2026年10月14日水曜日

10月は『彫り』月間

 









木版画は1点仕上げるのに時間がかかる。
とても小さな作品なら
原画作成から彫り・摺りと進めて
1週間で出来なくもないが、
1辺が1m近い作品になると数か月を要する。

私がよく手掛ける大きさは
額縁でいうと「大衣」サイズで
作品の絵のサイズが45×30㎝くらいの作品か、
もうひとつ大きい「大全紙」の額に入れる
イメージサイズ60×45㎝くらいのもの。

今回は
5か月版画を創っていない期間があったので
まずは「大衣」サイズのものから
創り始めることにした。

そのくらいの大きさが
内容的に言いたいことが言えるし
摺りの時に摺りやすい大きさということもある。

版画作品は2点同時に
原画を立ち上げることが多い。
別に「対」の作品ではなくても
共通のコンセプトで2枚創ることで
少し角度を変えた見方で
しっかりイメージを定着させることが出来るから。

今回も「柿」を使った作品を2点同時に
原画作成し、トレぺ原画にした。
そして、2点同時に版木に転写する。

2点同時に版木転写することで
編み物でいうところの「ゲージ」を
整えることが出来る。
日をまたぐことがあったとしても
体の感覚を途切れさせることは禁物だ。

例えば、葉っぱの形や実のデザインに
共通性をもたせたり、
細部の表現を均一化することで
同じモチーフを視点を変えて捉えていることを
表現できる。

「版木転写」が終わると
「彫り」の作業と「摺り」の作業になる。

今回は版木2枚(両面彫り」の1,5枚を使って
2点分の版をトレースし終えた。
面の数でいうと3面だ。
(版木1枚は60×45㎝の大きさ)
(厚さは6ミリ)

つまりひとつの作品につき、
1面半の版木を使ったことになる。

個展でもよく同じ質問を受けた。
「いったい何版くらいあるんですか」と
訊かれたが
「だいたい8~10版、多いと12版くらい」と
答えると版数の多さに驚かれる。

しかし、実際には
「この大きさの作品は1面半に納める」
と決めている。
つまり、2点の作品は3面以内に取り切るので
2点で版木は1枚半しか使わない。
意外と少ないのだ。

浮世絵のように版木を作品の大きさにしてしまうと
8枚の版数には8枚
10枚の版数にには10枚の版木が必要になる。
桜や柘植など硬い版木は
合板と違って元の木の太さや幅があり
制約があるから仕方ないが…。

私が中くらいの作品2点分の彫りを終えるには
約1ヵ月かかる。
他にも仕事や遊びに使う時間があるからだ。

版画制作で画室に籠る日と
外に出る日。
ひとりで作業する日と、人と会う日。
そのバランスが自分にはとても大切だと
思っている。

なので、「作品2点分の彫り」を
今月のミッションと決めると
机に下敷き代わりに置いてある
大きな月替わりのカレンダーの余白に
「作品2点分の彫り」
と書き込む。

月初には何日かかるか分からないし、
長時間、彫り台に座れる日もあるが、
ほんの1~2時間しか彫れない日もある。
全く、版画の仕事をしない日も多い。

それでも、「月間」の予定を書くことで
その月の目標が決まり
月半ばでどのくらいの進捗状況かが見える。

せっかちな自分は
月半ばで予定より進んでいれば
単純に安心するし、
未達になりそうな時は
休みの日でも時間を捻出する。

そして、
日数を余して予定をクリアしても
前倒しに次の「摺り」を突っ込んだりせず
余裕をもって摺りのイメージを膨らませる。

きっと11月のミッションは
「2点分の摺り」になるだろう。

今のところ「彫り」作業は月末を待たずに
2点分出来上がると思うけど、
久しぶりに版画制作に戻ってきた自分に
何かご褒美か癒しを与え、
10月の『彫り師キミノ』の労をねぎらう
つもりだ。

気持ちのままに無茶をすると
腰や首の凝り
目のしょぼつき
腱鞘炎など
こじらせてからでは、かえってメンテナンスに
お金と時間がかかるので
何事もほどほどで切り上げることが肝要だ。

さてさて、本日の彫りのご褒美は
時期の時に買って冷凍しておいた
「あげぼののあんず大福」を
解凍していただくことにする。

ちょうど自然解凍ができるまで
もうひと踏ん張り
彫り師キミノは彫り台に向かいます!!























