1月が誕生月のふたり
恒例、我が家の親族会が
1月末になってしまったが、
ようやく開かれた。
今回は奥沢にある小さなビストロなので、
貸し切りに。
体調不良のひとりが欠席で
出席は12人だった。
横にひと並べになって記念写真を撮ると
やはりこの人数が
お正月に我が家に集まるのは無理がある。
ということでコロナの時は2年間無しで、
昨年から、外のレストランで集まることに
なった。
昨年、初お披露目だった新婚さんは
未だおめでたの報告はなく
人数に加減はなし。
みんな等しく1歳年をとり、
老人グループは
「年々歳々、老いるスピードが速くなって
いる気がする」と嘆く。
それに比してベイビーチームの孫ふたりの
1年の成長は目覚ましく
イヤイヤ期真っただ中の2歳児が
途中で駄々をこねないか心配したが、
最後までご機嫌でいたので一安心。
老人チームというのは
ダンナの妹たちとその連れ合いをさすが、
なんだか1年経つと
確かに寄る年波が押し寄せている気が…。
事実ひとりは体調不良で欠席だ。
年齢的には私もその渦中に属するが
気持ち的にも体力的にも
そんな風に感じながら生きていないので
ちょっと驚きだ。
60を過ぎると個人差が大きいと聞くが
正にそれは日々の送り方であり、
人生観であり、
ものの捉え方であると感じる。
とはいえ、フルコースのお食事と共に
ワインは順調にグラスを重ね、
近況報告のおしゃべりは続いた。
テーブルの端と端だが
孫たちもミネストローネとパスタが
お気に召したようで
しっかり食べている様子が見える。
そして、最後のデザートは
たまたまメンバーの内2人が
1月の誕生日だったので、
バースデープレートにしてもらった。
そのうちのひとりはオートトだ。
孫1号の志帆はお手紙を書いて、
オートトにおめでとうのメッセージと共に
6月の自分のお誕生日の時は
自転車を買ってくださいと
ちゃっかりオネダリ付き。
オートトは孫たちとは同居ではないので
盆と正月と誕生日ぐらいしか会わないが
こうして小さい女の子に甘えられるのは
悪い気はしないらしく、
珍しく相好を崩して志帆に抱き着いていた。
一方、孫2号の由依の方は
まだそこまでオートトには気を許していない。
だから、ある程度距離をとっているのが
笑える。
親族会とは
こんな風にささやかな人数だけど
これが私たちの親族なんだと
確認する儀式みたいなものだが、
核家族化し、少子化している現代では
大切な行事として守るべきものだろう。
時間的には
外のレストランでは限りがあるので、
やはり大変でも長兄である我が家に
親族を招いて親族会した方がいい気もする。
今日も一番端にいた私は
若夫婦とは何も話せず終わってしまった。
もし、家に招いたなら、
私も料理をサーブしながらも
時折、座りこんで
もっとあれこれおしゃべりできただろうに。
親族といえるようになるには
お婿さんやらお嫁さんやら
他家からこのメンバーに加入した人を
どうやってひとつにまとめるか
家長の采配にかかっていると思うのだが、
なかなかうまくいかない。
某交響楽団のバイオリニストのお嫁ちゃんとは
昨日の石田組の話をしたかったが、
席が離れていたので何も話せず、
持って行った昨日のプログラムは
バッグから出すことなく家路についた。
1年に1度しか会わなければ
なかなか距離が縮まらないよね。
そんなちょっと不完全燃焼感のある
親族会だったが、
コロナ禍で会えなかったことを思うと、
これが新しい親族会の形なのかなと思う。
今日は昨日より一層寒い。
そんな中、今年2回目のばぁばご飯。
帰りは雪が降り出すかもと覚悟を決めて
出かけたけど、何とか大丈夫だった。
それにしても冷たい強風が吹いている。
娘は1月の火曜日は出社になったとかで、
本日も留守宅にて調理しながら
みんなの帰りを待った。
静かな午後が3人のご帰還と共に
正に姦しくなる。
今日も手を洗い部屋着に着替えると
