2015年5月31日日曜日

イタリア紀行2  旅の気分はお宿次第

ベネチアの島内にある古いホテル
部屋のベランダからは水の都の裏の顔が見えた
 
ローマ郊外のデラックスホテル
朝食のバイキングも充実
 
 
 
旅行会社で行く団体のツアーの値段の差は、ホテルのランクの差といっていい。
 
もちろん飛行機が直行便なのか、乗り換えありなのか
日本の航空会社なのか、格安航空券なのかという違いもある。
 
同じツアーもビジネスで申し込むと軽く20万円は上乗せされてしまうから
飛行機代は旅費の大きな部分を占めているのだが・・・。
 
ここを一般的なパターン、
つまり、イタリア旅行にはアリタリアの直行便のエコノミークラスを利用するとなると、
旅費の差は主にはホテルのランクの差ということになる。
 
今回はホテルでいうと
ベネチアで島内に泊まるということと(ほとんどのツアーは島の外に泊まる)、
2連泊が2回入るということと、
最後はデラックスホテルに2連泊で泊まるということで、
コースを選択してみた。
 
その結果、
ベネチアはバスの立ち入れないエリアに舟で向かい、
船着場から歩いて5分ほどのクラシックホテルに泊まることになった。
 
クラシックホテルというと聞こえはいいが、古いだけあって
隣人の気配や上の階の靴音、
手に取るように分かる近所の水の音、動きの異様に鈍いエレベーターなど
そういうことが気になる人は好きになれないかもしれない。
 
しかし、そのレトロな内装、中世のような空気感、
まるでパリのアパルトマンに来たような窓からの景色、
のんびりしたホテルの従業員など、
島内の古いホテルに泊まったからこその雰囲気がある。
 
それに観光も次の朝一番にはかの有名なサンマルコ広場には行けるから
誰ひとりいない広場の写真を撮るなんてことも出来た。
 
これが島の外から舟で来るとなると、広場に到着するのは10時ぐらいになるので、
すでに人人人で人に埋もれた広場しか見ることが出来ない。
 
 
また、安いツアーもそれなりのツアーも高いツアーも
何軒か泊まる最後のホテルを一番いいホテルにするのは定石だ。
 
ものごと終わりよければすべて良し。
お天気も同様だが、ホテルにも同じことが言える。
 
以前、トルコに行った時も最後の2連泊がリッツカールトンで
それはそれは夢のような2日間を過ごすことが出来、
お陰で私の中では、トルコが大好きな国ベスト3にランクインする勢いだ。
 
元々イタリアは大好きな国で今回で3回目だったのだが、
1回目は学生のど貧乏個人旅行だったし、
2回目はそもそもが格安のイタリアパックツアーだったので、
イタリア旅行全部の中で今回の最後のホテル、ローマのマリオットが
一番いいホテルだったと言える。
 
ベッドはトルコのリッツカールトン並みに高く、
小柄な私はよじ登らなければと思うほどで、
そのリネンの質の良さと包み込まれるようなベッドのクオリティは相当高い。
 
しかし、贅沢なことにバスルームとシャワールームが別れているので、
バスタブにお湯をため、ゆっくり体を温めてからは、
髪や体をを洗うために裸で隣のシャワールームまで駆け込まなければならない。
(イタリア人は通常、バスタブは使わないに違いない)
 
家具調度品も大理石の天板にグラスリッツェンの模様つき扉のバーカウンター、
おしゃれな彫り物で縁取られた大きな正方形の鏡、
濃い卵色と紺をテーマカラーにした内装など、
随所にイタリアのセンスを感じることが出来た。
 
まずは宿に着いたらお湯が出るか確かめて、
駄目なら申し出るよういわれたそれまでのいくつかのホテルに比べ、
明らかに心地よく、最後のイタリアの印象を何割増しかにしてくれている。
 
