2015年9月30日水曜日

摂食障害の講座を受講して

 
最寄り駅のオフィスビルで時折『心を学ぶ講座』が行われている。
ここ数年で、興味のある内容の分を20回以上、受講してきた。
 
今回は『摂食障害』について、2回続きで、
長谷川病院の院長・吉永陽子さんの講義だった。
 
摂食障害とは拒食症だったり、過食症だったり、
過食嘔吐だったりあたりがよく知られている。
 
長谷川病院はとりわけ重篤な患者さんを入院治療している精神病院なので、
そこの院長として、どのような症状の患者さんが見え、
どんな治療をしているのか、症例を示しながら講義がすすめられていく。
 
精神病院の院長先生ときくと、どんな人を想像するか
人それぞれとは思うが、
吉永先生ほどその先入観をくつがえしてくれる先生もいないのでは・・・。
 
私の中では精神科医とはちょっと神経質で、ちょっと怖くて、難しい人、
でも、患者の話には親身になって耳を傾けてくれると、そんなイメージだった。
 
ところが、目の前のその人は
先ず、あまり医者っぽくない、近所の気さくでおせっかいなおばさんみたい。
 
いつも派手で明るい色の面白いデザインのセーターなど羽織り、
真っ赤な口紅、かわいいバレッタやリボン、いくつもの指輪なんかを
身につけている。
 
丸顔にくるくるよく動く丸い目、にこにこ笑顔でころころ笑い、
早口で病院に入院している重篤な拒食症の患者さんの症例などを、
おもしろ可笑しくつらつらと話す。
 
彼女の目の前にいる患者さんは
成人女性なのに体重が30キロを切っているような
一瞬言葉を失うような状況なんだと思うが、
どこか慣れているというのとも違うが、泰然自若として、
「駄目なものは駄目」「それはよくあるパターン」「その手は桑名の焼きハマグリ」
みたいな感じで、サバサバとものごとを片付けていく(のだろう)。
 
また、野球がとにかく大好きで、
講義の最後にはいきなり休日に贔屓の球団を応援に行った話や
母校の野球部が2年連続で甲子園に出たので、応援に行った話などをぶち込んで
有無を言わさず、スライドを見せたり、選手について熱く語ったりする。
 
私としては、摂食障害とはなんぞやということや、
パーソナル障害の人の特徴と摂食障害との関係みたいな本題も
さることながら、
その先生の濃くてユニークなキャラクターの方に目がいってしまう。
 
この『心を学ぶ講座』には各方面からいろいろな先生が講師としてくるけど、
1番印象深い先生かもしれない。
 
たぶん長谷川病院という大規模な精神病院の院長を務めているからには
相当の実績と実力を兼ね備えたドクターのはずだけど、
話の内容とビジュアルや言葉づかいの軽さがマッチしないので、
まるで寄席で漫談でもきいているような気分なのだ。
 
それでも拒食症や食べ吐きの人の心理、
パーソナル障害の人がどういう経緯で摂食障害になるのかなど、
ためになる話もたくさん聴けたので、
心理カウンセリングのクライアントさんの症例として、
もし、こういうことがあったらと、心理カウンセラーの端くれとしてとても勉強になった。
 
5~6年前、私が心理カウンセリングの勉強をしていた頃、
同じ机を並べていた人に、
こうした食べ吐きや、リストカットなどの自傷行為を辞められない人がいた。
 
その人が告白した幼少期の親からの虐待と、若き日に受けた性暴力という
辛い過去から立ち直れない苦しさの吐露が思い出される。
 
たぶん長谷川病院には、そうした事例が枚挙にいとまがないほどだろう。
それを受け止め、受け入れ、こちらが壊れず平常心で対応するには
あのおおらかさと肝っ玉と、どこか外したような脳天気さがないと
やっていけないのかもしれない。
 
救助職に就いている人のうつの罹患率は相当高いというデータからみても、
これは精神科医を選んだ彼女の処世術なのかも。
 
人間ウオッチングとしても大いに楽しめた2回の講座であった。
 心理カウンセラーの心得として、心に留めておこうと思う。

2015年9月27日日曜日

魚群のイメージを取材に

 
 
 
目下、制作中の作品には生まれて初めて、魚の群れが出てくる。
原画を起こし、版木を彫るところまでは出来たが、
さて、そこから先、魚群と水の色はどうなっているのか、ちょっと心許ない。
 
そこで、次の作品のイメージを固めるために、魚の群れを実際に観に、
八景島シーパラダイスまで行くことにした。
モデルに使ったタカベという魚群がここにはいるはずなのだ。
 
当初、長女を引っ張り込み、5連休の2日目に行こうと計画していたが、
2ヶ月近く前に購入したチケットをしげしげ眺めてみたら、
5連休の内、中3日間は使用できないと判明。
 
