2020年1月24日金曜日

平野俊一『薔薇の園』







東京・銀座1丁目の『柴田悦子画廊』で行われている
平野俊一さんの個展に行ってきた。

実は平野さんに会う目的は
4月の個展のDM制作を依頼することだが、
彼は多摩美を卒業して、
バリバリ活躍している日本画の画家で、
今週、個展を開催しているので、
まずは純粋に彼の作品を見に行きたかったのである。

平野俊一さんの画は
写真のとおり、
日本画には珍しく薔薇の花がメインモチーフ。

薔薇を手掛ける日本画の作家は他にもいるが、
日本画では花は克明に描写されることが多く、
こんな風に『薔薇の園』みたいに
大量の花が、しかも油絵のごとく
風景のように表現されることはなかなかない。

画廊の中に入ると、
右手の壁一面に、六曲一双の屏風が並んでおり、
圧倒的な迫力で迫ってくる。
(この大きな屏風は、横浜にある曹洞宗・祥泉院というお寺に
納められることが決まっているのだとか・・・)

やや狭い画廊空間は正に薔薇庭園となっていて、
香しい薔薇のコロンまでもが漂っている。

入っていくと、画廊主の柴田悦子さんが迎えてくれ、
奥で、今までに何度かお目にかかっている
平野俊一さんが優しい笑顔でお客様と話していた。

花をモチーフに、
しかも場面いっぱいに豊かな色彩で表現する彼は、
絵から受ける印象通りの
穏やかで優しい人物だ。

DM(案内状)は個展が終わってからなら引き受けますと
返事をもらっていたので、
言葉どおりに甘えて、
会期の終盤にお邪魔し、
作品も拝見しつつ、直接、説明し、
DMを依頼しようと思っていた。

作品を拝見した後、
ちょうどお客様の切れ目がおとずれたので、
サンプルのDMと指示書、
写真家に撮ってもらった作品写真のCD-ROMを渡し、
ひととおりの説明をしてDMをお願いしてきた。

こうして、また、ひとつ個展の準備が前に進んだ。

平野さんは日本画の作家でもあるので、
単なる印刷屋さんのデザイナーとは違って、
作家の感性でDMをデザインしてくれる。
そこがいいところだ。

次女のようにグラフィックデザイナーというわけではないが、
ものつくり人の感性を持ち、
本業ではない分、安価にてデザインしてくれる、
願ったり叶ったりのDM制作者なのだ。

次女を通して、依頼したら、
本来、かなりの金額のデザイン料を取られると思うので、
親子だからタダでやってくれとか、
忙しいことが分かっているのに無理をさせるなどせず、
はなからDM制作は平野さんと決めていた。

さて、どんな案内状ができてくるのか、
とても楽しみだ。

今日は作家・平野俊一の世界を堪能し、
彼の優しくて美しい感覚を間近に見て、
いいDMができることを確信した。

後は額縁を注文したり、
搬入のことを業者を依頼したり、
オープニングパーティのことを考えたり、
DMのあて名書きを書いたり、
楽しいけど、煩雑な作業を
ひとつずつやっつけなければならない。

そして、まだ、新作をもう2点
創るつもり。

だから、1に体力、2に体力。
3,4がなくて5に気力。

いろんな力をつけて、頑張るしかないのだ!



2020年1月19日日曜日

古稀のお祝い









ダンナが古稀の誕生日を迎えた。

厳密にはもう数日あるが、
昨日今日で、
子供たちがお祝いの気持ちを、
1泊2日の温泉旅行という形でプレゼントしてくれた。

場所は箱根湯本。

ザ・温泉旅行という感じで、
べたに初日は温泉三昧、
2日目は大涌谷に行って、温泉卵など賞味した。

折しも今年一番の寒さに見舞われ、
初日はみぞれ交じりの雨。

私は晴れ女だが、
ダンナは雨男なので、
この旅行はダンナが主役ゆえ、雨なのはしかたない。

私も念をおくって、
何としても晴れにしなければという気もなく、
なるがままに任せていたので、
やっぱりという感じで冷たい雨だった。

車に全員は乗れないので、
長女家族は電車で、
次女を最寄り駅で拾い、
車で小田原を目指した。

途中から、雨は雪へと変わり(どこかで聞いたような・・・)
それもザンザン降っているという様子になり、
山の向こうは白く煙り、
あっという間に雪景色になっていった。

