2021年10月29日金曜日

巨大作品の公募展『風』

 














午前中に入っていたカウンセリングが
急遽、キャンセルになったので、
上野と銀座でやっている友人の展覧会を
観に行ってきた。

まずは遠い方からと思い、
上野の公園口に降り立った。
まだ、イチョウは全く色づく気配もなく、
雲ひとつない秋晴れがすがすがしい。

大作公募展『風』

毎年、グループ展を開催している画廊に
お勤めしているSさんが
「今回、入選したのでご高覧頂けますと幸いです」
と、お便りをくれた。

彼女は多摩美の日本画を卒業し、
どこかの会派に属するということもなく、
自分のペースで絵を描いている。

この『風』という公募展は
日本画の巨匠3人
中島千波・中野嘉之・畑中光享が
呼びかけ人になって
始まった公募展。

大作公募とあるように
ひとり7メートルまでの作品という基準で
応募された作品から選ばれた15人の作品と
3人の巨匠の作品。

都美術館の広大な展示室に
たった18点の作品しか展示されていない。
観たこともない展示場の光景だった。

第4公募展示室は展示会場の一番奥にあり、
カウンターの横を抜けると
1点7メートルの巨大な絵の何枚かが、
いきなり目に飛び込んできた。

お~っと、のけぞっていると、
すぐそばに、ご本人Sさんが立っていた。
全くの偶然だが、
今日は会場当番の日だという。

早速、ご本人に作品はどれかと尋ね、
会場に入ってすぐの特等席に飾ってあった
人物がずらりと並んでいる作品に
案内してもらえた。

畳1畳分のパネルを横に6枚つなげ、
雲肌麻紙という和紙に
日本画の顔料を用いて描かれている。

ずらりと18体並んだビックリ顔の女性達。
ひとりだけこちらを向いている。
ユーモアあふれる迫力満点の作品だった。

いつもの物静かな印象のSさんから
生まれたとはちょっと信じられない、
愉快な作品だ。

天井の高い都美術館の展示室で観ても
どでかいのに、
ひとり暮らしの6畳の部屋で
1枚ずつ床に平たく置いて描いているという。

日本画の絵具の性質上、床に寝かせて描くのだが、
絵の繋がりを確認する時だけ、
隣の絵と並べて立てて描くという
苦労話をいろいろ聞かせてもらった。

見て回っていると
他の作家さんも会場にいた。

1年かけて制作した巨大絵画が
入選してようやくこの1週間だけ
日の目を見ることになったので、
公募展ながら個展のように会場に詰めて
来てくれた友人知人や
他の作品を観に来た私みたいな人にも
声をかけ説明しているようだ。
(公募展の会期は通常3週間ほど)

こんな大作を描いたのに
落選している人も多いらしく、
(なにしろ15人しか入選していない)
入選した人はさぞや晴れがましい気持ちだろう。

Sさんも会場にいた他の作家も、
落選経験があるという。

1等賞は
協賛のあいおいニッセイ同和損保の冠がついた
奨励賞で
大きな木のうろのあちこちで
戦国武将が合戦を繰り広げている作品だった。

引きで観ると7メートルの巨大絵画だけど、
寄りで観るとミニミニ武将たちが
あちらこちらに綿密に描かれている。

こちらもユーモアと風刺を感じる
確かな画力に裏打ちされた大作だった。

最近、自分自身が
団体展に出す意味を疑問視していたり、
都美術館に出す以上、
ある程度大きな作品でないとと、
売れもしない大作を制作することに
懐疑的だったりしていたので、
今日の7メートルの公募展は
いささかショックだった。

