2019年8月27日火曜日

ここに玉三郞極まれり 「雪之丞変化」

 
 
 
 
 
千秋楽の前日、ようやく八月納涼歌舞伎に行って来た。
観たのは第3部。
玉三郞の「新版 雪之丞変化」だ。
 
歌舞伎好きの私が、歌舞伎に通い出して約50年。
きっかけは「板東玉三郞」の出現である。
 
歌舞伎界に世にも美しい女形役者がデビューした時、
母の友人であった踊りのお師匠さんをしていたU子さんが、
好きなら連れて行ってあげると言って、
高校生の私を歌舞伎座に誘ってくれた。
 
歌舞伎は私にとって難解で敷居の高い遠い世界だったが、
玉三郞丈の気高くも可憐な美しさに魅了され、
次第にのめり込んでいった。
 
その美しさは三島由紀夫をして、
「この世にこんなに美しいものがあったのか」と言わしめたほど。
 
以来、板東玉三郞が歌舞伎役者として演じたもの、
現代劇の舞台で演じたもの、
踊り手として舞ったもの、
シネマ歌舞伎や、ある演目の役そのものについて語ったものなど、
折々にその姿を観てきた。
 
今回の「新版 雪之丞変化」はその集大成ともいうべき舞台だった。
 
8月の歌舞伎座は3部構成なので、
夜の部は「雪之丞変化」の1本のみの上演だった。
 
「雪之丞変化」そのものは歌舞伎はもちろん、
映画化や演劇化され、
多くの役者が雪之丞を演じてきた。
 
しかし、今回は演出家・板東玉三郞が、
歌舞伎座にかける演目としては
非常に大胆な試みを多用し、観るものを驚かせる舞台を作り上げた。
 
先ず、大きなスクリーンと小さなスクリーンを用いて、
映像を取り込んだ。
 
映像には過去に玉三郞が演じた場面が数多く映し出され、
彼が女形役者としてどれだけ多くの大役を演じてきたが分かる。
 
その演出は、シネマ歌舞伎など、
あまたの歌舞伎の舞台をスクリーンに残してきた経験が活かされている。
 
また、役者は主に3人しか出てこないのに、
中車丈がその卓越した演技力で、5役を演じ分けている。
 
もちろん「雪之丞」は玉三郞丈が演じているのだが、
役者雪之丞の先輩役者として、
「秋空星三郎」を中村七之助丈が演じていて、
そこに先輩後輩、師匠と弟子の倒置の関係が舞台に生まれ、
大変面白かった。
 
つまり、実際には七之助は次代を担う女方役者として、
玉三郞に教えを請う立場にある。
それを逆手に取って、
舞台では七之助が玉三郞の先輩という設定になることで、
事情を知っている観客には、
セリフにおかしみが生まれるのだ。
 
今までの名演や歌舞伎の有名な役どころ
自分がやりたい役について話すふたりのシーンは本当に秀逸で、
七之助の亡き父・勘三郎のこととわかるセリフや、
スクリーンに映し出される数々の映像が、
長いこと歌舞伎を観、玉三郞を追っかけてきた身には、
懐かしさで胸が詰まるような情景だった。
 
そして、最後に親の復讐として仇を討つシーンでは、
演者に同じ顔のお面を付けさせることで、個を消し去り、
まるでコンテンポラリー・ダンスのような振り付けで、
象徴的な表現に昇華させてみせた。
 
この演出も、歌舞伎のみならず、
ストレートプレイにも出演し、
あらゆるジャンルの演劇を研究している玉三郞ならではの表現だと思った。
 
更に最後の最後は舞踊家・坂東玉三郞として、
お供の踊り手を大勢引き連れての「舞踊」だった。
 
舞台背景を満開の桜で埋め尽くし、
奥のお囃子と謳い方衆は桜の絵柄のかみしもをまとって、
思わず、わ~っと声が出る明るさの中、
歌舞伎らしい華やかさで舞台を終えた。
 
人間国宝・板東玉三郞は
歌舞伎役者の最高峰としての人間国宝なのではなく、
どこまでもアグレッシブに舞台というものを追求する求道者として、
まだまだ道を究めていくに違いない。
 
