2017年11月29日水曜日

温泉三昧 美味三昧

 
 
 
 
 
命の洗濯と称して、古い友人とふたり、2泊3日で山形と宮城の温泉宿に行ってきた。
 
1泊目が山形県あつみ温泉の萬国屋、
2泊目が宮城県秋保温泉の佐勘。
 
いずれも五つ星の宿というふれこみではあったが、圧倒的に佐勘の方がよかった。
 
旅の目的は観光ではなく、ただひたすらに温泉に浸かって、
美味しいものをいただいて、友人としゃべり倒すこと。
 
観光は中日の致道舘という藩校とニッカウヰスキーの工場見学だけで、
あとは新幹線で東京から郡山まで行き、バスに乗り換え260㎞、
午後3時半とか4時には2日ともお宿に到着し、あとはフリータイム。
 
6時の夕食時に大広間に行くことさえ守れば、
館内にある何カ所かのお風呂に何回入っても、お部屋でくつろいでも自由という
何もしないで食べては温泉に入るのが目的の自堕落な旅だ。
 
いつもは豪華列車に乗るだの、何とか祭りを見るだの、
お宿の他にはっきりした目的があったが、
こんなゆるゆるした旅もいいものだ。
 
しかし、他に目玉がない分、お宿自体のクオリティには厳しくなるわけで、
お料理のお味や素材、器の選び方、食事処の雰囲気など、
全ての点で佐勘は素晴らしかった。
 
秋保温泉の佐勘は、1500年ほど前、皮膚病に悩む時の天皇の病を治したことから
「御湯(みゆ)」の名前をいただき、以来、土地の湯守として佐藤勘三郎が宿を営み、
今日に至るという千年続く温泉宿。
 
現在の佐藤勘三郎さんで34代目というから驚きだ。
 
秋保温泉は日本の三大名湯のひとつだそうで、
割合さらりとした泉質ながら、美肌の湯の名に恥じぬ、
肌にまとわりつく感じで、
体の芯から温まるいいお湯だった。
 
夕食は結婚式場にも、2016年のG7の会場にも使われた立派なお部屋で、
同行のメンバーととはかなり離れてテーブルが配置され、
団体旅行感がなくとてもよかった。
 
これは一体何かしらと仲居さんに質問する食材がいくつか使われていて、
その土地ならではの食材や調理法で楽しませてくれる懐石料理だった。
 
朝食もとても1回では制覇できない種類のバイキング形式で、
私は和朝食になるよう野菜中心のお総菜を何種類もとってきたが、
中でもわたり蟹のお味噌汁は絶品だった。
 
こんな贅沢、たまにはいいか。
 
何か自分にご褒美をあげなきゃならないほど、
苦労したとか忙しかった覚えもない2016年の秋だけど、
ここらで命のストレッチをして、
あと1ヶ月、今年も頑張ろうと思う秋の夕暮れ。。。
 
 

2017年11月21日火曜日

顔見世大歌舞伎 鑑賞

 
 


 
11月に着物を着てお出掛けするのは4回目。
本日は歌舞伎鑑賞。
 
例によって2列目ど真ん中のお席をとってくれる有能な助っ人とともに、
11月の歌舞伎座『吉例 顔見世大歌舞伎』の昼の部を観に行った。
 
幸いお天気もよく、秋の突き抜けるような青い空に映える
乱菊の柄のブルーの着物。
 
個性の強い着物にすべては合わせて、帯も帯揚げも帯締めも色味を抑え、
黒地の道中着を着用。
自分でいうのもはばかられるが、ちょっと普通じゃないよね感ハンパなし。
 
今日はテレビ収録が入っていて、何台もカメラやマイクが置かれている他、
会場のお客さんも評論家っぽい人や声をかける人も多く、
なんとなくいつもとは違う雰囲気だった。
 
着物を着ている人はさほど多くはなく、
そのせいか、ジロジロ見られているという印象だ。
まあ、もちろん私の単なる自意識過剰なんだとは思うが・・・。
 
演目は染五郎の『鯉つかみ』
吉右衛門の『奥州安達原』
菊五郎の『雪暮夜入谷畦道』
 
もちろん主役の役者の他にもたくさんの役者が出てはいるのだが、
この3人の個性にぴったりはまる役どころの演目という意味。
 
『鯉つかみ』は先代の猿之助が得意とした中吊りあり、大立ち回りあり、
早変わりありで、
本物の水が大量に使われる、これぞ正に歌舞伎というような
ケレンみたっぷりのダイナミックで楽しい作品。
 
