2014年12月30日火曜日

暮れに大きなお年玉

今朝、ダンナからメールがあり、
『年末に大散財』というタイトルがついていたので、
えっ、まさか!と思ったのだが・・・。
 
先週、ブログにアップした、今よりバージョンアップされた新車を買うことにしたという。
 
納車は1月末とあるから、デモカーを新古車として買うのではなく、
輸入して新車を買うことにしたらしい。
 
事の発端は今乗っている車の初めての車検が春に迫っている中、
気になるところがあって点検をお願いしたところ、
不具合というほどではないものの交換した方がいい部品があるという。
 
無償交換だというので、3日ほど預けて作業をお願いすることになり、
その間、代車を貸してくれることになった。
 
(無償の部品交換そのものが今となっては敵の作戦だった気もするが・・・)
 
通常、代車というのはオーナーが乗っているものより、年式が古いものを持ってきて
これで、2~3日凌いで欲しいというのが普通だと思うが、
そこに、
今の車種と同じでバージョンアップされたものを持ってきて預けていくというのは、
「どう考えてもカモられてるでしょ」とは友人の弁だが、
正にその通り。
 
その作戦にまんまと引っかかって、
春の車検を待たずに、
このタイミングで乗せてもらったデモカーを譲ってもらえるなら、
「私がお金出して買うわ」とまで、決心しかかっていた。
 
しかし、その前に私のことは触れずに、
「営業さんとしてダンナに営業かけて」とお願いしたところ、
まさかの展開で、本当にダンナは新車を購入することにしたようだ。
 
何しろ、突如、海外転勤になり、まだまだローンが残っている今の車を
私ひとりに運転させるのは憤懣やるかたない様子だったし、
「家の周辺のスーパーに行くだけなら、燃費のいい軽自動車で十分だろう」というのが
ダンナの言いぐさだったから、
これは晴天の霹靂、初めてもらう大きなお年玉といった感じだ。
 
Tさんの営業手腕を褒めてつかわそう!
 
メールの最後には
「月に1回は洗車、3月に1回は内部清掃。」と偉そうに書いてあったが
それも許してつかわす。
 
この円安で輸入車は値上げを余儀なくされ、
1月1日からは3%の値上げだという。
小ぶりの我が車でも1月1日からは20万円近くの値上げになる。
 
そのあたりの事情と
車検時にタイヤ交換その他も含め、かなりの支出が必要なことを説明した結果、
T氏は12月26日で仕事納めになっていたにも関わらず、
29日の昨日、押しの一手で「年内の確約」をギリギリもぎ取った形だ。
 
というわけで、私のふところは温かいまま、
あの新車のお姫様抱っこが実現する。ウフ。
 
こりゃぁ、春から、ぁ、縁起がい~い~わい(見得!)
(顔はどうぞご想像ください)
 
どうぞ皆様、佳いお年を!

2014年12月28日日曜日

あと4つ寝るとお正月

 
2014年もあと4つ寝ると明けて2015年になる。
今年も本当にあとわずかになり、慌ただしく1年が過ぎていったなと感慨深い。
 
後半、我が家では思いもかけずダンナが就職することになったため
秋口からは怒濤の毎日で
大阪、マレーシア、ニューヨーク、ボストン、そして、大阪、マレーシアと
せわしなく飛行機に乗る生活が続き、
気がつけば世帯主のいないお正月を迎えようとしている。
 
娘達は30日にはやってきて、三が日まではいるらしいが、
例年のようにダンナの親族を元旦に呼ぶこともなく、
いつもよりは静かで簡素なお正月準備で済まそうかなと思っている。
 
とはいえ、お正月のお花ぐらい華々しくてもいいかなと
今年は大王松とチューリップだけという大胆な組み合わせで活けてみた。
 
大王松の迫力は相当なものなので、
昨日、買ってきたチューリップでは本数が足りず、今日、また4本買い足し
こんな感じに。
 

 
ここのところ先週よりは少し温かなので、今日は窓ふきをすることに。
窓ふきとレンジ周りをやっつけると
ようやくお正月が来る気がする。
 
 
 
