2017年10月20日金曜日

初見参 上野・韻松亭

 
 
 
上野公園のど真ん中に位置する料亭"韻松亭"で、友人ふたりと食事をした。
 
30年来の戦友のような古い友人達と、
都美術館で開催中の版画展を観て廻り、午後1時からの少し遅めのランチである。
 
韻松亭は創業明治8年というから、
私が大学・大学院時代にも当然、上野で料亭を営んでいたに違いないのだが、
毎日上野に通っていても、学生の身分で来るようなところでもなく、
その後、毎年、自分が出品している版画展やその他の展覧会を観に来た折に
立ち寄ってもよさそうなものだが、老舗料亭という敷居の高さからか、
なぜかご縁がないままに今日に至ってしまった。
 
初めて敷居をまたいだ韻松亭の印象は、
思った以上に中が広くて、複雑な建物で、
仲居さん達がいずれもきびきびしているということだった。
 
私達が通されたのは一番奥の茶室で、こじんまりした小間席だった。
古材を使って造られているようで、雪見障子を開けた向こうには
これが上野公園の桜の沿道裏とは思えない日本庭園が見える。
 
花籠に入ったお料理は小さなものがぎっしり詰まっており、
生麩や湯葉とこんにゃくの刺身、おからの焚き物、赤こんにゃく等々、
いずれも薄味ながら丁寧に作られていて、お味だけでなく彩りも美しい。
 
籠の外には中にごま豆腐の入った珍しい茶碗蒸しと、
大豆を長時間、煎ったものとお米を一緒に炊いた、香ばしい豆ご飯、
赤だしのお味噌汁がつき、これまた手間暇かけて作られていることが分かる。
 
最後の麩まんじゅうはあんも生麩もすべて手作りとかで、こちらも美味。
お茶さえ、おから茶とかいうおからを煎って作る香ばしいお茶だった。
 
たぶん、調理場では修行のように、延々とごま豆腐のごまをすり鉢ですったり、
おから茶のおからを煎ったり、
豆ご飯の大豆を煎ったりしている若い調理人がいるのだろう。
 
明治8年創業以来の料亭の意地と魂を垣間見た気がした。
 
 
 
そして、すっかり長居をして、ようよう腰を上げ、
最後にお部屋についているトイレに行って、ビックリ。
思わず、「ここのトイレ、たとえ使わなくても見ておいた方がいいわよ」と
部屋の友人達に声をかけてしまった。
 
 
 
ガラガラと引き戸を引くと、どこかの由緒ある古屋にあったものなのか、
見たこともない藍の染め付けの男性用便器と和式の便器がそこにはあった。
 
よく見ると、いわゆる普通の和便器の上に昔の染め付けの便器を乗せ、
二重に板場を作ってその和便器で使えるようにしたという感じだ。
 
写真にはないが、手洗いも陶器の鉢を埋め込んであったから、
凝りに凝って、このお便所というか厠を造ったということだろう。
 
ここは一番奥の茶室に通されたお客だけが使えるとのことで、
偶然ながらお得感満載だ。
 
私にとって、何十年も近くて遠い存在だった韻松亭は、
行ってみれば思いの外、気安く温かに迎えてくれ、
しかも、丁寧な仕事の美味しいお料理のいただける、
明治にトリップしたようなワンダーランドだった。
 
次は桜の頃にでも、着物で来られたらと約束し、
一歩外に出ると、10月下旬とも思えない冷たい雨と風がほおを打った。
 
あ~ぁ、これが現実・・・。
 

2017年10月17日火曜日

恐るべし運慶

 
 
 
毎日、寒い。
そして、雨。
 
しかし、こんな時だからこそチャンスと思って、
上野の東京国立博物館・平成舘で行われている"運慶展"に行ってきた。
 
入館状況をネットで検索すると、朝イチほどチケット売場も会場も
待ち時間が長いことが分かったので、
先ずは、銀座に出て、友人の個展を2箇所回り、
ランチを済ませて、山手線に乗った。
 
朝からの雨が、あいにく午後2時には止んでしまったので、
ちょっと嫌な予感がしたが、
何とかチケット売場も会場入口も並ぶことはなく、入館することは出来た。
 
イヤホンガイドを借り、
入口から1歩入ると、やっぱりというか、なぜ?というか、
早くも人だかりで、寒いどころか蒸し暑さでスカーフをもぎ取った。
 
音声ガイドがあるので、文字で埋まった看板はスルーし、
いきなり、運慶のデビュー作へ。
奈良の円成寺にある国宝・大日如来座像である。
 
一昨日のテレビ・日曜美術館の運慶展特集でやっていたが、
確かにそれまでの仏像のスタイル=静かで動きがなく、端正な顔や体からすれば、
肉付きもよく、組んだ手の位置が少し高かったり、
姿勢がやや反り気味で堂々としていて、風格がある。
 