前列3列目まではビニールシートが配られ、
まるで八景島シーパラダイスのイルカショーだ。
 
しかし、肝心の染五郎は立役者として少し小柄な上に表情が乏しく、
凄みみたいなものが足りないので、ちょっと物足りない。
 
舞台の演出自体は大仕掛けで素晴らしいので、
尚のこと、残念だ。
 
来年早々、幸四郎、染五郎は親子三代の襲名披露公演が予定されているから、
これからの歌舞伎界をしょってたっていく役者なんだけど、
持って生まれたオーラや存在感みたいなものは
出せといって出せるものでもなく、いかんともし難い。
 
2番目の演目『奥州安達原』は吉右衛門の十八番の役どころとかで、
たしかにはまり役とはこういうことかと思わせる安定感だ。
 
出ずっぱりの子役金太郎君(染五郎の子)がいい仕事をしていて、
まるで女の子のような容姿と健気な感じが役にピッタリ。
1月2月の襲名公演も楽しみだ。
 
3番目の演目『雪暮夜入谷畦道』は
菊五郎の片岡直次郎、時蔵の三千歳が
これ以上の配役はないと思わせるはまり役。
 
江戸の粋でいなせなちょい悪オヤジをやらせたら菊五郎に勝る人はいない。
同じく粋で色っぽくて少しはすっぱな芸者や女将をやらせたら時蔵はピカイチだ。
 
先ず、最初の場面が蕎麦屋の店先なのだが、
そこでは客が本物の蕎麦をすすり、キセルでタバコを吸うシーンが出てくる。
 
蕎麦を茹でる湯気や香り、タバコの煙や匂いまでもが会場に漂い、
江戸の入谷の庶民の暮らしを彷彿とさせる。
 
蕎麦と燗酒を注文した直次郎(菊五郎)が、おちょこの中の虫を箸でつまみ出す
そんな小芝居も定型のものらしく、
そのしぐさの直前に大向こうから「待ってました!」の声がかかった。
 
江戸時代からそうやって芝居を受け継ぎ、
型を作り、お家の芸を高めてきたんだということを、ふと感じることが出来た。
 
11月の『顔見世大歌舞伎』というのはそういうこと。
 
歌舞伎界の大御所達がそれぞれのはまり役を演じ、
連綿と続く家の芸を披露する場なのである。
 
 
 
 
 
 

2017年11月15日水曜日

横浜陶芸倶楽部 展示会

 
 
 
 
 
昨日から横浜市民ギャラリーで、
所属している横浜陶芸倶楽部の展示会が行われている。
 
2年に1度開催のビエンナーレ形式で、
会員と先生の計27名が出品している。
 
先生といっても、この会は自由作陶が基本なので、
技術的なことを質問したりはするが、
何を作るか、どうやって作るかなど、制作のほとんどは本人に任されている。
 
ただし、毎回展示会には「課題」が課されていて、
今回は「貯金箱」と「抹茶椀」であった。
 
そのふたつだけは全員必ず作らなければならず、
貯金箱を使っている人は皆無だろうし、
抹茶を飲む習慣のある人も皆無に近いかも知れないが、
それとは別に制作に励んだ。
 
幸い私は抹茶とは縁の深い生活だったので、抹茶椀の制作の延長線で、
自作のテーブルは茶道に関係のあるものばかり、
抹茶椀はもちろん、菓子器、香合、蓋置きといった茶道具のラインナップで揃えた。
 
貯金箱は布の袋みたいな感じで、ヒモ結びで口が締められている白い作品だ。
貯金箱の口は布のとじ目の上部に透き間があり、
そこからコインやお札を入れるデザインにした。
 
貯金箱は本当に様々なデザインのものが出揃い、
普段使わないものを作ることで、それぞれの個性やセンスがもろに現れ、
面白い展示になっていた。
 
また、課題ではなく、それぞれのテーブルをひとりずつ丁寧に見てみると、
ひとつの器では分からないその人らしさがいくつかの器の集合によって感じられ、
人となりやその人の生活の様子などが垣間見える気がした。
 
逆に私の作品群を見て、人はどんな風に感じるのか、
どんな人となりが透けて見えるのか、
明日の展示会のお当番の時や、週末のレセプションの時になどに、
メンバーとおしゃべりするのが今から楽しみだ。
 
作陶時は決まった曜日に決まったメンバーとしか会わないし、
ほとんど寡黙に制作して過ごしてしまうので、
展示会は同好の士と触れ合ういい機会になるだろう。
 
お茶のお稽古で会う人達、陶芸の工房で会う人達、
絵画教室やカウンセリングやビジネスや、整体や美容院など・・・。
 
それぞれのフィールドで出逢うタイプの違う人達と交友することの面白さを思う時、
自分は人そのものが好きなんだろうな、
珍しいタイプの絵描きかも・・・などと考えた。
 
 

2017年11月14日火曜日

第六十九回 湘南同好会茶会

 
 
