4月5日は二十四節季では「清明」
花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り
爽やかな風が吹く頃
とある。
今日は日差しもうっすらとして
爽やかな風がそよそよと吹いて、
実に気持ちのいい1日だった。
お茶のお稽古の日だったので、
私は春らしい黄色をメインに
薄紫や薄緑などがブロック柄で織り込まれた
紬のきものに
古代紫の塩瀬の帯を選んで締めた。
帯の柄は蝶々なので、
まさに「清明」の候にふさわしい。
昼前に家を出て、
坂道を駅に向かって下っていると、
途中で品のいいおじいさんとすれ違った。
いきなりおじいさんは立ち止まり、
私の着物姿を見てこう話しかけてきた。
「お茶会ですか?」
「いえ、お茶のお稽古にいくところです」
「そうでしたか。
実はうちに風呂釜があるんですが、
よかったら使っていただけませんか」といって
自分はすぐ上のマンションの403号室の
○○ですと名乗った。
聞けば、奥様が使っていたものだけど、
持て余しているご様子。
「女房はあっちにいってしまったので…」と
空を指さした。
そのおじいさんがひとり取り残され、
どうしたものかと家の中のお茶道具を
眺めている様子が目に浮かんだ。
もちろん、初めて会った人の家に行って
風呂釜をもらい受けるわけにもいかないので
私は名乗りもせずに会釈して別れたが、
春は出会いと別れの季節だなと
なんだか切ない気持ちがこみ上げてきた。
駅まで近づくと
橋の下を流れる大岡川をピンクに染めて
桜の花びらが帯のように
流れていた。
桜の木の花びらはあらかた散ってしまったけれど
はらはら舞う花びらと
水面や路面に散り敷いた桜は
心に染み入る美しさで
満開の桜とはまた違った趣がある。
何だかさっきのおじいさんの心模様のような
気がして、
403号室を尋ねてみようかという思いが
ちらとしてきた。
もちろんそんなことにはならないのだが、
桜の花にはそんな魔力がある。
4月のお茶のお稽古は
「旅箪笥」と「釣り釜」というお道具組。
釣り釜は、冬場の炉の中に据えるお釜から
徐々に五徳をはずして釜の位置を上げ、
天井からつるした鎖にひっかけて
使うお釜だ。
こうして徐々に風炉の季節へと移行する。
旅箪笥も4月ならではのお棚で
棚というより箱型をしており、
野点で使われたりもする。
以前、桜吹雪が舞い散るお寺の境内で
旅箪笥を使ってお茶会が開かれたことがある。
朱い毛氈を敷き詰め、
桜が舞い散る境内でお抹茶をいただくなんて
優雅なひとときだったと思い出す。
その日はたしか4月8日の花まつり、
つまりお釈迦様の誕生日だったと
記憶している。
やはり4月は別れと出会いとが交錯し、
それぞれの胸に去来する出来事がある、
そんな季節だとしみじみ思う。
あと1週間で私も誕生日。
案外、自分はそんなセンチメンタルな月に
生まれたんだなと
初めて思った。
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