石田様フリークの友人と
「三浦一馬 東京グランド・ソロイスツ
プレミアムコンサート」を聴きに
勝どきにある第一生命ホールまで行ってきた。
生まれて初めて勝どき駅に降り立ち
歩いて8分、
迷子になるかと心配したが、
案外、何事もなくたどり着くことができた。
もちろん初めてのコンサートホールだ。
最近は石田様関連しかコンサートには
行っていないので、
バンドネオン奏者の三浦一馬君のコンサートは
3年ぶりぐらい。
その時は(今回も)メンバーに
石田様がいたので、
近所の友人を誘って浜離宮ホールまで
出かけたが、
コロナ禍真っただ中で
ひとつおきに売ったチケットを
なぜか後から残りも売ったらしく
4人の友人同士は2組に離れ離れになった上に
間に見知らぬ人が座るという
おかしな席になったことが思い出された。
もちろん今回はそんなことはなく
きれいな767席の中規模ホールは
ほぼ満員の観客で埋まった。
三浦一馬君は日本で有数のバンドネオン奏者で
主にアストル・ピアソラのタンゴ曲を
好んで演奏する。
石田様もピアソラの曲には
とりわけ造詣が深く、
昔からトリオ・リベルタという3人組の
トリオでピアソラ特集などを演奏してきた。
ピアソラの曲を演奏する時は
キンテートという編成で行われることが多く
バンドネオン・ヴァイオリン
ピアノ・コントラバス・ギターは必須の楽器だ。
そのキンテートという編成を組むにあたり、
ヴァイオリ二ストとして白羽の矢が立ったのが
石田様で
以来、三浦一馬率いる東京グランドソロイスツでは
ヴァイオリニストは石田様である。
TGSの他の楽器のメンバーは
ピアノの山田武彦
ギターの大坪純平
コントラバスの黒木岩寿と高橋洋太
パーカッションの石川智
(敬称略)
この通常メンバーに加え、
今回は石田組でおなじみといったメンバーが
10名も加わり、総勢17名の大所帯。
更にスペシャル・ゲストとして
はるばるアルゼンチンから駆けつけた
バンドネオンの神様
ネストル・マルコーニ氏が加わり、
バンドネオン2台の
ダブル・ソリスト版という超豪華編成だっだ。
曲はもちろんピアソラのものから始まったが、
2部の後半
三浦君とマルコーニ氏のダブル・ソリストによる
バンドネオン協奏曲「アコンカグア」の
初演‼があり、
本当にスペシャルな神回だったと言えよう。
1部はマルコーニ氏は演奏せず、
いつものように
三浦君と石田様がダブル・ソリストという形。
2列目以降に石田組のメンバーが何人もいたので
まるで三浦一馬率いるTGSと
石田組のジョイントコンサートの体。
むしろ、若い一馬君が石田様に遠慮して
石田様を立てているので、
石田様のファンとしては
いつもどおりのコンマス的石田様を
見ている感じだった。
20分の休憩後、2部が始まり、
誰もいない舞台に
マルコーニ氏が多少ふらつきながら出てきた。
御年80歳ということだが、
もっと歳なのかと思うぐらい
頼りなげな様子だ。
しかし、中央の椅子に腰かけ
膝の上に黒い布をかけ
その上にバンドネオンを置くと
演奏がいきなり始まった。
バンドネオンのソロだ。
その美しくも確実な粒立ちの音。
1部で聴いていた一馬君の音色とは
全く違う。
クリアで説得力のある美音で
右手と左手が奏でる音色が違うので、
1台なのに2台の楽器で演奏しているようだ。
会場の隅々に響き渡る
たった1台のバンドネオンの音色が
767名の観客の心を鷲づかみにしてしまった。
こんな言い方も悪いが
一馬君は優しい性格だが、滑舌が悪い。
バンドネオンの音色も
同じく優しいが滑舌が悪い。
それに比べて
マルコーニ氏の音色の豊かで確実なことと
言ったら、
バンドネオンの違いなのか、
奏者の力量の違いなのか、
驚くばかりの差に
友人と思わず顔を見合わせるほど。
石田様フリークの友人は元来、
タンゴにはさほど詳しくないせいか
「バンドネオン恐るべし、すごい楽器ね」と
