2019年10月31日木曜日

大人の修学旅行 その2

 
 
 
 
 
 
 
 
お茶会当日。
朝7時半、ホテルからタクシー2台に分乗し、
大徳寺まで。
 
前の日は7人が
ふたり部屋2つと3人部屋ひとつに分かれた。
 
それぞれ同室になった同士が話し合ったのだが、
朝起きてから、部屋で食事を採って、
着物を着付けて、7時半までにロビーに出るとなると、
相当、早起きをしなければならない。
 
私と裕子さんは5時半起床。
6時半から着付けを始めるつもりで、
それまでに食事とメイク・ヘアメイクをすることになった。
 
部屋に全身が写る姿見は1枚しかないので、
それぞれ相手の様子をみながら
たまに相手の帯結びの手助けをしたりして、順番に着付け、
何とか時間までにはきれいに着付けが整った。
 
やはり、きもの文化は素晴らしいのだが、
一揃え持って、旅に出るのも大変だし、
しわにならないよう前日から出して吊したりする下準備もあるし、
当日、着付けるのに1時間も余裕をみたし、
帰ってきてからも脱ぎ捨てるわけにもいかず、
後始末も大変だった。
 
裕子さんは着物を扱う前に白手袋をし、
美術品のような丁重さで準備をしていたので、
その用意周到さにびっくりした。
 
一方の私はもっと全然ざっくり扱っていた上に、
初おろしの訪問着だったのに、
着付けた後に髪にヘアスプレーを吹き付けたら、
スプレー缶から液だれして
着物の袖にシミをつけてしまうというがさつさだ。
 
とはいえ、時間内に順調に着付け、
お天気も雲ひとつない秋晴れで、
気分は上々。
 
7名は8時前には大徳寺に到着し、
いよいよお茶三昧の1日が始まった。
 
お茶室の内部の撮影はNGなので、
様子のわかる証拠写真がないのは残念だが、
先ずは我らが雅子さまのお献茶式から
拝見した。
 
(お茶席内部の写真は、写真班が特別に撮ったものを、
雅子さまから送ってもらった貴重な2枚だ)
 
前日のリハーサルより落ちついた雰囲気で、
凛々しく美しい所作で
立派に献茶式を勤め上げ、
観ている私達も誇らしい気分だ。
 
続いて、
三玄院のお茶室でお席を持たれた雅子さまのお母様のお席に入り、
1服目のお茶とお菓子をいただいた。
 
関西では1席につき、2服ずつ薄茶が運ばれ、
半生菓子とお干菓子が出される。
 
茶席では袋物などは持っていないので、
すべてお腹の中に入れていくので、
4席巡ると、8つのお菓子と8服のお茶をいただくことになる。
 
しかも、私達は5席巡って、
最後はお濃茶席だったので、
お薄より濃厚な濃茶を
とどめの1服でいただいたので、
はっきり言ってカテキン(ポリフェノール)の採りすぎだ。
 
もちろん美味しい練り切り(和菓子)5つは
糖分の過剰摂取まちがいなし。
 
それでも、立派なお道具を拝見して
目は眼福、
お抹茶9服と京都を代表する和菓子を次々いただいて、
誠に幸せな気分だった。
 
書き忘れるところだったが、
お茶会の途中で、
表千家の先代のお家元、当代のお家元、
その弟さんなど、ご一族や幹部の面々にも遭遇し、
下々の私達はミーハーに小声で大騒ぎ。
 
1日の内に、雑誌でしか観ることの出来ないお茶室や、
手に取ることのない高価で貴重なお道具、
雲の上の人物などを間近にして、
茶道のお茶会という特殊な世界を心ゆくまで堪能することが出来た。
 
お茶会に参加したのは何もこれが初めてではなかったが、
京都はさすがに本場という感じで、
観るもの聴くものすべてがディープで驚きだった。
 
4時前、お茶とお菓子で満腹のお腹をさすりながら、
ホテルに一旦帰り、
洋服に着替えて、再び、街に繰り出した。
 
2日目の夜は開放感に満ち、
先斗町の料理屋さんで飲み放題付きの和食。
その名も女子会コースを予約していたので、
違うものをいろいろ少しずつ食べたい女子の胃袋を満たした。
 
旅も中盤を過ぎ、
それぞれ7名の役割分担も固まり、
会計係のママが最初に徴収したお金を管理してくれるので、
タクシー代や食事代などの精算に頭を悩ませることなく、
すこぶる順調に2日目を終えることが出来た。
 
