2015年7月26日日曜日

娘の誕生日

 
 
 
次女の誕生日を祝うため、週末、家族4人が久しぶりに集合。
夕べはダンナのしきりでギリシャ料理のレストランに行った。
 
今日は外は猛暑だし、外食ばかりも胃が疲れるので、
娘達に食べたいもののリクエストを募り、
おうちご飯でお祝いをすることにした。
 
数日前、4人家族で作っているLINEのグループで
「日曜日は何が食べたいの?リクエスト募集中!」と呼びかけたところ、
「前の日が重そうだから、手巻き寿司、ナスの煮浸し、オクラと湯葉のサラダ」
とひとりがいえば、
「嫌だ、そんなの。全然食べたくな~い。
タコと山芋とミニトマトとか入っている和風サラダ、中華ちまき、
特にカリフラワーのグラタンは絶対!」ともうひとりが答える。
 
そこへダンナまで参戦して
「どれも食指が動かんなぁ・・・」
 
もしもし!!
私も見ているのに、てめえら、あれ嫌だこれ嫌だと言いたい放題言いおって。
 
でも、食べたいものは言ってくれた方が助かるので、
ここから先はそれぞれの言い分を2品ずつ採用しつつ、
ダンナの言うことは無視して、
私が全体のメニューを決めることにした。
 
結局、
「ささみのフライ。梅しそ味とチーズしそ味」
長女のリクエストの
「タコと山芋ときゅうりのごろごろ和風サラダ」
「カリフラワーのグラタン」
次女のリクエストの
「ナスの煮浸し」
「オクラと湯葉のサラダ」
そして、今はまっている
「枝豆と三つ葉入りはんぺんバーグ」
というどちらかというと和風寄りのラインナップにした。
 
久しぶりにいつもの倍以上の量を作って並べたが
野菜が多いせいか、案外、ビールとともに食が進み、あらかた平らげみんな満腹。
 
その後に
次女がロゴやパッケージのリニューアルの仕事を受け持ったという経緯のある
地元のケーキ屋さんに注文しておいたケーキを取りに行き、
食後に2度目のお祝い。
 
夕べはよその人がいるので、ケーキに立てられた花火のパチパチが消えたら
1本だけのろうそくを吹き消して終わりだった。
 
でも、今日は家族だけなので、
「ハッピーバースデー」の歌を歌い、
なんと次女は30になったので、1本10歳として
3本のろうそくを立て、火を吹き消してお祝いすることが出来た。
 
娘が30になるぐらいだから、
自分が還暦を過ぎたといっても仕方ない。
 
時の流れの速さにめまいがするほどだが、
みんな無事にこうして集まり、
食べたり飲んだりおしゃべりできる小さな幸せを噛みしめた。
 
また、LINEでは言いたい放題の娘達とダンナだったが、
母からの伝承の味をここで再認識できたことはよかったかも。
 
次のリクエストの時には、
ささみのフライと枝豆はんぺんバーグも候補に入れてね。
 
こうして、家族の誕生日ごとにお祝いしていた懐かしい日々を思い出しつつ、
真夏の夜は更けていったのである。


2015年7月21日火曜日

あっぱれ猿之助 7月大歌舞伎昼の部

 
 
 
遂に私の歌舞伎月間、最後の催し、七月大歌舞伎昼の部に行く日がやってきた。
 
東京は35度の猛暑日になると予報が出ていたが、
チケットを裏で手を回して取ってくれた母代わりの友人は
私のキモノ姿をいつも楽しみにしてくれているので、
キモノで行くことに。
 
着るだけで大汗が吹き出るが、時間に余裕をもって着付け、
さらに汗で長襦袢が足にからみついて転ぶかもしれないので、
ゆっくり歩いても大丈夫な時間を割り出し、
意を決して猛暑の中に突っ込んでいった。
 
友人はめっきり足が弱った上に、朝起きるのが弱いから、
演目の2つ目に間に合うように会場入りすると連絡があったので、
私は開演の1時間も前に歌舞伎座前に到着し、
芝居がはねた後の喫茶店を予約したり、お弁当を買ったり、
写真を近くの男性に撮ってもらったりして過ごした。
 
新歌舞伎座の地下にはお土産やお弁当を売っている大きなスペースがあり、
そこを冷やかして歩くだけでも歌舞伎座にきたというワクワクが味わえる。
 
しかも、今日はどこぞかの大手キモノ着付け教室の団体予約があるようで、
地下はキモノ姿の人で溢れかえっていた。
 
その人達は3階席だったので、
歌舞伎座の中に入ってからは上の方にいって見えなくなってしまったが、
それまでは周辺にキモノ姿のおば様達が大勢いて、華やいだ雰囲気だった。
 
台風の日に夜の部に来た時とは大違いで、
猛暑なんのそのでキモノを着ていって正解。
 
さて、肝心の昼の部。
正直いって、今回の昼の部、サイコ-!!
これを見逃す手はない。
 
3本立ての演目で、いずれも1時間前後の短いものだが、
『南総里見八犬伝』『与話情浮名横櫛』『蜘蛛絲梓弦』で
有名な話ばかりだし、タイプのまったく違う歌舞伎だという点で
とても面白かった。
 
『南総里見八犬伝』は歌舞伎でかかるのは珍しいと思うのだが、
獅童と死闘を繰り広げる名もなき役者達のアクロバティックな大立ち回りと
様式美にのっとった殺陣が美しかった。
 
体育会系の技を日夜磨いている面々が歌舞伎を裏で支えていると実感。
 
『与話情浮名横櫛』はお富と与三郎の有名なセリフのお話。
何十年も前、お富を玉三郞、与三郎を今の仁左衛門こと片岡孝夫がやって、
あまりにシュッとした美しさに息を飲んだ記憶があるが、
それを今回は玉三郞と海老蔵で演じていた。
 
