2015年10月29日木曜日

勘三郎の至芸 『籠釣甁花街酔醒』

 
 
先週の土曜日から1週間だけ上映されている
月イチ歌舞伎シネマ『籠釣甁花街酔醒』を観に、東銀座の東劇に行って来た。
 
いつもはこの月イチ歌舞伎、まばらなお客さんのことも多いのだが、
この演目はやっぱりというかさすがというか
ほぼ満席の大盛況だった。
 
歌舞伎といっても映画館で行われる歌舞伎なのに、
なぜかキモノ姿の人がとても多い。
 
私も歌舞伎座に行って観劇するときはなるべくキモノでと思うのだが、
映画館で歌舞伎を観るのにキモノでいこうとは考えたこともなかったが、
さすが銀座というか、この演目だからなのか、凄いとしかいいようがない。
 
さて、何が凄いのか。
 
それはもう、今は亡き中村勘三郎の演技だろう。
 
美しさの極みである玉三郞分する花魁八つ橋の花魁道中を観て、
一目惚れする地方都市に住む大商人・佐野次郎左衛門を勘三郎が演じている。
 
顔はあばただらけの醜い男ながら、お金の遣いぷりといい、気の遣いようといい、
申し分のない上客で、
八つ橋の元に通い詰め、やがて身請けの話になった時・・・。
 
歌舞伎の見所は
吉原の花魁といった豪華絢爛で、
現代では見ることも出来ない華やかな世界であったり、
今も昔も変わらない男女の機微や身分・立場の違いによる心理描写など、
役者の表現力の素晴らしさだったりするのだが、
その点、この演目、歌舞伎らしい歌舞伎の代表格といえよう。
 
最初の見初めのシーンの勘三郎のあっけにとられる表情、
自分の美しさを十分分かっていて、
相手が自分に惚れたことを見下すように微笑む玉三郞の艶然とした顔つき。
 
舞台だと席によっては遠くでよく見えないこのあたりの表情も
映画だと大アップで捉えているので、本当に楽しめる。
 
結構、ふたりの顔の表情に頼って、時が止まったような長いシーンが多いので
その度に映画館中がしーんと静まりかえって
見初められたり、別れを切り出されたりの場面に食い入るような
空気が流れた。
 
あばたを顔中に描いた勘三郎の顔に
歓びの表情、困惑の表情、驚きの表情と絶妙な顔つきが表れる。
 
平成22年2月に歌舞伎座で興行された作品なので、
もしかしたらのどに癌があったのか、
声が少しかすれている。
 
しかし、その眉の動き、口の開け具合、何かを悟った様子など、
わずかな動きで演じ分ける巧みさは、もう独壇場である。
 
勘三郎扮する大商人次郎左衛門の丁稚役で長男勘九郎が出ているのだが、
5年前にして、やっぱりカエルの子はカエルの演技を見せている。
 
今日観た勘三郎は役者として凄いのは凄いのだが、
もしかしたら、既に病の兆候を感じていて、病との戦いが始まっていたのかもと
思わせる節がある。
 
人の運命は変えられない。
でも、知ったとしても受け入れるには時間がかかる。
そんな時期だったのではないかと勘ぐりたくなる
鬼気迫る勘三郎・勘九郎の演技であった。
 
そして、玉三郞はやっぱりこの世のものとは思えないぐらい美しい。
プロフェッショナルな女性であり、役者である。

これが映画とはいえ、同時代に生きて観られた幸せを感じた
『籠釣甁花街酔醒』(かごつるべはなのえいざめ)

2015年10月25日日曜日

恩師あーしゃの舞

 
 
 
今日は以前習っていたフラメンコの先生あーしゃのリサイタル。
 
場所は内幸町のイイノホール、
スペインから5人ものアーティストを招聘して、2回目のリサイタルである。
 
1回目の時は私もまだレッスンに通っていたが、
いろいろついていけなくなって、クラスを辞めて2年近く経つが、
あーしゃ先生の舞台は辞めて以来初めて観ることになる。
 
1回目は赤レンガ倉庫の中の会場だったが、今回は名門イイノホール。
スペインから5人ものアーティストが彼女のために来日しての
ワンマン・リサイタルというわけだから、そりゃもう凄いことだ。
 
会場には懐かしい面々の顔もたくさんあって、
思わずハグしたが、それぞれまだレッスンを続けているというのだから
頭が下がる。
 
この数年間に先生は結婚し、男の子をひとり出産。
そのお子さんがたぶん二つ前の席におばあちゃんと一緒にいた男の子だと
思うのだが、パパの姿はどこに?
 
