今日は
ゴールデンウィークの中で最も天気の良い
1日だと思うが、
晴れ女の面目躍如で上野に行ってきた。
お相手はここのところ友情復活著しいKさん。
家庭の事情をみんな抱えて生きてはいるが
ここ数年、会うことの叶わなかった私達。
以前は毎年のように海外旅行にいっていた。
この春から、私たちにその時代の空気が
戻ってきた。
今日は「展覧会が観たい」というkさんの
意向を踏まえ、
目下、藝大美術館で開催中の
「日曜美術館50年展」に誘ってみた。
50年前と言えば、
私が正に藝大に通っていた時代だ。
当時、「日曜美術館」というNHKの番組が
始まったという意識は皆無だが、
気づいた時には日曜日の朝には
NHKにチャンネルを合わせていた気がする。
この展覧会は50年前の司会者・ゲスト・評論家
展覧会の内容などをたどって
展示されている。
この番組が
自分の絵描き人生にいかに影響を及ぼしていたか
再確認するような展覧会だった。
Kさんとはまず上野の中央改札で待ち合わせ、
アトレ・レトロ館の中のレストランで
ランチするところから始まった。
「レカン」は内装が美術の街を意識していて
ノスタルジックかつアーティスティックだ。
あらかじめ、シャンパンのつくコースを
予約していたので
まずはグラスを傾け乾杯して
一皿目の「冷製コーンのポタージュスープ」から。
Kさんとは3月半ばにも会っているくせに、
それぞれに忙しかった4月の近況報告をし
食べる手を休めるわけでもなく
食べて・飲んで・おしゃべりしてと
お口の忙しい1時間半のランチだった。
お腹が満たされると、
上野広小路から上野恩賜公園へと
坂を上り、
東京文化会館の脇を通って
いよいよ公園内へ。
動物園には今はもうパンダはいないにも
関わらず、
どこへ行くのかとにかく人が多い。
そんな人混みを抜け、更に奥に進むと
我が学び舎藝大が見えてくる。
以前は校内に美術館はなかったので
一般の人が自由に出入りする空気は
全くなかったが、
時は流れ雰囲気がずいぶん変わった。
美大側の校門を入ってすぐ右手に
美術館はある。
さすがに学内に一般の人がウロチョロする
ことはできないようになっている。
大学内の美術館だから
他の上野公園内の美術館より空いていると
侮っていたが、
なんのなんのかなりの入場者があり
展示会場はにぎわっていた。
入ってすぐのところに番組でつかった
司会者と評論家たちがならぶセットがあった。
私達は恥ずかしげもなく
記念撮影をして、司会者気分を味わった。
展示はセザンヌやルドンから始まり、
50年前の時代の空気がよみがえる。
ピカソがもてはやされ、
ジャコメッティの作る細長い彫刻が
どこの展覧会に行ってもあった。
当時、私立美大の受験の面接で
「絵描きは誰が好きか」と訊かれ
「ルドン」と答えたことが思い出された。
私はさんざん浪人したけど、
藝大に合格した年の油絵は
ルドンを意識した「自画像」と「石膏像」を
組み合わせた油絵だった。
お題は「石膏像と私」
試験は3日間で1枚の油絵を仕上げる。
1日目が終わるとその足で美大予備校に向かう。
そこでどんな絵を1日目に描いたか
講師に話してアドバイスをもらうのだ。
その時、
「女だと分かると落とされるから
女だとはっきり分からないように描け」と
予備校の講師に言われたので、
家に帰って
弟にフルートを吹くポーズを取らせ
それをデッサンして、2日目の受験に臨んだ。
石膏像の下にうつむき加減で
フルートを構える少年を
ルドン調の幻想的な感じで描いた。
その絵が2500人くらいいる1次の受験生の中の
300人に残り、
2次のデッサンの試験に進んだのである。
油絵科の1学年の人数は55人。
倍率約50倍の狭き門の時代である。
そんな大昔からある「日曜美術館」。
展示会場のあちこちにスクリーンが設けられ
番組で取り上げられたゲスト作家や評論家が
話している懐かしい映像が流れていた。
今は亡き舟越桂さんの制作風景や
自在置物の工芸作家さんの回など
テレビで観て刺激され展覧会場にいった
作品も数多く取り上げられていた。
Kさんとは海外旅行の時に見た
門外不出の「ゲルニカ」が
この展覧会では共通の作品だったので、
スペインの美術館を思い出しつつ
しばらくスクリーンの前に座り込んで過ごした。
最後は藝大校内の新緑がまばゆい一角で
記念撮影をした。
50年前とはずいぶん印象が違うけど
確かに私はここに6年間も通った。
「人生で今が一番幸せ」
そう自覚していた6年間。
あれから月日は流れに流れたけど、
今も別に不幸なわけじゃない。
ただ間違いなくあの時代、
私の青春はこの学び舎の中に
息づいていた。
















