今日は通っているお茶のお教室の初釜が、
2年ぶりに開催された。
コロナ禍では初釜が取りやめになっただけでなく、
お茶事と名の付くものはすべて取り止めになった。
お稽古も緊急事態宣言下では
ストップしたので、
この2年間は年の半分か3分の2ぐらいしか
お稽古にすら伺うことができなかった。
コロナ感染者の第1号が日本で分かったのが
折しも2年前の今日だというから、
本当に丸2年間も私たちはコロナに
翻弄されてきたことになる。
そして、今また
オミクロン株が急激に蔓延しつつあり、
世の中は戦々恐々としている。
しかし、今年はそんな中ではあるが、
お社中のメンバーを2派に分け、
今日と明日とで、
初釜をしていただけることになり、
久しぶりのお茶事に心浮き立った。
やはり普段のお稽古とは違って、
お茶事となると、
寄り付きから始まり、お庭でのあいさつ、
席入り、お炭点前、
懐石料理、お濃茶、お薄と
4時間ほどにも及ぶ
お茶の世界の集大成がそこにある。
先生は今日の日のためにお道具組を考え、
お支度をなさって迎えてくださるわけだし、
社中の面々は
割り振られた役どころの予習をし、
粛々と事に臨む。
お道具組はいつものお稽古使いのものとは違い、
格の高い名品が並ぶので、
由緒を尋ねたり、拝見するのがとても楽しい。
お床には新年を寿ぐお軸がかかり、
寅年の初釜ということで、
虎の香合が床の間の熨斗の上に置かれていたり、
花入れの長い柳と椿が
初釜の風情を盛り上げている。
御釜も炉縁も
覚えきれなかったが銘のある立派なものだし、
メインのお道具は皆具といって
お揃いの艶やかな浅黄色の交趾である。
他にも灰さじや灰器、火箸にいたるまで、
いつもとは違う名のある名品を使わせていただけるのは
お茶事ならではのことなので、
緊張しつつもありがたいことなのだ。
今回はコロナ禍ということもあり、
茶懐石というわけにはいかず、
鎌倉の古くからの料理屋さんにお弁当を
頼んだのは少し寂しいし、
お濃茶もひとり1椀で点てざるを得ず
本来のお作法とは違うのだが、
とにもかくにもお茶事ができたこと、
そのこと自体が嬉しいことである。
「来年の初釜は
マスク無しで本来のお作法で
お茶が点てられたり、
お懐石がいただけたらいいわね」と
口々にいいつつも、
お稽古すらできなかった何か月かのことを思って
みんな、しみじみ初釜ができたことを喜んだ。
私は親族会の時にも感じたが、
人は会える時に会いたい人と会い、
友好を温めること、
それが本当にとても大切だと
今日もまた、感じた次第である。
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