2017年1月30日月曜日

病と気力

 
病気になった後、いつもの自分を取り戻すのに必要なのは『気力』である。
 
例えば、風邪をひいたなと思っても、すぐ薬を飲んで、温かくして寝る、
そして、一晩で風邪を抜くなんてことが出来れば、
気力が萎えるいとまもない。
 
しかし、「風邪をひいても、年をとると長引くのよ」などといって、
1ヶ月もぐずぐずするとか、
風邪だと思っていたら、どんどん悪くなって肺炎までいってしまったなどということに
なると、気力も一気にダウンする。
 
気力が落ちてしまうと、体が治っても、なかなか今まで通りの生活にならない。
 
今の私がまさにそんな感じだ。
 
1月2日夕方に、左脇の下に刺すような痛みを感じ、
5日に帯状疱疹の発疹を発見。
6日朝から治療に取りかかり、強い薬も服用したし、
5回の往診を含め、6回、お灸治療も施してもらった。
 
また、副作用が懸念される神経痛に良く効く鎮痛剤も、幸い副作用なく服用。
 
そうして、
夜中に声を出し悶絶する痛みの続いた最初の数日をMax10の痛みとすると、
月末の今日あたりは1か2ぐらいの痛みまで軽減した。
 
今は左脇からバストにかけ、ピリピリした痛みが少しあり、
肋骨の場所が重だるい程度。
 
よくぞ、ここまできたと思うのだが、
まだまだだと思うのが『気力』である。
 
幸い、無気力でいられるほど、時間に余裕がなく、
月10本程度の心理カウンセリングや展覧会のメンバーとの会合、絵画教室など、
外せない予定はこなさなければならない。
 
不思議とメイクをして、外に出て、人と会うと、元気な時と変わらない自分で
話すことが出来る。
 
社会的責任と元々人と話すことが好きという性格のせいか、
口はいつもどおり達者に動く。
 
しかし、それをこなして家に帰ると、昼だろうが夕方だろうが、
まだ、お布団に倒れ込んでしまう自分がいる。
ガス欠である。
 
わずかな気力を奮い立たせても、すぐ、エネルギーが尽きてしまう。
 
とりわけ、
1月は版画の彫り作業を延々としなければいけない予定だったが、
彫りの作業には本当にエネルギーがたくさんいると実感。
 
いつもは難なく彫り進めていた版木が硬くて硬くて、刀が進まない。
 
通常、60㎝×90㎝の版木を彫って『1面クリア』とカレンダーに書き込むのが
日課になっていたのだが、
この非力では1日で1面クリアどころか0,3面クリアが精一杯。
 
しかも、0,3面クリアの後に、後先構わずグーグー寝ないとやっていけない。
 
こりゃ、年を取って、指に力が入らないとか、他の病気になったら、
木版画は無理だなと予感させる。
 
病はお医者さんや鍼灸師さんなど、医療関係の皆さんが一生懸命治してくださるが、
自分が「元気にならなくちゃ」「今まで通り、頑張らなくちゃ」と思える
『気力』は自分で取り戻すしかない。
 
一度、ぺこんぺこんに凹んだ気力をもう一度膨らますのは大変。
 
この元気印の私がそう感じるのだから、間違いない。
 
12月末に亡くなる人が多いのは「今年中に終わりにしたい」と思う人が多いからと
ブログに書いたが、
きっと年の瀬に、病との戦いに気力が尽きたのだろう。
 
私は食欲も落ちていないし、発疹の傷も治っているし、
神経の痛みも相当、軽くなっている。
 
あとは体の真ん中に力を込めて、しゃんと立ち、
元気をみなぎらせて動くこと。
 
まだ、年の初めの1月なんだから、2017年をこれで終わらせてたまるか!
 