なので、初日はとにかくお宿でゆっくりしようと、
ひたすら食べて、
じっくり温泉で体を温めた。

古稀とは古代稀なる長生きをお祝いするという意味だが、
今や、70歳なんて、
人生の途中。

もしかしたら、この後、
10年20年、
間違えば、30年も生きることになる。

となると、ぼーっと生きるには長すぎるので、
何か目的を持つとか、
生きがいを持つとか、
誰かのために生きるとか、
しないと、辛くなる。

それは私一人が思うことではなくて、
心理学的にみても、
人生をどのように全うするのかという観点で、
重要な考え方だといわれている。

まあ、ダンナはダンナなりに考えるところはあるだろうが、
そばにいるものとして、
残りの人生を生き生きと全うしてほしいと願っている。

そんなメッセージを添えて、
私はブランド物のパジャマをプレゼントした。

質の良い睡眠をとって、
元気に心健やかに暮らしてほしい。

私は大涌谷でひとつ食べると寿命が7年延びるという
温泉卵を2つ食べた。

さあ、これでいくつまで生きるのか。

初詣のおみくじは大吉で、
健康には不安なしとあったが、
更に卵ふたつで14年追加されたので、
当分、精一杯やりたいことをやって
生きようと思う。

まずは一族郎党、
健康で揃って旅行でき、
メデタシメデタシな2日間であった。

2020年1月17日金曜日

こだわらないというこだわり










横浜そごうで開催されている
「樹木希林 遊びをせんとや生まれけむ展」に
行ってきた。

亡くなって早1年半近くが経つが、
昨年出版された彼女がものしたエッセイは、
一番売れた本ランキングの上位を占め、
今なお、売れ続けている。

樹木希林語録のようなものや、
生前のインタビュー、
映画や演技に関する考え方は、
その生きざまと重なって、
多くの人を魅了し、
影響を与えている。

それは今日の会場に詰め掛けたおば様たちを見ても
すぐわかる。

皆、1本1本の映画について語った彼女のコメントを
熱心に読み、
彼女が書き送った手紙の文面を
身を乗り出して眺めていた。

とりわけ、見るものを惹きつけていたのは、
きものの部屋で、
CMや映画などに使われた見知った着物から、
初めて見るものまで、
相当数の着物が展示されていて、
私もこのコーナーが一番興味深かった。

樹木希林の着物好きは有名で、
若いころから手掛けてはいるが、
指南役であり、相談役の石田節子さんと出会ってからは、
その凝り方に拍車がかかっていく。

石田節子さんは
有名な着物収集家・池田重子さんのところで働いていた人で、
後に独立してからは、
樹木希林の「どうにかならないかしら」の言葉に
背中を押され、
何点もの着物の制作に携わっている。

制作といっても、
いわゆる作家物の着物を仕立てるというような制作ではない。

今回展示された着物に添えられた説明文を読むと、
昔の絽の振袖に無地の紗の生地を重ねて、
「紗袷」にしたり、
別々の2枚の昔の振袖を片身ごろずつはぎ合わせたりして、
1枚の着物に仕立てている。

夏仕様の着物に別の着物を合わせて、
秋冬に着られるものにするとか、
女物の黒留袖を男物に仕立て直すとか・・・。

とにかく、古い時代の大胆な柄の振袖や黒留袖を見つけては、
自分のひらめきのままに、
つまり、着物のルールにはこだわらず、
自分だけの唯一無二の着物にしてしまうのが、
樹木希林流の着物道楽だったというわけだ。

そこには徹底した「こだわらないことへのこだわり」を感じたし、
樹木希林の着物センス、取り合わせの妙があって、
「女優なんだから普通じゃ面白くないでしょ」という攻めの姿勢と、
誰もがさすがと感心する、
大胆にして品のある取り合わせの着物が並んでいた。

