2023年12月10日
あと今年も20日で終わろうとしている。
ここ数日、
年賀状の準備に取り掛かっているのだが
例年より、少し早いかもしれない。
毎年、11月半ばぐらいから
喪中はがきが届き出すが、
今年は仲のいい友人の義理のお父さんが
102歳で亡くなり、
彼女からの喪中はがきは届かないことが
わかっている。
それと数日前に
夫の妹の連れ合いが亡くなり、
お葬儀も来週なので、
そこからの喪中はがきも来ないだろう。
年賀状の準備を始めるにあたっては
喪中はがきの整理を含め、
お出しする予定の名簿作りから始まるわけだが
毎年、感じることがある。
それは12月に亡くなる方の何と多いことか。
よく暑い夏を越せなくて
夏に亡くなる方が多いと聞くが、
12月は病に臥せっている方が
諦めて、もう年内にお終いにしようと
思われるからではないかと感じている。
今までにも、大阪の叔母や名古屋の叔母、
親友も12月におくったことがある。
夫の妹の連れ合いも
今年の年始めの親族会で会った時には
とても元気な様子だった。
それが約1か月ほど前、
「今、ICUに入っている」と義妹から連絡があり
思いもかけない早さで
天に召されてしまった。
まだ71歳である。
お葬儀がまだなので、
詳しいことは聴いていないが、
もしかしたら本人が諦めてしまったのかなと
思っているところだ。
人の命はその人の「生きようとする力」に
因るところが大きいと考えているのだが、
「来年の桜を観るまでは」とか、
「孫の結婚式に出るまでは」とか、
何かとかどこまでのような目標がある時は
そこまでは頑張れるような気がする。
逆に、「もう十分生きたから」とか
「もうこれ以上頑張れないから」とか
「年内でさよならしたい」と思ってしまうと
12月に逝ってしまうような気がしている。
年賀状の名簿を作り始める時、
そんなことを思い浮かべながら、
まずは喪中はがきをいただいた方のお名前を
名簿の左端に書き出す。
今年はおつきあいのあったご本人が
亡くなったというお知らせは1枚だけだった。
後は友人から、ご親族が亡くなったという
お知らせだったが、
少し前までは親御さんのお知らせだったのが
今は本人のダンナさんやご兄弟など、
代が子世代に変わってきている。
もう自分もいつそういうことが起きても
おかしくない歳なんだなと
感慨が深い。
来年は「辰年」
毎年、干支をモチーフに
木版画の年賀状を創っている。
実は私は年賀状作りが苦手である。
相手がはがきサイズで小さいため
本バレンでは作業がチマチマするし、
和紙に摺るより葉書は絵具のノリが悪いので、
力加減が難しく、とても摺りにくい。
しかも、年ごとに、
年賀状は簡単に作る風潮があるので、
いただく年賀状も
両面とも印刷で済ませる方が多く、
それも手作り派の士気を下げている。
それでも、今年も版画の年賀状を創るのは
私の年賀状を楽しみにしてくれたり、
集めてとっておいてくれる人がいるからで、
「その1年、ミニ額に入れて楽しんでいます」
などと言われると嬉しくなる。
中には「本当は喪中だけど、
1月中ばになったら、版画の年賀状欲しいわ」
なんていう友人もいたりする。
そうなると、
次の1年は印刷でというわけにもいかないので
肩を丸め、目をしょぼつかせながらも
今年も1枚1枚摺っているというわけだ。
2023年は夏が長く、
10月になってもまだ夏日が続いたりして、
少し涼しくなったと思ったら
すぐに年の瀬になり、
とても短く感じた。
それは周りの方が、口を揃えるので
誰もが感じているのだろう。
日本は四季ではなく、二季になるらしい。
さて、来年はどんな年になるのやら。
個人的には特段、大きなイベントもないし、
家族にもそうした向きはないのだが、
『平穏無事』であることが何よりと
「大きな日の出を背にした龍」を
1枚ずつ摺りながら、祈った。
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