2015年2月22日日曜日

トリオ リベルタ in KAMOME



横浜の関内にKAMOMEというJAZZのライブハウスがある。
今夜はそこで何度か聴きにいったことのあるトリオ リベルタのライブがあった。
 
友人と誘い合わせ、夕方、関内ホールで待ちあわせ、
整理券が配られるかもしれないというので、すこし早めの時間に現地に行った。
 
関内の歓楽街のはずれにあるそのライブハウスの前には人気が全くなく、
薄暗い店内をガラス戸越しに覗いてみると
店の奥にはトリオ リベルタの石田泰尚氏がまさにバイオリンを弾いており
リハーサルを行っているところだった。
 
「ほらほら石田様よ、見て見て」と友人と嬉々として覗き込んでいる後ろから
男性が声をかけてきた。
 
「整理券です」といきなり小さな紙切れを渡され、
見ると「54」と「55」番の番号で、
60人までしか入れないということは、もはや最後の数人ということらしい。
 
大多数のファンはもっともっと早くに一度は店を訪れ、
早い番号を手にしたに違いない。
案の定、54番と55番では末席の顔もよく見えない場所しか空いていなかった。
 
しかし、トリオ りベルタの演奏をこれほど間近に見たり聴いたりしたことはない。
ホールで聴くのとは全然違う生な感じ、まさにライブの醍醐味がある。
 
すぐ手が届きそうな場所で3人が演奏し、
息遣いさえ感じられる。
同じ空間にいて同じ空気を吸っている一体感と親近感が魅力的だ。
 
演奏した曲目は1部はJAZZのライブハウスであることを意識した
「TAKE 5」のようなジャジーなものに始まり、
今、彼らがはまっているフランスの曲「枯れ葉」「愛の賛歌」など。
 
2部は彼らの真骨頂「ピアソラ」づくし。
「天使のミロンガ」や「リベルタンゴ」など今までにも何度も聞いた代表曲の他に
何曲か新しくレパートリーに採り入れたという超絶技巧が必要な曲も披露され、
お客さんは大喜び。
 
トリオ りベルタというか石田泰尚さまを追いかけているおば様達は
皆、このピアソラの曲が聴きたくて、集っているんだと確信する。
 
本人もよほど好きな作曲家だとみえ、
2部の後半はどんどんテンションが上がり、
最後の「リベルタンゴ」ではこのまま倒れるのではないかと思う情熱的な演奏に
会場もわれんばかりの拍手だった。
 
ピアソラはアルゼンチンを代表する作曲家で
その独特の曲調は
「猥雑」「混沌」「エロチシズム」「退廃的」「情熱」など
何もかもが入り交じったような、むせかえるような香りを放っている。
 
それがアルゼンチンという国
ブエノスアイレスという街を表しているのではと想像し、
来年本当に版17の展覧会がブエノスアイレスで開かれることになったら
ぜひ行ってみたいと思った。
 
点と点が線でつながったような感覚に陥り、
ライブの熱い余韻が心地いい。
 
音楽って、行ったことのない街のイメージさえリアルに伝えることが出来て凄い。
 
生の演奏がもつ皮膚感覚のようなストレートさとリアルさを楽しんだ一夜だった。


2015年2月15日日曜日

フラメンコとジャズのコラボって?

 
 
最寄り駅のホールで『Framenco &Jazz』
~フラメンコ&ジャズ・チャリティコンサート~と題されたコンサートがあったので、
懐かしさも手伝って行ってみた。
 
出演者の名前は全く知らされておらず、
生協の申込書と一緒に入ってきた大量のチラシの中にその案内を見つけ、
2,000円だし、最寄り駅だしという気軽な気持ちで申し込んだ。
 
前半はフラメンコのコンサート、
後半は5人組女性ヴォーカルグループのジャズとは言い切れない楽しいコーラス。
最後は2組のコラボという構成。
 
しかし、
どう考えても何でこのメンバーが同じ舞台に立たなきゃいけないのと
いいたくなるような毛色の違うアーティスト達だ。
 
観客も60代を中心とするような女性が多めのいつものお客さんという感じで
フラメンコのライブに精通している風もなく、
フラメンコを踊っているとか、習っている風な人も見当たらない。
極々一般の音楽好きのおば様達とお見受けした。
 