自分でも撮影の合間に
着物をほどいたり、針を持ったりする時間は大切にしていて、
「何も考えずに、手だけ動かしているのは、
頭が落ち着いていいのよ」と言っている。

家を建てる時も、
あらかじめ持っていたレリーフの施された衝立を
建築家に見せて、
「これを生かした家が建てたい」と注文したという。

女優として受賞した際にもらったブロンズ像に
古いランプシェードを組み合わせ、
スタンドにし、部屋の一隅に飾ったり、
孫が小さい頃、てびねりで作ってくれたクジラの箸置きや
ピーマンの形の小物入れなどに塩を入れたりして、
大事に食卓で使い続けている。

「もの」に対する「もったいない」精神と、
審美眼の両方が
あらゆるものに対して貫かれていた。

やはり一番面白かったのは「着物の部屋」だが、
他のすべてにおいて、
自分流を飄々と貫き、
人間関係や仕事の流儀なども、
「一切なりゆき」と言いつつ、
間違いなく自分の価値基準に従って行っていると思えた。

全身に広がった癌でさえ、
「自分」を形作っているものとして受け止め、
死さえ受容してしまう、
その強さに脱帽した。

他人様に迷惑をかけていない上で、
自分の直感と審美眼を信じ、
やりたいようにやる。
生きたいように生きる。

そして、物は使い切る、
人は生ききる。

樹木希林の潔さが身に染み、
寒さが身に染みた2020年の冬の日だった。


2020年1月13日月曜日

3連休の過ごし方









本日、3連休の3日目は、
個展用の小品の本摺りを決行した。

3連休初日の土曜日は、
陶芸工房に出向いて、
12個の小鉢を一気呵成に作陶し、
昨日の日曜日は
着物を着て出掛け、お茶の初釜だった。

いずれもなかなか体力と知力が必要だったので、
いささか疲れて、今は
ブログを書きながらも、ぼーっとしている。

土曜日の陶芸は
お正月に10人の親族が我が家に集まった時、
10人分の小鉢がないことに気づき、
そろそろ揃いの小鉢を自分で創れるのではないかと
思い立ち、
来年は総勢12人になる予定なので、
それに対応できるよう、
12個の小鉢を創ろうと思ったというわけ。

1度に12個もの器を創ることはなく、
せいぜい3~4つぐらいしか手掛けたことがない。
最近の向付の作陶でさえ、
6個を1度に創るのが精いっぱいだった。

しかし、2回に分けて作陶すると、
なぜかゲージが変わってしまって、
お揃いで創っているつもりが、
雰囲気の違うものができてしまう可能性が高い。

だから、力の限り、
つまり、持久力と集中力が続く限り、
一気に創れるだけの数を創ろうと頑張り、
何とか12個達成したのであった。

もちろん、持久力と集中力は限界に達し、
帰り道はフラフラだった。

そして、昨日は朝から着物を着こんで、
北鎌倉のお茶の先生のお宅に。

いつものお稽古とは違って、
先生の甥っ子さん2名と
先生の古くからのお茶友達の方を含め、
総勢10名と先生。

それだけの人数が参加しての初釜は初めてで、
お炭、懐石、濃茶、薄茶とフルコースでお点前をし、
お料理やお茶をいただいたので、
なんと終わってみれば、夕方5時前という6時間コース。

