2025年3月28日金曜日

友人の展覧会で思ったこと

 







今日は1日中、家に籠って
執筆業にいそしんでいたのだが、
昨日は1日中、精力的に出歩いていた。

朝8時半から映画を観たというのは
すでに昨日のブログに書いた通りだが、
映画が11時半に終わってすぐに
カーブスでひと汗流してきた。

その後はランチをとって、
地下鉄に乗って関内まで出て、
毎年6月に開催している紫陽花展の元メンバー
垣見久子さんの個展を観に行った。

垣見さんは御年80ウン歳。
半ばを過ぎたというから85か86あたりか。

なのにまだまだ現役で
死ぬまで自由に絵を描いて
パタッと死んでいければいいと
どこか突き抜けた境地で
抽象画と静物画の融合を目指して
筆をとっている。

ギャラリーに来てくれた人には
「誰かに何か言われても何も気にならないわ。
そんなの気にしていたら好きに絵が
描けないじゃない」といって
以前にも増して
ますます飄々とした風情だ。

垣見さんは
ご一緒していた紫陽花展のオリジナルメンバーで
2年前にグループは抜けられたが
きっといろいろな制約や人間関係から
解き放たれて
好きなように絵を描き、
好きな時に個展をするというスタイルに
1本化なさったんだと思う。

やはり誰しも年はとるので
エネルギー総量が落ちるのに合わせて
必要なものだけに絞るのは賢い生き方だ。

垣見久子展を出てからは
JRに乗り横浜に出てから
横須賀線に乗り換えて鎌倉へ。
今度は今、紫陽花展でご一緒している
穎川麻美子さんの個展におじゃました。

彼女は紫陽花展のメンバーになって
7~8年は経つだろうか。
京都を中心に作家活動をしている日本画家だ。

年の頃は50代後半か。
今、最も脂がのっていて
精力的に活動しているといったところか。

いつものグループ展では見たこともないような
大きな作品を正面の壁にドドーンと飾り、
お花の作品がほとんどの人なのに
今回は風景にも挑戦したと言って
静かな風景画も何点かあった。

きっと筆がのって
意気揚々と描いているのかなと思ったが、
画廊に来ている人には
「もうすぐ60かと思うとちょっと焦っている」
という声が聞こえてきた。

多分一番精力的に動ける年代だと思うけれど
それはそれで
今、元気に動けるうちに動かないとという思いが
あるのだろう。
その気持ちも分からなくはない。

彼女にはお子さんがいないので
より一層「私には絵しかない」という気持ちが
あるのかもしれない。
そういうエクスキューズのない状態は
余人が知りえない焦りのような感情を
湧かせるのか。
自分に甘えない覚悟のようなものを
見た気がした。

同じグループ展のメンバーでも
年齢によって作品に向かう感覚が違うなと
感じ入りながら、帰路に就いた。

はてその中間に属する私はというと
目下、今年の紫陽花展に出品する作品は
創り上げたので、
気持ちは執筆業に集中している。

カウンセリング業もそこそこ忙しいが、
脳みそが執筆というやり慣れない作業で
オーバーヒート中なので、
時折、脈が飛んで脳貧血を起こしそうになる。

これはまずいと
おばあちゃんに交じってカーブスで
汗を流したり、
時折、友人とランチしたり
映画観たりして
ストレスコーピングが欠かせない。

でもそんなことをしながらも
「これって本当にストレスコーピングになってる?」
なんて自問自答しながら
このことを
執筆中の本のどこかに活かせないか
考えているようでは
全くストレス解消になっていない
トホホな状態だ。









2025年3月27日木曜日

映画『ウィキッド ふたりの魔女』

 








だいぶ前から上映されていることは
分かっていたが
食指が動かなかった映画を
なぜか観ておかなければという思いに駆られ
観に行ってきた。

『ウィキッド ふたりの魔女』

おなじみのミュージカル
『ウィキッド』の映画実写版である。

主人公は
まだ本当の強さを知らない
後の”悪い魔女”エルファバ

まだ本当の優しさを知らない
後の善の魔女グリンダ
のふたりだ。

エルファバは緑色の肌をもって生まれたせいで
父親から疎まれ
周囲の偏見の目に苦しみながら成長する。
エルファバは足の悪い妹の世話係として
シズ大学の入学式に付き添うよう言われたが
そこで思わぬ魔力を発揮し、
校長のミセス・モリブルのススメで
一緒に入学することになる。

その時、同じ部屋のルームメイトになったのが
おキャンで皆の人気者のグリンダだ。
この役をアリアナ・グランデがやっていて
超可愛い!