しかし、コンサートの前半はまず、カンテと呼ばれる歌い手とギタリストが登場し
「1曲吟じます」とでもいうような重たい歌だ。
 
もちろん歌詞はスペイン語なわけで、
曲調はメロディアスなわけでも、ノリがいいわけでもない
唸るような曲なので、
会場はシーンと静まりかえっている。
(登場してもどこで拍手していいのか分からないので、拍手は無し)
 
本当ならいいところで「オレー!!」と声をかけたいところだが、
観客の頭に?マークが飛び交っているのが見えるような空気で、
しかも、曲の後半、私の後ろの席の人が椅子に引っかけていた杖を床に落とした。
 
「ガチャガチャ」「アララ、取りましょうか」「いいえ、大丈夫です」
『って、言ってんじゃねーよ』(おほほ、失礼)
 
曲が終わって、まばらな拍手に見送られ、カンテは退場。
 
次にギタリストのソロ演奏があったが、
前から2番目の真ん中に座っていた私には、彼が怒っているように見えた。
 
演奏を初めようとしたした瞬間にギターのカポが取れ、床に落ちた。
ギタリストは拾ってそそくさと演奏を始めるも、会場はやはり静まりかえっている。
 
3曲目。
ようやくパイレと呼ばれる踊り手が登場し、ギター演奏とともに
セビジャーナスという群舞用の曲をひとりで踊った。
 
高関テラという美しい人で、お祭り用の楽しい曲をひとりでしっとり踊り
こういう表現もあるのかと見入ってしまった。
最後、決めポーズになったとき、誰も言わないと分かっていたが
ひとり「オレー!」と野太いかけ声をかけたら、にこっと笑ってこちらを見た。
 
次は明るいお祝いの曲『アレグリアス』の歌だったが、
歌い手が声を振り絞るも、なんだか悲しい気分。
 
会場の空気が一向に暖まらないまま、前半最後の『ティエント』になり、
自分を奮い立たせるような感じの顔つきで、再び高関テラが登場した。
 
しかし、徐々に会場のお客さんもフラメンコの凄さを思い知ったかのように、
その切なく、激しく、官能的な踊りに引き込まれていくのが分かる。
最後は私以外の何人かから声が掛かり、コンサートの前半が終了。
 
後半は急にバリ島あたりの衣装に身を包んだ元気なおばさんユニットになり、
空気ががらりと変わった。
 
ビジュアル的には高関テラに比べたら、全くその辺のおばさんみたいで、
まずは「なんでこの人達、一緒の舞台に立つことになったの?」という
素朴な疑問が浮かんだ。
 
まあ、そんなことはどうでもいいじゃないという感じで、
楽しく『Take 5』や『Loving You』などよく知っている曲を編曲し、
パーカッションやトランペット、ピアノという楽器にのせて
美しいハーモニーを聞かせてくれた。
 
おばさまトークも軽妙なので、前半の凄いけど暗いみたいな空気が溶けて
会場は暖かくスイングしている。
 
最後はコラボして、彼女達の歌声に乗せ、高関テラが踊り
今度は万雷の拍手とかけ声がかかる。
「何だ、やれば出来るじゃん」と心の中で叫びながら、
私も何度もかけ声をかけ、パルマ(手拍子)を叩いた。
 
なんとも不思議なコンサートだったけれど、最後は観に来てよかったと思えた。
たぶん、フラメンコの正しい鑑賞のしかたを分からない人々のために、
構成を変えた方がいいのではと思う。
 
そのあたりをアンケートに書き、
『ティエント、とてもよかったです!』とエールもしたため、会場を後にした。
 
フラメンコから離れて丸2年。
もはや自分が踊っていたなんて忘れてしまった感があるが、
いい踊りをみると、あんな風に踊れたらと、ちょっとウズウズする自分がいる。
 
また機会があったら、高関テラを観にいこうかな。

2015年2月14日土曜日

個展へ ラストスパート

 
 