その間、ずっと正座をしていたので、
しびれはしなかったが、
足の甲が痛くて痛くて、
正に修行の域。

とても楽しくて、おいしくて、雅な1日だったけど、
やっぱり帰り道はフラフラだった。

しかし、カレンダーと相談しつつ、
小品の本摺りをするとしたら、
今日しかない。

お前は自分の体とは相談しないのか?
という影の声がするが、
一度決めた予定は遂行するのが
プロフェッショナル・仕事の流儀。

まあ、小さな作品なので、
そこそこの枚数にしておけば、
何とかなるのではと踏んで、
摺り決行。

とはいえ、お買い求めいただきやすいサイズなので、
多めに摺っておこうと
前日の夜、16枚和紙を湿し、
摺り始めた。

しかし、さすがにオーバーワークの3日目。
最後にイージーミスを連発し、
2枚失敗し、
結局、14枚の作品しか摺り上がらなかった。

ブログを書くのもやっとのフラフラ加減だが、
やりきった感だけは半端なく、
今は「自分を褒めてあげたい」と有森裕子の気分。

昨夜はおさしみの盛り合わせをメインにして、
手抜きをしてしまったので、
今夜はステーキ肉を焼いて、
がっつり肉食女子でいこうと思う。

きっとビールも美味しいことだろう。

自分に負荷をかけ、
達成できると、自分を褒める。
それが私の生きる道。

2020年1月9日木曜日

DM用写真の撮影







年に一度の作品写真の撮影が行われた。

例年なら4月か5月に、1年分の作品6~7点の撮影を
お願いしているが、
今回は最新作を個展の案内状に使いたいと思い、
まだ、3点しかできていないのに、
フォトグラファーさんに無理を聞いてもらった。

4月初めの個展に対して、
どんだけ早くから準備しなければならないんだと思うが、
版画芸術という季刊誌の編集者からも、
「3~5月に個展の予定がある人は知らせてください」という
メールが暮れに来て、
個展の内容を書いて返信したら、
「掲載させていただきます」という連絡がきた。

そんな風に世の中は
早手早手に段取りが進んでいく。

DMも作成してもらうには
それに適した画素数で撮影した作品写真が必要で、
素人がスマホで撮ったなんていう
お粗末な写真は使えない。

プロのフォトグラファーにお願いして、
毎年、作品を撮りためてきているので、
同じ方に撮ってもらうのが一番だ。

埼玉県在住の写真家さんなのに、
気持よく引き受けてくださり、
いつもどおり我がアトリエはスタジオに変身し、
撮影は1時間ほどでつつがなく終わった。

その後、お茶をしながら、
今回の大きな作品の本摺りの時、
摺りが仕上がっていく途中を自分で撮影し、
ブログにアップしたという話になった。

手元にあったスマホの写真データを見せると、
大いに興味をそそられた様子で、
「いいですねぇ。
いつか私に摺っているところを撮らせてくださいよ。
摺りの邪魔はしないように気配を消して
撮りますから」と言われ、
考えてもみなかった提案に心が動いた。

木版画の摺り手順を残しておくことは、
ブログにアップするためだけでなく、
普通は見られない途中経過なので、
見る人にとって興味深いものだろう。

しかも、自分で撮っていては、
本人は写らないし、
真剣に摺っている最中に自撮りするとかも考えられない。

プロの写真家が気配を消して、
アトリエの一隅に身を潜め、
作家の真剣勝負の様を切り取る。

「プロフェッショナル仕事の流儀」のようだ。

すごく撮りたそうに
「機会があれば是非、撮らせてください」と言われ、
本当にいつか撮ってもらいたいという
気分になってきた。

画集を作った時など、
作品だけが並んでいるより、
制作風景や作品の途中経過があれば、
親近感も沸くし、
どれだけ大変な作業なのかも理解してもらえる。

長いこと木版画を創ってきたが、
そろそろ「まとめる」ことも考えてもいい。

5年越しで実現する個展、
次の個展などまるで考えられないが、
画集編纂という大きな目標というか
お題をいただいた1日だった。

2020年1月6日月曜日

年初の約束

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020年、初の新年会。
今年は新年会と銘打ったお食事は
今日の1回だけ。
 
何しろ、1月28日に人間ドックがあるので、
その前10日ぐらいはおとなしくしていないと・・・。
 
新年会の場所は
表参道「ラ・ロシェル」本店。
初めて行ったけど、格式高!って感じなのに、
ギャルソンの数が凄く多くて、
メニューの説明に入れ替わり立ち替わりやってくる。
 