こうして
7名という割り切れない数であり、
同時に動くには大勢ではあったが、
「お茶三昧・大人の修学旅行」という大テーマに添って、
つつがなく粛々と予定はこなされていったのである。

2019年10月30日水曜日

大人の修学旅行 その1

 
 
 
 
 
 
 
10月27日から29日までの3日間、
お茶のお社中の皆さんと京都に行って来た。
 
旅のメインテーマは
お社中で一番古株のお弟子さんが、
京都の大徳寺で行われたお茶会で、
お献茶式のお点前をするので、その応援とお祝いすること。
 
そのために前日の27日から京都入りすることにして、
手分けして新幹線チケットやホテルを予約、
お茶会当日以外の予定もお茶関連で埋め尽くし、
食事も、フレンチ・和食・お蕎麦・京都らしいスイーツと
バランスよく計画した。
 
お茶会は利休さんの月命日の28日に、
大徳寺の数ある塔頭の中の6箇所で行われ、
その内の三玄院という塔頭のお茶室で、
その友人のお母様が釜を懸けられた。
 
神社やお寺で行われる大きなお茶会では、
始まる前に献茶式といって、
お茶を点てて神様に奉納する儀式がある。
通常、家元やそれに準じる方がお茶を点てられるところを、
大徳寺ではお席を持たれた方のどなたかが
それを受け持つことになっているらしい。
 
その大役を今回は
お茶中のお仲間の雅子さまがなさることになったので、
「それは大変おめでたい!応援にいかなくちゃ」と、
先生を含むお社中メンバーで
お祝いに駆けつけることになったというわけだ。
 
本来、お席を持つのはお母様(78歳)だから、
献茶式もお母様がお点前をなさるべきところを、
そろそろ代替わりとして娘にさせるということは、
つまりはお茶の世界へのデビューを
茶道の大本山で果たすという輝かしい出来事なのだ。
 
お母様は福島の方なので、
福島から乗り込んでお茶席のお手伝いをする方達が40名近くいて、
前日から京都入りして、
忙しく立ち働いている。
 
しかし、私達7名は当日、お客さんとして
お献茶式に出席し、雅子さまにエールをおくりつつ、
お母様のお席を筆頭に、いくつかのお茶席を回るというのが、
今回の旅の主な目的だ。
 
同じく前日から京都には向かった私達は、
その日は先ず、北山会館という
表千家の茶道具を展示してある美術館を見学。
 
お昼はお蕎麦の美味しいお食事処で
天ぷらそばに舌鼓。
 
午後は大徳寺で福島からのお社中と合流して、
先ず、明日の献茶式のリハーサルを見学し、
雅子さまの緊張した様子を見守った後、
三玄院の脇にある古~いお茶室を、
ご住職に案内していただいた。
 
その後、金毛閣という利休さんの立像のある建物に上り、
利休さんが、
秀吉の逆鱗に触れ切腹するに至ったお話を伺った。
 
こうして
通常、入ることの出来ない場所をいくつか見学させてもらって、
日本の歴史と文化の一端を垣間見て、
初日の修学旅行の学習編はここまで。
 
夕方、日本最古のお菓子あぶり餅で一服し、
夜は町屋を改装したレストランで創作フレンチのディナー。
女子の喜ぶ美しくて品数の多い
コスパのいいコース料理を堪能。
 
次の日はお茶会当日で、
朝7時半には着物を着て、
ホテルの車寄せに行かなければならないので、
早めのご帰還。
 
7名が3つの部屋に分かれて
1日目のお泊まりとなった。
 
私はダンナさんがフランス人という裕子さんと相部屋だったので、
国際結婚のライフスタイルなど、
お茶のお稽古ではなかなか聴けないプライベートな話題で
盛り上がり、
着物のしわを伸ばしたり、小物を着る順に並べたりして、
次の日に備え早めに就寝した。
 

2019年10月20日日曜日

三渓園のお茶会

 
 
 
 
神奈川県横浜市中区の根岸にある三渓園で
表千家の青年部の「関東合同茶会」なる
お茶会が開かれた。
 
三渓園は実業家であり茶人の原三渓によって
1906年に造園された庭園である。
 
17,5haの広大な敷地に17棟の日本家屋が点在し、
その内のいくつかはお茶席仕様になっている。
 
何年かぶりに行った三渓園は
手入れの行き届いたお庭と池があり、
昨日までの雨も上がり、
ほどよく風も吹いて、
なかなかのお茶会日和に恵まれて、
玉砂利を踏みしめて歩くだけで気持ちがいい。
 
