2023年8月10日木曜日

彫りのミューズ降臨







本日も蒸し暑さは絶好調。
私は今のところ一歩も家から出ずに
昨日、
直接、版に絵を描いた紫陽花の葉っぱの彫りに
着手した。

使う彫刻刀は「印刀」1本。

いつもは輪郭線を彫り出すために使う
彫りの仕事でもっとも多く使用する
ナイフ形の彫刻刀だ。
「切り出し」ともいう。

描かれた線は面相筆という細い筆で
細い部分太い部分の差はあるものの
全体には葉脈の流れに沿って描かれている。

実際の紫陽花の葉っぱは
もっと整然とした葉脈をしているが、
絵画においては作者の目と手を通して
もっと自由にデザインされていく。

筆で描くときに、
すでにデザイン化はなされているが
彫刻刀で彫る時にはさらに自由に
抑揚をつけ、
描くように彫れたらと思っている。

描く時もそうだったが、
まずはじっと版木の上の黒い線を眺め、
あまり中心部にいない
控えめなポジションの葉っぱから彫り始める。

彫りの感覚をつかむまでは
彫刻刀に勢いやリズムが生まれないので
無難な線になりがちだ。
だから、メインのところから始めるのは
得策ではないと考えている。

しかし、今日の葉脈の彫りは
最初から彫刻刀が滑らかに動き出し、
あまり悩むことなく
次々と彫りたい線が浮かび上がってくる。

まるで「彫りのミューズ(女神様)が降臨」
したかのように
心のままに手が動いていく。

木版画を初めて45年ほど経つが、
私にとって彫りというのは
摺りの段階の前の「作業」であったが
今日の彫りは作業ではなかった。

彫ることそのものが楽しく
とてもクリエイティブな時間だった。

まさに描くように彫れたのではないだろうか。

木版で墨一色で摺る作品を創る作家は
沢山いる。
それに対して私は「多版多色」で
やってきた。

しかし、今日は私も墨一色の木版画を
創ってみたくなった。

今、考えている
墨色の葉っぱと鮮やかな色の紫陽花の花。
その組み合わせは
もしかしたら新しい境地にたどり着けるかも。

つい最近、大学の同級生で
誰ともほとんど交流を持たずに
アトリエに籠って作品を創り続ける友人と
電話で話す機会があり、
「その制作のモチベーションは尊敬するわ」と
言ったことがある。

作家を自称していても
何年も何年も同じような作品を創り続けて
平気な顔の人がたくさんいる。

「ものつくり」にとって
マンネリズムほど怖いものはない。

かくいう私も同じシリーズを何点か創っていると
似た表現に陥り
自分で自分に喝を入れたくなる時がある。

今年の紫陽花展で
新しい試みの作品を連作で出品して
皆さんの反応や感想をいただき
「引き算のよさ」に気づいたことは
大きな収穫だった。

その「引き算」とは
私にとって
色数の引き算、版数の引き算を意味するが、
ただ引いただけの手抜き作品になっては
何の意味もない。

彫りの魅力で魅せる木版画。

それができたら
私の木版の新境地が拓くだろう。

今日は彫りのミューズの降臨で
私の中の彫り師に
アーティストの魂が宿った気がする。

さあ、目覚めよ!
まだ時間は(きっと)ある。

腰は痛いし、目はしょぼつくが、
もう少しやってみよう!

しかし、
とりあえず水分補給しなければ。
よっこいしょ。















 

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