玉三郞はさすがに60代、昔のような美しさはないが、艶っぽさは健在。
海辺で一目惚れする白塗りの若旦那を海老蔵がなよなよと演じ、
何だか昔の孝夫ちゃんそっくり。

でも、あんな若旦那があんな年増の女将さんに惚れるかなと
ちょっと無理がある。
 
後半の切られ与三郎の啖呵を切る場面はいつもの海老蔵にしては抑え目で、
新聞評で型に入り過ぎての駄目が出ているので、
少し表現を変えたのかもしれない。
 
それにしても今回の海老蔵は昼と夜とでタイプの違う役を何役やっているのか。
組んでいる玉三郞も猿之助も中車も芝居巧者なだけに
苦労が絶えないというあたりかもしれない。
 
そして、何より何より凄かったのが、『蜘蛛絲梓弦』
 
猿之助が早変わりで7役務めるという、いわゆる変化(へんげ)舞踊。
 
10年近く前、まだ、猿之助が亀治郎の頃、
浅草公会堂で行われた新春大歌舞伎でこの同じ演目を演ったのを観て
すごい人がいるものと本当に驚いたことがある。
 
小柄で俊敏で運動神経抜群の彼ならではの当たり役だ。
 
最初は真っ赤なキモノを着たおぼこ娘から始まり、
薬売り、芸妓、目の見えない按摩、傾城薄雲と次々早変わりで姿を変えていく。
 
源頼光の家来ふたりの土蜘蛛退治が題材で、
相手を取り逃がしては
次々、猿之助ひとりが演じて別の人に早変わりするという
歌舞伎ならではの趣向だ。
 
とにかく、猿之助の身の軽さと確かな舞踊の素養、
よくその長袴をはいたまま、そんなことが出来るものと感心しきりの技わざ技。
現代のパフォーマーもびっくりのアクロバティックさと柔軟さである。
 
更に10年前は20代後半ぐらいでまだまだ若かったので勢いが先立っていたけど、
今は怪しい雰囲気、凄みみたいなものも備わってきて、
途中ちらちら見せる蜘蛛の片鱗と、
最後に女郎蜘蛛の精になった時のど迫力が圧巻だ。
 
舞台の背景も正に錦繍とはこんな感じで、
華やかな紅葉のもみじで埋められ、
金地に蜘蛛の巣の縫い取りのにぎにぎしい衣装の蜘蛛の精、
他の役者達もこれでもかと色鮮やかで格調高い衣装を身にまとい、
その全体は錦絵のような艶やかさ美しさ。

そこにシューッ、シューッと大量の白い蜘蛛の糸が舞台狭しと放たれて
「これぞ歌舞伎!よっ、待ってました、日本一!!」
とかけ声をかけたくなる豪華な作品だ。
 
たぶん、勘三郎の『鏡獅子』ではないけれど、
この演目は猿之助を象徴する大事な演目になるだろう。
 
期せずして、若き日の亀治郎のこの作品を観ているので、
これからも猿之助の『女郎蜘蛛の精』を追っかけたいと思った次第である。
 
あ~、本当に凄かった。
今日、夢に出そう。
 
凄すぎる猿之助。
恐すぎる女郎蜘蛛の精。
 


2015年7月20日月曜日

在りし日の勘三郎 春興鏡獅子

 
 
今日は東劇でやっている月一歌舞伎シネマの『春興鏡獅子』を観てきた。
平成21年1月に歌舞伎座で演った、今は亡き中村勘三郎のものである。
 
『鏡獅子』自体は50分ぐらいのものなので、
在りし日の勘三郎の『鏡獅子』にかける想いや『鏡獅子』の始まりなどのお話を加え、
1時間10分ほどにして映画化してあった。
 
『鏡獅子』にでてくるのは主役の小姓弥生(実は獅子の精)と
ふたりの子役によるかわいい胡蝶、
あとは最初にほんのちょっと男女2名ずつお屋敷務めの人達だけ。
 
言わば弥生のひとり舞台といっていいほど、
弥生役は大役で、
かわいい恥じらう小姓から、
勇壮な毛振りをみせる獅子の精まで演じ分けなければならない。
 
中村勘三郎はこの時、52か53歳ぐらい。
脂ののりきった心技体一体の舞ということになろう。
 
わずかそれから4~5年で亡くなるなんて、観るものは夢にも思っていなかったが、
映像の中で在りし日の勘三郎は
この『鏡獅子』への強い想いとともに、
「出来れば新歌舞伎座にこれをかけたいけれど、何しろ体力のいる役なので
そのあたりが心配だ」と語っているのには驚いた。
 
何か予兆のようなものがあったのかもしれない。
 
さて、肝心の小姓弥生と獅子の精であるが、
嫌々ながら座敷に引っ張り出された小姓弥生が踊り出すという設定だが、
若い小姓の恥じらいと初々しさが可愛い。
 
多少、踊りの小道具として使う袱紗の袱紗さばきが
雑だったりするところはお愛嬌なのかもしれないが、
徐々に舞扇を使う段になると、弥生の表情が晴れやかになってくる。
弥生の心理が何か変化しているということかも知れない。
 
映像では一番難しい2枚の舞扇をひっくり返したり、飛ばしたりの場面を
何度も大写しにしていたが、
その度にさしもの勘三郎でも緊張の表情を浮かべているので、
やっぱり取り落とさずに扇をひっくり返したり飛ばしたりは難しいのだろう。
 
舞台で観るといくら近くの席であっても、そこまで鮮明には見えないので
映像ならではのドアップに役者の息遣いや緊張感が伝わってきて
面白い。
 
中盤、弥生が祭壇の獅子頭を手にしたところ、獅子の精が乗り移り・・・。
そこから恥じらう乙女は荒れ狂う獅子に変貌する。

獅子頭に引っ張られるように一旦は舞台から引っ込み、
再び出てきた時には扮装もがらりと変わって獅子になっているという寸法だ。
 
獅子の舞とは、獅子の長い毛束を、
毛振りといって、前傾姿勢でグルングルン何十回もぶん回す有名なあれである。
 
ここは後ろのお囃子社中との掛け合いで即興の要素が強く、
獅子とお囃子とのセッションみたいなものである。
 
観ている観客もブンブン何度も激しく振り回せば振り回すほど興奮し、
拍手喝采の中で、役者が最後、肩で大きく呼吸しているその姿が印象的だ。
 
3年ぐらい前、奈良の藥師寺の中庭で行われた奉納歌舞伎に行って、
海老蔵の『春興鏡獅子』を観たことがあるが、
その時の海老蔵の弥生はまだ、初々しさにぎこちなさがあったが、
若さゆえ、毛振りの回数と豪快さだけは勘三郎より多かった気がする。
 