感心しきりだった。
最後の曲はマルコーニ氏が
TGSのために書き下ろしたという楽曲で
こちらも初演だったのだが、
「さくらさくら」と「夕焼け小焼け」の
フレーズが時折挟まっている
いかにも外人が思い描く日本という感じで
マルコーニ氏の弟子三浦一馬君への愛情に
溢れた曲だった。
10年ぐらい前、ピアソラにハマった私は
アルゼンチンタンゴの教室に通ったことがある。
そのせいか、今回のコンサートでは
美しいタンゴのダンサーが脳裏に浮かび、
しなやかな体の線を露わにして
ずっと踊り続けていた。
1部の時はサテンの濃い緑色のドレスで
胸は深くVにカットされ、
背中も中央がウエストまで開いている。
細い紐が幾重にもクロスしてかけられ
背中の肌の色とのコントラストが美しい。
そんなドレスの女性が曲に合わせて
ステップを踏んでいるのが
ありありと見えた。
一方、
2部はビロードのような湿った黒のドレス。
踊るというよりスイングしている。
女性のアンニュイな表情までもが
手に取るようにわかる。
これが個人的な曲に対する印象そのものだが、
私は映像化できる曲こそ心に染みる名曲と
思っているので、
やはり、ピアソラの曲や
マルコーニ氏のタンゴは
名曲なのではと思っているところだ。
話が脱線してしまったが、
いつも思うが、
観客は舞台から届く調べを
それぞれ自分の感性で受け止め
酔いしれているのか、
時には眠りに落ちているのか。
きっと私みたいに映像が浮かんでくる人も
大勢いることだろう。
友人は「行ったことないけど
アルゼンチンの街並みが見えてきたわ」と
言っていた。
昨日は3週間ぶりのばぁばご飯だった。
8月は1日に1回目があり、
2週目3週目とお盆関連でお休みしていた。
8月下旬になったとはいえ、まだまだ外は暑い。
しかも蒸し暑い。
昼頃、長女が出社している留守宅に行って
気ままに調理開始。
9品のリクエストに対し、
揚げだし豆腐を追加しての
10品という大判振る舞いだ。
『手羽中のオイマヨハニー』
『サーモンの黒胡麻フライ』
『ポテトのチーズ焼き』
『鶏むねの南蛮漬け』
『ブロッコリーのふわふわ卵のせ』
『高野豆腐と切り干し大根の煮物』
『揚げ出し豆腐』
『焼きとうもろこし』
『麻婆豆腐』
『ほうれん草と卵のスープ』
以上10品
夕方、ドアが開いたと思ったら
大きな声で「ただいま~」と
3人が帰ってきた。
前回は孫2号の機嫌が悪く、
泣き叫びながら帰宅し、
何ごとかと尋ねても
娘も「ほっといて!」などとぷりぷりだったから
3人ニコニコ顔でご帰還は久しぶりだ。
こう暑いとちょっとしたことでも
腹が立つから、
みんな笑顔なのは一安心だ。
帰宅直後に
孫1号が「また歯が抜けたよ」と
2本目の下の前歯が抜けた口を
あーんと開けて見せてくれた。
1本目が抜けたと見せてくれた時に
「下の歯は屋根の上に投げて
上の歯が抜けたら縁の下に投げて
丈夫な歯が生えてきますようにって
お願いするのよ」と教えたが、
マンション住まいでは
屋根は遠いし縁の下もないから大変だ。
孫1号はきれいな箱に2本の小さな歯をいれて
どこかの屋根の上に放り上げる機会を
待っているのだという。
忘れなければお正月にオーママのおうちで
やればいい。
前回はギャン泣きだった孫2号。
玄関先にへたり込んで泣き叫んでいた。
手に持っていた猫じゃらしを
帰り道、どこかで1本落としちゃったから
絶対取りに戻るんだと激しい自己主張の嵐。
乗せていた自転車の椅子から
立ち上がろうとするから
母親はその危険さから
金切り声で怒鳴りまくる。
そんなやんちゃな孫2号だったが、
昨日は打って変わってご機嫌さん。
汗まみれなので、お風呂で手足を洗い、
着替えて、髪を結いなおしたら、
あら、急に3歳児。
なんだか心なしか顔がひきしまり、
どすこいベイビーは
いつのまにか3歳のジャイ子になっていた。