2026年10月10日土曜日

鎌倉薪能 2026

 









今年も10月9日(金)の夜に
鎌倉の鎌倉宮で開催された
『薪能』に行ってきた。

これでこの薪能は個人的には4回目の鑑賞だ。
しかし、その歴史は長く
第1回は1959年(昭和34年)だというから
今回で『第68回』となる。

薪能の起源は更に遡り
奈良の興福寺や春日大社が発祥の地で
今日のような能を主体とした形式は
室町時代に出来あがったとされている。

鎌倉で始まった当時の位置づけは
「鎌倉らしい芸能を残す」とされているけど
4回鑑賞して思うことは
これは芸能ではなく『神事』であり、
一般市民が観て楽しくて
理解できるようなものではないということだ。
(私の知的レベルが低いのかもしれないが)

時は夕暮れ前の午後4時半、
鎌倉駅にお茶のお社中のメンバーで
集合した時には
まだ爽やかで温かな陽気だった。

袷の着物を帯付きで出歩くのに
ちょうどいい季節、
しかし、鎌倉宮は奥まっているので
寒くなることを見越して
手には毛のショールを持って行った。

例年通り、駅前でタクシーを待っていても
なかなか空車がこないので
今回はバスを利用し
会場に到着した5時半ごろには
刻々と日暮れて
空の青がコバルトブルーに変化した。

会場は砂利を敷き詰めた境内に
座面の硬いパイプ椅子が無造作に並んでいる。
700名ほどの収容人数だそうだが
ほぼ100%の入り具合だ。

着物で来ている方もけっこうな数いて
「薪能」の会場らしい空気を作りだしている。

しかし、今年はとりわけ
年齢層が高く、
私たちの前の列にもその前の列にも
体格のいいおじいさんが何人かいて
舞台があまりよく見えない。

しかも、鎌倉宮は夜になると
冷え込むと分かっているせいか
始まる前から薄手のダウンコートを着たり
厚手のジャケットを着たり
帽子をかぶったりする人が多いので
ますます着ぶくれて
後ろの人は舞台が見えないことになる。

演目の流れは毎年決まっている。

神事開始の太鼓に始まり、
僧兵による法螺貝の音による開始の合図。
火入れ式と続く。

山の奥から現れた僧兵や神職・巫女と
受け継がれた松明が
正副奉行の手で灯されると
いよいよ能舞台の始まりだ。

その頃には夜のとばりが降りて
山は凛とした空気に包まれる。
くべられた灯がたちまち燃え上がり
白い煙が立ち上がり
時折、火の粉がパチパチとはぜて舞う。

能舞台は四隅に細い竹の木が立てられ
細い綱が張ってあるだけの簡素なもの。

「能」は、事前に
金春流のシテ方山井綱雄氏による
能のお約束事や物語のあらすじなどの
説明がなければ
凡人には容易には理解できない
「象徴」の世界だ。

ただその張り詰めた空気
幽玄でおごそかな雰囲気
鼓の音
厳粛で悠長な所作など
全体の『能の世界』を楽しむのが
『薪能』である。

<今回の演目>
金春流 素謡 『翁』
和泉流 狂言 『清水』
金春流 能 『黒塚』

はっきり言って分かったのは
狂言『清水』だけ。

すっかり青年になった
太郎冠者の野村裕基君だけが
「だいぶうまくなったわね」と
おばさま達の理解を得たというところ。

あとは『翁』のシテは
天下泰平と五穀豊穣を祈る謡を
吟じていると分かっていても
その内容は
英語よりフランス語より理解に苦しむ。

能『黒塚』は
山奥に棲む鬼女が
なぜ鬼になってしまったのか
日本人と西洋人では『鬼』に対する考え方が
違うことなど
あらかじめ仕入れた知識を元に
面の違い、所作の意味などを観ていたが、
残念なことに前列のおじいさん達が邪魔で
あまりよく見えなかったというのが
現実だ。

最後、鬼に変貌し荒れ狂う鬼女に対し
阿闍梨祐慶と従者が
ずっと怒りを収めようと数珠を繰り続け
夜の静寂(しじま)に
じょりじょりじょりじょりと
鳴り続けていたのがとても印象的だ。

