版17に出品した今年の作品
同じく先輩の作品
研ぎ上がった彫刻刀
「平常心・道」と書いてある
午前中に彫り終えた1面
一彫りでかつらむきのように彫れた
2017年も早10月。
気持ちも新たに新作の原画を起こした。
1日、鉛筆の原画に続いて、トレッシングペーパーに移した原画を制作し、
2日と3日、それを裏返して、版木に転写した。
今回の新作は年に1点創る2枚接ぎの大きな作品(畳3分の2ぐらい)なので、
鉛筆原画は1枚だが、
トレペ原画の段階から真ん中に共通の4㎝幅の部分もトレースして、
上下2点分の原画を創ることになる。
(手漉き和紙の大きさの関係で2枚接ぎになってしまう)
それを版木(60×90㎝のシナベニヤの板)に転写すると
色数が多いので、上下それぞれ10版ぐらいになり、
結局、版木に両面転写して、計6枚(12面)の版木が必要となってしまった。
通常は1作品、版木2枚半(5面)に収めようとしているので、だいぶ大量だ。
それを今日から延々と、せっせと彫ることになる。
話は変わるが、
先週、版17というグループ展のオープニングパーティのお酒の席で、
先輩の作家に今年の作品をかなりきつくけなされたという話を書いた。
今年の私の作品は長女の結婚・妊娠・出産で感じたことをテーマに扱っているので、
確かに生温いし、勝負していないと言えば言えなくもない。
そう感じた私は、先輩に宛て、
「確かにおっしゃるとおりの生温い作品だと思うので、
きつい批判はありがたかったです。
しかし、土曜日から始まる団体展に出した方の作品は、
同じテーマでも、もっと四つに組んで創ったので、
また、ご批評いただけると幸いです」という内容のはがきを出した。
すると昨日、先輩からそのお返事のはがきが来た。
「版17オープンの日は、偉そうにいろいろぶちまけてしまい、申し訳なかったです。
しゃべったことは全て自分に跳ね返ってくるのですから、
あれは僕自身へ向けての言葉だったとご了解ください」とあった。
そして、「団体展もグループ展も
自分自身の仕事を鍛えるための場と思って、もうしばらくは頑張ります」と
結ばれていた。
齢78歳の世にいえば老人の域に達した作家が、
どこまでも自分自身を鍛える仕事として版画制作を捉え、
日々、鍛錬していることを知り、
私の作品の甘さより、作家としての甘さを思い知ることになった。
還暦を過ぎて、尚、叱咤され、
作品に向き合う姿勢を正されるとは・・・。
折しも、昨日、
手元の彫刻刀の研ぎをお願いしていた研ぎ師さんから小包が届いた。
30年来、年に1度、まとめて20数本の研ぎをお願いしている研ぎ師さんが、
まだ50代と思われるのに、昨年、廃業した。
その人の紹介で、初めてお願いした研ぎ師さんだったのだが、
今朝、研ぎ上がった彫刻刀を版木に入れて、驚いた。
その滑るような切れ味、
まるで豆腐とまでは言わないまでも、チーズを切るぐらいの柔らかさで、
シナ材の合板を切り裂いていく。
今までの彫刻刀は何だったのかと思うほどの、素晴らしい切れ味だ。
5種類の彫刻刀を使用したが、いずれも惚れ惚れする研ぎ上がりだ。
私に苦言を呈した先輩も、日本を代表する木版画の作家だ。
同じく彫刻刀で自分のアイデンティティを刻みつけ、作品を産み出している。
まさに木版画家にとって、彫刻刀は武士の刀のようなものだ。
いつのまにかなまくらになった彫刻刀を振り回し、
「最近、筋力が衰えたのかしら。彫るのがしんどくなってきたわ」と思っていたのだが、
なんのなんの、この切れ味をもってすれば、
まだまだ彫り続けることが出来そうだ。
「武士の詫び状」の一文に刺激を受け、
今日は気持ちも新たに、
テーマは「初孫誕生で得た歓び」でも、決して生温い作品にはしまいと、
丹田に力を入れ直し、版木に向かい合ったのであった。
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