わざわざ長女は実家に泊まりに来ていたにも関わらず、
その日には使えない割引チケットだったのである。
 
結局、チケットの有効期限としては、2ヶ月間も猶予があったにも関わらず、
そのままズルズル月末になだれ込み、
9月30日までしか使えないチケットにはお連れ様が見つからないまま、
『ひとりシーパラ』を決行することになった。
 
いつもは税務署に行くときしか利用しないシーサイドラインという無人の
モノレールに金沢八景から乗って、八景島駅に降り立つと、
当然、周囲はカップルか子ども連れの家族ばかり。
 
おばさんのおひとり様はかなりばつが悪いが、
そんなこと言っている場合じゃない。
 
シーサイドラインで後ろの席に座っていた若い女性ふたりも
八景島駅で降り、アクアミュージアムに向け歩き出したので、
思い切って話しかけてみた。
 「アクアリゾーツとランチがセットになったチケットを、
相方が行けなくなって1枚余分に持っているんですけど、いかがですか?
3800円を2000円で?」
「えっ、いいんですか?嬉しいです」
 
てな具合で、運よくだぶついたチケットをさばくことが出来た。ラッキー!
彼女達もラッキーと思っていただけたなら、めでたしめでたし。
 
そんなわけで、ゴミになってしまうはずのチケットが2000円になり、
おみやげのひとつも買おうかと気分も軽い。
 
まずはアクアミュージアムからじっくり鑑賞し、
海の中には本当にいろいろな生き物が生息しているものだと感心した。
 
こちらは鑑賞しているつもりだが、時折、鮫やセイウチ、オットセイなどと目が合う。
大型の動物は「それはもしかしてポーズ?」といいたいような
不思議な恰好をして、こちらを見ている。
人が自分を見ているとわかって、やっているとしか思えないようなしぐさと目線だ。
 
生まれて3ヶ月ほどのイルカの赤ちゃんもお母さんのお乳を飲んだりしながら
ぴったり寄りそっていて、可愛いし、
白イルカも大声で挨拶したり、絵を描いたり(描かされたり)して
頭の良さをアピール。
いずれも健気で、癒される。
 
そして、目的の「タカベの魚群」は
ドルフィン・ファンタジーという水槽にイルカ数頭と共に大量に泳いでいた。
 
15~20㎝ぐらいの魚で背中から尾びれにかけ美しい黄色い帯が光っている。
魚群で行動するのが特徴で、イルカの泳ぐ水の流れに影響を受け、
魚群の方向が変わる度、黄色い帯が翻って、新体操の選手のリボンのようだ。
 
今月は特別にハロウィン・ショータイムと銘打って、
ガラスに貼り付けたハロウィンかぼちゃの顔の前でえさやりをすると、
魚群がそこに集中して、かぼちゃのようになる。
 
作品にかぼちゃのように集まっているタカベは出てこないが、
季節柄、今だけの催しに遭遇し、それはそれでよかった。
 
ショータイムじゃないときのタカベの魚群をしかと目に焼き付け、
カメラに納め、無事、本日の目的を達成して、家路についた。
 
これからは非婚時代。
 
私もダンナが10月にバンコクに発ったら、ひとり暮らし再開だ。
ひとりじゃ、つまらないなんて言っていたら、何もできない。
誰かを誘わなくても、行きたいところへは行き、
見たいものは見、食べたいものは食べる。
 
おひとり様の生活をエンジョイすることで、
充実した老後が待っていると思うので、
ひとりを栄養に出来る大人の女を目指そうと思う。

2015年9月23日水曜日

団体展の審査

 
シルバーウィーク最終日の今日、
さわやかな晴天に恵まれたが、その恩恵は受けることなく、
私は上野の都美術館の地下3階に長時間、雪隠詰めにされて、
作品の審査に携わっていた。
 
日本版画協会の会期は10月6日(火)に始まるが、
その前に、一般の入選者を選び、
その中から今年の賞候補を選び、さらに受賞者を選ばなければならない。
 
何百という応募作品から入選作品と賞候補作品の選出は、
会の正会員の中の抜粋メンバー20名ほどで行われるのだが、
そこから先、受賞作品は全員の正会員の中から、出席に手を挙げたメンバーが
一堂に集まって、投票によって選出される。
 
少し前まではすべての工程を出席した正会員全員で、3日間もかけ
選出していたが、あまりに大変なので、粗よりする段階までは
毎年選ばれたメンバーだけで行うことになった。
 
そのメンバーにならなかった人は審査及び総会だけ参加して、
最後のいくつかの受賞者と準会員推挙・会員推挙の重要な決めごとだけ
自らの票を投じて参加することになる。
 
今日集まった正会員は70数名。
理事とかの役付でない平の会員にとっては、年に1度の集会なので、
まずは「おひさしぶりです」の挨拶から始まる。
 
絵描きという人種は本来ひとりで生きていることが多いが、
出身大学関係・職場関係・グループ展関係・別の団体展つながりなど、
それぞれ何となく派閥みたいなもので括られている。
 