トイレットトレーニングまっ最中なので、
「オムツに〇〇ちが出ちゃったの」と
恥ずかし気に報告にくるようになっていた。
保育園ではえらそうにみんなを率いて
遊んでいるらしい。
そして、時々男の子相手に大げんか。
一歩も引かないジャイ子ぶりを発揮中らしい。
たかだか3週間しか開いていないが
久しぶりに会ってみれば、
何だかふたりの成長度合いにビックリする。
毎日、見ている親は案外分からないかもしれないが
孫はひと夏で
ぐんぐんと音を立てて大きくなった気がした。
こちらは暑さで現状維持が精一杯なのに、
「子どもってすごいな~」と
感心しきりのばぁばご飯デーだった。
次女が観てよかったよ~と連絡をくれたので
私も映画『Barbie』を観に行ってきた。
最初はBarbieの実写版で
何を言いたいのか、
全く想像できなかったので、
あまり興味が持てずにいた。
しかし、観てみると
単にアメリカの理想の女性像みたいな扱いでは
なく、
Barbie人形が背負ってきた時代背景、
男女差別、女性の社会進出など、
かなり問題提起しようとしていることが
わかった。
Barbieが最初に発売されたのは1959年。
つまり私はBarbieとほとんど同じ年代を
生きてきたことになる。
日本にもBarbieは早くから輸入され、
私の幼少期は
Barbie派なのか、タミーちゃん派なのかに
人気は二分されていた。
Barbieは特に初代は完全に大人で
30代半ばかしらと思うような
女を前面に出した金髪のロングヘア、
濃い化粧で流し目をしている。
細いくびれたウエストに豊満なバスト
身長は175㎝に想定されているらしい。
洋服もボディコンの派手な衣装に
10㎝のハイヒールで
全体にゴージャスでハイクラスな印象だ。
一方、タミーちゃんは今のリカちゃんそっくりで
年齢は16歳ぐらい。
高校の制服とか着せてちょうどいいぐらいだ。
顔もまだあどけなく
幼児にとっては憧れのお姉さんという感じ。
当然、私はBarbieは何だか怖かったので
タミーちゃんを買ってもらい、
お洋服や小道具もいろいろ持っていて
お人形遊びに夢中になっていた。
しかし、Barbieみたいな大人の女性に
興味がなかったわけではなく、
アメリカの女の人ってすごいなと思って
Barbieを通して畏怖の念を抱いていた。
今回の実写版Barbieは
バービーランドという夢の国から物語が始まる。
あらゆるところがピンクに彩られ、
毎日、楽しいガールズパーティに明け暮れる
バービーランドのバービーたち。
歴代のBarbie人形さながらの衣装をまとった
何人もの女性達はすべてBarbieという名前だ。
友達以上恋人未満のKENも登場するが
人形のKENには職業も家も与えられていない。
男性陣は白人も東洋人も肌が浅黒い人もいる。
一方、女性陣はみんな名前はBarbieだが、
大統領、弁護士、宇宙飛行士、CAなど
多くの職業についている。
ヒロインのBarbieは定型Barbieなので
白い肌に金髪ロングヘアで
見事なプロポーションをもつ、
いわばセックスシンボルのような女性。
おうちもピンクづくめのバービーハウス。
オシャレで可愛い家具調度品に
ドレッサーいっぱいのドレスと靴。
職業はない。
そのBarbieがある日、自分の劣化に気づき
ショックを受ける。
髪は乱れ、太ももにはセルロースが
浮かんでいる。
人間の子供に乱暴に扱われ、醜くなった
元美人のおばさんBarbieに相談すると
「人間界にいって
あなたを持っていた少女に会うといい」と
アドバイスを受ける。
人間界に行くと
Barbieを売り出した会社があり、
そこの社長以下全員が男性だということが分かる。
つまり、Barbieは男性が生み出したお人形。
でも最初のBarbieの生みの親は小柄な女性で、
今でも会社の片隅の部屋に住んでいた。
自分の娘の名前バーバラからとって