ふたりは生い立ちも性格も
見た目も正反対。
最初は反発しあうが徐々にお互いにいいところに
気づき、友情を深めていく。

エルファバは自分では制御できないが
怒りの感情を持つと
魔法の力が湧いてきて
物を壊したり吹き飛ばしたりできる。

それをうまくコントロールさえできれば
優秀な魔女になると
校長先生はエルファバを見込んでいる。

一方、グリンダは女の子としての魅力を
たくさん兼ね備えていて
ピンクがテーマカラーで
お洋服から小物から部屋の内装まで
すべてがガーリーなピンク色だ。

暗い性格になってしまったエルファバと
明るく女子の武器を振り回すグリンダ。

ファンタジー映画なのだが
そのCGのクオリティの高さは目を見張る。
豪華なセットや衣装も贅を尽くしている上、
映画としてはとても長い約3時間の超大作。

予告編などでそのあたりのことは
知っていたけれど今日まで観なかったのは
何となく童話のような物語だろうと
決めつけて、魅力を感じなかったから。

しかし、なぜか今頃になって
いやいや待てよという気持ちが湧いてきて
そろそろ終わっちゃうかもと検索してみた。

案の定、最寄り駅の映画館で
英語版で観ようとすると
朝の8時30分から11時25分という回しかない。

映画館に朝の8時半に行くって
なかなかの早さだと思ったが
もはやノーチョイスだ。
幸い歩いて15分のところにあるので
頑張って行くことにした。

案の定、広い4スタはほぼ貸し切り状態、
一番後列のど真ん中で鑑賞した。

しかも、予感的中、
物語の最後、
エルファバは魔女になる決心をするのだが
そのきっかけが
「自分軸をみつけた」から。

魔法の杖が降りてきて
エルファバの足元に転がった時、
エルファバは意を決してそれを手に取った。

追っ手から逃げようとお城の最上階へと
駆け上るふたり。
でも、一緒に行くかとエルファバに聞かれ
グリンダは行かないことを告げる。

そこでグリンダも『自分軸』に従って
大きな決断をしたのだ。
そこでふたりは別々の道を選択する。

今、私が執筆している本のテーマは
「『自分軸』を大切にする」だ。

正にそのテーマは
「ウィキッド ふたりの魔女」の
テーマでもあったのだ。

その後、なぜ、ふたりは別の道を進み
悪い魔女と善の魔女になるかは
2025年秋に上映されるPert2で
解き明かされるらしいが、
Pert1では若いふたりが本当の自分に気づき
新しい1歩を踏み出すところまでが描かれている。

目下、ことあるごとに
これ本に使えるかもという目で
世の中を見渡している私としては
この映画は
恰好の素材だったというわけだ。

実際に本の中に盛り込めるか否かは別にして
ファンタジーだからと軽く見ないで
ちゃんと重たいテーマを内包していることに
気づけて良かったと思っている。

だからこそアカデミー賞に
何部門もノミネートされているのだろう。

この3時間の超大作、
テーマの重要性はもちろんのこと、
ミュージカルの舞台とは違う
映像美やCG技術が堪能できたので、
見逃さなくてよかったと思った1作である。












2025年3月25日火曜日

ヒレカツと春野菜のばぁばご飯












娘が独立したことを受け、
今月からばぁばご飯は月2回になった。
孫たちも大きくなってきたので、
ばぁばご飯も徐々に数を減らして
卒業の時が近い。

今月はそういうわけで
第1週のお雛祭りバージョンと
第4週の春休みお弁当バージョンの2回だ。

今日から春休みに入った孫1号は
日中、小学校の中にある学童保育にいく。
夕方まではそこで過ごすのだ。

学童が
同じ学校内にあるのはありがたいことだが、
給食までは出てこないので
毎日お弁当と水筒持参で行かなければならない。

そこで、ばぁばご飯はお弁当に入れられる
おかずを数品作って欲しいというリクエストだ。

オーママからのリクエストは
「春野菜を食べさせたい」ということで
新じゃが、春キャベツ、新玉ねぎとアスパラガスを
買ってきてとメールしたところ、
以下のような献立がリクエストされてきた。