 
お正月準備の第1弾はなんといっても『松前漬』作りから。
ダンナがいないのでお酒が進まないだろうから、するめも2枚だけ。
例年の半分の量になり、ちょっと寂しい。
 
 
次なる準備は数の子の塩抜き。
水の中で卵に絡みつく白いモアモアを取り除き、
塩は塩でもって制すとばかり、塩水につけ、数の子の塩分をおびき出す。
 
大好物の数の子のないお正月なんて考えられないので、
何はなくともこれだけはと買ったし、
なんのかんのと、結局、
例年とさほど変わらないラインナップでお正月準備が進む。
 
30日には帰ってくるという娘達にも伝授しつつ、
いつもどおり、おせちの準備をして新年を迎えるのがいいかなと思う
2014年ひとり暮らしの年の瀬なのでした。

2014年12月25日木曜日

クリスマスはゴスペルで

 
 
今年のクリスマスは、ひとり暮らしゆえの通常通りでは寂しいので、
ニューヨークから来日している『グローリー・ゴスペル・シンガーズ』のコンサート
チケットを入手し、次女を誘ってよこすか芸術劇場まで行って来た。
 
10月にニューヨークにいった時にはゴスペルはおろか
ジャズも聴きにいくことが出来ず、
本場もんを見聞きすることが出来なかった。
 
1ヶ月ほどまえ、生協のチケット販売のチラシでこのグループのコンサートを知り、
どんな人達か全く知らなかったが
クリスマスソング中心の曲目構成らしかったので、
イヴの夜にぴったりだと思って申し込んでみた。
 
会場は以前、小曽根真のジャズコンサートの時に行って
想定外に大きくてきれいな会場だと思った『よこすか芸術劇場』だ。
 
こんな知名度の低い人達でこんな大きな会場が埋まるのか
ちょっと心配だったが、2~5階の壁面座席はパラパラだったけど
平面の客席はほぼほぼ埋まって、
クリスマス・イヴをふたりで過ごそうという中年のご夫婦もかなりいる。
 
みんな案外ロマンティックなんだなと感心した。
 
コンサートは10名ほどの黒人ミュージシャンによって
なじみのあるスタンダードナンバーからクリスマスソング、
今年流行した『アナ雪のLet 's it go』まで幅広い曲目を次々歌い上げていく。
 
その1曲目から会場のお客さんは立つように促され、
手拍子をとったり、呼応するように歌わされたりして、
全編、完全に参加型のコンサートだ。
 
しかし、奥さんに誘われて来た風の70代のご夫婦の中には
いきなり立ての歌えのと言われても、乗り切れない様子のダンナさんも多く、
目の前に座っているおじさんは座っていては何も見えないと思うのだが
遂に1回も立つことなく、手拍子も打たず、前の席の人の後ろ姿ごしに
舞台を見続けていた。
 
更に私の隣の女子高校生もまったく乗り気じゃないみたいで
やはり1回も立つことも、手拍子をとることもなく、
「やばいよ、授業と同じで眠くてさあ」と一緒に来ていた向こう隣の友達に話しながら
最後までしらけきっていた。
 
私たち親子は1曲目から立たされて、大音量の歌声に圧倒されながらも
「そうか、このコンサートはこういうことね」と即、理解し、
どうせやるなりゃ踊りゃな損損とばかり、手拍子をたたき続けたが、
こういう時、乗り切れない人は案外辛いだろうなぁなどと思って見ていた。
 
そんなことはお構いなく、森久美子ばりに太った面々が全員会場の中に降りてきて、
その体を活かした大迫力の歌声を間近に聞くことが出来、
アメリカ人というか黒人のパワーの凄さをびんびん感じた。
 
「ニューヨークっていつでも最初からテンションマックスだね、思い出したわ」と
娘と10月のNYでの出来事を思い浮かべながら、
根本的にアメリカ人とは流れている血が違うんだと実感する。
 
早2ヶ月以上前になってしまったニューヨークを振り返りつつ
そこから先、今は我が家族がそれぞれの道に分かれ
新しい年を迎えようとしていることに感慨を覚える。
 
「1年が短い」と会う人ごとに挨拶のように言い合うのがこの時期だが、
そんないくつもの1年の繰り返しの中で
案外、今年は思い出深いクリスマスになったのかもと感じた。
 