それを示唆するようなセリフを
雪之丞と土部三斎の問答に盛り込んでいた。
 
道半ばにして亡くなったかのように思われた
七之助演じる秋空星三郎が、死に際になぜ微笑むことが出来たのか。
 
「それは何かこの先の道を見つけたからに違いあるまい」と。
 
何か自分の志す道に精進すれば、
おのずと道は拓け、
進むべき道が見えてくる。
 
そこに一生懸命でありさえすれば、
死をも受け入れることが出来るのだ。
 
そう私は解釈した。
 
それは舞台にいる玉三郞・七之助・中車に留まらず、
観るものひとりひとりの胸に重く静かに届き、
染み渡っていったに違いない。
 
歌舞伎鑑賞歴50年の私にも、
様々な思い出がよみがえり、
歌舞伎に限らず、自らの人生と照らし合わせて、
含蓄のあるシーンだったなと感じ入った。
 
ひとりの舞台人としての板東玉三郞が、
伝統歌舞伎にリスペクトした上で、
新たな試みで演出してみせた「新版 雪之丞変化」
 
歌舞伎でもなく、スーパー歌舞伎でもなく、
かといってストレートプレイでもない、
総合芸術として、格調高い舞台を作り上げた。
 
その場に居合わすことが出来た幸せを享受した一夜だった。
 
ありがとうございました、玉三郞様。

2019年8月25日日曜日

珠玉のイタリア名画2題

 
 

 
「午前十時の映画祭」というタイトルで、
かつての名画をピックアップし、
午前十時から1日1本、上映するという企画がある。
 
それが10年間続けられ、遂に来年の3月で終了する。
 
私もこれまでに何回も映画館に足を運び、
以前、スクリーンで観たものを再び観て、懐かしんだり、
当時は映画館では観なかったものを大きなスクリーンで観たりして、
楽しませてもらった。
 
この夏の終わりに、
3本立て続けに、イタリア映画が上映されるので、
イタリアものが好きな私にとって、
外せない映画ウィークとなっている。
 
先ず、8月22日には「ローマの休日」を観た。
 
言わずと知れたオードリー・ヘップバーンの代表作。
テレビでも何度か観た記憶はあるが、
最初に映画館にかかったのは1953年なので、
私はギリギリまだこの世に生まれていない。
 
モノクロの映画で、ローマを舞台に、
欧州歴訪中の小国のアン王女とアメリカ人新聞記者ジョーとの
ロマンティックで切ない2日間だけのラブストーリー。
 
ヘップバーンの可憐でキュートでチャーミングな容姿と表情。
グレゴリーペックのおじさんだか若いんだか分からない風貌と振る舞い。
 
新聞記者であり平民のグレゴリーの記者魂とジェントルな決断。
気品あるオードリーの魅力をあますところなく映し出し、
更に、モノクロなので、格調高い映像に仕上がっている。
 
カラーで4Kだ、やれ8Kだなんていうより、
モノクロの方が美しい。
 
2日間だけの夢物語で、
結局は現実に引き戻ってしまうのだから、
現実的ないろいろなものがはっきり見えてしまうより、
白黒画面がふさわしいと思わせてくれる名作だ。
 
映画館を出る私は現実に引き戻されたわけだけど、
某アメリカ人ボーイフレンドとのことが思い出され、
しばし浮き浮きしていた。
 
「生きていくって大変だけど、時に非現実にトリップして、
ワクワクするのも必要よ」と、
誰に言うともなくつぶやいた。
 
そして、8月25日。
今日は「ニュー・シネマ・パラダイス」
 
こちらもイタリア名画中の名画と言えよう。
 
シチリアの小さな村の映画館パラダイス座が舞台。
まだ時代は映写技師がフィルム映画を映写機にかけ、
スクリーンを小窓から覗きながら、微調節しながら映し出す時代。
 
映写技師アルフレードのそばにまとわりついて、
映写に興味津々な少年トト。
 
こちらは1988年に放映されているので、
カラー映画なのだが、
昔のイタリアの村の情景や
娯楽が映画ぐらいしかなかった時代のイタリア人達の様子は、
モノクロームで観ているような錯覚を覚える。
 
全編に流れる有名なテーマ曲が、
そのノスタルジックで温かく、どこか滑稽なシーンに豊かな香りを加え、
トトのいたずらや火災の場面ですら、
懐かしさと優しさで包み込む。
 