そう、書くことで、自分を鼓舞し、
気力を奮い立たせようとしている今日この頃だ。

2017年1月25日水曜日

富士山満喫

 
 
 
 
 
 
ダンナが珍しく私を誘って(実際には誘われてはいないが・・・)
旅行に行くことになった。
 
旅行といってもツアーが全く駄目なダンナは一都市滞在型というか、
一箇所だけ、同じホテルなり旅館なりに連泊して、
とにかくのんびりするのが旅行だと思っているので、
今回も横浜に住んでいながら、沼津に2泊3日の旅らしい。
 
沼津といえば、日帰りで立ち寄り温泉で十分の距離だが、
三津という場所にある明治創業の老舗旅館『松濤館』に2連泊するという。
 
お陰で私は水曜日のお茶のお稽古をお休みする羽目になり、
もうこうなるとハイハイわかりましたとついていくしかない。
 
ダンナは車に自転車を積み込み、向こうでツーリングする気で満々だ。
 
私はまだ病み上がりの体なので、宿で長女のためのレシピを書いて、
赤ん坊が産まれた後、ご飯作りがスムーズに出来るよう、
我が家の献立を伝授するためのノートを作ることにした。
 
長女は今日までキッチンに立つことを避けて暮らしてきたせいで、
結婚した今になって、ご飯作りが相当、苦痛の種らしい。
 
「そんなこと、いざとなれば出来るようになるわよ」とうそぶいてきたが、
いざとなっても、急に段取りよく出来るわけでも、
手際よく出来るわけでもなく、
一度に何品かを作るなんざ、神業のようなことらしい。
 
「そんな娘に育ててしまって誠に申し訳ございません」の気持ちも込め、
私がよく作るレシピで、多くの野菜やお肉を同時にとれるものを中心に、
レシピ集にしてまとめ、
子どもが産まれて実家に来ている間に特訓して仕込もうという計画なのだ。
 
さて、そんなレシピ用ノートを車に積み、
やってきたお宿は、それはそれは見事に富士山が真っ正面に見える
素晴らしい場所にあった。
 
フロントからも、お部屋からも、お風呂からも、
雲ひとつない空を背景に白く雪をいただいた富士山が燦然と輝いて立っている。
 
その神々しいまでの美しさに見とれ、
2泊3日、
私は日本人に生まれたことを誇りに思いながら、
ゆっくりとした時間を過ごした。
 
食事も豪勢な懐石料理で、
とりわけ朝ご飯の充実ぶりは凄かった。
 
神経痛で未だに脇腹が痛い身でありながら、
食欲はだいぶいつもどおりに戻っていたので、
いずれも美味しく味わい完食した。
 
ダンナが自転車ででかけた中日には、私ひとりしか乗船客がいないのに、
湾内を1周する遊覧船を出してくれたので、
ひとり優雅に駿河湾の船上から富士山を眺めることが出来た。
 
そして、レシピは30品目ぐらいは書けただろうか。
 
これをローテーションで作れるようになれば、
何とか新米ママとしてやっていけるのでは・・・。
 
料理に命をかけていた新婚時代の私とは、だいぶ違う我が娘を、
母親として憂いているが、
可哀想なのは食べさせてもらえない婿殿と産まれてくる子どもなので、
ばぁばとして責任を感じているのである。
 
今どきの働くママもいいけれど、
食は生活の基本。
家族の健康は結局、女が守るしかないでしょと老婆心ながら思うわけである。
 
美味しいものを上げ膳据え膳でいただいた私も
明日からはちゃんとお台所に立たなければ、
そう思う旅の終わりであった。
 

2017年1月22日日曜日

三つのお祝い

 
 
 
 
長女の『帯祝い』と
娘婿の『1級建築士合格祝い』と
ダンナの『誕生祝い』を兼ねて、
桜木町にある伊勢山皇大神宮でお参りをしてから、
近くのレストランで食事をすることになった。
 
ダンナが8日に本帰国して以来、初めての家族勢揃いである。
 
4人家族に娘婿という立場の男性がひとり加わることで、
今後の家族の雰囲気がどう変わるのか、
お試しの会みたいな要素もある。
 
最初に日ノ出町で待ちあわせ、けっこうな坂道を上り、
伊勢山皇大神宮までやってきた。
長女の七五三もここにお参りに来たので、
帯祝いに引き続き、お宮参りもこちらに来ることになるのだろう。
 