このぐらいの大きさの仏像は通常3ヶ月ぐらいで完成させるところを、
運慶は11ヶ月の歳月をかけ、しかも、
台座の裏に湛慶の実弟子運慶とサインまでしているから、自信作に違いない。
 
しかも、それがデビュー作にして、国宝だ。
 
今回、運慶の作品とされる31体の仏像の内、22体が勢揃いしているので、
運慶とは何者かを知るには見逃せない展覧会と言えるだろう。
 
今日も来場者は多かったが、たぶん、会期が後ろになればなるほど、
もっと増えるだろうから、これでもいいときに行ったということになるだろう。
 
混んではいるが、仏像自体が大きいし、立体だから絵画のように壁伝いに見なくても、
点在していて360度ぐるりと見ることが出来るので、その点もだいじょうぶ。
 
会場の背景が黒っぽく、仏像がライトアップされて、浮かび上がる展示は、
お寺の堂内とはまた、違う美しさだ。
 
私が個人的に気にいったのは、
不動明王をお守りする八大童子立像の内の"制多伽童子"
 
赤い顔と体で、実に凛々しく、示唆に富んだ表情をして、かっこいい。
5つの瘤みたいに結んだヘスタイルもいけてるし、衣の動きや装飾も精緻で美しい。
水晶の玉眼がぎらりと光って、きりっと上がった目尻といい、
ピッとしまった口元といい、惚れ惚れする。
こちらも国宝だ。
 
それから、通常、四天王に踏みつけにされているあまのじゃくが立ち上がって、
頭に鐘楼を載せている龍燈鬼立像もいい。
 
相撲取りをモデルにして、創ったといわれる筋肉モリモリの体つきをしていて、
眉毛に銅版、目は玉眼、体に巻き付けた蛇には本物の皮を一部使ったとかで、
実に鎌倉時代1215年の作とは思えない斬新さだ。
これも国宝。
 
そして、最後の部屋にずらり並んだ12体。
「十二神将立像」
 
今はどこかのお寺ではなく、ふたつの美術館に5体と7体に別れて展示され、
今回のように12体が一堂に揃ったのは40数年ぶりとか。
 
運慶の手になるものではないが、
運慶の躍動感ある表現、豊かな表情、ユーモアのセンスなどを、
一派が遺憾なく受け継いでいる。
 
12体は十二支でもあり、それぞれ子神、寅神、辰神、申神・・・だ。
そして、子神は頭に鼠を、寅神は虎を、辰神はイノシシをつけている。
 
特にとぐろを巻いた蛇を巻きぐそのようにちょこんと頭に載せている巳神は
そのヘアスタイルが斬新で、真っ赤に染めた髪をざん切りに切って振り乱し、
大きな口を開け、何か叫んでいる。顔は緑色。
 
未神の頭にはそれと分かるように羊はのっていないが、
一人だけ、ヘアスタイルがもこもこしていて、カールしていて羊みたい。
顔は白塗りで右手で剣を振り上げているが、幾分、他より穏やかな印象だ。
 
自分の干支の神様がどの子か観に行くというのも面白いのではないだろうか。
 
仏像はいろいろな鑑賞の仕方があると思うが、
運慶の作品は想像以上に躍動感があるし、
ミケランジェロにも匹敵するような彫刻家として、
あらためて「凄い!」ということを知るだろう。
 
会期は11月26日までなので、まだまだあるが、
もし、興味があるなら、今のうち、
寒い日や雨の日の午後遅いあたりが狙い目だと思うので、
ぜひ足を運ばれることをオススメする。

2017年10月12日木曜日

"タンゴの魂"なる舞台鑑賞

 
 
 
久しぶりにタンゴの舞台を、みなとみらい大ホールに観に行った。
 
実は出演者に見知った人はいないので、誰のファンだからというわけでもなく、
ただ、ピアソラの曲を弾いてくれそうなことと、
2組のタンゴダンサーも出るので、
本場のタンゴダンスを間近で観たいという理由で行くことにした。
 
