4月下旬、夏用の花の苗を大量に購入し、植え替えた時、
『時計草』の苗を生まれて初めて買って、植えてみることにした。
前から、その個性的な花の形に惹かれていただけでなく、
どんな葉っぱなのか、どんな生育をするのか、
知らないことだらけで、好奇心をいたく刺激されていたのだ。
切り花で売っているところは見たことがないし、
聞けば、地植え以外に方法はないというから、
私もプランターではなく、狭い庭の一隅に直接植えることにした。
買ってきた2本の苗は3~4枚葉っぱがついているだけの細い茎がひょろひょろして、
とてもこの細い茎から、写真で見るような大ぶりの花が咲くとは思えなかった。
しかし、2週間もすると茎はぐんぐん成長し、葉の数を増し、蔓がのびて
辺り構わず蔓が絡まりだした。
すごい生命力だ。
それをすこし無理に引きはがし、フェンスにうまく絡まるように誘導。
1ヶ月ぐらいで何とか形が整ってきた。
そこからは速かった。
ある朝、ふとみると大きな花がバカッと音を立てて咲いたかのように
咲いていた。
直径8センチぐらいはある。
よく見ると他にも花芽が育っていて、1列に並んで10個ほどスタンバイしている。
他の方向に触手を延ばした茎にも、花芽が並んでいるところがある。
しかし、たくさんつぼみがあってもひとつしか花は咲かない。
しかも、1日咲いたら、次の日にはしぼんで、ポトリと落下してしまう。
そして、隣のひとつがまた咲いた。
つぼみが何十とあっても、咲くのはひとつか、多くてふたつ。
時が移ろうように、自分の番が回ってきたとき、
その1日限りの命に灯が灯る。
夏の花、時計草はセミより儚い命を生きていた。
紫色の10枚の花びらとおぼしき部分はじつはがくのようだし、
大輪の花火のように広がった無数の細い紐状の部分がたぶん、花。
めしべは5本でおしべが3本。花から飛び出している。
数が変。場所も変。
ビジュアルも相当変だけど、植物としてのルールも守られていない。
そして、一斉に咲くといった群れを好まず、
自分の番が来たときだけ、ひっそりしかも派手に咲いて、1日で散る。
変な奴。
9月1日が私の番なの、みたいな・・・。
知れば知るほどおかしな花だが、版画家としてはいろいろ想像をかき立てられ、
作品にしたい気持ちがむくむく湧き上がってくる。
ちょうど8月いっぱいで大きな作品の彫りが終わったので、
今日は木のリースに時計草を絡ませ、新作の原画を作ることにした。
人生は一瞬たりとも同じ時はなく、同じ刻みで移ろっていく。
それぞれの人生の大輪の花が咲くときは何回あるだろう。
ある一時代が過ぎれば、それはポトリと落下して、思い出になる。
みたいなことをぐちゃぐちゃ考えながら鉛筆を走らせ、
原画を描いてみた。
タイトルは『時の華』にするか『刻の華』にするか・・・。
これから始まる転写の作業や彫りの作業の間に徐々に決まっていくだろう。
『時計草』は不思議ちゃん。
当分、私の想像力と創造力を刺激してくれそうだ。
人生とは。時の移ろいとは。幸と不幸とは。
ちょうど、私自身がそういうことを考えるお年頃ということかもしれない。
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