2016年7月26日火曜日

やっぱり脱帽!『野田版 研ぎ辰の討たれ』

 
銀座のギャラリ-まで、秋の展覧会の案内状を取りに行く用事があったので、
ついでに東劇で『野田版 研ぎ辰の討たれ』を観てきた。
 
2年ほど前にも
年に6編上映されるシネマ歌舞伎のひとつとしてかかったことがあり、
すでに観てはいる。
しかし、勘三郎の主演した演目の中でも、
出色の出来だと思うので、もう一度じっくり観てみようと思ったのだ。
 
あらかじめネット予約して席は確保していたのだが、
会場は満席。
しかも、いつもの歌舞伎ファンの年齢層からいうと相当若い人が多く、
勘三郎の人気のほどがうかがえる。
 
勘三郎が亡くなって、もうどれほど経つだろう。
5年ぐらいにはなるのだろうか。
 
『野田版 研ぎ辰の討たれ』は平成17年5月に歌舞伎座で公演とある。
 
すでに11年も前のことになる。
 
出演陣も皆若く、勘三郎が40代最後か50に差し掛かろうというあたり。
 
今は亡き三津五郎は劇中、「武士は心筋梗塞では死なない」といいながら
ひょんなことから心筋梗塞で死んでしまうという重要な役どころ。
 
息子の勘九郎もまだ勘太郎だし、七之助もまだ線の細い役者の走りという感じ。
 
ちょうど中村獅童が婚約したのか、劇中でそのことを勘三郎にいじられているし、
勘九郎は恋人だった今の奥さんとの微笑ましいエピソードを暴露されている。
 
時代の空気やニュースをいち早く舞台にのせ、
笑いをとるのは、勘三郎の十八番(おはこ)だった。
 
まさに油がノリにのっているという舞台で、
再びじっくり観てみたが、
その天性のリズムとユーモアに満ちたパフォーマンスは他の追随を許していない。
 
話は江戸末期、街は赤穂浪士の討ち入りをたたえ、その話で持ちきり。
そんな中、
討ち入りに批判めいたことを言った研ぎ辰こと元研ぎ師の武士(勘三郎)が、
いじめられた道場の主をおどかそうとからくり人形をこしらえたところ、
運悪く驚くだけでは済まずに心筋梗塞で死んでしまう。
 
その息子達(勘太郎と染五郎)にとって、研ぎ辰は親の仇になってしまい、
2年もの間、研ぎ辰の行方を追いかけ、
遂に見つけ出し、親の仇を討つというお話。
 
仇討ちは町民の憧れの的だった時代背景や、
仇を討った武士の妻になることは、女衆にとって夢だったことなど、
現代では考えられない内容が、
おもしろ可笑しく語られる。
 
勘三郎はもちろんのこと、
脇を固める福助や扇雀などの女形のおもしろさといったら、
抱腹絶倒とは彼女達のことと思うほど。
 
映画なのに会場がドッカンドッカンうけている。
しかもそのほとんどが高齢と言っていいような60代70代の女性である。
これはやっぱり凄いとしか言いようがない。
 
そして、最後は私も含め、両隣の人が連れと話していたが、
「こんなに凄い人だったのに、若くして死んじゃって・・・。
何だか涙が出てきちゃった」という言葉にたどり着く。
 
ここのところ、シネマ歌舞伎を観に来るということは、
今は亡き勘三郎や三津五郎の在りし日の姿を確かめに来るということを
意味することが多い。
 
と同時に、歳月は確実にその息子達を育んで、
前回観た『アテルイ』などで、成長著しい姿を目の当たりにして、
私達を安心させてくれている。
 
勘三郎と同年代の私としては、
まだまだ子世代に負けるわけにはいかないと思っているのに、
彼はもうこの世にはいないかと思うと切なさがこみ上げてくる。
 
しかし、こんな凄い舞台を映画という形で残せてよかったじゃないかという気持ちも
同時に湧いてきた。
 
ものつくり人として、生み出したものが次世代に残せること、
それは最大の歓びに違いない。
 
それが得心のいく作品ならば、尚のこと。
 
勘三郎はまだ自分の作品でこんなに観客が笑い、うけていると、
天国で満足げに眺めているかもしれない。
 
それとも、とっくに別の人生に転生しているのか。
 
たとえ、転生したとしても、
あのユーモアのセンスと素早い動き、間の良さなど、
天賦の才は引き継がれているに違いない。
 
今頃、どこかの国の幼稚園あたりで
友達や先生を笑わせたり楽しませているかもしれない。
 


2016年7月22日金曜日

新作原画『新たなる時を刻む』

 
 
