2014年3月28日金曜日

個展 無事終了

 
 
 
 
 
2014年2月22日から27日まで、銀座8丁目のギャラリーで行われていた個展が
無事、終了した。
 
春爛漫の晴天に連日恵まれて、
220~230名ほどの来場者をお迎えし、
懐かしい再会あり、驚きの出逢いありの6日間だった。
 
通常は油絵のしかも抽象絵画の展示が多いギャラリーだったせいで、
いつもの版画専門画廊とはたずねてくださる方の毛色が少し違い
版画家以外の作家さん達にも大勢観ていただけ
いろいろな感想を聞けたことは大きな収穫だった。
 
かれらはまず一様にオブジェ作品を評価してくださったので、
版画家の私としては、どこかおもしろ半分、どこかおっかなびっくりで出品していた
オブジェにすっかり自信をつけることが出来、
新たな方向を模索出来るかもしれないと思っているところだ。
 
今回は評論家・赤津侃氏の企画展としての個展だったわけだが、
今朝、先生にお礼の電話をさしあげると、開口一番
「大成功だったね!」といってくださったので、
とにかく今はホッと胸をなでおろしている。
 
途中5日目が終わった日にはカメラマンのH氏にギャラリーに来てもらって
オブジェの作品撮影も行われた。
オブジェは家の中にあっては単なる椅子や脚立なので、
作品として写真に残すにはギャラリーでセッティングされた状態で写すしかない。
 
オープニングパーティにも来てくださったH氏に会場での作品撮影を頼んでみたら
快く引き受けてくださり
オブジェと更に会場での私のプロフィール撮影が出来、
その点でも大満足な個展だった。
 
プロフィール撮影は
目下、私自身が花粉症で目は腫れているし、鼻水でそうだし
5日目の終わりでいい加減疲れていたと思うのだが
H氏にのせられて、オブジェの前で50~60枚は撮ってもらったので、
その内1~2枚は可愛く撮れているのではと期待しているところである。
 
いつもより作品のお嫁入りは少なく、その点はがっかりなのだが
考えてみれば、
来場のおひとりひとりが萩原の個展を観に行ってあげようと予定をたて
多くの方がお花やお菓子を吟味し求めてくださり
遠くから電車に乗ってたずねて来てくださっているのだから
それ以上多くを望んではいけないのかもしれない。
 
今日は記念撮影のため
ダイニングテーブルにいただいたものを並べると
乗りきらないほどたくさんのお花とスイーツがあるとわかり
自分はつくづく幸せな人生だと噛みしめた。
 
6日間に再会したり、初めてお目にかかった方をひとりずつ思い出しながら
しばし、今回の個展の余韻に浸り、作品整理などして
来たる消費税アップの数日後にはいつもの日常を取り戻せるだろう。
 
お疲れ様!
そして、ありがとう!
 
 

2014年3月23日日曜日

遂に個展スタート

 
 
 

 
3月22日、銀座8丁目のギャラリー風にて、
赤津侃企画による『萩原季満野展』が始まった。
 
すでに何回も国内外で個展はしてきているが、美術評論家の企画展という形で
個展が開かれるのは初めてのことなので、
どんなことになるのかと期待と少しの不安を抱えて初日を迎えた。
 
3連休中日、朝からピカピカの晴天。
空は雲ひとつなく晴れわたり、
見えているわけではないが花粉が大量に飛散しているのが鼻孔で分かる。
 
夕方のオープニングパーティの時に鼻づまりで風邪声みたいになってはまずいと
行きがけに薬局でノーズスプレーも買い求め、
強めの抗アレルギー薬も飲んだので、準備万端。
いざ、出陣。
 
とはいえ、休日の昼間、人の個展に行きましょうなんていう人はそうはいない。
案の定、いつもの月曜日始まりの個展に比べ、出足は遅く、
まあ、途切れない程度にポツリポツリお客様が見える程度だ。
 
長女も12時過ぎには会場入りし、初日は1日中コンパニオンガールを務めてくれる。
これが家にいたときには横柄な娘で、縦のものを横にもせず、
立ってるものは親でも使え系の娘だったのだが、
けっこうこまめに動き、気働きも見せ、
パーティ準備、即座の買い物、カメラマン、コンパニオン、お酌に料理のとりわけと
忙しく立ち働いてくれ、大助かり。
 
