銀座のギャラリ-まで、秋の展覧会の案内状を取りに行く用事があったので、
ついでに東劇で『野田版 研ぎ辰の討たれ』を観てきた。
2年ほど前にも
年に6編上映されるシネマ歌舞伎のひとつとしてかかったことがあり、
すでに観てはいる。
しかし、勘三郎の主演した演目の中でも、
出色の出来だと思うので、もう一度じっくり観てみようと思ったのだ。
あらかじめネット予約して席は確保していたのだが、
会場は満席。
しかも、いつもの歌舞伎ファンの年齢層からいうと相当若い人が多く、
勘三郎の人気のほどがうかがえる。
勘三郎が亡くなって、もうどれほど経つだろう。
5年ぐらいにはなるのだろうか。
『野田版 研ぎ辰の討たれ』は平成17年5月に歌舞伎座で公演とある。
すでに11年も前のことになる。
出演陣も皆若く、勘三郎が40代最後か50に差し掛かろうというあたり。
今は亡き三津五郎は劇中、「武士は心筋梗塞では死なない」といいながら
ひょんなことから心筋梗塞で死んでしまうという重要な役どころ。
息子の勘九郎もまだ勘太郎だし、七之助もまだ線の細い役者の走りという感じ。
ちょうど中村獅童が婚約したのか、劇中でそのことを勘三郎にいじられているし、
勘九郎は恋人だった今の奥さんとの微笑ましいエピソードを暴露されている。
時代の空気やニュースをいち早く舞台にのせ、
笑いをとるのは、勘三郎の十八番(おはこ)だった。
まさに油がノリにのっているという舞台で、
再びじっくり観てみたが、
その天性のリズムとユーモアに満ちたパフォーマンスは他の追随を許していない。
話は江戸末期、街は赤穂浪士の討ち入りをたたえ、その話で持ちきり。
そんな中、
討ち入りに批判めいたことを言った研ぎ辰こと元研ぎ師の武士(勘三郎)が、
いじめられた道場の主をおどかそうとからくり人形をこしらえたところ、
運悪く驚くだけでは済まずに心筋梗塞で死んでしまう。
その息子達(勘太郎と染五郎)にとって、研ぎ辰は親の仇になってしまい、
2年もの間、研ぎ辰の行方を追いかけ、
遂に見つけ出し、親の仇を討つというお話。
仇討ちは町民の憧れの的だった時代背景や、
仇を討った武士の妻になることは、女衆にとって夢だったことなど、
現代では考えられない内容が、
おもしろ可笑しく語られる。
勘三郎はもちろんのこと、
脇を固める福助や扇雀などの女形のおもしろさといったら、
抱腹絶倒とは彼女達のことと思うほど。
映画なのに会場がドッカンドッカンうけている。
しかもそのほとんどが高齢と言っていいような60代70代の女性である。
これはやっぱり凄いとしか言いようがない。
そして、最後は私も含め、両隣の人が連れと話していたが、
「こんなに凄い人だったのに、若くして死んじゃって・・・。
何だか涙が出てきちゃった」という言葉にたどり着く。
ここのところ、シネマ歌舞伎を観に来るということは、
今は亡き勘三郎や三津五郎の在りし日の姿を確かめに来るということを
意味することが多い。
と同時に、歳月は確実にその息子達を育んで、
前回観た『アテルイ』などで、成長著しい姿を目の当たりにして、
私達を安心させてくれている。
勘三郎と同年代の私としては、
まだまだ子世代に負けるわけにはいかないと思っているのに、
彼はもうこの世にはいないかと思うと切なさがこみ上げてくる。
しかし、こんな凄い舞台を映画という形で残せてよかったじゃないかという気持ちも
同時に湧いてきた。
ものつくり人として、生み出したものが次世代に残せること、
それは最大の歓びに違いない。
それが得心のいく作品ならば、尚のこと。
勘三郎はまだ自分の作品でこんなに観客が笑い、うけていると、
天国で満足げに眺めているかもしれない。
それとも、とっくに別の人生に転生しているのか。
たとえ、転生したとしても、
あのユーモアのセンスと素早い動き、間の良さなど、
天賦の才は引き継がれているに違いない。
今頃、どこかの国の幼稚園あたりで
友達や先生を笑わせたり楽しませているかもしれない。