わけ合って鬼女になってしまった者を
こらしめるのではなく
祈りで諫めるのが日本の考え方だそうな。

「深い」といえば「深い」けど
「よくわからん」というのが本当のところだ。

それにつけても
これに12,000円のチケット代はいかがなものか。
「幽玄の世界」はこれで4回、十分味わった。
いきなり4,000円の値上げには
私も鬼女になりそうな気分だった。

来年もまた来るかどうかは
お財布と相談して
冷静に決めようと思う。
















2026年10月6日火曜日

船旅ミーティング その1

 










今年の12月初旬、
私とパティシエ学校の講師仲間の友人Tさんで
人生初の大型客船の旅に出る。

クルーズ船の旅にハマっている友人Aさんに
言わせると
MSCベリッシマはカジュアル船なので
フォーマルドレスのドレスコードが
あるわけでもないし、
お客さんに家族連れも多いので
さほど優雅という訳にはいかないと
聴かされている。

しかし、
とにかく私達にとっては初めての船旅だし、
ベースの申込金は払ってしまったので、
そこからどんな風な旅にするのか
イメージつくりは大切ということで
まずはミーティングをすることになった。

場所は船旅にふさわしく
みなとみらいの『果実園リーベル』にセットし、
朝10時半からモーニングセットの
フルーツサンドと飲み物飲み放題をチョイス。

窓際の席からはみなとみらいの有名なオブジェが
目の前に見えるし
眼下の向こうには港の帆船の端っこも
見えている。

かねてよりTさんが用意してくれた
MSCベリッシマのパンフレットを片手に
今日はオプションで何を選択するかが
主な議題だ。

この旅はまず飛行機で羽田から沖縄まで行き
その日の夕方に船に乗船し、
夜7時に出航する。
(帰りも沖縄からは飛行機で羽田に帰る)

沖縄に何時に着く便かはまだ不明なので
決められないけど
時間に余裕があるなら
復元してから
公開間もない首里城に行きたいというのが
私たちの希望だ。

船が出航してからまず寄港するのが
石垣島、次の日は台湾
3日目は宮古島なのだが
それぞれにいくつかオプションのコースが
用意されている。

当初、「きっとオプションのコースは高いので
個人でタクシーを使って
オリジナルコースを回ってもらおう」
といった案も出ていたが
いろいろ調べてみると
案外、個人行動はリスクがありそうだという
ことが判った。

結局は旅行会社の目論見通りに
いくつかの案の中から適宜選んで
申し込むことになり
当初、お安いのではと思っていた旅費も
結構な額になりそうな気配だ。

なにしろベリッシマはイタリア船籍なので
こうしたコースもドル建てで提示され
目下の円安状況では
なかなか厳しいのが現実だ。

それでも久しぶりにパスポートも取ったし
石垣島や宮古島にまた来るとも思えないので
悔いのないよう
盛りだくさんのコースを選ぶことにした。

毎回思うが、
旅行に行くのは
こうした準備段階のミーティングや
旅に馳せる想いをおしゃべりすることも
楽しみのひとつなので
お互いの意見をすり合わせつつ
イメージを膨らませていく時間を
大いに満喫した。

私たちが学校で会う時には、
そんなプライベートな会話は
他の講師の手前もあって
ほとんどできないので
尚更、少し秘密めいたこの時間が
楽しいものに感じられた。

第1回のミーティングは
それぞれ行きたいコースを忌憚なく話し
コース内容やお値段などのバランス、
今までの自分の体験などを交え、
ぶつかり合うことなく
それぞれの寄港地でのコースが決まった。

後は飛行機が何時に沖縄に着くのか
そこから首里城に行く余裕はあるのかを
見極める必要がある。
それは飛行機のチケットが取れてからに
なるので
第2回のミーティングはまたその時にという
ことになった。

女同士、趣味趣向が似た者同士なので
着るものや持ち物の話も盛り上がる。
細かい部分は季節が進むと
イメージしやすいので
まだ、当日までにいろいろ
打合せをすることになるだろう。

そのあたりが友達同士で
旅行に行くメリットのひとつだと思うので、
おしゃれ度数の似ている人を選ぶのは
とても大切なポイントだ。

着るものなんて何でもいいという人と
一緒に行くと
がっかりするのがオチだからだ。

時は10月
9月いっぱいで個展のことに区切りをつけ
新作に着手し
私の中のフェーズが変わった。

季節もちょうど急に秋めいて
涼しくなってきたので
今週は衣類の『衣替え』もしつつ
気持ちも衣替えしようと思う。

るんるん♬

















2026年10月3日土曜日

木版新作始動

 