私たち、来年は「ありのままに」生きるのよ!
そんな気分だ。
 
それにしても、毎日、寒い。
現実は歌詞のようにはいかないのだ。
 


2014年12月22日月曜日

魅力的な代車

 
我が家の車はこの春、初めての車検を迎えるのだが、
その前に少し気になる音がするとかで、
言い出しっぺのダンナが海外転勤でいないのに、点検に出すことになった。
 
担当のTさんは長身でなかなかの男前、
そして、何より声がすごくステキなので、ここのところ何度となくやりとりがあって
ウキウキする。
 
まあ、それはさておき、
点検してもらった結果、異常はどこにも見つからなかった。
しかし、一部部品に交換した方がいいところが見つかり、3日ほど預けるため、
昨日から我が家に代車がやってきた。
 
濃紺の我が車とほぼ同じサイズの車種のはずだが、
色が白いせいか、少し大きく感じる。
しかも、出て間もない最新バージョンなので、
乗った内装の印象は我が家の車に比べ、相当、ラグジュアリーだ。
 
けれど、夕べ、持ってきてもらった時に
「保険はかかっていますけど、ぶつけたりしたら修理代がかかります」と説明を受け
サインまでさせられたので、3日間は乗らずにおいた方が賢明かなと考えた。
 
しかし、中にちょっと座っただけでも、たっぷりとしていい感じだったので
どうしても乗り心地を確かめたくて、今日のお茶のお稽古にこの車で行くことにした。
 
今までのものはキーを鍵穴に突っ込んで回す式だったので
3年前、新車でこの車が来た時は
「今どき、鍵を鍵穴に差し込む車なんてあるの?」なんて驚いたものだが
ドイツ車は意外とクラシックというか頑固というか
そういうものなんだと説明されたのを昨日のことのように覚えている。
 
しかし、新バージョンはボタンひとつでスタートするし、
サイドブレーキもなくボタンになっていた。
 
また、我が車ときたら、ドアのリモコンの効きが異様に悪く、
へたをすると助手席の前に立って使っても解錠しないことがある。
 
しかし、そこも新バージョンは改良されていて、何十メートルか離れていても
リモコンが効く。
(それが当たり前だと思うが・・・)
 
そして、いよいよスタートしてみると
その乗り心地ときたら、重くて、深くて、優しくて、
まるで大きな男の人にお姫様抱っこしてもらっているような心地よさだ。
(そんな経験は思い出せないぐらい昔のことで、単なる妄想だが・・・)
 
その守られているという安心感と、居住性の高い高級感は
同じ車種だとはとうてい思えないほど、リッチな感じだ。
 
ダンナは自分が大枚はたいた車を私専用にしなければならなくなった腹いせか、
「この春の車検の折には軽に乗り替える」などと言っているが、
ちょっとこの新バージョンと軽自動車では雲泥の差がありすぎる。
 
知らなければ知らないままだと思うけれど、
一度知ってしまうと、レベルを落とすことが難しくなるのは
生活レベルも車も同じだ。
 
いやあ、罪な白い新車よ。
明日、目覚めたらカボチャの馬車になっているのか・・・。
夢なら覚めないでおくれ。

2014年12月19日金曜日

子育て支援のチラシ

働く子育てママの力になりたい!
 
というタイトルで、子育て支援のグループの広報として、チラシを作成した。
 
今までの利用者募集のチラシは
私たちはこんなことが出来ます。あんなことも出来ます。
という内容のチラシで、イラストも保育園にお迎えに行っている図や
子供達の相手をしながら見守りをしている図、
ママに代わって家事のお手伝いをしている図などだったが、
今回は困っているママ達の姿をイラストにしてみた。
 
どこかに既製品のイラストがないか探してみても
そんなに都合よく探している図があるわけではないので、自分で描いた方が早い。
 
年賀状の宛名書きと平行して、9点ほどイラストを描き、
それに子育てママの叫びを加え、
思い当たるママに子育て支援を利用して欲しいと訴えるというチラシだ。
 
「保育園のお迎えに間に合わないよぉ・・・」
 
「お兄ちゃんでしょ!ガマンしなさい」
 
「きゃー、このボサボサ頭、美容室に行きたいよぉ・・・」
 
「頼みたい、されど母は遠し・・・」
 
「誰かご飯作ってくれたら、天国なのに・・・」
てな具合。
 
他にもいくつか実際に子育て支援に携わる現場にいて見聞きしたママ達の現状を
イラストや声にしてみた。
 
年が明け、1月2月は
ちょうど保育園に入れたとか入れなかったとか決まる時期だし
4月から仕事復帰しようとしているママもいる。
小学校の1年生になるお子さんは保育園みたいに長時間預かってもらえないので
どうするかなど、
ママ達の悩みも深まる時期でもある。
 