表千家青年部とは45歳以下の表千家で学ぶ会員を中心に
運営される会で、
普段は主に県ごとに活動している。
 
今回はその内の
神奈川支部と栃木支部、千葉支部が合同で茶会を開催する
というもので、
合同開催は、実は初めての試みとか。
 
我がお社中からも神奈川支部に属して、
青年部の会員として頑張っているメンバーがふたりいるので、
応援の意味も含め、
先生とお茶中のお仲間2名、そして、私の計4名で、
お茶会に伺うことになった。
 
先ず、最初に月華殿のいうお茶室にかかっている
神奈川県青年部のお茶席に入ることにした。
朝早くに集合した甲斐あって、
 
1席目に入ることが出来、
鎌倉彫が全面に施された竹台子に仕組まれた
立派なお道具組を拝見。
 
いずれも由緒ある道具ばかりで、
神奈川の底力を観る思いだった。
 
神奈川県青年部には
噂に聞く元青年部部長さんがいて、
1席目はその方が半東をしながら、
おもしろ可笑しくお道具の解説をしてくれるので、
由緒ある高価なお道具をさりげなく使っていることに
驚かされる。
 
次に入った栃木県の青年部の部長さんは、
純朴が袴をはいて座っているような方で、
「栃木らしさをどうやったら出せるかいろいろ考えました」と、
日光東照宮にちなんだものなどが出され、
お人柄や県民性を感じさせた。
 
もうひとつのお席は
千葉県青年部のお席だったが、
こちらの青年部部長の男性は真面目な研究者タイプ。
 
あまりお道具について声高に語ることなく、
静かで素朴、
やはり千葉の県民性を感じるお茶席だった。
 
栃木と千葉のメンバーは前の日から泊まりがけで、
このお席に使う道具もリュックに入れて手分けして運んで来たとか。
 
地元の神奈川県勢は決してそんなことはしていないだろうから、
このお茶席にかけた想いも自ずと違うのだろう。
 
三渓園は栃木と千葉のメンバーにとっては
憧れの武道館デビューと同じだったのかもしれない。
 
同じ日本でも茶道の本丸・京都に住んでお茶をしている人と、
東京や神奈川など都市部でお茶の稽古をしている人、
地方都市で稽古している人では、
相当違うということが、そこはかとなく分かる会だった。
 
それぞれのお席で、県を代表するお菓子をいただき、
お薄をいただいたが、
合同茶会だからこその違いと個性を味わい、
感慨深いものがあった。
 
次の週明け、月曜日には
京都・大徳寺で、お社中のメンバーのひとりが、
お茶会デビューを迎える。
 
私は単に上生菓子を口に運びながら、
「大変そう・・・」と観ているだけだが、
お茶会主宰者側の人は、
いずれもあまたご苦労があるにちがいない、
それがほの見えた3県合同茶会であった。
 
 
 

2019年10月18日金曜日

同じ悩み

 
 
 
 
 
 
知人の長谷川桑知子さんの個展に行って来た。
場所は横浜・元町から坂を上った上にある
岩崎ミュージアム。
 
以前、グループ展で随分お世話になった展覧会場だが、
グループ展が別の会場に移ってから、
久しく行っていないと思いながら、
丘の上に通じているエレベーターに乗った。
 
長谷川桑知子さんは、
たぶんほぼ同年代、
京都市出身で京都市立芸術大学を卒業している。
 
作品は写真の通り。
動物や子どもが出てくる不思議で幻想的、
ちょっと不気味な作風のテンペラ技法による作品だ。
 
色が彼女独特の世界をもっていて、
グリーンや青い色調に赤が差し挟まって、
微妙に不穏な雰囲気を醸し出している。
 
現実にあるようなないような、
擬人化されているけど、
まったくのファンタジーではない。
 
1980年に京都のギャラリーで初めての個展をし、
団体展に出品している時期もあるが、
今はそれは辞めて、
発表は主に個展という形のようだ。
 
私とは鎌倉のスージ・アンティック&ギャラリーという画廊で
個展をしたことのある作家同士ということで、
そのギャラリーのクロージング・パーティで
お目にかかったのが最初だ。
 