朝食もそういう意味ではホテルの印象を左右するもののひとつだが、
ここの朝食のバラエティの豊富さは1泊では制覇しきれるものではなく、
2日目はまだ試していないものと、
昨日食べて美味しかったものとの悩ましい選択の中で、
すっかり満腹になり、
イタリア旅行を締めくくったのであった。

2015年5月30日土曜日

イタリア紀行1  旅の気分はお天気次第

ベネチア、実は冷たい雨。
傘は足元に投げ捨て、笑ってはいるが、寒い。
 
ポンペイの遺跡。
2000年前の街の噴火があった日を想像しながら、
炎天下を歩いた。
 
カプリ島。
青の洞窟目指して小舟で向かうところ。
今日は入れそうという情報に期待が膨らむ。
 
マテーラの遺跡。
石灰石の洞窟住居には青い空が似合う。
すっかりモデル気取りで、ハイ・ポーズ。
 
 
5月21日から30日までの10日間のイタリア周遊旅行から先程、帰って来た。
帰りのアリタリアが機内の水が出なくなるという故障のため、
2時間以上遅れ、予定より大幅に遅くなったので、丸2日間かけて帰国した感じ。
 
しかし、それ以外の旅行の行程自体はとてもスムーズだった。
 
今回のメンバー29名は「早め早め」タイプだったので、
常に何かと一番先だったり、予定時間より早く出発したりで、
順調にことが運んだ。
(案外こういう団体旅行はクラスカラーがでる。常に遅刻者がいるチームは最悪)
 
添乗員さんにも恵まれ、美人で経験豊富、
日本語がきれいな上に解説が的確、無駄口を叩かないという
何拍子も揃った有能な人に当たったといえる。
さすが、会社推薦『人気添乗員さん』なだけのことはある。
 
旅行の印象は10日間ご一緒するメンバーと添乗員さんによるところが大きいので、
その点、本当によかったのではと思っている。
 
旅行の印象を左右するのは人ばかりではない。
まったく同じ旅程であっても、
快晴と雨とではまったくその土地の印象は変わってしまう。
 
基本、自分は晴れ女という自負はあったのだが、
そんななんの根拠もない自信は、
なんの裏付けもないままに、
今回の旅行では、ベネチアで終日冷たい雨に降られてしまった。
 
旅程は
1日目がミラノでドゥオモとサンタ・マリア・デッレ・グラツイエ教会で『最後の晩餐』
2日目がベネチアでサンマルコ広場とゴンドラ、移動して、ピサの斜塔
3日目がシエナ歴史地区と午後、フィレンツエ歴史地区
4日目がユーロスターでナポリへ向かい、ポンペイの遺跡見学
5日目はカプリ島に渡って青の洞窟、アルベロベッロの海岸ドライブ
6日目は世界遺産マテーラの洞窟住居群とローマまで大移動
7日目はヴァチカンで最後の審判とサンピエトロ寺院、ローマ歴史地区
そして、前後に3日間の入国と出国の日があって全部で10日間である。
 
ざっくりいえば、北イタリアのミラノから南下して、南イタリアを周遊し、
最後はローマに戻って
極めつけのヴァチカン市国にいくという
イタリア全土のいいところを網羅するてんこ盛り旅程だが・・・。
 
さて、
このうち、初日のミラノ観光を終え、ベネチアのホテルに夕方着いたあたりから
雲行きはどんどん怪しくなり、
気温は予想以上に低くて、持っていった洋服は間違いだったかもと
心配になってきた。
 
出発前の横浜や東京は連日30度を目指して気温上昇が続いていたし、
添乗員さんからもイタリアは今、15度から25度で快適なお天気と聞いていたのに
ちょっとした波乱の幕開けだ。
 
実は私たちがベネチアに着いた前の日も前々日も雨だったとか・・・。
 
そんな中、
音をたてて降っている雨にも負けず、なんとかゴンドラにも乗ることが出来たが、
白黒のボーダー柄のシャツが制服の水夫は真っ黒ずくめのレインコート姿だし、
お客の私たちも写真を撮る際、傘を手放し画面に写らないようにするなど、
身を挺してハッピー感を演出していたせいか、すっかり体が冷え切り、
なんだかのどの奥にイガイガがくっついてしまった。
 