この人形をBarbieと名付けたという。
やがて人間界で
人形のBarbieは元の自分の持ち主を探し出し、
女性としての生き方に目覚める。
Barbieが誕生して早60年。
その間に社会情勢も大きく変わり、
Barbieのビジュアルもかなり変化した。
映画は定型Barbieの目を通して
いろいろなことを問いかけてくる。
映画が封切りになってすぐに
人権活動家のマララ・ユスフサイさんが
夫と共にBarbieBoxの中に入っている写真を
インスタにあげているのを見たことがある。
隣のダンナさんを称して
「ただのKEN」と言っているのが
とてもユーモアがあってセンスがいいと思った。
Barbieは常に変化しているのに
人形のKENはいつも側にいるだけの存在。
そのあたりが笑える。
さあ、人形のBarbieは
人間界に乗り込んでどうなろうというのか。
いろいろな解釈ができる
意外と奥深い問題提起の映画であった。
今年の上半期の芥川賞を受賞した
『ハンチバック』を読んでみた。
7月に受賞作が発表され、
受賞者の映像が映し出された時、
私はすごくドキッとした。
市川沙央さんという女性は
車いすに乗っていて
喉の切開の部分をスカーフで隠してはいるものの
重度の障害者であることが
すぐに見て取れる容姿だったからだ。
小説のタイトルの『ハンチバック』からだけでは
どんな内容かは想像できなかったが、
何やら不穏な印象は免れず、
どこか怖いもの見たさで書店に向かった。
書店には単行本になっている『ハンチバック』も
もちろんあったが、
私は書評や他の記事も読みたかったので
文藝春秋の方を手に取りレジに並んだ。
本の内容は
重度の障害者である本人がモデルの
いわば私小説だが、
それはいわゆる健常者が思い描く障害者の枠を
はるかに超える生々しさと厳しい現実を
突きつけつつ、
自虐的ユーモアに満ち、
更に文学としての秀逸さを示していた。
ハンチバックとはせむしという意味で
障害ゆえにひどく湾曲した自身の姿を
自虐的に表した言葉だった。
本書では書評を寄せている今回の審査員が
それぞれどんな考えの持ち主なのか、
障害に対してどれほどの見地を持ち合わせているか
まるで踏み絵のように
その書評の文章が物語っているので
文藝春秋の方を買ってよかったと思う。
私はほとんど出会うこともない障害者を
たまに街で見かけたりすると
目を逸らしそうになる自分に気づいているし、
深く関わろうという意識もなく、
出来れば関わらないで済むならば…と
思っている自分も知っている。
しかし、障害を持っている人や
LGBTQの方など、
いわゆる普通じゃない人が
(語弊があることを承知でいうと)
どんな性的欲望を持っていて
もちろん性的欲望があるのも当たり前だし
どのようにその欲望と対峙してきたか
情報として関心をもってきたつもりだ。
そんな興味本位の覗き見趣味を
完全に打ち砕く形で
この小説は鋭い刃を突き付けてきた。
個人的にはこの小説のエンディングに
多少の不満はあるが、
筆者の語彙力はまさに圧巻だし
その毒を含んだユーモアも魅力的なので
市川沙央さんが今後、どんなものを書くのか
とても楽しみにしている。
今回の文藝春秋には
「父・小澤征爾の希望」というタイトルで
娘の征良さんが寄せた寄稿文も載っている。
重篤な病をおして、尚、
音楽に命をかけ、
情熱を傾けるさまを間近で観てきた人が
小澤征爾がいかに真摯に音楽と向き合っているか
報告している。
人間、何かを通して
自分を表現できるものを持っているということは
素晴らしいことだと
あらためて思った。
暑い暑いと文句ばかりの今年の夏。
じゃあ、お前は何を残したんだと
そろそろ自分に喝を入れ、
重い腰を上げる時が近づいている。
皆さんも文藝春秋を手に取り、
『ハンチバック』で
痛いところを突いてもらってください。
おススメします!
