今日は2024年最後の本摺りを決行した。
暑い夏には摺りの作業はクーラーがつけられず
出来ないので、
6月の半ばに紫陽花展を終えた後、
4点一挙に原画を起こし
7月から9月までかかって彫っていた。
10月に2点、11月に2点、
それぞれ試し摺りをとって本摺り、
試し摺りをとって本摺りという順番で
摺りの作業を進めてきたが、
これが最後の4点目の本摺りになる。
作品の大きさにもよるが
中程度のものでも
試し摺りをとった後、
彫りの調整があって、
本摺り前日には
絵具の調合と和紙の湿しがある。
そして、本摺りには2日間もしくは
3日間の余裕をもって臨んできた。
しかし、最後のこの作品は最も小さいので
本摺りも今日1日で仕上げることが出来た。
本摺りの作業に入ると
途中でやめることが出来ないので
気持ちが途切れたり
何かご飯を作るとかの用事が
もっともイライラする。
しかし、昨日からダンナが石垣島に
ツーリングに行ってくれたので
今回の本摺りはとても気持ちが楽だ。
昨日の昼頃
大きな大きな自転車が入ったバッグと
リュックを車に積んで
ダンナを横浜のYCATまで送り届けたので
そこから後は私一人の時間だ。
アトリエに籠り
絵具の調合をしても、和紙の湿しをしても
思わず鼻歌が飛び出る。
本摺りの今日は
石田組と聖矢君のCDをかけ倒して
背中を押してもらって摺りに集中した。
この作品は来年の「文学と版画展」の装丁に
使うつもりの作品だが、
もちろん小品として独立した作品だ。
むくげ一輪が中央にポンとあるだけの
シンプルな作品で
夜明け前の暗闇に浮かび上がるように開花し
朝日が一筋差し込んだというイメージ。
むくげという花が
お茶の世界では夏の女王のような花であり、
韓国の国の花でもあるという話は
前回の作品の本摺りのブログの時にも
書いたと思うが、
いずれもむくげの担っている役割は大きい。
いろいろな解釈が出来ると思うが
この作品のタイトルは
「夜明け」にしようと思う。
2日前、急に思い立って
スマホを買い替えた。
今まではだいぶ古い機種で
カメラのレンズが小さいのがひとつしか
ついていないタイプだったのだ。
それで特段、困っていたわけではないし、
バッテリーがすぐなくなるとかでもなかったが
ブログに大量の写真を載せているし、
お正月におせち料理を作って撮る時に
もっとカメラの性能がアップしていると
いいかなというのが買い替えた理由だ。
ただ、スマホを買い替えるのはいいが、
新しいスマホへのデータ移行と初期設定、
古いスマホの初期化など、
今は何でも自分一人でやらなければならず、
これが難儀なことこの上ない。
前回はソフトバンクのコーナーで
データ移行もしてくれたが、
昨今は人のデータを飛ばしたりして
問題が多発したので
それは出来なくなったとか。
頼みの綱の次女が年末に帰ってくるのを
待ってお願いするという手もあるが
「塩対応」が目に見える。
今回はとにかくひとりでやってみようと
決心し、
昨日、アップル・サービスセンターなる
ところに2回も電話をして
何とかすべてのデータを移行し、
新しいスマホで今まで通りのやり取りが
できるようになった。
私はブログを仕事用HP2本とマップ1本、
プライベート用1本とで
計4本も毎週、掲載しているにも関わらず
こんなにあたふたしていては
本当に心臓に悪いなと思う。
しかし、何とか、
表紙の壁紙も新作版画に張り替え、
「私の新しいスマホ」が出来あがった。
表紙に孫の写真とか使わないことが
私の矜持である。
さて、新スマホのカメラで撮った
初めての画像はいかに。
それも版画家としてのプライドで
今回の本摺りシーンを撮ることにした。
多少、今までのものより
鮮明な印象がするのだが
いかがだろうか。
今、表紙はこんな作品を壁紙にしたと
ブログにアップするために
スクショをしたかったのだが
以前のスマホと同じ方法ではできないので
迷子になってしまった。
ヤレヤレ…。
一方、スマホの保護シールは
何とか空気を入れずに
きれいに貼ることが出来た。
目下の私はこの程度のスキルではあるが
新しいスマホが稼働し、
新しい作品の本摺りができ上がり、
始めて丸2か月で
カーブスでの効果が少し出てきた。
何事も結果にコミットできると
ちょっと嬉しい!