また、この演目、毎回驚くのが弥生が舞台から引っ込んで、
獅子になって出てくるまで、ふたりの子役が演じる胡蝶の踊りである。

とにかく、8~9歳の子どもが踊っているとは思えない難易度と長さなのである。
今日の映像ではその役を片岡千之助と中村玉太郎が舞っていた。
 
当時、ふたりは共に9歳である。
 
この子役による舞は
3歳位から踊りの稽古の研鑽を積んだものにしか出来ないので、
歌舞伎役者の家に生まれた子どもが担うことがほとんどらしい。

子どもなのに、屋号のかけ声が飛んでいるところを見ると、
観客の通はその辺の事情も分かっているのだろう。
そんな時分からふたりは屋号を背中にしょったライバルなのだ。
 
ふたり息を合わせて同じ舞を踊らなければならないので、
とても可愛いのだが、観ているとふたりの踊りの素養の差に気づかされ、
同じ年なだけに残酷だなという感じもした。
 
現在、ふたりは高校生。
片岡千之助は片岡仁左衛門が祖父、孝太郎が父である。名門中の名門だ。
中村玉太郎の方は中村松江という役者の子らしい。
 
いずれも歌舞伎役者の家に生まれ、
幼少のみぎりから踊りやセリフ回しの稽古、殺陣などを学んできている。
 
映像の中では千之助の踊りに軍配があがっていると思うのだが、
さて、これから先、どんな風に成長し、活躍するのか。
 
舞台が映像に残っているということは
在りし日の勘三郎に会えるということだけでなく、
かつての子役の成長を見届けることが出来るという楽しみもくれる。
 
歌舞伎という何百年も継承される日本文化の一翼は担えないが、
時折、お弁当をひろげながら見物するのも幸せなことである。
 
さあさあ、明日は7月大歌舞伎昼の部だよ。
猛暑日なれど、キモノ着て、お弁当買って、見物見物!

熱中症が危ないから、ちゃんとお茶も持ってお行きよ。
はいは~い。
 


2015年7月18日土曜日

二度見の楽しみ 七月歌舞伎夜の部

 
 
 
ひょんなことから七月大歌舞伎夜の部を2回観ることになった。
夕べはその2回目だった。
 
1回目はちょうど雨ばかりの毎日が終わり、まだ、30度には届かない程度だったし、
何といっても前から6番目中央から少し右といういいお席が確保できていたので、
勢い込んでキモノで出かけた。
 
会場もキモノ姿のお客さんが大勢いて、
さながら夏のキモノのファッションショーのようで、そちらの目も楽しめた。
 
しかし、昨日は台風11号の影響で東京もいきなり激しい雨が降ったかと思えば、
ピタリと止んで、でも風が強くて蒸し暑いといったキモノを着るのは
ちょっとためらわれるお天気。
 
しかたなくワンピースを着て出かけたが、案の定
歌舞伎座にキモノ姿は数えるほど。
みんな同じように考えたんだなと思った。
 
さて、今回の席は2階の1番前の中央からかなり右寄り。
自力で電話をかけまくり、夕方ようやくつながった時に取れた最善の席だ。
 
歌舞伎座立て替え後の2階最前列はとても観やすく、
以前のように目の前を手すりがさえぎることもないし、
最前列だから前の列の人の頭が邪魔になることもない。
 
しかも、かなり右寄りなので、
花道も身を乗り出さずとも、見得を切る場所はそのままよく見える。
 
1回目の感激の時は前から6列目だったので、
さすがにオペラグラスで舞台を観るわけにもいかず、
そのまま肉眼で鑑賞してきた(もちろんよ~く見えている)
 
しかし、2階席となるといくら最前列でも
さすがに1階の前から6番目に比べたら、舞台は遠い。
 
そこで、今回はオペラグラスを片手にじっくり役者の表情を追いかけることにした。
 
1回目は筋立てや全体の演出、話の運び方を初めて見たから、
初見の驚きもあったけど、基本、話を一生懸命追いかけている感は否めない。
 
しかし、今回は話の筋も分かっているし、
どこで誰が出てきて何を言うかも大体覚えている訳だから、
もっと的を絞って楽しむことが出来る。
 
贔屓の役者の玉三郞・猿之助・海老蔵の表情や所作、
前回との違いなどに着目して観ることにした。
 
新聞で酷評されていた
海老蔵の「型にはめて表現しすぎて心が伝わらない」件は、
幾分、大げさな見得が抑えられ、
我が子の首を差し出さざるを得なかった父親の心情に
海老蔵自身が感情移入できていた気がする。
 
また、長丁場の『牡丹灯籠』における玉三郞と中車の掛け合いは
寸分たがわずセリフが決まっているが、多少のアドリブもあるようで、
さすが相手の出方に合わせてよどみなくやりとりされていて感心感心。
 
1回目に玉三郞が3度ほどセリフを噛みそうになっていたが、
今回は1回言い換えただけ。
女形の声の出し方で、あの膨大な早口のセリフはとても大変だと思うので、
やっぱり凄いなと感心しきり。
 
それからオペラグラスでじっくり表情を観察したところ、
特に中車がしゃべり倒している時に作る玉三郞の演じるお峯のすねた顔や
怒った顔、甘えた顔など、
自分はしゃべっていない時でも気を抜かないところはさすが。
 