以来、数回、お互いの個展に足を運んで
作品を拝見するという仲で、
個人的なつきあいはないのだが、
私は彼女の作品の世界観がとても好きで、
案内状をいただいたときには観に行くようにしている。
 
今回伺った時は広い会場にポツンとひとりいらして、
だいぶ久しぶりだったにも関わらず、
すぐに顔を認知して、笑顔を見せてくれた。
 
お住まいは厚木市なので、
横浜の元町に毎日のように通うのはとても大変だと思うが、
穏やかな笑みを浮かべて、
以前と雰囲気は全く変わらない。
 
ひととおり作品を見せてもらってから、
初めて個人的ないろいろなことを話した。
 
団体展に出品するメリット・デメリット、
グループ展に出品して感じること、
作品作り以外にしている仕事など、
同年代の絵描きとしてどんなことを感じたり、
経験したりしているか話すと、
驚くほど共通項が多かった。
 
そして、その話のとどのつまりは、
この大量の作品は、自分が死んだらどうなってしまうのか、
そんな話に帰結した。
 
彼女も売れ残った作品(創った作品のほとんど)を
保管するために倉庫を借りている。
私も木版の版木を保管するために倉庫を借りている。
 
倉庫代を毎月支払うこともそうだが、
もし、自分達が死んでしまったら、
家族にとっては作品はゴミでしかない。
 
残されても困るだけのものが
大量に倉庫に眠っているのだ。
 
今はまだ制作意欲が残っていて、
毎年、数点ずつ新しいものを生み出しているが、
一体どうしたものか。
 
いつまで創るつもり?
家にある作品どうするつもり?
倉庫、借りてるけど、ただじゃないしね。
 
同じ悩みでため息が出る。
 
自分でいうのも何だが、
私の作品はまだ普通のおうちの壁にかかっていてもおかしくない。
しかし、彼女の作品は
普通のおうちの壁にかけるには
ちょっとシュールだ。
 
そこが彼女の作品のいいところだが、
観るのと家にかけるのでは違う。
 
だからといって「パン絵」を描くのだけは嫌だ。
パン絵とは食べるために自分の描きたいものではなくても
売れ筋を狙って描くような絵のことをいう。
 
急に寒くなったので、
衣類の衣替えをしながら、
今回は思い切った断捨離を断行して、
45リットルのゴミ袋パンパンに捨てる衣類を出した。
 
靴もスーパーの袋2枚分、
12~13足は廃棄処分することにした。
 
さて、
次は作品か?
 
これから来年の個展に向け、
まだ新作を創らねばと思っている最中に
こんな悩みはちょっと辛い。
 
創ったのに結局、作品も版木もゴミにしかならないなんて、
そんな運命はとても受け入れられない。
そこに費やした時間と労力は何だったのか。
 
「何のために作品を創るのか」
 
私と長谷川桑知子さんは、
共に根源的な問題にぶち当たった
悩める同世代の元・乙女達なのであった。
 

2019年10月16日水曜日

『JOKER』突き付けられた問題

 
 
 
 
