2021年11月21日日曜日

陶芸新シリーズ『和モダン』

 









3か月に1度の釉がけの日がやってきた。

前回の釉薬は8月下旬にかけた。
その時は9月半ばの陶芸工房の展示会に向け、
最後の釉がけのつもりだったから、
気合の入りようもハンパなかった。

しかし、
その最後の釉がけから作品が出来上がったか、
まだかぐらいのタイミングで、
9月の展示会を中止にすることが決まった。

2年間かけて創り溜めた作品群、
最後の作品の出来もふまえて、
会場ではどんなレイアウトにしようかなどと
考えていたのに…。

そのがっかりした気持ちを立て直し、
ゆっくり再始動させ、創ったものが
今回の新しいシリーズの器たちだ。

まず、創ったのは
トロの赤が器に映えそうな
さしみやお寿司用の角皿。
韓国キンパもいけると思う。

釉薬は黒と白、
油滴天目という黒と失透という白。

同じ釉薬で小皿も2枚。

後の20点ほどの大小の器は
すべて半分が緑、半分が白で
和モダンを狙った作品群だ。

色は織部という緑と失透の白。

先に器の半分に織部をかけ、
次に全体に失透を全体にかけることで、
緑は白の下にかかることになるので、
ミントグリーンのような発色になる。

わざと半分半分にかけ分けることで、
ちょっと民芸の器のような感じを狙っている。

作りも板づくりからヘリを起こし
高台は無しで、
麻の布目を押し付け、肌に風合いを出しているので、
純然たる和の器というより、
『和モダン』という路線のつもりだ。

考えてみたら陶芸工房に通い出して約11年。

初心者の域はとうに越え、
いつのまにかファンもできて
相当数の器がよそ様のダイニングテーブルに
並ぶようになった。

すでに器に個性はできつつあると思うが、
新シリーズをシーズンごとに発表し、
スキルを安定させ受注生産にも耐えられることが
求められている。

いったん中止になった展示会は
来年の5月下旬にリセットされたので、
そこで発表したものは
自分のオリジナルのシリーズとして
認知されるようなものであってほしい。

趣味の陶芸なことは今も変わりないが、
お遊びの11年ではないことを証明したい、
そんな心境でいる2021年晩秋である。


















2021年11月16日火曜日

孫2号は「ごっつぁんです」

 





















火曜日はばぁばご飯の日。
先週はお休みしたので、2週間ぶり。

今日は秋らしいご飯と言えば、
「五目炊き込みご飯」ぐらいで、
さして新味もないが、
孫1号と孫2号のリクエストに応えて10品。

最近は4歳の孫1号は
「鬼滅の刃」に夢中で、
大人にも読めないような難しい名前なのに、
登場人物の名前と技を全部覚えて、
ばぁばに教えてくれるが、
全く理解不能。

1歳の孫2号の方は
運動量と自己主張が増進中で、
何でも自分でやろうとするので
かた時も目が離せない。

もちろん食欲も旺盛で、
気に入ったものはお替りを要求し、
気に入らないものは見向きもしない。

1歳なのに、キャロット・ラぺもいけるし、
今日はカリフラワーと山芋がお気に召した様子。

ちなみに本日のメニューは
「五目炊き込みご飯」
「山芋の青のり風味」
「とんかつ」
「サケの西京焼」
「キャロット・ラぺ」
「高野豆腐と切り干し大根の煮物」
「カリフラワーのグラタン」
「やみつきフライドポテト」
「ミネストローネ」
「鶏モモのカレークリームソース」
以上10品。

ずいぶん大人っぽいメニューも含まれるが
「鶏モモのカレークリームソース」を除く全品を
4歳も1歳も食べられるから驚きだ。

元々、ぷっくりしていた孫2号だが、
その迫力はいよいよ増して、
小結・由依ヶ浜は「ごっつぁんです」と
大きなお腹を見せてくれてご満悦だ。

孫1号も数年前、同じようなことをしてくれたが、
今はおしゃべりに夢中で、
レディはお腹を見せてくれたりはしない。

それにしても
「鬼滅の刃」は何がそんなに面白いのか、
なぜそんなに難しい名前を覚えられるのか。

ややこしい「鬼滅の刃」のジグソーパズルに
ばぁばが手間取っていると、
即効「こっちよ」とナビしてくれる。

人間の学習能力と生命力の凄さに
呆れ驚く秋の夕暮れであった。

































2021年11月14日日曜日

ホリデーは彫りデー

 








