今日は東劇でやっている月一歌舞伎シネマの『春興鏡獅子』を観てきた。
平成21年1月に歌舞伎座で演った、今は亡き中村勘三郎のものである。
『鏡獅子』自体は50分ぐらいのものなので、
在りし日の勘三郎の『鏡獅子』にかける想いや『鏡獅子』の始まりなどのお話を加え、
1時間10分ほどにして映画化してあった。
『鏡獅子』にでてくるのは主役の小姓弥生(実は獅子の精)と
ふたりの子役によるかわいい胡蝶、
あとは最初にほんのちょっと男女2名ずつお屋敷務めの人達だけ。
言わば弥生のひとり舞台といっていいほど、
弥生役は大役で、
かわいい恥じらう小姓から、
勇壮な毛振りをみせる獅子の精まで演じ分けなければならない。
中村勘三郎はこの時、52か53歳ぐらい。
脂ののりきった心技体一体の舞ということになろう。
わずかそれから4~5年で亡くなるなんて、観るものは夢にも思っていなかったが、
映像の中で在りし日の勘三郎は
この『鏡獅子』への強い想いとともに、
「出来れば新歌舞伎座にこれをかけたいけれど、何しろ体力のいる役なので
そのあたりが心配だ」と語っているのには驚いた。
何か予兆のようなものがあったのかもしれない。
さて、肝心の小姓弥生と獅子の精であるが、
嫌々ながら座敷に引っ張り出された小姓弥生が踊り出すという設定だが、
若い小姓の恥じらいと初々しさが可愛い。
多少、踊りの小道具として使う袱紗の袱紗さばきが
雑だったりするところはお愛嬌なのかもしれないが、
雑だったりするところはお愛嬌なのかもしれないが、
徐々に舞扇を使う段になると、弥生の表情が晴れやかになってくる。
弥生の心理が何か変化しているということかも知れない。
映像では一番難しい2枚の舞扇をひっくり返したり、飛ばしたりの場面を
何度も大写しにしていたが、
その度にさしもの勘三郎でも緊張の表情を浮かべているので、
やっぱり取り落とさずに扇をひっくり返したり飛ばしたりは難しいのだろう。
舞台で観るといくら近くの席であっても、そこまで鮮明には見えないので
映像ならではのドアップに役者の息遣いや緊張感が伝わってきて
面白い。
中盤、弥生が祭壇の獅子頭を手にしたところ、獅子の精が乗り移り・・・。
そこから恥じらう乙女は荒れ狂う獅子に変貌する。
獅子頭に引っ張られるように一旦は舞台から引っ込み、
再び出てきた時には扮装もがらりと変わって獅子になっているという寸法だ。
獅子頭に引っ張られるように一旦は舞台から引っ込み、
再び出てきた時には扮装もがらりと変わって獅子になっているという寸法だ。
獅子の舞とは、獅子の長い毛束を、
毛振りといって、前傾姿勢でグルングルン何十回もぶん回す有名なあれである。
ここは後ろのお囃子社中との掛け合いで即興の要素が強く、
獅子とお囃子とのセッションみたいなものである。
観ている観客もブンブン何度も激しく振り回せば振り回すほど興奮し、
拍手喝采の中で、役者が最後、肩で大きく呼吸しているその姿が印象的だ。
3年ぐらい前、奈良の藥師寺の中庭で行われた奉納歌舞伎に行って、
海老蔵の『春興鏡獅子』を観たことがあるが、
その時の海老蔵の弥生はまだ、初々しさにぎこちなさがあったが、
若さゆえ、毛振りの回数と豪快さだけは勘三郎より多かった気がする。
また、この演目、毎回驚くのが弥生が舞台から引っ込んで、
獅子になって出てくるまで、ふたりの子役が演じる胡蝶の踊りである。
とにかく、8~9歳の子どもが踊っているとは思えない難易度と長さなのである。
獅子になって出てくるまで、ふたりの子役が演じる胡蝶の踊りである。
とにかく、8~9歳の子どもが踊っているとは思えない難易度と長さなのである。
今日の映像ではその役を片岡千之助と中村玉太郎が舞っていた。
当時、ふたりは共に9歳である。
この子役による舞は
3歳位から踊りの稽古の研鑽を積んだものにしか出来ないので、
歌舞伎役者の家に生まれた子どもが担うことがほとんどらしい。
子どもなのに、屋号のかけ声が飛んでいるところを見ると、
観客の通はその辺の事情も分かっているのだろう。
そんな時分からふたりは屋号を背中にしょったライバルなのだ。
子どもなのに、屋号のかけ声が飛んでいるところを見ると、
観客の通はその辺の事情も分かっているのだろう。
そんな時分からふたりは屋号を背中にしょったライバルなのだ。
ふたり息を合わせて同じ舞を踊らなければならないので、
とても可愛いのだが、観ているとふたりの踊りの素養の差に気づかされ、
同じ年なだけに残酷だなという感じもした。
現在、ふたりは高校生。
片岡千之助は片岡仁左衛門が祖父、孝太郎が父である。名門中の名門だ。
中村玉太郎の方は中村松江という役者の子らしい。
いずれも歌舞伎役者の家に生まれ、
幼少のみぎりから踊りやセリフ回しの稽古、殺陣などを学んできている。
映像の中では千之助の踊りに軍配があがっていると思うのだが、
さて、これから先、どんな風に成長し、活躍するのか。
舞台が映像に残っているということは
在りし日の勘三郎に会えるということだけでなく、
かつての子役の成長を見届けることが出来るという楽しみもくれる。
歌舞伎という何百年も継承される日本文化の一翼は担えないが、
時折、お弁当をひろげながら見物するのも幸せなことである。
さあさあ、明日は7月大歌舞伎昼の部だよ。
猛暑日なれど、キモノ着て、お弁当買って、見物見物!
熱中症が危ないから、ちゃんとお茶も持ってお行きよ。
はいは~い。
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