朝の集合時間に挨拶を交わしつつも、何となく今日1日
長い長い審査時間を隣どおしで過ごす相手を見繕って、
ひな壇に並べられた審査用の椅子に着席する。
 
毎年思うが、この時の大人の駆け引きみたいな空気は緊張する。
 
今回はすんなり版17というグループ展の女性メンバーと隣同志で座れたので、
集団の中の孤独に陥ることなく1日を過ごすことが出来た。
反対側の左隣にも気さくに話せる女性がきてくれ、
3人で審査の感想を述べたり、四方山話をしたりして
長い1日を乗り切った。
 
10数年前、まだ準会員だった私はこの席に連なることは許されず、
まな板の上の鯉よろしく、正会員の人達が投じる1票やO×カードの挙手の数に
一喜一憂しながら結果を待ったものだ。
 
蒸し暑くて、空気がよどんだ地下3階の審査室には
集中して作品を見続けた血走った会員の目と、
昼のお弁当の後に一挙に襲ってくる睡魔とが渦巻いている。
 
でも、この清き1票こそが、
目の前にある作品と作者の運命を握っているのだから、
うつらうつら船を漕いでいる場合じゃない。
 
国会議員の誰かさんのように寝ていたり、つかみかかったり、引きずり下ろしたり
することなく、スマートかつ公正な審査員を務めなければ・・・。
 
今年も若い力みなぎる作品群を前にして、
私も頑張らねばと襟を正したのである。
 


2015年9月22日火曜日

陶芸展 最終準備

 
 
 
 
 
10月6日から、横浜市民ギャラリーで、通っている陶芸工房の展示会が行われる。
 
『横浜陶芸倶楽部 作陶展 「卓」 Vol.7
~開設20周年記念~
2015年10月6日(火)~12日(月)
 
陶芸工房を先生が開設なさって20年の記念展になる。
私がこちらの工房に通い出してからは3年9ヶ月なので、2回目の出品だ。
 
展示会は2年に1度のビエンナーレ方式なので、
工房のメンバーは2年間に作陶した作品の中から、コンセプトを決め、
選んだ何点かを、ひとり1卓のテーブルにセッティングして発表することになる。
 
テーブルは90㎝×60㎝のものを使用し、
ひとつでもふたつでも好きな大きさにして使うことが出来るので
私はふたつ希望して、90㎝×120㎝の大きさのテーブルに並べることにした。
 
今日はあまた出来ている2年分の作品の中から、
頭に思い描いていたものを、実際に使うテーブルクロスの上に並べ、
レイアウトを決める作業をした。
 
テーブルクロスはお抹茶グリーンに細かい青海波模様の和柄布を買ってきて
端をまつり縫いで整えた。
 
そこにオフホワイトのテーブルライナーを敷いて、
大皿類を並べるエリアと、
取り皿や湯呑みなどを並べるエリアとの違いを作るつもり。
 
コンセプトは
『お・も・て・な・し』
 
友人を何人かお呼びして、季節の和菓子、チョコにおせんべい、
お持たせのクッキーなどを、和洋折衷の器に自由に盛って、
おしゃべりを楽しもうというもの。
 
足付きの器や縞々模様・マーブル模様、柿の形の蓋ものなど
遊び心のある器たちをいくつか中央の列に並べ、
取り皿や湯呑みはシリーズ化されたお揃いのものを並べることにした。
 
3年半であれこれ試した結果、
自分の路線みたいなものが徐々に出来てきているので、
作品全体に一定のスタイルを感じていただけたらいいなと思っている。
 
まだまだ、思い通りの形に作陶できるわけでもないし、
狙ったように釉薬が焼き上がってくるわけでもない。
 
そこが面白いといえば面白いのだが、
そんなバラバラなものをいつまでも作っていてもしょうがないので、
陶器をみれば、私の作品だと一目で分かってもらえるようになりたい。
 
実際には次から次へと器を創って持ち帰っても、
家では邪魔者扱いされるだけで、居心地は悪いけれど、
自分らしい作品を創るということは、何によらずある程度以上の数をこなし、
家族の冷たい目にも耐え、
数多くの中から少しずつ自分らしさを見つけるしかない。
 