東京・横浜は昨日から気温がグッと下がり、
雨が降っている。
梅雨明けはもう少し先のことらしい。
 
暑さに少しやられていたので、私のとっては好都合。
こんな時はアトリエに籠もって、新作の原画を起こすことにした。
 
次なる新作のテーマは『結婚』
 
長女の婚約が整い、秋の結婚式に向け、今、にわかに慌ただしさが増している。
決まるときは決まる。
決まれば早いというのは、自分の時も含め、分かってはいたが、
それにしてもやっぱり、あれよあれよという感じ。
 
33年と30年、それぞれ全く別の人生を歩んできたふたりが出逢い、
ゆっくりとおつきあいが始まり、
お互いに「もしかしら、この人かしら」と思う気持ちが徐々に芽生え、
ふたり同時に結婚の2文字を思い描く。
 
考えてみれば不思議なこと。
 
それを世の中では『ご縁』と呼ぶのだと思うが、
何万何十万という未婚の男女がいる中で、たったひとりの相手を選ぶというのは
「ご縁があったから」のひとことでは到底語りきれない人の世の妙を感じる。
 
大昔、自分が結婚したときには『絆』というタイトルの小品を
披露宴に出席していただいた方の分、約130枚ほどを摺って、
額縁に入れ、引き出物にした記憶がある。
 
今回は母親として、
娘の結婚を機に考えたこと、感じたことを作品にしたいと思っている。
もちろん引き出物にして、みんなに配ろうなんていう
押しつけがましいことは考えていない。
 
テーマは『結婚』
見ず知らずの人間がひょんなことで出逢い、
今まで全くタイプの違う生活をしてきたのに、
ある時から同じ時を刻んで生きていく。
 
それを時計草というまるで時計の文字盤のような花をモチーフに表現しようと思う。
 
時計草は花屋さんで売っているような花ではなく、
東南アジアが原産国のツルもの植物である。
 
けっこう生命力が強くて繁茂すると聞いたので、自宅の庭に植えて、
花が咲くのを持つことにしたのが約2ヶ月前。
 
たしかに生命力は強く、いまではフェンスに絡まりながら、
四方八方に触手を伸ばし、となりのばらやデイジーに巻き付いたりして、
やりたい放題になっている。
 
夏に開花時期を迎える花なので、つぼみがふくらみ、花もいくつか咲きだした。
驚いたことに花は1日花らしく、咲いたかと思ったら次の日には姿がない。
個性的な花の顔だちだが、その咲き方も個性的だ。
大胆に咲いたかと思ったら、いさぎよく散ってしまう。
 
葉っぱの形もなかなか絵になる形でかわいらしく、
なによりツルものなのでどんどん伸びて絡まっていく様子が、
ふたりが出逢って、あらたな家庭を作っていくことを表現するのに適している。
 
さっそく2本ばかり茎を切り、アトリエでデッサンしながら思い描く形にしていく。
 
今年初めから使い始めた藁苞をふたりのこれからの人生に見立て、
そこに2本の時計草の蔓が絡まりながら、ひとつの家庭を作っていく様子を
表現している。
 
時計草には白いもの、赤紫のもの、紫のものなどがあるので、
別々の時を刻んできたふたりの象徴として、
いろいろな色の時計草を画面に配置しようとイメージが膨らむ。
 
こんな風に最後の色彩のイメージまで見えている作品は作業がしやすいし、
いい作品になることが多い。
 
昨日・今日で、鉛筆による原画とトレッシングペーパーに清書するトレペ原画が
出来上がった。
 
たて93,5㎝×横74㎝の版画としては巨大な作品。
中央で2枚の和紙を接ぎ合わせるタイプの作品で、
私の作る版画作品としては最大級の大きさになる予定だ。
 
次は天気のいい日(雨だと湿気でトレッシングペーパーが伸びるので)を選んで、
一気呵成に版木に転写して、
夏中かかって彫り進めようと思っている。
 
きっとその間にもふたりは新居に引越したり、
入籍したりして、
新たなる時を刻み始めることになるのだろう。
 
当人達はやることや決めることだらけで、あたふたしていると思うが、
私は親の立場で、時に手助けしたりしながらもこの状況を楽しんで、
俯瞰した目で眺めながら、思うところを作品に残したいと考えている。
 