詳しいことは知らないが、
このフラメンコ・アーティストの生活の中に一般の会社員との結婚と
出産・子育てを組み込むことはさぞ大変だろう。
 
舞台の上のあーしゃはアーティストとして大きく成長し、輝いているけど、
ただ成長したのではない、何か人生の重みを感じさせた。
 
今日のあーしゃは
フラメンコという異国の音楽と舞踊に魅せられ、
日本での生活とのバランスに苦慮しながら、
ひとり苦闘する、そんな姿に見えた。
 
元々フラメンコはジプシーの悲哀を歌い、踊りで表現したものだから、
別の意味で異国の音楽と舞踏に魅せられた日本女性が
日本とスペインの狭間で苦悩する姿に置き換えられると言ってもいいだろう。
 
今日は昨日のフラメンコとは違って、
踊っているあーしゃを個人的に知っているせいで、
いろいろ感情移入して観てしまった。
 
会場でハグした面々は、見た目は以前とちっとも変わらないけど、
この数年でそれぞれの人生は少しずつ変化しているだろう。
 
私自身も違っているのだから、当たり前だが・・・。
 
そんなこんなを踊りという表現に込め、
あーしゃは今日の舞台に立っていたのだと思うと、ちょっと切なくなる。
 
またいつか会っていろいろ話してみたいけど、
まずは素晴らしいフラメンコの世界を堪能させていただき、
ありがとうございました。
 
きっと今頃、まだスペイン人アーティスト達と祝杯を挙げている頃だと思うけど、
本当にお疲れ様でした。

2015年10月24日土曜日

アンダルシアの風

 
ここのところ、コンサートというとタンゴが多かったが、
今日と明日とはフラメンコだ。
 
今日のフラメンコ・コンサートは
そのお値段のリーズナブルさで頻度高く観に行っている
ヒラルディージョという団体で催しているチャリティ・コンサートのひとつだ。
 
場所は神奈川区のかなっくホールで
つい先日も石田様のヴァイオリンコンサートに行ってきたばかり。
350人規模の小さめの公共のホールながら音響がとてもいい。
 
そこで、フラメンコの踊り手4人、歌い手2人(内ひとりはスペイン人)
フラメンコギター2人、ヴァイオリン1人という豪華編成。
それで2500円は安い!
 
しかも、今回のメンバーの歌を聴くのも、踊りを観るのも初めてだったが、
それはそれは素晴らしいメンバーで、
会場が半分ぐらいしか埋まっていないのが申し訳ないぐらい。
今まで観たこの団体のコンサートの中でピカイチだった。
 
逆にパフォーマンスも経歴もすごいのに、なぜこんなところでやるの?
フラメンコのことよく分からなくてかけ声もかけられないおば様達ばかりだし、
広報が行き届いていないせいか、お客さんも少ないし、
安いし。
 
それが日本のフラメンコダンサーやフラメンコアーティスト達の現実かも。
 
そんなことが頭をよぎったけど、
とにかく目の前で繰り広げられる演奏も歌も踊りも素晴らしかったので、
私ひとりででも客席から声をかけてあげようと思って、声を振り絞った。
 
2年前まで自分もフラメンコ教室に通って踊っていたことが不思議なぐらい
もはやフラメンコは遠い存在になりかかっていたのだが、
さすがにいいものを見聞きすると、あの独特のパッションがよみがえってくる。
 
前から2番目の真ん中の席を陣取ったので、
最初の踊り手のつけまつげが取れかかり、頬にぶらさがって
本当に可哀想だったこと、
にも関わらず、立派に踊りきったこと。
 
2番目の踊り手が長くてボリュームのあるドレスの裾を踏んで、
よろめいたけど、
それでもさすが「踊る女優」という異名があるらしく、
何ごともなかったかのように艶然と踊りきったこと。

