2022年3月20日日曜日

友人の命日に想う

 











11年前の3月20日、
ダンナの親友O氏が亡くなった。

11年前の3月と言えば、
誰もが覚えている東日本大震災のあった年。
2011年の3月11日に震災は起こり、
20日はまだ世の中が騒然としていた。

そんな中、21日の朝に
ダンナのケータイに電話があり、
息子さんからその死は知らされた。

O氏はダンナの親友で
会社の同期だったし、
初めての海外転勤の任地・香港でご一緒したので、
そのおつきあいは家族ぐるみで続いた。

新婚間もなく香港に転勤になった私達と
香港で日本から奥さんを迎い入れたO家は
最初の子どもも同学年だし、
それぞれ2人目を香港の病院で産んだりして、
正に戦友といってもいいような関係だった。

その後、任地は一緒になることはなかったが、
日本に落ち着いてからも
家族ぐるみのおつきあいは今でも続いており、
ただ、O氏だけが
11年前の今日、忽然と天国に旅立ってしまった。

O氏亡き後、
彼が参加していた地元のヨットチームに
まるでO氏の代わりのように
ダンナは参加することになった。

今日はそのお仲間とO氏のお墓参りに行くと
ダンナは朝早くから出かけて行った。
明日はヨットで海に出るからと
泊りがけの支度だった。

私は1日、彫り台の前に座って、
新作の彫りの作業にいそしんだ。

彫りをしている間は手は動かしているが、
物思いにふけったり、考え事をしたりする
静かな時間が流れていく。

フジコ・ヘミングのピアノをBGMに、
11年前のことがまるで昨日のことのように
思い出されてきた。

震災で電気がまともについていないし、
スーパーからもものが消えた。
テレビでは津波と原発事故の映像しか映していない。

それなのにO氏のお葬儀は大層立派で、
とても多くの人が喪服に身を包み、
葬儀に参列した。

参列者は人目もはばからず
目を真っ赤に泣きはらして、
棺の中のO氏に声をかけ、
齢60のその早すぎる死を悼んだ。

私たちは親交が深かったので、
お骨上げの場所まで一緒に行くことになり、
春の空に煙突の煙が立ちのぼるのを
呆然とした思いで見つめていた。

この11年の間にはいろいろなことが起き、
その時は想像もしなかったコロナ禍に見舞われ、
昨今はロシアのウクライナ侵攻のゆくえに
戦々恐々としている。

ただ、O氏は亡くなってしまったけれど、
11年経って
今の私たちはまだ元気にしていて、
死はさほど近いものにはまだ感じられない。

当時、彼はどんな気持ちで過ごしていたのか、
お酒の量が尋常ではなかったし、
いろいろ悩ましい思いもあったと
聴いている…。

今日は彫りの作業を何時間も続けながら、
昔のことをたくさん思い出していた。

故人を思い出すことがご供養になるというなら、
私達は同じ時代を過ごしたO氏を
決して忘れないだろう。





















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