勢いよく食事のテーブルに乗り出して、
食べたいものをお皿に取り分けるよう
孫1号と2号の声がとぶ。
どうやら1番人気は「鮭の黒胡麻フライ」
2番人気は「チーズ・イン・ハンバーグ」
3番人気は「春雨サラダ」か。
いつもならポテトものか
チーズものにまず手が伸びるが、
今回は明らかなポテト料理と
チーズ料理がない。
実はポテトは
「牛肉とじゃがいもとピーマンの中華炒め」に
入っているが細切りなので目立たない。
チーズはハンバーグの中と
ブロッコリーの上の卵に仕込んであるが
これもすぐには分からない。
こうしてふたりの好みそうな食材は
あちこちに忍ばせて
食が進むように工夫してある。
先週、食べだしてからしばらくして
「今日は写真撮らないの?」と訊かれ
「だってもう食べ散らかしちゃったじゃない」と
答えたのを覚えていて、
今日はそれぞれのお皿に取り分けたところで
「写真撮って」と志帆が言い出した。
珍しく由依もご機嫌がよく、
(目下、イヤイヤ期第2波襲来中)
ポーズなんぞとって
撮られる気満々だ。
「じゃあ、食べてるところ」と
リクエストすると
ふたりとも鮭の黒胡麻フライをとったので
よほどこれが気に入ってるみたいだ。
下味にちょっとニンニクを効かせて
黒胡麻で香ばしさをアップする。
これがこの料理に箸をのばさせる秘密だ。
ふたりとも
何でも食べる方の子どもだとは思うけど、
これからも
好き嫌いなく育ってほしいと思う老婆心。
本日のメニューはどれもお口に合ったようで
「ばぁば、よくできました💮」
志帆のカメラマンも
「よくできました💮」
今季一番の冷え込みだというのに
早起きしてダンナと人間ドックに行ってきた。
あわや雪が降るのかと
先週は心配していたが、
何とかどんよりした曇り空ではあったが、
傘をさすことはなかった。
それにしても寒い。
毎年、思うことだが、
人間ドックをなぜわざわざ
1月に受診するのか。
1月なんて、お正月に始まって
何かと飽食の行事が多いし、
寒いと動物の体は蓄えようとするので、
太りやすい。
案の定、昨日は陶芸の新年交流会で
5千円の懐石弁当を食べちゃったし、
一昨日はダンナの誕生日ということで、
次女と3人でふぐ料理をいただいた。
当然、お酒も多少はたしなみ、
宴もたけなわ。
脳裏を人間ドックのことがよぎるも、
所定の量はみな胃袋へ。
なぜ1月に受けるのかと言えば、
ダンナの誕生日が1月だからだが、
覚えやすいとはいえ、
あまりいい数値は期待できない。
そんな心配を胸に、
とにかく寒い体にムチ打って
朝8時にはみなとみらいのランドマークの
クリニックに到着した。
あとは毎年のことながら
大量に投入された、
教育の行き届いた丁寧親切なスタッフ、
看護師、検査技師、医師の間を
実にスムーズに流れ流れて、
11時半ごろにすべての検査が終了した。
最初の血圧測定では
寒さと緊張のせいか、
自分でも見たことがないような高い数値を
たたき出し、人間ドックの時間内に
再検査するほどだったが、
計4回測って、徐々に数値は見慣れた感じまで
下がったので、とりあえず一安心。
最後の医師の総評にあたったのは
何人かいる医師の中で、
子どもに言って聞かせるみたいな
丁寧なおじいちゃん先生だった。
今日の検査結果は
さほど去年と変わったところはなく、
「まあ、それだけ歩いているし、
お食事内容にも気を付けているなら、
後は腹八分目を心掛けてください」と
優しく助言をいただいた。
と、思ったら、
最後に
「とにかく肥満の人は痩せれば、
血圧も下がるし、他の数値も正常値になりますよ」
だって。
やっぱり、ザックリ言って肥満なのかーい!と
突っ込みたくなるのを我慢して、
「はい、わかりました」と
殊勝な顔で答えておいた。
ともあれ、昨年一昨年と比べ、
特段良くなりもしなかったが、
悪くもならなかったということで、
ほっと胸をなでおろした。