だいぶ前から、映画を観る度に予告編で
気になっている映画があった。
 
アメリカ映画『JOKER』である。
 
チラシにはアカデミー賞最有力!の文字が踊り、
実際ヴェネチア国際映画祭では
金獅子賞に輝いた。
 
コメディアン志望の男がピエロの扮装をして出てくるが、
なぜか悲しげであり、
涙を流している。
そして、狂気をはらんでいるようにも見える。
 
公開前にチラシの文言には
「衝撃サスペンス・エンターテイメント」
「今世紀初めて出会う衝撃。」とあり、
カテゴリーはホラー映画になっている。
 
「本当の悪は、人間の笑顔の中にある」
 
これだけのキャッチコピーでは、
どんな映画かが分からないが、
なぜか気になったので、観に行くことにした。
 
そうしたら全く予想だにしない内容だった。
 
心理カウンセラーの私としては、
「心を病んだ男の悲しい人生の物語」だとは
全く知らなかったので、
ホラー映画だなんてカテゴライズされていることに腹が立った。
 
まだ見ていない人のためにネタバレ注意と書いてあったが、
こんな偏見許していいのかという気持ちになった。
 
病めるアメリカ、
貧富の差、
精神疾患の患者も日本とは比べものにならないほどいるし、
しかもアメリカは銃社会だ。
 
夕べ、カウンセリングの勉強の一環で
「自己愛性パーソナリティ障害」についての文献を読んでいたのだが、
正にそうした障害をもつ母親が登場する。
 
ホアキン・フェニックス演じるアーサーは
そんな母親に育てられ、
生育歴の中で、虐待やネグレクトを経験している。
 
大人になった彼は
緊張したり、不安が増大すると
笑いが止まらなくなるという症状が出る。
 
その笑いは悲しいまでに激しく、
本人が止めようと思えば思うほど、
しゃくり上げるほど続く残酷な笑いだ。
 
やがて、そんな症状が悲劇の引き金を引く。
 
精神疾患の治療も、
貧困と不景気の波に飲み込まれ、頓挫する。
そこに救いはないのか。
 
全編、私は心理カウンセラーとして観ていたが、
終わった時の会場の反応は
「え~、こういう映画だったの?」
「何だかよく分からなかったわ~」
と、そんな空気だった。
 
どんなところに感動して
高い評価を得ているのか。
 
カウンセラーの私には考えさせられるところが多多あったが、
普通の人には理解しがたい人物だし、
テーマがよく分からない映画なんじゃないかと思う。
 
自分の意思とは関わりなく
脳が誤作動を起こす。
それは押しとどめようもないとしたら、
その人物が起こす事件を、
「ホラー」と呼んでいいのか。
 
私は世の中の無理解こそが
この映画のテーマなのではないかと感じた。
 
アメリカ社会は日本社会より病んでいる。
それは間違いないだろう。
 
日本のある場所には
こうした心の病を抱えた人がいるのかもしれないが、
現実の私達は知らない。
 
この映画を他人事として観るのか、
人間の誰しもが持っている心の闇として受け止めるのか、
分かれ道はそこにある。
 

2019年10月14日月曜日

よ 待ってました組長!

 
 
 
 
最近、石田様のヴァイオリンを聴きに行く機会が多い。
今日は中でも「石田組」といって、
彼が率いる弦楽器奏者12名とのアンサンブルだ。
 
場所はなんと「サントリーホール」
 
サントリーホールは大きさ、音響の良さ、ホールの格、
どれをとっても演奏者の憧れらしく、
MCでも「ついに石田組、初のサントリーホールです!」
みたいな挨拶をしていたから、
いつかはここでやってみたかったということらしい。
 
すこし前に
今、もっともチケットが取れないといわれている反田恭平氏と
彼が率いる楽団が
ここサントリーホールで演奏会をしたのを聴きにきたので、
やはりこのホールをお客さんで一杯にするというのは
並大抵のことではないのだろう。
 
しかし、
本日の石田組、ちゃんと満員御礼の状態だった。
 
私も最近、石田様にハマった友人を誘ってきたのだが、
会場はそんな感じのおば様達で埋め尽くされていた。
 
楽団員の年齢からいって、
普段の石田様よりやや若い女性も多い感じで、
お目当ては石田様ひとりに限らず、
12名それぞれにファンがついているのかもしれない。
 
ただ、石田様を含め、13名が舞台に並んでも、
ダントツで個性的なのは組長の石田様で、
若くてイケメンだなぁと思う団員は見当たらず、
やはり彼のカリスマ性にかなう人はいないというのが実感だ。
 
今回の曲目は
一部が
ラター:弦楽のための組曲
レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲
 
二部
バルトーク:ルーマニア民族舞曲
バーンスタイン:荒野の七人
ウィリアムズ:シンドラーのリスト
クイーン:ボーン・トゥ・ラブ・ユー
サイモンとガーファンクル:明日の架ける橋
ディープ・パープル:ハイウェイ・スター
 
とまあ、
一部でクラシックの演奏者としての実力を示しつつ、
二部でどんどんその守備範囲の広さをみせるという構成だ。
 
更に
アンコールでは
ヴィヴァルディ:四季より「秋」第3楽章
ピアソラ:リベルタンゴ
見岳章:川の流れのように
ディープ・パープル:紫の炎
 
と、
更に守備を広げ、
私達を大いに楽しませてくれた。
 
こうなると編曲の力がものをいうわけで、
会場にいた編曲担当の方もメンバーとして紹介され、
このコンサートに欠かさないのが編曲なんだとよく分かった。
 
サントリーホールの奥深い音響効果で、
弦楽器の音色は重層的に重なり、ひとつになって、
時に温かく、時に激しく、
観客を包み込んだ。
 
ヴァイオリン6本、ヴィオラ3本、チェロ3本、コントラバス1台。
 
それぞれの奏者が自分の楽器の音色に惚れ込んでいて、
合奏においては、お互いにリスペクトしている。
「いいよね~、弦楽器」
「そうでしょ~、いいでしょ、弦楽器」
そんな風にいいながら弾いているのではと思った。
 