同じく2番目さんは、2曲目の時に激しく踊った勢いで
大きなオレンジ色のイヤリングの片方が取れ、舞台に落ちたのを
すばやく蹴り飛ばしたら、粉々に散って舞台袖に消えた。
 
3番目の踊り手は一番若くてきれいだし、
踊りも基本に忠実で美しかったのに、
大御所達と一緒の舞台で緊張しているのか、手がずっと震えていた。

前から2番目の席だと、みんなすぐ側で見えていたけど、
その必死さが伝わってくるライブ感がたまらない。
自分も舞台を踏んだことがあるせいか、
我が事のようについつい感情移入してしまった。

そんなドキドキの事件もありつつのあの圧倒的なパフォーマンス。
お見事!のひと言である。

また、
4番目の経験豊かな大御所は踊りで会場のお客さんを挑発したり、誘ったり、
舞台中央で踊るだけじゃなく、会場全体の空気を引っ張り込もうとするも、
お客さんのおば様達はそうしたフラメンコ独特のパフォーマンスに
どう応えていいのかわからないらしく、妙なところで拍手したりする。
 
本当は拍手じゃなくて、かけ声で盛り上げてほしいところだけど、
いきなりかけたこともないのにかけ声は無理だわな~。
 
というわけで、ひとりででもかけるぞと意気込み、
久しぶりにかけたかけ声で、終わってみたら声がかすれていてビックリしたが、
そのパフォーマンスを讃えようとがんばった。
「オレー!!」
「グアッパー!!」
「バマジャー!!」
「トマケトマケトマ~」
 
明日はフラメンコ教室に通っていたときの先生アーシャのソロリサイタル。
今度は先生のフラメンコ仲間や大勢の生徒さんがいるから、
孤軍奮闘することもないだろう。
 
今日はかけ声のタイミングの練習みたいになってしまったけど、
「本当に素晴らしかったよ~」
その気持ちだけは伝わっているだろう。

2015年10月20日火曜日

そうだ 新しいこと始めよう!

 
今朝、ダンナが新しい職場に赴任するため、バンコクに向かって飛び立った。
これで、何回目かの海外駐在だが、バンコクに赴任するのは初めてだ。
 
日本はさわやかな秋晴れだが、バンコクは1年中真夏だから
毎日続く暑さは身にこたえるかもしれない。
でも、
新しい会社の新しい仕事には意欲満々、期するところも大というところだろう。
 
バンコク行きは羽田からもあるので、
横浜に住む私達にとっては断然羽田の方が便利。
 
昨日、航空便であらかたの引越荷物を送ったので、
今朝はスーツケースとキャリーケース、段ボールひとつと
ダンナを羽田まで車で見送り、
これで晴れて私も自由の身になった。
 
今までも自由じゃなかったわけじゃないけど、
まじめなご飯つくりとダンナの小言から開放されただけでも大違いだ。
 
というわけで、さっそく、今日からいろいろ新しいことを始めることにした。
 
先ず、銀行で予約していて当たった分のゆうちょ銀行とかんぽ生命の株を購入。
初めての上場に際し、すごい人気で買い注文が殺到し、
何倍もの倍率をかいくぐり、申し込みの3分の1ほどだが購入することができた。
 
次に、遂に何とかせねばと思っていたこの体重のため、
来月からスポーツクラブに通うことにし、
まずはお試し体験を、来週の水曜日に申し込んだ。
 
その次に、自力でお風呂のリフォームと湯沸かし器の交換をしようと、
週末見に行ったTOTOのショールームにあったお風呂場の見積もりをとることにし
近所のリフォーム・増改築専門店に行ってみた。
 
何しろ、風呂釜は冬場にいきなり壊れるという噂はあちこちで聞くし、
我が家のお風呂場は25年もので戸建てのお風呂場は極寒の地なのだ。
2代目の風呂釜も14年経っており、
いつ壊れてもおかしくないらしい。
 
