2019年9月22日日曜日

陶芸展の準備

 
 
 
 
2年に1度開かれる陶芸工房の展示会が迫ってきた。
 
昨日の作陶日に出来上がってきた
リーフ形の大鉢と同じ形の小鉢2点が加わり、
全作品が出揃ったので、
どのように展示するかコーディネイトを考えてみた。
 
今回のテーマは
『雪ん子たちの住む街』
 
だいぶ前に制作した雪ん子ファミリーという名のオブジェを、
器で作った街角のあちこちに立たせ、
北国の街角という印象になるように並べてみた。
 
今まで3回、展示会は経験してきており、
今回が4回目になるが、
今までで1番セットものの器をたくさん作ってきた。
 
大鉢と小鉢2点とか、
大きめのお皿2枚と対の小皿2枚
リーフ形の皿4枚組のように。
 
てびねりの作陶だと、
複数のものを全く同じように成形するのがとても難しい。
 
私達がセットものとして使っているお皿や茶碗は
すべて型があって、
そこに流し込んで作られている。
 
しかし、ひとつずつてびねりやろくろで作るとなると、
全く同じように作っているつもりでも、
微妙に違ってくる。
 
そこがオリジナル1点ものの良さだと開き直ってきたが、
今回は(この2年間は)
ふたりで使う、もしくは家族で使うことを意識して、
数を必要とするものはちゃんと複数個、作ることを心がけた。
 
しかし、それを平たく並べたのでは、
場所ばかりとって展示としてはつまらない。
重ねることで、同じ形や相似形を、
てびねりで作ってあるということがよく分かる。
 
展示のレイアウトを考えるため、器を重ねてみると、
それらは何だか構造物のような、建物のような気がしてくる。
 
そこで未発表のオブジェ達に登場してもらって、
『雪ん子達の住む街角』というイメージで
配置することにした。
 
なるべく左右対称で、
団地の中のように、
中央の奥には『時計塔』のように
雪ん子ファミリーのお母さんがそびえ立っている。
 
全部で37点の作品だ。
 
今回から器の裏側に小さなシールを貼り、NOを振り、
1点ずつ作品名と大きさ、価格などを別途一覧表にして、
販売もすることになった。
 
その一覧表作りはすこぶるめんどくさく、
販売価格の設定なども難しかった。
 
なにしろ素人の趣味の器に価格をつけ人に売るなんて、
どんな風に値段を付けたら良いのやら。
 
それでも、陶芸展に興味をもった知人は
「販売もなさるんですか?」と
気にいれば、買う気満々の様子だったので、
顰蹙を買わないような値段を付けなければならない。
 
出来上がってきたばかりの黒い釉薬をかけた
リーフ型の大鉢には
ぶり大根などいれて楽しみたいという気分なので、
いくつかの器と雪ん子ファミリー達は
非売品とさせてもらった。
 
さて、どんな風に皆さんが思われるのか、
版画の展覧会とは別の緊張と楽しみが待っている。
 
陶芸の展示会は
10月8日(火)から14日(月)まで。
横浜市民ギャラリーにて。
 
ご高覧賜りますよう、
お願い申し上げます。
 
 
 

2019年9月16日月曜日

『天然忌』と七事式『一二三』

 
 

 
9月14日日曜日、お茶のお稽古場の行事として、
『天然忌』が行われた。
 
天然忌とは、表千家茶道の家元・如心斎宗匠を偲んで、
お茶とうを献上するというもの。
 
先ず、写真の台に乗った抹茶椀にお茶を点て、
床の間にお供えする。
 
この日は『天然忌』だけではなく、
七事式といわれるお稽古の中で、
『且座』『一二三』『数茶』の三つをお稽古することが決まっており、
それぞれのお役があらかじめ割り振られていた。
 