いよいよ我が長女、巣立ちの時である。
 

2016年7月18日月曜日

黒留袖の試着

 
 
 
春に長女の結婚が決まり、にわかに慌ただしくなってきた。
 
結婚式は11月初旬ながら、その前に両親の顔合わせやら、
新居探し、諸手続き、引越、入籍と
順番がおかしいと思う点もあるのだが、昨今はみんなそうだからと、
どんどん娘と彼とで話が段取りよく進んでいく。
 
今日は結婚式場に出向き、
当日、親が着る黒留袖とモーニングの下見と試着をした。
 
私はもちろん留袖の試着をしたのだが、
あらかじめ母から譲られた袋帯を持ち込んで、
その帯に合う留袖をと考えていた。
 
帯は金箔の地にキモノの衣桁掛けが描かれており、
そこに色とりどりのキモノが掛かっている様子が刺繍で刺してある。
かなり、凝った模様の個性的な帯なので、
キモノは黒地の部分が多めにあって、
出来れば模様が帯の柄と関連のあるものがいいと考えていた。
 
本当は留袖自体も母譲りのものがあるにはあるのだが、
「獅子唐模様」の個性的に過ぎる柄で、好みでないため、
亡くなった両親には申し訳ないが、別途、自分らしいキモノを調達することにした。
 
さりとて、購入するとなると欲しいものは70万円からという高額商品、
一生に一度着るか二度着られるか・・・。
さすがにコスパが悪すぎることは、いくらキモノには目がない私でもわかる。
 
ということで、今回は娘達が予約した式場のドレスサロンに出向いて、
レンタル用に揃えられた留袖の中から選ぶことにした。
 
母親のための留袖なんて、10着もあればいい方かと思っていたら、
30~40着はあるということなので、わくわくする。
 
あらかじめカタログの中から、ピピッときた
『乱菊』と『琳派』という2着をリクエストして、予約の時間めがけて会場に向かった。
 
言葉遣いの丁寧な担当の女性に、当日は帯を持ち込みたい旨をまず伝え、
奥から予約した2着を手元に持ってきてもらった。
 
想像していた通り、
『琳派』は模様の背景に使われた金箔部分が、帯の模様とシンクロして、
お誂えで作ったかのように、コーディネートとしてバッチリ。
しかし、惜しいかな、金の色味が帯の方が赤金で、キモノの方が青金で、すこし違う。
 
一方、『乱菊』に使われている金色はまさに赤金なので、全体に統一感がある。
しかも菊は大胆に大ぶりの一輪だけなので、
小柄な私にもこなせる黒地部分の多い動きのある柄だ。
 
菊というのも11月にふさわしい。
 
担当の女性と2着を見比べ、
ほぼ同時に『乱菊』の方がより私らしいという意見にまとまり、
試着はほんの30~40分で結論に至った。
あっけなく終わり、しかもとても気に入るものに出会えたので満足、満足。
 
花嫁のドレス選びの方は、膨大な数のドレスの中から、
1回に4~5着ずつ試着して、
なんだかんだと誰もが大体5~6回はかかるというから、
それに比べれば、超特急で決まったことになる。
 
女にとって、結婚式に何を着るか、
それは一生に一度の一大事といっても過言ではない。
 
黒留袖も少子化・晩婚化・非婚化の現在、
やはり一生のうち、一度か二度か、着ても数回の式服ということになる。
 
まあ、冷静な金銭感覚をもってしてはあり得ないレンタル料金とも言えるが、
ここはひとつ、
購入するよりはマシと自分に言い聞かせ、
花嫁と共に
昔、花嫁だった私もこの滅多にないチャンスを楽しもうと思っている。


2016年7月13日水曜日

プロフィール、仕上がりはいかが?