100万単位の高い買い物になるので、相見積もりをとって、かしこく判断するつもり。
 
夕方には担当さんと職人さんのコンビで寸法を測りにきてくれ、
数日後には見積もりがでる。
 
そして、更にその次に
先週、私の心理カウンセリングのホームページを見て
とある会社からスカウトのメールが届いていたのだが、
今日、社長さんから直々に電話が有り、木曜日に面談の段取りになった。
 
先週末、分厚い資料を送ってもらって読んだ限り、
その会社と提携することで、
新しい方向に私のカウンセラー業も踏み出せるような予感がしている。
 
何しろ、ダンナのためにキッチンに立っている時間が大幅に短縮され、
夜な夜なテレビを観て過ごしている時間が
家にいながらカウンセリングに使えるかもしれなのだ。
 
今は面談がうまくきますようにと願うばかり。
 
私の人生の生きる歓びは
新しい出逢いと、この人に会えてよかったと思える人に出会うこと。
 
そして、何かを始めるドキドキは
やっぱりステキ。
 
新しい何かっていいよね。
仕事でも遊びでも、お風呂でも!

2015年10月19日月曜日

娘がお茶会デビュー

 
 
一年で一番さわやかでいい季節。
 
家の近くの慰霊堂という県の施設で『戦没者慰霊茶会』が催され、
知り合いの先生がお席を持たれるということで、娘と出かけることになった。
 
実家に戻ってきている時しかキモノを着られない娘のために
黒地に鬼絞りの小紋と麻の葉柄の帯をタンスから引っ張り出した。
 
私はグレー地に線描きのもみじ模様の小紋、
それに合わせた秋の花やもみじの柄の塩瀬の帯。
 
キモノと帯、小物のコーディネイトや年齢による着こなし、
キモノの格とTPOについてなど、
徐々に伝えて教えなければと思っている。
 
お茶会にお客さんで参加するのも初めてなので、
事前にお茶の飲み方や上客に対する挨拶、下座の方への配慮など、
お茶席のマナーの最低限のところを教え、
若いからといっても失礼のないよう、恥ずかしくないようレクチャーした。
 
早めに仕度ができた上に、会場がなんと徒歩圏にあったので
10時少し過ぎには会場に着いて、1回目の席入りの列に間に合った。
 
4席あるお茶席を効率よく廻って午後1時には4席とも入り終わり、
四服のお抹茶とふたつ練り切りの和菓子をいただいて、
満足満足。
食べきれなかったおまんじゅうと干し柿を使った和菓子は
お土産に持ち帰ることにした。
 
4席はそれぞれ趣向をこらし、秋らしいしつらえでお客様をお迎えしているが、
見比べるとお道具の合わせ方、お菓子の選び方、
お抹茶の味や点て方など、それぞれ個性があり、
好みも分かれるところだろう。
 
娘が「お茶会の何を楽しめばいいの?」というから、
お道具の合わせ方、亭主と正客のやりとり、
お点前の人のお点前やお運びさんの所作あたりかしらと答え、
それぞれの席のいいところ、ちょっとなところなどライブで
見所を指南した。
 
大人のおままごともなかなか人のふるまいや言葉に品性が表れてしまうもので、
気取っていればいるほど、馬脚がでちゃうものかもしれない。
 
キモノ好きの娘とはいえ、
お茶を習おうというような食指はまだ動かないようだが、
日本文化の奥行きや美しさ、楽しさに目覚めたら、
ぜひ、この世界に入ってきてもらいたいと思う。
 
期せずして娘と一緒にお茶会に行くことになって、
伝承する責任みたいなものもちょっと感じた秋の1日だった。

2015年10月8日木曜日

『版画展』 始まる

 
6日から東京上野の都美術館で、日本版画協会の展覧会が始まった。
名前を『版画展』という。
 
他にも版画だけを扱う団体展はいくつかあるのに『版画展』というのは、
ちょっと傲慢な気もするが、
それだけ歴史があり、版画展といえば『版画展』なんだという自負の表れか。
 
大学の4年の時に初めて応募して初入選を果たし、
以来、海外に住んでいるときも、子どもを産んだときも、
休みなく出品し続けたので、かれこれ35回ぐらいは参加したことになる。
 