ちなみに
私は『天然忌』は見学、
『且座』は次客なので、お香を焚く、
『一二三』は亭主なので、濃茶を点てて、
お客様に点数をつけられる、
『数茶』は次客として参加するという役割だった。
 
今回、参加したお弟子さんは6名だったので、
それぞれの濃茶・薄茶を飲む回数、
去年までの役割分担の順番などをふまえて、
公平になるよう先生が決めてくださっていた。
 
私的には、
『且座』でお香を焚く手順を覚えていくこと、
『数茶』の次客として全体の流れを把握しておくこと、
そして何より、
『一二三』の亭主として、
竹台子の濃茶点前を完璧に出来るようにすることが課されていた。
 
しかも、『一二三』のお客様のメンバーの中に
先生が含まれており、
正客と三客はお弟子さん仲間だからいいとして、
次客として座られた先生がどのような点数を付けられるか、
何と言ってもそれが最大の関心事であることは間違いなかった。
 
通常、お茶のお稽古では
お点前の出来不出来に点数がつくようなことは無い。
 
先生が「そこは三手よ。右手前、左真ん中、右真ん中ね」などと
注意されたら、そのように直す。
「柄杓の合は釜から合ひとつ分空けてね」と言われたら、
その通りにして、柄杓の水を釜に注ぐ。
 
数限りなく注意事項はあるのだが、
それをすべて身につけて
しなやかに自然にたおやかに所作を行い、
丁度いい塩梅のお濃茶を点てることが出来るかどうか。
 
点数をつける観点は
「お点前が手順通り、間違えずにできているか」
「お濃茶が上手に美味しく点てられたか」
「亭主の所作やものごしが茶人として適切だったか」
この3点だ。
 
それを客は手元にあらかじめ配られた札を使って評価する。
 
小さな木箱に詰められた木札には
『月の一』『月の二』『月の三』
『無地の一』『無地の二』『無地の三』
『花の一』『花の二』『花の三』
そして、『ゥ』が2枚ある。
 
それぞれ、月は『上の上』『上の中』『上の下』
無地は『中の上』『中の中』『中の下』
花は『下の上『下の中』『下の下』を意味している。
 
『ゥ』はとてつもなくいいか、
何かとんでもないことをやらかして悪かった時、
使われるらしい。
 
基準はいつもどおり出来ていたら、『無地の二』
それより良かったらそれより上の札、
それより悪かったら下の札を入れる。
 
しかし、そうは言っても仲間のお点前に
そんなに悪い点数をつけるわけにもいかず、
大抵は『無地の一』とか『月の三』あたりに落ちつくことが多い。
 
しかし、私のお点前の評価として戻ってきた札は
『月の二』2枚と『無地の二』1枚だった。
 
けっこう評価が分かれたことになる。
 
誰がどの札を入れたかは分からないのだが、
たぶん、『月の二』2枚はお仲間が、
「とてもよく出来ました」と感じて入れてくださったものだろう。
『無地の二』は先生が
「いつもどおりにできました」と思って入れてくださったものだろう。
 
いずれにせよ、点てたお濃茶の濃さやお味は良かったと、
「美味しい」と言って褒めていただいたので、
まずは何よりである。
 
茶道は本来、
所作の出来不出来や、間違ったかどうかではなく、
一服のお茶を心を込めて点てて、
お客様に美味しく味わっていただくことにある。
 
お茶の心得は『一期一会』だ。
一生に一回しか会えないお客様かもしれないというぐらいの
気持ちをもって、
誠心誠意、お茶を点て、
召し上がっていただくという意味。
(利休の時代、戦地におもむく武士への一服からきた言葉)
 
また、食後のお濃茶一服のために
懐石料理のすべてがあると言われるぐらい、
大切なお濃茶。
 
それを「美味しいわ」と言っていただければ、
それに勝る評価はないのである。
 
あれこれ詮索する下世話な心を捨て去り、
お茶の道にいそしむ者の
基本の心構えを確認した『一二三』の亭主であった。
 
 
 