我が家は横浜のとある区の高台にある。
横浜というと、案外、聞こえはいいが
そのほとんどが、坂道とは
切っても切れない形状の土地である。
我が家もご多聞にもれず、
風光明媚といえば聞こえはいいが、
大抵の人が驚くほどの坂の上に位置している。
最寄り駅は横浜駅の次に
神奈川県では大きな駅なので、
デパートを始め、スーパーが何件かあり、
映画館まであるのでとても便利だ。
しかし、規模が大きく平地に拡がっている分、
その周囲の住宅街は
いきなり坂道を上ることになり、
盆地の底に駅前商店街があるというか、
家から駅までまずは坂を下り、
駅から家までは坂を上ることになる。
我が家の周囲には1本の坂道と3本の階段の
ルートがあり、
行きなのか帰りなのか、
荷物が重いのか軽いのかなどで使い分けている。
重い時は帰りはタクることも多い。
もちろん自分で車を出す場合は
ノーチョイスで坂道を利用するわけだが、
階段は、
1直線の140階段とよばれる
真っすぐでキツイ階段+坂道のルートと
赤白階段とよばれる紅白の手すりの階段
+坂道のルートと
大きなマンション脇をぐるりと巻きながら
坂道+階段で上るというルートがある。
写真はマンションを巻きながら
3段階に分かれて階段を上るルートで、
カウンセリングや買い物の後は、
このルートで帰宅することが多い。
こうして改めて写真に撮ってみると
坂道の向こうに夏の空があり、
入道雲が浮かんでいる。
その空に向かって1歩1歩上っていく図は
宮崎駿の映画あたりに出てきそうな
典型的な日本の坂道の風景だ。
登り切ったところで見渡すと
南側は眼下に駅前の高いビル群が見える。
北側は遠くにみなとみらい地区が見える。
まさにザ・横浜の住宅街という風情だ。
しっかし、この眺望を手に入れるには
あの坂道を上ってこなければならないわけで
この2023年の真夏の炎天下に
スーパーで買ったなんやかんやをエコバッグに入れ
階段の手すりを頼りに
1歩1歩上っていくのは
まるで修行僧のような過酷さだ。
3か月ほど前、
この階段で私は立ち眩みがして、
一瞬、意識が遠のき、
階段から転げ落ちそうになった。
手にはスーパーのアイテムが入ったエコバッグと
A4ファイルの入る大き目のバッグを持っていた。
重さを均一にするため、
自分のバッグの方には玉ねぎとグレープフルーツを
入れていたから、
それぞれ4~5㎏ずつあったと思う。
坂の第2弾に差し掛かり、
重いので一方を肩に担ぎあげようとした
瞬間、
「あ、空」と空の青が視界に入って
そのまま反転して尻もちをついた(らしい)
幸い、階段落ちにはならなかったが
右の二の腕の打撲と尻もちの打撲と
左のおでこに少しこぶができた。
どさっと物の落ちる音がしたので、
ちょっと前に通り過ぎて階段を下りていった
40がらみの男性が慌てて戻ってきてくれた。
「大丈夫ですか。頭打ってないですか。
救急車を呼んだ方がいいですか」と
心配して声をかけてくれた。
少しぽーっとしていたが、
頭を打った風はなかったので、
「大丈夫です」といってヨロヨロ立ち上がった。
男性は家の近くの坂道のてっぺんまで
荷物を持ってくれたが、
「家はすぐそこなので、もう大丈夫です」と
お礼を言って、戻ってもらった。
あれはまだ4月か5月ぐらいだったけど、