 
今にも空から雨粒が落ちてきそうな今朝9時前、
人気のない鎌倉の鶴岡八幡宮の茶室前に到着。
 
今日は表千家千家茶道の神奈川支部、湘南同好会のお茶会である。
 
お社中の中でウィークデイでも動けるということで、先生からお誘いを受け、
ふたりで参加させていただくことになった。
 
他に1番弟子の方のご実家のお母さんが福島から総勢12名で見えるとか。
いずれも着物着用、お客さんの所作は出来て当たり前の特別な空間だ。
 
お茶席4席と点心席があり、
中でも定刻より早めに始められる先生のお席を狙って、集合。
効を奏して、1回目のお席に入ることが出来たので、その後も万事順調に進み、
午後1時半には全てのお席に入ることが出来、
合計4服のお茶と5種類のお菓子をいただくことが出来た。
 
しかし、半生菓子を3つもいただくというのは、実はかなりハードで、
席入りの際はバッグを手放すので、
出されたお菓子はお腹の中に収めることになるのだが、なかなかにしんどい。
 
以前もこのようなお茶会に伺ったことはあるが、そんなにはお茶も飲めないし、
お菓子も食べられないと、2席かせいぜい3席回って、
後は点心を食べておしまいということが多かったが、
今回の先生は非常に熱心な先生なので、全席制覇が当たり前らしい。
 
いずれのお席も現在の家元や先代の家元の箱書き付きの蒼々たるお道具が
きら星のごとくに並び、目もお腹もいっぱいいっぱい。
 
世の中にはこんな凄い世界があるんだなと今更ながらに驚嘆のひと言だ。
 
しかし、どのお席も写真をパチパチ撮ることは暗黙の了解で許されていないらしく、
ブログにアップできないのが残念無念。
 
どのお席も目玉のお道具(おご馳走という)はあるのだが、
印章深かったのは、常陸席という男性の席主、男性ばかりのお点前と半東のお席で、
煤竹の茶筅3千本を燃やして作ったというたばこ盆の灰だった。
(30本でも300本でもなく、3000本の茶筅だ)
 
たばこ盆なんて現代で見るとしたら、時代劇か歌舞伎ぐらいだろうが、
昔は四角い持ち手のついた箱に火入れとタバコ入れとパイプ2本をセットにして、
お正客(1番偉いお客)の脇に置いておく。
 
今は実際にタバコに火を点けて飲むなんてことはないのだが、
それが置かれていないと茶席の恰好が取れない。
 
その直径12センチぐらいの陶器の火入れ、
大ぶりの湯呑みのような形で中に灰を入れ、山型形を整え、
真ん中に小さな炭を置き、火種にする。
 
その灰。
通常、灰は灰色、つまり、ベージュのようなグレーのような・・・。
しかし、煤竹の茶筅を3千本燃やして作ったという灰は青みがかった灰色だった。
 
陶器製の火入れの内側が薄いブルーだったので、
何とも不思議な趣で、亭主のこだわりを感じるひと品だった。
 
他の例えば、桐の白木の楚々としたお茶入れに鳳凰の絵柄が描かれており、
蓋を開けると中はすべて金貼りとか、
絽縁と結界は共に聚光院本堂の古材を使って造られただの、
先代の家元の覚入作の赤楽の茶碗だの、
家元直々に77歳のお祝いの時に書いてもらって『寿』のお軸だの・・・。
 
もはや、覚えきれない。
 
この湘南同好会のお席はいいお道具が出るからと、お誘いいただいたのだが、
猫に小判というか、豚に真珠というか、
何だかいいものをたくさん見すぎたせいと、
正座のし過ぎと、着物で肩が凝ったのとで、帰ったらドッと疲れが出てしまった。
 
深くて遠いはお茶の世界。
 
30数年、お茶のお稽古には通っているはずだが、
まあ、不思議ワンダーランドだと本日も思った次第である。
 
 
 
 
 
 
 

2017年11月10日金曜日

西新宿からビジネスの予感

 
 
 
 
生まれて初めて丸ノ内線の西新宿の駅に降り立った。
地下から外に出ると、正面の高いビルの奥に都庁が見える。
いわゆる高層ビルの建ち並ぶ新宿副都心エリアである。
 
この界隈に来たことがないわけではないが、
西新宿という駅から地上に出たのは初めてだ。
 
駅から右手へ260メートルのところにある地上40階建ての
住友不動産新宿グランドタワーが今日、面談のために訪れた場所だ。
 
1階のエレベーターホールはテレビのトレンディドラマで絶対見たことがあると思える
スケルトンのエレベーターで、
1階から一気に30階まで上がる一基30人ぐらい乗れそうな大型のエレベーターに
若いビジネスマンが当たり前という顔で(当たり前なのだが)乗り込んでいく。
 