「子育てあるある」でこのチラシに共感してくださった方が
ひとりでも多く私たちのところに問合せてくれないかなと
期待を込めて作った渾身のチラシだ。
 
本当は新聞折り込みにでもいれたいのだが、
予算がないので、これを手撒きで配らなければならないのは辛いところだが、
地道な活動でひとりでもふたりでも地域のママの子育て地獄を軽減できればと
心から願っている。

2014年12月15日月曜日

年の瀬の誕生会

 
 
 
 
 
 
2014年もあと半月で終わろうという今日、
毎年のように海外旅行にご一緒している友人の計らいで、
青山のレストランで誕生日をお祝いしてもらった。
 
本当の誕生日は4月12日だから、だいぶ昔のことのように感じるが、
60才の節目の誕生日であることをずっと気にしていて、
何とか今年中にお祝いの席をとセッティングしてくれたのだ。
 
このお誘いを2週間ぐらい前にいただいた時、もしかしてと思わなくもなかったが
「サプライズ好きでプレゼント好きな私の好きでしたことだから」といって
折半の申し出はかたくなに拒まれてしまったので、
4年後、彼女が同じ誕生日を迎える時には今度は私が・・・と心に決め
今日の心づくしはありがたく受けることにした。
 
それにしても、横濱の田舎に住んでいると
こんなにステキなレストランはないと思うほど、雰囲気のあるレストランだったし、
シャンパンで乾杯し、美味しいフレンチをいただき、
おまけに名前入りの写真立てまでプレゼントにいただいてしまった。
 
今年は家族でニューヨークに行ったので、
彼女との海外旅行には行けなかったが、
来年こそはふたりで、今度はどこにする?などと話しながら、
こんなに贅沢にお祝いしてもらっていいのかとちょっと恐縮してしまう。
 
60年も生きてくると、
家族でさえこちらが騒がないと誕生日のお祝いなんてしてくれないというのに、
ずっと気に留めていて、
忙しいスケジュールの中であれこれセッティングしたり、
名入りのプレゼントを注文してくださったり、
ほんとうに感謝感激!
雨あられ。
 
「私たちが行く旅先ではいつも大量のポートレートを撮って愉しんでいるのに、
ニューヨークではダンナも娘もそんなに温かくない」という話に大笑いし、
持っていった分厚いニューヨークでの写真アルバムのページをめくりつつ、
おしゃべりはエンドレスに続いた。
 
「やっぱりどこへいっても記念写真は撮りましょ」と
今日もレストランのそこここでスタッフにふたつのカメラを渡して
大量の記念写真を撮ってもらった。
 
ふたりとも忙しい毎日の中で「本当は美容室にいってから合いたかった」と
白髪の伸びた生え際を気にしながらも
撮れた写真は嬉しい気持ちがそうさせたのか
なかなかの美しい写り具合(の気がする)。
 
友達の誕生日なんて気にもとめてもらえないのが常なのに
優しくされて幸せに満たされた1日だった。
 
高倉健さんが「人を想うことほど美しいものはないんじゃないですかね」と
何かのインタビューで言った言葉が印象に残っているが、
今日は友人の温かな想いを受け止めながら
私も人を想える人でいたいと強く思った次第である。


2014年12月13日土曜日

年賀状の憂鬱



2014年12月半ば、今年もまた、この時期がやってきた。
 
テレビのCMでもマツコデラックスが同じことをいっている。
「ねえ、年賀状作んの、めんどくさいのよ。何か丸投げできんの、ないの?」
「あります。丸投げ的なのがこれです」
「えっ、本当にあんの?」
 
丸投げできる方法があると聞いて、舌打ちまでしているCMだが、
(ないと知ってではなく、あると知って、なぜ舌打ちなのか分からないが)
本当に年賀状作りはそれほどめんどくさい作業なのである。
 
