お茶会当日。
朝7時半、ホテルからタクシー2台に分乗し、
大徳寺まで。
前の日は7人が
ふたり部屋2つと3人部屋ひとつに分かれた。
それぞれ同室になった同士が話し合ったのだが、
朝起きてから、部屋で食事を採って、
着物を着付けて、7時半までにロビーに出るとなると、
相当、早起きをしなければならない。
私と裕子さんは5時半起床。
6時半から着付けを始めるつもりで、
それまでに食事とメイク・ヘアメイクをすることになった。
部屋に全身が写る姿見は1枚しかないので、
それぞれ相手の様子をみながら
たまに相手の帯結びの手助けをしたりして、順番に着付け、
何とか時間までにはきれいに着付けが整った。
やはり、きもの文化は素晴らしいのだが、
一揃え持って、旅に出るのも大変だし、
しわにならないよう前日から出して吊したりする下準備もあるし、
当日、着付けるのに1時間も余裕をみたし、
帰ってきてからも脱ぎ捨てるわけにもいかず、
後始末も大変だった。
裕子さんは着物を扱う前に白手袋をし、
美術品のような丁重さで準備をしていたので、
その用意周到さにびっくりした。
一方の私はもっと全然ざっくり扱っていた上に、
初おろしの訪問着だったのに、
着付けた後に髪にヘアスプレーを吹き付けたら、
スプレー缶から液だれして
着物の袖にシミをつけてしまうというがさつさだ。
とはいえ、時間内に順調に着付け、
お天気も雲ひとつない秋晴れで、
気分は上々。
7名は8時前には大徳寺に到着し、
いよいよお茶三昧の1日が始まった。
お茶室の内部の撮影はNGなので、
様子のわかる証拠写真がないのは残念だが、
先ずは我らが雅子さまのお献茶式から
拝見した。
(お茶席内部の写真は、写真班が特別に撮ったものを、
雅子さまから送ってもらった貴重な2枚だ)
前日のリハーサルより落ちついた雰囲気で、
凛々しく美しい所作で
立派に献茶式を勤め上げ、
観ている私達も誇らしい気分だ。
続いて、
三玄院のお茶室でお席を持たれた雅子さまのお母様のお席に入り、
1服目のお茶とお菓子をいただいた。
関西では1席につき、2服ずつ薄茶が運ばれ、
半生菓子とお干菓子が出される。
茶席では袋物などは持っていないので、
すべてお腹の中に入れていくので、
4席巡ると、8つのお菓子と8服のお茶をいただくことになる。
しかも、私達は5席巡って、
最後はお濃茶席だったので、
お薄より濃厚な濃茶を
とどめの1服でいただいたので、
はっきり言ってカテキン(ポリフェノール)の採りすぎだ。
もちろん美味しい練り切り(和菓子)5つは
糖分の過剰摂取まちがいなし。
それでも、立派なお道具を拝見して
目は眼福、
お抹茶9服と京都を代表する和菓子を次々いただいて、
誠に幸せな気分だった。
書き忘れるところだったが、
お茶会の途中で、
表千家の先代のお家元、当代のお家元、
その弟さんなど、ご一族や幹部の面々にも遭遇し、
下々の私達はミーハーに小声で大騒ぎ。
1日の内に、雑誌でしか観ることの出来ないお茶室や、
手に取ることのない高価で貴重なお道具、
雲の上の人物などを間近にして、
茶道のお茶会という特殊な世界を心ゆくまで堪能することが出来た。
お茶会に参加したのは何もこれが初めてではなかったが、
京都はさすがに本場という感じで、
観るもの聴くものすべてがディープで驚きだった。
4時前、お茶とお菓子で満腹のお腹をさすりながら、
ホテルに一旦帰り、
洋服に着替えて、再び、街に繰り出した。
2日目の夜は開放感に満ち、
先斗町の料理屋さんで飲み放題付きの和食。
その名も女子会コースを予約していたので、
違うものをいろいろ少しずつ食べたい女子の胃袋を満たした。
旅も中盤を過ぎ、
それぞれ7名の役割分担も固まり、
会計係のママが最初に徴収したお金を管理してくれるので、
タクシー代や食事代などの精算に頭を悩ませることなく、
すこぶる順調に2日目を終えることが出来た。
こうして
7名という割り切れない数であり、
同時に動くには大勢ではあったが、
「お茶三昧・大人の修学旅行」という大テーマに添って、
つつがなく粛々と予定はこなされていったのである。