おのぼりさんの私も一見当たり前という顔で乗り込み、
30階で別のエレベーターに乗り換え38階まで。
 
新宿副都心を眼下に見下ろすフロアを、実にラフな服装で働く人達が、
いかにもIT企業という空気感をプンプンさせながら行き交っている。
 
その内のひとりのTさんがこれから私の担当さんについてくださるということで、
今日は初めて直接お目にかかり、詳しい話を伺うと共に、
今後の仕事の方向性を決めることになった。
 
今まで電話やメールでしか話したことのない相手が目の前に現れ、
双方、初対面なので、つまり、第一印象を形成すると共に、
仕事の話を前に進めるということは、
お互い、好印象を持ったということに他ならない。
 
1時間と少し、主には私の経験と経歴などについてお話しし、
それを手元のパソコンでまとめながら、
Tさんは私と女性経営者とをつなぐ売り文句を考えたり、
NEEDSとWANTSをどう結びつけるかイメージしたりしたに違いない。
 
エグゼクティブコーチだなんてこっぱずかしい名称だけど、
私がこれまでに培った様々なスキルや経験、カウンセラーとしての知識や力量が、
新たに活かされる場が生まれるかも知れないのだ。
 
横浜で市井の女性達の少しでも力になれればと思ってやってきた
心理カウンセリングが、もう少しフィールドを広げられそうなのだ。
 
40代の頃、出張で広島や博多などに泊まりがけで研修に行ったことや、
当時、横浜から延々電車を乗り継いで、舞浜にある某社まで研修に通ったことが、
昨日のことのように思い出された。
 
これからどこにお仕事で伺うか全く未知数だが、
これまでのように駅前ビルの討議室にクライアントさんに来てもらうという形では
なくなるだろう。
 
今更ながら、自分に与えられたNEEDSを新鮮な気持ちで受け止め、
まだ見ぬどこかの女性経営者の心の支えになれればと思う。
 
世の中、真面目に生きていれば誰かが見ていて認めてくれる
そんなことを感じた今日の面談であった。
 
ばぁば生活はばぁば生活として、
ごめん、私、ちょっくら、エグゼクティブカウンセラーになるわ!
 
 

2017年11月2日木曜日

メロメロばぁば日記

 
 
 
 
生後満5ヶ月ちょっと前。
少し周囲の人が分かってきて、愛想がよくなってきた孫が、
3泊4日で遊びに来た。
 
生後100日のお食い初め以来、我が家にきたのは久しぶり。
 
その間、ほんの少しだけ会ったけど、会う度に出来ることが増えてきて、
今は抱き上げると膝の上で足を突っ張って立とうとしたり、
座らせるとグニャグニャに屈伸しちゃうけど、何とか座れる。
 
バウンサーなる椅子に座らせると、右足をグルグル回しながら空中でキックし、
椅子の揺れを勢いづかせて遊ぶことを覚えた。
 
アーだのウーだの、叫び声を上げながら、おしゃべりをし、
人が顔を覗き込むとニコニコする。
 
こうしたお泊まりは
母親である娘を多少なりとも子育てから解放するのがひとつの目的だけど、
何と言っても、オーママの顔を認知し、慣れさせることの方が重要事項。
 
そして、日に日に成長してしまう前に、この瞬間にしか見せない表情やしぐさを
この目に焼き付け、
この手で抱きとめたいという思いから、
日帰りではなく、お泊まり保育と相成ったわけである。
 
自分が育てたときとはまったく違う感慨がこみ上げ、
実際は通常の時間が止まってしまったかのような拘束感があるのだけれど、
それもまた良しとこの小さな命を秋の日差しの中で眺めていた。
 
子育てネタで作品をいつまでも創るわけにはいかないかも知れないが、
(また、先輩からお叱りをうけるかも・・・)
やっぱり自分の中にある母性というか祖母性?が、
この小さな命を前にきゅんきゅんしてしまうのは素晴らしいことだと思う。
 
命が連綿とつながっていく感じ。
 
娘の小さな時とそっくりな孫、
そんなところまで似なくていいのにというところまで似ているので、
30数年前の記憶がよみがえる。
 
自分が感じたのと同じ歓びと心配と驚きとを毎日、感じながら、
娘も奮闘しているに違いない。
 
現代は少し情報過多かなと思う面もあるけど、
目の前の自分の娘の発するメッセージを読み取って、
上手にコミュニケーションをとりながら過ごして欲しい。
 
まだ、物言わぬ娘と、交信できる母親なり、父親なり、ばーばやじーじなりが
子育てには必要なのではと、そんなことを感じた3泊4日であった。