亡くなったアルフレードが残してくれたフィルムには
昔、トトが欲しがったけどもらえなかったものが映し出され、
思わず、涙と微笑みがこぼれた。
 
幼い頃の思い出、温かな人と人の交流、
もう何十年も帰っていないけど、忘れがたい故郷の街、
時代と共に変わっていく世の中に流されそうな自分、
切ない恋の記憶。
 
そんな誰しもが、どの時代であっても持っているような感情を
そっと包み込み、抱きしめてくれる。
 
私のイタリア映画好きは、この後、
フェデリコ・フェリーニで爆発。
学生時代には上映される度に観に行き、
自分の作品にも影響を及ぼすことになる。
 
今まで、訪れた回数と日数が1番多い国もイタリアだ。
どこか日本人の感性と通じるところがあり、
尚かつ、刺激的魅惑的な国だと思う。
 
あ~あ、いいなあ。
イタリア。
 
今日はパスタとカプレーゼにでもしようかな~。
 
じゃなかった。
久しぶりに餃子と春雨サラダにするんだった。
「現実~!!」

2019年8月19日月曜日

自己紹介動画の自撮り

 
 
 
90日間の「スマホ留学」という英会話レッスンが、
8月14日に遂に終了した。
 
毎朝7時にその日のレクチャー動画が送られてきて、
それを先ず見て、ノートを取って、
その日の分の文章6文を何度も音読して、
スマホの録音機能を使って録音し、送る。
それに対して、3日に1度、フィードバックが返ってきて、
自分の発音の悪いところを修正する。
 
この作業を90日間、欠かさず行ってきたので、
今は「塩原ロス」
(講師の先生が塩原先生・男性30代後半・イケメン)である。
 
その90日間の最後の宿題として出されたのが、
「自己紹介動画を作って送ること」である。
 
本当はBefore、Afterにするのが目的なので、
レッスンを始める前にも、つたない自己紹介を撮って、
送らなければならなかった。
 
しかし、その勇気が持てず、
人のBefore、Afterを見て、笑える~などと思っていたのだが・・・。
 
Befoerは撮らなかったものの、
Afterは撮って送って、ぜひともフィードバックをもらいたいと思い、
数日前から、原稿に着手した。
 
できれば、この90日間で学んだ英語表現を入れたい、
最初に表明した「木版画を外人に英語で紹介したい」という内容は
もちろん盛り込みつつ、
趣味の茶道や陶芸、着物についても話したいと、
徐々に原稿が長くなっていった。
 
どんなに長くなっても、見ながら原稿を読み上げるのなら出来そうだ。
しかし、スマホを片手に持って、
斜め上のポチッとした穴を見つめながら、
笑顔で、
原稿は見ずに、
スラスラと英語を話すのは想像以上に難しい作業だった。
 
動画を回している間中、
スマホの画面に写っている自分は見ることが出来ない。
徐々に手が下がってきているとか、
フレームから自分がはみ出していないかなど、
見ないで察知しながら、微修正を加えなければならない。
 
しかも、最初のスタートボタンを押す時、
真面目な顔をしているとそれが写るので、
最初から液晶の外の小さな黒い穴を見ながら、
笑顔を作って、右手でスタートボタンを押す。
 
終わるときも同じで、
最後にボタンを押して、切るまで、笑顔でいないと
それが写ってしまう。
 
更に言えば、私は着物も大好きで自分で着られるから、
それも日本文化のひとつとして紹介したいという内容なので、
着物を着ている。
 
写っているのは首に近い胸元だけなので、帯は写っていないが、
締めていないわけではないので、
脇の下がホールドされていて、腕の可動域が狭い。
 
それでなくても短い左手を目一杯伸ばしてスマホを掲げ持ち、
そのスタートボタンに向かって、今度は右手を目一杯伸ばして
押しに行く。
そりゃ、笑顔も引きつるわ。
 
そして、ビデオが回り出したら、笑顔をたたえたまま、
スラスラ覚えた英文を、正しい発音で言わなければならない。
 
こんな姿をダンナにだけは見られたくない。
そう思って、早朝からゴルフに出掛ける今日を、
撮影日と決め、
段取りをしてきた。
 
先程、無事、撮影は終了。
10回は取り直して、まあまあなものが2~3撮れたので、
力尽き、着物を脱いでしまった。
 
後で、中でも1番いいと思われるものを送ろうと思う。
 
アメリカ人のボーイフレンドと英語で話せるようになりたい。
その一心が、長年、見て見ぬ振りをしてきた英会話レッスンへの
一歩を踏み出させた。
 
そのボーイフレンドとはもう連絡はしていないのに、
なんと健気な女だろうか。
 
自分の中にそんな健気さを発見し、
また、よしやってやろうじゃないかという負けず嫌いも健在で、
嬉しくなる。
 
実際はとんと使う具体的なシチュエーションはないのが現実だが、
何かに一生懸命になっていないと駄目な人間だと再確認し、
次なる目標を打ち立てねばと思う今日この頃。
 
まずはどんなフィードバックをいただけるか楽しみである。
 

2019年8月18日日曜日

樹木希林 最後の作品

 
 
