秋の訪れは金木犀の香りから始まる。
例年、10月1日にカレンダーをめくったかのように玄関ドアを開けた瞬間
我が家の玄関脇に植えてある金木犀のオレンジ色の小さな花から
甘い香りが立ちのぼる。
それが今年は、9月に例年より涼しい日があったせいか、
9月28日あたりに、早くも香り出してしまった。
「あら、いつもより早いわ。今年は秋になるのが早かったわね」と思っていたら
数日であっという間に花が散り、同時に香りも終わってしまった。
そのあっけなさに一抹の寂しさを感じていたら
なぜか、昨日あたりから再び香り出している。
よく見ると9月下旬よりよっぽど花をつけ、今まさに開花の時期を迎えている。
きっと9月に涼しかったので急いで咲いたけど、ちょっと早まったと気づいて
10日ほど置いて、気を取り直し、今、本格的に咲きほころぶことにしたようだ。
「金木犀も毎年いろいろ大変ね」
そんな風に思いながら、日本の秋の香りに鼻孔をふくらませた。
さて、明日からのニューヨークの秋はどんな秋かな。
紅葉というより、黄色く色づく葉っぱの方が多いような気がするけど・・・。
そんなことを思い描きつつ、
出発直前に、封切られたばかりの映画をダンナと観に行った。
『ふしぎな岬の物語』である。
毎日、吉永小百合か、鶴甁か、阿部寛あたりが
映画の宣伝のためテレビに出ているし
ダンナは原作を読んでいて、「映画も観に行こうかな」というので、
NYから帰ってからより観てから行くことにしたのだ。
会場は見事に60代70代の夫婦で一杯。
ひとりで観に来ている明らかにサユリストとおぼしき70前後の男性も多い。
出演者の鶴甁や笹野高史あたりもサユリストに違いない。
他にもちょい役でも大粒の役者が勢揃いで、ちょっとビックリする。
お話は実在する房総半島の岬に建つ小さな喫茶店が舞台で
そこに出入りする街(村?)の人々や東京からやってきた親子がくりひろげる
何でもない普通のできごとを淡々と綴っている。
その小さな出来事が積み重なって
結局、時の流れの中で人は移り変わっていくし、永遠に続くものなど何もないという
普遍のテーマにたどり着く。
そのテーマ自体はここ数年、私が感じていることと重なるので心に染みるが
何といっても肝心の吉永小百合がどうも好きになれなかった。
その清く正しく、つつましくある様が
どうも嘘くさく、修道女のようで、人間味が感じられないのだ。
演技が下手で一本調子だというのもあるし、
地味すぎる服装と上品すぎる立ち居振る舞いと初老女のぶりっ子ぶりが、
私にはぴったりこなかった。
吉永小百合はそれでいいんだという声が聞こえてきそうだが
本当にそれでいいのか?
海外の映画祭で2冠に輝き、当人は嬉しそうにフランス語で挨拶していたが
この静かで淡々とした映画のどこを外人は評価したのだろう。
とても日本的な上に、「おくりびと」の時のようなユーモアもないのに。
「よく分からん」というのが本音だが
まあ、日本の秋に静かに鑑賞し、
人生のはかなさや温かさをじんわり味わうにはいい作品かもしれない。
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