本殿で祝詞をあげていただき、
お札をいただいたり、御神酒をいただいて、神事が滞りなく終了。
 
女性側の親としては、私から娘に産前産後用骨盤ベルトと腹巻きをプレゼントした。
 
これで
子どもを授かったことで行われる最初の行事が無事、終わったことになる。
 
その後は、伊勢山にあるイタリアンレストランで食事をしたのだが、
話題は赤ちゃんが産まれる前後のことをどうするかということに終始した。
 
結婚するふたりが選んだ今の住まいは、働くふたりには都合がよくても、
あまり子育て環境という面では感心しない。
 
子育てに手厚い行政区とそうでないところがあるので、
保育園問題や、補助費の問題など、
未だかつて考えたことも調べたこともなかったことを目の前にして
いろいろ悩んでいるらしい。
 
その悩みの中には子育て助っ人として、
ばぁばとじぃじがどのぐらい関わってくれるのかという問題もあるようで、
とりわけ、ばぁばである私の出方次第でどこに家を借りるのか決まるらしい。
 
娘は5月末に出産して、来年4月には職場復帰を果たしたいと思っているが、
産まれてから動くのは難しいとなると、
もうこの3月末には引越かと、こちらが考えてもみなかった話に慌てる。
 
助けてあげたい気持ちはあれども、それを当たり前だと思われても困る。
 
孫は可愛いとはよく聞くけど、
来たら2日もいると、振り回されて、早く帰って欲しいと思うという声も多い。
 
基本、親のふたりが子育てはしっかりやって欲しいというのが私達の考えだが、
日本の働くママの大変さも分かるので、
どうしたもんじゃろうのう~と悩ましい。
 
いずれにせよ、今年が私にとって例年になくドメスティックな1年になることは
間違いないと思うので、
いつまでも、神経痛をひきづっている場合じゃない。
 
自分の出産・子育て時は、海外でお手伝いさんの手を借り、楽ちん過ぎたので、
今、娘の出産・子育てで、つけが回ってきているのかも・・・。
 
娘達も親になる覚悟を固めると共に、
ばぁばの覚悟も必要に迫られていると知った帯祝いなのである。
 

2017年1月19日木曜日

『阿古屋』は1日にしてならず

 
病み上がりの体をよろめかせながら、
この作品だけはやっぱり観ておかなければと東銀座に出掛けた。
 
シネマ歌舞伎『阿古屋』である。
 
一昨年の11月、歌舞伎座でかかったものに、主演の玉三郞丈のモノローグや
舞台を支える裏方さんたちの映像を加え、
スクリーン用に起こしたもの。
 
『阿古屋』は歌舞伎の女形の中で最も難しいとされる役で、
今、日本で演じることが出来るのは玉三郞丈ひとりだけだという。
 
当時、なぜそんな大役に挑む玉様を私が見逃してしまったのか、
今となってはもう取り戻せない失態だったと思うのだが、
せめて映像化された今回のシネマ歌舞伎の『阿古屋』だけでも見届けようと思う。
 
なぜ、『阿古屋』の遊君阿古屋がそんなに難しいのかといえば、
舞台上でお琴を実際に弾き、そして、弾きながら謡を謡い、
また、三味線と胡弓も演奏するという『箏責め』という裁きを受ける役だからだ。
 
花魁のかつらと豪華絢爛な衣装を身につけただけでも20キロはあろうかという
いでたちで、
お琴・三味線・胡弓と弾きこなし、プロの三味線と掛け合いする。
 
更には、役の上での演奏なので、
恋人景清の居場所を問い詰められ詮議されている立場として、
決して乱れることなく凛として弾ききることを要求されている。
 
また、玉三郞丈はこの役が出来る唯一の歌舞伎役者として、
若手に継承していかなければならないという責務も同時に担っている。
 
舞台の演出、照明のあて方に至るまで目配りし、細かい指示を出し、
最終的には舞台の上で見事に『阿古屋』そのものを演じきる。
 
その覚悟と芸の秀逸さとそこに至る鍛錬と責任感と・・・。
 
諸々のものをひとり担って孤軍奮闘する様が
痛々しいまでにスクリーンを通して伝わってきた。
 
モノローグで
「玉三郞を襲名したとき、父から二十歳までに女形の基礎は全部できるように
なっていなさいといわれました」と言っていたが、
本当にその言葉通り、血のつながりはない守田勘弥と養子縁組した玉三郞が
血を吐く思いで芸事に精進した若い日々があったに違いない。
 
