1月15日の日曜日、
お茶のお稽古の初釜が行われた。
コロナのせいで、
昨年の初釜は2部制にしたし、
一昨年は中止になってしまったので、
全員が集まっての初釜は3年ぶりだ。
お茶の世界では
初釜はその年の始めのお稽古でもあり、
新春を寿ぐ大切な行事でもある。
先生(前列左から2番目)は亭主といって
お客様を招く役なので、
お庭、寄り付きに始まり、
お茶室のしつらえから茶道具とお茶
懐石料理の一斉を準備なさる。
今回は懐石料理を手作りして
折敷を出して一人ずつに出すということが
コロナの関係で出来なかったので、
お弁当を注文。
その代わりというわけでもないが、
他のお道具(茶碗や茶入れ、茶杓など)は
いつもの年よりたくさんお宝を出して
「それをご馳走にしたつもりよ」と
おっしゃった。
お茶の世界では
「ご馳走」というのは
その時の思い入れを込めたお道具のことを差し、
由緒のあるものや
箱書きやご銘のあるものが出され、
お客はそれを拝見したり
実際にそのお茶碗でお茶をいただくのを
楽しみに、お茶席に伺う。
今回は
お棚に紹鷗棚という大棚が使われ、
その大きさと格に合わせて、
水差しは青磁の捻梅型
お茶入は信楽焼、上田長方作
お茶器は鳥歌法相華文様大棗と
迫力のある大振りのものが出された。
(基本、写真撮影がNGなので
集合写真の左に写っている棚と茶器しか
お見せできないのが残念)
そうやって大きさだけでなく格のバランスや
色合いや映りなど、亭主はいろいろ
お道具の取り合わせを考えて準備する。
本来なら茶道では
お濃茶は一座建立といって
ひとつのお茶碗で数名がお濃茶を飲み回すのだが
今はそれができない。
一椀に一人分のお濃茶を点てるので、
人数分のお茶碗を用意しなければならない。
そこで先生は
お濃茶用に3つの名のあるお茶碗、
薄茶用にも別の3つの名のあるお茶碗を
用意なさった。
普段のお稽古では観ることも触ることもない
作者名のあるいわゆる作家もののお茶碗だ。
お茶杓も同様、
濃茶には「吉祥」薄茶には「つくし」という
ご銘のある
初釜と初春とを意識して選ばれた作家ものだ。
私達弟子は入門の順にお役を割り振られ、
1番手はお炭点前、
3番手の私は濃茶手前のひとりとして
その大切なお道具を使って
お濃茶を点てさせてもらった。
もちろん、弟子の私達は
初釜に参加する「ご馳走」としては
きちんとお点前の予習をして伺い
大切にお道具を扱って
つつがなくお点前をすることにある。
一方、お客として連座し、
初釜というお茶席の空気を作るという意味で、
普段より格上の着物を着て
参加するということが求められている。
それはみんな心得ていることなので、
それぞれが久しぶりの初釜を楽しもうと
趣向をこらした訪問着に袋帯を着用し、
ようやく一堂に集まることのできた喜びを
着物姿で表現した。
いつもは柄物の小紋ばかりのNさんは
紫地に椿の柄の訪問着に
銀色の古典模様が織り出された袋帯だ。
紬が好きでお稽古時は紬率の高いKさんは
「母は踊りをする人だったので
こんな派手な着物ばかり」といいつつ、
綸子の地に能装束のシテ方が舞っている姿が
正面に描かれた王道をゆく訪問着。
いつも皇室の方かと思うような
はんなり色の訪問着がお似合いのIさんは
コロナ前に高島屋で誂えたという
クリーム色と淡いグレーのぼかしの綸子に
一面の花の絵柄の訪問着を初おろしで。
他のメンバーも同じく
それぞれ、格の高い龍村の出袱紗にも
使われるような伝統的な文様の袋帯を
二重太鼓に結んでいる。
私はというと
だいぶ昔に求めた作家ものの訪問着で
青磁色にレンギョウの花が一面に描かれた
加賀友禅。
帯はプラチナ箔に螺鈿がほんの少し埋め込まれた
白銀色の袋帯。
加賀友禅は金糸銀糸を使わないので、
華やかさをプラスし、スキッとさせたくて
プラチナ箔の白銀色の帯を合わせてみた。
最初、花は蝋梅だとばかり思っていたので、
初釜のお席では
「これは蝋梅なの」と言ってしまったが、
帰り道、本物の蝋梅の花をみて
「もしかして違うかも」という気になった。
帰宅して、着物の裾をめくると
そこには「連翹」の文字が…。
もしかして、これ「レンギョウ」と読むのでは⁉
作家名も「勇造」とちゃんと染めてある。
加賀の勇造さん、
適当なこと言ってごめんなさい。
でも、この着物、皆様には好評で
水差しの青磁色ともよく映り、
初釜の寿ぎは感じてもらえたようだ。
次に着る機会があったら
「これはレンギョウの花なの」と
ちゃんと伝えねば…。
朝からいつ降ってもおかしくない怪しい空だったが
結局、5時過ぎの帰り道まで
雨は一粒も落ちてこなかった。
こうして晴れ女のミッションも無事クリアし、
3年ぶりの初釜はめでたくお開きになった。
めでたしめでたし
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