3月30日、
お茶のお稽古で
今年の利休忌が行われた。
利休忌とは、
茶道の祖である利休さんを偲んで、
表千家茶道の家元を筆頭に
全国各地のお茶のお稽古場で行われる
行事のひとつである。
茶室の床の間には
利休さんのお姿が描かれたお軸がかけられ
菜の花が活けられる。
まずはお茶湯といって
利休さんにお茶が供えられ、
お社中のメンバーが一服ずつ薄茶をいただく。
その後は、年によって内容は変わるが、
普段はできない七事式と呼ばれる
8種類の茶道のお遊びの中から
いくつか選んで楽しむのが恒例だ。
今年は午前中に「廻り花」と「花月1組」
午後から「茶かぶき」と「花月2組」が
行われ、
私は「お茶湯」「廻り花」「花月1組」
そして、「茶かぶき」に参加した。
「廻り花」はひとつの花入れに
メンバーが順番に花を生け、
景色の変化を楽しむというもの。
竹の花入れには3つの段があり、
それぞれに活けた花の組み合わせで
全体のバランスが変わる。
もちろん、茶花の生け方の勉強を
楽しみながら体験するというのが
主なる目的だ。
「花月」というのも七事式のひとつ。
5人1チームで行い、
折据という小箱に入れた小さな札の絵柄で
役目が変わり、
お茶を点てる人、お茶を飲む人が
入れ替わりつつ
作法に則って所作を行うというもの。
「花月、百篇おぼろ月」という言葉があるほど
実は難解なゲームで
100回やっても
なかなか理解できないという意味だ。
というわけで、お遊びと言っても
道は険しく、奥深い。
最後の「茶かぶき」とは
お濃茶の聞き茶のようなもの。
亭主に指名された人が、まず、
「上林」と「竹田」という2服の濃茶を点て
5名のお客様が順番に飲んで、味を覚える。
次に、本茶と呼ばれる先の2服と同じお茶と
更に別のお茶の計3服を飲んで
そのお茶の名前を当てるというゲーム。
(つまり、濃茶を5服飲むことになる)
今回の七事式のメインというべきもので
コロナ禍の間は全くできなかった
ひとつのお茶碗で数名が飲み回すという
お濃茶ならではの作法が
今年、4年ぶりに復活したことになる。
「茶かぶき」においては
私の役目は「執筆(しひつ)」と呼ばれる
記録係。
京都の家元では
この役目は家元自身が勤める
重要な役どころ。
亭主に続いて、料紙と呼ばれる奉書の束と
硯箱をもって席入りし、
お客様が本茶を飲んで、この味は何々と
思い定めた名のり札を回収し
それを奉書に記録する係。
訪問着を着て、袋帯を締めたいでたちで
前かがみになり、
硯で墨をすり、筆で奉書に記録する。
硯で墨をするなんて半世紀ぶりだし、
畳に広げた奉書に筆で文字を書くなんて
考えただけで無茶な話だ。
今朝、朝ご飯を食べた後に、
着物の着付けを終え、
試しに前かがみになって
スケッチブックに筆ペンで練習してみたが
とにかくお腹が苦しくて
ほとんど吐きそうになった。
筆ペンを使ってテーブルで書いたとしても
大した字が書けるわけではないのに
畳の上の奉書に毛筆で書くなんて
できる道理がない。
この役が振られるなんて
なにかの罰ゲームかと思うほど、
憂うつな気分だった。
しかも、それは単なる記録というだけでなく、
3服全部当てられた人には
書いた奉書がプレゼントされる。
お家元では、当てた方は家元の手になる
奉書がいただけるとあって、
選ばれたお客様役の方々は
はりきって茶かぶきの式に臨まれる。
いただいた奉書は持ち帰って表装するという。
きっと家宝にするにちがいない。
しかし、今日の茶かぶきで全部当てても
私の書いたかなくぎ流の文字では
もらっても有難迷惑というものだろう。
内心、だれも当てられませんようにと願ったが
願いもむなしく
5名のお客様の内、
5番目に飲んだお客役の人が
3服とも名前を当てた。
その方は期せずして同じ曜日のメンバーで
とても喜んでくださったけど、
本心はどうか、真意のほどは分からない。
ともあれ、
本日の一番の緊張の役どころは
こうしてなんとか無事に終了した。
今日は茶かぶきに臨む衣装として
濃い紫の地に桜の花びらが舞い散る訪問着を
選び、
帯は同系色の袋帯、
帯締めに桜色を指し色にしてみた。
今年の桜の開花は例年よりだいぶ遅れ、
ようやく昨日、
東京に桜の開花宣言が出された。
この時期にしか着ることのできない桜の柄。
しかも、桜柄はお花見には着てはいけない
暗黙のルールがあるとか。
日本の春を寿ぐ着物に身を包み、
お濃茶の一座建立の文化の復活を歓び、
お茶の同好の士と共に
伝統文化に頭と体を使った濃い1日。
いやはやお疲れ。
やっぱり帰宅後はビールが旨い。