そんな11月の月末である。
2週間ぶりにばぁばご飯を作りに
娘の家に行ってきた。
この間、娘宅の料理当番であるトトが
なんと肺炎にかかって戦力外になっていたとかで
娘宅の11月の食糧事情は酷いものだったらしい。
そういえば、11月4日に
七五三で会った時も、
娘宅のみんなは鼻水をたらしていたり
咳をしていたりしていた。
とりわけ、婿であるトトは
体調が悪そうだったが
それは単なる風邪ではなく
肺炎だったとかで
我慢強いタイプなので分からなかったが
相当、辛かったようだ。
そんなわけで
久しぶりのばぁばご飯を前に
昨日も「ようやくばぁばご飯の日が来たね」と
話していところなどと言われ、
孫1号も2号もいさんで自分のお皿に
食べたいアイテムを取り分けていた。
本日のメニューは
「晩秋のばぁばご飯10品」
春巻
カリフラワーのグラタン
豚肉のキノコのせ
カジキマグロの青じそトマトソース
大根のじゃこのせサラダ
ほうれん草のピーナッツバター和え
カボチャのロースト粉チーズがけ
鶏モモのネギ塩のせ
巾着卵
けんちん汁
以上10品
いつものご飯という感じもするが、
食材が秋の野菜が多いというあたり
晩秋の献立と言えよう。
大根・かぼちゃ・ほうれん草・きのこ類
孫1号も2号もいろいろな野菜をまんべんなく
食べさせてきたので
好き嫌いなく育っている。
今日も二人とも
とりわけ
巾着卵とカリフラワーのグラタン
ほうれん草のピーナッツバター和えは
外せない様子だった。
春巻がメインの時は
実はレストランとかで出る春巻の
2倍以上の量の具が入っているので
それひとつだけで子どものお腹はいっぱいに
なるほどだけど、
これまた外せないとばかりに
かぶりついている。
孫1号からは
「お外で食べる春巻より美味しい」の言葉と
孫2号からは
「今日のお汁、美味しい」の言葉をもらい
「よしよし、愛い(うい)奴らじゃ」と
ばぁば冥利につきた。
食育は子育ての柱だと思っているが、
今の若い世代は働くのに忙しいので、
ついいい加減になる。
冷凍庫は冷食でいっぱいだし
カレーはレトルトが美味しいとか言っている。
ばぁばとて忙しいのは変わらないのだが
こうして月に数回、
喜んでくれる人がいるのは嬉しいので
娘宅の栄養士として
助けてあげようと思っている。
来週のばぁばご飯の時までに
孫1号がご飯のお礼にリリアンを編んで
くれるという。
好きな色を訊かれたので
紫と黄緑の組み合わせでお願いした。
リリアン
私が小学生の時にも大流行した。
娘の小学生の時にも流行ったという。
3世代の垣根を越えて
紡ぎ続かれるリリアンのように
ばぁばご飯の味も
時を越えて受け継がれていきますように!!
昨日の夜、
パティシエ学校の講師仲間3人で
中華街に繰り出し
ちょっと早い忘年会を行った。
月曜日の夜ということもあってか、
予約した店も含め
中華街全体に人が少なく、
呼び込みなどの声もしない静けさだった。
私は中華食材がいくつか欲しかったので
集合時間より前に中華街に向かった。
地下鉄の関内駅から地上に出て、
JR関内駅の手前をスタジアムの方へ曲がる。
夕方5時、
今日は野球の試合がないが
スタジアムのライトだけは
煌々とついていて美しい。
つい先日、日本一になった
横浜ベイスターズの本拠地のスタジアムだが、
今日はただライトだけが夜空に輝いていて
スタジアムの周りを行き交う人もまばらだ。
そこから中華街の門をくぐり、
中心部への道を進むけど
やはりまだここも薄暗く
人通りも少ない。
そして、中央部の始まりである
もう一つの門をくぐると
ようやく繁華街らしい賑わいになった。
しかし、横浜中華街のお店も
ここ数年で相当入れ替わり、
今や小籠包や肉まんなどの
立ち食いの店が増え、
若者たちがそぞろ歩きしているか、
買い食いしている行列ばかりが目に付く。
台湾勢の進出も多く、
台湾小籠包や
ぺったんこの鶏のから揚げのお店も
何軒もある。
それもやはり店先で買い、
その場でかぶりつくスタイルだ。
私達は「華錦飯店」という
中央の通りからはかなり外れた
知る人ぞ知るといったローカルな店を
予約してあったので、
中央の通りをずんずん進み