今日もダンナが出掛けているので、風呂敷ならぬテーブルクロスをひろげ
和室中に器をゴロゴロさせて、あれやこれやレイアウトを考えた。
 
出品を決めた器をまとめてみれば、布の大袋3つ分。
あまりの重さで、到底持ち歩いては駅さえたどりつけそうにないから、
搬出入の方法を考え直さなければ・・・。
 
残った器もあっちの食器棚、こっちのカップボードと
苦心惨憺して突っ込まなければ収まらない。

これで、展示会が終わって作品が戻ってきたらと思っただけでぞっとする。
 
趣味のつもりが、いつのまにか趣味はだし。
出来映えは素人はだしとはいかず、素人なのに、困ったものだ。
 
まあ、同好の士がいて、2年に1度お披露目会があって、
それを機にワイワイやる。
役に立つようで役に立たないものを作って、
馬鹿だねえと笑い合う。
 
そんな人間関係が楽しくてやっているのかもしれない。
 


2015年9月17日木曜日

『黒蜥蜴』 その魅惑的な世界

 
 
 
 
3度目の抽選でようやく当たり、手にしたチケットで『黒蜥蜴』の舞台を観てきた。
 
美輪明宏がライフワークにしている舞台で
御年80(?)の美輪明宏が体力的にもはや限界なので
黒蜥蜴はもうできないだろうと宣言したせいか、
とにかくチケットをとるのが大変だった。
 
たしかに2時半に始まった舞台は終わってみれば夕方6時15分。
間に15分休憩が2度入るとは言え、
美輪明宏はその間、ほぼ出ずっぱり。
しかも、豪華絢爛な衣装を6~7回は着替えただろうか。
 
黒いロングドレスから粋なキモノへ、そして、また今度は白いロングドレスへと
歌舞伎の早変わりさながら、次々と変え、
セリフも驚くほど膨大な量だし、早口で気っ風のいい役どころ。
 
また、何より美輪明宏らしいと思ったのは、
会場に入るなりいい香りが立ちこめていて、
チケットを切ってもらって劇場に入るまでにすでに三輪ちゃまワールド全開。
 
そして、幕が上がれば、
舞台からもまた香しい香りが客席に流れ込むしかけになっていて、
五感すべてに訴えかけて、その世界に引きずり込まれてしまう。
 
劇そのものは現代劇とも時代劇ともつかない感じで
大仰なセリフ回しが新劇みたいでちょっと慣れるのに時間がかかる。
 
舞台装置は贅沢なもので、歌舞伎みたいに回転したり花道があるわけじゃ
ないから、相当、手間とお金がかかっていると分かる。
ひとくちでいって、これでもかという豪華なてんこ盛り舞台。
 
話が後先になるが、劇場は赤と黒でできていてドラマチックな印象で
KAAT神奈川芸術劇場ととてもよく似ている。
(もちろん、東京のこちらが先に出来ているから、神奈川が真似たのだろうが)
とにかく、真っ赤な血のような緞帳の色といい、
比較的小さくて、役者の息遣いも感じられるような一体感といい、
美輪明宏好みなんだろうと思われる。
 
その上、始まる前のアナウンスで
「咳をするときはハンカチかタオルで口をふさいで、他の人の迷惑にならないよう」
とまで言うところも一緒だから、
これは美輪明宏が指示してアナウンスしているのではと思った。
 
『黒蜥蜴』の物語り自体に今イチ感情移入できずに帰ってきたが、
その「これでもか」な世界観は一見の価値ありだし、
とにかく劇場に香水をまいたり、凝った舞台装置や大道具だったり、
艶やかな衣装だったりと、たっぷり4時間ちかく楽しんで9800円は
リーズナブルというか、お安いのでは。
 
脇を固めるのが美輪明宏好みの俳優陣ばかりで、
顔はいいんだけど、大根役者ばかりなのが、ど~なのよと言いたくなるが、
最後は総立ちのカーテンコールだったから、
観客達は役者がどうのと言うより、この世界観全部が好きなんだろうなと思う。
 
会場には假屋崎省吾や、名前が分からないが時折テレビで観る役者達もいて、
皆、三輪ワールドの信奉者なんだろう。
 
ちょっと宝塚を観に行った時を彷彿とさせる独特の雰囲気を味わい、
現実逃避の数時間を楽しむことが出来た。
 
80にしてあの美しさ、そして、実は男性。
う~む。
恐るべし美輪明宏、
おぬし何者?もののけ?それとも、本当に黒蜥蜴?
 