イタリア旅行2日目にして風邪でダウンなんてシャレにならないと
気合い一発、のどのイガイガ止まりで風邪を封じ込め、
なんとか雨のベネチアを乗り切った。
 
しかし、その後は南に下れば下るほど天気は好転し、
ポンペイの遺跡の石畳の道を歩いたときも、
舟に乗って青の洞窟を目指したときも、
アマルフィの海岸線をドライブしたときも、
南イタリアの強烈な紫外線を浴び、さわやかな風に自然に笑顔がはじけた。
 
同行の友人とも、何度となくお天気に恵まれてよかったと話し、
カメラを構えては「帽子で顔が真っ暗だからなんとかして」とか、
「サングラスしたままにしようかしら、ない方がいいかしら」
「ポーズはこんな感じ?」「いや、ちょっと体を左にふってみて」などと
傘をさしていないがごとくに誤魔化すこともなく、楽しい撮影が出来た。
 
やっぱり、蒼い海には青い空が似合うし、
青い空と白い雲があっての遺跡の美しさだ。
 
さすがに世界遺産がもっとも多い国イタリア、
どこにいっても絶景と大いなる藝術遺産を見せてくれ、
旅は尻上がりに楽しいものになっていった。
 
グラッチェ!イタリア。
グラッチェ!太陽、そして青い空。
 
そして、晴れ女の根拠なき自信は続くのであった。

2015年5月19日火曜日

旅支度

 
 
イタリア旅行の添乗員さんから、直前のご挨拶の電話連絡があった。
 
集合時の注意事項や、服装に関して、お金の換金についてなど、
挨拶だけにとどまらず、旅行をスムーズに進めるための注意喚起の連絡だ。
 
その数日前には最終の旅程表が届いているので、
これでいよいよ当日の朝を迎えるばかりという段取りだ。
 
私もイタリアの天気予報を何度となく確認し、
15~25度ぐらいのさわやかな天気を期待しつつ、
寒かったときや急に暑くなったときなどに対応できるよう
あれこれコーディネイトを考えてみた。
 
今回のテーマカラーはスーツケースやバッグ類がローズ系なので、
服装は主にモノトーンにすることにした。
 
更に日程によって、都市部と郊外とにわけ、
教会や美術館などに適したモノトーンでシティカジュアルなものと、
海や海岸線、遺跡のような自然の多い場所に映えるカジュアルなものに
分類し、少し違うテイストで変化がつけられればと思う。
 
今回の旅程の中にいったんホテルで着替えてショーを観に行くといったメニューは
ないので、ドレスアップする日はなさそうだが、
最後の方でバチカン市国に行く日あたりは、
ワンピースもありかなと思い、一応スーツケースに詰め込んでみた。
 
きっと思ったより寒かっただの暑かっただの、
そんな恰好をしてもひとり浮くだけかもなどと、
持っていっても着ないで持ち帰るワードロープがでるだろう。
 
それでももしかしたらと思ってあれこれコーディネイトを考えながら、
荷造りをする、
きっと、こんなことをしているのが一番楽しい時間なのかもしれない。
 
さてさて、肝心のパスポートと現金、
そして、コンタクトレンズの入れ物とかヘアブラシなど、
当日の朝使って、そのまま家に忘れたりしないようにしなくては。
 
もういくつ寝るとイタリアに~?
あとふたつ寝るとイタリアよ~!