"タンゴの魂"
フアン・ホセ・モサリー二楽団
というのがコンサートの正式名称。
 
フアン・ホセ・モサリーニさんというのが、70代のおじいちゃんでバンマス。
ピアソラの曲を演奏させたら当代一。
自分も作曲した曲が何曲もあるらしい・・・
ぐらいの薄い知識しか持ち合わせていなかった。
 
しかし、これが何の何のとても素晴らしい演奏と歌唱、
そして、タンゴダンスだった。
 
とりわけ、ダンスは自分が少しかじったせいで、
以前は表面的にただかっこいいとしか思わなかったダンスが、
男性のリードがどのように行われ、それに反応して女性が動いているのが
手に取るように分かった。
 
自分も踊れそうな気がするというのは言い過ぎだが、
彼のリードで踊る自分が想像できる。
 
もちろん実際に体がついていくかは別にして、
男性のリードはいかになされるかが分かっただけでとても楽しかった。
 
また、日本でアルゼンチンタンゴといったら、
何十年も前の曲を演奏することが常だったが、
そんな演歌のようなてっぱん曲は1曲も無しで、
ピアソラの曲でさえ、初めて聴く曲があって、それもとても新鮮だった。
 
また、優れた歌唱力の女性ボーカリスト、ルモリーノの歌が素晴らしく、
特にアンコールで歌った「オブリビオン(忘却)」は凄かった。
 
ちらしをよくよく見ると、今回で9回目の来日公演とあるので、
もしかしたら日本でも有名な楽団なのかも知れないが、
私にとっては、何気に行ってみたら、掘り出し物だったみたいな感じだ。
 
すっかり気に入ったので、終演後、輸入盤のCDとDVDの2枚組を購入。
列に並んでバンマスのモサリーニ、歌手のルモリーノ、ダンサーのロドリゲスから
サインをもらい、握手してきた。
 
嗚呼、こんな時、スペイン語が話せたら・・・と思いながら、
3人に「グラシアス」とだけ伝え、
ミーハーなおばちゃんは明日からの彫りのお供にこのタンゴCDを加えようと、
いそいそと家路についたのである。

2017年10月8日日曜日

版画協会展はじまる

 
 
 
昨日から、上野の都美術館で、版画協会展が始まった。
 
ここ数年、運営委員としての活動から遠ざかっていて、
ただ単に作品を出品しているだけになっているが、
会期中、1度も観に行かないというわけにもいかず、
今日は娘の中高のママ友ふたりを誘って、観に行ってきた。
 
ふたりは次女がまだ高校生だったときからの友人なので、
早15~16年のおつきあいになり、
その長きにわたって私の作品を、団体展・グループ展・個展と
毎年、丁寧に観に来てくれているありがたい友人である。
 
と同時に、それぞれの娘達も成長を遂げ、今や立派な社会人として、
今、正に、働き盛り。
 
脂がのっているといっていい年頃だ。
 
一方、親達は等しく年を重ね、
今日の3人の中で1番若いひとりも年明けには還暦を迎える。
 
そんなそれぞれの人生や家族のありよう、時の流れを共有してきた友人とは、
会えば懐かしい昔話にもなり、お互いの家族の近況報告を歓びあう事が出来るし、
最後は自分達も頑張ろうと檄を飛ばしあえる仲でもある。
 
ふたりには、私の作品テーマの年ごとの変遷も観てもらっていて、
今年の作品テーマは昨年の長女の結婚で感じたことであることも知っているし、
来年は生まれた小さな命から得た想いになることも予告している。
 
都美術館に陳列された膨大な作品群を観ている間に、
オンタイムで長女から送られて来たLINEに添付されたベイビーの写真を見せびらかし、
素直に「可愛い~」と叫んでくれる友人達は、
私にとってかけがえのない存在だ。
 
同じ時代に似たような結婚・子育てなど、共通の経験をしたもの同士だからこそ
わかり合える、ある種の共有感覚が、
会話を弾ませているのだと思う。
 
年に数回、交流を保ち、
情報交換をしたり、讃えたり、励まし合ったり、檄を飛ばしたり、慰めたり・・・。
 
忌憚なくそんなことが言える人間関係を大切にしながら、
「少なくともあと10年は行きたいところへ行き、やりたいことをし、
食べたいものを食べていたいわね」と笑いながら、
目の前の大きなパフェをペロリと平らげた。
 