4月20日からの個展まで、あと2ヶ月とすこしになった。

3年近く前から個展のために作品を作り溜めてきたが、
それもあとわずかの期間しか残されていない。
 
ここから先は、オブジェ作品をもう1点と、小品を2点制作しようと思っている。
 
今回の個展のメイン作品は『グロリオサ』という写真の花をモチーフに
還暦に際し、感じたことや考えたことを作品にしてきた。
 
「還暦と言えば赤いちゃんちゃんこ」という紋切り型のイメージから出発しているが、
グロリオサという花の燃えるような赤と独特な形、
どこか意志さえ感じるような力強さに引っ張られるように作品を紡いできた。

他に木目、水紋、木のリースなど、モチーフを徐々に変えながら
ここ数年考えてきたことを作品に落とし込んできた。
 
残り2ヶ月で何か最後の新作をと考えた時に、
また、原点に戻るように
この花をモチーフにしようと思ったのだ。
 
ちなみにグロリオサの花言葉を調べてみると
『頑強』『おしゃれな心』『天分』『栄光に満ちた世界』『華麗』『燃える情熱』と
ゾロゾロと、この花らしい、いかにもな花言葉が出てきた。
 
東南アジアを原産国とし、
百合科ではあるが、
燃えさかるようなスカーレット色の花は黄色に縁取られている。
茎と球根には毒があるらしい。
 
つぼみの段階から花が開くにしたがい、スカートをひるがえすように花弁を裏返し
淡い黄緑色から真っ赤に姿を変える。
 
縁がヒラヒラ波打って、
まるでダンサーが真っ赤なスカートを揺らしながら踊っているようだ。
 
名前の由来の『Gloriosus』は、ラテン語で光栄、立派、
スペイン語で見事なという意味。
 
この一種挑発的で美しい花は
還暦という節目に、それこそ私を挑発するように現れ、
「これで作品にしたら」と誘ってきた。
 
2年前、そうして今回のメインの大きな作品を創った。
案内状に載せるのはその作品でいこうと考えている。
 
そして、最後に2点、再びグロリオサをモデルに作品を創ろうと
数日前から取りかかっている。
 
人生の大きな節目に自分の人生を振り返った時、
グロリオサの花言葉にあるような形容詞が
ひとつでも思い浮かべられたら自分らしいかなと思う。
 
実はこの2点。
赤い作品と青い作品にすることは決まっていて、
タイトルもすでに思い浮かんでいる。
赤い作品は『華』
青い作品は『凜』
 
生まれる前から子どもの名前を決めて喜んでいる親のような感じだが、
いい名前(タイトル)なのではと思っている。
 
あとはその名に恥じない作品を生み出すだけ。
 
本当はここ数日、首から肩、腕に相当な痛みがあってしんどいが、
満身創痍で作品を生み出すなんてちょっとホントに芸術家っぽいかもと、
痛みも笑いに変え、あと2ヶ月、ラストランを乗り切ろうと思う。
 
 


2015年2月9日月曜日

雪舞う確定申告

2月は私にとって気の重い季節である。
そう、確定申告があるからだ。
 
しかも、今年は昨年、不動産の譲渡という生まれて初めての経験をしたせいで
自力での書類作成が難しく、
税務署の相談コーナーで教えてもらわないと、作成が立ち行かない状況だ。

更に
譲渡には譲渡専用の申告書が必要なことが分かり、
先週の雪が降った明くる日、税務署まで足を運び、
ついでに相談コーナーの混み具合を訊いたところ、
「8時半から整理券を配りますが、
その時点で毎日100名ぐらいの方が並んでますね」
ということだった。
 