もちろん中車は日々歌舞伎の領域で、
香川照之の役者魂がさく裂している感じで、
ノリに乗って、小悪党で小心者の伴蔵を楽しんで演じている。
 
中車のいとこにあたる猿之助は
7月大歌舞伎の昼の部で6変化の大役をしているから、
夜の部はストーリーテラーの落語家役しか演っていない。
 
しかし、その一見地味で暗い落語家は
三遊亭円朝というモデルがあるせいか、
幽霊話を得意とするちょっと湿った不気味さを身にまとい、
高座に上がって、ちょいと脇の鉄瓶に触れるしぐさ、
湯呑みの蓋を取り、しずくをきり、ひとくちだけお茶を飲むなどの所作が、
いかにも研究されている感じで面白かった。
 
顔立ちと役作りの凝り性なところが中車と猿之助でとてもよく似ているのが、
全く違うフィールドで役者をしていたふたりなのに、血は争えないと思った。
 
1回18000円もの大枚を2度もはたいて同じものを観て、
「なんだ同じか」と損した気分にならないといいがと案じていたが、
それは杞憂だった。
 
観る場所が変われば視点が変わるし、
テーマを見つけて入り込めば、別の楽しみを見つけられる。
 
同じ映画を何度も何度も観る人の気持ちが少し理解できた。
 
歌舞伎は高額なので、今回のような行き違いでもない限り、
今後、同じ舞台を2度観ることはないとは思うが、
なかなかおもしろい体験ができ、よかったよかった。
 
さて、21日の火曜日、今度は昼の部である。
暗い語り部の猿之助は八面六臂の活躍を見せる蜘蛛の役だし、
玉三郞はお歯黒ではすっぱな女将さんから、粋なお富姐さんになる。
 
さてさて、こちらもお楽しみ。
私の7月歌舞伎ウィークはまだまだ続く。

2015年7月15日水曜日

鎌倉 松原庵にて

 
 
 
 
 
毎日毎日雨ばかりで本当に気が滅入ると思っていたら、
今度は一転、連日の猛暑。
横浜はそれでも34度ぐらいだから、
他の39度なんていう場所に比べたら、まだ、涼しいぐらいのものか・・・。
 
そうはいっても34度も十分に身にこたえる。
 
今日は鎌倉に住む友人に会うため、
私が鎌倉の由比ヶ浜まで出向くことになった。
 
その江ノ電の小さな駅のすぐ側にある「松原庵」という
有名なお蕎麦屋に行くためだ。
 
この店はたぶん築100年ぐらい経つような古民家だったが、
どこかの鎌倉特集によれば、オーナーが解体寸前の古民家を引き取って改築し、
おそばだけでなく日本料理も出す料理屋さんを始めたと言うことだ。
 
広い庭もあって、日本家屋の座敷の中のテーブル席と
庭の日よけ付きテーブル席の両方があり、
今日のようなウィークデイの昼間でも満席で、
11時台スタートの第1組と13時スタートの第2組で2回転させるという盛況ぶりだ。
 
私達はランチコース2700円を注文した。
最初にひと皿に7種類の前菜がのっているプレートがでてくる。
 
お魚のカルパッチョや鶏肉の柔らか煮のようなものもあるが、
主には野菜やとうふを使ったバラエティに富んだ料理がちょんちょんと並んでいる。
 
どれも手が込んでいて、美味しいのだが、
「これ何だと思う?」と首をかしげるような食材もあり、
お品書きとチラチラ見比べ、
「家じゃあこんなの作れないし、こんなちょこっと何種類も作るのは無理よね」と
大体この手の料理を前にすると女性なら同じことをいう内容で盛りあがりながら、
もの珍しいお料理に舌鼓を打つことになる。
 
その後には野菜のてんぷらとせいろ蕎麦がでてくる。
 
てんぷらに海老やキスなど魚介類がまったく入らないのも松原庵スタイル。
ごぼうとかついに最後まで何の野菜か分からなかったエリンギ風のものなど、
5種類の野菜のてんぷらをそばつゆもしくは岩塩につけながらいただく。
 
おそばは半透明のきれいなおそばで、やや腰の強い細麺だ。
香りがよく、とても美味しい。
 
せいろかかけそばか選べるが
夏でなくても当然のごとくに私はせいろをいただくことにしている。
 
本日もぺろりと平らげ、多少物足りない感じもするが、
美味しいものを食べた満足感で気分はいい。
 
スイーツやコーヒーはこのコースにはついておらず、
別室のカフェに移動して、注文することも可能だが、
友人のマンションがすぐ近くだと分かっていたので、
あらかじめ一緒に食べるつもりの和菓子を持っていった。
だからそこではスイーツは食べずに、彼女の家に向かった。
 
外は本日も35度を目指して気温上昇中。
照り返しが強く、帽子をかぶっても、サングラスをしても、クラクラした。
 
彼女の部屋はマンションの4階にあるので、窓から遠くに海が見える。
さっきの照りつける日差しが他人事のように感じられる静かな部屋で
フルーツあんみつを食べながら、穏やかな時間がトロトロと流れる。
 
時折、友人が飼っている真っ黒い毛色のネコがすり寄ってきて、
くぐもった声で話しかけてくる。
 
結局、ネコは外からやってきた私ではなく、友人の膝の上に乗って
彼女の胸に顔を埋めたり、スリスリしたりしているのを見ながら、
こういうゆっくり時間の流れる午後も悪くないなと思った。
 
実は友人は闘病中で、すでに残された時間が限られている。
そのことを受け入れている友人を心の底から強いなと感じながら、
もう少しこのままこうしていて欲しいと思う。
 
2ヶ月に1度ぐらいの割りで会う度に、
友人から、いろいろなことが出来なくなってきているという話を聴く。
 
緩やかに人生の坂を下っていくというその感覚を
本当のところは分かっていないとは分かっているけど、
20年来の友人としては、まだもう少しつきあって欲しいと願っているのだ。
 


2015年7月11日土曜日

『七月大歌舞伎』に出陣

 
 
 
 
 
さあて、今日から歌舞伎座に月3回繰り出すという歌舞伎ウィークが始まった。
もちろん、個人的なイベントである。
 
6月始め、7月の歌舞伎座の演目と出演者を知って、
「これは何が何でも行かねば」と勢い込んでチケット入手に奔走した結果、
ちょっとした手違いもあって、
何と昼の部1枚と夜の部2枚のチケットが取れてしまい、
結果、夜の部はひとりで2回観に行く羽目になったのだ。
 