 
 
 
 
 
昨年の夏、
7月11日に撮影されたという樹木希林・最後の作品を観に行ってきた。
死の2ヶ月前ということになろうか。
 
「命短し 恋せよ乙女」
というのが、邦題だが、
ドイツ人女性の監督によるドイツ映画だ。
 
ある日、ドイツ人男性に、
父親が日本で知り合いになったという「ユウ」と名乗る女性が訪ねてくる。
 
ドイツ人男性カールは本来の自分を見失って、酒に溺れ、
仕事も家庭も失い、
すっかり自信をなくしてしまっていた。
 
そんなカールにどこからともなくやってきて、寄りそうユウ。
この世のものともあの世のものともつかない不思議な女性だが、
導かれるようにカールは実家に向かい、
長く閉ざされていたドアの鍵を開けた。
 
そこから次第に昔の家族にあった出来事がひもとかれる。
毎夜、幻影にさいなまれるカール。
しかし、
心の闇や幻影は、なぜかユウに心を開いていく。
 
そして、カールにとってユウが意味のある存在になった頃、
忽然と、ユウは姿を消した。
 
ユウを捜して、日本の茅ヶ崎にやってきたカールは、
茅ヶ崎舘という旅館の女将・樹木希林と出逢う。
 
そこには女将とユウに隠された悲しくも美しい物語があり、
死を間近にした樹木希林の命の言葉があった。
 
ドイツ人監督ドーリス・デリエは
すでに死を身近に感じていた樹木希林を説き伏せ、
この役を承諾させたといわれている。
この時、樹木希林は
「歩くのは出来るけど、階段は無理よ」と言ったという。
 
映像での、本当に絞り出すような声、
劇中で歌う、もの悲しい「命短し 恋せよ乙女」の唄。
 
女将のセリフでありながら、樹木希林の遺言のような言葉の数々。
 
樹木希林という影響力の強いひとりの女性が
最後に選んだ作品で、何を残したかったのか。
 
それを確かめたくて、私はひとり映画館に足を運んだ。
 
みなとみらいの横浜美術館を通り過ぎた先にある
Kino Cinema
木下工務店が手がけた映画館らしい。
 
席数が少なく、ゆったりとしていて、シートがリクライニングにもなる。
すごくオシャレなトイレも必ず押さえたいポイントだ。
 
モノトーンに赤を効かせた内装、
商業主義に走らない大人の映画館として、
また、来ようと思った。
 
映画の最後にほの見えた光。
 
日独合作というのではなく、
ドイツ人の創った映画なので、
解釈に時間が必要な部分もある。
 
しかし、
監督が日本をリスペクトし、
日本人や日本文化をリスペクトし、
そして、樹木希林をリスペクトしていることがよく分かる。
 
最後のシーン、
女物のゆかたをまとったカールに、
「そうよ、生きるのよ」と、
私はそっと声をかけた。

2019年8月13日火曜日

圧巻「ライオン・キング」

 
 
 
 
 
 
先日の「アラジン」に引き続き、
今日は「ライオン・キング」を観に行ってきた。
もちろん吹き替え版ではなく、英語版を選んだ。
 
私にとっての「ライオン・キング」は
大昔に観た劇団四季によるミュージカルの舞台の素晴らしさに始まる。
 
動物のいってみれば着ぐるみなのに、
あの動物たちの特徴をよくつかんだ形態とクオリティ。
楽曲の素晴らしさ。
物語のもつ力強いメッセージ。
 
そうしたものが何十年も経っているのに、
ありありと思い起こせるし、
あのワクワクした気持ちは昨日のことのようだ。
 
その物語を、「超実写版」で映画にしたという。
実写でも、アニメでもなく、「超実写版」とは何ぞや。
 
予告編を観ているので、
大体の雰囲気は分かっていたのだが、
実際には本当に驚きのリアリティと迫力だった。
 
この映像美を目的に観に行くだけでも価値があると思う。
 
どうやってあれを撮っているのかとか、
CGはどこにどう使われているのかみたいな
技術的なことを勘ぐる必要もないほど、
リアルで自然な感じで、アフリカの草原にいる動物に
人の命とキャラクターが吹き込まれている。
 
