今年も10月9日(金)の夜に
鎌倉の鎌倉宮で開催された
『薪能』に行ってきた。
これでこの薪能は個人的には4回目の鑑賞だ。
しかし、その歴史は長く
第1回は1959年(昭和34年)だというから
今回で『第68回』となる。
薪能の起源は更に遡り
奈良の興福寺や春日大社が発祥の地で
今日のような能を主体とした形式は
室町時代に出来あがったとされている。
鎌倉で始まった当時の位置づけは
「鎌倉らしい芸能を残す」とされているけど
4回鑑賞して思うことは
これは芸能ではなく『神事』であり、
一般市民が観て楽しくて
理解できるようなものではないということだ。
(私の知的レベルが低いのかもしれないが)
時は夕暮れ前の午後4時半、
鎌倉駅にお茶のお社中のメンバーで
集合した時には
まだ爽やかで温かな陽気だった。
袷の着物を帯付きで出歩くのに
ちょうどいい季節、
しかし、鎌倉宮は奥まっているので
寒くなることを見越して
手には毛のショールを持って行った。
例年通り、駅前でタクシーを待っていても
なかなか空車がこないので
今回はバスを利用し
会場に到着した5時半ごろには
刻々と日暮れて
空の青がコバルトブルーに変化した。
会場は砂利を敷き詰めた境内に
座面の硬いパイプ椅子が無造作に並んでいる。
700名ほどの収容人数だそうだが
ほぼ100%の入り具合だ。
着物で来ている方もけっこうな数いて
「薪能」の会場らしい空気を作りだしている。
しかし、今年はとりわけ
年齢層が高く、
私たちの前の列にもその前の列にも
体格のいいおじいさんが何人かいて
舞台があまりよく見えない。
しかも、鎌倉宮は夜になると
冷え込むと分かっているせいか
始まる前から薄手のダウンコートを着たり
厚手のジャケットを着たり
帽子をかぶったりする人が多いので
ますます着ぶくれて
後ろの人は舞台が見えないことになる。
演目の流れは毎年決まっている。
神事開始の太鼓に始まり、
僧兵による法螺貝の音による開始の合図。
火入れ式と続く。
山の奥から現れた僧兵や神職・巫女と
受け継がれた松明が
正副奉行の手で灯されると
いよいよ能舞台の始まりだ。
その頃には夜のとばりが降りて
山は凛とした空気に包まれる。
くべられた灯がたちまち燃え上がり
白い煙が立ち上がり
時折、火の粉がパチパチとはぜて舞う。
能舞台は四隅に細い竹の木が立てられ
細い綱が張ってあるだけの簡素なもの。
「能」は、事前に
金春流のシテ方山井綱雄氏による
能のお約束事や物語のあらすじなどの
説明がなければ
凡人には容易には理解できない
「象徴」の世界だ。
ただその張り詰めた空気
幽玄でおごそかな雰囲気
鼓の音
厳粛で悠長な所作など
全体の『能の世界』を楽しむのが
『薪能』である。
<今回の演目>
金春流 素謡 『翁』
和泉流 狂言 『清水』
金春流 能 『黒塚』
はっきり言って分かったのは
狂言『清水』だけ。
すっかり青年になった
太郎冠者の野村裕基君だけが
「だいぶうまくなったわね」と
おばさま達の理解を得たというところ。
あとは『翁』のシテは
天下泰平と五穀豊穣を祈る謡を
吟じていると分かっていても
その内容は
英語よりフランス語より理解に苦しむ。
能『黒塚』は
山奥に棲む鬼女が
なぜ鬼になってしまったのか
日本人と西洋人では『鬼』に対する考え方が
違うことなど
あらかじめ仕入れた知識を元に
面の違い、所作の意味などを観ていたが、
残念なことに前列のおじいさん達が邪魔で
あまりよく見えなかったというのが
現実だ。
最後、鬼に変貌し荒れ狂う鬼女に対し
阿闍梨祐慶と従者が
ずっと怒りを収めようと数珠を繰り続け
夜の静寂(しじま)に
じょりじょりじょりじょりと
鳴り続けていたのがとても印象的だ。
わけ合って鬼女になってしまった者を
こらしめるのではなく
祈りで諫めるのが日本の考え方だそうな。
「深い」といえば「深い」けど
「よくわからん」というのが本当のところだ。
それにつけても
これに12,000円のチケット代はいかがなものか。
「幽玄の世界」はこれで4回、十分味わった。
いきなり4,000円の値上げには
私も鬼女になりそうな気分だった。
来年もまた来るかどうかは
お財布と相談して
冷静に決めようと思う。












