11月14日日曜日、
世の中は日曜日なので、ホリデーだが、
1日中、アトリエに籠って、
先日、転写した版の彫りの作業を開始した。

今回の版は原画を作る段階から
細かい作業が続き、
建造物をモチーフにする時特有の緻密さと、
巨大な版に細い雨のラインを描くという
版の正確さを必要として、
すっかり体力を消耗してしまった。

お陰で腕や肩、後頭部のハリはもちろんのこと、
目の充血がひどく、
すぐには彫りの作業に進めない状態だった。

たぶん目の充血を治さないで
彫りの作業を始めると、
眼科にお世話になる気がして、
まずは手持ちの目薬を差しながら、
健康な白目を取り戻す時間が必要だった。

4~5日、間を開けたおかげと、
肩甲骨をはがす体操をしたせいで、
何とか体が使い物になりそうなところまできたので、
本日より、彫りのパートに突入することにした。

版は両面に原画が転写されているので、
細い線ばかりのデリケートな面を先に彫って
裏返した時、版に傷がつかないよう、
ベタの部分が多い
安定感のある面から彫ることにした。

部位としては
雨の線を彫った空の1版目と建物の屋根、
森の1版目といったところ。

こうした彫りを進めながら、
少しずつ、どんな色にするかとか、
2版目の彫り方をどうするかなど、
作品イメージを膨らませていく。

手と目は
描かれたラインをギリギリ残すぐらいのところを
彫刻刀で削っていくので、
クリエイティブというより彫り師として
正確なスキルを要求されている。

なので、頭の中は比較的自由に
物思いにふけったり、考え事をしたり、
いろいろなことを思い出したりできる。

今日は2日前に
絵画教室で生徒さんと交わした会話を思い出しながら、
版画家のプロとアマは何が違うのか考えてみた。

11月中旬、
絵画教室の皆さんは
来年のカレンダー用の作品制作の
佳境に入っている時期だ。

ひとり3枚、受け持ちがあり、
1~2月、5~6月、9~10月の担当の人と、
3~4月、7~8月、11~12月の担当の人がいる。

カレンダーだから
自分の作品だけでできているわけではなく、
他人の作品と組んで1冊のカレンダーになる。

先生(私)に渡す分と、
いつかグループ展に展示するかもしれないので
ベストな摺りのもので組んだ1冊の計2枚も、
余分に摺らなければならない。

つまり、自分だけではなく
自分の作品が人の目にも触れるし、
人の家にも飾られることになるのだ。

それなのに、彼女たちからは
そうした責任とか
だから頑張らなければ恥ずかしいといった
気持ちはあまり感じられない。

もちろんそれぞれの事情はあるだろう。

趣味の絵画教室なんだから、
今年はこんな程度で許してもらおう。

3枚作らなければと思っていたけど、
出来なかったの、ごめんなさいとか、
時間がないから
版数をなるべく減らして楽に摺るには
どうしたらいいですか、みたいな…。

ここ数年、
私はひとつの境地に達し、
人に対する要求のバーをすごく下げた。

人間関係に関しても
「来るものは拒まず、去る者は追わず」
の精神で接することで、
とても楽になった。

版画家のプロとしての矜持は、
自分に課した課題や作業には
真摯に取り組み、責任を果たすことだと
思っている。

自分以外の人に関しては
「その人にはその人の考えがある」と
距離をおくことで、
カリカリしなくなった。

これらは心理カウンセラーとして
日々、クライアントさんと接する中で
獲得したもので、
カウンセラーになって得られた最大の賜物である。

カレンダーが予定通りできないようでは
アマチュアだというより、
年間スケジュールは年初から分かっているのに
どんな結果を出すのか出さないのか、
人としての問題だと考えている。

まあ、それも
人は人、自分は自分なのであるが…。
(おー怖!)