 
 
 
6月21日、プロカメラマンの橋本憲一氏に自宅まで来ていただき、
版画作品の撮影と一緒に、プロフィール写真も撮ってもらったものが、
今日、データ化された状態で郵送されて来た。
 
300枚ほど撮った中から、橋本氏の好みで75枚にセレクトされ、
JPGのデータとしてCDーRに焼いたたものと
全部の枚数をカタログのように焼いた印画紙である。
 
大した差はないように見えるので、どれを選ぶか自分でさえ迷って、
とりあえずこんなポーズで撮ったとブログで報告するために、
シチュエーションの違う3枚を選んでみた。
 
橋本氏曰く、
「モデルの肌の状態がいいので、特に修正は加えていません」とのことだが、
さすがにプロの技は大したもので、
陰影の具合や表情の捉え方が上手なのか、
本人の実力よりだいぶいいような気がする。
 
ここのところ、3㌔ばかりダイエットに成功したとはいえ、
二重アゴは否めないし、立派な二の腕は隠しようもないし、
首のしわに年齢は偽れないなと思っていたが、
案外、ごまかせているのではと、内心ほくそ笑んでいる。
 
橋本氏の手紙には、「これでもし、もっとほうれい線を消して欲しいとか、
アゴのたるみをどうにかして欲しいなどのリクエストがある場合は、
75枚の内のナンバーを指定してくれれば、
その写真だけ修正します」と書いてある。
 
まあ、そのあたりもあんまりやり過ぎると、
ついこの間の選挙ポスターの片山さつきじゃないが、
別人だろうと揶揄されてしまうだろうから、
現実は現実として、真摯に受け止めようかと思っている。
 
週末には娘達や未来の婿殿が家に来るので、
どんな評価か聞いてみようと思う。
 
キモノ姿のプロフィールよりナチュラルだと言うなら、
向こう10年何かあった時は、
遺影をこの中から選ぶのもいいのではと考えている。
 
備えあれば憂いなし。
 
このプロフィール写真は、記憶に残せる1枚になったか、否か。
さて・・・。


2016年7月12日火曜日

『ラスト・タンゴ』映画鑑賞

 
 
最近、一番ハマっているのがタンゴなので、
先週末から渋谷のBunkamuraル・シネマで上映されている『ラスト・タンゴ』を
観に行ってきた。
 
Bunkamuraル・シネマには時々行くことがあるが、
TOHOシネマなんかにかかる映画に比べ、マニアックで芸術性の高いものが多く、
私の中で、歌舞伎のシネマを観に行くなら東銀座の東劇、
演劇やバレエ、フラメンコなどは
Bunkamuraル・シネマという棲み分けがなされている。
 
今回のようにタンゴがテーマのものは初めて観にいったが、
観客もさすがタンゴ好きといえるのか、渋谷だからか、
ちょっと個性的な服装の初老の男性とか、
おしゃれしたマダムっぽいおば様とかがちらほら混じり、
大人の雰囲気だった。

会場には撮影に実際使ったという黒いドレスと靴が展示されていて、
そのあたりも普通の映画館というより、
演劇の会場に近い。
 
映画の内容はタンゴ界で最も有名なダンスペア、
マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスの歩んだ愛と葛藤の歴史を、
2組の現役のダンスペアのダンスで綴ったドキュメンタリー。
 
映画には83歳のフアンと80歳のマリア本人が出てきて、
当時の映像を元に現在の心境を語りつつ、
若き日のふたりを、青年期と壮年期の2組のペアを使って
回想シーンとして復活させている。
 
映画自体も面白い構成だし、
50年以上ペアを組んで踊ってきたふたりの踊り手としての栄光と素晴らしさと、
人としての挫折や愛憎が生々しく描かれ、
「人生って一筋縄じゃいかないのね」とつくづく思わせる。
 
他のお客さんはどうか分からないが、
ここのところタンゴを踊ることの面白さが少し分かってきた私としては、
本物のタンゴを2時間近くたっぷり観られて、とても楽しかった。
 
どうも日本人だと男女が組んで踊ることに、すでにして抵抗があって、
なかなか相手をまじまじ見つめるとか、
ハグするように抱いたまま踊るとか、
男性の体を使ったリードを受け止めるとかに、すんなり入り込めないのだが、
ホンマモンはやっぱり違った。
 
