銀座4丁目、和光の裏手にある「シネスイッチ銀座」という映画館で
『ともしび』という作品を観てきた。
いわゆる娯楽映画ではないので、全国的にかかるようなものではなく、
映画館のセレクションで単館で上映されるタイプの映画だ。
なぜ、そうした映画を観に行ったかといえば、
主演がシャロット・ランプリングだということに尽きる。
映画は老境を迎えた主人公アンナ(シャロット・ランプリング)の心模様を
延々と静かに映し出している。
というか、なぜ?とかどうして?とかいう理由はまったく明かされないまま
物語は淡々と断片的に進んで行くので、
逆に全編、シャロット・ランプリングの苦悩する顔の表情だけが
映し出されているといってもいいぐらいだ。
先ず、冒頭に心理カウンセリングのグループワークらしきシーンで、
シャロット・ランプリングが金切り声を上げて叫ぶところから始まる。
他の何人かも順に叫び、
そうやって内なる何かを解放させているのだろう。
(心理カウンセラーとして、この冒頭シーンを知って、
どうしても観てみたいと思ったのであるが・・・)
しかし、見慣れぬ光景は
観るものを不安に陥れる冒頭シーンである。
映画は、たぶん、年老いた夫が何かの理由で収監され、
ひとりになったアンナがその孤独を受け止め、
徐々にひとりで生きていくことを受け入れる心の軌跡を描いていると思われる。
ただし、なぜ夫が収監されたのかとか、
なぜ、息子がアンナと会う事を拒んだのかとか、
なぜ、夫が息子を許さないのかなど、
肝心のところはいっさい語られないので、
観るものは想像し、画面のアンナから読み取り、感じることしかできない。
哲学的というか、不条理劇というか、
小難しい本を手に取ったけど、
よく分からなかったというのがこの映画の感想だが、
好きな女優のシャロット・ランプリングを疑似体験するかのごとく、
まじまじと観て、体感するという意味では面白かった。
シャロット・ランプリングといえば、
その昔、『愛の嵐』で、上半身裸にドイツ軍の軍服を着たポスターが
あまりにも有名だ。
ナチス・ドイツに捕まって収容所送りになる人の列から引っ張り出され、
ドイツ軍将校の愛人になっていくシャロット・ランプリングの
細くてしなやかな体と愁いを含んだ表情は、
若い日の私を大いに刺激した。
あの時のシャロット・ランプリングが、老いた裸身を晒し、
しわに埋もれた顔を大写しにして、苦悩する今を演じている。
その間の何十年を私はほとんど知らないけれど、
あの時のシャロット・ランプリングから受けた印象は今も変わらず、
ひとりの女性を通して、
人生についていろいろ感じるところ、考えるところがあった。
シネスイッチ銀座という映画館もまた、
銀座のど真ん中にあって、
何十年も中に入ることなく来てしまったが、
ひっそりと、だが信念を貫いて、
しっかりと発信し続けてきたことが分かる。
座席はそんなオールドファンが静かにやってきて、
静かに鑑賞し、
静かに席を立ち、身繕いをして帰っていく。
まるで桜の咲く頃のような暖かさと柔らかな日差しに恵まれ、
映画館を出ると、その明るさと人通りの多さに驚いた。
ちょっとした異次元に迷い込み、
見知らぬひとりの老女の人生を覗き見て、
また、現実の自分に戻ってきたという感じだ。
何かこの映画が私にもたらしたのか、もたらさなかったのか、
今はまだ分からないが、
シャロット・ランプリングの物憂げな表情だけは
『愛の嵐』の軍服姿同様、
脳裏に焼き付いた気がする。