おひとり様1,000円のランチ補助券を手に、
いつもならお手軽なお寿司屋に入るのに、
ダンナが急に『美濃吉』にしようというので
予想より豪華なランチになった。
さすがに丁寧に作られたお弁当は
本場京都の懐石の味。
最後にくずきりもついたお弁当だったので、
しっかり甘いものもいただき
大満足。
やはり気にしていないとは言え、
ここ数日、
カロリーやら量など、控えていたので、
解き放たれた気分。
付け焼刃で少し控えたところで、
誤差の範囲とはいえ、
少し、体重と胴回りが減っていたので、
今年の目標はもう一段体重を減らすこと。
「ハイハイ、明日から~」と
お返事だけは元気よく。
次女がダンナの誕生日のプレゼントにくれた
ブルーボトルのコーヒー豆とマグカップ。
帰宅して
いそいそとダンナが淹れてくれたコーヒーを
お相伴しながら、
同じく次女からの名店の豆大福を頬張った。
人間ドックが終わってからと
2日経ってしまったので、
少し硬くなりかけの豆大福、
美味しくちょうだいいたしましたとさ。
今年初めてのばぁばご飯。
去年のクリスマスの週の火曜日以来だから
約1カ月ぶり。
「ばぁばご飯」は
月3回の約束で娘の自宅まで作りに行くが、
毎週いくわけではないから、
娘と相談して、連休がある週はいかないし、
私に火曜日の予定があったりすると
その週もなくなる。
従って、年末年始は
お正月準備と掃除のためばぁばご飯はなかった。
逆にお正月は娘たちの方が
泊りがけで遊びに来ていたから
こちらはお泊りの準備とかもあって大忙しだった。
というわけで、15日の日曜日に
リクエストメールが届き
「あ~、また、ばぁばご飯が今年も始まったわ」
と、嬉しいような嘆かわしいような。
娘の料理嫌いと仕事の忙しさには
どうやら拍車がかかっている様子だから
当分、この生活は続くのだろう。
今回のリクエストは
孫1号と孫2号の好きなもの、
そして、娘が食べたいもので構成されている。
トトの意見は入る余地なし。
「ポテトのチーズ焼き」と
「タラのチーズ風味フライ」は志帆。
「ポークソテーの野菜あんかけ」と
「手羽元のオーブン焼き」はママ(娘)。
由依は何でも食べる子だけど、
中でもよく食べそうなものをママがチョイス。
あとはバランスと家計を考えて
8品のリクエストがきた。
それをその通り作るスタイルなので、
最近は私が買い出しをしたり
買い増しをしたりはほとんどないのだが、
今回は何かご飯ものを加えようかと考えた。
いつもリクエストだけだと新味がなくなるし、
新しい味に挑戦することができない。
好物のラインナップが増えないから、
今まで作ってあげたことのないものに
しよう。
で、「五目いなり」を作ることにした。
別にもの珍しくもないが、
なぜか今まであの家で作ったことがない。
行きがけに油揚げを2パック買い、
家にあった、レンコンとしいたけと人参をもって
娘の留守宅に侵入。
年末に買い替えた大型テレビの映り具合を
堪能しつつ、
ひとりお気軽にキッチンで午後中、作業した。
5時過ぎ、にぎやかに3人が帰宅し、
手を洗うとすぐに
久しぶりのばぁばご飯を見つけると
テーブルに身を乗り出して見渡し、
5歳児は
「あれもこれも食べる~」と嬉しそうだ。
もちろん、2歳児の方も
「ゆいちゃんも食べる~」と
ノリノリだ。
「今日はサービスで五目お稲荷さんも作ったのよ」
というと
さすがにお稲荷さんはかなりめんどくさいことを
知っている娘は
「え~、お稲荷さん、しかも五目!?」
と声を大きくした。
テーブルについた3人は
まずはお稲荷さんとばかり、新ネタにかぶりつき、
3人からは
「美味しい~」とお褒めの言葉を頂戴した。
気に入ってもらえたなら、今後、
新しいリクエストに加わるかもしれない。
大量に作ったのに食いつきが悪いと
がっかりだけど、
「五目いなり」はどうやら合格したようだ。
今年もがっつり食べて
がっちり育ちますように!