2021年11月9日火曜日

老体にムチ打つ予感

 











10月の終わりに
版画作品の試摺りと本摺りを終えたので、
あまり間を置かずに
新作の原画を作成することにした。

だからと言って、この作品は
特に会期が迫っている展覧会があるわけではない。

往々にしてそういう場合は
制作するモチベーションがないので、
ズルズルと取り掛かりを引き延ばしがちなのが
作家の常だ。

しかし、実は次の新作に関しては
ラフな制作プランが出来ていた。

私は4月の個展以後、
新しい版画のシリーズとして
『雨』をテーマに、これまで3点の作品を
創ってきた。

最初の2点はやや小ぶりの作品で、
画面全体に走る雨の細い線(約4mm)を
ずらさずに摺れるか
一種のチャレンジでもあった。

木版画でいうところの、
ズレるというのを少し説明する。

木版は例えば、紺色の空の地に白い雨の線を描く
なんてことはできないので、
白い4mmの雨の線を摺りたければ、
背景の紺の地には4mmの溝を彫って
そこにぴったり雨の4mmの線が
収まるようにする必要がある。

つまり、細い線が長く続くような場合、
和紙の右下と左下の2か所の見当だけで
和紙の位置を決め、
版の上に和紙を載せただけで
その雨の線と溝がピッタリ合うようにする。

それが右手前で紙を置く位置が1mmズレたら
紙の対角線上の左上では
簡単に5~7mmのズレが
生じるという結果になるということである。

そうした心配をよそに
最初の小ぶりの作品2点は、
ズレもなくいい感じに摺りあがったので、
夏中、彫りにいそしんでいた新作は
中型の作品にサイズアップしてみた。

作品サイズとしては
縦64×横47cm。
(紙サイズはもう一回り大きい)

それが少し前にブログにアップした
「古都の雨」である。

縦長のデザインなので、
そちらも雨は上から下まで降っていて、
長いところの雨は1本が70cmを超える。
(雨は斜めに走っているから)

その作品が10月の終わりに摺ったもので、
無事、雨はズレることなく
正確に摺ることが出来、
摺り師としての自信にもなった。

その勢いのままに新作に臨んだのが
今回の作品で、
大きさは和紙と版木の大きさの限界まで
大きくしてみた。

元の版木の大きさは90×61cm。
元の和紙の大きさは92×67cm。

そして、作品のイメージサイズは
81×58cm。

つまり、作品が版木のサイズいっぱいの
大きさがあるので
紙の余白は版木の内側には収まらない。

こういう場合は
紙の余白の2か所をカットして作る
「見当」といって
版画がズレないようにするマークは
版木の外側に
外見当用の板をくっつけて、
そこに和紙の角(見当)を合わせるという
裏技を使って摺ることになる。
(写真の1番目が外見当の板)

和紙の角を合わせるといっても
和紙は手で版木に置くだけで
画鋲やのりで留めるわけではないから
ズレるリスクは大いにある。

むしろ、
「なんでそれだけなのにズレないんですか」
と質問されるぐらい
簡単にズレ放題だ。

今回の作品は縦81cmあるので、
縦に降っている雨の長さは90cmを超える。
そんな長さの雨が画面一面に
ザーザー降っているという図である。

それを紙の端っこを合わせるだけで
1mmもずらさずに摺れるか、
これは相当大いなる挑戦と言える。

よっ、チャレンジャーきみの!

この作品のテーマは街に降る雨。
街の風景が眼下に広がり、
街が雨にけぶっているところを描きたいのだ。

絵の下半分は
前回は蓮の花だったが、
今回は「雨と言えばそりゃ紫陽花でしょう」と
6月あたりにさんざん取材した紫陽花の花。

こちらもチマチマした花がびっしりの
版画家泣かせの美しいが小憎らしい花だ。

画面を大きくしたので、
1輪や2輪では絵がもたない。

したがって作品の下半分には
紫陽花の大輪の花がびっしり、
上半分は街のビルや家々がびっしり、
画面全体には雨がびっしり。
はぁ、ヤレヤレ…。

誰や、こんなん考えたの…。

という、世にも過酷な原画が
出来上がってしまった。

摺りの段階になったら、
具象絵画然とした
スーパーリアリズムにするつもりは全くなく、
あくまでも雨のデザインが浮き立つように
しようと考えている。

しかし、建造物のようなものは
まずは正確に描写してないと
たいへん稚拙なものになってしまうから、
原画は建築学的にきちんとしている必要があるのだ。

結果、原画作成だけで3日間、
トレッシングペーパーに転写するのに2日間、
それを版木に部分部分で転写するのに2日間も
かかってしまった。

これから年内いっぱい、
シコシコと彫りの作業が続くと思うが、
恐ろしいのはその先だ。

いよいよ和紙に試摺りをとるという段階にきて、
この大きさゆえにズレるリスクは増す一方。

あまりにズレて修正しようがないなんてことに
なったら、
そこまでの苦労は水泡に帰すことになる。

チャレンジャーきみの、撃沈!!