スクリーンには美しくも凛とした遊君阿古屋の姿が大写しになって、
観るものを夢の世界にいざなってくれるが、
私には坂東玉三郞の孤独と歌舞伎役者としての覚悟の方が身に迫り、
観ていて苦しくなってしまった。
 
まだ、自分の体のあちこちに残る痛みがジンジンと刺激するせいか、
人には見えない痛みみたいなものを玉三郞丈の向こう側に感じてしまう。
 
人を感動させるために完璧を目指す玉三郞丈のその心意気、
本日の学びが、病み上がりの心を満たし、
「なんで年明け早々、こんなことになってんだよ。ったく!」と毒づく自分を
なだめつつ、この重い病にも何か意味があって、
立ち止まって考えなさいということかと思ってみることにした。
 
 

2017年1月12日木曜日

人生初の往診


 
帯状疱疹になってしまったとブログに書いたせいで、
あちらこちらからいたわりのメールと共に、脅しのメールをいただいた。
 
また、私が帯状疱疹をにかかったと時を同じくして、
朝日新聞朝刊の「患者を生きる」というコラムで『帯状疱疹』が取りあげられ、
連日、帯状疱疹を重篤にしてしまった例や、治療に関する記事が掲載されている。
 
それによると、帯状疱疹で何が怖いといって、長引かせて神経痛が
何ヶ月、何年の単位で続くこと、これが一番怖いということだ。
 
そのあたりを心配して、友人や親族に大変な思いをした、
もしくはしている人が、脅しのメールを心配顔で送ってきてくれている。
 
もちろん私本人が、一昨年冬、首の神経を痛めたせいで、
3ヶ月近く,肩から指先へのしびれや痛みを取るのに要したわけだから、
帯状疱疹後神経痛を恐れているのはいうまでもない。
 
そんな折、整体のY先生から
「お灸療法は帯状疱疹の傷の治りと神経痛をブロックするのに有効ですよ。
試してみませんか」というメールをいただいた。
 
Y先生は整体師の先生でもあるが、鍼灸師の資格も持っていらして、
今回の病状にお灸は大変効果的と判断しての提案だ。
 
あらかじめ取ってあった10日の整体の予約を「お灸療法」に切り替えた。
人生初の本格的なお灸は、想像以上に熱かった。
しかし、施術後、何だか体が軽くなった気がしたのは不思議だ。
 
発疹が出ているこの機にお灸を続けて据えることが肝心と、
次の日の夜、つまり、夕べの夜10時に、我が家まで往診に来てくださることになった。
日中はすでに予約の患者さんでいっぱいだからだ。

そでにしても
 「往診」
 
医療関係の先生に、自宅まで往診に来てもらったことは記憶にある限り、ない。

私の往診のイメージは、
自分では動けないような患者さんのために医療チームが来てくれるという
重篤感溢れるものだったのだが・・・。
 
夜10時、見知らぬ夜道で迷子にならないよう、駅まで車で迎えに行った。
 
先生は私のブログを愛読してくださっているので、
そこに度々登場する和室アトリエにお通しし、
部屋の真ん中にのべた布団の上で施術していただいた。
 
自宅にY先生がいること自体、ちょっと驚きの光景だし、
いつもは借りて着るジャージーの上からの整体なのに、
赤い発疹が広がる背中やバストをさらしてお灸されている図というのも
いままでにない光景である。
 