1月15日の日曜日、
お茶のお稽古の初釜が行われた。
コロナのせいで、
昨年の初釜は2部制にしたし、
一昨年は中止になってしまったので、
全員が集まっての初釜は3年ぶりだ。
お茶の世界では
初釜はその年の始めのお稽古でもあり、
新春を寿ぐ大切な行事でもある。
先生(前列左から2番目)は亭主といって
お客様を招く役なので、
お庭、寄り付きに始まり、
お茶室のしつらえから茶道具とお茶
懐石料理の一斉を準備なさる。
今回は懐石料理を手作りして
折敷を出して一人ずつに出すということが
コロナの関係で出来なかったので、
お弁当を注文。
その代わりというわけでもないが、
他のお道具(茶碗や茶入れ、茶杓など)は
いつもの年よりたくさんお宝を出して
「それをご馳走にしたつもりよ」と
おっしゃった。
お茶の世界では
「ご馳走」というのは
その時の思い入れを込めたお道具のことを差し、
由緒のあるものや
箱書きやご銘のあるものが出され、
お客はそれを拝見したり
実際にそのお茶碗でお茶をいただくのを
楽しみに、お茶席に伺う。
今回は
お棚に紹鷗棚という大棚が使われ、
その大きさと格に合わせて、
水差しは青磁の捻梅型
お茶入は信楽焼、上田長方作
お茶器は鳥歌法相華文様大棗と
迫力のある大振りのものが出された。
(基本、写真撮影がNGなので
集合写真の左に写っている棚と茶器しか
お見せできないのが残念)
そうやって大きさだけでなく格のバランスや
色合いや映りなど、亭主はいろいろ
お道具の取り合わせを考えて準備する。
本来なら茶道では
お濃茶は一座建立といって
ひとつのお茶碗で数名がお濃茶を飲み回すのだが
今はそれができない。
一椀に一人分のお濃茶を点てるので、
人数分のお茶碗を用意しなければならない。
そこで先生は
お濃茶用に3つの名のあるお茶碗、
薄茶用にも別の3つの名のあるお茶碗を
用意なさった。
普段のお稽古では観ることも触ることもない
作者名のあるいわゆる作家もののお茶碗だ。
お茶杓も同様、
濃茶には「吉祥」薄茶には「つくし」という
ご銘のある
初釜と初春とを意識して選ばれた作家ものだ。
私達弟子は入門の順にお役を割り振られ、
1番手はお炭点前、
3番手の私は濃茶手前のひとりとして
その大切なお道具を使って
お濃茶を点てさせてもらった。
もちろん、弟子の私達は
初釜に参加する「ご馳走」としては
きちんとお点前の予習をして伺い
大切にお道具を扱って
つつがなくお点前をすることにある。
一方、お客として連座し、
初釜というお茶席の空気を作るという意味で、
普段より格上の着物を着て
参加するということが求められている。
それはみんな心得ていることなので、
それぞれが久しぶりの初釜を楽しもうと
趣向をこらした訪問着に袋帯を着用し、
ようやく一堂に集まることのできた喜びを
着物姿で表現した。
いつもは柄物の小紋ばかりのNさんは
紫地に椿の柄の訪問着に
銀色の古典模様が織り出された袋帯だ。
紬が好きでお稽古時は紬率の高いKさんは
「母は踊りをする人だったので
こんな派手な着物ばかり」といいつつ、
綸子の地に能装束のシテ方が舞っている姿が
正面に描かれた王道をゆく訪問着。
いつも皇室の方かと思うような
はんなり色の訪問着がお似合いのIさんは
コロナ前に高島屋で誂えたという
クリーム色と淡いグレーのぼかしの綸子に
一面の花の絵柄の訪問着を初おろしで。
他のメンバーも同じく
それぞれ、格の高い龍村の出袱紗にも
使われるような伝統的な文様の袋帯を
二重太鼓に結んでいる。
私はというと
だいぶ昔に求めた作家ものの訪問着で
青磁色にレンギョウの花が一面に描かれた
加賀友禅。
帯はプラチナ箔に螺鈿がほんの少し埋め込まれた
白銀色の袋帯。
加賀友禅は金糸銀糸を使わないので、
華やかさをプラスし、スキッとさせたくて
プラチナ箔の白銀色の帯を合わせてみた。
最初、花は蝋梅だとばかり思っていたので、
初釜のお席では
「これは蝋梅なの」と言ってしまったが、
帰り道、本物の蝋梅の花をみて
「もしかして違うかも」という気になった。
帰宅して、着物の裾をめくると
そこには「連翹」の文字が…。
もしかして、これ「レンギョウ」と読むのでは⁉
作家名も「勇造」とちゃんと染めてある。
加賀の勇造さん、
適当なこと言ってごめんなさい。
でも、この着物、皆様には好評で
水差しの青磁色ともよく映り、
初釜の寿ぎは感じてもらえたようだ。
次に着る機会があったら
「これはレンギョウの花なの」と
ちゃんと伝えねば…。
朝からいつ降ってもおかしくない怪しい空だったが
結局、5時過ぎの帰り道まで
雨は一粒も落ちてこなかった。
こうして晴れ女のミッションも無事クリアし、
3年ぶりの初釜はめでたくお開きになった。
めでたしめでたし