最初の年は入選しただけで嬉しかったし、
幸い3回目の入選で準会員にしていただいた時も、
海外転勤が決まった年だったのでとても助かったし、
これで海外にいても版画が続けられると思った。
 
しかし、それから鳴かず飛ばずのウン十年があり、
その間に苗字を変えて出品するようになったため、まるで幽霊部員。
長い長い塩漬け状態の日々が始まった。
 
そして、10数年前、ようやく正会員に昇格させてもらったのだが、
なぜか、会員になれた後の数年は嬉しくて展覧会にも何度も足を運んだが、
最近はめっきり。
 
会期が20日あまりあるというのに、1回かせいぜい2回しか
上野まで行かなくなってしまった。
 
今年も同じ6日に趣味の陶芸の方で作陶展が始まり、
搬入とセッティングで招集がかかっていたので、
版画展そっちのけで作陶展会場にいた。
 
版画展の搬入・搬出は業者任せだし、
飾り付けも飾り付けの係がやってくれるので、一般会員の出番はない。
 
だから、まるでお客さんと同じ気持ちで、
今日、初めて、
自分の作品がどこに掛けられているのか確かめにいったようなものだ。
 
何百点とある版画作品はひとつひとつ観るには膨大なので、
今年の審査で好成績を収めた作品群と、友人知人の作品と、
自分の好きな作品を主に観て、
最後に事務局に寄って、今年の画集カタログを受け取った。
 
我が学舎のあった上野のお山もかなり様変わりしているし、
版画展にも若い人がどんどん入ってきているので、
いつのまにか距離ができているのを、しみじみ感じてしまった。
 
同じ都美術館で行われている『モネ展』は今日は30分待ちだとかで、
チケット売場にも会場入り口にも長蛇の列が出来ていた。
 
そのすぐ隣の会場なのに、スカスカの『版画展』会場を歩き回りながら、
これだけ大勢の作家達は、何を考え、誰のために、何を表現したくて
作品を制作・発表しているのだろうと思った。
 
版画は自己表現なんだけど、内輪の人間だけが観ているだけでいいのかな?
団体展に出すメリットがだんだん薄れているかも。
自分にとって団体展とは何?
 
ひとり会場を回ってから、事務局で重たい画集を受け取り、
モネ展に並ぶ人垣をかいくぐって外に出た。
 
外は秋の日差しが柔らかく、風が少し冷たくて心地よい。
 
何十年も続けてきた団体展への出品という当たり前の行事が
もしかしたら当たり前じゃないかもということに気づいた午後だった。
 
こんな風に時は移ろい、
人の気持ちも変化する。
 
さて、そうこうする内に2015年もあと2ヶ月半。
毎年、月日の経つのは早い早いといいながら、すぐまた年末になるだろうが、
ただ、考えもなく流されずに、日々を丁寧に生きていきたい。
 
だって、人生はエンドレスじゃないから。
 
 


2015年10月6日火曜日

陶芸展『卓』 初日

 
 
 
 
2015年10月6日
今日から通っている『横濱陶芸倶楽部』の作陶展『卓』が始まった。
 
『卓』としては7回目の開催になり、工房開設20周年の記念展ということだが、
3年9ヶ月前に入会した私にとっては2回目の作陶展参加になる。
 
今までは山下公園近くの県民ギャラリーで行われていたが、
目下、県民ギャラリーが建て替え中なので、
今回はまだ昨年オープンしたばかりの市民ギャラリーに場所を移しての開催だ。
 
朝10時の開館時間に合わせて、参加する32名のほとんどの人が集合して、
搬入とセッティングが行われた。
 
展示するテーブルの配置は通っている曜日ごとにすでに決められていたので、
組み立て式のテーブルをみんなで手分けして所定の位置に配置した後は、
自分のテーブルの上に、運び込んだ器の飾り付けが行われた。
 
私も一番奥の端っこに割り振られた2台分のテーブルの上に
あらかじめ考えたとおりクロスとライナーを敷いて、器を配置した。
 
それぞれが自分のセッティングを終えると、周囲の人の作品を観て廻る。
いいなと思ったり、興味の湧いた作品の作者に話しかけ、
釉薬について質問したり、自分の感想を伝えたりしている。
 