2015年5月17日日曜日

映画鑑賞『日本橋』

 
 
 
東銀座の東劇に映画『日本橋』を観に行った。
 
その前に先週、TUTAYAで大昔の映画『日本橋』を借りてきて予習。
 
『日本橋』は泉鏡花の小説で、昭和40年代あたりに一度映画化されている。
その時の主役お孝は淡島千景、準主役の清葉は山本富士子が演じている。
 
物語は葛木晋三をめぐるふたりの女の恋模様といったあたりだが、
対照的な芸者ふたりをどう描くかが映画監督の腕の見せどころ。
 
まずは予習として観た昔の『日本橋』の方は
淡島千景のなんとまあ色っぽくて仇っぽいこと。
 
昔の粋な芸者というのは
こんな風に気っぷの良さと艶っぽさを併せ持っていたんだろうなと
惚れ惚れする感じ。
 
それに対して
山本富士子の美しさと初々しさといったらない。
 
山本富士子が八頭身美人でミスユニバース日本代表になったことは
かすかに記憶にあるが、
女優としてどんな演技をし、どれほどの評価を得ていたかは知らない年代なので
『日本橋』におけるその美しさと気高い雰囲気はちょっと特筆ものだ。
 
映画の内容は大正時代のものの考え方や男女の仲、
昭和の映画の撮影技術の未熟さ、編集のおかしさ(はしょり方)など、
ちょっと微妙な部分もあるが、それをカバーしてあまりあるふたりの女優が
美しく、また、格好良かった。
 
さて、そんな昔の『日本橋』を玉三郞が意識しなかったわけもなく、
玉三郞のために撮られたといっても過言ではない今回の『日本橋』。
 
今日、観たのは数年前に舞台で公演されたものを映画に興し、公開。
そして、『月イチ歌舞伎』として再上映されたものである。
 
公開当時は観なかったので、初めて観るわけだが、
これが予習で観た昔の『日本橋』とは相当違うアプローチの作品だった。
 
お孝役は当然、坂東玉三郞。
清葉役は高橋恵子。
葛木晋三役は松田悟志なるよく知らない役者だ。
 
玉三郞がけっこう歳になってからの作品だからか、
高橋恵子もきれいではあるが、相当な年増であることがバレバレで
山本富士子の初々しさには到底およばない。
 
相手役に本物の女性をもってきているから歌舞伎ではないのだが、
玉三郞のセリフ回しはやっぱり歌舞伎っぽいし、
目線のもって行き方も舞台の人のそれだ。
 
映画は舞台で行われた歌舞伎を映画に撮ったという形式ながら、
普通の映画の場面転換のような映像処理もある。
 
そのあたり、舞台を映像化した時の違和感と中途半端な感じは否めない。
 
個人的には玉三郞の追っかけだから、
玉三郞の美しさと仇っぽさにうっとりしとけばそれでいいのだが、
予習の淡島千景が先に刷り込まれているせいか、
玉三郞の舞台を、映画でお手軽に観られてよかったねとだけ言えない
何か釈然としない印象が残ってしまった。
 
上映時間が2時間半越えで、説明的なセリフが多く、
昔の『日本橋』のすっ飛ばされた内容の合点はいったのだが、
これをもし舞台で観ていたら、ちょっと冗長かも。
 
東劇の椅子は深々として、その辺の映画館の椅子に比べ、たて横共に大きい。
座ると前の人の頭は座席の背でほとんど隠れてしまって、椅子の背しかみえない。
横の人もちょっと離れていて、
たとえ両肘を肘掛けにのせても、隣の人の肘とぶつかることはない。
 
そこに平均年齢70ぐらいの老若男女がまばらにゆったりと腰掛け、
隣から途中でおにぎりをほおばる音とのりの香りがしてきたり、
時々いがらっぽいしわぶきが聞こえたりすると、
ちょっと自分がどこにいるんだろうという不思議な気分になる。
 
そんなタイムスリップしたかのような時間を過ごし、
1時半過ぎ、外に出てみれば、
初夏の日差しは強烈に差し、気温は早30度近くか。
 
友人ふたりの版画展を銀座6丁目と7丁目の画廊で観て、
ふたりに会い挨拶し、浮き世のおつきあいを済ませ
私の今日の『日本橋』は終了した。


2015年5月11日月曜日

茶カブキのお稽古

 