歌舞伎の女形や宝塚にも通じる性倒錯の世界は、不思議な魅力に満ちている。
 
 


2015年9月10日木曜日

ピアソラに恋して その2

 
 
 
 
火曜日の夜10時頃コンサート会場から帰宅し、12時頃に床につくも
外の雨音が気になって、なかなか寝付けない。
 
「明日あさってと時間はとってあるんだから、今はゆっくり休んで、
2日間で本摺りをすればいい」
そう思ってはいても、聴いてきたばかりのピアソラのイメージが温かい内に、
早く作品に転化したくてウズウズする。
 
結局、12時頃ベッドに入ったにも関わらず、
12時半頃には起きだして、夜中に作業を開始することにした。
 
本摺りに用意した時間はいくらでもあるので、摺り疲れたら寝ればいいし、
日中も雨は降り続けるというか、台風が愛知県あたりに上陸するらしいから、
その土地の方には申し訳ないが
関東地方の私としては、雨による湿度の恩恵の中、
本摺り作業を進められるだろう。
 
深夜に始めた本摺りの作業は明け方4時半頃、いいところまで進んだ。
次は体力勝負のバックのつぶし面だというところで一旦休憩することにし、
寝床にもぐり込み、あっという間に眠りについた。
 
しかし、体のどこかで体内時計のベルが鳴ったらしく、
ゴミの日でもないのに、反射的に7時半には目が覚めてしまった。
 
まだ、ぼんやりしているが、とにかく朝ご飯を作らねばとキッチンに立つあたり、
ダンナの奥さんとしての使命に振り回されていると感じるが、
これも10月20日頃のダンナのバンコク行きをもってして終了すると思えば、
「なんくるないさ~」と思えるから不思議だ。
 
それより、せっかくいつもの時間に目覚めたのだから、
本摺りの続きに速やかに取りかからねば。
 
といって、続きを8時15分、朝の連ドラが終わるやいなや始めた割りには
まだまだ作業は残っていて、
8枚の本摺りが完了したのは夕方5時。
 
計13時間ぐらい摺っていたことになり、
もはやフラフラ。
 
それでも、朝ご飯、昼ご飯、夜ご飯とちゃんと作り、
最後の方は「バンコク、バンコク、じゅげむじゅげむごこうのすりきれ・・・」と
呪文のように唱えている自分がいた。
 
出来上がった作品のタイトルは 『ピアソラに恋して』
 
11月初めのグループ展のテーマとして
「音楽をテーマに創った作品を出品してください」という課題をいただき、
当初、旧作でお茶を濁そうかと思っていたのだが、
時間もあることだし新作を創ることにして、手がけたのがこの作品である。
 
ピアソラは大好きなヴァイオリニスト石田泰尚が好んで取り上げる作曲家で
アルゼンチン人でありながら、
よく知るタンゴとはまた一種異なる独特の世界観を作り上げた作曲家だ。
 
その甘く切なく激しい楽曲を
甘く切なく、そして、激しく演奏する石田様に魅了されているのだが、
もちろん、それは石田様の魅力でもあるが、
ピアソラの楽曲の素晴らしさにまずは起因する。
 
そのピアソラの世界観に敬意を表し、創ったのが今回の作品だ。
 
試摺りを採ってはあったが、
コンサートから帰宅してから、多少変更を加え、絵の具の調整をした。
 
摺りの間は外の雨に湿度の恩恵を受けつつ、
石田様が演奏するピアソラのCDをかけ、音楽に包まれ摺ったのがこの作品。
 
タンゴを踊る躍動感を出そうと原画をデザインし、版を創ったのだが、
その切なくも狂おしい感じを加味したくて、
色彩としては赤VS黒みたいな激しさを抑え、
珊瑚色とグリーンを基調色とした展開になった。
 
この作品にピアソラを感じていただければ幸いである。

ピアソラに恋して その1

 
 
毎日毎日、雨が降り続いている。
台風と低気圧とが一緒くたになって、日本列島はずぶ濡れだ。
 
それは版画家にとっては恵みの雨なので、
今週は新作の試摺りと本摺りを一気に全部片付けようと思ってスタートした。
 
月曜火曜と試摺りを採り、
まだ微調整が必要なれど、これで本摺りに持ち込めるところまできた。
 
ホッと一息ついた火曜日の夜、
予定していたコンサートに出掛けた。
 
大好きな石田泰尚がメンバーのひとりでもある『YAMATO』のコンサートである。
 
先月、石田様のソロコンサートに行った際、
持ち帰ったフライヤーの中で興味をそそられたコンサートで
石田様がいろいろな人と組んでコンサート活動するひとつ。
 
私が今まで観てきたのは
石田様のヴァイオリンに対して、ピアノとサキソフォンとか
石田様のヴァイオリンとピアノとチェロとか
それぞれ音色の異なる楽器との競演というか、協演が多かった。
 
しかし、『YAMATO』は弦楽四重奏団なので、
石田様のヴァイオリンの他に、ヴァイオリンふたりとチェロひとりという
弦楽器ばかりの編成である。
 
それぞれ個の立った組み合わせの場合は
石田様のパフォーマンスを存分に発揮し、
協調性も必要なれど、個性も重要な要素なので、
観客のほとんどは石田様の音色とパフォーマンス見たさできている感がある。
 