2022年初頭、
そんなことにならないことだけを祈っている。

とりあえず、本日、
版木に転写する作業は無事、終了した。

当面、展覧会の出品予定もなく、
誰かお求めいただく確約があるわけでもなく、
ただ、創りたい欲求の赴くままに
この無謀な船出をした。

ピュアな作家魂といえば聞こえはいいが、
単に老体にムチ打つだけの悪い予感に
悪寒がする。

が、しかし、
チャレンジャーきみのは
きっとこの難題をクリアしてみせるだろう。

そう根拠なき自信で自分を鼓舞し、
明日からは彫り師の日々が始まる。
























2021年11月3日水曜日

千客万来の文化祭

 














11月3日文化の日。
晴れの特異日の面目躍如といった感じの
ピカピカの晴れ。
むしろ汗ばむような陽気。

毎年、この日に
非常勤講師として教えている
パティシエや和菓子職人の専門学校の文化祭がある。

教えているのは2年生だけで、
科目は『就職対策講座』

期間は前期だけなので、
4月の終わりから9月の終わりまで。

その間に就職が決まる学生もいるが、
決まらない学生もいるというのが
毎年の状況だ。

今年はコロナ禍ということもあって
就職はそんなに簡単ではなかったが、
去年よりは内定率は上がったようで、
9月の最後の授業までに内定が採れた学生は
半数ぐらいはいたと思う。

それから丸1か月。
久しぶりに会う学生たちが
コックコートやスーツに身を包み、
それぞれの持ち場に立って、
文化祭を切り盛りしていた。

10時開始の10時少し前に校門の前で、
同じ非常勤仲間の友人Tさんと待ち合わせた。

行ってみると学校側も驚くような人数の人が
校門から何10メートル奥までの長蛇の列。

入館時にひとりずつ記帳をお願いした上に
エスカレーターは4人までと人数制限して、
階段で上ることは禁止(下りのみ)なので、
10時になったからといって
全く前に進まない。

列の途中で合流した別の非常勤の先生ふたりと
合計4人は一計を講じ、
いきなり1階のレストランで食事をすることにした。

時間はまだ11時前だったが、
これが大正解。

きっと7階から順番に見学したのち
レストランに入ろうと思っても
絶対入店出来なかっただろう。

私たちは全員、魚のコースを選んだが、
(白身魚とエビのムース、アメリケーヌソース)
写真のように美しい盛り付けの
ランチコースだった。

お味も大変美味で、
とにかくレストランに直行した作戦が
功を奏して、初めて文化祭でランチコースを
首尾よく頂くことが出来た。

この専門学校は
パティシエ・パン職人・和菓子職人を
育成する学校なので、
文化祭は日頃の成果をお披露目する場だ。

レストランもカフェも甘味処も
提供される料理やお菓子は
すべて学生が作ったものだから、
いつもは座学なので教室でしか接していない彼らが
どんなものを作っているのか、
是非とも食べてみたいというのが
講師の思いだ。

しかも、とびきり安い値段設定。
写真のランチは1000円だし、
食後の珈琲は100円とあったが、
先生ばかりのテーブルだったので、
結局、ご馳走になってしまったのは本日の得点。

食後は上の方の階から順番に降りていきながら、
それぞれの専門コースに課された課題作品を
見学。

作品の脇にはタイトルと作者名があり、
顔と名前が思い出せる子とそうでない子といる。

いい作品には
いろいろな賞が贈られ、
盾が飾られているものもある。

総じて「これは」と思う作品の作者は
名前を覚えている学生のことが多く、
就職対策講座のテストの成績もよかったのではと
記憶している。

作品をひとつひとつ見て回りながら、
授業であった会話のやり取りがよみがえり、
彼らがその後、
無事に内定を取れたか少し気がかりだ。

彼らの方で私を覚えてくれているケースもあり、
「先生、私、石垣島のANA、決まりました」と
嬉しい報告をしてくれたりもした。

腰掛のつもりの
なんちゃって就職対策講師だと思っていたが、
たぶん15年以上は教えているだろう。

こうして教えた学生が次世代の担い手として
来春には巣立っていくと思うと、
なかなか感慨深い。

さて、人ごみから帰宅。
早速、お抹茶でも点てて、
持ち帰った半生菓子をいただこうか。

4つ入って300円!
安!!

どの学生がこれを手びねりしたのか、
和菓子コースの学生の顔を思い出しながら、
一服するとしよう。