ご本人曰く、
自分のアトリエでは1枚しか置けなくて
6枚合わせて観たのは
この会場が初めてなんていう
巨大な作品。

入選したから1週間は飾れたけど、
明日、会期が終了したら、
バラバラにして家に戻ってくるパネルたち。

それでもこういう大きな作品を描きたいという
内から沸き上がる衝動。

和紙代も絵具代も
運送費も倉庫代も
何も可にもかかりがかかりすぎる。

それでも描く意味が
彼女や彼たちにはあるのだろう。

都美術館の展示を観た後は
銀座に出て、
4月に個展をした時と同じ養清堂で
リトグラフとタブローの作品を
発表しているKさんの個展にお邪魔した。

こちらは一転、
ひたすらチコチコと針で米粒を指すような
細かい仕事。

静謐で穏やかで
無音のような世界観。

30分前に観た
のけぞるような圧倒的な世界観とは
真逆の絵画だ。

いずれも作者は飄々として
絵を描くことしかできないという。

世の中がコロナで騒然としようが、
緊急事態宣言が解除になって
人が街に繰り出そうが
あまり関係ない。

いつもはアトリエに籠って、
1日誰とも口を利かない日なんて
ざらにあるといった風で、
せっせと筆を動かし続けている。

ただ、その画面が1畳分だったり
スケッチブックサイズだったりするだけで、
手に取る筆は極細の面相筆だし、
硬い芯の鉛筆だったりする。

いずれも画面に向かう時は息をつめ、
1点を凝視する。

彼女たちは
描くことが好きでそれ以外できないという
そんな稀有な人種だという共通項は同じ。

何だか私だけが
版画を彫ったり摺ったり、
人のカウンセリングをしたり、
娘の家でばぁばご飯作ったり、
着物着てお茶に行ったり、
陶芸工房で粘土をこねたりしている、
浮気性の女という気がしてきた。

真っ向勝負で絵を描いている友人達、
表現方法は違えど、
真摯に絵画と向き合う
寡黙で純粋な魂に触れた1日だった。

あ~ぁ、私の魂は玉虫色。

日によってクルクル変わるのは
辞められません、死ぬまでは。






2021年10月25日月曜日

摺り師降臨

 














8月のお盆前には彫りあがっていた新作だが、
9月になっても
10月になっても涼しくならないので、
ずっと摺りを始めることができずにいた。

丸2か月も間が開くと、
気力が湧いてこなくなり、
どうやって摺りをしていたのかさえ忘れそうになる。

10月のカレンダーには
空白に大きく
「新作の試摺りと本摺り」と書いて、
自分を追い込もうとはしているのだが…。

遂に最終週が近づいてきて、
ようやく重い腰を上げ、
先週の金曜日に試摺りをとった。

カレンダーには
土曜日にカウンセリングと陶芸が入っていたので、
次の日の日曜日と月曜日で
本摺りをすることになっていた。

これは試摺りが一発でいい感じに摺れ、
本摺りのイメージが固まることを
意味しているのだが、
実はさほどいいイメージが掴めなかった。

かといってもう一度試摺りをとる気もなく、
そのまま修正を試みながら
本摺りを決行することにした。

和紙をカットし、湿し、
絵具の調合をするなどの下準備は
土曜日の朝早くに済ませ、
その後、カウンセリングと陶芸に行き、
日曜日の朝には本摺りに着手できる態勢を整えた。

こうした作業の合間には
3度の飯作りはあるし、
画室に籠るためには大買い出しもある。

我ながら、時間をやりくりし、
頑張っているなと思うが、
3度の飯を平然と食べているダンナは
アンタッチャブルを決め込んで、
自分のことしかしないのはいつものこと。

もはや腹を立てて何か言ったりしないのは
悟りの境地。

さて、
試摺りの何が気に食わないかというと、
作品の下半分の背景の濃い青緑と、
上半分の太鼓橋の色だ。

どちらも中途半端な色で、
絵の中にうまく収まっていない。

この作品は試摺りをとりながら
なんだか浮世絵みたいだなという気がしたので、
オマージュのように浮世絵の技法を取り入れ、
イメージが固まってきた部分もあるが、
その2点に関しては
本番で何とかしようという作戦だ。

最近はこの手の中型サイズ6枚を本摺りする時も
2日間に分けて作業することにしている。

以前は早起きして、
一気呵成に連続12時間摺りなどと
体力に任せて無茶をしてきたが、
今、それをやると気力が続かず、
9割がたできたあたりでイージーミスをするという
泣くに泣けない事件が起こる。

頭が真白になりつつ、考えようとしても、
いいアイデアが浮かぶはずもないし、
いい加減な仕事になってしまうので、
最近は迷わず、途中で寝たり、
お風呂に入ることにしている。