2019年9月11日水曜日

秋のご飯

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
毎週火曜日はばぁばのご飯当番の日。
 
昨日も朝から気温30度越えの猛暑の中、
電車を2度も乗り継いで、長女の家まで行ってきた。
 
「9月半ばに猛暑日って、どないやねん!」
と、ぶつくさ言いながら、
長女の留守宅に入って3時間半のクッキングタイム。
(なぜかこういう時は関西弁になる=大阪のおばちゃん化する)
 
「やりすぎとちゃう?」
と、ひとりで突っ込みながら・・・。
 
外は真夏日でも、9月半ば。
テーブルには秋のご飯を並べようといろいろ考えた。
 
しかし、秋といえばのサンマは今年は絶不調。
スーパーにもやせっぽっちのくせに、異様に高いサンマか、
冷凍物の解凍した奴しか売っていない。
 
なので、
お魚ものはリクエストにあった「ぶり大根」でいくことにした。
 
ご飯ものの秋といえば「炊き込みご飯」
汁物といえば「豆腐となめこのお味噌汁」
 
ということで、こんなラインナップになった。
 
「ぶり大根」
「五目炊き込みご飯」
「豆腐となめこの味噌汁」
「豚キムチ」
「キャロット・ラペ」
「ポテトのチーズ焼き」
「生サーモンのホイル焼」
「小松菜ときくらげの中華炒め」
「ブロッコリーと舞茸のガーリックバター」
 
以上9品。
 
夕方5時半までにすべてを作り終え、
保育園にお迎えに行き、
先に孫娘にお夕飯を食べさせていると、
長女が6時半頃ご帰還という流れだ。
 
「どおお、今日は秋のご飯よ。いっぱい食べてね」
といって、先ずは「ぶり大根」あたりから攻めたかったが、
孫はそんなことは知ったこっちゃない。
 
「レーズン、レーズン」と言って、
キャロット・ラペの干しぶどうから攻略にかかった。
 
塩がうってあるとはいえ、生の人参が食べられる2歳児というのも珍しい。
長女は30ウン歳にして、
まだ人参が苦手なのに・・・。
(親の顔が見てみたいって、お前か~)
 
そして、お次は定番の「ポテトのチーズ焼き」
これをお代わりして、ニコニコ顔で食べている。
チーズ、ベーコン、ジャガイモ。
高カロリーおデブ3兄弟。
 
それにしても秋のジャガイモは美味しい。
むべなるかな、芋娘。
 
最後は「炊き込みご飯」もモリモリいけてたので、
まあまあだけど、
ちょっとまだ、足りないんじゃない?
 
「ちゃんとおーママの作ったご飯を食べてからでないと、
絶対、アンパンマン・魚肉ソーセージなんか食べさせませんからね。
もう、来週から、おーママ、ご飯作りに来ないよ」
と、怖い顔して言うと
「おーママめんどくさいから、ちゃんと食べて」と孫に懇願する長女。
 
実の親子なので、こんな会話が成立するが、
嫁と姑ではこうはいかない。
 
食の細い娘をどんだけ恨めしく思ったことか。
30数年前の記憶がよみがえる。
 
こんな風に毎週毎週ご飯を作って、
写真を撮って、
私の写真ファイルはご飯の写真ばっかりになった。
 
いっそ「ばぁばのご飯当番」という料理本でも出したいぐらいだ。
 
こういう「消えもの」に時間と体力と知恵を絞っても
あんがい当たり前で過ぎていく。
 
料理を食べる人はそのあたりを考えて、
「いただきます」「ごちそうさま」を忘れずに。
 
そんなことを願う
猛暑の秋であった。

2019年9月6日金曜日

『CATS』で猫になる

 
 
 
 
 
 