オープニングパーティ30分前ぐらいから
赤津先生や乾杯の音頭をお願いした版画家の大先輩・上野遒氏を始め
たくさんの方が集まってくださった。
 
パーティ用の大きなテーブルには友人が手作りして2時過ぎに届けてくれた
パーティ料理がずらりと並び、
まるでグループ展のオープニングパーティのような豪華さだ。
 
定刻5時を少しまわったあたりで赤津先生のご挨拶が始まり、
続いて私のお礼の言葉、上野先生の乾杯のご発声という段取りだ。
 
しかし、その少し前に突然、版画界の大重鎮吹田文明氏が会場に来てくださったので
急遽、吹田氏にもひと言ご挨拶をいただき、その後、乾杯!
会場にいらっしゃる方みんなが私のためにここにいてくださることに感謝・感激!!
 
結局、オープニングは事前の予想どおり、30名強の方が参加してくださり、
多すぎるかも心配したお料理もちょうどすっかりなくなるという絶妙さで
午後7時に無事、終了した。
 
さて、2日目の今日。
お天気は昨日より更にピッカピカ。
気温も相当上昇しそうな勢いだ。
 
日曜日はファミリアな日なので、どれだけお客様がいらっしゃるか心配だが
最後は我が家族が個展会場に揃うことになっているので、
今日も楽しみに出掛けようと思う。
 
いってきま~す!!
 
 


2014年3月21日金曜日

個展開催前夜

 
 
 
 
3月22日からの個展に向け、20日、搬入と飾り付けが行われた。
 
朝、8時にいつも搬出入をお願いしているおじさんが家に作品を取りに来てくれた。
作品数としては21だが、オブジェが3台あるのでかさが高い。
その後ろと床に敷くパネルやオープニングパーティ用の雑物が3袋ほどあり
なんやかやの大荷物だが、まとめてトラックに乗せてくれるので大助かりだ。
 
飾り付け自体は前の週の会期が20日の夕方5時に終わって、
その撤収作業が終わるのと入れ違いに行われるので、
関係者は5時半画廊集合になっていた。
 
前の展示グループは女性作家ばかり6~7名のグループで
全員が会場で取り外した大作をブルーシートに包んだり、紐でくくったりの作業に
追われていた。
 
なかなか計画通り5時半に作業開始とはいかなかったが、
彼女達の作品がほぼほぼ運び出されるのと入れ違いにこちらの作品も搬入し
6時ごろには何とか箱から出した作品をざっくり壁に並べて
レイアウトを検討するところまで来た。
 
美術評論家もレイアウトに参加し、画廊の女性オーナーも絵描きであることから
もちろん作者である私と3者の意見を出し合い、
個展会場全体を最も生かす作品レイアウトになるよう、
喧々諤々というほどではないが、お互いの意見交換をしながら場所が決められた。
 
それが決まると後は実際に壁にかける作業になるので評論家先生は退出。
バイトの美大生の女の子と画廊オーナー、私という女ばかりで
大工仕事が行われたのである。
 
結局、予想どおり2時間ではライティングまでは出来上がらず
8時半過ぎにほぼ作業が終了した。
 
これを当日の朝にやっていたら、やはり開始時間に食い込んでいただろうから
ごねて事前に飾り付けさせてもらい大正解である。
 
当日にしていたら、不測の事態や修正など、なにかトラブルがあっても
見切り発車にせざるを得ないし、
第一、作家の私も汚れ仕事対応の服装のまま
初日のお客様を迎えなければならないのは不本意だ。
 
しかし、そうした要望を理解してくれ、事前に飾り付けが出来たお陰で
飾り付けられた作品群はみごとに会場でそれぞれの場所を得て輝きを増し
ひとつの作品として成立しているので、これで私も一安心。
 
こうるさい画廊オーナーの女性も
いたく私の作品を気にいってくれた様子で、
自分の好きな作品を教えてくれ、「私も気に入っています」といえば
その作品達がいい場所にくるようレイアウトを提案したりしてくれた。
 
経論家は評論家で
「いや~、あなたの作品は絵画であり、版画であり、素晴らしいですよね。
これはきっと反響を呼びますよ」と
今更ながらに自主企画の個展であることに確信を深めた様子で
満足げな表情で帰っていった。
 
ひょうたんから駒のぶっつけ本番個展にしては
ひょっとしたらひょっとするかもという幻想を抱きつつ
飾り付けは無事終了し、家路についた。
 
さあ、明日はいよいよ開幕。
今日は今から美容室でヘアカットとヘアカラーだ。
いつもより派手にカールをつけて外巻きにブローしてもらおうかな。
 
花粉症で鼻づまりと鼻水、涙で目もぐしょぐしょだけど
気分だけはアゲアゲで初日を迎えなきゃ!