昨今の若者は年賀状を作るなんてことは全くせずに
メールで済ます人がほとんどだというが、
私たちの年齢になると、それはそれで寂しい気がする。
 
年賀状の行き来があれば、
本人が亡くなった時も、家族が喪中はがきを出すことが出来るが、
そうした行き来がない場合、
ぷっつり途絶えるということだろうか。
 
何十年も自分で干支をデザインし、木版の版に起こし、
1枚1枚手摺りで摺ってきた私は、
年賀状の両面、つまり、絵の部分も宛名や添え書きなどの文字の部分も
手書きであることにこだわってここまでやってきた。
 
『宛名名人』を使って、宛名を印刷すれば簡単なことも知ってはいるが、
毎年、その人の筆跡を見れば、だれからの年賀状かすぐわかるし
その筆跡や文面から
その人の人となりが浮かび上がるのが嬉しいので、
こちらも両面すべてが手書きであることに意味があると思ってきた。
 
しかし、実際、150枚近くの年賀状を制作するのは、かなりの重労働なのだ。
 
まず、デザイン。
11月半ばぐらいから「あ~、今年はどうしよう」と思っている割りには
なかなかいいアイデアが浮かばないのが常である。
 
年賀状は自分の作品とは違うので、干支というメインモチーフがあるし、
あまり重苦しいものは正月早々見たくないだろうから、ある程度可愛くしたい。
かといって、こどもっぽくなりすぎるのは版画家としてどうなのか。
 
版画家仲間の中にはいっさい干支には触れず、自分の小作品としてしか
年賀状を創らない人が何人もいる。
 
でも、私は多分に一般人なので、干支を大切にしたいのだ。
とはいえ、自分の絵肌との兼ね合いもある。
 
出来上がったデザインを見ただけでは、単純で小綺麗だから、
そこまでの逡巡があるとは誰も想像していないと思うが
案外、可愛いとめでたいと自分らしいの狭間で、毎年、悩むのだ。
 
今年も第1作を彫り終えて、試しに摺ったら、全く気に入らず
デザインを練り直した。
 
しかし、第2作を彫って、試しに摺ったら、羊の顔の表情がパッとしない。
デザインそのものはそのままに、
微妙にレイアウトを変えたので、もう一度一から彫り直した。
 
そんな三度目の正直で出来上がった版で、今日は1版目の摺りをした。
150枚摺って、肩はパンパン、手にしびれが残った。
 
葉書のサイズは小さいので、想像以上に押さえの力が必要で
左手も肩からカチカチになる。
 
明日は2版目の摺りをする予定。
色数は全体で5色。
丸くて綿菓子みたいな羊が150頭近く出来上がる予定だ。
(何枚か、摺りを失敗するから)
 
そうして、来週以降、名簿を作って、
ひとりひとりの顔を思い浮かべながら、添え書きと宛名を書くつもり。
 
今年は例年に比べ、喪中はがきが少なめだ。
というか、ここ数年で親しく年賀状を交換させていただいた方が何人も亡くなり、
新しく知り合った方とは年賀状の行き来をしない風潮だから、
年賀状によるつながりは細るばかり。
 
これも時代なのかな。
でも、やっぱり、年賀状の果たす役割はあるしなぁ。
 
そんなことを考える。
 
本当は喪中だけど、私の年賀状を楽しみにしているので
医院の方に出して欲しいと、先日、整体の先生からリクエストがあった。
 
そんな隠れ版画ファンも少しはいるので
今年もしこしこ頑張ろうと思う。
 
「年末、その凝りをほぐしに伺いますからね。
よろしくお願いしますよ!」
そう、ブログの読者でもある先生にメッセージを書こう。

2014年12月4日木曜日

勝手きままな版画家生活

 
 
 
 
 
雨の降る中、月曜日の朝、ダンナと大量の荷物を成田に送りだした。
ひとり空っぽになった車を運転して自宅帰ると、
さあ、ここからがいよいよひとり暮らしの本番だ。
 
先週は最後の荷物くくりのため、家中に衣類やら靴やら書類やらを撒き散らし
いったいこの家はどうなるのやらとジレジレして過ごしていたのだが、
ようやくその散らかし魔がマレーシアにいってくれたので、
この小さな城は我が手に収まった。
 
まだまだ散らかした残骸やら、頼まれものの書類など、
気にしだしたら相当量あるのだが、そこは片目をつぶって
いよいよ版画の摺りに取りかかることにした。
 
2点連作の新作『人を想う』と『孤を愉しむ』(仮題)
 