だが、弦楽四重奏団となると、全員弦楽器の演奏者なわけで、
ひとりだけ目立つパフォーマンスをするわけにはいかない。
 
更にいえば、いつもは石田様は立って演奏するので
徐々にのってくると動きは激しくなり、
その細い体をしならせたり、くねらせたり、飛び跳ねたりするし、
表情など子細に観ていると感情表現が現れて、女心をくすぐられる。
 
しかし、『YAMATO』の4人は座って演奏するので、
立って演奏する時ほど動くわけにもいかないし、
ひとり際だって音を出すことにも加減がいる。
何より大切なのは4人のハーモニーなのだから・・・。
 
そんな演奏の時のリーダーであり、こだわりの人であり、
わがままな石田(自分)を抑えつつ、大人の対応をする石田様を初めてみて、
それはそれで「こういうのもできるじゃん」とほっこりしているのは私だけか?
 
コンサート内容に触れると
『YAMATO』はいつも前半にクラシックの楽曲がきて、
後半、アレンジャー近藤和明氏のアレンジしたいろいろなジャンルの楽曲を
演奏するというスタイルらしい。
 
今回は
1部では、シューベルトの弦楽四重奏曲「死と処女」
2部では、ショスタコビッチの弦楽四重奏曲1番Op49
レッド・ツェッペリンの「Babe I'm Gonna Leave You」
レオン・ラッセルの「ASong For You」
ピアソラの「タンゴ・バレエ」と「天使の死」
 
アンコールにピアソラをもう1曲と、「荒野の七人」という
何ともバラエティに富んだ曲目が並ぶ。
 
しかし、ただランダムに並んでいるわけでもなく、
今回のコンサートに共通しているテーマは『死』
 
そのあたりのことはプログラムに詳しいし、
何といってもアレンジが素晴らしいので、
いずれも一貫して『YAMATO』の音楽として楽しめるところがいい。
 
いつもなじんだあの曲がアレンジによってこんな風になるのかという新しい発見は
協調性もあるということを石田様の中に発見したのと
同じぐらい貴重な体験で
私の中で『YAMATOの石田様』というのも1コマ加わった気がする。
 
さて、ただ単にコンサートの余韻にばかり浸っていられない。
帰ったら新作の本摺りが待っている。
そのつもりで、コンサートに出掛ける前、
本摺り用の和紙の湿しと絵の具の調合は済ませてある。
 
明日はいよいよ台風上陸かという大雨の中、
余韻とイメージと明日への意気込みを胸に、
滑らないよう、最寄り駅からはタクシーで帰宅したのであった。


2015年9月5日土曜日

ケーテ・コルヴィッツからのメッセージ

 
再放送という形でつい今し方Eテレで放送された
『こころの時代  沖縄にケーテ・コルヴィッツがあるということ』を観た。
 
ケーテ・コルヴィッツは戦争をテーマに作品を創ったドイツ人の版画家・彫刻家だ。
第2次世界大戦の終戦の年の春、77歳で終戦を待たずして亡くなっている。
 
女流画家であり、母親でもあったケーテは
第一次大戦で次男を、第二次世界大戦で孫を失った。
 
戦争をテーマに数多くの作品を創っているのだが、
その作品の多くは
死んだ子どもを抱きしめる母親であったり、
死体が折り重なる暗闇で我が子を探し求める母親だったり、
子どもを必死に守ろうとする母親の群像だったりと、
母親の視点で捉えた戦争なのである。
 
私が一番心打たれた作品は
『ケーテ・コルヴィッツのピエタ』という小さな彫刻で、
ピエタとは普通、十字架から下ろされたキリストを抱くマリア像を指すのだが、
戦争で死んだ息子を抱きしめる老いた母親像として創られている。
 
作品を観ていると、
それがいつのどこで起きた戦争のことを描いたものであれ、
戦争による悲しみは万国共通であり、
子を亡くした母親は何国人であれ皆、絶望の中にいると分かるので、
その作品の普遍性を物語っている。
 
そうしたケーテ・コルヴィッツの作品が沖縄・宜野湾市の米軍基地のすぐ脇に立つ
佐喜眞美術館にコレクションされていることには大きな意味がある。
 
沖縄は日本で唯一、先の戦争で戦地になり、
大きな犠牲を払った地である。
 
終戦後、持っていた土地を米軍に接収された佐喜眞氏には
接収代金として相当高額な金銭が米国から転がり込み、
それを何か意味あるものにしなければという思いで建てられたのが
佐喜眞美術館だそうだ。
 
実は版17というグループ展の一員として、ここの美術館に3度訪れたことがあり、
そして、館長の佐喜眞道夫氏にはずいぶんお世話になった。
 
だから、番組を通して、その佐喜眞氏がどんな思いと考えで沖縄に美術館を建て、
戦争に関する作品をテーマにコレクションするに至ったかが分かり
とても理解が深まったし、親近感を持つことが出来た。
 