内心、ゲゲッとのけぞったのだが、その日は涼しい顔で申告書を持ち帰り、
週末、自分で書き込めるところは書き込んで、
本日、いざ、相談コーナーに出陣と相成った。
 
8時半で100人越えで、下手すると夕方まで待つ時もあると聞いては
1分でも早く到着するしか手はあるまい。
 
そこで、朝7時頃には家を出ることにして、
8時には税務署に着くよう、夕べは早めに就寝してスタンバイ。
 
しかし、今朝は横浜の最低気温が0度を下回る極寒で、
この冬一番の寒い朝とか。
 
午後はお茶のお稽古なので、スカートで行かなければならないことを考え、
上はヒートテックの上にカシミアのセーターとダウンコートを着こみ、
下半身もタイツの下には極暖のレギンスをはき、ロングブーツといういでたちで
「お前は札幌雪祭りにでもいくのか」という重装備で臨むことにした。
 
やり過ぎかと思う重装備だったが、
横浜シーパラダイスに行く時に利用するモノレールの窓の向こうには
重たく雲がたちこめ、
よく見ると、なんと海風に乗って、雪が横なぐりに舞っている。
 
7時50分、予定より10分早く税務署に到着。
すでに何人か先の到着の人が並んでいる。
8時半に配られた私の整理券番号は13番。
 
しかし、7時55分までには、更にもう10名ほどが到着したし、
確かに整理券が配られた時には100名近くが並んでいたのかもしれない。
 
モノレールの幸浦という閑散とした駅に降り立ち、
雪の舞う中、
1軒のお店もないマンション群と学校の脇道を進むと
忽然と税務署が立ち現れ、
そこに朝っぱらから100人もの長蛇の列。
 
中高年しかいない薄暗い色のコートの集団は、かなり異様でシュールな光景だ。
皆、確定申告なるよく訳の分からない書類の作成に手こずり、
頭を悩まし、寒さに凍え、列をなしている。
 
幸い、7時50分着が功を奏して、
私は最初の組で9時15分の相談開始の列に振り分けられた。
 
そこから約1時間15分ほど、税務署の会計士さんにいろいろ教えてもらって
書類を完成させ、
無事、『清く正しい納税者』になった。
 
午前中で本日のエネルギーの大半を使い果たした感じだが、
気の重い大仕事をやり終えた達成感は心地よい。
 
されど、4月にやってくる納税額はハンパなく
お財布事情は相当厳しいものがある。
『清く正しい納税者』になるのもなかなか大変だ。
 
午後、お茶のお稽古に伺うと
今年の1回目のお稽古だというのに(1月は初釜だけがあった)
いきなり先生に『臺天目』という資格ものの難しいお点前を振られ、
午前中に脳みそを使い果たしたせいか、右往左往のお点前になってしまった。

その代わり、 
お社中の友人の点てたお濃茶と半生菓子のあんこの甘さが
じんわりと体に染みこむようだ。
 
お茶に親しむ心穏やかなひとときが
税務署で税金を払う手続きをするという苦々しい作業をねぎらってくれている。
 
この冬一番の寒波の中、
雪舞う税務署風景は長く記憶に残るに違いない。

2015年2月8日日曜日

次はブエノスアイレスか

 
『版17』という版画家集団がある。
 
17名で構成されている版画を表現手段としている作家達の集まりで、
年に1回、国内外でグループ展を開いてきた。
 
私がそのグループに参加してからはかれこれ7~8年になると思うが、
最初に参加した三渓園の燈明寺特別展に始まり、
海外はチェコ、台湾、沖縄(海の向こうという意味)などで展覧会を開催してきた。
 
通常、この会、展覧会は日本と海外を交互に開催するという暗黙の了解があり、
日本の時は横浜の岩崎ミュージアムが定宿のような場所で、
あとは都美術館の企画展に応募してみたり、
チェコの作家を招待しての交流展と称して、神奈川県民ギャラリーの年もあった。
 
そんな風に転転と開催場所を変え、
版17という版画家集団のありようを探りながら活動を続けてきたわけだが・・・。
 
昨晩、昨年の沖縄展の総括をしつつ、
「さあ、次はどうする?」ということを決める総会兼飲み会が行われた。
 
集まった面々は17名中12名、
17名中女性はたった3名という男性ばかりの会であるが、
私はここ数年、会計を仰せつかっているので、総会に出席しないわけにもいかない。
収支報告書を作成し、でかけていった。
 
