2014年12月13日土曜日

年賀状の憂鬱



2014年12月半ば、今年もまた、この時期がやってきた。
 
テレビのCMでもマツコデラックスが同じことをいっている。
「ねえ、年賀状作んの、めんどくさいのよ。何か丸投げできんの、ないの?」
「あります。丸投げ的なのがこれです」
「えっ、本当にあんの?」
 
丸投げできる方法があると聞いて、舌打ちまでしているCMだが、
(ないと知ってではなく、あると知って、なぜ舌打ちなのか分からないが)
本当に年賀状作りはそれほどめんどくさい作業なのである。
 
昨今の若者は年賀状を作るなんてことは全くせずに
メールで済ます人がほとんどだというが、
私たちの年齢になると、それはそれで寂しい気がする。
 
年賀状の行き来があれば、
本人が亡くなった時も、家族が喪中はがきを出すことが出来るが、
そうした行き来がない場合、
ぷっつり途絶えるということだろうか。
 
何十年も自分で干支をデザインし、木版の版に起こし、
1枚1枚手摺りで摺ってきた私は、
年賀状の両面、つまり、絵の部分も宛名や添え書きなどの文字の部分も
手書きであることにこだわってここまでやってきた。
 
『宛名名人』を使って、宛名を印刷すれば簡単なことも知ってはいるが、
毎年、その人の筆跡を見れば、だれからの年賀状かすぐわかるし
その筆跡や文面から
その人の人となりが浮かび上がるのが嬉しいので、
こちらも両面すべてが手書きであることに意味があると思ってきた。
 
しかし、実際、150枚近くの年賀状を制作するのは、かなりの重労働なのだ。
 
まず、デザイン。
11月半ばぐらいから「あ~、今年はどうしよう」と思っている割りには
なかなかいいアイデアが浮かばないのが常である。
 
年賀状は自分の作品とは違うので、干支というメインモチーフがあるし、
あまり重苦しいものは正月早々見たくないだろうから、ある程度可愛くしたい。
かといって、こどもっぽくなりすぎるのは版画家としてどうなのか。
 
版画家仲間の中にはいっさい干支には触れず、自分の小作品としてしか
年賀状を創らない人が何人もいる。
 
でも、私は多分に一般人なので、干支を大切にしたいのだ。
とはいえ、自分の絵肌との兼ね合いもある。
 
出来上がったデザインを見ただけでは、単純で小綺麗だから、
そこまでの逡巡があるとは誰も想像していないと思うが
案外、可愛いとめでたいと自分らしいの狭間で、毎年、悩むのだ。
 
今年も第1作を彫り終えて、試しに摺ったら、全く気に入らず
デザインを練り直した。
 
しかし、第2作を彫って、試しに摺ったら、羊の顔の表情がパッとしない。
デザインそのものはそのままに、
微妙にレイアウトを変えたので、もう一度一から彫り直した。
 
そんな三度目の正直で出来上がった版で、今日は1版目の摺りをした。
150枚摺って、肩はパンパン、手にしびれが残った。
 
葉書のサイズは小さいので、想像以上に押さえの力が必要で
左手も肩からカチカチになる。
 
明日は2版目の摺りをする予定。
色数は全体で5色。
丸くて綿菓子みたいな羊が150頭近く出来上がる予定だ。
(何枚か、摺りを失敗するから)
 
そうして、来週以降、名簿を作って、
ひとりひとりの顔を思い浮かべながら、添え書きと宛名を書くつもり。
 
今年は例年に比べ、喪中はがきが少なめだ。
というか、ここ数年で親しく年賀状を交換させていただいた方が何人も亡くなり、
新しく知り合った方とは年賀状の行き来をしない風潮だから、
年賀状によるつながりは細るばかり。
 
これも時代なのかな。
でも、やっぱり、年賀状の果たす役割はあるしなぁ。
 
そんなことを考える。
 
本当は喪中だけど、私の年賀状を楽しみにしているので
医院の方に出して欲しいと、先日、整体の先生からリクエストがあった。
 
そんな隠れ版画ファンも少しはいるので
今年もしこしこ頑張ろうと思う。
 
「年末、その凝りをほぐしに伺いますからね。
よろしくお願いしますよ!」
そう、ブログの読者でもある先生にメッセージを書こう。

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