2019年2月4日月曜日

先生をお祝いするお茶会

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
節分の昨日、茅ヶ崎のお茶室で「年女になられた先生を寿ぐお茶会」が、
私達、弟子の主宰で行われた。
 
いつもはお茶会といえば、
「亭主」といってお招きする人(先生)ひとりの仕切りで
行われるものなのだが、
茶会の流れ、しきたり、お道具の準備、組み合わせ、懐石料理など、
どれひとつとっても弟子のひとりではまかないきれない大事なので、
全員野球方式で、分担して執り行うことになった。
 
そもそもこの話が弟子のひとりから出たのは昨年の秋だったので、
そこから場所の選定、下見、各自の分担をどうするかなど、
決めなければならないことの多さにびっくりしながらも、
徐々に気運は高まり、
それぞれ任された料理の試作などに励んで、
遂に当日を迎えた。
 
私の分担は懐石料理に登場するいくつかの器を自作のものにするということと、
「八寸」といって、
お食事の後半に、亭主がお酒の銚子と共に持って出る
「海のもの」「山のもの」と呼ばれる酒の肴を作ることだった。
 
お茶会の大きな流れとしては
「炭点前」「懐石料理」「濃茶」「薄茶」となるのだが、
借りたお茶室は、炉の中には電熱器が仕込まれているので「炭点前」はできない。
 
なので、控えの部屋から広間に入ると、「懐石料理」から始まることになる。
もちろん全編を通して「正客」という1番目のお客様は先生。
 
お招きした「亭主」には一番入門の古いお弟子さん、
何かと亭主をサポートして立ち働く「半東」は
2番目に入門したお弟子さんがなる。
 
そして、お客の2番手「次客」には3番目に入門した私が、
「三客」には私と同時に入門したけど、私より若い人がなった。
 
そんな風に役どころを割り振り、6名のお客さんが連座するという形になった。
 
いよいよお料理が順番に運び出され、
まずは「飯椀」「汁椀」「向こう付け」の器がのった「折敷き」と呼ばれるお盆が
ひとりひとりに運ばれてくる。
 
いつもの初釜などで、先生がお客の中に混じることはないので、
正客としての先生と亭主のやりとり、
器の扱いや作法など、何もかにもが勉強になる。
 
最初の折敷きの段階で、
ご飯の盛り方やいただく順番、ご飯の残し方、お箸の置き方など
、レクチャーは止めどなく続く。
 
毎回、出されたお料理を手がけたのが誰か発表されるのだが、
「汁椀」の具の紅白生麩や羅臼昆布でとったお出汁、白味噌の加減、
「向こう付け」の鯛のお造り、柚酢、青のりなど、
それぞれの渾身の作という感じで、とても美味しかった。
 
レシピは私が持っていた「柿傳」の分厚い料理本をコピーしたものを元に、
それぞれが何度か試作したもので、
1回で成功したわけではなく、試行錯誤が見て取れる。
 
最初に出てきた折敷きの中で、 
「向こう付け」の器は「笹舟」をかたどった私の器だったのだが、
先生や皆さんから色や形を褒めていただき、嬉しかった。
 
次に続く「煮もの椀」「焼き物」「強肴」「預け鉢」「八寸」「香の物」、
果ては「主菓子」「干菓子」に至るまで、
すべてに担当メンバー手作りの力作が並び、
いずれもプロ裸足の出来映えで本当にびっくりした。
 
私の「八寸」は
海の物が「海老の山椒焼」で、山の物が「金柑の甘露煮」だったが、
こちらも喜んでいただけ、作り方など訊いていただけ、一安心。
 
もう1点、肝入りで出した「焼き物用の陶板」(なんちゃって魯山人風)も大好評で、
本格的に炭火で焼いた鰆の幽庵焼を作って、
その器に載せて出すことになった担当の友人が喜んでくれたのは
嬉しい限りだ。
 
懐石料理が済んで、
場所を広間から小間に移しての「濃茶」と「薄茶」にも趣向が凝らされ、
とりわけ「濃茶」に関するお道具は「亭主」役のお弟子さんが
福島のご実家から貸し出してもらった立派なお道具が
ずらり並んで素晴らしかった。
 
この長丁場のお茶事に必要なお道具や知識や経験を
先生はひとりでもって主宰なさっているんだと思うと、
全員ただただ感心・感謝するばかり。
 
それでも逆に弟子がここまで育って先生のために自主茶会を開いてくれたと
先生はとても嬉しそうにしていらしたので、
ここまで大変だったけど、本当によかったとみんなで喜びあった。
 
なんだか夕方、帰路についた時には、
フラフラするほど疲れたけど、
何かを出し切った感と、達成感に包まれ、
しあわせな気分だった。
 
帰りの電車で「また、やりましょう」といわれても、
「今日を超えられる気がしない」などと話して笑い合ったが、
ひとつの目的に向かって努力できる仲間と、
打ち込めるものをもっていることの
ありがたさをしみじみと感じた1日だった。
 
茶の道は深く、そして、ゆかしきものなり♪
 

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