脇道へと入っていった。
このチームは会う時はこの店と決めていて
年に2回ぐらい会食を楽しんでいる。
私は食事の前に買い物がしたかったので、
まずはその店を目指した。
レストランの近くに
中国食材を売る小さなお店がある。
ただいろいろな中国食材を棚に並べただけの
昔風の店構えのその店は
中国人の店主ひとりが店の奥に座っている。
私のお目当ては
紹興酒ときくらげなので、
まず、紹興酒のコーナーで立ち止まり
いくつかの酒瓶を見比べ
料理用に使うならどの程度にしようか悩んだ。
そんな客を見たら、
「何かお探しですか」とかいって
お店の人が声をかけてきてもよさそうなものだが
この店は全くの放置プレイだ。
私は3年、5年、7年とあるなかで
5年物の紹興酒を手に取った。
400円、安すぎる。
次にきくらげのコーナーにいくと
2種類の袋があったが、
いずれも日本のスーパーで見るような
小さなパックに10個ぐらいしか入っていない
ものを見慣れている者にとっては
いかにも大量で驚く。
大きい方は「枕ですか」と言いたくなるほどで
800円はとても安いと思ったけど、
そこまで使い切る自信がない。
きくらげのコーナーは店主の近くだったから
何か声をかけてくるかなと思ったが、
ここでも何も言ってこなかったので、
どうやらここの店主は商売をする気は
ないらしい。
結局、やや割高になるけど
小さい方のきくらげを選んだ。
100個ぐらい入っていて350円。安い!
そして、
紹興酒コーナーからきくらげコーナーへ
いく間に見つけたスライスアーモンドは
お正月の「アーモンド田作り」に
欠かせないので、
是が非でも買わなければと思った。
こちらは、ぱんぱん大袋で750円。
予定外のスライスアーモンドが
一番高価であった。
亭主は最後までレジ横に座っていて
私がカウンターに商品を置くと、
無言のまま薄いビニール袋に
いきなり酒瓶を突っ込もうとしたので、
「割れないように何か巻いてください」というと
新聞紙を出してくるりと巻いた。
日本語は通じるが、実に素っ気ない。
3品で計1500円。
昔の中国がここにある気がした。
買い物を済ませ、予約してあったお店に到着。
3人が揃ったところで、
ここの自慢の料理をいつも通り何品か注文した。
半年ぶりにこのレストランに来たが、
写真入りのメニューの値段の部分には
ことどこくシールが貼られ
軒並み値上がりしていることが判る。
このお店は隣で鮮魚店を営んでいるので
ネタの良さとリーズナブルな価格がウリだった。
しかし、この価格高騰の波は
ここにも容赦なく押し寄せているようで
何度か来ている私達は顔を見合わせ
「これってこんな値段でしたっけ」と
シールの下の値段を思い浮かべた。
お味はどれも美味しく
以前と同じで安心したけど、
そこまで変わってしまうとなると
客足は遠のくことだろう。
私達はこの店でも
5年物の紹興酒を、熱燗で注文してみたが
こちらはお料理にとてもよく合い、
深みのあるいい味わいだった。
たぶん同じ5年物でも
さきほど買った5年物紹興酒とは
全くの別物だろうという気がする。
帰り道、
みんなで中央通りを歩きながら
周囲を見渡すと
「萬珍楼」や「同發」など
何十年も昔からある大店が
「定休日」の看板を掲げて閉まっていた。
それらの店は店構え自体が立派で
中では円テーブルを囲んで中華のコースや
ふかひれや北京ダックなどがいただけた。
東京に住んでいた私達家族も
特別なイベントとして横浜に来て
その豪華な食事を楽しんだものだ。
そんな在りし日の姿が
蜃気楼のように浮かぶが
看板も中も電気が消えて
真っ暗になっている巨大な料理店は
その栄華を知るだけに寂しさが迫る。
スタジアムに近づくと
行きには煌々とついていたスタジアムの
ライトも消灯していて
関内駅への抜け道も真っ暗だった。
早めの忘年会。
暑い暑いと言っている内に
秋もなくいきなり冬になり
暮れていく2024年。
なんだか切ない気分になりながら
お腹に入れた紹興酒の味と
お腹に抱えた紹興酒の重みを感じた。
11月22日の夜
「熱狂の夜」石田泰尚スペシャルと題された
6回連続公演の最終公演を聴きに行ってきた。