今日がその1回目。
 
本当は次女とふたりで観にいくつもりが1枚しかチケット入手できず、
「ひとりでは行きたくない」というか、「寝てしまいそうだ」という娘を捨て置き、
「ひとりででも行くぞ」と決め、キモノまで着込んで出掛けたという次第だ。

今月はものすごく人気で、裏で手を回してチケットを取ろうにも
とても取りにくかった。
それほどみんな期待していると思われたが・・・。
 
実は2日前の夕刊に7月の歌舞伎評が新聞に載って、
概ね好評だったにも関わらず、
海老蔵だけが可哀想なぐらいぼろくそに書かれていた。
 
ひと言で言うと
「型にはめて演じても心が伝わってこない、演技に深みがない」ということらしいが、
どうも最近の海老蔵は新聞でよく書かれているのを見たことがない。
 
「若手人気ナンバー1の集客力はあるものの、
腹式呼吸がしっつかり出来ていないから、声がくぐもっている」だの、
「歌舞伎界のアイドルかもしれないが、実力が伴わない」だの、
いずれも手厳しい。
 
それに比して、玉三郞の評価は高く、
とりわけ、今回の夜の部の『牡丹灯籠』は演出・配役の部分で、
これからの歌舞伎界の方向性を示したという点でも好評価を得ている。
 
夜の部は『熊谷陣屋』と『牡丹灯籠』の2本で
『熊谷陣屋』は歌舞伎一八番の内のひとつで、
歌舞伎の中の歌舞伎といっても過言ではない有名な演目だ。
 
その主役熊谷直実を海老蔵が演じて、新聞評がぼろくそだったから、
「さあ、本当にそうなのか」と先入観が先立つ。
 
確かに役の顔の作り方からして(顔は役者本人がつくる)
赤ら顔に大げさな隈取りで見得を切られても
今朝見たねぶた祭の山車の人形にしかみえない。
 
この役は、断腸の思いで自分の子どもの首を切って
義経に差し出す男親の役だから、
平常を装いつつ、無念の思いに駆られる男をもっと渋く演じる必要がある。
 
最近は吉右衛門の当たり役だし、
亡くなった父親の団十郎も得意とした役どころゆえ、
つい比較されることになるし、教えを請おうにも亡くなっているからそれも出来ない。
 
一方、『牡丹灯籠』は現代歌舞伎ともいうべき内容で
言葉も平易で分かりやすく、
時代は江戸時代なれど、演出にユーモアがあり、
語り部として「牡丹灯籠」を落語にかけ有名だった三遊亭円朝を高座に出して
進行役を務めさせるなど、観るものの理解と親密度を出すことに成功している。

しかも、三遊亭円朝は猿之助が演っており、
ここも軽妙洒脱な役どころが十八番の猿之助にはぴったりのはまり役だ。
 
更にここでの出色の出来は中車=香川照之で
全編軽妙な語り口で、玉三郞との掛け合いは息つく間もない名コンビだ。

香川照之は 
お家の事情で猿之助一門に40過ぎてから入門し、
中車を名乗って歌舞伎役者になったものの、
いつものテレビドラマで発揮されるような演技力は影を潜め、
最初は歌舞伎特有の言い回しが板につかずに声だけ枯れるという無様さに
観ているこっちがハラハラした。
 
しかし、今日の伴蔵という役どころは彼の持ち味にぴったりはまり、
香川照之の才能を十分発揮し、観るものを大いに楽しませてれた。
 
『牡丹灯籠』はお化けものだから、
てっきり玉三郞が最後はおどろおどろしいお化けになるのかと思ったら、
中車に殺されて終わりだったので、それだけは心残りだったけど、
きれいなだけじゃない玉三郞の成長に今さらながら脱帽だ。
 
今の歌舞伎界は60前後の中核を担う役者が
ここ数年、相次いで亡くなったことで、
ぽっかり真ん中に穴が開いてしまった。
 
30前後の若手は育ってきてはいるが、人は呼べるが本当の実力が今一歩。
70前後の大御所は実力があっても、もはや客を呼べない。
 
玉三郞が60ちょっとだから、相次いで亡くなった役者達と同年代。
その悲しみを乗り越えて、何としても自分が歌舞伎界を牽引し、
新しい方向性を見出さねばという強い想いを今日は受け取った。
 
来週、奇しくも2回目の夜の部を2階の1番前の席から観ることになっている。
 
今日とは別の何かが見えるかもしれない。
一歌舞伎ファンとして、日本人として、
歌舞伎の未来を見つめてみたいと思う。

2015年7月10日金曜日

小さな陶器市


 
目下、私は10月はじめの陶芸教室展示会に向け、
最終の作陶作業が続いている。
 
今回の自分の展示テーマに添って、足りないものを鋭意制作中である。
 
しかし、実はこうして作っては使わずにたまった器はかなりの数にのぼる。
 
陶芸工房に通い出して、まだ、3年半。
その間に必ず作らなければいけない最初の3点を除いては
あとは自由作陶なので、それぞれ自分のペースで自分の好きなものを作ればいい
というのが、この工房のいいところである。
 
ゆっくりのんびりつくっている人もいれば、
10年以上の経歴があり、家中の器はもはや自作のものという人もいるだろう。
 
私の場合は経験年数は少ないものの
元が作ること大好き人間の版画家であるから、
作るスピードも数も勢い早くなるし、多くなる。
 
最近はその勢いは増してきており、
2年ぐらい前のような作っても乾燥の段階や素焼きの段階でヒビが入ることもなく、
概ね最後まで焼き上がるので、その分、数だけは増えていく一方だ。
 
ダンナはじわじわ増えている器に、時折、料理を盛り付け出す度に
「もしかして、これも新しい作品か?」という怪訝な顔つきでみている。
 
こちらはそれには気づかぬふりで、お浸しやら豆サラダやら盛っては
映りの良さに内心ほくそ笑んだりしている。
本当に和食器に盛られた料理は見た目にいい味を出してくれる。
 