2026年も10月に入った。
8月下旬から毎日毎日降り続いた雨も
10月3日に1ミリも降らなかったことにより
その最長記録は37日で終止符を打った。

私は今年、5月に入ってから
実は木版画の制作から遠のいている。

この5か月間には
紫陽花展があり、個展もあったので、
心と体は版画に対して砕いてきたけど
実際に彫刻刀を持って版木を彫ったり、
バレンで版を摺ったりすることはしていない。

それには訳がある。
一応、個展という大きなイベントをもって
『雨のシリーズ』には区切りをつけて
今までの制作とは違うことをしてみたいと
思っているからだ。

『雨のシリーズ』はコロナ禍から始まった。
雨を私なりに表現するにあたり
自然に紫陽花や蓮の花がモチーフに登場し
単にそれらの花が好きとか
綺麗というのではなく、
その花にもっとものを言わせてきた。

哲学とまではいかないが
生活信条であり
生き方であり、ものの考え方である。
その作品を通して
観る方が何かを感じ取って
誰かにエールを贈ったり
元気になってもらえたらいいなという思いで
これまで作品を創ってきた。

個展の時に大勢の方の意見や感想を聴き
また、画廊のオーナーやお客様の意見を聴き
自分の中に落とし込んで
思うところもあった。

そして何より、
この夏、自分の心臓が時折止まっていることを
知らされ、
緊急手術でペースメーカーを入れたという
経験で学んだことも大きい。

自分は何かものを創り
自分のいなくなった後にも残せる仕事を
している。

であるなら、何を残すべきなのか。

毎日降り続けた雨、
次から次へとやってくる台風と
その大雨による災害、
地球温暖化のような異常気象もそうだし、
世界規模の政情不安や
AIの発達による利便性と懸念点など
目まぐるしく変わるこの世界。

その現代に生きている者として
次世代に何を遺せるか
同世代の共感を呼ぶものは何か。

忘れかけているものに
何か警鐘を鳴らしたり、
気づきを促せないかなど、
ここ数週間、考えてみた。

個展が終わって
「お疲れ~」と
ぼーっとしていたわけではない。

それでも9月いっぱいは
おとなしくしていようと決めて
頭の中であれこれ構想を練っていた。

そして、10月。
長い長い雨も
ようやく降り止む気配になったので
私も『雨のシリーズ』から
すこし動き出すことにした。

カウンセリングに行く道すがら
坂から見下ろす形で植えてある柿の木に
まだ青いけどたわわに柿の実がなっている。
いよいよ秋がすぐそこまで来ている。

日本の美しさは四季があることだと
思っていたけど
昨今は夏が異様に長くて
春と秋が短くなり、四季ではなく
二季になってしまったと言われている。

秋といえば、毎年、
10月1日に判で押したように咲いて
坂道にその香りが立ち上ってくる金木犀も
今年は9月半ばに咲いたかと思ったら
雨ですぐに散ってしまった。

自分が日本人に生まれたことは
海外転勤を経験した昔から意識していたが
最近、日本に居ながらにして
日本人であることや日本に生まれたことに
思いを馳せることが多くなった。

それは「日本に生まれてよかった」と
思うからではなく
「もっと日本はいい国だったのに」と
思うことが多いからだ。

今、
何となくそのあたりをキーワードにして
新しいシリーズを創りたい気持ちでいる。

坂道を下りながら見つけた柿の木。
実が赤く熟すにつれ
葉っぱは黄色くなって散っていく。
秋が深まる頃には
葉はみんな落ちて細い枝に重たげに実だけが
たわわになるのだろうか。

ふだん気にもしなかったことに気付き
柿の木ひとつに季節の到来を感じた。

もし、気を失って倒れた時に
心臓が止まってしまったら
今年の柿は食べられなかったわけで、
そんな複雑な心境も相まって
「秋のはじまり」がいとおしい10月である。

私は割とサバサバした性格で
ものごとをそのまま受け入れるクチなので、
「あの時、もしかして」と
クヨクヨしている場合じゃない。

ミヒャエルを相棒に
手始めに新シリーズとして
「柿の木」の作品を創ることにした。

もう少ししたらスーパーにも柿が並ぶ。
横浜の路地裏にもあちこちに柿の実がなって
秋の気配が深まるだろう。
「あ~、日本人に生まれてよかった!!」
そう思いながら
柿をお腹いっぱい食べることにしよう。





