「ヒレカツ」
「コールスロー」
「新じゃがの煮っころがし」
「新玉ねぎのオニオングラタン」
「アスパラとエリンギの肉巻き」
「サバの蒲焼」
「鶏手羽元のオーブン焼き」
「きんぴらごぼう」
「ブロッコリーの卵のせ」
以上9品

孫1号の苦手な手羽元以外は
お弁当に使えるものばかり。
スープは朝、フランスパンと共に食べるとして、
これで何とか週末まで乗り切る作戦だ。

ヒレカツは
娘曰く、ヒレ肉が高いという理由で
今まで出てきたことがなかった。
とんかつ用ロース肉は何回も出ているが
何となく自宅で作るというイメージが
なかったという。

しかし、作ってみれば
お肉は柔らかいし、とてもジューシーだ。
孫たちも娘も大気に入り。
もしかしら、今後、よく登場するかもと
思わせる美味しさだった。

もちろん春野菜たちは
新鮮だし、季節の先駆けとして
「春」が感じられるのは
何と言っても心が浮き立つ。

新じゃがの煮っころがしは焼き目をつけ
甘辛いタレに絡めるのだが
最後にバターを溶かすので
ちょっと洋風になり、箸が止まらない。

コールスローに使った新キャベツは
いつものキャベツより柔らかいので
優しい味わいだ。

新玉ねぎは大人はもっぱら生のままスライスして
食べているが
孫たちには無理だろうということで
オニオングラタンスープにという注文だった。

新玉ねぎだといくら炒めても炒めても
茶色くならない(水分が多すぎるので)
しかたなく見切り発車でスープに仕立て
胡椒やバター、大量の粉チーズで
コクを出してみた。

こちらも玉ねぎの甘みが感じられ
春のスープといったところか。

アスパラガスはポクポクして
特に旬の時期は甘くて美味しい。
肉巻きにしてカットすれば
萌え断である。

因みに我が家では
朝、フランスパンを横に切って2つに割り
バター、トマトソースを塗り
ベーコン、ミニトマト、アスパラをのせ
マヨネーズ、ピザチーズを更にのせて
オーブンで焼き目をつけるタルティーヌという
オシャレな食べ方がマイブームである。

あとはサバやら鶏手羽元など
おなじみのメニューだが
春野菜がいくつか入るだけで
何だか季節感が出るのは不思議だ。

来週の火曜日もまだ春休みなので、
2週続きのばぁばご飯になる予定。

月2回のチケットをどこで使うか
娘たちの予定とオーママの予定をすり合わせ、
まだもう少しばぁばご飯は
続けるつもりだ。






















 

2025年3月16日日曜日

専門学校の卒業式と謝恩会

 



かれこれ20年ぐらい
非常勤講師として教えている
パティシエ養成専門学校の卒業式と謝恩会に
出席してきた。

コロナ禍前は当然のように
出席していた卒業式だが、
コロナ禍の2021年の卒業式に
非常勤講師は列席できなくなったのを
きっかけに
復活後も出席せずに今日まで来ていた。

私は就職対策講座を担当しているので
前期だけしか授業がないから
学生の前で講義するのは9月半ばまで。

それ以後は
11月初めの文化祭に行った時、
出店やレストランの接客担当などで
偶然、会えた学生は何人かいるが、
ほとんどの学生とは半年ぶりの再会だ。

就職対策講座は4クラスあるが
週に1回、1時間の授業なので
私の顔なんて忘れた学生も多いだろうし、
授業中に双方向で交流できた学生の数も
大しているわけではない。

