも分かっていれば安心だ。

あらかじめ地図はラフに紙に描いて
持って出たせいもあり、
どちらも難なく見つけることができた。

いわゆる海外からの観光客向けの
小さな安いホテルだ。
築地あたりを目当てに来る観光客だろう。
もしかしたら日本人は私だけかもしれない。

しかし、ホテルの格は全く度外視して
個展会場からの立地と価格だけで選んだ。
付近の目印になりそうな風景を写メして
暗くなっていても分かるように備えた。

今、東銀座では
歌舞伎座で『牡丹燈籠』
新橋演舞場で『もののけ姫』
東劇で『四ツ谷怪談』
をやっている。

8月はどこもかしこも納涼大会。
お化けやもののけなど
この世のものではないものが出没中だ。

私は『四ツ谷怪談』を観て
ちょっと涼しくなってから、
銀座並木通りを目指した。

先にギャルリー志門に挨拶に行き、
ギャラリーオーナーと
ひとしきりペースメーカーの話で盛り上った。

今年の『文学と版画展』の会期は
9月第2週なので
個展と丸被りしている。

それはお客様にとってはいいかもしれないが
両方の出品者の私としては
いろいろ画廊にご迷惑をかけることにもなる。
そんなあたりのお願いである。

そして、最後に新しい個展会場を訪ねた。
まだ、揮発系の匂いのする白い空間。
以前の養清堂のスペースとは
だいぶ趣が異なる。

やはりエレベーターホールや非常階段、
バリアフリー仕様の大きなトイレなど
建築基準法で守らなければならないものが
あるせいで
展示スペースが少し狭くなったことは否めない。

養清堂の方の女性オーナーも
引っ越しの渦中でワタワタしながらも
遂にオープンする日が迫ってきて
興奮が隠せない様子だ。

運び込まれた引っ越し荷物が
床にあるせいで
まだ、雑然とした感じではあるけど
それが整理されれば新装なった養清堂の
真新しいスペースはとても心地よさそうだ。

これから芳名帳の台はここ、
お茶スペースはここと定めて
家具も揃えなければならないという。
やらなければならないことだらけで
忙しい日々とはいえ、
そうした作業も楽しいに違いない。

13日にはプレオープンに合わせて、
私の今回の全作品を搬入し、
個展会場を設営飾りつけする段取りだ。

そのピカピカの壁に
1番バッターで飾れる歓びを噛みしめ、
あわや遺作展になるところを
命からがら舞い戻った幸運に感謝し、
粛々と個展準備を進めようと思う。





















2026年8月5日水曜日

個展の作品勢揃い

 



今週は個展に出品する作品を倉庫から出して
最終チェックし、
いつでも搬入できるように準備した。

点数としては25点。

前回の個展では28点出品したが
今回の養清堂の会場は
新しくはなったけど少し壁面の大きさが狭いので
点数も抑えめにした。

7月8月に
最後にとても小さい作品を創ろうかとも考えたが
思いもかけず入院手術騒ぎになったので
25点のままである。

作家の性格にもよるが、
会期の始まるギリギリまで制作する人は多い。
しかし、私はせっかちなので
あまり追い込まれて制作すると
ろくなことにはならないと分かっているので
早め早めに制作することにしている。

それが今回のような事態になった時、
後悔することがなかったので
一番よかったことかもしれない。

実際の搬入とセッティングの日は
8月13日だけど、
搬入業者さんは12日の夕方には取りに来る。
13日の11時、私と次女、
そして搬入業者さんは現地で落ち合い、
作品を会場に運び入れる手はずだ。

実際の個展の会期は9月1日からだが
画廊のプレオープンは8月17日からで
そこで画廊の記念展と同時開催で
私の個展も始まるため、
そこに合わせてすべての作品を搬入する。