まず、月曜日の午後、早速、桜が水辺に漂う方から試し摺りに着手。
 
1ヶ月ほど前、いったん試し摺りをとったところ、彫り自体が気に入らず
2点とも大幅な彫り直しを敢行したので、
今回こそはと期するところ大。
 
続いて、同じ日に紅葉が舞い散る方も試し摺りをとった。
感触としてはこちらの方が雅な感じでいい作品になりそうな予感。
 
火曜日にどちらかから本摺りをする心づもりで、
まずは2作品分の和紙12枚をカットし、
内6枚を本摺りに向け水刷毛で湿らせ重しをして準備完了。
 
試し摺りをとった順番通り、桜の作品から水曜日に本摺り開始。
 
ひとり暮らしだから、何時に起きても自由、ご飯の心配もなしの自由を得、
目が覚めるがままに6時頃起きだし、
前の晩に大量に作ったおでんを温め直し、いくつかほおばっていざ出陣。
 
午後1時過ぎには6枚の本摺りを完了し、
水張りといって和紙にしわが寄らないようにボードに貼り付けた。
 
しかし、そこでふと作品をまじまじ見て、思った。
『なんか水紋がごちゃごちゃしていて気に入らない・・・』
 
「ほら~、ほらほら、また始まったよ~。
これ本摺りだよ、今更そんなこといわないでよ」と心の中でもうひとりの私が叫ぶ。
 
が、しかし、一度気に入らないと感じてしまった気持ちはもう無しには出来ない。
この自由の身がそうさせたのか、版画家としての意地かわからないが
とにかく、もう一度この桜の方の作品の版を微調整して、
本摺りを今一度とることになった。
(なったっていうけど、あんたが決めたんじゃん・・・)
 
さあ、そこからがひとり暮らしの恐ろしいところ。
 
和紙は少なくとも湿してから5時間ぐらいは間を置かないと
水が均一に染みこまないので摺り出すことが出来ない。
 
午後2時、新たに6枚の和紙に湿しを施し、
もう一度絵の具の調合をし、刻を待った。
 
1作分の本摺りを終えているので、十分体は疲れていて、腰がミシミシする。
使った後の絵の具や絵筆も大量に汚れたままそこにある。

次に本摺りを始められるまでの時間にいろいろしなければならない。
 
夕方の変な時間にお風呂に入り、
まだ6時なのにまたおでんを温め直して、お刺身と共に夕食。
汚れたアトリエと道具類をきれいにしてリセット完了。
 
何ごともなかったかのように午後7時、2回目の桜の本摺り開始。
夜中の12時半、体力と気力の限界を感じ、引退、じゃなくて就寝。
 
本日木曜日、幸いにも雨。(版画の摺りに雨は恵みの雨)
 
朝の連ドラを見終わり、夕べの続き開始。
10時半ぐらいに完成した水紋はイメージどおりの出来具合。
昨日のことはなかったことにして、気持ちも新たにもみじの方に移ることが出来る。
 
ここでリセットの意味もあり、
8時前に朝食をとったばかりというのに、11時に昼ご飯。
またまたおでんの残りを温め直し、あんぱんとみかんもほおばり、お腹を満たす。
 
更に完全に体を騙すために、ちょっとお昼寝。
 
30分ほど横になり、気持ちだけは完全復活を遂げ、アトリエに。
 
ばれんを持つ手がちょっとしびれているが気にしない。
首から肩が凝りで盛りあがっているが無視。
水の使いすぎで指がガサガサ、ばれんだこが赤く腫れて痛いが勲章勲章。
 
こんな風に版画家は自らの羽根を1本1本抜いては美しい錦の布を織ったとさ。
 てなイメージ。
 
そして、遂に夕飯の前には無事、もみじの方の6枚も本摺りを終えた。
こちらは一発オーケーで
今できることはすべて成し遂げたという感じ。
 
さすがにおでんは食べ飽きたので、
本日の夕飯は
豚のしょうが焼き、ブロッコリーのごまマヨネーズがけ、
とうふと鱈と白菜の水炊き、わかめと揚げのおみそ汁、香の物。
 
ようやく人間らしい生活に戻るメドがつき、メデタシメデタシ。
体重も1キロ減で、メデタシメデタシなのでした。