そうやって今回も6枚の本摺りが
無事に摺りあがった。

比べていただけると分かるが
試摺りの背景と太鼓橋の色と、
本摺りの背景と太鼓橋の色は相当違う。

摺っている間にタイトルも決まった。
最初は「雨の鎌倉」にしようと思っていたが、
何となく演歌みたいだなと感じていた。

摺っている内に
鎌倉にこだわらなくてもいいのではと思い、
「古都の雨」
というタイトルが浮かんだ。

いかがだろうか。

字ずらも何となく浮世絵っぽいし、
文学的な匂いもする、
と、作者は思っている。

2日に分けたせいで、
冷静に考え、作業できたので、
失敗もなく摺り終えることが出来た。

ほとんど忘れかけていた摺り師としての勘も
取り戻すことが出来、
めでたしめでたしな本摺りであった。


























2021年10月21日木曜日

久しぶりの再会

 














今日は昨年のコロナ禍が始まって以来、
ず~っと会えていなかった友人と
ようやく会うことが出来た嬉しい1日だった。

正確には4月の個展の時に来てくださり、
「あの青い鳥の作品、ください」と
いきなり言われ、
写真の作品「旅路」を買って下さったので
全く会っていなかったわけではない。

しかし、Kさんはコロナに関しては
すこぶる慎重で、
何回かのお誘いは袖にされてしまったし、
個展も意を決して来てくださったという感じで、
作品が欲しい旨、伝えてくださった後は
早々に帰られてしまった。

だから、今回の版画協会展とランチを
ご一緒できるのは本当に久しぶりのことなのだ。

21日にお互いの予定が合うことがわかり、
ランチに上野の韻松亭を選んだのだが、
予約が14時しか取れなかったことに端を発し、
それならついでに「ゴッホ展」もとお誘いし
行くことになった。

有名どころの展覧会は、
今は時節柄、すべてがネット予約のみだ。
しかし、その分、人数制限がかかっていて、
ほどほどの人数でよく観ることが出来た。

実は
「ゴッホ」には私たちは特別の思い入れがある。

一昨年の4月、
私たちは毎年恒例の海外旅行の行先に
オランダ・ベルギーを選んだ。

その旅程の中に今回の展覧会の作品を
大量に貸し出しているクレラー・ミュラー美術館が
含まれており、
現地で観た作品が
なんと計68点も展示されているのだ。

だから、単なるゴッホの展覧会というより、
「旅路で観た懐かしのゴッホ」という
センチメンタルな一面が強い絵画鑑賞になった。

ゴッホ展のあとに版画協会展を見て回り、
しばし飲み物休憩をはさんでランチへ。

ゴッホ展ではマスク越しの会話でさえ、
係り員がプラカードを持って制止にくるので、
静かに鑑賞していたが、
それ以外の時間はこの1年10か月の空白を
埋めるかのように
私たちのおしゃべりが止まることはなかった。

折々にはさまる同じフレーズ、
「いつまた、旅行にいけるのかしら」という言葉が
繰り返され、
私たちは思いを次回の海外旅行に馳せるけど、
当分、無理そうなことは分かっている。

それでも、お互いに元気でよかった、
また、一緒に旅して、異国の地で
同じ絵画や景色を見て感動したり、
同じ食事に舌鼓を打てる日が来ることを
心待ちにしましょうねと確認した。

この2年間で全世界の人々が失ったもののひとつが
こうした通じ合える人との交流だと思うが、
そろそろそれも解ける日が来ますように、
そう心から念じた。

帰り道、
電車の中で、
ショパンコンクールで反田恭平さんが2位に
小林愛実さんが4位に入賞したことを知った。

反田さんには1位になってほしかったし、
最後のコンチェルトは本当に素晴らしかったから、
少し残念だけど、
立派な誇らしい結果なことには違いない。

いろいろ嬉しいことが重なると、
何だか平凡でちょっと鬱々とした日々に
弾みがついたようで、
「明日も頑張ろう」という気持ちになる。

明日は朝から雨で
とても寒くなるとか。

私は新作の試し摺りをするつもり。
どうか美の女神ミューズが降臨しますように!

そして、コロナという死神が
世界から退散しますように!





