また、私がこの映画を英語版で観た大きな理由のひとつは、
私の英語力でどの程度理解できるかということがあったのだが、
それも6~7割は聞き取れた。
 
「アラジン」の方が分かりやすかったけれど、
「ライオン・キング」における英会話も結構聞き取れ、楽しむことが出来た。
 
今までなら、気づかなかった言い回しが分かったり、
そういう言い方をするんだなんていう発見は、
英会話のレッスンを受けている賜物と言えるだろう。
 
歌の楽曲はすでによく知られた曲がほとんどで、
しかも今回はビヨンセとドナルド・グローヴァーというグラミー賞コンビが
歌っているので、迫力満点、ノリノリで楽しかった。
 
惜しむらくは、シンバが成長してからの声が
ちょっと大人っぽ過ぎて、イメージに合わなかったぐらいか。
他の声はそれぞれのキャラクターによく合う声で、
感情移入しやすかった。
 
たぶん、日本語吹き替え版の方は
夏休みの子ども達で溢れかえっていると思うが、
英語版の方のお客さんは幅広く、
50~60代ぐらいのおばちゃんも結構いたし、
大人がほとんどで違和感なく観ることが出来た。
(子どもと母親に挟まれて観るのは、案外切ない)
 
決して子ども向けの映画ではないということだろう。
特にネコ科好きにはたまらない。
 
今、自分の家のペットをシンバのように抱き上げて、
SNSにアップするのがはやっているが、
その気持ちは良く分かる。
 
父が注ぐ息子への愛、
やんちゃな息子の可愛さと手を焼くどうしようもなさ。
 
今、小さな息子に振り回され、
手を焼いている親御さんはたまらない気持ちになるだろう。
 
いろいろな角度から楽しめる「ライオン・キング」
この夏のオススメである。
 
 

2019年8月11日日曜日

朝のお勤め 英会話

 
 
 
 

 
実は約3ヶ月前から、英会話のレッスンを受講している。
 
英会話に関しては、結婚当初から、海外転勤族と結婚した以上、
必要に迫られてはいた。
 
英会話教室的なものにも、日本で1回、
シンガポールで2回、
それぞれかなりの長さ通ったり、先生に来ていただいたりして、
学んできた。
 
実際に、香港とシンガポールに計9年ほど住むには、
困らない程度に話せるといえば話せる。
しかし、何といっても、相手はアジア系の人々である。
 
第二外国語としての英語と、
ネイティブの英語は違う。
 
香港は語尾に「OKラー」みたいなラーとかがつく「チングリッシュ」だし、
シンガポールも「シングリッシュ」、日本は「ジャングリッシュ」と
揶揄されるような英語だ。
 
転勤でニューヨークになったり、ロンドンになった友人は
きっときれいなネイティブ発音の英語をたくさん聞いて、
ネイティブばりの英語を身につけたのではないかと、
密かに羨ましく思っていた。
 
それがひょんなことから、
ある人と英語でメールのやりとりをすることになったのをきっかけに、
これはやっぱり英会話をちゃんと勉強し直さなければという気持ちになった。
 
その肝心のある人とはもうメールのやりとりはないのだが、
日本語翻訳ではなく、英文でやりとりしたかったという思いと、
電話がかかってきた時に
自信がなくて出られなかった自分が悔しくて、
遅まきながら、英会話レッスンを受けることにしたのである。
 
選んだレッスン方法は
「スマホ留学」といって、90日間、毎日レッスン動画を見て、
1日6文の例文を学習し、
それをスマホの録音機能を使って吹き込み、
3日に1度、講師のフィードバックを受けるというもの。
 
1日目の目標は、課題の6文の意味を分かってゆっくり話せること。
2日目の目標は、課題の6文を強弱をつけて話せること。
3日目の目標は、課題の6文をスラスラ話せること。
 