しかし、昨年の学生の中には
何人か個人的に
就職対策を一緒に練った子が何人もいて
第一希望のホテルに決まった学生もいるし
第一志望には決まらず、
結果を知らないまま卒業式を迎えた子もいる。

決まった学生にはおめでとうが言いたかったし
私がいる間には決まらなかった学生には
どうなったか聞きたかったので、
思い切って
今年は卒業式と謝恩会に出席することにした。

この学校の卒業式は
横浜の某ホテルの一番大きな宴会場を貸し切って
親御さんたちも参列してとても賑やかに行われる。

来賓と非常勤講師は
金屏風の前のひな壇に並び、
丸々2時間、
学生が卒業証書を受け取り、
各賞を受賞した学生が賞状を受け取るのを
見守る。

私は偶然、中央の賞状を受け渡す台のすぐ横、
2列目
理事長のすぐ後ろの席になってしまったので、
賞状を取りに壇上に上がった学生が
一礼する目の前に座っていたことになる。

卒業証書を代表の学生が受け取ると、
続いて各部門の賞、
例えば、校長賞とか理事長賞の発表がある。
そして、その後には重たい賞の順に
20部門位の受賞者が呼ばれては壇上に上がった。

そのトップバッター
「日本洋菓子協会連合会 会長賞」の受賞者として
一番最初にホテルニューオータニに
就職を決めたK君の名が呼ばれた。

壇上でお辞儀をするK君と目が合うと
去年の春、
自己PR文や志望動機の文章を
ふたりで練り直した日々がよみがえった。

すでに担任からOKが出ているという
自己PR文を読んで
「これちょっと上から目線じゃない?」という
私の助言に対して
「そうですよね。
そういう意見が欲しかったんです」と
素直に手直しに応じたK君。

「どんなパティシエになりたいか」
最初の授業でみんなに自己紹介してもらった時
「世界一のパティシエになりたいKです」と
大きな風呂敷を広げてみせた。

そんな彼が第一希望のホテルに就職が決まり、
文化祭ではチョコレート菓子でエスコフィエ賞を
受賞し、
卒業時にも最後に大きな賞を獲得した。

賞状を受け取るK君を見ながら
壇上で私も誇らしい気持ちになり、
この学校で長年教えてきて
初めての感情だなと思った。

謝恩会になったら、
おめでとうを直接言ってあげよう。

会場が整うまでの1時間半
講師控室で談笑しながら
謝恩会が始まるのを待った。

謝恩会は学生が主導なので、
卒業式とは打って変わって
くだけた様子になり、
学生たちも先ほどまでのはかま姿から
ドレス姿に着替えた子たちもたくさんいる。

卒業式と謝恩会に
一緒に行くことを約束した講師のTさんは
同じ非常勤講師といっても
つい一昨日まで追試の面倒をみていたというぐらい
頻度高く学生と関わってきたので、
入場の時から何人もの学生とハイタッチするほどだ。

私はそこまで親しい学生はいなかったけど、
会場の真ん中へんにK君を見つけると
手を振ってくれたので、
こちらも手を振った。

ビュッフェの食事が終わる頃、
K君が傍に寄ってきて
「お世話になりました」というので
「お世話しました」と笑って応え
一緒の写真を何枚も撮ってもらった。

私にとって非常勤講師なんて腰掛的な仕事で
さほど思い入れもなかったのだが、
今年は他にも何人かの学生が声をかけてくれ
ちょっといつもの年とは違う感慨がある。

4月1日から
彼らは新しい社会に飛び立っていく。

本当に世界一のパティシエになってくれるのか
K君の未来に期待しつつ、
私もこの学校で新しくどんな学生に会えるのか
楽しみにしているところである。





2025年3月14日金曜日

横浜美術館リニューアルオープン展

 











 