しかし、ここへ来て、そろりそろりと持ち帰っては、
家中の戸棚に詰め込んできた器が
溢れかえってきて、
もうどこにも収納できないほど、どこの戸棚も拙作でいっぱいになってきた。
 
そこで、以前、足つきの小鉢とお皿をプレゼントした友人を家に呼んで、
破格値にて気に入ったものがあったら引き取ってもらうことにした。
 
最寄り駅でランチを済ませ、自宅までお連れしたところ、
リビングの大きなテーブルに並んだ器群を見るなり、
その数の多さにちょっとビックリした様子だった。
 
実際に私が家で使っているものや
今回の展示会に出そうと思っているものは並べていない。
手放してもいいと思っているものだけでここまであるとは
自分でも驚きだ。
 
その一切合切を持っていってくれてもいいとさえ思っていたけれど、
結局、大々的なリフォームをした彼女のおうちも
リフォーム時に思い切った断捨離を決行し、
ついでにものを入れる棚も少なくしたから
多くを持ち帰ってもしまうところがないという。
 
お互い、だんだん年齢と共に、
私も含め、ものを減らしてシンプルに暮らそうと考えているので、
「こうしてがらくたがどんどん増えるばかりの趣味はいかがなものか」と
彼女の物言わぬ目が語っているような気がする。
 
結局わかったことは、
陶芸を趣味にしている人は、器が欲しいというより、
器を創ること自体が好きだということ。
 
ましてや家族が独立して老人二人の生活では、料理も大して作らないので、
多くの食材も多くの器もいらないというのが現実なのである。
 
結局、友人は以前プレゼントした器の兄弟分みたいなレモン形の足つき小鉢を
大小の大きさで選び、
それらと釉薬の似ている大きめの皿を2枚購入してくれた。
 
それにオマケで小さな薬味皿みたいな小皿を2枚つけ、持ち帰ってもらった。
 
彼女の頭の中では
同じ作家の同じシリーズというラインナップで、
大小で並べて、いろいろちょこちょこ入れるイメージができているらしい。
 
夕方、
リビングテーブルの上に残った何十という器を眺めながら、
これを再び、家中の戸棚のどこかに突っ込み返すのも興ざめで、
この際、半分ぐらいは思い切って廃棄処分することにした。
 
けっこうな粘土代と月謝を払い、
肩こりになりながら土錬りをし、凄い集中力で作陶して疲労困憊でも、
大して使わないことにため息が出るが、

やっぱり夢中で土塊と戦い、
挙げ句、意外や面白いものが出来たり、がっかりしたり。
 
そんな私も無駄なものばかり生み出すどうしようもない趣味人だと
自覚を新たにした今日の自宅陶器市であったが、
好きなことは辞められない、
それが本日の結論である。
 

2015年7月5日日曜日

ひとりご飯を楽しむ

 
 
 
目下、我が家はダンナが自転車のレースに出るため、北海道に行っているので
私ひとりである。
 
お気楽ご気楽で、楽ちんなのはいいが、
だんだんいい加減な生活態度になってくるのは否めない。
 
特にご飯作りはひとり分だけ作ることが難しいので、
手抜きもいいところだ。
 
しかし、世のひとり暮らしは老いも若きも同じだが、
外食ばかりになったり、
自宅ご飯も品数を作れないので栄養が偏ったり、
栄養不足になったりする。
 
私の場合は元々食べることに貪欲なので、
あまりあてはまらないといいたいところだが、
それでも凝った料理や1品にたくさんの食材を使うものは作らなくなる。
 
どうしても枝豆を茹でるとか、お刺身を出すだけとか、
しょうが焼きを焼くとか、冷や奴に納豆をかけるとか、
よくいえばシンプル、悪くいえば手抜き料理が並ぶことになる。
 
そこで、本日はすべての料理を自作の陶器の器に入れ、
ちょっと小じゃれた感じにして食べようと考えた。
 
メインの器は足のついた黄瀬戸と織部がかかっている細長い器だ。
個展の時にチョコレートをいれてお出ししたもので、
細長いから、
ミニトマト、クリームチーズのトリュフソースのせ、チーズクラッカー、
岩手のアンテナショップで買った牛タンのペッパー風味という
4種盛り。
 
肉っけはとしては生協で注文したレバーと砂肝の甘辛煮を
白土と赤土のマーブル柄小鉢に盛ってみた。
(ダンナは既製品を出すと機嫌が悪いので、お総菜はひとりの時用)
 
左手前は山形の夏の定番(名前は忘れた)
トウモロコシと枝豆と、きゅうりを同じぐらいのサイズに切って
おかかとお醤油をかけたもの。
(これに生のナスも入れるのが山形流かも)
 
こちらは赤土で作った小鉢に
テープワークを施して茶そばという釉薬をかけたもの。
渋い器に野菜の鮮やかな黄色やグリーンが映えている。
 
右手前は皮付き新じゃがを茹でたもの。
右奥の黒い器に入っている明太マヨをディップとしてつけていただく。
じゃがいもは綱が器の縁についているようなてびねりならではの器に入れてあり、
ただ茹でただけのじゃがいもなれど、面白い器にはいっているせいで
なかなか雰囲気がいいのではと
自画自賛。
 
よく考えたら、今日の晩ご飯は
じゃがいもとトウモロコシと枝豆を茹でただけ、
マヨネーズに明太子を混ぜただけ、
きゅうりを賽の目に刻んだだけという
料理ともいえない料理の数々だ。
 
しかし、器を選びさえすれば、なかなかどうして
ちゃっかり夕ご飯の体を成しているから驚きだ。
 
もちろん
今晩のおかずに合うのは写真2番目の黒ビール。
新潟で作られているスタウトビアで
この夏、はまっている逸品だ。
 
ご飯のアテになるようなものは何も無いので、
ご飯は食べず、
ひとり黒ビールを飲みながら、
あちこち迷い箸でおかずをいただき、
すっかりオヤジ風晩酌も板についてきた。
 