2026年10月2日金曜日

画廊にちょい寄り

 








東劇でシネマ歌舞伎を観た後
先日、個展を終えたばかりの
養清堂画廊に立ち寄ってみた。

前日に画廊からはカタログが届いていたので
ちょっとご挨拶がてらに
今週いっぱいまでやっている『柳澤紀子展』を
観たかったからだ。

銀座は久しぶりの晴天で
空が高く澄み切ったブルーだったせいもあり
行き交う人々の表情も晴れやかだった。

個展の時は1週間に2泊3日ずつ
計4泊6日
東銀座にホテルをとって泊りがけだったので
この東銀座から銀座への道は
何度も往復した。

9月初めは、毎日、曇天か小雨だったので
スーツケースをガラガラ引っ張りながら
傘を差して移動した日もあった。

こうして同じ道に陽が差して
歌舞伎座が輝いているのを見ると
個展はつい先日のことなのに
なんだかずいぶん前の出来事のように感じた。

映画を観終えて2時半ごろ
銀座5丁目の画廊に着いて
まず7階の企画展示のギャラリーに上がった。

柳澤紀子さんは藝大の大先輩だけど
面識はほとんどない。
ただ勝手に好きな作家さんなので
展覧会の時は観に行くようにしている。

さすがに80代半ばは過ぎていると思うので、
作品の大きさは小ぶりになっているけど
その洒脱でセンスのいい画面は健在だった。

作品は銅版の黒い線と色面の組み合わせで
人物や動物が描かれている。
絵肌から反戦や現代社会の闇に対する抗議など
重たいテーマが垣間見える。

それも垣間見えるのであって
あからさまな表現でないところがいい。

誰も鑑賞者がいないギャラリーで
ひとり作品を観ていると
6階から階段を上がってきて
画廊オーナーのAさんが顔をのぞかせた。

私も7階を見終えたら
6階にいくつもりだったけど、
監視カメラに映った私を見て
上がってきてくれたようだ。

お互いに個展の時のお礼をし、
自然に個展の時のお客様の反応や
作家たちの感想などの話になった。

私は40数年前から養清堂で個展をしているが
こんな風にオーナーさんと気軽に
後日談を話したことがなかった。

今まで私の作品は
養清堂の取り扱い作家の中では
半ば、忘れられた存在だったので、
展覧会の開催中はともかく
ふだんからふらりと立ち寄るような
関係性を築けていなかったからだ。

しかし、今回の個展は養清堂画廊の
”こけら落とし”であり、
その前段のプレオープンの企画展にも
参加させてもらったお陰で
だいぶその距離が縮まった気がしている。

そこでAさんから嬉しい報告があった。
個展終了時には
画廊買い取り作品が4点あったのだが
そのうちの2点が早くも売れたという。

「希望」と「ひなたぼっこ」の2点だ。
サイズは中ぐらい。

6階の売り場のケースに入れてから
まだ2週間しか経っていないのに、
とても早い動きがあって
画廊側も驚いたらしい。

また、インスタにアップした
カタログに載せてもらった作品
『花開く朝』の視聴が2万件を超えたとも。

その場でスマホを開いて
そのページを見せてくれた。

この作品を2万人の人が観たと思うと
ほんとに凄いことだなと思う。

こうした話をいろいろ伺うと、
何だか自分の作品が
銀座に残って活動を開始したような気分だった。

オーナーは、そのほとんどが外国の人だという
画廊のお客様の動向や、
趣味嗜好に関する話もしてくれたので
とても参考になった。

作家は受注生産をしているわけではないけど
やはり売り物である以上
買い手の思いや考えを汲む必要は感じている。

蓮のモチーフが
「日本にしかないものを海外の方は求めている」
という思いと計らずも合致し、
自分が考えている「日本人としての誇り」
みたいなものとシンクロした。

私の「雨のシリーズ」が
コロナ禍の心の雨に端を発して
ここまできたけど、
新たなシリーズの何かきっかけになるといいな、
そんな風に思えた。

絵描きとしては何もしていないような時でも
常に何かにアンテナを張り、
次を見据えて模索しているのが作家だ。

「画廊にちょい寄り」みたいなところから
何かが見つかることもある。
今後は何もなくても
銀ブラしてみようかなと思った。