2021年10月16日土曜日

季節限定のケーキ

 









毎日、夏のような暑い日が続いていたが、
ようやく少し落ち着いてきた。

秋と言えば、
「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」など
他の季節ではそうした言い回しはないのに、
なぜか秋だけ、
秋らしいことをしたり、
秋らしい食べ物が食べたくなる。

私はだんぜん秋らしい食べ物が食べたくなる派だ。

ご飯系でいえば、
五目炊き込みご飯や栗ご飯、
きのこを使ったお料理だろうか。
トン汁やけんちん汁もいい。

本当なら、秋の気配と共に
サンマが食べたいところだが、
今年のサンマもやせっぽっちのくせに
1尾298円もするから、
まだ1度しか食していない。
となると、秋サケのお料理か。

とにかく私は、期間限定とか、
季節限定みたいなものには目がなく、
どんなジャンルも遅れてはならじ、
逃してはならじと血が騒ぐ。

先週の木曜日、
9月に数回、カウンセリングで利用する度に
「いつか食べたい」と思っていた
椿屋カフェのマスカットのケーキを
遂にいただいたのであるが、
昨日はマスカットの季節が終わる前にもう一度、
食べておきたいという思いを抑えきれず。
テイクアウトして家でいただくことにした。

カフェの店先に着くと
大きな看板がマスカットのケーキから
渋皮モンブランケーキに変わっており、
「まさか!」と思ったが、
まだ、店内のショーケースには両方とも並んでいた。

ケーキひとつの値段がお高いので、
ダンナには最初から買う気はなく、
ひとりで楽しむために、
マスカットケーキとモンブランをひとつずつ購入した。

帰り道、ひとり顔がにやけてくる。

正式名称は
「シャインマスカットのチーズズコット」と
「渋皮モンブラン」である。

1ポーションが大きいので一度には食べきれないし、
もったいないので、
まずは「シャインマスカットのチーズズコット」を
いただき、
次の日に「渋皮モンブラン」をいただくことにした。

椿屋カフェでは
ロイヤルコペンハーゲンの器で供されるが、
我が家にも負けず劣らずの食器はあるので、
いそいそとカップボードと
カトラリーボックスからそれらを取り出した。

ケーキをのせたお皿は
「ヘレンド」の銘は『インドの花』
紅茶のカップ&ソーサーは
「ロイヤル・クラウン・ダービー」の
銘は『ロイヤル・アントワネット』
銀器は「クリストフル」の銘は『マルリー』

いずれも30年も前、
香港に住んでいた頃揃えた食器だが、
1枚も1本も欠けることなく
8客ずつ揃って、今日に至っている。

因みに現在はいくらするのか調べてみたら、
「クリストフル」の『マルリー』
珈琲スプーン1本11,330円であった。

他は推して知るべし。

当時はもっとずっと安く手に入れている。
こうしてずっと楽しめているのだから、
いい買い物だったといえるだろう。

因みに
紅茶は「マリアージュ・フレイル」の
ダージリン・プリンストン。

いい紅茶を丁寧に煎れて、
お気に入りのカップ&ソーサーに注ぐ。

お皿のグリーンの柄とシンクロする
シャインマスカットの爽やかなグリーン。
モンブランの地味な色との対比も美しい。

いつもなら、
いつもの食器棚から取り出したお皿に載せ、
マグカップに紅茶か珈琲を入れ、
その辺のフォークを使ってしまうだろう。

でも、今日は
お客様用の食器を使用し、
終わったばかりのショパンコンクール3次予選の
反田恭平のピアノと
角野隼斗のピアノを
YouTubuで聴き比べながら、
ゆっくりとケーキを口に運ぶ。

いずれのケーキも断面が美しく
いわゆる「萌え断」である。

どう切り崩したらきれいなままでいるか、
そんなことを考えながら、
遠いポーランドのワルシャワの地で、
命がけで演奏する若者に思いを馳せた。

季節は巡る。
歳月も過ぎていく。
生きている日々で、今日が一番若い。

それは分かっているけど、
何かにはやる気持ちを抑え、
今は
季節のケーキをゆるり味わう秋の午後であった。
















2021年10月13日水曜日

トリオ・リベルタにかぶりつき

 








本日は待ちに待った
トリオ・リベルタのコンサート。

何を待ちに待っていたかというと、
もの凄くいいお席が取れていたのだ。

前から4列目、まん真ん中の席とひとつ左の席。

このチケットを取ったのは
さかのぼること約1か月前。

やはりトリオ・リベルタの
「浴衣でサロンコンサート」が行われた次の日、
ファンクラブ会員だけに送られてくるメールで、
今日のコンサートの先行予約のお知らせが来た。

その中に席の希望があれば書くようにとあったので、
ダメもとで、フライヤーの地図の座席番号をみて、
「前寄りで8~12番あたりが取れたら嬉しいです」と
メールに書いて申し込んだ。