次女とふたりで、大井町にあるキャッツシアターに
ミュージカル『CATS』を観に行って来た。
 
横浜の野っ原にキャッツシアターがあったときには
なぜか行こうという話にならず、
大井町に場所を移してから、
「やっぱり観ておかねば」という気になった。
 
キャッツシアターはその名のとおり、
『CATS』しか上演しない専門の劇場なので、
小屋の外観からして、猫の目がぎろりとお出迎えしてくれ、
入口へのアプローチの段階から、気分を盛り上げてくれている。
 
なので、一歩中に入れば、そこはもう猫たちの住み処であり、
私達も自然に猫の街の住人になっていく。
 
本当は写真撮影禁止だったらしいが、
先ず、中に入った瞬間に撮った1枚だけは許してもらえた。
それが上段最後の写真だ。
 
中は舞台といわず、通路和脇といわず、
そこら中がゴミ集積場だ。
 
人間のサイズが猫のサイズなので、
そこに捨ててあるタイヤやトースター、空き瓶、やかん等々、
すべてが現物の5~8倍ぐらいの大きさなので、
逆に自分が小さくなったような不思議な感覚になる。
 
24匹の猫には名前とキャラクターがはっきりあって、
満員の会場を埋めているお客さんにはリピーターが多い様子で、
たぶん押しメンがそれぞれにいるに違いない。
 
同じ役をダブルやトリプルで演じる役者さん達がいるので、
当然、誰の時のラム・タム・タガー、
誰の時のグリザベラのようなチケットの取り方をしてると思われる。
 
しかし、私達は『CATS』初心者なので、
ミュージカルの筋書きも知らないし、
猫たちの名前やキャラクターも分かっていないので、
先ずは、本当に猫が憑依していまったかのように、
しなやかに軽やかに歩き、動き、踊るその姿にビックリ。
 
さすが劇団四季、
さすが「CATS」祝35周年と
そのゆるぎない人気と実力に度肝を抜かれてしまった。
 
物語としては
年に一度の祭りの日に、天上に昇り、新しい人生を生きることが
許されるたった1匹のジェリクルキャッツ。
今年は誰が選ばれるのか。
 
ただ、それだけのシンプルな物語だ。
 
全編、メンバー紹介のような感じで、
24匹のそれぞれの個性あふれる唄とダンスが繰り広げられる。
 
時に1匹で朗々と、
時にペアで楽しく、
時に1匹の伊達男にメス達が黄色い声で群がって・・・。
 
そうこうする内に
「私、あの子が気になるわ」とか、
「断然、あの子がかっこいい」などとファンになっていく。
 
次女と私の間では
「伊達男、女たらしのラム・タム・タガー」は誰かということが
1番気になったので、帰り道調べたところ、
上川一哉君だということが分かり、顔写真も出てきた。
意外や腰クネクネのセクシー男がベビーフェイスだということが分かった。
 
他には、やっぱり、元娼婦猫のグリザベラは
圧倒的歌唱力で例の「メモリー」を歌わなければならないので、
誰かということになり、
調べたけど顔写真が出てこず、
金原美喜さんという名前で、
他にもライオンキングの大役をやっていることが分かり、納得。
 
ビジュアルとしてはとにかく手足が長くて、顔の小さい、
タントミールという短毛の茶色い毛色の猫がいて、
そのしなやかさと体の柔らかさは
もはや猫そのもの。
 
その人は顔写真付きで杉野早季さんだということが分かり、
手足だけでなく首も長いこと、顔も美しいことが判明した。
 
こんな風に観た後、ジタバタするのはどうよと思うが、
娘とあ~だこ~だ言いながら調べ物をするのも
楽しい時間だ。
 
調べれば調べるほどいろいろ出てくる。
世はネット社会。
 
そのセクシーな踊りと歌声で、雌猫たちを虜にする雄猫
ラム・タム・タガーだけ取っても、
5~6人もの役者さんが演じていて、
ひとりずつ特徴が書いてあり、
中には「時にそのセクシーな動きがR指定すれすれ」とか
「やたら響く上にどこかいっちゃっているくらい飛んだ歌。
気を抜くとたれ流れてくる色気」なんて書かれると、
「じゃあ次は誰のラム・タム・タガーで観ようかな」という気になってくる。
 
