数江邸外観
著書「わび茶への道」
著書の中の数江瓢鮎子氏
茶会の係分担表
後ろ姿が炉のお炭を直す席主Uさん
その向こうがお茶の先生
ひさご=ひょうたん
鮎(ひさごにのせて完成)
左から蘭奢待・霜降り昆布
寒氷「ひさご」
2023年12月3日、
「数江邸を味わう会」と称した茶会が開かれ、
今朝は4時起きして着物を着付け
主催者側のお手伝いとして参加してきた。
数江邸というのは都内某所にあり
スペイン風の外観をしているが、
中はすべて和風の建築で
母屋に茶室を二間有し、
広々とした庭に別棟として小間席がある。
何百坪はあろうかという豪邸で
国の有形文化財に指定されているが
今は誰も住んではいない。
以前のこの家の持ち主、数江教一氏は
没後20年になるが、
大学教授であり、数寄者であった人物で
表千家茶道に深く関わりがあって
「わび茶への道」などの著作も多い。
ご存命当時、
我がお茶の先生は、数江先生のところに通って
お茶の指導を受けたり、
懐石料理の柿傳でお茶事を行ったりしていた。
我がお茶の先生にとっては
恩師であり、
いろいろな影響を受けた人物のようである。
しかし、数江先生亡き後は
先生も数江邸に行くこともなく
ご縁も途切れたかに思えた昨今だったが
ひょんなことから
一番弟子のUさんがこの邸宅の再生計画に
加担することになった。
建築物としての価値を評価する住宅トラストが
この邸宅を、今後、
お茶席として活用できないかということで
今回、初の試みで
お茶会が開かれることになった。
そこで、お茶会の主催者として
席主を務めることになったのが
件のUさんである。
Uさんにとっては初の席主デビューになるお茶会、
デビューが小間席というのは
実は難易度が非常に高いのだが、
数江氏の思い入れのあった小間を使って
お茶会をしてほしいというのは
残された数江氏のお嬢さん(といっても80代)の
たっての希望でもあったという。
数江氏の茶人としての名前は
数江瓢鮎子(かずえ ひょうねんし)
その名にちなんで
随所にひょうたんやあゆがちりばめられた
思い入れの強いお茶会の始まり始まり。
建物内部の写真は公開NGがかかっており
しかも主催者側はスマホを手に
お茶会の撮影に動き回ることができないので、
限られた写真しかないのが残念だが、
そのこだわりの瓢箪尽くしをご覧いただきたい。
数江氏が号を「瓢鮎子」としたのは
「ひょうたんなまず」からとった
ある意味、自虐的な名前だと思うが、
生前「ひょうねんしのねんは決して鯰じゃなく
鮎の方の字を使うんだからね」と
いっていたそうな。
そこで「主菓子」には
鶴屋八幡製の「ひさご」を使っているが
ひとひねりして
そこに鮎を乗せ「からこま」とした。
「からこま」とは「瓢箪から駒がでる」から
来ていて
瓢箪から鮎が出てきたというユーモアあふれる
半生菓子の出来上がりである。
そのアイデアは今回のお弁当担当の
「柿傳」の女将さんのアイデアだという。
また、七畳敷という茶室のお軸には
大綱和尚の筆になる
ひょうたんの絵に添えられて歌が書かれており
「うかうかと暮らすようでも瓢たんは
むねのあたりに〆くくりあり」とある。
大綱和尚は江戸時代の大徳寺のお坊さんで
詩歌を好んで読み
お軸として残している。
この歌もそこはかとなく可笑しみがあり、
深い意味も読み取れる一軸である。
この七畳敷では点て出しといって
次の間で点てた薄茶が振る舞われたのだが
その際の干菓子の中にも
一幸庵製の寒氷「ひさご」があり、
これでもかのひょっこりひょうたん島である。
他にも写真に撮り損ねたが、
柿傳の立派なお弁当の中に
ひょうたんをかたどった卵焼きがはいっていて、
美味しいだけじゃなく
ここにも「ひょうたん、出ました~」と
思わず笑ってしまった。
ただ、このお茶会の最も大きな目玉の出し物は
たぶん主茶碗だと思う。
人間国宝十代三輪休雪作の茶碗に
数江氏が渦のような絵を描いたもの。
先々代の表千家の家元・即中斎がそれを見て
「酔眼」と銘を打ち、箱書きを書いている。
あまりの大物登場にビックリするが、
なんと、お点前を仰せつかった私達は
そのお茶碗を使ってお茶を点て、
お正客さんにお出しした。
手が震えて取り落とすんじゃないか、
どこかにぶつけて割ったりしないか、
お点前も水屋係も気が気じゃなかったが
そんなこんなを言ってられない現場が
ここにある。
しかも他のお茶碗やお茶器、蓋置に至るまで
作者を聞いて驚く銘品ばかりで
本当に恐れおののいている場合じゃなかった。
とにかくやるしかない。
臨機応変力を最大限に発揮して
チームお社中として
ひとりひとりが与えられた持ち場を
精一杯こなした。
席主デビューのUさんを盛り立てるべく、
人事課長K姐さんは綿密な人の配置表を作成し
私達も幾度となくお掃除隊を編成しては
雑巾を手に邸宅の畳や廊下を駆け巡った。
迎えた当日、
お天気担当??の私は
いつもより真剣に暖かな小春日和を祈念し
その通りのお天気を呼び込むことに成功した。
終わてみれば、どのお客様もご満足の様子で
それぞれが数江氏との思い出を語り、
数江邸に対する思い入れのあるまなざしを
送ったことで
静かな空き家に息吹が戻り、
にわかに活気づいた。
今後、この邸宅を有効活用するには
まだまだ問題が多そうだけど、
微力ながら、一役買えたことと、
みんなのパワーがさく裂して
ひとつのことを成し遂げた喜びが
こみ上げてきた。
きっと数江瓢鮎子氏は
今頃、空の上から
「やれやれ、やっとるな」と
苦笑いしているに違いない。
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