午前中に入っていたカウンセリングが
急遽、キャンセルになったので、
上野と銀座でやっている友人の展覧会を
観に行ってきた。
まずは遠い方からと思い、
上野の公園口に降り立った。
まだ、イチョウは全く色づく気配もなく、
雲ひとつない秋晴れがすがすがしい。
大作公募展『風』
毎年、グループ展を開催している画廊に
お勤めしているSさんが
「今回、入選したのでご高覧頂けますと幸いです」
と、お便りをくれた。
彼女は多摩美の日本画を卒業し、
どこかの会派に属するということもなく、
自分のペースで絵を描いている。
この『風』という公募展は
日本画の巨匠3人
中島千波・中野嘉之・畑中光享が
呼びかけ人になって
始まった公募展。
大作公募とあるように
ひとり7メートルまでの作品という基準で
応募された作品から選ばれた15人の作品と
3人の巨匠の作品。
都美術館の広大な展示室に
たった18点の作品しか展示されていない。
観たこともない展示場の光景だった。
第4公募展示室は展示会場の一番奥にあり、
カウンターの横を抜けると
1点7メートルの巨大な絵の何枚かが、
いきなり目に飛び込んできた。
お~っと、のけぞっていると、
すぐそばに、ご本人Sさんが立っていた。
全くの偶然だが、
今日は会場当番の日だという。
早速、ご本人に作品はどれかと尋ね、
会場に入ってすぐの特等席に飾ってあった
人物がずらりと並んでいる作品に
案内してもらえた。
畳1畳分のパネルを横に6枚つなげ、
雲肌麻紙という和紙に
日本画の顔料を用いて描かれている。
ずらりと18体並んだビックリ顔の女性達。
ひとりだけこちらを向いている。
ユーモアあふれる迫力満点の作品だった。
いつもの物静かな印象のSさんから
生まれたとはちょっと信じられない、
愉快な作品だ。
天井の高い都美術館の展示室で観ても
どでかいのに、
ひとり暮らしの6畳の部屋で
1枚ずつ床に平たく置いて描いているという。
日本画の絵具の性質上、床に寝かせて描くのだが、
絵の繋がりを確認する時だけ、
隣の絵と並べて立てて描くという
苦労話をいろいろ聞かせてもらった。
見て回っていると
他の作家さんも会場にいた。
1年かけて制作した巨大絵画が
入選してようやくこの1週間だけ
日の目を見ることになったので、
公募展ながら個展のように会場に詰めて
来てくれた友人知人や
他の作品を観に来た私みたいな人にも
声をかけ説明しているようだ。
(公募展の会期は通常3週間ほど)
こんな大作を描いたのに
落選している人も多いらしく、
(なにしろ15人しか入選していない)
入選した人はさぞや晴れがましい気持ちだろう。
Sさんも会場にいた他の作家も、
落選経験があるという。
1等賞は
協賛のあいおいニッセイ同和損保の冠がついた
奨励賞で
大きな木のうろのあちこちで
戦国武将が合戦を繰り広げている作品だった。
引きで観ると7メートルの巨大絵画だけど、
寄りで観るとミニミニ武将たちが
あちらこちらに綿密に描かれている。
こちらもユーモアと風刺を感じる
確かな画力に裏打ちされた大作だった。
最近、自分自身が
団体展に出す意味を疑問視していたり、
都美術館に出す以上、
ある程度大きな作品でないとと、
売れもしない大作を制作することに
懐疑的だったりしていたので、
今日の7メートルの公募展は
いささかショックだった。
ご本人曰く、
自分のアトリエでは1枚しか置けなくて
6枚合わせて観たのは
この会場が初めてなんていう
巨大な作品。
入選したから1週間は飾れたけど、
明日、会期が終了したら、
バラバラにして家に戻ってくるパネルたち。
それでもこういう大きな作品を描きたいという
内から沸き上がる衝動。
和紙代も絵具代も
運送費も倉庫代も
何も可にもかかりがかかりすぎる。
それでも描く意味が
彼女や彼たちにはあるのだろう。
都美術館の展示を観た後は
銀座に出て、
4月に個展をした時と同じ養清堂で
リトグラフとタブローの作品を
発表しているKさんの個展にお邪魔した。
こちらは一転、
ひたすらチコチコと針で米粒を指すような
細かい仕事。
静謐で穏やかで
無音のような世界観。
30分前に観た
のけぞるような圧倒的な世界観とは
真逆の絵画だ。
いずれも作者は飄々として
絵を描くことしかできないという。
世の中がコロナで騒然としようが、
緊急事態宣言が解除になって
人が街に繰り出そうが
あまり関係ない。
いつもはアトリエに籠って、
1日誰とも口を利かない日なんて
ざらにあるといった風で、
せっせと筆を動かし続けている。
ただ、その画面が1畳分だったり
スケッチブックサイズだったりするだけで、
手に取る筆は極細の面相筆だし、
硬い芯の鉛筆だったりする。
いずれも画面に向かう時は息をつめ、
1点を凝視する。
彼女たちは
描くことが好きでそれ以外できないという
そんな稀有な人種だという共通項は同じ。
何だか私だけが
版画を彫ったり摺ったり、
人のカウンセリングをしたり、
娘の家でばぁばご飯作ったり、
着物着てお茶に行ったり、
陶芸工房で粘土をこねたりしている、
浮気性の女という気がしてきた。
真っ向勝負で絵を描いている友人達、
表現方法は違えど、
真摯に絵画と向き合う
寡黙で純粋な魂に触れた1日だった。
あ~ぁ、私の魂は玉虫色。
日によってクルクル変わるのは
辞められません、死ぬまでは。