全然いやらしい感じを出さずに美しく組んで踊ることができる。
 
日本人が目黒川沿いでキスしていたら気持ち悪いけど、
フランス人がセーヌ川沿いでキスしていたらステキ!と思うアレと同じだ。
 
しかし、話は映画に戻るが、
どんなに世界一の素晴らしいペアと言われ、踊りの名手であっても、
現実は憎しみ合う日々が続いたというし、
フアンは別の女性と結婚し子どももうけたが、
マリアはフアンに裏切られ、生涯独身である。
 
しかも、1997年、日本公演の直後、
ふたりはダンサーとしても、40年も続いたペアを解消してしまう。
当時の日本公演の時の映像も流れ、
熱狂的に迎える日本のファンの様子も映し出されていた。
 
タンゴダンスという濃密で情熱的でかっこいいパフォーマンスの裏で、
繰り広げられるドロドロの葛藤と憎しみ。
 
なかなか人と上手に距離を保つのは難しい。
まして、男女である。
 
舞台の上と現実の生活との違いなんだろうけど、
場所はいずれにせよ、
「人間って、お互いつかず離れずの距離がいいのかも」
(美輪明宏も言ってるけど)
そんなことを映画を観ながら考えていた。
 
 
 
 
 
 


2016年7月9日土曜日

タンゴの魅力じわじわと


昨年の10月から、鶴見大学の生涯学習セミナーの受講生として、
「アルゼンチンタンゴ 音楽とダンスの魅力」という講座を受けている。
 
昨日は4月からの春のターム10回が終わったところで、
講座の後に打ちあげの会が行われた。
 
講座は前半が鶴見大学文学部教授の相良英明氏による座学で、
後半が氏の奥さんであるダンス講師グルージャ鶴世さんによるダンスレッスンという、
不思議な構成。
 
内容は「異文化交流としてのタンゴ」とか、「タンゴのモダニズム」
「政治に翻弄されたタンゴ」「タンゴの多様性」と、
タンゴの歴史、成り立ち、特徴などを講義と映像などで紹介していく。
 
後半のダンスも毎回、テーマがあり、
「今日は相手の気を感じて、同調して動いてみましょう」とか、
「相手がリズムでとっているのかメロディで感じているのか察知してみましょう」とか、
「今日は新しいステップを覚えましょう」
「今日は最後のポーズをふたりで研究してポージングしてみましょう」など、
課題に沿って踊る。
 
タンゴはあくまで男性のリードを女性が受け取り、
リードされるままに動くことが基本なので、
フラメンコに慣れ親しんだ身としては、そこに戸惑いがあったが、
ようやく最近、上手なリードに身を任せることの楽しさに目覚めたというところだ。
 
なにしろ、まさか大学の生涯教育のセミナーで、
『見知らぬ人と組んで胸を合わせんばかりにしてダンスするなんて』と
拒否反応が強かったので、
その講座のスタイルになじむまでに時間がかかってしまった。
 
中にはとんでもないところに来てしまったと10回分の受講料を棒に振って、
1~2回で来なくなってしまう人もいる。
 
私もそんな風に悩んだひとりだが、お金がもったいないし、
偏見を捨てて何でもやってみようと思い直し、今日に至っている。
 
4月にアルゼンチンタンゴ用のシューズを特注したことで、
もう逃れられないと自分を追い込み、2クール目に突入したが、
ダンスの腕前としては、男性に体をあずけてリードを待つことを学んだことが
何といっても最大の成長だろう。

「何とでもして~。私、ついていくから~」てな感じだ。
(およそこれまでの人生であり得ない境地なことは間違いない)
 
何しろ、今までフラメンコでは
「私に声をかけるなんざ10年早いわ!」ぐらいの勢いで、
胸張って風切って踊りなさいといわれてきたのだから、
『待ち』に徹して、自分からは決して動くなという指示に慣れるのには
少なからずの抵抗と、時間がかかったのだ。
 
最近はメンバーの中でリードのうまい男性が誰かがわかるようになってきて、
その方達と組めるときは楽しく踊れるし、
昨年10月からの同期の男性は「ハイ、誰か女性を誘って」という声がかかる度、
まず最初に誘いに来てくれるのはやっぱり嬉しい。
 