戦争を知らない世代としては、戦争の悲惨さを描いた作品は
どこか他人事になりがちなのだが、
戦争というものは戦地でだけ行われているわけではなく、
我が子が亡くなったり、家族を失うことでもあるということを知ることで、
もっと身に迫って捉えることができる気がする。
 
版17のメンバーから、連絡網で再放送を観るよう連絡があって、
予定を変更して、家で観ていたのだが、
いろいろなサジェスチョンに富んだ番組だったので
本当に観てよかったと思った。
 
現在の日本の政治状況はすこぶる心配だし、
オリンピック関連の不手際もとても気になる。
 
いずれも『平和』を掲げて、
その意味の重要性は何を置いても守るべきものという認識はあるのに、
なんだか不穏な感じになっている。
 
さて、『今の自分は何をなすべきか』
といういつもの命題にぶつかるわけだが、
何とか流されずに表現者としての生きる意味を見出したいと思う。
 
と、宣言だけはかっこいいのだが、
首凝りと肩こりが今イチすっきりせず、
何だかやる気スイッチが入らない。
 
こりゃ、夏バテか?
 
さわやかな秋の訪れが待たれる今日このごろである。
 


2015年9月2日水曜日

五輪エンブレム撤回に思う


昨日の夕方、佐野研二郞氏デザインの五輪エンブレムが白紙撤回されるという
衝撃的なニュースが流れた。
 
佐野氏は「デザインに関して盗用は決して行っていない。
しかし、もはや社会一般の人に納得してもらうことは難しいと考えるし、
五輪のイメージを損なってしまったので、
家族やスタッフを守るためには辞退するしかないと決断した」
と、ホームページでコメントを出した。
 
今日は1日中、新聞もテレビもその話題で持ちきりだ。
国立競技場の白紙撤回に続く、エンブレム白紙撤回という大失態で、
世界中に恥をさらし、日本の信用問題にまで発展している。
 
佐野氏は昔からオリンピックのエンブレムを作ることに夢を持ち、
その実現を本当に喜んでいたのに、
今では「人としてこの状況に耐えきれない」ほどのバッシングを受け、
自らそのつかんだ夢を手離すに至った。
 
ものつくりに携わるひとりとして、それがどんなに悔しいことか想像に難くないし、
正に天国から地獄の1ヶ月だっただろう。
 
個人の感想でいえば、
ベルギー人に訴えられている劇場のロゴと最終作品の類似性より
オリジナルの作品と展覧会のポスターとの類似性の方があると思っているが、
それが発覚した時点で、なんで失格にならなかったんだろうと不思議だ。
 
佐野氏の強みはその展開力にあると専門家はいっていて、
たしかにその展開例は美しいし、スタイリッシュだと思うけど、
展開例を示す図にまるっきりの写真の盗用があったとあっては
お粗末にもほどがある。
 
内部資料とは言え、Copyrightの部分を削って、まんま使ったなんて
プロのすることかなと首をかしげてしまう。
 
空港のロビーの写真なんて、他人のブログのものを使わなくても、
自分かスタッフが羽田に撮りにいけばいいだけじゃないのか?
 
何だか、次から次へと盗用したとおぼしき画像やら作品が出てきて
「もはやこれまで」という感じだが、
自分で墓穴を掘っている部分も少なくないと思う。
 
デザイナー業界では、
どこかからコピペしたり、イメージを流用したりすることは
珍しくないということらしいが、
元のもの、そのまんまはさすがにマズイッしょ。
 
これからもっと透明な審査方法でもう一度公募するらしいが、
さて、どんなエンブレムが選ばれ、
どこからもケチがつかずに前に進めるだろうか。
 
個人的には招致の時の花のエンブレムの方が温かくて明るくていいなと思うが
プロに言わせると、エンブレムだけがよくても
それを多方面に展開していけるだけの経験と実力がないとだめとか・・・。
 
招致の時のあれは美大の女子学生が創ったものとか。
大会エンブレムとなると、学生ひとりのいいアイデアというだけじゃ駄目らしい。
 
ふーん?
そんなものか・・・とデザイン業界の素人は思うが、
今回の撤回騒ぎ、要は素人が騒いで、騒ぎすぎて引きずり下ろしたわけだから、
みんなが納得出来るものを作るのは本当に難しいよね。
 
格好良くてスタイリッシュなのもいいけど、ちょっと暗かったから、
次は明るくて明快なのがいいなぁ。
 
0歳から100歳まで、
男も女も、素人もプロもいいと思えるエンブレムってどんなよ?
そう考えただけで熱が出そう。
 
さて、どんなエンブレムに決まるのか、
なまじ関係ない職業じゃないだけに、楽しみに注視していこうと思う。
 
 

2015年9月1日火曜日

『大江戸りびんぐでっど』再燃

 
 
