最寄り駅のホールで『Framenco &Jazz』
~フラメンコ&ジャズ・チャリティコンサート~と題されたコンサートがあったので、
懐かしさも手伝って行ってみた。
出演者の名前は全く知らされておらず、
生協の申込書と一緒に入ってきた大量のチラシの中にその案内を見つけ、
2,000円だし、最寄り駅だしという気軽な気持ちで申し込んだ。
前半はフラメンコのコンサート、
後半は5人組女性ヴォーカルグループのジャズとは言い切れない楽しいコーラス。
最後は2組のコラボという構成。
しかし、
どう考えても何でこのメンバーが同じ舞台に立たなきゃいけないのと
いいたくなるような毛色の違うアーティスト達だ。
観客も60代を中心とするような女性が多めのいつものお客さんという感じで
フラメンコのライブに精通している風もなく、
フラメンコを踊っているとか、習っている風な人も見当たらない。
極々一般の音楽好きのおば様達とお見受けした。
しかし、コンサートの前半はまず、カンテと呼ばれる歌い手とギタリストが登場し
「1曲吟じます」とでもいうような重たい歌だ。
もちろん歌詞はスペイン語なわけで、
曲調はメロディアスなわけでも、ノリがいいわけでもない
唸るような曲なので、
会場はシーンと静まりかえっている。
(登場してもどこで拍手していいのか分からないので、拍手は無し)
本当ならいいところで「オレー!!」と声をかけたいところだが、
観客の頭に?マークが飛び交っているのが見えるような空気で、
しかも、曲の後半、私の後ろの席の人が椅子に引っかけていた杖を床に落とした。
「ガチャガチャ」「アララ、取りましょうか」「いいえ、大丈夫です」
『って、言ってんじゃねーよ』(おほほ、失礼)
曲が終わって、まばらな拍手に見送られ、カンテは退場。
次にギタリストのソロ演奏があったが、
前から2番目の真ん中に座っていた私には、彼が怒っているように見えた。
演奏を初めようとしたした瞬間にギターのカポが取れ、床に落ちた。
ギタリストは拾ってそそくさと演奏を始めるも、会場はやはり静まりかえっている。
3曲目。
ようやくパイレと呼ばれる踊り手が登場し、ギター演奏とともに
セビジャーナスという群舞用の曲をひとりで踊った。
高関テラという美しい人で、お祭り用の楽しい曲をひとりでしっとり踊り
こういう表現もあるのかと見入ってしまった。
最後、決めポーズになったとき、誰も言わないと分かっていたが
ひとり「オレー!」と野太いかけ声をかけたら、にこっと笑ってこちらを見た。
次は明るいお祝いの曲『アレグリアス』の歌だったが、
歌い手が声を振り絞るも、なんだか悲しい気分。
会場の空気が一向に暖まらないまま、前半最後の『ティエント』になり、
自分を奮い立たせるような感じの顔つきで、再び高関テラが登場した。
しかし、徐々に会場のお客さんもフラメンコの凄さを思い知ったかのように、
その切なく、激しく、官能的な踊りに引き込まれていくのが分かる。
最後は私以外の何人かから声が掛かり、コンサートの前半が終了。
後半は急にバリ島あたりの衣装に身を包んだ元気なおばさんユニットになり、
空気ががらりと変わった。
ビジュアル的には高関テラに比べたら、全くその辺のおばさんみたいで、
まずは「なんでこの人達、一緒の舞台に立つことになったの?」という
素朴な疑問が浮かんだ。
まあ、そんなことはどうでもいいじゃないという感じで、
楽しく『Take 5』や『Loving You』などよく知っている曲を編曲し、
パーカッションやトランペット、ピアノという楽器にのせて
美しいハーモニーを聞かせてくれた。
おばさまトークも軽妙なので、前半の凄いけど暗いみたいな空気が溶けて
会場は暖かくスイングしている。
最後はコラボして、彼女達の歌声に乗せ、高関テラが踊り
今度は万雷の拍手とかけ声がかかる。
「何だ、やれば出来るじゃん」と心の中で叫びながら、
私も何度もかけ声をかけ、パルマ(手拍子)を叩いた。
なんとも不思議なコンサートだったけれど、最後は観に来てよかったと思えた。
たぶん、フラメンコの正しい鑑賞のしかたを分からない人々のために、
構成を変えた方がいいのではと思う。
そのあたりをアンケートに書き、
『ティエント、とてもよかったです!』とエールもしたため、会場を後にした。
フラメンコから離れて丸2年。
もはや自分が踊っていたなんて忘れてしまった感があるが、
いい踊りをみると、あんな風に踊れたらと、ちょっとウズウズする自分がいる。
また機会があったら、高関テラを観にいこうかな。
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