まるで5歳児の保育園のお迎えみたいに
両手を拡げ、ニコニコしながら近づいてくる様子は、
周りの女性達の目もあって恥ずかしいのだが・・・。

さて、夕べの10回目の講座の後、
打ちあげの会では男女8名ずつ16名が地元のパブに移動し、
ダンスの話はもちろん、もう少しプライベートな話にまで踏み込んでおしゃべりし、
親交を深めた。
 
最初、「なんでこの人と組まなきゃなんないのよ」と思った人も、
次第にいい人かもと思えたりして、慣れとは恐ろしいものである。
 
これで、講座としては10月まで間が開くことになるが、
その間に自主トレの会や那須のタンゴ合宿なるものもある。
 
紫陽花展に来てくれたおじさまやおばさま達もいることだし、
自分も参加して世間を広く渡っていこうと思う。
 
アルゼンチンタンゴのダンサーとしては
どこまでの伸びしろがあるのか分からないが、
やっていなければ決して会えなかった人達との交流には大いなる意味を感じている。
 


2016年7月5日火曜日

早くも映画化『アテルイ』

 
 
7月に入ってから、急に気温も湿度も高くて、青菜に塩状態。
怒濤のような6月を無事、やり過ごしたのに、早くも夏バテか・・・。
 
今日は銀座の画廊に本の装丁のデザインを届けにいくついでに
東銀座の東劇で、『アテルイ』を観ることにした。
 
『アテルイ』は今様歌舞伎とでもいおうか、若手の歌舞伎役者が中心になって
演出家や監督を外部に頼んで作る現代劇と歌舞伎の折衷のような演劇だ。
 
実際に舞台にかかったのは、昨年の7月、新橋演舞場においてであるから、
まだついこの間のことである。
 
それを早くも映画版として編集し、上映してしまうのだから、
舞台を見逃した私にとっては、随分お得な演し物ということになる。
 
映画は11時に始まり、15分の休憩を挟んで、
終わったのが午後2時20分という3時間越えの長丁場。
 
3時間20分、ずーっと映画館の椅子に座っていたので、
だいぶ疲れた。
 
お話の舞台は、北の民蝦夷(えみし)と国家統一を目論む大和朝廷。
蝦夷の長アテルイと征夷大将軍 坂上田村麻呂という
国を思うふたりの武将を軸にした合戦もの。
 
3時間越えの舞台の4分の3ぐらいは合戦シーンだった。
つまり、殺陣が重要な戦いの場面ばかり。
 
戦う相手は敵ばかりではない。
神の化身だったり、熊だったりもする。
そのあたりが歌舞伎らしいところでもある。
 
出演は蝦夷の長アテルイが市川染五郎、坂上田村麻呂が中村勘九郎、
鈴鹿ともう一役に中村七之助。
 
とにかく、この3人が八面六臂の大活躍で舞台狭しと暴れ回る。
いずれも長セリフを叫びながら、素早い身のこなしで鮮やかな殺陣さばき。
 
そして、時に動きが止まったかと思えば、
歌舞伎役者ならではの間で、呼吸を合わせ、見得を切る。
 
そういう時は舞台を見に行ったのでは見落としてしまうか、
遠くてよく見えない顔の大アップになり、
カメラはしたたり落ちる汗と、飛び散るツバキと、血走った眼を捉える。
 
その役者陣の迫力と芸達者ぶりと、
演出のすごさと、舞台の大仕掛けに、
思わず「参りました」と思う。
 
舞台衣装もすごく凝っていて、
色彩が美しいだけじゃなく、手間もお金もかかっているのが見て取れる。
 
こんなに大勢の人がたずさわって、ひとつの舞台を作り上げていけるなんて、
本当に羨ましい仕事だと思うし、
その監督の思いに応えて演じる役者達は凄い。
 
ちょっと合戦シーンばかりだし、
話の内容が分かりにくい部分もあったりで、
途中、眠気に襲われそうになったのは私の不徳の致すところ。
 
それにしても、この作品、
幼少より舞踊や殺陣やセリフ回しの鍛錬を積んできたからこその歌舞伎役者の
底力に「恐れ入りました」のひと言だった。