2016年8月20日土曜日

どしゃ降りのお葬式

 
友人のダンナ様が亡くなられ、お葬式に出席してきた。
 
次女のママ友として、15年ほど親交のある友人のダンナ様で、
一度もお目にかかったことはないが、親の代ではなく、友人のお連れ合いとなると、
お知らせをいただいて伺わないわけにはいかないだろうということになった。
 
本当は亡くなられたのは11日ということだが、お盆を挟んだ諸般の事情と
20日の今日がダンナ様の70歳の誕生日だったからという理由で、
だいぶ日にちを開けてのお葬儀となった。
 
私達は7人グループのママ友として年数回会ってきたが、
今日はその内の3名が伺うことになり、
夕べのお通夜に参列した友人もいたようだ。
 
朝、9時過ぎに横浜を出たときには霧雨程度だった雨が、
駒澤大学駅に着いて、外に出たときには、
台風が上陸したのかと思うような暴風雨になっていた。
 
地下鉄から地上に出た出口の目の前には太い幹線道路が走っていて、
タクシーなどの車寄せなどもなく、
景色が白く煙るほどのたたきつける雨を前に、
喪服姿の何人かが呆然と立ち尽くしていた。
 
新調した喪服も靴もストッキングもなにもかもが、そこにいるだけでびしょ濡れだ。
傘など何の役にも立ちそうにもない。
 
側にいた喪服の若い女性ふたり組に声をかけ、
何とかタクシーをひろって一緒に斎場までいこうということになった。
 
タクシーはほとんど走っていなかったが、
幸い目の前を通り過ぎた1台のタクシーが10メートルほど先で止まり、
お客を降ろし始めた。
 
思わず娘の手を取るように若い女性の手をつかんでタクシーに走り寄った。
3人のお客が降りて、3人の私達が乗り込んだ。
 
こうして、全く逆方向とはいえ、タクシーを捕まえることが出来、
途中でUターンしてもらって、何とか斎場までたどり着くことが出来た。
 
大雨で人がうまく集まらない中、
葬儀は定刻に始まった。
 
無宗教によるお葬式に出席するのは初めてだったが、
白とブルーで作られた花祭壇の中央に、穏やかなお顔のダンナ様の遺影が飾られ、
「ヘイジュード」をはじめとするビートルズナンバーがバックに流れている。
 
ダンナ様が近年、趣味で作られていた陶芸作品や
ヨットに乗られるときに身につけていた胴着などが前室に飾られ、
家族が寄せた文章と共にたくさんの写真がパネルになっていた。
 
お坊さんの読経が聞こえるわけでもなく、神主さんがいるわけでもなく、
お花も喪主と書かれた立て札2台だけというシンプルで美しい祭壇だ。
 
私達は白いカーネーションを1本ずつ手にして、献花した。
しめやかな祈りの時が流れている。
 
お香の香りが立ちこめ、低く読経が響くお葬式か、
教会で賛美歌を歌ったり司祭様のお話を伺うお葬式か、
もしくはお祓いのある神道のお葬式しか知らなかった私には、
「ヘイジュード」の調べは新鮮で、
無宗教のお葬儀というのもアットホームで悪くないなと思った。
 
友人もダンナ様が亡くなって10日近くが経ち、今は落ちついた様子で、
涙もほとんどない静かで穏やかなお式だった。
 
きっと寂しくなったり、夫がいないことを実感するのはこれからだと思うが、
今夜から友人のひとり暮らしが始まる。
 
それぞれ独立している息子さんご夫婦やお孫さん、
昨年、ひとり暮らしを始めた娘さん(我が次女と同級生)は、
折に触れ、お母さんの元に帰って来てあげて欲しいなと思う。
 
「亭主、元気で留守がいい」というのと、
本当にいなくなってしまったのでは違うから・・・。
 
1時間半ほどして、出棺のため斎場の外に出てみると、
先程のたたきつけるような雨は一転、
晴れ上がって陽が射している。
 
「いったい、さっきの雨は何だったの」と口々にいいながら、
いつものママ友ふたりを誘ってレストランでひと休みすることにした。
 
人生は突然、雨が降ることもあるし、
カラリと晴れることもある。
 
大動脈乖離で倒れてそのまま亡くなってしまったダンナ様の突然の死を
どうか上手に受け止め、乗り越えて、
再び、陽の射す日々を早く取り戻してくださいと祈りつつ・・・。

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