東銀座の東劇に映画『日本橋』を観に行った。
その前に先週、TUTAYAで大昔の映画『日本橋』を借りてきて予習。
『日本橋』は泉鏡花の小説で、昭和40年代あたりに一度映画化されている。
その時の主役お孝は淡島千景、準主役の清葉は山本富士子が演じている。
物語は葛木晋三をめぐるふたりの女の恋模様といったあたりだが、
対照的な芸者ふたりをどう描くかが映画監督の腕の見せどころ。
まずは予習として観た昔の『日本橋』の方は
淡島千景のなんとまあ色っぽくて仇っぽいこと。
昔の粋な芸者というのは
こんな風に気っぷの良さと艶っぽさを併せ持っていたんだろうなと
惚れ惚れする感じ。
それに対して
山本富士子の美しさと初々しさといったらない。
山本富士子が八頭身美人でミスユニバース日本代表になったことは
かすかに記憶にあるが、
女優としてどんな演技をし、どれほどの評価を得ていたかは知らない年代なので
『日本橋』におけるその美しさと気高い雰囲気はちょっと特筆ものだ。
映画の内容は大正時代のものの考え方や男女の仲、
昭和の映画の撮影技術の未熟さ、編集のおかしさ(はしょり方)など、
ちょっと微妙な部分もあるが、それをカバーしてあまりあるふたりの女優が
美しく、また、格好良かった。
さて、そんな昔の『日本橋』を玉三郞が意識しなかったわけもなく、
玉三郞のために撮られたといっても過言ではない今回の『日本橋』。
今日、観たのは数年前に舞台で公演されたものを映画に興し、公開。
そして、『月イチ歌舞伎』として再上映されたものである。
公開当時は観なかったので、初めて観るわけだが、
これが予習で観た昔の『日本橋』とは相当違うアプローチの作品だった。
お孝役は当然、坂東玉三郞。
清葉役は高橋恵子。
葛木晋三役は松田悟志なるよく知らない役者だ。
玉三郞がけっこう歳になってからの作品だからか、
高橋恵子もきれいではあるが、相当な年増であることがバレバレで
山本富士子の初々しさには到底およばない。
相手役に本物の女性をもってきているから歌舞伎ではないのだが、
玉三郞のセリフ回しはやっぱり歌舞伎っぽいし、
目線のもって行き方も舞台の人のそれだ。
映画は舞台で行われた歌舞伎を映画に撮ったという形式ながら、
普通の映画の場面転換のような映像処理もある。
そのあたり、舞台を映像化した時の違和感と中途半端な感じは否めない。
個人的には玉三郞の追っかけだから、
玉三郞の美しさと仇っぽさにうっとりしとけばそれでいいのだが、
予習の淡島千景が先に刷り込まれているせいか、
玉三郞の舞台を、映画でお手軽に観られてよかったねとだけ言えない
何か釈然としない印象が残ってしまった。
上映時間が2時間半越えで、説明的なセリフが多く、
昔の『日本橋』のすっ飛ばされた内容の合点はいったのだが、
これをもし舞台で観ていたら、ちょっと冗長かも。
東劇の椅子は深々として、その辺の映画館の椅子に比べ、たて横共に大きい。
座ると前の人の頭は座席の背でほとんど隠れてしまって、椅子の背しかみえない。
横の人もちょっと離れていて、
たとえ両肘を肘掛けにのせても、隣の人の肘とぶつかることはない。
そこに平均年齢70ぐらいの老若男女がまばらにゆったりと腰掛け、
隣から途中でおにぎりをほおばる音とのりの香りがしてきたり、
時々いがらっぽいしわぶきが聞こえたりすると、
ちょっと自分がどこにいるんだろうという不思議な気分になる。
そんなタイムスリップしたかのような時間を過ごし、
1時半過ぎ、外に出てみれば、
初夏の日差しは強烈に差し、気温は早30度近くか。
友人ふたりの版画展を銀座6丁目と7丁目の画廊で観て、
ふたりに会い挨拶し、浮き世のおつきあいを済ませ
私の今日の『日本橋』は終了した。
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