一挙に自分は重篤な患者であるという「まな板の上の鯉」の気分が浮上し、
気分がどんよりする。
 
しかし、往診はやはり効を奏し、
水疱化してウイルスをまき散らそうとする病魔に、正にお灸を据えて、
それ以上悪さをしないよう封じ込めようとしているのを感じる。
 
見て分かるほどに、お灸をすえた数十箇所の発疹は小さくなっている。
 
お灸はその熱さに歯を食いしばる必要はあるものの、
オッパイや脇腹に電流が流れる痛みに比べれば、なんのその。
 
ここはひとつ、神経痛を残さないために、
発疹まみれの上裸体を晒して、頑張るしかない。
 
往診は明日の夜も行われる。
 
診療後の遅い時間に我が家まで来てくださろうというY先生の優しさに応え、
今は早く元の元気を取り戻したいと願うばかりである。


2017年1月9日月曜日

病魔襲来

 
新年早々、思いもかけない病魔に襲われてしまった。
『帯状疱疹』である。
 
1月1日、我が家で親族会が行われ、
娘婿という新メンバーを迎え、にぎやかな宴会が行われたのはご報告通り。
 
その夜、あまりの肩こりに肩胛骨の手の届かないあたりにやや痛みが・・・。
 
1月2日の夕方、突如、左の脇の直ぐ下に激痛。
夜に向かって、痛みは左のオッパイの左半分に這い上ってきた。
 
1月3日、もはや左のオッパイ全部が痛い。
何だこりゃ。
 
1月4日朝、お医者さんはまだやっていないし、極度の肩こりが原因かもと考え、
いつもの整体の先生に電話。
「それ、帯状疱疹じゃないですか」との問いに、
「何も発疹は出ていないようです」と答え、次の日の予約を取った。
 
1月5日、痛みが脇から乳房、胸の中央まで来て止まる様子から、
「肋間神経痛ですね」ということで、しっかり凝りをほぐしてもらった。
 
が、しかし、その夜、お風呂に入るときに背中を見て、ぎょっとした。
そこが一番凝ってますとしごいてもらったあたりが赤く島状に膨れあがっている。
「よもや帯状疱疹か?」
 
1月6日朝、背中の島状発疹は少し広がり、左胸にも新たに発疹が・・・。
 
慌てて、その日から始まったばかりの皮膚科の先生のところに転がり込んだ。
「帯状疱疹に間違いないと思います」とお墨付きをいただいた。
 
それから4日目の今日、
ようやくパソコンの前に座ってキーボードを叩いているが、
この中2日間は地獄であった。
 
金曜日に皮膚科に駆けつけた頃はまだ可愛いもんだった。
帯状疱疹が本当の意味で牙をむいたのはそれから後だ。
 
保険を効かせてもそんなに高いのかという強いクスリと塗り薬、ビタミン剤を服用し、
常にホッカイロを脇や胸に貼り付け、痛みを緩和するも、
電流を流されたような痛みは断続的に襲ってくる。
 
LINEで家族に「オッパイが痛すぎて、先から何か産まれそう。
出産の痛みは波があるけど、この痛みは切れ目なく続くから、
出産の方が楽かもしれない」などと哀れを乞うてみても、
「そんなに痛いの?歳を考えて、予定をセーブしなさいってことよ」と冷たい。
 
優しいのは次女ひとりで、日曜の午後には頼んだおつかいを済ませ、
泊まりがけで手伝いに来てくれた。
 
何しろ、その夕方、手のかかることで有名なダンナがバンコクから本帰国し、
車で羽田まで迎えにいくことになっているのだ。
 
次女に台所仕事を頼んで、痛む左脇腹を押さえながら、高速を飛ばした。
すっぴんジャージー姿で空港に現れた私を見て、さすがにダンナもたじろいた様子。
 
本当は、本日9日は楽しみにしていた初釜の予定だった。
 
今朝まで、金曜の発病から、何度となく先生や同行の友人と連絡を取り、
「胸を締め付けるキモノは無理でも、お洋服で」という参加表明もむなしく、
朝起きてみれば、左脇腹の指すような痛みが強く、
結局、初釜参加を断念。
 
「車で迎えに行ったんだから、初釜行ってもいいでしょ」アピールは
自ら、取り下げる結果になってしまった。
 
今朝になって、土曜日にお休みした陶芸教室の先生から、
スマホに返信が着ていることに気づいた。
「年を重ねると思いもよらない病の餌食になるみたいですね。無理をするかしないか
という問題ではないですからねえ。静かな安らかな時間をすごしてください。
お大事にしてください」とあった。
 
ア~ァ、すっかり餌食になってしまったな~。
 
どうやら帯状疱疹、相当手強いらしい。
聞く話では、早い人なら1週間だけど、長引くと神経痛が残って完治まで3ヶ月とか。
 
1週間なのか、3ヶ月なのか、
今年の私の運勢は・・・さて。

2017年1月2日月曜日

年明けの親族会

 
2017年1月2日
穏やかなまったりした朝である。
 
昨日のことがうそのように静かな午前中、
新聞もテレビも見ることなく怒濤のように過ぎ去った元旦の1日を振り返ってみた。
 
今年初めてのお雑煮をいただきながら・・・。
 
 