こんな風に今の自分のあり方の方向性を確かめることで、
迷いなく舵を切ることが出来る。
 
そういう友人と、そういう時間を持てた幸せを噛みしめ、
私も明日から次の一手を繰り出そうと思う。
 

2017年10月5日木曜日

武士の詫び状と彫刻刀

版17に出品した今年の作品
 
同じく先輩の作品
 
研ぎ上がった彫刻刀
「平常心・道」と書いてある
 
午前中に彫り終えた1面
 
一彫りでかつらむきのように彫れた
 
 
 
2017年も早10月。
気持ちも新たに新作の原画を起こした。
 
1日、鉛筆の原画に続いて、トレッシングペーパーに移した原画を制作し、
2日と3日、それを裏返して、版木に転写した。
 
今回の新作は年に1点創る2枚接ぎの大きな作品(畳3分の2ぐらい)なので、
鉛筆原画は1枚だが、
トレペ原画の段階から真ん中に共通の4㎝幅の部分もトレースして、
上下2点分の原画を創ることになる。
(手漉き和紙の大きさの関係で2枚接ぎになってしまう)
 
それを版木(60×90㎝のシナベニヤの板)に転写すると
色数が多いので、上下それぞれ10版ぐらいになり、
結局、版木に両面転写して、計6枚(12面)の版木が必要となってしまった。
 
通常は1作品、版木2枚半(5面)に収めようとしているので、だいぶ大量だ。
それを今日から延々と、せっせと彫ることになる。
 
話は変わるが、
先週、版17というグループ展のオープニングパーティのお酒の席で、
先輩の作家に今年の作品をかなりきつくけなされたという話を書いた。
 
今年の私の作品は長女の結婚・妊娠・出産で感じたことをテーマに扱っているので、
確かに生温いし、勝負していないと言えば言えなくもない。
 
そう感じた私は、先輩に宛て、
「確かにおっしゃるとおりの生温い作品だと思うので、
きつい批判はありがたかったです。
しかし、土曜日から始まる団体展に出した方の作品は、
同じテーマでも、もっと四つに組んで創ったので、
また、ご批評いただけると幸いです」という内容のはがきを出した。
 
すると昨日、先輩からそのお返事のはがきが来た。
 
「版17オープンの日は、偉そうにいろいろぶちまけてしまい、申し訳なかったです。
しゃべったことは全て自分に跳ね返ってくるのですから、
あれは僕自身へ向けての言葉だったとご了解ください」とあった。
 
そして、「団体展もグループ展も
自分自身の仕事を鍛えるための場と思って、もうしばらくは頑張ります」と
結ばれていた。
 
齢78歳の世にいえば老人の域に達した作家が、
どこまでも自分自身を鍛える仕事として版画制作を捉え、
日々、鍛錬していることを知り、
私の作品の甘さより、作家としての甘さを思い知ることになった。
 
還暦を過ぎて、尚、叱咤され、
作品に向き合う姿勢を正されるとは・・・。
 
折しも、昨日、
手元の彫刻刀の研ぎをお願いしていた研ぎ師さんから小包が届いた。
 
30年来、年に1度、まとめて20数本の研ぎをお願いしている研ぎ師さんが、
まだ50代と思われるのに、昨年、廃業した。
 
その人の紹介で、初めてお願いした研ぎ師さんだったのだが、
今朝、研ぎ上がった彫刻刀を版木に入れて、驚いた。
 
その滑るような切れ味、
まるで豆腐とまでは言わないまでも、チーズを切るぐらいの柔らかさで、
シナ材の合板を切り裂いていく。
 
今までの彫刻刀は何だったのかと思うほどの、素晴らしい切れ味だ。
5種類の彫刻刀を使用したが、いずれも惚れ惚れする研ぎ上がりだ。
 
私に苦言を呈した先輩も、日本を代表する木版画の作家だ。
 
同じく彫刻刀で自分のアイデンティティを刻みつけ、作品を産み出している。
 
まさに木版画家にとって、彫刻刀は武士の刀のようなものだ。
 
いつのまにかなまくらになった彫刻刀を振り回し、
「最近、筋力が衰えたのかしら。彫るのがしんどくなってきたわ」と思っていたのだが、
なんのなんの、この切れ味をもってすれば、
まだまだ彫り続けることが出来そうだ。
 
「武士の詫び状」の一文に刺激を受け、
今日は気持ちも新たに、
テーマは「初孫誕生で得た歓び」でも、決して生温い作品にはしまいと、
丹田に力を入れ直し、版木に向かい合ったのであった。