大人の修学旅行の最終日は
朝からザーザー冷たい雨。
昨日のあっぱれな晴天はどこへやら。
これが1日違いでお茶会の日だったら、
本当に悲惨なことになっていたと思うので、
お天気担当の私としては
ホッと胸をなで下ろした。
前の晩から、雨の予報は出てきたので、
朝はゆっくりして、
ホテルのビュッフェ朝食からスタート。
メインイベントはすべてつつがなく終了していたので、
最終日はだめ押しで、
「北村美術館」と
「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を
観に行くことになった。
まさにお茶のお仲間だからこそ成り立つ
お茶三昧のコース取りだ。
「北村美術館」はお茶席に必要なお道具一式が
季節ごとに展示されている。
逆に言うと、お茶席1回分だけなので、
「え?これだけ?」というような出品点数なので、
普通の人は物足りないかもしれない。
写真撮影OKはチケット売場から見下ろすお庭とお茶室のみ。
展示内容に関しては「令和の秋」と題された展示目録のみ。
『 改元を寿ぎ、その念いをふくませながら、
今回の展示は取り合わせてみました 』
と、ある。
誰も他に観覧する人がいない中、
私達7名が貸し切り状態で、
ゆっくり秋のしつらえのお道具を拝見した。
来週のEテレ「日曜美術館」は、
ここ北村美術館の特集らしいので、
そうなると、放映後は急に「にわかファン」が
押し寄せるのではないかと思うが・・・(笑)
北村美術館を出る頃には雨も上がり、
最後は目下、展覧会の会期中である
「三十六歌仙絵」を京都国立博物館に観に行くことになった。
あちこち行くのに、
毎回、タクシーを乗り倒したが、
最初に集金して会計係のママに預けておいたお陰で、
何のお金の心配もなく予定を遂行出来たのは、
本当に素晴らしい。
予算が余ったので、
「北村美術館」「三十六歌仙絵」もそれでまかなえたのだから、
重ねて、素晴らしい。
「佐竹本 三十六歌仙絵」は本来、2本の絵巻物だった。
しかし、絵巻物として売るには高価すぎて
買い手がつかなかったため、
何と、100年前にその巻物を
36枚の絵として「切断」
1枚1枚、手に入れた別々の持ち主の元で、
美しい表装が施され、
掛け軸として、今日に至っている。
誰がどの歌人のものを手に入れるかは
これまた何と「くじ引き」だったという。
しかし、そのくじ引きの言い出しっぺである益田鈍翁が
「僧侶」を引き当ててしまい、
途端に不機嫌になった。
そこで、一番人気の「斎宮女御」を引き当てた人物が、
空気を読んで、益田鈍翁にそれを譲ったという。
いわゆる「忖度」か?
その絵巻物の「切断」から100年。
100年の間にはそれぞれのお軸に物語があり、
最初の所有者のままのものもあるし、
所有者が変わってしまったものもある。
展覧会はその絵が誰の手によって描かれたかより、
最初は誰の持ち物で、
今は誰が所有しているかが大事らしく、
そのあたりが克明に記されていた。
絵描きの私としては、
それよりお軸の表装と絵のバランスの方が
興味深かったのだが・・・。
お軸の表装のセンスは本当にバラバラで、
作品自体は、
歌人の肖像とその歌をしたためた書という構成は同じなのに、
お軸の姿としてはかなり趣が異なる。
今回の展覧会の見どころは
むしろ、その表装かもしれないと思って、
私は観て廻った。
何しろ、達筆すぎる書は凡人にはよく読めないし、
平安時代の歌人や僧侶はほとんど墨衣や黒い装束だ。
私達が行った会期にお姫様の絵は
「小野小町」1点だけで、
しかもありがちな後ろ姿。
百人一首のお姫様と言えば分かりやすいだろうか。
だから、その地味な黒い装束の男性歌仙の画を
いかに引き立たせるか、
もしくは調和させるか、
そこにお軸の面白みがあるのである。
掛け軸はお茶の世界でも床の間や寄りつきなどに
必ず、必要なものなので、
私達はかなり丁寧に1本1本鑑賞した。
こうして
掛け軸の歌仙絵をお腹いっぱい堪能し、
ミュージアムショップで旅の思い出の品を求め、
京都駅へ。
とどめは、伊勢丹デパートの中で
「和栗モンブラン」派と「抹茶パフェ」派が、2店舗に分かれて
それぞれ好きなスイーツで、京都を味わい、
予約しておいた「はつだ」の牛肉弁当を手に
新幹線に乗り込んだ。
その際のビールとおつまみも
会計ママからお許しが出て、
会費から出してもらったので、
あ~、楽ちん。
重ね重ね、ありがたい。
こうして、濃くて雅な大人の修学旅行は
無事、終了。
お茶の世界にいそしむ同行の士が揃ったからこその
この旅程。
しみじみ
お仲間に恵まれた幸せを感じた3日間であった。
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