以来、あの同じ階段に来るたびに
「上を向いちゃだめよ」と自分に言い聞かせる。
階段で「上を向いて歩く」のは禁物だ。
つい、クラっと来やすいからだ。
もちろんお気軽に歌ってる場合じゃない。
こんな猛暑の中、
ひとり階段落ちして転がり落ちて
炎天下で熱いアスファルトに倒れていても
誰も助けてくれないかもしれない。
そう思うと
階段の一段一段を睨みつけ
しっかり踏み外さないよう上がるしかない。
そして、もうひとつ
夏になるとやらなければならない
ことがある。
それは庭木の伐採と草むしりだ。
我が家には三方に小さな庭がある。
南側は玄関アプローチのある植栽。
主には25年ものの薔薇の花というか大木?と
金木犀やジャスミンが植えてある。
北側は本来、物干しが置かれている
キッチンから出入りできる庭だ。
西側はカーパークとその奥の植栽で
アトリエから出入りできる庭。
玄関アプローチは、
人通りの多い道に面しているので
さすがに生えっ放しというわけにもいかず、
年に数回、手入れをしている。
以前は、ここにラティスを組んで
たくさんの花の鉢をハンギングで
ぶら下げていたから
毎日の水やりや花柄摘みなど
小まめに手をかけていた。
しかし、ここ数年、
花はほっといても勝手に咲く薔薇と金木犀と
ジャスミンと紫陽花のみ。
つまり、これらが手掛けた花の中で
ダントツ生命力が強く
手をかけずとも残ったということだ。
北側と西側は洗濯物を外に干さなくなって以来、
はっきり言ってジャングルと化している。
庭は人が立ち入らないとみると
植物の生命力は強くなる一方で、
特に植えた覚えのない蔓ものの植物が
地中をぐんぐん進み
庭中を侵食し
フェンスといい、物干し台といい、
自力で植えたさざんかや小でまりに
絡んで絡んで絡まり倒して伸びている。
草物としてはドクダミが最強で
ドクダミ草原と化している。
挙句、蔓ものは隣との境の電線にまで絡まり、
夏空に向かってどこまでも伸びているのだ。
キッチンからこの状況は
乗り出せば見えているので
気にならないわけではないが、
何しろ、今年の夏は7月すぐから猛暑日寸前。
梅雨時期の雨降りに伐採は出来ないし
あまりに暑い日では熱中症になるかもしれない。
7月に長女が見かねて
「業者を呼べば?プレゼントしようか?」と
言ってくれたが、
業者さんだって同じ人間だ。
この暑さの中、倒れられても困る。
今年の夏は向こう3か月
例年より暑いらしい。
そんな天気予報を聴くだけでクラクラする。
どこかで少しずつでも伐採しなければ。
これが毎年の夏の悩みだ。
結局、今年もお盆休みは
伐採に明け暮れた。
ちょっとはダンナも手伝ってくれたが、
ただ、北側の伸びすぎたさざんかを
チョキチョキ伐採しただけでは
埒が明かない。
切った枝はビニール袋が破けないよう
「袋に入れて何ぼじゃろーが!!」
と、思うが、呆れて言葉も出ない。
45ℓのゴミ袋8枚。
口が締められないほどパンパンに詰め
金曜日の普通ゴミの日に出す。
枝ものは紐で束ねる。
50cmの長さを越しているが
お目こぼしで一緒に持っていってくれ~。
この作業が終わると
私のお盆のおつとめが終わる。
横浜の坂の上に小さなおうちを建てたせいで
毎年毎年、
私には夏の修業が待っている。