特に編曲の効果で
既存のイメージをくつがえす曲に仕上がった
クイーンの「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」や
「川の流れのように」はよかった。
 
もはや石田組の曲という感じ。
 
今日もまた、石田様の引き出しの多さを実感し、
「また、来年のサントリーホールの石田組にも来たいわ」
という友人と、
次回の約束をして別れた。
 
サントリーホールの場合は
目の前のエスニックフードのオシャレなお店でランチして、
コンサート。
浜離宮朝日ホールの場合は
汐留で牛タン定食をいただいてから
コンサート。
 
美味しいものと豊かな音楽。
人生の至福の時、
彩り豊かな時間にお腹も心も満たされるのを感じた1日だった。
 

2019年10月9日水曜日

必見!「蜜蜂と遠雷」

 
 
 
 

 
私がここ数年読んだ本の中で、
最も感動した本は恩田陸の『蜜蜂と遠雷』である。
 
2年前、直木賞と本屋大賞をダブル受賞し話題になったが、
本当に文学の力というか、
言葉でここまで音楽を感じることが出来るなんてと、
驚いた小説だった。
 
絶対、映像化は不可能といわれていたこの小説が
今回、映像化され、
しかも、恩田陸本人が絶讃しているので、
これは何としても観に行かねばと思っていた。
 
映画はあの分厚い小説をほぼ2時間にまとめ上げ、
まるで1曲の協奏曲を聴くがごとく、
疾走感溢れるダイナミズムで、
観る者を圧倒した。
 
内容は若手の登竜門といわれるピアノコンクールに挑戦する
4人の若者を中心に、
それぞれの人生や人としての背景が、
どんな風にピアノ演奏に投影されるのかという物語。
 
特にカデンツァと呼ばれるピアニストが自由に弾く部分に、
それぞれの個性や人生に背負っているものが
色濃く反映されている。
 
本ではそれを抽象的なそれでいて映像的な表現で、
それぞれの想いを表現していて素晴らしいのだが、
映画では
4人の役者には
その役者のピアノ演奏を担当する4人のプロのピアニストがおり、
それぞれの個性に合った曲と演奏がつくので、
視覚と聴覚の両面が見事に融合して、
まるで本当にその役者が、4人の登場人物になって
ピアノを演奏しているようだった。
 
同じ曲を弾いてさえ、それぞれの個性が出る上に、
カデンツァでは、
曲そのものがその人となりを表している。
 
課題曲の「春と修羅」(宮沢賢治 原作)の作曲と、
その曲の途中から始まる
それぞれのカデンツァの部分を作曲した藤倉大氏は
本当に凄い。
 
また、石川慶監督の
映像で音楽そのものを表現しようという狙いも
十分、成功していると思った。
 
印象的な亜夜と塵の連弾のシーン、
砂丘に残した足跡で何の曲か当てるシーンなど、
「若いっていいなぁ」
「天賦の才能って輝いているなぁ」
「生きているって素晴らしいな」
と、思わせてくれた。
 
2時間見終わった時、
まるでため息をつくように、
会場全体の肩の力が抜けるのを感じた。
 
たぶん、みんな同じ思いで
音楽を感じ、音楽に酔い、
音楽を堪能したんだと思う。
 
原作の小説もぜひ読んで欲しいが、
この映画も必見だ。
 
ぜひ映画館に足を運んで、
音楽が疾走する臨場感を味わって欲しい名作だと思った。

2019年10月8日火曜日

陶芸展の搬入日に思う

 
 
 
 
 
陶芸工房の展示会初日、午前中に搬入と展示が行われた。
 
9時45分に会場の横浜市民ギャラリーに着くよう、
車を出した。
会場前の駐車場は搬入を依頼された業者の軽トラックと、
個人で搬入しようとしている乗用車でごった返している。
 