1回目は6月3日「無伴奏」
2回目は7月2日で「デュオ」
3回目は8月30日で「トリオ」
4回目は9月24日で「カルテット」
5回目は10月17日で「アンサンブル」
6回目は11月22日で「コンチェルト」
音楽に精通している方なら分かる通り
回を追うごとに演奏家の人数が増えていく。
そして、中央にはいつも石田様が立ち
ヴァイオリンのソロを弾く。
そんな石田泰尚スペシャル
最終回は自身がコンサートマスターを
長く続けてきた神奈川フィルハーモニー管弦楽団
総勢約50名を率いて
全編、ソリストとして舞台中央に立ち、
演奏していた。
つまり、これがこの6回公演の集大成とでも
いうべき、エンディングであった。
曲目は
前半が、エルネスト・ブロッホ作曲
ヴァイオリン協奏曲
後半が、フィリップ・グラス作曲
ヴァイオリン協奏曲第2番
「アメリカの四季」
そこで、「へ~っ」といえる人はほとんどいない
全くポピュラリティのない選曲。
ひとえに石田様の好みで
この2曲を演奏すると決まったらしい。
指揮者の中田延亮さんでさえ、
今回、初めて譜面を見、
初めて指揮をした曲と語っていたほどだ。
当然、私はもちろん、一緒に6回聴いてきた
石田様フリークの友人でさえ、
全く知らないコンチェルトだった。
しかし、
熟睡必至と思われたが、
演奏が始まるとすぐに映像が
私の脳裏に拡がった。
2曲とも映画音楽のような曲調で
違うタイプの映像ではあるが
かなり鮮明に動画が脳裏を駆け巡った。
これよりは私の妄想劇場になるが
お許しいただきたい。
1曲目のヴァイオリン協奏曲は
最初のシンバルの音と共に
大きな重厚な扉が「ギギーッ」と開かれ、
中には淡いピンクの薄衣を身にまとった
美しい女性が立っている。
どうやら場所は中国。
時代は現在より200~300年は遡る。
カメラが部屋の奥の引きの映像になると、
皇太后が座るような椅子にその女性は座り
その前に長く伸びたテーブルには
あまたの料理が並べられ
兵士と思われる男性たちが酒盛りをしている。
曲調が変わると
今後は場面も転換し、
広い中庭で女性達が薄衣の裾をなびかせ
優雅に踊る場面になった。
栄華を極めた頃の中国の宮廷なのか、
大河ドラマのような壮大なスケールで
豪華で重厚な映像が延々と流れた。
これが1曲目の妄想劇場である。
2曲目は「アメリカの四季」と題され、
一定の音型を反復する
いわゆるミニマル・ミュージック。
解説には
ヴィヴァルディの「四季」に対抗して
作られた曲とあるが、
どのパートがどの季節なのか
作曲家からは明かされていないとかで、
実際に聴いても、
第1楽章が春なのか夏なのか
第2楽章が夏なのか秋なのかなど
全く分からなかった。
ただ、こちらの曲も映像は鮮明に出てきた。
ここからは2曲目の妄想劇場。
白い木製の窓枠に白いレースのカーテンが
かけられているが
結露による水滴がびっしりついていて
窓ガラスが白く曇っている。
外は冷たい雨。
部屋の中央のテーブルの前に女性が座っていて
タロット・カードで占いをしている。
女性の少し骨ばった白い手が
最後の1枚をめくった。
思ったカードが出たのに逆さまだったせいで
意味合いが逆になる。
女性は小さくため息をつき、
画面が女性の顔のアップになると
一滴の涙が頬を伝った。
曲調が変わると
女性は傘を差し、表に出て歩き出した。
雨と共に真冬の冷気がしんしんと女性の体を
包んでいる。
あるアパルトマンの前で止まり、
玄関のチャイムを鳴らすと
ドアの向こうに細身の男性が現れた。
彼女の恋人のようである。
男性はヴァイオリニストで
ちょうど今も次の公演のための曲を
練習していたところらしい。
ドアの向こうに女性を見つけた男性は
ちょっと驚いたような表情をした。
それでも、すぐに柔和な笑みを浮かべ、
手を差し出して、女性の手を取り
部屋の中に招き入れた。
彼は「手が冷たいね」と言ったけど、
そう言った男性の手もとても冷たかった。
ここからラブシーンでも始まるのかなと
私は密かに期待したけど、
次のシーンはなぜか
男性は隣の部屋に行ってしまい
ヴァイオリンの音が聴こえてくるばかり。
女性はひとり部屋に残され、