ただし、オヤジはオヤジでもうらびれたひとり暮らしのオヤジではなく、
器がいいと小料理屋に出掛けたオヤジみたいになる。
 
いいじゃないか、ひとりの夜は。
ダンナが戻る週末までのお楽しみ。
 
時には小料理屋の女将みたいに自分に突っ込みを入れながら、
ひとり小料理屋の夜は更ける。
 


2015年7月4日土曜日

タンゴの魅力にふれて


 
ここのところ頻度高く観にいっているヒラルディージョという団体の
タンゴのチャリティコンサートに行って来た。
今回は最寄り駅にあるひまわりの郷ホールなので行くのも楽ちんだ。
 
先月観たのは同じ団体のバンドネオンとフラメンコギター2本との共演だったが、
今日のコンサートの目玉は何といってもタンゴのダンサーが出ること。
 
他にバンドネオン・ピアノ・ヴァイオリン・歌と朗読も入るという豪華メンバーだ。
 
この団体が主催するチャリティコンサートは
時間はアンコールをいれても2時間弱しかないし、
出演者はいわゆる有名人でもない。
 
ホールも有名どころではなく横浜市や区の建物だから、2~300人規模しかない。
 
しかし、その分、チケットが2000円とか2200円のお手軽値段で観ることが出来、
目の前で演奏したり踊ったりを間近で観られるライブ感がたまらない。
 
ここのところ、ちょっとはまっていて、たて続けに観に行っているが、
今日のタンゴのコンサートは中でも出色の出来。
 
客席もほぼ満席で、お客さんの反応がよかったせいか、
演奏の温まり方も早かった。
2曲目ぐらいから客席との一体感が生まれ、演奏家がノってきているのがわかった。
 
とりわけ、4曲目にMaxi&Chizukoというペアのダンスが始まると
そのキレッキレのダンスと凛としたたたずまいの美しさに
会場中が前のめりになっている。
 
いかにもアルゼンチンの人だなと思う彫りの深い顔だちの男性にリードされつつ、
日本的な顔だちのChizukoさんが一歩もひけを取らずに
華麗なステップを踏み、りりしくもセクシーに踊るその姿は
同じ日本人として誇らしささえ感じた。
 
そのすらりとした鍛えられた体の筋肉が躍動し、
なのに全く暑苦しさがなく、
男女が異様に接近して踊っているのに、いやらしさもない。
2014年からふたりはコンビを組んで踊っているらしいが、とてもいい感じ。
 
他のメンバーはといえば、
アルゼンチンの人と国際結婚をしているというピアノのサッコ香織さんの演奏も
時にドラマティックでエネルギッシュでよかったし、
日本人離れした体型のヴァイオリニスト瀬尾鮎子さんの演奏も
そのふくよかな体型どおりダイナミックで情熱的だった。
 
バンドネオンの田辺義博さんは本当にそこら辺で見かけるようなメガネをかけた
真面目な日本人のおじさんという風情ながら、
バンドネオンを弾き出すと風貌とは違うアーティストの顔になる。
 
しかし、語りと歌担当の長浜奈津子さんはすでに何回かこの団体のコンサートで
見かけているのだが、見る度に好きじゃないなと思う人だ。
 
今回も6曲歌うのに4回も衣装を着替え、
ぶりっ子丸出しのシナをつくったベタベタした語りは聴くに堪えない。
今回初めて聴いたスペイン語の歌はかなりうまいのに、
その前につく語りがいけていないせいで台無しだ。
 
女を前面に出した衣装の趣味といい、
歳くってるくせに前髪を目の上まで垂らしているヘアスタイルといい、
何か勘違いしているとしかいいようがない。
誰か注意してほしい。
 
と、ちょっと書き出すと悪口が止まらなくなりそうな長浜奈津子は置いといて
とにかくとにかく
Chizukoさんはホントに格好良かった!!
 
ただ拍手するだけじゃ物足りなくて、
スペイン語圏の踊りなので、フラメンコのかけ声である「オレー!!」を
思わず何回か野太い声でかけてしまった。
 
一昨日観た『三人吉三』の勘九郎・七之助・松也もそうだが、
格好良く、エネルギッシュに舞台狭しと踊れたり動ける人を観ると
本当に羨ましいし、興奮する。
 
思いに体がついていかず断念したくせに、
フラメンコを習っていたあの遠い日がちらと脳裏をかすめ、
もっともっと若かったら何かのダンサーという職業も悪くないなと
考えたりした。

2015年7月2日木曜日

シアトリカルムービー『三人吉三』

 
 
あれよあれよという間に今年も後半戦、
7月に突入してしまった。
 
1日は摺り増しの仕事が無事終了したので、大いにホッとしたので
今日からは歌舞伎三昧の日々を送ることに決めた。
 
何しろ、7月の歌舞伎座の演目と出演者ときたら、
これを逃したら一生後悔すると思うほど、
好みの演目と贔屓の出演者達なのだ。
 
必死にチケットを手配した歌舞伎に関しては、
また、見終わってからのご報告としたいが、
まずは本日は映画になった『三人吉三』を観てきたので、そちらから・・・。
 
『三人吉三』といえば、原作は黙阿弥。
つまり、江戸時代から舞台にかかっている歌舞伎の名作だが、
それを串田和美が演出を手がけ、
現代なら三人はこんな青年だろうという解釈の元、
現代歌舞伎として昨年6月に舞台化されたものである。
 
渋谷シアターコクーンで行われた『三人吉三』は
中村勘九郎が和尚吉三・中村七之助がお嬢吉三・尾上松也がお坊吉三を務め
大評判になった。
 
その時は何だか手をこまねいている内にチケットを取り損ね、
評判を聞いて、ちょっと失敗したなと思っていた。
 
その舞台が早くも1年でスクリーン用に編集され、
映画館で観られることになった。
これを見逃す手はない。
 
さっそく歌舞伎映画を観るときはここと決めている東劇でチケットを予約した。
ここは席もゆったり大きいし、会場自体も広々しているのでオススメだ。
 
案の定、おばあさまに近いようなご婦人が大勢席についており
普通の映画館とは景色が違う。
映画の歌舞伎だというのにキモノ姿もチラホラいるあたり、
さすが東劇だ。
 
映画自体は江戸の町人達の暮らしぶりから始まり、
勘三郎が手がけてきた歌舞伎シネマの手法で
ギターやロックといった音楽をバックに多用して、
出演者は時代劇の扮装ながら、現代劇としてのリズム感もそなえている。
 