桜木町のみなとみらい地区にある
横浜美術館がリニューアルオープンした。

招待状をもらっていたが
なかなか時間が作れず、今日になってしまった。

横浜美術館は1989年に開館した
横浜にある美術館としては最大規模を誇る。

しかし、案外、企画にむらがあり
現代美術だったり、日本画だったりする上に
ちょっと美術館の立地がもひとつなので
さほどポピュラーというわけではなかった。

今回は外観はほとんどそのまま
耐震工事と内装の一部をリニューアルしたのだろうか
入った感じは以前とさほど変わらない。

展覧会内容は
「おかえり ヨコハマ」と題され
美術館が立つずっと前、
横浜が漁村で埴輪が出土したなんてところから
始まっている。

「1.みなとが、ひらく前」
「2.みなとを、ひらけ」
「3.ひらけた、みなと」
「4.こわれた、みなと」
「5.また、こわれたみなと」
「6.あぶない、みなと」
「7.美術館が、ひらく」
「8.いよいよ、みなとがひらく」
という8つのパートに分かれ年代別に
どんな時代だったか写真や絵で
紹介していくという展示だ。

1859年に横浜港が開港し、
海外から物資と共に人が流入したことで
山手に外国人居住区ができ、
異国の文化薫る横浜という街ができた。

しかし、関東大震災と
第二次世界大戦で
2度、街は壊滅的なダメージを負った。

戦後の占領下にあっては
米軍軍人が街に溢れ、
娼館が立ち並び、日本人女性と米軍人との間に
ハーフの子どももたくさん生まれたらしい。

その時代の写真も何枚も展示されていて
モノクロームの写真なので
ちょっと雰囲気がよく見えるが、
実際は猥雑でカオスな街だった気がする。

展示の後半は
横浜ゆかりの女優 原節子のポートレートや
横浜の小学校教諭だった片岡球子の日本画
美術館所蔵の奈良美智の作品や
ルネ・マグリットやピカソの作品が
ずらりと並んでいた。

最後から3つ前くらいの部屋に
折元立身の映像作品があり、
認知症になった自分の母親の髪の毛を
ベートーヴェンの「運命」の曲に合わせ
自分も髪を振り乱して
搔きむしるというおかしな作品が
延々と流れていた。

壁にかけられたスクリーンの前には4つ椅子が
並んでいて
観客はこそに座って
見知らぬおじさんが嫌がるお婆さんの髪の毛を
ぐしゃぐしゃしている様子を見るわけだが、
それを作品と呼んでいいのやら…。

タイトルは
「ベートヴェン・ママ」である。
(ベートーヴェンではない)

他にもよく理解できない映像作品や
絵画作品がいくつも収蔵されていて
最後の3部屋は現代美術ばかりだった。

現代人として美術界の端っこにいる
一木版画家としては
何をもってして美術作品というのか、
その中の1点たりとも自室に飾りたいとか
ずっと眺めていたいと思えないのに、
最後の方は美術館に飾られたそれらに
お金を払って眺める意味を見出せずに
会場を後にした。

そうなると
自分が何のために絵画作品を創るのか
誰のために創るのかといった
根本的な問題にぶち当たるわけで、
目下、出版に向けて
無い知恵を絞って原稿を書くことにも
原初的な価値は何かという疑問が湧く。

帰りにカーブスでひと汗かいたとて
解決できるわけではない。

この度の本は
「超多忙ワーママに贈る
自己肯定感が上がる8つの習慣」というのが
タイトルだ。

8つの習慣にはそれぞれ小タイトルがあり、
小タイトルは「解決のヒント」と銘うたれ
各章に4~5つのものごとの考え方を
提案する文章が続く。

それをこれから自分で書きながら
その中に答えを探すのも一興だと思う。

そういや、
第1章のタイトルは
「答えは自分の中にある」である。

いいこと言ってるじゃん、わたし(笑)






































2025年3月11日火曜日

2025年の新しい挑戦

 






去年のクリスマスの日、
1本の電話がかかってきた。
10年ほど前に会員登録していた
電話相談カウンセリング会社の社長さんだった。

その会社は4~5年前から出版スクールなる部門を
立ち上げて
活動していることは知っていた。

しかし、自分と出版は無縁のことと思っていた。

電話相談も、
登録した当初、何回か受けてみたけれど
電話越しの顔の見えない相手とのカウンセリングは
表情が見えないので、ピタッとこなかった。
以後、空いている時間を開示することもなく
電話相談できるカウンセラーとしての
活動は休止状態だった。