 
今年の親族会は、長女の婿さんが初めて参加。
 
大阪に住むお婿さんのご両親が、
「1日は仕事もあるし、妊婦さんが移動中インフルエンザでももらったら大変だから」と
言ってくださったお陰で、
嫁側の親族会は、例年通り、元日に行われることになった。
 
ダンナの妹夫婦2組とその息子1名、
新婚夫婦1組と我が家の次女との合計9名が、ここに集結。
 
例年とは違った配置に席に着いただけでも新鮮な感じがする。
我が一族に新しいメンバーが加入した記念の日という印象である。
 
午後3時半にシャンペンによる乾杯、
早速、料理に箸をつけ、宴は午後10時まで途切れることなく続いた。
 
 
1品目は『たことポテサラのピンチョス』
芋好きのむすめ婿に配慮して、ニンニクの効いたポテトサラダとたこの組み合わせ。
ギリシャ風のカナッペというところ。
 
 
2品目は『スモークサーモンとポテサラのピンチョス』
 
味付けの違うマスタード味のポテサラにスモークサーモンやきゅうりを乗せ
宝石みたいなピンで刺したピンチョス。
 
シャンペンに続く白ワインを意識してみた。
 
 
3品目は『京風 聖護院かぶらのなます』
 
今年、初顔のおせち料理の一品。
千枚漬けに使う聖護院かぶらが手に入ったので、中に使うにんじんも
赤の色が鮮やかな京にんじんを使い、その透けた赤を楽しむ一品。
黄色いパラパラはゆず。
 