メンバーの多くは美大や美術系専門学校の教授か元教授が多く、50代後半~70代、
その関係からか世界中にネットワークをもっている人が何人もいる。
 
そんな人脈を頼りに
今までも、パリ、クロアチア、チェコ、台湾、沖縄と
個人ではなかなか開くことの出来ない展覧会を開催してきた。
 
チェコ以降は私も混ぜてもらって、
展覧会にかこつけてそれぞれの場所にも行くことが出来た。
チェコの時はキモノ姿で版画の摺りのデモンストレーションもさせてもらい、
文化交流大使の意味合いも担っている。
 
そのように海外における日本版画の位置づけは高いので、
開催には多大なエネルギーが必要だが、行う意義も大きい。
 
そこで、昨晩、「さあ、次はどこにする?」という話になった時、
なんと候補地が4つも浮上した。
 
すべて、その土地の美大に教えに行ったことがあるとか、個展をしたとか、
そこの作家とジョイントで展覧会をしたことがあるとか、
その作家を日本に招待したことがあるなどのコネクションがあるところばかり。
 
場所は、韓国のソウル、再び台湾、メキシコ、
そして、アルゼンチンのブエノスアイレス。
 
昨年の沖縄展は台湾の作家との交流展だったから、
台湾の作家とは何度かお目にかかっているので、親近感は確かにある。
 
韓国のソウルはある意味、近くて遠い国だが、
向こうで展覧会をして旅行に行けば、焼き肉など食の楽しみもありそうだ。
 
しかし、メキシコにいったり来たりの生活をしている作家から
「メキシコでやるなら私が橋渡しを・・・」という話が出ると、
メンバーはすっかりその話に食いつき、
「いいねえ、次はメキシコ!」という気運が一気に盛りあがった。
 
そのためには毎年展覧会をやっていたのでは大変だから、
今年は無しにして、
ビエンナーレ(2年に1度開催すること)にしようということになった。
 
会計としては、みんなのお財布事情を考えるとそれに賛成だ。
 
しかし、飲み会も終盤、みんなの酔いもすっかり回った頃、
唐突に誰かが「ブエノスアイレスという手もある」と言い出した。
 
ブエノスアイレスというとアルゼンチンの首都、
南米にある国なので、メキシコよりも更に遠く、直行便がないぐらい遙かな国。
知っているのはアルゼンチンタンゴぐらいで、
情熱的でセクシーな踊りの印象ぐらいというお粗末さ。
 
しかし、メンバーの内、3名はブエノスアイレスに行ったことがあったり、
展覧会を開いたことがあるというから恐るべし版17メンバー。
 
 
結局、
「みんな歳取っていくんだから、行くなら遠い所からにした方がいいと思う」
という私の意見に賛同してくれ、
ほとんどメキシコに決まりかけていた次回開催国が
急転直下、アルゼンチンのブエノスアイレスに傾いた。
 
最後は「ブエノスアイレスに乾杯!!」などと気勢を上げ、
一本締めをして、会は終了した。
 
私は少し前に確か「ブエノスアイレスの夜」という映画のDVDを
借りて観た気がすると思い、再度借りて見直してみた。
 
かなりディープで隠微で混沌とした作品だった。
 
メンバーの「ブエノスアイレスってすごく変な国なんだよ。
黄色人種に対する偏見もすごいし(そもそも黄色人種があまり関わっていない)、
気候も建物とか植物も変なんだよ、とにかく」という
訳の分からない説明に納得出来ないまま、
映画を観たら、ますます混乱してしまった。
 
しかし、未知の国アルゼンチンと
ブエノスアイレスなんて一生行きそうもない都市が急に身近になり、
「もしかして、来年はブエノスアイレスにいくのか?」と、
奇妙なおじさんばかりの版画家集団に身を置くのも悪くない、
そんな気がしている私である。
 


2015年2月2日月曜日

キャパオーバー

 
 