2014年3月16日日曜日

久しぶりの映画鑑賞

2月1日に降って湧いた個展の話があり、以来、本当に忙しい毎日だった。
しかし、ここまで来ると案内状の送付や手配りもほとんど終え、
出品予定の作品も倉庫からアトリエに引きずり出されており、
今日はなんとなくぽっかり時間が出来た。

そこで、最寄り駅の映画館に『ベン・ハー』を観にいった。
『午前十時の映画祭』の今年度最終の演目である。

『ベン・ハー』といえば、あの有名な超大作。
大昔、私がまだ高校生だった時、学校の社会科見学の一貫として
銀座までみんなで観に行った気がする。(気がするって??)

しかし、この4時間もの超大作のほとんどを寝ていたらしく、覚えているのは
チャールトン・ヘストンがむきむきの筋肉で奴隷船を漕いでいたことと
競技場で馬車のレースが行われ、相手のギザギザの車輪が
チャールトン・ヘストンの馬車にあたって火花を散らしていたことぐらいで、
いったいどんな内容なのか話の筋はまったくといっていいほど覚えいないと
いう情けなさだ。

それでも『ベン・ハー』が不朽の名作だということぐらいは知っていたので
この機会に大きなスクリーンで観てみようと思い立ったというわけだ。

さて、小さい会場とはいえ、なかなかに席は埋まっており、老いも若きも
バランスよく集まっている。
10時から始まり、終わるのが午後2時過ぎという長丁場なので、私も含めお昼
ご飯持参組も少なくない。(本当は映画館で買ったポップコーンではないが・・・)

映画は冒頭に『キリストの物語』とあり、時代はキリストの生誕から磔になるまでを
追っていて、チャールトン・ヘストン演じるドゥダが経験した奇跡を描いていると、
初めて知った。

人間の記憶なんて本当にいい加減なもので、派手で印象的なシーンの断片しか
記憶にはなく、肝心の映画の主題なんてどこへやら、センセーショナルなところ
しか残らないんだなと思った。(私だけかもしれないが・・・)

それにしても正に日曜の大河ドラマを半年分ぐらいまとめて観たような
『ザ・西洋の歴史もの』とでもいうこの映画、当時、日本人はどんな解釈をして
この映画を受け入れ、褒め称え、こぞって観たのだろう。

我が母校の教職員もきっと教育的効果が高いと考え、全校生徒に見せることにした
と思うのだが、キリスト教の信仰に対し、どんなスタンスだったのか
ちょっと知りたい気分だ。

そういえば一時期『ジーザス・クライスト・スーパースター』とか
『キリストの何とか・・・』みたいなイエス・キリストをあつかった映画や演劇が
集中的に上演されたことがあった気がするが、そのあたり、普通の映画と同じ
にはできないと思うんだけど、どうしていたのかしら・・・。

事実?史実?物語?・・・。

宗教というご法度感満載のこのテーマ、どう捉えたらいいのやら、
そんな感想を胸に抱きつつ、4時間座りっぱなしで板のようになったお尻を
さすりながら、会場を後にした。

外は急な気温上昇で、正に春到来。
花粉の飛来も目に見えるようだが、やっぱり温かいのは気持ちいい。
この調子で個展にもたくさんの方がご来場くださいますように。
そして、あれよあれよと絵が売れる。
なんて、『ベン・ハー』みたいに、奇跡が起きますように!!
ひとつ、よろしく~。