私もいつもは一緒に作陶していない何人かに話しかけられ、
質問に答えた後、
他の人の作品をひと通り観て廻った。
 
同じ曜日に作陶していて、焼きあがりを知っている素朴な感じの器が
見せ方ひとつで見違えるほどステキな器に見えたり、
逆に10年選手のおじさんの作品群が案外つまらなく思えたりした。
 
さすがに大先生とサブの先生達の作品は
その完成度の高さで生徒達の作品群とは一線を画している。
 
テーブル全体でひとつの作品という考え方もしっかり出来ているから、
それぞれの世界観がある。
 
何だか2年前、初めてこの会の作陶展に参加したときより、
今回の方が見せ方に工夫の見られる人が多く、
全体として展示会のクオリティが上がっていると思う。
 
陶芸を初めてまだ日が浅い私が意見するのもおこがましいが、
前回、気になった、素人がただ作った器をテーブルに雑然と並べました
という人がひとりもいなくなり、
じわじわと全員に作陶展で発表する意味が浸透してきたのかもしれない。
 
今日から12日まで開催され、
11日には講評会とレセプションが行われることになっている。
 
そこまでに友人が何人か観に来てくれることになっているが、
版画とは違う器に対する感想に耳を傾け、
講評会での先生や工房の仲間達の評価も真摯に受け止め、
これからの作陶の参考にしようと思う。
 
そして、何より数多くの人の作品の中から刺激をもらって、
次なる作品のイメージにつなげられたらと考えている。
 
ものを創るって、通常は孤独な作業だけど、
展示発表の機会に、人の作品から啓示を受けたり、何かを盗めたり、
気になる作品を創った作者とコミュニケーションできるのは、
何より楽しみにしているところだ。
 
明日もお当番として会場にいくことになっている。
さて、今日よりじっくりゆっくり、作品や作者と向かい合い、
何かを栄養に出来ますように。
 


2015年10月5日月曜日

『さらば友よ』で友情を温める

 
最寄り駅の映画館で上映されている『午前十時の映画祭』に
今週は昔懐かしい『さらば友よ』がかかっている。
 
かかっているという表現自体が時代がかっていて、
まるで歌舞伎小屋で歌舞伎が上演されているような感じだが、
60~70代の人なら、映画もそう表現する人は少なくないだろう。
 
そんな60代に足を突っ込んだばかりの友人とふたり、
1968年に日本で上映されたとされる『さらば友よ』を観に行くことになった。
 
友人の方が私よりひとつお姉さんだからか、
当時、映画館に観に行った記憶があるという。
 
私は映画館まで観に行った記憶がないので、
主役のアラン・ドロンなりチャールズ・ブロンソンに興味がなかったのか、
映画の内容にそそられるものがなかったのかもしれない。
 
物語はアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンがダブル主役のサスペンス。
 
戦場帰りの軍医バラン(ドロン)は
証券を金庫に返して欲しいという女からの依頼を受ける。
そこに、金庫の金目当てにプロップ(ブロンソン)も現れ、
一緒になって金庫破りをするも、中から金は出てこず、
ふたりは依頼主の女に騙されていたことに気づく。
 
地下の金庫で持久戦の金庫破りをする内に
ふたりにはいつしか友情めいた感情が芽生える。
 
最後、バラバラに警察に捕まるが
お互いに決してふたりの犯行であることを明かさず、
有名なラストシーンへ。
 
アラン・ドロンがまだ20代とおぼしき、若さと美しさとかっこよさがピークの時で、
チャールズ・ブロンソンもマンダムのCMにでていた中年男の記憶をくつがえす
驚くべき足の長さで、鍛えた上半身がまぶしい30代と思われる。
 
友人とは映画鑑賞後に、主役ふたりのかっこよさと
当時の映画の作り方、当時の女性の型にはまった表現などについて、
同じ目線で鑑賞していたらしく、似た感想を述べあって大いに盛りあがった。
 
ランチは『福ろく寿』という懐石料理のお店で、
ちょこちょこといろいろな日本料理がいただける花御膳にしようと
即、意見の一致をみて、
おばさまばかりの店内で2時過ぎまでゆっくり食べ、存分におしゃべりした。
 