スラスラとは150BPMぐらいの早さのことで、
最初にメトロノームのアプリをダウンロードして、
早さを100ぐらいから120、150と上げて練習する。
 
ネイティブは200BPMぐらいだとかで、
その早さだとどんな感じかという音声も入っている。
 
最初の頃は、200BPMの早さで話されるとほとんど聴き取れない。
しかし、テレビでトランプさんが話しているのを聴いていると
そんな猛スピードでは話していない。
 
アメリカ人はどんな風に英単語をはしょって話しているかを、
毎日、メイン講師の塩原祥之氏がこてこての関西弁で講義してくれる。
 
なかなかシュッとした30代後半ぐらいのイケメン講師で、
なのに関西弁でボケやら突っ込みやら満載なので、
おもしろ可笑しく受講できる仕組みである。
 
その動画が毎朝7時きっかりに配信され、
私はその日の予定に合わせ、
出掛ける時間の前に45分ほどかけて、
先ず、動画を見て、ノートを取り、
例文を何度も読み返し、録音して送るという作業をしてきた。
 
その日、9時前に家を出ようと思ったら、
6時15分には起きて、朝食を作って食べて、
7時台はレクチャーを聴いて、練習して、吹き込み、
8時台に化粧をして着換えるという具合。
 
ノートも次のタームで必要な6文を先ず、前日にはノートに書き写し、
他のレポート用紙にレクチャーされた内容を書くページと、
<TIPS>といって、
例文の1文を展開して4文にして会話を膨らます方法のレクチャーを
書き取るページを用意する。
 
最初は、ノートも大してとらずに、聴いたものを自分で読んで
吹き込めばいいんでしょと思っていたが、
3日ぐらいでそれでは駄目なことに気づき、
慌ててレポート用紙を用意した。
 
録音に対するフィードバックは
世界中に散らばっている女性のサポート講師
(ほとんどが国際結婚している日本人女性)がランダムに担当して、
返信してくれる。
 
大体は日本語と英語を織り交ぜ、
英語らしく発音できている部分をひとつずつ褒めてくれる。
最後に発音の小さな注意点を指摘してくれ、
正しい発音の仕方が録音されており、、
1回のフィードバックは3分前後で終わる。
 
当初、毎朝、このレッスンに40~45分の時間を割くことが、
自分の生活のルーティンとして収まらなかったが、
今はあと1ターム(3日間)で終わってしまうというところまできたので、
既に「塩原ロス」の状態になるのが見えている。
 
この「スマホ留学」は全国に60万人の受講生がいるとかで、
すでに終わってしまった人からの
「朝7時15分になっても動画が届かないこの寂しさ・・・」
「完全に今、私、塩原ロスです」
なんていうコメントを読むと、
明日の自分だなと思う。
 
で、英会話レッスンの効果のほどはというと、
 
先日、「アラジン 実写版」の字幕版を観たが、
字幕を見なくても80%ぐらいの英語を理解できた。
(すぐ下に翻訳の日本語が見えているので、分かったつもりになる)
 
スーザン・ボイルのスローバラードばかり入っているCDの歌詞が
かなり英語の単語として耳で捉えることが出来た。
手元の歌詞カードは日本語なので、
英語だとこういう言い回しなんだと分かった。
 
特に
「夢破れて」(I Dreamed A Dream)
「クライ・ミー・ア・リバー」(Cry Me A River)
「愛をこえて」(You’ll See)
などは、自分の今の心情と重なるところが多く、泣けた。
 
今まで英文でもらっていた手紙(メール)の英語特有の言い回しを
理解することが出来、
日本語翻訳機がいかに直訳過ぎてポンコツかが分かった。
 
英語のバラードの歌詞で、
自分宛のメールの文章と同じ言い方をみつけ、
理解の度合いが深まった。
 
等々。
 
じゃあ、今、誰か外人と話せるのかというとすこぶる怪しいし、
自信もないわけだが、
発音だけは確実にスキルアップしたと思うし、
サポート講師の「ネイティブ並み」とのお褒めの言葉を信じたい気分だ。
 
さて、オリンピックも近づいてきたし、
誰か、私と英会話してくれる外人はいないものか。
 
求む、ネイティブ・スピーカー!
出来れば、求む、イケメン!
 