2014年3月7日金曜日

評論付き案内状

 
遂に待ちに待った個展の案内状が届いた。
 
今回は美術評論家の赤津侃氏の企画展という形なので、
案内状も赤津氏がデザイン依頼をしており、
私の作品画像の右横に氏の評論文が掲載されている。

こうした形式の個展は初めてなので、当然、案内状も自分の個展でありながら
はじめて目にする新鮮な驚きがあった。

まず、サイズがA4 1/3の大きさの大判(切手は80円)で
まさかの赤い帯にでかでかと私の名前がある。

今までの個展では作品が引き立つよう、文字は黒は濃いグレーで
全体に都会的というか、落ちついた感じに仕上げている。
サイズも葉書サイズしか使ってこなかった。

それが今回は評論文が入るから大判にしたということもあるが
まさか
名前の文字が赤(といっても私の好きな杏色であるが)になってくるとは
想定外だったので、
自分の名前がにぎにぎしく踊る案内状に
少なからず面食らったというのが正直なところだ。

しかし、肝心の評論文がどんな内容なのか読んでみると
『そうか、評論家という人は人の作品をここまで深読みして、難しい言葉と
言い回しを駆使して表現してくれるものなんだ』と
これまた別の意味で驚き、感心してしまった。

本屋さんで平積みになっている多くの本の中から、客の手に取らせるためには
目立つ帯や表紙のデザインが必要だろう。
そして、
手にとって中身を読むと何やら難しい言葉ながら、
1枚の絵から人生の深淵を覗くような解説がなされ、思わず引き込まれてしまう。

まあ、そんな感じか。

絵描きはそれほど言葉にして自分の作品のコンセプトを語りはしないが
というか、言葉にしようとすると難しいのだが
経論家は作者(私)が氏に話した平易な言葉から作家の真意をくみ取って
難解な言葉に要約するという、通常の要約とはあべこべの作業をして
作品に重みを与えてくれているのかもしれない。

ここまで専門家に自分の作品を評論してもらったことがないので
なんだか照れくさいが
ここ2日間、目を真っ赤にし、右の肩胛骨を腫らして
1枚1枚に宛名を書き、添え書きをいれ、記念切手を貼って
今日、450枚ほどをポストに投函した。

あとの250枚は手渡しや他の画廊においてもらうつもりだ。

さあ、どんな反応が返ってくるのやら。
とても楽しみだ。

初日まで2週間。
作品の最終チェックとともに、
自分自身の女磨きも心がけ、
あまたの久しぶりの再会に備えたいと思う。

2014年3月4日火曜日

記念切手に想いを込めて

 
 
3月22日からの個展に向け、だんだん大詰めの作業に突入してきた。
昨日は画廊に出向き、オーナーの女性と会って、搬入とセッティング
オープニングパーティの件について、詳しいことを決めてきた。
 
これで、木曜日に赤津氏の評論文付き、案内状が手元に届いたら
あとはセッセと宛名書きをして、ひと言ずつ添え書きし、
来週月曜の大安の日に投函しようと思っている。
 
注文されている案内状の枚数は1000枚。
その内、700枚が私の分で、残り150枚ずつを赤津氏とギャラリーが受け持ち
宣伝してくださることになった。
 
本当は赤津氏とギャラリーが200ずつで私は600枚の予定だったが
せっかく立派な文章を書いていただいたので、昔、展覧会に来てくださった方にも
自慢めかしく案内状を出したくなったので、
無理を聞いていただき、おふたりの分から融通してもらったのだ。
 
さて、今日は案内状が届くまでの間、案内状に貼る切手を買い求め、
準備をすることにした。
 
私の場合、個展の案内状の宛名書きはほとんど手書き、
宛名シールを使うのは同じ団体展のメンバーのみ。
更にひと言ずつ添え書きをし、サインをし、記念切手を貼ることにしている。
 
もちろん、『宛名名人』のソフトを使えば簡単だし、
添え書きなんてしなくてもインフォメーションとしては過不足ない。
また、まとめて別納にすれば切手を1枚ずつ貼る手間も省けることは分かっている。
 
しかし、いくつかの種類の記念切手を用意して、相手の顔を思い浮かべながら
お好みに合いそうな切手を貼り、
ひとこと「よろしくお願いいたします」と添えることで、
こちらの想いが届くのではと思い込んでいる。
 