我が陶芸工房のメンバーも
軽トラックからそれぞれの作品をおろそうと、
周辺に集まってきているのが見えた。
 
本日の予定としては10時搬入開始、
12時までに机の組み立てとレイアウトをして、
各自あてがわれた机に自分の作品を展示する。
 
「向付」という課題作品は会場右手奥の
課題作品テーブルにまとめて展示する。
 
先生が全体を見て、それぞれが引き立て合うように
多少入れ替えをし、
最後にライティングを行う。
 
午後1時から展示開始で、
お客様をお迎えするという段取りだ。
 
展示用テーブルは個人の希望で1台でも2台でも自由に使ってよい。
しかし、
実際は会員の中で2台希望した者は2名だけだったので、
その2名(内ひとりは私)の作品は
会場の右奥と左奥で対称に位置するように指定された。
 
ふたり共、美大出身なのだが、
実はこの陶芸工房、美大出身者が数名おり、
みんな、それぞれの作品を気にしている。
 
私は会場の左手奥の位置を指定されたので、
そこにお店を広げ、
自宅で並べたとおりに器を配置していった。
 
本当は120×100㎝の横サイズにレイアウトを考えてきたのだが、
テーブルは100×120㎝の縦長に配置されたので、
多少変更を余儀なくされたが、
まあ、それはそれでいい配置にできたと思っている。
 
ちょうど配置ができあがったあたりで、
もうひとりの2台使いの友人がやってきた。
同じく美大出身の陶芸の大先輩と共にきて、
私の作品を眺めてから、
ふたりとも、とても褒めてくれた。
 
2台使いの彼女の作品は
数多くの箸置きを花びらや落ち葉のように扱い、
薄い葉っぱ型の大皿や小皿と共に
テーブル全体がひらひら揺れているような感じ。
 
もうひとりの作品は茶そばという釉薬をかけた
渋い器が中心で、
電動ろくろとてびねりの両方の作品がバランスよく並んだ
「深まる秋」といった感じの作品。
 
それに比べて、
私の作品は中央に黒くて重量感のある大鉢が据えられ、
それと対の黒い鉢達と、シンプルな角皿や小鉢、
あちこちに可愛いオブジェ達が点在するというもの。
 
「物語を感じるわ」
「ひとつの世界感があって、アートよね」
「全体で萩原季満野の世界よね」
という感想だった。
 
とりわけ、手前に展示した黒い鉢の大小4つが、
いかにも私らしくてとてもいいと言ってもらえた。
これは自分でも気に入っている器なので嬉しい。
 
目の確かなふたりに認めてもらって、
まずは一安心。
 
他の人より数を多く出している(ほぼ2倍か3倍)だけに、
「数だけ出して・・・」という風に
見られたくないと思っていたので、
世界感が構築できていると感じてもらえれば満足だ。
 
そして、展示を終えた 午後の一番には、
最初のお客様として、
お茶のお稽古場でご一緒の友人が観に来てくれるはずだった。
 
しかし、その友人は、先週末、
ジョギング中に転倒して、ほお骨を骨折。
 
「顔が大きく腫れてとても伺えそうにない」と
LINEに痛々しい写真が添付され、
急遽、キャンセルになった。
 
本当にお気の毒だが、
月末にはお茶のメンバーとは京都旅行が控えているので、
そこまでには復活してほしいと願うばかりだ。
 
一方、別の友人からメールがあり、
私が立て替えているコンサートチケット代の支払いと、
旅行のお土産を渡したいからと、
急に午後、会う事になった。
 
めまぐるしく1日の予定が入れ替わり、
それぞれ出歩く算段に関する準備が交錯した。
 
聞けば午後に会った友人も、
中欧ヨーロッパの旅先で転んで大出血し、周囲を驚かせたけど、
唇を切っただけで、骨折は今のところしてないとか。
 
私達の年代は気持ちだけは若く、
いろいろ忙しく遊びの予定を入れるけど、
時に思わぬ事故に遭い、
立ち止まることを余儀なくされる。
 
「なぜ、何もないところでで転ぶのか」
整体の先生に質問したところ、
「体幹の筋肉が脆弱になっているから」
という答えが返ってきた。
 
「なぜ手が出ないで、顔から転ぶのか」
そう質問すると
「瞬時の反射神経が鈍っているから」
という答えが返ってきた。
 
いろいろ鈍くなっているお年頃。
 
一番困ったものなのは、
自分が鈍っていることに気がついていない
鈍った心だ。
 
時に鈍感力が功を奏することもあるが、
健康な体を維持し、
遊びたいときに遊びたいところに行くためには、
心の健康を保つため、
まずは心の体幹を鍛えるべきと思った次第である。