2016年が穏やかに静かに明けた。
昨年末、お風呂のリフォームのトラブルに巻き込まれ、
つい数日前まで、家が工事現場になっていたことなどなかったかのように、
いつもどおりの年明けである。
お天気がよく、気温が高いせいか、とりわけ穏やかに感じる。
昨年のお正月、元旦はたしか雪が舞っていたと思うので、
お天気や気温で人の気持ちが左右されるのを感じる。
朝、実家帰りしている娘達が目覚める前に、ひとり起きだし、
キッチンでおせち料理の最後の仕上げに鯛を焼いた。
おおぶりの鯛はグリルで焼いただけでは中まで火が通りきらない。
そのまま、グリルで保温している間に、
お客様仕様のお皿や祝い箸などをリビングのテーブルに並べる。
毎年恒例の元日の朝の準備なのだが、
これまた例年と変わらず9時頃、一番いい感じに日が差し込んで、
並べ終わったおせち料理には柔らかな光が注いでいる。
そのタイミングで写真撮影をしてから、2階の娘達に声をかけた。
娘達もリビングに広がる毎年恒例の風景ながら、
スマホでテーブルの上の料理を動画撮影などしている。
ちっともおせち料理作りの手伝いなどしないくせに、
とりあえず撮影はしてくれているところをみると、
この母親の行き過ぎた趣味を受け入れてくれてはいるようだ。
「今年の黒豆、しわひとつなく、上手に煮えたわ~」と私が言えば、
娘達は「それ、去年も言ってたよ」とにべもない。
「このたつくり、今年は特に甘さの加減が絶妙!」と言った時も、
「ハイハイ」のひとことだ。
それでも「ひととおりのもの、すべてに箸をつけること。
でなければ、新しい年が始まらないのよ」という、
これまた毎年の繰り言に従い、
好き嫌いを言わせない我が家のしきたりを守って、全品食べている。
毎年同じように新年をお祝いできるというのは、案外難しい。
家族とは言え人が出入りするし、
おせち料理も心と体が健康でなければ作る気持ちにならないかもしれない。
そんなことをどこかで気づいているからこそ、
毎年、作れる内は、作れるものは作って、
家族で祝い膳を囲みたい。
娘達を見ていると、以心伝心でそれが伝わっているのかなと思う。
今年一年、穏やかに健康で過ごせますように。
まめに健康で暮らすため黒豆を食べ、
たつくりは子孫繁栄、
紅白なますはお祝いの意味、
鯛はめでたい・・・と。
毎年、急に田舎のばあばみたいになる母親にあきれつつ、
元旦から食べ過ぎの娘達なのであった。
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