そこから、今度は河岸を変え、ケーキセットのいただける静かな喫茶店で
洋風あんみつと紅茶のセットをふたりとも注文して、
夕方まで長々とおしゃべりの続きを楽しんだ。
 
(ほぼ)同じ年であり、同じような結婚生活をし、
似たような家族構成だと、共通の認識で話が通じることが多い。
 
今、抱えている問題も似ているし、
片方が卒業した問題をもう片方が抱えていれば意見やアドバイスができるし、
共感できる点も多多ある。
 
その上、食の好みが徐々に変わってきていることやら、
健康面で気にしていることなども同じだから、
ますます同調率が上がる。
 
昔観た懐かしの名画をきっかけに、
同時代を生きてきたことの安心感に身をゆだねることが出来た半日だった。
 
きっと同い年だから誰でもそうなるというわけではないと思うが、
今日会った友人とは長いおつきあいでありながら、
あらためてその共通項に気づいたということだろう。
 
「じゃあ、またね」と別れながら、
そのことに気づき、
大切にしなければと思った。
 
友人も同じように思っていてくれると嬉しいのだが・・・。
 


2015年10月3日土曜日

季節の変わり目

 
 
 
 
 
2015年も10月に入った。
今年もあと3ヶ月しかないと思うと、
季節の移り変わりと時の流れの速さに驚いてしまう。
 
朝晩の風が少し冷たく感じるようになり、
季節は着実に秋へと歩を進めている。
 
今日は空の青が透明度を増し、見ているだけで気持ちがいい。
 
ランチタイムに横濱山下町にあるホテル・ニューグランドの『たん熊』で
家族4人が揃って、ダンナのバンコク行きの壮行会が行われた。
 
ちょうど1年前にも、ダンナの再就職が決まって、クアラルンプールに行くことになり、
その時も家族揃っての壮行会が行われた。
しかし、その後半年で思わぬ本帰国となり、
これからどうなることやらと静観していたのだが・・・。

その時のご縁で、別の会社から、再び、就職の話を頂き、
今度はタイのバンコクに赴任することになった。

今回の方がいろいろ条件がよさそうだが、まだフタを開けてみるまではわからない。
 
あんまりにぎにぎしく壮行会をすると、思わぬ帰国になった時に困るので、
今回はランチタイムに、季節のまつたけをいろいろいただけるコース料理で
さくっと見送ることにした。
 
横濱ニューグランドホテルでは何組もの結婚式と披露宴が行われるらしく、
ロビーは招待客でごった返している。
 
旧館にある『たん熊』は和食レストランなので、それとは関係なく
静かに季節のお弁当や懐石料理を楽しむ人ばかりだが、
きっと何組かは私達みたいな何かの記念日や、お祝いのお食事だろう。
 
古くからある老舗のホテルをそうした日のステージに選んだ人々が
ここに集い、行き交っている。
 
食後に近くの中華街に立ち寄ると、こちらも人でごったがえしており、
中秋の名月の時期に合わせた月餅を売る呼び込みの声がにぎやかだ。
 
中秋の名月といえば先週のスーパームーンとやらも美しかった。
神々しいほどに輝いて、透明な光が心の奥にまで差し込むようだった。
季節は確実に秋へと移行しているとあの時も感じたものだ。
 
雑踏の中華街を歩いている時、ふいにケータイが鳴り、
メールを開いて見ると、友人のご主人が亡くなったというお知らせだった。
 
重篤な病と闘っていらしたから、いつかこの日がきてしまうことは分かっていたが
昨日も川島なお美の葬儀のニュースを見たばかりだったので、
皆、季節の変わり目に旅立ってしまうんだなと感じた。
 
同じ旅立ちでも、今回のダンナのバンコク行きは
人生の再出発として充実したものであって欲しいと願っている。
 
たとえ家族であっても、ひとりひとりの人生だから、
誰かに取って代わることは出来ない。
 
自分も含め、どんな風に生き、どんな風に終えるのか、
煌々とした月を眺めながら、考えを巡らせるには、ちょうどよい季節だと思う。