しかし、当時、何回か社長が主催する
勉強会に出席したこともあったせいか、
突然、社長自ら電話をかけてきて
「本を出版してみませんか」とお誘いを受けたのだ。

「自費出版なら、その気はないです」と
お断りすると
「そうではない、自業出版という形」という
自らが著者であり、出版社でもあるという
電子書籍出版のあり方や、
心理カウンセラーとして本を出すことの
メリットなどの話を受け、
すっかり営業されて
うっかりその話にのってしまった。

そんなわけで
私のどこに根拠があるのかないのか、
2025年1月から、その出版スクールに入学し
6か月間で1冊の本を書きあげて出版することに
なった。

現在3か月目に入り、
目次建てと企画書を作成し
今日はレビュー会に登壇できるかどうかの可否が
決まる。

このスクールは
現在の電子書籍がどれだけ
紙の本より部数を伸ばしていて
どんな読者がどんなリサーチをかけて
買っているのか、
売れている本とはそうでない本と何か違うのか
売れている本は読者の何をつかんでいるのか等を
とにかく分析して、戦略的に作っていくので、
書き手はまず、そのこのことを理解した上で
動くことが求められている。

社長には最初から
「心配なのは書く内容があるとかないとかより
パソコンスキルが大してないので
そこは大丈夫でしょうか」とボヤいてみたが、
「そんなのやりながらうまくなるから大丈夫」と
箸にも棒にもかからない。

結局、始めてみると
やはりその部分の要求はとても高く、
アップアップの状態なのだが、
今のところコーチや娘が助け舟を出してくれ
何とかここまでこぎつけている。

「戦略的に売れる本を書く」ための講座は
月10~12本ほど用意されていて
Webで受講しては課題に答えるという形で
次に進むことが出来る。

それとは別に1on1という担当コーチとの
ZOOMによるセッションが月2回ある。
他にも、ワークショップといって
同じ月、もしくは近い月に入会したメンバーと
意見交換したり、アドバイスをもらったりする
会が週に1回設けられている。
それもこれもすべてWeb上でのやり取りだ。

各界のブックライターの話を聴いたり、
大学教授の論文を読み込んで問題を解いたり、
中には昔の島田紳助がよしもとの若手芸人に
話している動画まで視聴して、
課題に答えるというものまであった。

自分が書こうとしている本の
ターゲット読者の「PainとGain」は何かとか
メインのキーワードの選び方とその理由など、
書きたいことを書くわけではなく
書けるものを書くわけでもなく
読者が読みたいと思うものをいかに捉えるか等、
出版に対する考え方の講義の連続で
頭がパンクしそうだ。

お陰でいろいろなパソコンツールの使い方に
触れることが出来た。
使いこなせるというには程遠いものの
70の手習いとしてはハードな日々である。

今日は、自宅で、本の目次建てに添って
これまでHPのブログに書いてきたことで
今回書こうとしている本に使えそうな回の
原稿を拾い出し
それぞれのファイルに入れるという作業をした。

2022年から3年間、
1週間に1本、オリジナルで書いてきた
HPブログは心理カウンセリングに来ている
クライエントさんのお悩みから
カウンセラー目線で読み解いていいるもの
なので、今回の本を書くときに
引用できそうなものがいくつもあるのだ。

これらのHPブログは
まず手書きでレポート用紙に書いて
それをパソコンで打ち込んでアップしている。
いきなりは打ち込んでいないという
ローテクなやり方が、逆に功を奏して
たくさんのレポート用紙が役に立ちそうだ。

講座の途中で「音声入力」という方法も
学んだのだが、
やはり書きながら推敲する方が自分には
合っていると思うので、
今後、執筆作業に移った時に
どんな執筆スタイルになるのか
今からドキドキだが
私らしくありたいと思っている。

こちらのブログ「横浜なでしこ物語」は
いきなりパソコンに打ち込んでいるが
自分の本となると
そんな風にはいかないと思うので、
鉛筆ナメナメというわけではないが、
じっくり手で紡ぎ出したいと思っている。

「自分の本を出版する」
心理カウンセラーとして
ひとつの軌跡を残せればと思って
挑戦中!!

どうなりますやら。
しばし、お待ちを!!