 
 
 
お茶のお稽古で『七事式』の内のひとつ『茶カブキ』をやっていただいた。
 
『茶カブキ』というのは、お点前がまず2種類の濃茶を点て、
それをお客さんに飲んでもらい味や香りを覚えてもらってから、
本茶といって、3服続けてお濃茶を点て、
その3服の何番目が最初に飲んだものと同じか当てる茶道のゲームである。
 
資格ものと違って、何かのお免状をいただいたから教えてもらえるというような
お点前とは別のものなので、
どんな先生のところでも教えてくださるわけではない。
 
私も以前習っていた先生のところで数回経験したが、
今回の先生のところではしたことがなかったので、
週末にお電話をいただいて、月曜は茶カブキをしようと思ってとお聞きしたときは
とても嬉しかった。
 
そんなわけで、お茶席を盛り上げようと、今日は勇んでキモノを着ていった。
 
だいぶ季節はすすんで初夏の風情だったので、
白っぽい縞模様のキモノに傘の絵柄の名古屋帯という組み合わせにした。
 
久しぶりに髪を後ろにキュッとまとめると、気持ちが引き締まる。
しかし、ボリュームアップした体に幾重にも巻かれた帯や紐類は
なかなかに苦しく、写真に写った我が身の太さはめまいがするほどだ。
 
さて、肝心の茶カブキだが、
私はお点前を命じられたので、
事前に5つの小さな茶入れにお茶をはくところから始まった。
 
5つの内の2つには『上林(かんばやし)』と『竹田』とある。
そこにいつもの『都の昔』ともうひとつ初めてのお茶を入れた。
 
次に茶入れのふたの裏に書いている『上林』『竹田』『客』の名にしたがって
先程入れたお茶と同じものが同じ名前になるよう入れる。
『上林』と『竹田』はふたつずつ、
『客』の茶入れはひとつしかないことになる。
 
長四角い角盆に乗った名前を伏せた3つの茶入れはシャッフルし、
お点前の私でさえ、どの順番に点てるのかわからなくしてしまう。
 
そして、先に『上林』、次に『竹田』と点て、
続けて3服点て、
お客は1服2服3服と
それぞれが『上林』なのか『竹田』なのか『客』なのか紙にしたためる。
 
お点前は当然1服も飲むことは出来ないのだが、
点てている時のお茶の香りや色・ツヤなどで
目隠しのお茶が『上林』なのか『竹田』なのか
はたまた、初めて点てる『客』なのか大体分かる。
 
お客の皆は次々点てられる5服ものお茶を楽しみながらも首をかしげ、
味の記憶を呼び起こしながら、紙に茶名をしたためている。
 
書き終えたらお客は執事という役の人のところにそれを提出し、
お点前も角盆ごと茶入れを執事に持っていって照合する。
 
3服すべて当てた人にはその書状がプレゼントされる。
 
以前、先生が宗相のお宅で行われた茶カブキで
全種類当てた時にもらったという書状が、
なんと表具屋さんで表装してもらってお軸として飾ってあったのには驚いた。
 
こうなるとお遊びの粋は越えているが、
昔のお遊びは風流で贅沢だったと垣間見る思いがした。
 
こうして、本日のお茶のお稽古はいつにもまして、非現実の世界に遊ぶことが出来、
浮き世のゴタゴタからトリップして楽しかったが、
家に戻れば家人がおり夕餉の仕度が待ったなし、
日常に飲み込まれていくしかない我が身の辛さなのであった。
嗚呼。
 
 


2015年5月9日土曜日

イタリアへシフトする

 
 
今日は個展の後、ギャラリーで預かってもらえることになった作品を銀座に届けた。
これで、個展後の作品や額縁関連のやりとりは一応終了。
 
あとはギャラリーオーナーがじょうずにオススメして作品が売れてくれるのを
楽しみに待つばかり。
 
そして、これからの楽しみと言えば、
自分にご褒美というか、リフレッシュのためといおうか、
個展の結果に関わらずセッティングしてあったイタリア旅行が迫ってきている。
 