 
遂にガラケーのケータイが壊れたため、スマホに乗り変えることになった。
ひとり暮らしの身としては、
スマホの使い方の先生と仰ぐ次女と同じ機種にしないと、
わけがわからなくなると思い、
i-phone6にするつもりで、
日曜日の午後イチに最寄り駅の改札で次女と待ちあわせた。
 
ところが、その前日、マレーシアにいるダンナにメールで新車の報告書を送った際、
不用意にしゃべった「遂にケータイが壊れたからi-phone6にするつもり」という
私の言葉に、ダンナが猛反対の意思表明をしてきた。
 
しかも、それを本人の私に伝えるのではなく、次女の方にメールしてきたから
ややこしい。
 
曰く、「使いこなせない人間にi-phone6など与えても宝の持ち腐れ。
SIMカードを使った方法で格段に安く抑えられるはず」というもの。
 
しかし、聞けば、アップルストアではすでにそのタイプのi-phoneは
国内販売中止になったとかだし、
他の聞いたこともない会社のスマホもいろいろ障がいが多いらしい。
 
相当、めんどくさいやりとりを次女とダンナがしているのを横目に見ながら、
当の本人である私はsoftbankの人に
i-phoneとaquos cristalとの特徴と使い勝手を説明してもらい、
SIMカード方式になんかする気はサラサラないままに、
初めてのスマホとしてaquosを購入することにした。
 
決め手は使い方の説明書がついてくることと、液晶画面が大きいこと、
デザインが美しいこと、本体価格がゼロ円になること。
 
先生がいるのは1日だけなので、
説明書があるのは、心強い。
 
しかし、そこまで決定するのに要した時間は約4時間。
売場は人でごった返しているし、
クルーの数は足らないし、
日曜日にケータイを買いにいくというのがどれだけ無謀なことか思い知った。
 
結局、ケータイショップを出たのは夕方6時前。
もうお腹が減って、頭も使いすぎて、ふたりともヘロヘロ。
 
家に帰って、幸い作ってから出掛けた夕飯をまずはお腹に納めて、
いよいよレクチャーを受けることに。
併せて、次女に初期設定をしてもらいながら、イロハのイから説明してもらった。
 
しか~し、スマホユーザーの次女にとっては当たり前のことでも、
初めてスマホにまともに触れる私にとっては、
「えっ、どうやったらこの画面開くの?」
「わっ、またちゃんと打てないんだけど、どうやんの」みたいなアホな質問が続く。
 
やれ「ママ、指が太すぎる」だの、
それ「そんなことも分からないの」だの、
「さっき言ったじゃん」、「だ・か・ら~」みたいな叱責の嵐で、
鬼コーチはどんどん熱くなり、
へなちょこ生徒は頭のキャパオーバーで、目は血走り、脳みそがオーバーヒート。
 
なのに、LINEを開通させたせいで、
どうやって知ったのかよく分かっていないが、
何人もの友人が
「おめでとう!遂にLINEを始めたのね~!!」みたいなメールを送ってきてくれ、
可愛いスタンプがペッタンペッタン。
 
この可愛いスタンプペッタンをやりたくてスマホに変えたといっても過言では無いが
まだ、到底そこまで到達してないのに、
次々送られてくるLINEメールにうれしい悲鳴。
 
結局、日付も変わろうかという夕べの23時半頃、
レクチャーはとりあえず終了。

今度はまだ運転2回目の新車を繰り出し、
真夜中の高速をぶっ飛ばして、次女を東京に送っていった。
 
メカ音痴の私に次から次へと訪れるメカニカルな課題。
 
新車の素晴らしい加速とラグジュアリーな居住性を味わいつつも
よく分からんナビの操作に翻弄され、
「今日から仲間ね」と祝福されつつ、まだまだスマホがわけ分からんちんな私。
 
60の手習いはハードだとしみじみ思うけど、
ここが踏ん張りどころか。
 
LINEメンバーの皆様、どうか温かい目で見守ってくださいませ。
もうすぐ、買い求めた可愛いスタンプペッタンで返信しますからね~。