2019年8月9日金曜日

猛暑の過ごし方

 
 
 
 

 
 
本日も晴天なり。
そして、猛暑。
 
8月に入ってからというもの、気温は朝から30度に迫り、
最高気温も34,9度とかいって、
ならばいっそ35度の猛暑日までいって欲しいと思うような
連日の暑さが続いている。
 
毎日、絵画教室やカウンセリング、お茶のお稽古など、
1歩も外にでない日はなかったのだが、
今日は珍しく1日何の外出予定もなかった。
 
買い出しも昨日してあるので、
朝のゴミ出し以外は外には出ないと決め、
1日中、木版の彫り作業を進めることにした。
 
もちろんアトリエのクーラーを27度設定でつけ、
ペットボトルの水を座るすぐ横に置き、
作業スタート。
 
今日は数日前に彫り始めていた版の続きで、
先ずはアウトラインを印刀という彫刻刀で彫るところから。
午前中の3時間で、周囲の粗彫りのところまで
つつがなく終了。
 
お昼は夕べのすき焼きの残りに具材を加え、リメイクし、
すき焼き丼に。
上に温泉卵も載せ、
かなりのガッツリ系ランチになった。
 
木版の彫りは大工さんと同じ重労働なので、
そうめんなんかでは身が持たないのだ。
 
午後も続きの彫り作業。
粗彫りの部分を丸刀とさらえノミで整えた。
 
3時ぐらいからは、いよいよ飾り彫りといって、
紐状の部分の組紐の模様や、
紙風船の紙の風合いを彫る、
木版の肝、木版の醍醐味、
作家の腕の見せどころともいうべきパートに突入。
 
この間、BGMは常に流れている。
大体は石田泰尚氏のヴァイオリンか、三浦一馬君のバンドネオンが
かかっていることが多く、
従って曲目はアルゼンチンタンゴ、しかもピアソラのものが多い。
 
しかし、本日はなぜかその気分ではなく、
選んだのは
1980年代から90年代初めにはやったJーPOP。
 
まあ、いわゆる自分の青春時代から恋愛時代、
結婚したての頃というあたり。
 
70年代80年代は、いい時代だったという人が多いが、
正に今日聴いた懐かしの名曲も、時代を彷彿とさせる。
 
Sweet J-BalldsとCRIMAX 80'sと
銘打たれた3枚を聴いていたのだが、
特に心に染みたのは
藤井フミヤの「TRUE LOVE」
藤谷美和子・大内義昭の「愛が生まれた日」
久保田早紀の「異邦人」
 
気になったのが、
アン・ルイスの「六本木心中」
中村雅俊の「恋人も濡れる街角」
 
自分の思い出と共にきゅんきゅんしたのが、
薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」
山口百恵の「さよならの向こう側」
 
何だかな~。
切ないな~。
愛しいな~。
 
この版画作品、
タイトルは「愛しい記憶」である。
見た人それぞれに昔だったり、最近だったりの
愛しい記憶を思い出して欲しいと思って、創っている作品だ。
 
だから、この気分で制作を進めるのは、
作品の意図に叶っている。
 
それにしても、
「六本木心中」と「恋人も濡れる街角」の歌詞はエロい。
 
” 長いまつげをして、卑猥ね、あなた
罪な目つきをして
「命あげます」なんて
ちょっとシネマのまねをしているのね ”
 
ですって。
 
” ああ 時折雨の降る
馬車道あたりで待っている
もうこのままでいいから
指先で俺をいかせてくれ ”
 
げっ。そんな。
 
こっちは真面目に彫っているのに、
しかもかなりデリケートな飾り彫り部分なのに。
 
と、耳をダンボにして、
ひとり、にやにやしながらも無事、作業終了。
 
5時過ぎ、ようやく彫り台前から立ち上がり、
体についた木くずを払い、
キッチンへ。
 
こういう日(気分が妙にエロい言葉に反応した日)は
しっかりご飯を食べることにしている。
性欲を食欲でねじ伏せるがごとく・・・。
 
で、本日のメニューはご覧の通り。
これでいつもの感じ。
特段、クリスマスというわけではない。
 
「骨付き鶏もも肉のスパイシー・ロースト」
「揚げナスの南蛮漬け」
「ピーマンとしらすのササッと炒め」
「スイート冷やしトマト」
「フライド・ポテト カレースパイス味」
「ホールコーンのポタージュスープ」
「大麦入りパン」
そして、ビール。
 
いやはや、お疲れ様!
なかなか頑張った!
外は猛暑日でも、有効におうち仕事をこなした!
乾杯!
 
長いまつげも、エロい指先も関係ないが、
少し昔の甘酸っぱい思い出がよみがえって、
ひとり、楽しかった。
 
そんな真夏の1日であった。