妹の連れ合いがいたく気に入ってくれ、
おかわりを所望されるも人数分しか用意がなく、失礼した。
 
朝は数の子を入れていた黒漆に金箔の器を使用。
金沢で求めたこの器。
ここぞというときに大活躍。
 
 
4品目は『ツイスト・ピザ』
 
パイ生地を四角くのばし、中にトマトソースを敷き、
モツェレラ・チーズと生バジルを散らし、生地をツイストさせて焼いたもの。
 
みんなでちぎって食べるのに、楽しい一品。
 
 
5品目は『タンドリー・チキン』
 
定番の鶏手羽元のオーブン焼きだが、
ヨーグルトやカレースパイスなどを使ったタレに漬け込み、味に変化をつけてみた。
 
この頃には、シャンペンと白ワインに続いて、早くも赤ワインに移行中。
おしゃべりも佳境に入り、笑い声がリビングに響いている。
 
私はひとり、足繁くキッチンとリビングを行き来し、次なる1品を調理中。
 
 
肉料理の次はさっぱりと。
6品目は『たことクレソンの和風サラダ』
 
たこ、クレソン、白マッシュルーム、フリルアイスを使い、
ドレッシングはわさびを効かせた醤油味。
 
和洋混在のメニューの中に、少しずつ和風のものを入れると、
日本人は安心できる。
 
実はもう一品、7品目として『八角風味の焼き豚』
映像として残すのを忘れるという痛恨のミス。
 
 
8品目は『フィッシュパイ』
 
ホワイトクリームの中に鱈と海老、グリンピース、マッシュルームを入れた具を
パイ皮で包んで、オーブンで焼いたもの。
 
ここまでとは全く違う味のものをもってくることで、変化をつけてみた。
 
お酒の方はそろそろ日本酒へ。
今回は娘達のいとこにあたる商社マンの彼が、日頃の研鑽を活かして
美味しいと評判の日本酒をセレクトし、持ってきてくれた。
 
きりりとして飲み口さわやかなれど、コクもあるおいしいお酒に、私も杯が進む。
 
もはや、料理人の私も酔っ払っているので、
ここから先は何が出てこようと責任はもてない。
 
 
9品目は『鯛のなます』
 
日本酒に合うお味のものをと考えて、鯛のお造りをつかった柿なますを作った。
 
大根の拍子切りも入っているので、しゃきしゃきとねっとりの食感の違いが楽しい。
味付けに塩昆布や昆布茶を使い、鯛の昆布締めみたいな味に。
 
そりゃ、日本酒飲み放題だわ。
 
 
10品目『牛すじ入り、おでん』
 
大根の超厚切りと牛すじを、それぞれ前日から煮込み、卵や糸こんにゃく、
最後にちくわも足して作った、具材限定のおでん。
 
アゴ出汁を効かせて、透明度を保ちつつ、味の染みた一品にしようと、
時間と手間をかけた一品。
 
もうお腹は相当出来上がっていたと思うが、
日本人のDNAを持つ人はこういう味に弱い。
 
 
11品目、最後の一品は『カリフォルニア・ロール』
 
やっぱりご飯ものが欲しくなるのかなと思い、中にまぐろとアボカドを入れ、
のりで巻いて、表面にとびっこを散らした太巻きを作ってみた。
 
かなりの大きさがあったけど、特に男性陣に好評でよく売れた。
 
この後、
和菓子を所望しておいた義妹が吉祥寺の銘菓『小笹最中』を持ってきてくれたので、
全員にお抹茶を点てて、振る舞った。
 
大量のお料理とお酒の後に、最中のあんことお抹茶がしみじみと染みる。
 
 
そこで止めときゃいいものを、もう一品出してしまうのが私流。
12品目は次女と一緒に作った『ガトーショコラ』
 
我が家の定番であり、自慢の一品。
娘には伝授したいと思うレシピなので、そばにいる内に仕込まねば。
 
切り分けたケーキに7分立ての生クリームを添え、紅茶でいただく。
 
別腹には最中と抹茶が収まったはずだが、
もうひとつの別腹にすんなりガトーショコラと紅茶も収まった。
 
きっと初参加の婿殿は目を白黒させていたと思うけど、
これがいつもの我が家のお正月。
 
楽しんでもらえただろうか。
 
これで、この週末に、もうひとり、ダンナが本帰国すると、
私のめんどくささが倍加する。
 
そのことに対して、かけてくれたダンナの妹達のなぐさめの言葉を力に換えて、
今年一年を頑張ろう!
そう思う年の初めの親族会なのであった。
 
ブログも頑張ります。
どうぞ長文におつきあいくださいませ。
よろしくお願い申し上げます。

2017年1月1日日曜日

2017年元日の朝

 
 
 
 
 
 
2017年元旦、美しい日の出と共に、清々しい朝を迎えた。
 
我が家はダンナがバンコクにおり、長女が昨年、結婚していないので、
次女と私のふたりきりの元旦の朝だ。
 
それでも、ほぼ例年通り、手抜き無しのおせち料理を作った。
 
どれも少なくていいと考えていたところ、
長女が午後から婿さんと一緒に親族会に参加するついでに、
帰りにおせち料理分けてねと言ってきたので、
例年と同じ分量を作ることにした。
 
次女の選ぶ我が家のおせちベスト3は
「数の子」「黒豆」「たつくり」だとか。
 
今年の松前漬けは景気よく日本酒をドボドボ入れてしまった結果、
お酒が強すぎて、日本酒のアテみたいになってしまったので、
選外に・・・。
 
しかし、選ばれた三品は自慢の一品で、
数の子の付け汁のだしを利かせた味付け、
黒豆の甘さ加減と、しわひとつない照りと柔らかさ、
アーモンドスライスと共に、甘いたれをからめた香ばしいたつくりは、
おふくろの味として、毎年作り続けて守りたい味だ。
 
また、今年の新顔は「京風なます」
 
聖護院かぶらを千枚漬けの要領でスライスし、しんなりさせ、
中に京にんじんの千六本を偲ばせ、二つ折りにしたもの。
 
中の京にんじんの赤がかぶらから透けて見え、
上から散らしたゆずが香しいアクセント。
味付けはなますなので、甘酢に漬けてある。
 
本当はこれの他に「お雑煮」があるのだが、
いつものことながら、写真の料理をひととおり食べたところですでに満腹。
 
お昼になっても、お腹に空きは出来ず、
午後3時には親族が集まり、夜10時までパーティ料理を食べ続けるという、
例年通りの飽食の親族会が行われたため、
遂には元日中にお雑煮を食べずに終わるという結果に・・・。
 
というわけで、せっかくついたお餅の出番は今日はなかった。
 
親族会で出した料理の数々は、また、明日。
 
今日はこれにて、失礼します。
本年もよろしくお願いいたします。