なんといっても映画のいいところは
顔の表情がスクリーンいっぱいにアップになるところで、
それぞれ要所要所でどんな顔つきをし、目線をおくっているのかわかるのがいい。
 
勘九郎の顔つきやしぐさがどんどん亡くなった父親の勘三郎そっくりに
なってきているのが、嬉しくもあり、胸苦しくもある。
 
物語は三人がどのような生い立ちで、
なぜ盗賊になってしまったのかという理由も丁寧に描かれており、
セリフが相当、現代のことばに置き換えられているので、
本物の歌舞伎で、観ていてよく訳がわからないまま終わるというあたりが解決でき、
素直に鑑賞できる。
 
なにしろ歌舞伎には
「親の仇、我が討たずして、誰が討つ~」みたいなのとか、
「親の因果が子に報い~」みたいなのとか、
理由を知らないとなぜそうなっちゃうのみたいな展開がよくある。
 
その点、「三人吉三」の三人の「止むに止まれぬ生い立ちゆえにやさぐれて・・・」と
いうあたりが「そういうことか」と理解できたので、
最後の猛烈に雪が舞う中で、刺し違って死んでいくシーンに
凄く勘定移入できた。
 
勘九郎・七之助・松也の三人が
現在の歌舞伎町あたりにいるチンピラみたいな恰好をしているポスターがあって、
去年は意味が分からないと思っていたが、
江戸時代の三人を現代に置き換えたらこんな感じということらしい。
 
とにかく、これを舞台で観た人は本物の水を大量に使った臨場感と、
激しいギターやロック音楽の大音量、
舞台という限られた空間であることの常識を打ち破った雪の演出に
度肝を抜かれ、感激したことだろう。
 
今日は役者としての成長著しいこの三人をスクリーンでたっぷり楽しめ、
何だか幸せな気分になった。
 
勘三郎の遺志を十分についだ中村兄弟の今後に期待しつつ、
あれだけ命懸けで務められる歌舞伎というフィールドをもつ彼らに嫉妬した。


2015年7月1日水曜日

摺り日和


 
横浜は夕べからずっと雨が降っている。
こういう日こそ、木版画の摺りにはもってこいである。
 
木版画は和紙に水性の絵の具を使用して摺られる。
和紙はもっとも上等なものは100%楮(こうぞ)という植物繊維で作られていて、
粉状のパルプでできている洋紙とちがって、長い繊維質の構造をしている。
(だから和紙は腰が強く、耐久性にもすぐれている)
 
その和紙を前日から刷毛で水を打って湿し、絵の具の吸着をよくした状態で
木版は摺っていく。
 
和紙は湿すと少し伸びる。
(大きな作品だと5~7ミリぐらい大きくなる)
その和紙が
伸びきった状態で重しをかけ、均一に水分を紙に吸わせ、
表面に水気がないしっとりした紙になるまで時間をおき、
その状態をキープしながら作品を仕上げなければならない。
 
だから、私の場合、摺っている間中、アトリエは加湿器で加湿している。
乾燥を呼ぶクーラーと暖房器具は使わない。
暑さと寒さは堪え忍ぶのだ。
 
途中で紙が乾燥してしまうと、和紙の周囲から縮んでしまい、
結局、紙の寸法が縮むことで、ちゃんと摺っても版がズレることになる。
 
というわけで、今日みたいに夕べからずっと雨が降っているなんていう日は
ワクワクするぐらいの摺りに適した日ということになる。
 
月曜日に摺り増しの第1弾として、赤い作品『華』を8枚摺った。
その日は雨は降りそうで降らなかったので、
せめて太陽が出ていない夜中の方がいいと思い、
久しぶりに徹夜をして無事、摺りおおせた。
 
そして、今日、まだ、2日しか経っていないのに、
再び本摺りをするのは体力的に心配な面もあったが、
他の予定と天気予報とを考え合わせると、
ここで第2弾の本摺りを決行するのが一番と判断した。
 
幸い痛めた左腕のしびれはほとんどなく、
気にしなくても作業に支障はなさそうだし、
何より外が雨なのに手をこまねいている場合じゃない。
 
昨日の午後イチに紙を湿し、絵の具を作り、
ワクワクしながらその時を待った。
 
昨日、夕方ぐらいから外気の匂いが雨臭くなってきた。
すぐそこまで雨がきていることがわかる。
本当は今日一日摺りのために空けてあるけれど、待ちきれない。
 
結局、夕飯もそこそこに午後7時から摺り始めてしまった。
ちょっと湿し時間が十分ではなく、多少、表面に水気が残っているが、
絵の具の濃度やばれんの力加減でトラブルにならないよう摺り続けた。
 
このまま摺り進めては明日やることがなくなっちゃうからと、
夜中の2時過ぎに一度はばれんを置き、布団にもぐり込んだが、
1時間ぐらいで目覚めてしまって、もう眠れない。
 
夜明け方、ゆっくり最後の飾り彫りのパートを摺り、
水張りテープでベニヤ板に貼り、8枚の作品が摺り上がった。
 
10時間ぐらい畳に座り込んで作業をしていたので
膝がまずまっすぐにならないし、
腰もギシギシする。
もちろん肩も凝っているけど、「やっぱり私、木版が好き」
 
ダンナが自転車のレースに出るため、北海道に行っていてくれるこの時期、
夜中にモゾモゾ起きだして摺ったり、
変な時間にご飯食べたり、お昼寝したり・・・。
 
きままな版画家稼業ができることは何よりだ。
 
これで摺り増しの『華』と『凛』、それぞれ8枚を摺り終えた。
 
どうだ、いつでもかかってこい!
オリジナルフレームをつけたら、嫁に出すばかり。
千客万来。
お待ち申し上げておりまする。