5月21日から10日間、
これまでトルコやスイス・フランス・チェコなど、何回か旅してきた友人と一緒に
イタリアの周遊旅行に出掛ける予定だ。
 
昨年秋にはダンナと次女とでニューヨークとボストンに行っているので、
ちょっと立て続けだとは思うが、
個展は4年越しの大仕事だったし、
次の一手を繰り出すにあたっては、やっぱりリセットが欠かせない。
 
今日はその序盤戦として、
渋谷のBunkamura ル・シネマでやっている映画『イタリアは呼んでいる』を観てきた。
 
イタリアはすでに2度行っている大好きな国だが、
映画はふたりの中年男がミニクーパーを駆ってイタリアを北から南まで
グルメ取材の旅に出るという内容で、
今回の旅行の予習としてはうってつけなのではと思ったのだ。
 
グルメ取材というだけあって、
主役のスティーヴとロブは常に美味しそうなイタリア料理を食べながら
ジョークを飛ばし、
『ゴッドファーザー』『甘い生活』『007シリーズ』などの名優達のモノマネを連発。
 
映画好きな人なら、その機関銃のように繰り出されるモノマネが
誰のモノマネなのか、知っていればいるほど楽しめるだろう。
特にヒューグラントやアル・パチーノ、マーロン・ブランドは出色の出来。
 
まあ、ちょっといい加減にして、早く食べないとせっかくの料理が冷めちゃうと
気を揉む場面もあるけど、
軽妙なふたりのやりとりは、
これからイタリアに行く気分を上げてくれるという点ではぴったりだった。
 
きっと数日したら、旅の旅程表が届くだろう。
昨日はイタリアのガイドブックも購入したし、
もう少ししたら部屋にスーツケースをひろげ、衣類や靴などの準備をしながら、
楽しく準備期間を過ごそうと思う。
 
旅行アイテムの準備やファッション計画、
それは私にとって旅行と同じぐらいワクワクするものだから。
 


2015年5月7日木曜日

ピアノ越しの蒼い鳥

 
 
 
4月の個展で古い友人が『旅路』というタイトルの大きな作品を購入してくれた。
 
額縁は会場の作品に使ってあった黒いものから、
シャンペンゴールドにして欲しいという彼女の要望を受け、
新たに注文したものに作品をセッティングし直してもらった。
 
そして、ゴールデンウィークに彼女の元に届いたらしい。
 
しかし、一昨日、
その大きな荷物を受け取った彼女から悲鳴にも似た声で電話がかかってきた。
「ねえねえ、今、荷物が届いたんだけど、とにかく凄く大きくて
ひとりじゃどうしていいかわからないのよ。どうすればいい?」と。
 
そう言ってくるのは、実は想定内だった。
 
会場で見るより、普通のおうちに持ち込まれた額縁が大きくみえるというのは
よく聞く話だし、
何より、彼女が選んだ作品は会場の中でも2番目に大きい作品だ。
 
額縁の外寸は105センチ×105センチの正方形だが、
それが化粧箱に入り、プチプチのパッキング材にくるまれ、
更に段ボール箱に入っているのだから、その大きさに驚くのも無理はない。
 
あらかじめ壁にかけるための金具も一緒に送ってあったが、
その段ボール箱を開封することさえ、ままならない様子だ。
 
そこで今日は埼玉県久喜市にある彼女のご自宅まで、
はるばる出張し、壁に取り付け工事に行って来た。
 
というか、
グランドピアノの背景の壁にかけるというので、
実際にピアノ越しの我が作品=我が子の姿が見たかったというのが本当のところだ。
 
彼女のおうちは我が家から移動時間にして2時間ちょっと。
さいたま新都市駅なる駅あたりからは、まったく未知のエリアを電車は走り、
東鷲宮なる駅に迎えに来てもらい、ご自宅に伺った。
 