個展はまだまだ先の話のように思っていたが
プレオープンの展示にも飾るとなると
もうすぐそこまで来ていることになる。

いざ、倉庫(家の中の額収納庫)から
25点を引きずり出し
点検したところ、
完璧に揃っているはずなのに
1点足りない。

一瞬焦り、記憶をたどると
2年前のグループ展でお買い上げいただいた
作品のことを失念していたことが判明した。

こういうことが起こるから
早め早めの準備が欠かせない。

今日はその作品に新しいマットをつけるべく
世界堂まで行ってきた。
新しい額でなくて本当によかった。

マットなら待っている間に出来あがるけど
額だと1週間以上かかる。
ましてお盆休みは工場がお休みなので
とてもヤバイことになっていた。

同じ大きさの額は他の作品が入っていたが
家にあったもので転用が効く。

さあ、25点の大小さまざまな大きさの作品。
それに、手で搬入することになっている1点。
そして『文学と版画展』に出品する1点。

混乱しないように畳のアトリエに並べ立てた。

6年前、同じように
今から搬入という状態で額を並べ、
来週から個展というタイミングで
コロナが蔓延し
緊急で自宅待機になった記憶が蘇った。

当時、小池百合子都知事が
「Stay Home」「三密」などと
キャッチフレーズを次々発表し、
銀座にひとっ子ひとりいない情景が
ニュースに流れた。

そんな時に個展なんかしても
どなたにも来ていただけない。

安倍晋三さんが緊急で配布した
「アベノマスク」は何の役にもたたないと
嘲笑の的。

あの時の2020年4月の個展は
画廊のオーナーの判断で丸1年延期され
2021年4月に開催された。

2020年にアトリエに並べた作品群に
『個展中止』という張り紙をつけ
写真に撮って
ブログにアップしたことを思い出す。

案内状はとっくに配布済みで
出来る限りの人に電話して
中止になったことを伝えたあの日。

個展の前には嵐がくる。
そんなジンクスを今回も踏襲しながらも
何とか会期が迫ってきた。

私のバディ『ミヒャエル』は
段々、我が身になじんできている。
昨日の術後検診では
血液検査も心電図もレントゲンもクリアした。

新人A医師からは
「もう外来に来なくても大丈夫」と
お墨付きをいただいた。

次にお目にかかるのは
銀座の個展会場かも。
存外、素直でいい青年医師だったので
見に来てくれるのではと期待しているところだ。

人生、何が起こるかわからない。
天災・病気・事故・出会い・別れ・運命…。
「光と影」が今回の個展のコンセプトだ。

転んでもただ起きない私の復活の日を
多くの方に見届けてほしいと願っている。



2026年7月31日金曜日

明日への扉 パスポート申請

 






心臓のペースメーカーを植え込む手術をして
丸2週間が経った。

ペースメーカーそのものは私の左胸に埋め込まれ
そこからリードという電線が2本、
心臓の周囲に這わせてある。

7月15日の手術から8日経った先週の木曜日に
退院してきたので
自宅にもどって更に8日間経ったことになる。

ペースメーカー植え込みの手術で怖いのは
術後の感染症だということは聴いていたし、
入院中知り合ったペースメーカーの大先輩は
退院後1週間ぐらいで
傷口が熱を持ち腫れあがって
結局、再手術になったという話を伺ったので
何としてもそれだけは阻止せねばと
この1週間はおとなしく静養に努めていた。

幸い、私の傷口は順調に回復し
今は痛みも熱もなく
暴れ出す気配はない。

今はそこで慢心してはいけないと諫めながら
少しずつ日常生活を取り戻しつつある。
なにしろ、障害者手帳の申請や保険の申請、
カーブスの休会届など
7月の月内に行わないと不利になることも多く
ここ数日はそんな用事で出歩いていた。

後ろに倒してもらったカウンセリングも
再開し、
個展準備の案内状のあて名書きも
まずは名簿作りの段階が大変なので
取りかかっているところだ。

そんな中、
今日は日本大通り駅のそばにある
パスポートセンターに
パスポートの申請に行ってきた。

何しろ、切れて久しいパスポートを
再び取得して12月に旅行に行こうと
計画していた矢先に
この手術騒ぎになってしまった。

まずはパスポート用の証明写真を撮って
戸籍謄本も取り、
必要な書類を集めようとした日に
県立病院の先生からの電話で
急遽、入院と手術が決まった。

勿論、もし心臓が突然止まってしまっては
旅行どころの話ではないのだが、
バッグにはパスポート用証明写真と
戸籍謄本が入ったままの入院だったのである。

退院して1週間、
何とか感染症の危険な時期は
脱したかなと思えたので、
ダンナがゴルフに行くと言った日を狙って
パスポート申請を決行することにした。

ダンナがゴルフに出かける日は
6時半には家を出るので、
私が早起きして出かけても分からない。

パスポートセンターの話によると
朝8時50分には整理券を配るので
一番待ち時間がなくスムーズだとのこと。

7月から申請料が大幅に値下がりしたことで
連日、パスポートセンターは大盛況、
長蛇の列だというので
なるべく時間をかけずに済ませたい。

そのためには8時40分くらいには
パスポートセンターに到着しなければ。
そう考え、実行した。

朝はまだ比較的涼しく
電車も思ったほど混んでいなかったので
ラッシュにもまれることもなく、
とてもすんなり申請を済ませることが出来た。

『パスポート』
何という前向きな響き。

コロナ禍以降、
飛行機運賃もサーチャージが高く
旅費そのものも以前の2倍、
しかも円安のご時世で
海外旅行には興味がなくなっていた。

しかし、友人のたっての願いで
クルーズ船で旅行することが決まり、
ほんの少しだけど台湾に寄るコースのため
パスポートが必要になった。

重い腰を上げ、
失効していたパスポートを
もう一度取ることになったという訳だ。

パスポートの有効期間は10年。
心臓のペースメーカーの寿命も約10年。

もちろんどちらも更新すれば
継続可能なものである。

しかし、どこかで突然、
心臓が止まっていたかもしれないと思うと、
こうして『ミヒャエル』をバディに
少なくともあと10年命拾いしたことになる。

2週間後、新しいパスポートが発行されれば
それが私の新たな扉を開くだろう。

もともと何事にも
クヨクヨしたり落ち込むタイプではないが
それでも
パースメーカーやパスポートは
私の人生の頼もしい助っ人だと思える。

さあ、新しいパスポートを手に
航海に出よう。
オーッ!!