そうしたら本当に前から4列目の10番と12番が
割り振られたというわけだ。

チケットの入った封筒には
別途、会場の地図も入っており、
わざわざ黄色いマーカーで取ってくれた席の番号に
印が付いていた。

まるで音楽監督が座って指示する時のような席。
しかも、コロナ禍で
ひとつおきにしか人を入れていないので、
実際に座ってみれば、
だれひとり自分の前には人が座らない状態で
ヴァイオリンの石田様とピアノの中岡さんが
ストレートに見える。

そんな特等席をいただいておきながら
着物を着ないという選択肢は、私にはない。

個展の初日に来た紬に
紫いろの地にろーけつ染めの唐草模様の帯を〆め、
いそいそと出掛けた。

同行の友人も相手は着物かと、
きれいなミモザイエローのセーターに
ミモザ柄のスカートをチョイス。

きっと舞台からもよく見えるに違いないと
ふたりとも張りきった。

コンサート内容は
前回のサロンコンサート同様、
クラシックとピアソラが半分半分。

しかも、一部と二部に分けるのではなく、
クラシックの次にピアソラ、
また、クラシックの次にピアソラと、
今までにない構成。
(アンコールでさえもこの構成で4曲)

ピアソラはジャンルでいえばタンゴなのだが、
全く違和感なくクラシックの曲と融合し、
その選曲の妙で、
とても新鮮に感じることが出来た。

折しも、
ショパン国際ピアノコンクールの真っただ中。

私は連日、YouTubeでショパンの曲を弾く
ピアニストの映像を見まくっていたので、
今回はリベルタ・メンバーの顔を
「曲の解釈と顔の表情」をテーマに
じろじろ見てしまった。

ショパンコンクールに出ているピアニストは
いずれもとても切なげな表情や恍惚の表情など、
「人前でそんな顔しちゃっていいんですか」と
言いたくなるような、凄い表情をする。

たったひとつの音を出すのに
そこに込めた感情をあらわにして
全身全霊で指先を鍵盤に置く。

その表情やしぐさも審査対象なので、
自然にそんな表情になってしまうというより、
その表情さえも演奏の一部をいうことだろう。

ショパンコンクールのピアニストたちに
比べれば、
トリオ・リベルタの3人は
淡々と演奏しているかに見えるが、
目の前の石田様は感情がのってくると
体をしならせ、その1音に弦を集中する。

初めて行った和光大学ポプリホールは
コンパクトなホールながら音響はいい感じで、
それぞれの楽器から音が立ち上るのが
ハッキリ聴きとれる明快さがあって、
全体にクリアで華やかな音色に響いていた。

友人と二人、帰りの電車の中で、
「今日のは本妻ヴァイオリンだったわよね」と
石田様の使っている2台のヴァイオリンの
どちらが使われたか確認し合った。

石田様のヴァイオリンは
先に持っていた本妻ヴァイオリンと
数年前に手に入れた愛人ヴァイオリンがある。
(制昨年は大体同じ、イタリア製)

本妻ヴァイオリンは繊細で豊かな音が出るが、
愛人ヴァイオリンはもっと派手で伸びのある音色なのだ。

私たちの間では
大きなホールには愛人を連れていき、
今日のようなコンパクトなホールでは
本妻を使っているのではと分析している。

ファンがそんな解釈をしているなんて
石田様の伺い知るところではないだろう。

それと同じで
暗い客席にいてもチラッとは見るかもしれないと
ファンは何を着ていくのか考え、おしゃれして、
胸ときめかせて、前列4番目の席から
熱視線をおくっている。

大相撲の升席で、
タニマチのお姐さま方が
いい着物を着て観戦しているのと同じ。

だからといっても何ごとも起りはしないのが
現実だが…。

帰りがけ、
アンコールで弾いた曲目が書かれた紙の端に
3人のサインをみつけ、
サインする姿が目に浮かび、
肉筆のサインに3人の温もりを感じた。

今は演奏後のサイン会もないし、
CDを買って握手するなんてこともできない。

でもやっぱり、同じ空間で
同じ空気を吸って、
その紡ぎ出す音の振動を体で受け止める
生のコンサートは最高だ。

そんなLIVEの楽しさを満喫させてくれた
トリオ・リベルタのコンサートであった。

ブラボー!!