中高一貫校の中学時代に仲良くしていた彼女とは
高校生が終わる頃には疎遠になっていたのだが、
幼なじみというのは50年近い時間をひょいと超越できる不思議な関係だ。
 
初めて伺ったお宅なのに、何だか大昔の彼女のおうちの匂いを感じ、
懐かしい気持ちになった。
 
ピンクベージュの壁紙に鉛筆で印をいくつかつけ、
慎重に位置を決め、グランドピアノの高さすれすれに額が収まるよう金具を打ち、
額を吊すと、
シャンパンゴールドの額縁に柔らかな外光が差し込んで、
たちまち重厚かつ威厳のある空間を作り出した。
 
作品中央の大きな蒼い鳥はその部屋に昔から羽ばたいていたかのようにマッチし、
モノトーンで無表情だったリビングが急に華やいだ。
 
「いいわ、いいわ。これにしてよかった」と彼女が何回も言うので、
私も嬉しくなる。
 
見知らぬ土地の初めてのおうちに、嫁入りした娘の様子を見に来た母の気分だ。
 
「ここがあなたのおうちなのね。幸せになりなさいね」と
そう、声をかけたい。
 
ここで彼女や彼女の生徒さんとのピアノの音を聴きながら、
これからこの『蒼い鳥』は暮らしていくのだ。
 
今日はその場所を見届けられた幸せな一日だった。
自分の作品が掛かるよそ様のおうちを見るのは作家冥利に尽きるのだから。
 
 


2015年5月5日火曜日

突然の本帰国

 
 
個展の後、額縁の注文や発送など、後始末に忙しくしていたそんな時、
突然、マレーシアのダンナから連絡があり、
急に帰国することになったという。
 
その連絡の数日前には送って欲しいもののリクエストがあったから、
帰国の話は本人にとっても晴天の霹靂だ。
 
どうやら、本社の2代目若社長と経営方針の意見が折り合わず、
啖呵をきってしまったようだ。
 
こうして私の夢のような初めてのひとり暮らしは5ヶ月であっさり幕を閉じた。
 
ゴールデンウィーク後半はこれまたそれぞれにひとり暮らしをしている娘ふたりと
帰国したダンナとで、にわかに家族全員が揃うことになった。
何ともにぎやかになったのはいいが、
部屋が片付かないことといったらこの上ない。
 
ひとり暮らしの5ヶ月間は、家の供用部分には何一つものは置かず、
こざっぱりと暮らしていたが、
今はダンナが持ち帰った7つの段ボール箱とスーツケース、
機内持ち込みのキャリーケースとゴルフバッグ、
娘二人のお泊まりグッズがところかまわず散乱している。
 
その上、昨日は女3人、バスで御殿場アウトレットに行って買い物もしたので
そうしたアイテムも増え、
家中ものがあふれてカオス状態だ。
 
あの静かで穏やかで整然とした日々はいずこへ。
 
しばらく忘れていた家族がいてわいわい暮らすということが突然ふってきて
こんな風に何十年も暮らしてきたんだなと
懐かしくもあり、正直うとましくもある。
 
よく、孫がいる人が、休みに孫が来るのは嬉しいけど、
遊びに来るといつものペースが乱れて2~3日で早く帰らないかなと思うというが、
大人達だけでも十分そんな感じだ。
 
きっとひとり暮らしの長い若者がなかなか結婚できないのは
こうしたひとりの気楽さから、
他人と暮らすめんどくささに飛び込めないという理由にもうなずける。
 
今日の晩ご飯を家族で共にしたら、娘達はそれぞれの家に戻り、
あさってからの仕事に備え、気持ちと体をシフトチェンジするという。
 
後にはダンナが残り、また熟年夫婦のふたり暮らしが再開する。
 
私も5ヶ月のルンルン生活から気持ちも体も切り替えて
まじめな主婦業を思い出すしかあるまい。
ヤレヤレ・・・。