きっと押しメンを決めて何回も通ったり、
グッズを買って身につけたり、集めたりと、
『CATS』に大枚つぎ込んでいるお客さんはたくさんいるんだろうなと
肌で感じつつ、
初『CATS』を堪能した一夜だった。
 
私がリピーターになるかどうかは未知数だが、
それにしても日本にもこんなにしなやかにダイナミックに
踊り、歌えるエンターテイナーが大勢いると知って、
何だかワクワクする。
 
「Show must going」
そう言って亡くなったジャニーさんではないが、
『CATS』は
「ショーほど素敵な商売はない」と感じさせてくれた舞台だった。
 
  

2019年9月3日火曜日

第5回 文学と版画展

 
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日から、第5回「文学と版画展」が始まった。
場所は銀座6丁目のギャルリー志門。
 
この企画展のコンセプトは、版画家が選んだ本の装丁を
自分の作品を使って考え、
実際に本の表紙を制作し、本にかぶせ、
版画作品と本を同時に展示するというもの。
 
だから、壁の作品の下に小さな棚が設置され、
そこにそれぞれの本が並ぶ。
 
画廊の展示ではこんな風景は珍しいので、
展覧会としてとても面白いし、ファンもたくさんついている、
ギャラリーオーナー自慢の企画展である。
 
先週の土曜日の夕方から、作品の場所決めと棚作りという
大工仕事を含むめんどくさい飾り付けがあり、
明けた週の月曜日から土曜日までという
6日間の会期である。
 
オープニングパーティにはおおかたの作家が集い、
集まったお客様の前で、
自分の作品について、ひとりずつ話すという時間がある。
 
そこで、なぜ、この本を選んだか、
自分の作品とどのようにリンクさせたかのかなどが話され、
各人の思いや考えを知ることができ、
とても興味深い。
 
毎年、誰かの詩集や、
哲学的な内容のもの、
童話、
昔の名著と言われるものなどが、
素材に選ばれる中、
私は「大人の恋物語」みたいなジャンルから本を選んできた。
 
今回は極めつけで、
高橋治の「紺青の鈴」
 
金沢の伝統的な九谷焼の窯元の娘が、
大学教授の新進気鋭の陶芸作家と恋に落ちるという物語。
 
主人公は男に会いに行く時、
着物を着て、
最後、青い九谷焼の鈴の根付けを帯に付ける。
 
そこに込められた意図と思い。
 
昭和60年に刊行された当時、
読んだ私は自分の経験した恋愛と酷似している内容に驚いたものだ。
 
そんな思い入れのある作品の装丁だったので、
オープニングパーティには
もちろん着物を着、
根付けには水琴窟の音がする銀色の鈴を選んで
身につけた。
 
ただ、話すより、実際に着物を着て、
根付けをつけていた方がイメージしやすいと思ったからだ。
 
初めて私の着物姿を見たメンバー達はこぞって褒めてくれ、
他の方達とは全く違う本のチョイスと
作品イメージの私への理解を深めてもらえたのではないだろうか。
 
実はこのグループ展にははっきりした派閥が存在して、
自分は異端の徒であるという感触がぬぐえないかったが、
作家はあくまで徒党を組まず、個であることを再認識し、
このスタイルを貫こうと思った一夜だった。
 
私の隣の作品を創った男性が
派閥の長であるが、
そのすぐ隣に私の作品が展示されることを
快く思わなかった子分達も、
昨日で「しょうがない」と思ったかもしれない。
 
世間の思惑や風当たりを感じたとしても、
自分の立ち姿をしかと保とうと、
両足を踏みしめ直したところである。