どの人も丁寧な対応なので、
このあたりが他の店とは違うのねと思った。
 
新年会のお相手は
毎年、海外旅行に一緒に行っている友人Y子さん。
 
今日も私が着てきそうな洋服に合わせて、
モノトーンのブロック柄のワンピース。
 
私は彼女と行ったスペインで買った
黒白ボーダーにオレンジが加わったワンピースだったので、
写真のとおり
とてもいいコンビネーション。
 
長年、旅しているせいか、
ふたりで並んで写った時にいい感じになるように
なんて、
洋服選びをしてくれる友達は
そうはいない。
 
でもって、
なぜ、このふたりが新年早々会ったかと言えば、
よからぬ企み、
じゃなくて、
次回の海外旅行の相談がメインテーマ。
 
これまでの10年に及ぶ海外旅行を振り返りつつ、
次なる一手をどう繰り出すか。
 
私達の場合、
意見が割れることはほとんどなく、
行きたいところ、次に押さえるべきこと、
日程など、
とてもスムーズに決まっていく。
 
帰宅時刻が遅く、まだ、予約は取れていないが、
近日中に決定し、
2020年のメインイベントになるに違いない。
 
他にも
お正月をどんな風に過ごしたか、
今年、控えている行事はいつ、どんなことかなど、
話は尽きないのに、
お料理が次から次へと出てきて、
楽しい夢のような非日常の時間は
あっという間に過ぎていった。
 
最後にはお店側の配慮で
数日前、お誕生日を迎えた彼女のために
メニューの他にホールケーキが用意され、
ふたりが写った記念写真を
カードに仕立ててプレゼントしてくれるという
サプライズもあった。
 
手厚いおもてなし、
丁寧に作られた数々のお料理、
リッチで優雅な空間、
そして、気の合う友人との楽しい会話。
 
彼女に誕生日プレゼントを持っていくことに
気づいて、
心ばかりの品を用意していった自分を少し褒めよう。
 
明日からは毎日、怒濤のように日常がやってくるけど、
まずは気持ちのいいスタートがきれた。
 
2020年の私は「大吉」
ということなので、
ひとつ、宜しくおつきあいのほど、お願いいたします。
 
 
 

2020年1月4日土曜日

伊勢山皇大神宮 初詣

 
 
 
 
 
 
 
 
2020年の初詣は
桜木町にある「伊勢山皇大神宮」に行くことになった。
 
毎年、鎌倉の八幡様や時には川崎大師など、
あちこち浮気しながら、出掛けていたが、
2歳児を連れて行くとなると
遠出は難しい。
 
「伊勢山皇大神宮」は
長女夫婦に初めての子どもが授かったとき、
安産祈願に来ているし、
出産後のお宮参りもここだったわけだから、
当然の流れと言えば当然だ。
 
しかも、今回は2人目を授かったことの報告と
安産祈願も兼ねている。
 
人混みが苦手なじぃじは家に置いて、
長女家族と次女と私、
女4人と男1人という
女系家族丸出しのメンバーで出発。
 
これで、2人目も女の子が欲しいといっているのだから、
本当にそうなったら、
笑える。
 
「伊勢山」さんは
ちょっと早く家を出たのが功を奏して、
さほど並ばず、順調にお参り出来た。
 
今年は建立150周年とかで、
例年には見られない提灯が数多く飾られ、
何だか霊験あらたかな感じ。
 
お天気も快晴、穏やかで温かで、
絶好の初詣日和。
 
長女は「安産祈願」のお守り、
私はどのお守りにするか悩んだ挙げ句、
「福守」を購入。
 
5人がおみくじをひいたところ、
私だけが「大吉」を引き当て、
他の4人はおみくじを結んで帰ることにした。
 
このおみくじはみくじ札の他に
小さなお財布にいれておくお守りが入っている。
 
長女は「亀」、次女は「おかめ」
私は「福銭」が入っていた。
 
「福銭」には「福・満・徳・圓」と彫刻があり、
商売繁盛の縁起物として信仰を集めているらしい。
 
さて、
2020年は金運上昇、
何かお金にまつわるいいことが起きるのかもしれない。
 
個展で、ザクザク絵が売れるとか・・・。
 
いざお賽銭を投げ、
何をお願いしようかと思った時、
自分のことより娘達のことの方がよほど心配だった今年の初詣。
 
まずは無事に新しい年を迎えられたことに感謝し、
それぞれがつつがなく過ごせることが
一番の願いと思った年の初めである。