しかたなくキッチンに向かい
シチューでも作ろうかなと思っている。
そんなフランス映画のような映像が
次から次へと流れていった。
ヴァイオリニストの男性は石田様に違いない。
思いを寄せる女性がいたとしても
彼のような自分の世界がありすぎる男性は
結婚という型にははまり切らないし
たとえ、一緒に暮らすことになっても
女性は孤独だろう。
ひとりでいる孤独より
ふたりでいるのに孤独な方が
より孤独感は強い。
そんな美しくて寒々しい
ペールトーンの映像が流れていたので
「アメリカの四季」というタイトルとはかけ離れ
題するなら「フランスの冬」という感じだった。
ミューザの2000人近い聴衆の中に
同じような映像が浮かんでいる人はいないと思うが
いつもながらの私の勝手な妄想劇場は
今回は中国とフランスを舞台にして
旅に連れ出してくれた。
演奏が終わってみれば、
6回続きの公演も最終日。
やり切った感満載の石田様が
観客に向かって何度も何度もお辞儀し
声援に応えていた。
また、再来年あたりに
この「熱狂の夜 第3弾」があるかもしれない。
その時はまたチケットを買わなければと
友人と約束した。
石田泰尚というヴァイオリニスト
今、一番脂ののった50代初め。
私達は時代を共にし、
その世界に浸る歓びを感じた夜だった。
昨日と今日の丸2日かけて
新作の本摺りをした。
先月は「蓮」の花だったが
今回は「むくげ」の花。
初めて摺る「むくげ」の花はかなり手強い相手。
どこが手強いかというと
木版画で白い花を摺ることが難しいから。
白い花の影をグレーにしてしまうと
たちまち石のように硬い感じになる。
プレバトの鉛筆画の先生ではないが、
影といえばグレーと決めつけると
味気ないし、硬くなるので
そのものの質感を考慮して他の色を使う。
先週、試摺りをとりながら
今回は紫を使った柔らかいグレーと
淡いピンクを使い
花の陰影を表現することにした。
更にパールホワイトという絵具を混ぜて
2版目にさらに3色のせ、
花の地模様とでもいうべき表情を出してみた。
「むくげ」の作品をなぜ手掛けたかというと
来年の「文学と版画展」に出す
装丁に使おうと思ったからというのが
直接的な理由だ。
来年の9月初めの展覧会のために
1年も前から準備するのかと
思われるかもしれないが、
まず、どの本の装丁にするか決め、
そこに登場させる花の時期によっては
取材が必要だからだ。
むくげは夏の花。
それを使うとなったら、
来年の春になって取材しようと思っても
夏の花はまだ咲いていない。
かといって
8月に咲く花を待っていたのでは
その年の9月初めに作品が間に合わない。
というわけで、
結局、今年の8月に取材したものをデザインし
8月下旬から彫りだし
順番からいって、むくげを蓮の作品の後にしたので
11月になって試摺りと本摺りになった
ということである。
来年の文学と版画展に出したいという理由の
他にも
「むくげ」には思い入れがある。
お茶の世界で
夏の茶花の代表が「むくげ」である。
冬の代表は「椿」
「むくげ」と「椿」は両横綱というか
東西の女王様なのだ。
いずれも茶室の床の間に
一輪、ポンと活けてあるだけで
場の空気が引き締まり、華やぐ。
そんな格調高い花が「むくげ」である。
また、「むくげ」は韓国の国の花でもある。
来年、装丁に使おうと思っている本は
「利休にたずねよ」なのだが、
そこに出てくる韓国から売られそうになって
やってきた女性を
利休が救うというお話で
その中で
「むくげ」がとても象徴的に登場し
印象深い花なのだ。
韓国から日本に渡ってきて
「唐物」といって
珍重されている茶器もあるように
「むくげ」はある意味、
日本と韓国との橋渡し役でもある。
わたしも40年以上の長きにわたって
お茶のお稽古をしてきたので、
むくげの花を作品で手掛ける意義を感じている。
白い花は難しいからと苦手意識で
遠ざけてきたところがあるが、
ここでひとつ正面からぶつかって
自分のものにできたらという思いで
今回のテーマに挑戦してみた。
なんだか加賀友禅の着物みたいな感じに
見えなくもないが、
皆さんにどのような感想をいただけるのか
楽しみにしている。