私が受け取る多くの案内状にそのひと言があるか無しかで感じることを
相手にも求めている身勝手な思い込みだとは思うのだが
つい長年の習慣でそうしてしまう。
 
今回は折しも消費増税前の駆け込みで、80円で大型案内状が届けられる
最後のチャンスになった。
港南区の本局にはかなりのデザイン数の80円記念切手があったが
その中から『消防団120年』と『浮世絵シリーズ第2集』という和風の絵柄のものを
主な切手として選んだ。
 
他にもシールになっている『Disney Character』と『Winnie the Poor』と
『星座シリーズ第4集』も買ってみたが、
シールになっているから貼るのが簡単だし、絵柄は可愛いのだが
上記の2種類の美しさと格調高さには遠くおよばない。
 
『木版画作家としてはやっぱり浮世絵でしょ』とひとりで納得しながら
今日は1枚1枚粗相のないように切り離す作業をした。
 
計450枚。
郵送する分は大体このぐらいに納めて
あとは手渡しで配るつもりだ。
 
「お金のことはともかく、せめて案内状に込めた想いよ、届いておくれ」
そんな気持ちで、今週後半はシコシコ1枚ずつ宛名書きをしようと思う。
 
あ~、想像しただけで肩が凝る。
でも、やっぱり、手書きが好き。


2014年3月1日土曜日

偶然の遭遇

美術評論家の赤津侃氏から個展をしないかというお誘いを受けてから
ちょうど1ヶ月が経った。
といっても、2月は28日しかないから、丸4週間ということだが・・・。

その4週間ときたら、目のまわるような忙しさだった。

まず、すでに決まっている来年の個展用の新作は今回は取っておくとして
ではどの作品をどんなコンセプトでラインナップするのか決めなければならない。

赤津氏がDM用に選んだ作品は覗き窓シリーズで、木目の作品について
評論文を書いてくださるらしいから、そこへ至る椅子のシリーズからも何点か
選び、自然な流れで覗き窓シリーズにいきつかせたい。

さらには個展会場の広さや一辺の壁の長さに対する作品の数や内容など
過去の作品のどれを選ぶのか、また、新作をこの個展用に創るのかといった
問題を2月上旬に煮詰め、結局、2月前半にオブジェの新作をひとつ創った。

その後は新作に集中できる環境にはなかったので、展覧会への段取りに
追われたり、写真家による作品の撮影があったりして2月が終わった。

しかし、まだ、肝心の赤津氏の評論文が載ったDMが出来てこない。

心配になった私は数日前に意を決して氏に電話をかけると、電話口の向こうから
力のない声で「ごめんなさい、体調を崩してしまって・・・」という返事が返ってきた。

『え~、大丈夫か?』

それでも来週にはこちらにつくように今、校正しているところだから、
ちょっと待っていてほしいということだった。

そして、今日3月1日。
所属するグループ展のメンバーの個展会場に陣中見舞いに伺うと、なんとそこに
赤津氏が登場。
思いもかけない偶然の遭遇となった。

確かに体調はまだ万全とは言えない感じでマスクをかけた氏だったが、
私の顔をみつけ大いに驚いた様子だったが、ちょうどよかったというように
鞄から校正が終わったばかりのDMの原稿を見せてくれた。

そこには生まれて初めて日本人の美術評論家が私の作品に対して評した
文章が刻まれていた。
(香港の新聞に載った時、イギリス人評論家に書いてもらったことはある)

それは『萩原季満野の木版画は、網膜に差し込んでくる衝撃力があり、
知覚の新鮮さを覚える』という文章から始まっていた。

400字ほどの推薦文は難解な言葉を用いながら綴られており、何だか自分の作品
のことを言われているという実感がない。

FAX用紙の文面はところどころ黒くインクがつぶれて判読できない字もあって、
ますますなんと書いてあるのやら。

いつもなら「本当に色がきれいね~」とか、
「描いたのかと思ったら版画なのね、びっくりしたわ」などと、
友人達が褒めているようで褒めちゃいない言葉で褒めようとしてくれているのが
私の版画なのだが、こんな風に評されたことがないから、ちょっとくすぐったい。

来週、本物のDMが届いて、みんなに見せた時の反応が楽しみだ。

いつもは「何だかわけも分からない現代美術をよくもまあ、こんな風に小難しく
哲学的に分析できるわね」などと思っていた美術評論家の評論文であるが
こと、自分の作品についてとなると有り難く思えるあたり、私も俗っぽい人間と
つくづく自覚したのであった。