銀座のギャルリー志門で行われている『文学と版画展』に
ママ友を誘って、再訪した。
火曜日にお連れした友人達はお茶のお稽古で一緒のメンバーふたりだったが、
今日は次女と同い年の娘を持つ同年代のママ友ふたりだ。
ふたりは次女が高校生の時からの友人で、
かれこれ15年ぐらいのおつきあいになるが、
更に言えば、熱心な版画家萩原季満野のファンでもある。
ありがたいことである、ホントに。
そんなふたりは毎年数回、私の個展やグループ展に来て下さっているし、
時には拙作をお求め下さる貴重な友人なのだが、
そんな彼女達も、本の装丁になった我が作品を見るのは初めてだ。
それもそのはず、自分の版画で本の装丁を手がけたのが
生まれて初めてなのだから、当たり前の話だ。
そのふたりにとって、初めて見る本の表紙は新鮮だったようで、
「私、この表紙だったら、どんな内容か興味をもって、すぐ手に取ると思うわ」と
嬉しいことを言ってくれる。
更にひとりは「私が選んだ瀬戸内寂聴の『爛』とはどんな小説なのか」興味をもって、
すでに書店で買い求めて、
目下、読み進めているところだという。
「オリジナルの表紙だと本屋さんで目に留まらなくて、
書店員さんに捜してもらったけど、
もし、この表紙だったら、すぐ目に留まったと思うわよ」と、
お世辞だとしても、ありがたいお言葉。
他にも、「作品を見て、小説を買って読んでみた」という声や、
「出版社の人にもみて欲しいけど、瀬戸内寂聴にみて欲しいわよね」という声も、
この1週間の間に、あちこちでいただいた。
なかなか6日間の短い会期に、
出版社の目に留まるようなミラクルは起きないのが現実だが、
誰しも本の表紙の絵が気になって手に取ったり、
CDをジャケットの写真やイラストが格好良くて買うことはあるだろう。
そういうのを『ジャケ買い』と呼ぶのだが、
小さな画廊で限られた人の目に触れるだけでなく、
もっと全国の書店の平積み台に自分の作品の装丁本が並ぶ、
そんな日が来たら凄いなと
一瞬、夢想したのであった。
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