今日は東銀座まで出て、東劇で『大江戸りびんぐでっど』という映画を観てから、
友人の展覧会を3件廻って、帰って来た。
 
ここのところ『月イチ歌舞伎』と銘打って、
歌舞伎座で上演された演目を映画に仕立て直し、映画館で上映しているので、
欠かさず足を運んできた。
 
歌舞伎は本公演を観ようと思ったら、S席18000円だが、
映画なら2100円(1800円よりは高いが・・・)なので、ずっと敷居は低い。
なのに、映画館の客入りはまばらで残念に思っていたが、
今日の東劇はどうだ。
 
私はあらかじめチケットをネット予約していたので、ぎりぎりに着くと、
会場はほとんど満席かと思うほどのお客の入りでびっくり!
 
こりゃ、どうしたことかと眺め渡すと、いつもの月イチ歌舞伎の客層より
弱冠若い気がする。
 
たぶん、『大江戸りびんぐでっど』の作・演出が
宮藤官九郎なので、その官九郎効果なのではないかと推察する。
 
歌舞伎役者の勘九郎もでているにはでているが主役ではなく、
準主役というあたりなので、これは宮藤官九郎の方に間違いない。
 
『大江戸りびんぐでっど』は平成21年12月に歌舞伎座で上演されており、
内容は歌舞伎座がよく許したなと思うほどにハチャメチャな感じ。
 
江戸時代にくさや汁を浴びた死人がゾンビとして生き返り、街中で大暴れ・・・。
ゾンビ達はまるでお化け屋敷の幽霊のようないでたちと特殊メイクで、
舞台といわず花道といわず、あふれている。
 
市川染五郎・中村勘三郎・板東三津五郎・中村扇雀・中村獅童といった
名だたる大御所、人気者が、みな、ゾンビになって、
特殊メイクで踊っているんだから笑えるというか、呆れる。
 
人間なのは中村七之助のくさや売りの女房お葉と、中村福助の女郎喜瀬川、
中村勘九郎の大工の棟梁の3人だけ。
 
たぶん、「生ける屍」という言葉に端を発して、
「生ける屍」とは「生きている死人」
「生きている死人」って、それは「ゾンビ」か??
という流れを面白がった中村勘三郎と宮藤官九郎が意気投合し、
「それを何とか現代版の歌舞伎として上演しよう」ということで実現したのでは
あるまいか。
 
たぶん、ことの発端は勘三郎の「ねえ、生ける屍って変な言葉だよね」なんていう
酒の席のちょっとした会話にちがいないと思うのだ。

だから映画のタイトル『大江戸りびんぐでっど』のりびんぐでっどは『生ける屍』。
 
ブログに何度も書いたが、
この映画でも、もはや亡くなって何年も経ってしまった勘三郎や三津五郎が
とにかくおもしろ可笑しく演じていて、芸の幅の広さを存分に見せている。
 
私が贔屓の中村福助は女郎喜瀬川役で艶っぽくもユーモアたっぷりだし、
もうひとりの女郎お染の中村扇雀も、いつもの歌舞伎での役柄とは
まったく違うきわどいセリフのお女郎役をマシンガントークでこなしていて痛快だ。
 
性に対しておおらかだった江戸時代を彷彿とさせる女郎屋でのやりとりや、
現代人より命の扱いが軽くてぞんざいだったことが、
ドタバタのゾンビ騒ぎの中に盛り込まれていて、
小難しく考えながら生きていることがちょっと馬鹿らしくなってくる。
 
「3分に1度は笑える歌舞伎を」という勘三郎の思いが伝わって、
こういうのを正しくエンターテイメントというんだなと実感した。
 
会場を出て、銀座の真ん中辺まででてみると、
現在の銀座は工事中ばかり。
松坂屋の跡地が一番大きな工事現場だけど、
それ以外にもクレーンがいたり、ビルがカバーで覆われていたりする場所が
そこにもここにもある。
 
みんな、2020年のオリンピックに照準を合わせ、
大きく生まれ変わろうとしているのだろうか。
 
帰ってテレビをつけたら
「オリンピックのエンブレム、佐野研二郞氏の案は撤回の方向へ」という
ニュースが流れていた。
 
国立競技場といい、エンブレムといい、
何だかこのオリンピック、ケチばかりついて、大丈夫かニッポン?という気になる。
 
クリエーターは常に新しいものを生み出さなければならない。
そして、それは誰かの生み出したものに似ていては価値がない。
 
そんなことをクリエーターの端くれとしてチクチク感じながら、
歌舞伎役者として、夢半ばに逝った勘三郎と、
「夢かと思った」と語っていたのに、本当にエンブレムが夢幻になっちゃった
佐野研二郞氏のことを思った。
 
夢は見るのも大変だけど、
かなえるのはもっと大変なんだよなぁ・・・。